さむらい小平次のしっくりこない話

世の中いつも、頭のいい人たちが正反対の事を言い合っている。
どっちが正しいか。自らの感性で感じてみよう!

ネパール大地震 その時現地におりました

2015-05-07 | 社会・経済
こんにちは 
小野派一刀流免許皆伝小平次です

今回はまず
あのネパールの大地震で亡くなられた方々に心よりお悔やみを申し上げます
また、家を失ったり怪我をなさったりした方々へ心よりお見舞い申し上げます
そして、一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます

さて、タイトルにも書きましたとおり、実はこの小平次、あの大地震の時、震源付近の首都カトマンドゥにいたのであります
なぜかと申しますと、ちょっとした仕事で行っていたのであります


カトマンドゥ空港付近(地震発生前日)※記事内の写真はクリックで拡大できます

地震発生時、小平次は、同行した他2名の日本人の客人とともに、3階建てのある建物の中にいたのでありますが、まず停電が起き(ネパールはしょっちゅう停電します)、その後突然大きな揺れが発生したのであります

日本人ですので、地震には多少なりとも慣れておりましたが、それでも

「これはちょっとヤバイな」

と思うほどの、立っている事もままならない強い揺れでありました

よく途上国で大地震が発生したりしますと、地震大国である日本のように耐震設計が十分、とは言えないであろう建物が倒壊し、瓦礫となっているような惨状の映像を報道などで見たことがありますが、まさに今、自分がいる場所を考えた時、そのような映像が頭をよぎったわけであります

「これは死ぬかもしれない」

本当にそう思いました

そんな時思うことは、意外に冷静でありまして

「邦人の安否確認」などで「迷惑をかけたくないな」
とか
「家族がちゃんと保険金を受け取れるかな」
などといったことでありました

少々長い時間に思えた強い揺れもおさまったところで、様子を見つつ外へ出てみます
地震に慣れていないネパールの人たちが、驚いて大勢外に出てきていましたが、辺りを見回したところ、カラスがやたらにうるさいことを除けば、倒壊しているような建物もガラスが落下したような形跡も見当たらず、最初にそこに来た時となんら変わった様子は見られませんでした



上の写真は、地震直前の付近の写真でありますが、地震後の様子も変わりありませんでした

そんなでしたから、かなり大きな地震であった割には、さほど被害はなかったのかな、というのが最初の印象だったのです
ですから、自家発電によって電気をまかない(停電の多いネパールでは多くの家や施設が自家発電設備を持っている)、仕事を続け、その日に予定していたことをとりあえず終えたのでありました
 
建物のオーナーが

「このビルは非常に頑丈に造ったから心配要らない」

と言っておりましたが、入り口付近に亀裂が入っているのを小平次が見つけ指摘すると

「あれは前からあったんだ」

と言って笑わせてくれました

そんな冗談を言い合うくらいにその時点では平穏だったのです

「かなり大きな地震だと思いましたが、ネパールの建物は強いのですね」

小平次は本当にその時はそう思っていたのでありました

ところがその後、日本から同行してくれた小平次の仕事の関係者で、日本在中10年のネパール人のSさんが、神妙な面持ちで小平次たちの所へ戻ってきました

「ちょっと思ったより被害が大きいようです」(Sさんは日本語が堪能です)

Sさんが得た情報では、ヒマラヤの麓付近の山側や、ここカトマンドゥ市街でも甚大な被害が出ており、死者も多数出ている、との事でした


その後、Sさんとオーナーに車でホテルまで送ってもらったのですが、その道すがら、Sさんの言った通り、あちこちで建物が崩壊し、壁が大きく崩れていたりするのを目の当たりにしたのでありました


崩壊した商店の入った建物(現地の方にことわって撮影しております)


ホテルまでの道中、現地で世話をしてくれたDさんが言います

「あれは私の通っていた高校です」

Dさんの指差す方を見ますと、その「高校」は完全に崩れ落ちていたのでありました

余震が続く中、建物の倒壊を恐れ、市街の大広場や公園などにテントを張り避難している人たち、そこに向かう人たちの列、少しでも建物や壁から離れようと、車の行きかう道路の真ん中に椅子を出して夜を過ごさんとする人たち

そんな光景を見て小平次はようやく気づきました
それは、小平次のいたあたりが平穏だったのは、その付近の地盤が強かったのか、とか、その理由はわかりませんが、たまたま自分は運が良かっただけなのだと


また、印象的だったのは、多くの人たちがお寺や、町の宗教的な小さな塔のようなところに集まっている姿でした
 
それはどういう理由なんでしょうか

小平次には

「神のご加護を求めて」

と言うより

「命を預けます」

どこか死を覚悟しながら、その時は神の元で、と言った心情のように見えたのであります


小さな塔に集まる人達


その後ホテルに到着しますと、地震に慣れていない外国の宿泊客が、室内にいるのは怖いと中庭など外で夜を過ごそうと毛布を持ち出して寝床を作っておりました

日本人である小平次は、まあやはり地震国の人間だからか「どこにいてもだめな時はだめだから」と部屋で休むことにしました
ただ、一部の部屋は天井が崩れ落ちておりましたが…


翌日は、予定していた仕事をする事が不可能になり、前日の書類の確認などだけをしてホテルに戻りました

前日は自家発電の燃料節約のため、夜中は電気が全く来なかったのですが、この日は少々回復したのか、ホテルでテレビなどを見ることができまして、ようやく外部の情報に触れられるようになったのでありました
地元の放送のみならず、各国のニュースで大きくこの地震が取り上げられているのを見て、改めて今自分がいる場所で起きていることの大きさを実感したのでありました

また、それまで通信がうまく行かず、なかなか日本と連絡が取れなかったのですが、ようやく連絡がとれまして、小平次の家族や仕事の関係者にも無事を伝えることができたのでした
同時に日本でも結構な騒ぎになっていることも、この時初めて知ったのでありました


一息ついて後、小平次は一人で外へ出てみます


小平次はネパールは初めて行ったのですが、以前インドを中心にバングラディッシュなどを放浪した経験がありまして、何となくこの辺りの国の町の空気と言いますか、雰囲気、そんなものを肌で感じるのですが、混沌としている日常、そんなインドやバングラディッシュと似た空気を、このカトマンドゥでも同じように感じられたのであります


市街

町を歩いておりますと、崩れた建物、本来開いているべき商店が軒並み閉まっていること、大きな広場や公園、寺院などに避難民が集まっていること、そういうことを除けばこの混沌とした町の空気は、小平次が感じていたこれまでのカトマンドゥと変わらぬように思えたのであります


広場や公園に集まる人達

それほどに市民の皆さんは、取り乱すでもなく、暴動が起きるでもなく、混沌とした日常なりに秩序を守ってこの災害に向き合っているように見えました

そんな光景を見て、小平次はふと東日本大震災の時の日本を思い出します
あれほどの大災害に見舞われながらも、被災した方々は秩序を守り、物資の配給にも整然と列を作り、家族を亡くしながらもさらに自分より高齢の方に気を使う、そんな姿に世界中から賞賛の声が上がったのでありました

以前からこのブログ内で、世界中のいかなる宗教も成し得なかった戦争のない平和な世界を、「縄文の奇跡」とも呼べる1万年以上もの長きに渡り実現した縄文期の先人達、それを受け継ぎ、育み、天皇陛下を頂点とする君民一体の国体を作り上げ、平和を守り、国を守ってきた、そういった日本人の感性というのは、古来より先人たちによって育まれた武士道などに代表される、宗教とは違った内からの「徳」によるものだ、ということを申し上げてまいりました

その国体こそが平和のための唯一最善の道なのだとも述べてきました

しかし、今、この状況の中、秩序を守ろうとしているネパールの人たちの姿を見ますと、日本人が宗教ではない内なる「徳」により秩序を守っているのであれば、ネパールの人たちは、やはりヒンドゥー教を中心とした「宗教」への強い信仰心とそれを育んだ歴史によって、この秩序と道徳を作り上げて来たのだ、当たり前の事かも知れませんが、あらためてそう感じたのでありました



さて、さらに翌日は、早くも帰国予定の日でありまして、混乱しているだろうと早くから空港に向かったのでありますが、小平次の乗るべき飛行機は、カトマンドゥ上空まで来たものの、一本しかない滑走路が混雑していたため、結局その日は着陸できず引き返してしまったのでありました

救援物資を運ぶ専用機や、各国の軍用機が当然優先されますので仕方のないことです

混み合う出発ロビー

母国へ帰らんとする人達や、次の滞在地に向かわんとする大勢の人達で、狭い出発ロビーはごった返していたのでありましたが、そんないつ帰れるかもわからぬ状況でしたので、時折降り立つ民間機のロゴが、自分の乗るべき航空会社のものであったりすると、その度にそれを待っていた人達から歓声が上がったりするのでありました


そんな時、ひときわ大きな歓声が小平次のすぐ近くで上がりました
そちらに目をやると、歓声を上げたのは中国人の一団でした(ネパールに中国人は大勢います)
彼らの視線の先には、機体に「中国空軍」と書かれた巨大な軍用機が降り立っていたのでありました


中国空軍機

ネパールの人達のために自国の軍隊がやってきたのですから、歓声を上げるのも無理はありません
また、一刻の猶予もならない瓦礫の下で救助を待つ人達や、治療を待つ人達のために、それがどこの国の支援隊であろうが良いのです

それでも、誠に不謹慎かもしれませんが、小平次はやはり日本人として、ネパールの人達のために、この滑走路に自衛隊機にも降り立って欲しい、という気持ちを抑える事ができなかったのもまた事実であります

そんなこんなで結局その日は帰国の途にはつけず、あらためてチェックインカウンターまで戻ったときには随分と夜も更けておりました

この日小平次が乗るはずだった便は、翌日に振り替えられることになったのですが、それでも混乱した状況の中、翌日の何時からチェックインが始まるかなどはわからないままでありました
そうなりますと、翌日も朝早く空港に来ている必要があり、一旦市街まで戻っても、ホテルなどがとれるかもわからず、また早朝に空港までの、タクシーなどの移動手段の確保も難しいことも予想され、客人も一緒だったこともあり、このまま空港で一夜を明かすか、近くで野宿するかと思案しておりました

そんなところへSさんから連絡が入ります
Sさんは、小平次より2日遅れて日本に戻る予定で、カトマンドゥ市内の実家に残っていたのでありました
 
30分ほどでSさんと仲間が迎えに来てくれて、この時すでにホテルまで確保してくれておりました
その上朝から何も食べていないだろうと案じ、Sさんのご家族の手料理までホテルに運んでくれたのでありました


Sさんのご家族の手料理

ご自身も大変な状況の中、言葉につくせないほどの心温まるご好意に本当に感謝でありました
さらに翌日も早朝わざわざ、Sさんの友人が車で迎えに来てくれまして、とにかく感謝でありました

Sさん始め、ネパールの皆様の厚い心づくしのおかけで、早朝から空港に行けた事もあり、無事に振り替え便のチェックインができました

それでもまだ、実際に小平次たちが乗るべき便がやってくるかはわかりません
そんな状況下で、前日に引き続き、混み合う狭い出発ロビーで待機しておりますと、再び「中国空軍」機が飛来し、中国人たちの歓声があがりました

この日はさらに、「US・Air・Force」の巨大機もいよいよ降り立ってきました(なぜか小平次は少しほっとした気持ちになりました)


アメリカ空軍機

アメリカ人自体が少ないのか、この「US・Air・Force」の飛来に歓声が上がる事はありませんでした

そしてさらに数時間後、一機の民間機のタラップから、ある一団がこのネパールの地に降り立って来ました

「JAPAN」

と書かれた帽子を被り、オレンジ色のユニフォームを着た日本の救助部隊の皆様です


日本の救助隊の皆様

その皆様の列が、ガラス越しに小平次の目の前を通り過ぎて行きます
小平次は静かに拍手を贈りました

その中の一人の男性の方と目が合いました
小平次は拍手をやめ、小さく一礼します
するとその方は、小平次の方を向き、力強く頷いて下さいました
思わず胸が熱くなります

その一行が小平次の前を通り過ぎると、その通り過ぎた先で、大きな拍手と歓声が起こりました
少し驚いてそちらを見ると、拍手と歓声を贈っていたのは、他ならぬこのネパールの方々や近隣のアジアの国の方々だったのです
小平次のすぐ近くにいた人が、一行を指差しながらうれしそうに小平次に尋ねます

「JAPAN!?、JAPAN!?」

「Yes…」

これは一体どうしたことなのでしょう

「中国空軍」

にも

「US・Air・Force」

にも歓声を上げることのなかった地元や、近隣の国々の方たちが

「JAPAN」

の救助部隊の到着を、拍手と歓声で迎えてくれているのであります
小平次は思わず涙ぐんでしまったのでありました

さて、その後、小平次は無事に帰国いたしましたが、その道中、先の出来事を思います

「ひょっとすればたまたまそこに日本贔屓のネパール人がいただけかもしれない」

ネパールにおける対日感情は良好であるとは聞いていました
逆に対中感情は悪いとも聞いておりました

しかしそれらは小平次が肌で感じたものではありません

以前、インドを放浪した時は、それなりの長い時間インドの方々と触れ合い、日本や日本人に対する感情は良い、と肌で感じることができました

インドの全く違う場所で、全く違う方から、全く同じ事を言われた事があります

「お前たち日本人は、過去、アメリカやイギリスの植民地支配と勇敢に戦った、そしてこのインドも、お前たち日本人と共にイギリスと戦った、その後お前たちの国は、アメリカによってヒロシマ、ナガサキにAtomicBomまで落とされた、にも関わらず、なぜ今お前たちはアメリカの手先のようになっているんだ!」

当時クリスチャンで左翼思想どっぷり、昔日本はアジアで酷い事をしたと信じ込んでいた小平次は、ただ苦笑いするしかなかった覚えがあります

今回のネパール訪問は、ほんの数日の短い間でしたので、実際の対日感情がどのようなものか、インドの時のように肌で感じるまでには至っておりません

ですが

「JAPAN」

の救助部隊に、中国軍にもアメリカ軍にも声を上げなかった方々が拍手と歓声を贈った事、これは小平次の目の前で起きた事実であります
私たちが思っている以上に、アジアの国々の方々は、日本を、日本人を信頼してくれているのです
そして期待してくれているのです
そう感じる他ないのであります

そしてその信頼と期待は、間違いなく大東亜戦争時の先人たちの振る舞い、それ以前の、その後の、先人たちの振る舞いと並々ならぬ努力によって築き上げられた信頼と期待に他ならないのであります

私たちの世代でその信頼と期待を裏切るような事があってはなりません

(もちろん中国軍の方々もアメリカ軍の方々も体を張ってネパールの人たちのために働いていらっしゃいます)


さて、日本に着いて真っ先に飛び込んできたニュースは、やはりネパールの大地震の事でありました
そしてもう一つ、安倍首相の訪米と米議会演説のニュースが大きく報じられておりました

しかしその内容は、先の戦争について、お詫びの言葉が「あった」とか「なかった」とか
お詫びの言葉が「なかった」事に諸外国が「懸念」を示しているとか…
そんな事ばかり日本のマスコミは報じておりました

「アホか…」

もう本当にそれしか言いようがありません

アジア諸国において、そんな「お詫び」を要求しているのは、覇権によって近隣諸国を脅し、我が国の領土を奪い取ろうと画策し、沖縄までも侵略しようとしている、かの「大国」とその「属国」の2国だけであり、後はそれを後押しする日本の左翼マスコミだけなのです

アジアの国々の信頼を目の当たりにし、その感性で小平次が申し上げるのですから間違いありません

そんな馬鹿な報道に振り回されている場合ではありません

私たちは先人たちの作り上げたアジアでの信頼を裏切らぬよう努力しなくてはなりません
努力と言っても難しい事はありません

正しい歴史を学び、先人たちに敬意を払い、その上でアジア始め諸外国の皆様と触れる合う機会があれば、日本人らしく礼をつくし、その方の国の歴史、文化、習俗に敬意を持って接する、おそらくはそれで十分でありましょう

さて、小平次の帰国から一日遅れて、Sさんも無事に日本に戻ってまいりました
Sさんは、母国ネパールの復興のために日本で基金を募るとおっしゃっていました
小平次も協力するつもりであります

一日も早いネパールの復興を願うばかりであります


御免!

※記事内の写真はクリックで拡大できます

ネパール大使館への義援金口座


コメント (2)
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