さむらい小平次のしっくりこない話

世の中いつも、頭のいい人たちが正反対の事を言い合っている。
どっちが正しいか。自らの感性で感じてみよう!

曽野綾子さんは差別主義者?2か月前の出来事より

2015-04-20 | 社会・経済


こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です

今回は東京書籍出版教科書の歴史探訪シリーズはお休み致しまして、2ヶ月ほど前、作家の曽野綾子さんが新聞のコラムにて、現在まことしやかに政府が進めようとしているという、年間20万人の「移民受入れ政策」について、ご自身の考えを述べたところ、その内容が、南アフリカの人種隔離政策、悪名高き「アパルトヘイト」を賛美していると、南アフリカ大使館始め、国内外のマスコミ、ネット上などで、散々非難、批判、抗議をされた件について触れたみたいと思います

さて、以下にそのコラム全文を載せます

※赤字引用部曽野綾子さん

最近の「イスラム国」の問題など見ていると、つくづく他民族の心情や文化を理解するのはむずかしいと思う。一方で若い世代の人口比率が減るばかりの日本では、労働力の補充のためにも、労働移民を認めなければならないという立場に追い込まれている。

 特に高齢者の介護のための人手を補充する労働移民には、今よりもっと資格だの語学力だのといった分野のバリアは、取り除かねばならない。つまり高齢者の面倒を見るのにある程度の日本語ができなければならないとか、衛生上の知識がなければならないとかいうことは全くないのだ。

 どの国にも、孫が祖母の面倒を見るという家族の構図はよくある。孫には衛生上の専門的な知識もない。しかし優しければそれでいいのだ。

「おばあちゃん、これ食べるか?」

という程度の日本語なら、語学の訓練など全く受けていない外国人の娘さんでも、2、3日で覚えられる。
日本に出稼ぎに来たい、という近隣国の若い女性たちに来てもらって、介護の分野の困難を緩和することだ。

しかし同時に、移民としての法的身分は厳重に守るように制度を作らねばならない。条件を納得の上で日本に出稼ぎに来た人たちに、その契約を守らせることは、何ら非人道的なことではないのである。
不法滞在という状態を避けなければ、移民の受け入れも、結局のところは長続きしない。

ここまで書いてきたことと矛盾するようだが、外国人を理解するために、居住を共にするということは至難の業だ。

もう20~30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった。

南アのヨハネスブルクに一軒のマンションがあった。以前それは白人だけが住んでいた集合住宅だったが、人種差別の廃止以来、黒人も住むようになった。
ところがこの共同生活はまもなく破綻した。

黒人は基本的に大家族主義だ。だから彼らは買ったマンションにどんどん一族を呼び寄せた。
白人やアジア人なら常識として夫婦と子供2人くらいが住むはずの1区画に、20~30人が住みだしたのである。

住人がベッドではなく、床に寝てもそれは自由である。しかしマンションの水は、一戸あたり常識的な人数の使う水量しか確保されていない。

間もなくそのマンションはいつでも水栓から水のでない建物になった。
それと同時に白人は逃げ出し、住み続けているのは黒人だけになった。

 爾来、私は言っている。

「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい」

(産経新聞『曽野綾子の透明な歳月の光』、2015.2.11


さて、どうでしょう

この文面から曽野さんが、アパルトヘイトを賛美しているように受け取れるでしょうか

上記コラムを要約すると

「介護の分野における労働移民の在留要件を緩和しなくてはならない、しかしながら、文化、習俗、宗教などの異なる人たちが共に暮らすのは難しい、人間は共に何でもできるが、居住だけは別にした方が良い」

という内容に小平次には読めるのですが、いかがでしょう
少なくとも「差別主義者」として罵られるようなものではないように思えます

一部の非難、批判には、曽野さんを「差別主義者」として罵っているものもあります

http://news.livedoor.com/article/detail/9779067/

小平次ごときのブログとは言え、他人の記事を批判するようなことはしたくないのですが、上記アドレスの方の曽野さんバッシングはあまりに酷い
コラムの全文を載せることもなく、読むことの出来るサイトを紹介するでもなく、断片的な曽野さんの言葉だけを切り取り、「差別主義者」と罵っております
つまり全文を読んでいない人たちをターゲットに、そう思い込ませようとしているのです
このようなやり方はあまりに卑怯卑劣で、姑息です

およそ左翼的主張をネットなどで見る時、このような手法で誰かを罵るというようなものを大変多く見かけます
しっかりと自分の目で確かめて、自分の感性で感じ取りましょう

さて、この小平次、この曽野さんのコラムが差別的であると、物議をかもした時点で、上記の全文など読んでおりませんでしたが、おそらくはまた一部の偏った思想の人たちが曽野さんを批判しているのだろうと思ったわけでありました(南アフリカ大使館等、理解不足と思われるもの除く)

全文も読まずに…

なぜそう思ったのか

そんなの読まなくたってわかるんです
これまでの曽野さんの著作等々を読んで見れば、比較的論調のきつい言い回しをする時もある方ですが、少なくとも肌の色の違いや、習俗、宗教の違いによる「言われなき差別」を良しとするような人ではないと小平次には感じられます

「曽野綾子の知り合いでもないのにそんなことがわかるもんか!」

いいえわかります
その著作、自論などを読めばわかります

上記コラムの内容につき、いつものように頭のいい人たちが言い合いをしています
ならば曽野さんの本を読んでみればいいのです

そうすれば感じられるでしょう

また、曽野さんはクリスチャンでもあります
以前の小平次のような、視野の狭いクリスチャンではなく、ご自分の感性により、独特な神との向き合い方をされているように見えます
曽野さんの信仰心の一端を見るだけでも、何かを感じる事が出来るでしょう
(小平次がクリスチャンだった件につき以前の記事漠然と昔日本は悪いことをしたと…参照 )


さて、もう一つついでに申し上げたいと思います

上記コラムの中の

どの国にも、孫が祖母の面倒を見るという家族の構図はよくある。孫には衛生上の専門的な知識もない。しかし優しければそれでいいのだ。

との曽野さんの言葉に対し

「介護の現状を全くわかっていない!」
「介護はそんな甘いものじゃない!」

との批判も多くあるようです

それは確かにそうかも知れません
しかし、小平次はもう少し思うところがあります

曽野さんは決して介護の仕事が簡単で甘いものだなどとは考えておられないでしょう
よほどのバカでなければそんな風には思わないでしょう

「優しければそれでいい」

それは、介護という仕事において、最も重要なファクターであろう、ということのように思います
小平次も仕事柄、福祉の現場に携わることがありますが、その中で、基本的に、例えばおばあちゃん、おじいちゃんの、子どもたちの、その笑顔を見ることにやりがいを感じられるような人ならば、たとえ技術的に未熟な点があったとしても、その「優しさ」が、「笑顔を見たい」という気持ちが、決して楽ではない仕事をやる上での未熟さを、やがては克服していくだろうと感じています

逆にそれがなければ、その仕事から離れていくことになるだろう、という事です
現実にそのようなことをたくさん見てきました

もちろんすべてがそうであるとは申しませんし、高齢者の方や、幼い子供、その他、人の助けを必要とする方々に関わるのですから、必要最低限の技術や知識の習得は不可欠であることは当然のことではあります

さてこの小平次、このように申しながらも

曽野さんの言う「移民要件の緩和」については正直今の時点では反対です
まことしやかに言われる「移民政策」などは断固阻止したいと思っております

それでもこの少子高齢化社会の打開策として移民政策を実行すると言うのであれば、曽野さんの言うように是非とも住み分けはした方が良いと思います
文化、習俗、宗教の違うもの同士、お互いのためです


また、今回の曽野さんのコラムにおける

「住み分け」

に反対の立場の意見として

「居住を分けるのではなく、移民総数を完全に管理しつつ、移民の日本文化への適切な同化政策こそが唯一のこの国の移民政策を成功裏に進める手段である」

というのを見かけました

「移民総数を完全に管理しつつ…」

というのは絶対的条件であると小平次も思いますが、「適切な同化」という事に対しては懐疑的であります
この「適切な同化」がもしできるのであれば、もちろんそれにこしたことはないのですが、小平次はそんな事は不可能だと思っています
なぜなら、もし、そのような同化が可能ならば、今現在、世界が国ごとに分かれて国家を形成する必要なんてなかったことになると思うのであります

そういう文化、習俗、宗教の違いが時に対立を繰り返しながら「国」を分け「地域」を分けてきたのでありますから、それぞれの移民先に同化していくことが可能なのであれば、人類はとっくにそうしてきたでしょう
そして、どこかの政党が言うような「世界市民」「地球市民」なんて世の中を実現していたことでしょう

ですが実際に起きているのは、人類誕生以来、文化、習俗、宗教の違いによる対立、争いばかりです

さて、最後になります
この曽野さんのコラムが産経新聞に掲載されたのは2ヶ月ほど前のことですが、その時点では、その昔アパルトヘイト先進国であった南アフリカ大使館からも抗議が入った上、世界中のメディアでも報道されたようであります
それに対し、その後産経新聞並びに関係者が、どのような対応をしたのか小平次はよく知りませんが、この事につき、産経新聞並びに関係者は、その真意を丁寧に説明し、理解してもらわねばなりません

それはおそらく大変困難なことでありましょうが…

なぜなら、上記バッシングのように(http://news.livedoor.com/article/detail/9779067/)、明らかな悪意と思想によって巧みに情報を操作し、対立を煽り、利益を得ようとする輩がたくさんいるからです

私たちは、日本人として、祖国を守るために、感性を磨き、しっかりと目を覚ましていなくてはなりません


そして、私たち日本人は、世界中に人種差別の猛威が吹き荒れていた時代に、世界で初めて人種差別撤廃を訴えた先人の子孫であることを忘れてはなりません



御免!
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なぜ「中国」を「支那」と呼ぶ人たちがいるのでしょうか?

2015-04-20 | 社会・経済


こんにちは
小野派一刀流免許皆伝小平次です

さて、東京書籍出版社の歴史教科書による歴史探訪「ヒミコ、ヤマタイ国編!」

といきたいところだったんですがちょっと今回もお休みです

と申しますのも、やはり古代から日本の歴史を妄想する際に、かの、アジアの超大国

「中華人民共和国」

つまりは「中国の歴史」についてはっきりとさせておかなくてはならない事がありまして、今回はその辺の事をお話し致したいと思います

「支那」

という言葉をお聞きになった事はみなさんもちろんあるでしょう

この「支那」という言葉は以前より、中国に対する「蔑称」だから使うな!という風潮がありまして、ネットだので検索しようと「sina」とローマ字入力しても変換されません

そんな事ですから、今、わざわざ「中国」の事を「支那」と呼んでいる人達は、いわゆる「ネトウヨ」か保守系の言論人、または石原慎太郎氏のような極右政治家であり、へそ曲がりの連中だ!
などと思っている人がまだまだ大勢いるようなのであります

もう今更の話で、多くの人はわかっている事と思いますが「支那」はもちろん差別用語ではありませんし、差別的な意味合いもありません
元々は大陸のあの地域の人たちが自ら「支那」と呼んでいたのですから、「支那」と呼ぶことに何の問題もないのです

「昔はともかく、今は中華人民共和国、中国なんだから素直にそう呼べばいいじゃないか!」

というような意見も多く見られますが、保守系の人たちが中国を「支那」と呼ぶのは、別に差別的な意識のもと、ひねくれてそう言っているのではありません
「支那」と呼ばねばならないから、そう呼んでいるのです

なぜ「支那」と呼ばねばならないか

そのことがわからなければ、古代からの日本の歴史も、現代の日中関係においても、真実を見誤ることになるのです

近代史において「日中戦争」なる戦争で、日本と中国が戦争をしたと多くの人たちは認識しています
また学校でもそう教えているわけですが、「支那」、と本来私たちが呼ばねばならない理由を知らなくては、「日中戦争」なる戦争において、我が国日本が戦った相手は一体誰なのか、また戦わねばならなくなった理由は何なのか、そもそも日中戦争などと呼べる戦争が存在したのか
と言った事についての真実も見誤る事になるのです





さて、なぜ「支那」と呼ばねばならないか

このことについての詳細は、ネットなどでも多くの人が触れておりますので、興味のある方はぜひとも調べ(変換されませんので一字ずつ入力しなくてはいけませんが…)、自身の感性で感じてみて下さい

小平次としては至極簡単に述べてみたいと思います

「支那」とは「ヨーロッパ」と同義であると言って差し支えないかと思います(実際はもう少し複雑でありますが)

さて、通常「ヨーロッパの歴史」と言った場合、それは例えばフランス一国の歴史、とは違う概念であります
ですから「支那の歴史」と言った場合、同様に特定の一国の歴史ではありません

以前、小平次の娘(中3)が家で何かを暗記しようと天井を見上げ、声を出しておりました

「いん、しゅう、しん、かん、さんごく、しん、なんぼく、ずい、とう、ごだい、そう、げん、みん、しん…、」

小平次は尋ねます

「何をぶつぶつ言ってんだ?」
「中国の歴史、昔の中国の国の順番だよ」
「ふうん、もう一回言ってみ?」
「いん、しゅう、しん、かん、さんごく、しん、なんぼく、ずい、とう、ごだい、そう、げん、みん、しん…、」
「あのさ、今、げん、て入ってたけど、げんってどんな国の事?」
「元はさ、モンゴル人が創った国で、鎌倉時代、日本にも攻めてきた国だよ」
「そうだよな、モンゴル人の国なのに、何で中国の歴史として、中国の国の順番に入っているんだ?」

「…、ああ、そうだよね、何でかな…」

とまあこういう事であります

元とはモンゴルが築いた大帝国であり、モンゴルが「元」として、「支那地域」を支配していたという事です
この元に限らず、文化、人種、言語の異なる民族が、太古の昔より戦乱に明け暮れ、互いに支配し支配され、滅ぼし滅ぼされを、この「支那地域」において繰り返してきたのです

ですから、現在の共産党政権と「大清帝国」には何ら連続性はないのです(それまでの王朝同様、中国として支那地域の支配を宣言したと言う意味においては連続しているとも言えますが)

同じ日本人による、北条、足利、豊臣、徳川と為政者が代わったものとは全く異質なものなのであります

例えば今、ヨーロッパにおいてイタリアが、超強力な兵器を開発し軍事大国となり、近隣のスイス、フランス、ドイツに侵攻してたちまち制圧し、さらに侵攻を拡大させほぼヨーロッパ全土を制圧したとします
そしてローマに強力な独裁的中央集権政府を樹立、「大ローマ帝国」の復活を宣言したとします

さて、その場合、フランス革命からナポレオンの治世の時代のフランスの歴史を、「イタリアの歴史」として認識できるでしょうか



また、イタリアが「この地域はヨーロッパではない、すべて第三ローマ帝国である」と宣言しても、そんな事が世界の共通認識になり得るでしょうか(中華民国が日本に「支那」と呼ぶなと言ったのはこの理屈によるものです)

さらに、当然の事ながら、元フランス、元ドイツ、その他の国々において、イタリアからの独立を回復しようと抵抗の戦いが始まるでしょう
それがまさに「中華人民共和国」内で起きているチベットの独立運動であり、ウイグルのテロ活動に他ならないわけです

ですから、「ヨーロッパではない!第三ローマ帝国である!」などという事を、理不尽に侵略されたフランスやドイツのためにも認めるわけにはいかないのと同様に、「大中華共産帝国」、「中華人民共和国」を、チベットやウイグルの人達のためにも認めるわけにはいかないのです


ですから仮に「中国」と呼ぶにしても、多民族の複合国家が、とりあえず国家の体をなし、抵抗する異民族国家を理不尽に弾圧しながら飲み込んでいるのが「中華人民共和国」であると認識していなくてはなりません

大体元々「シナ」は外来語であり、英語でも「China、チャイナ」であり、その他の言語でも「シナ」の語源をもとに「シーヌ、チーノ」などと世界中で呼ばれているのです

「他の国はいいけど、日本にだけは支那と呼ばれたくない!」

本気でこういう事を言う「中国人」がいます
そういう意味でも私たちは国際標準である「支那」を使わねばならないのです
その他にも様々な理由から、「中国」と言う呼称は本来使うべきではないのです

さて、それでも小平次はこれまでこのブログの中で、あえて現代の中華人民共和国を言う場合は「中国」と書き、歴史探訪などでお話する場合は「中華王朝」とか「大陸の国」などと表現してきました
それは、小平次として、このブログを出来る限り

「昔日本はアジアでひどいことをした」

とか

「明治以前の日本は遅れた封建暗黒国家であった」

などと、漠然とそう思い込んでいる方々、おそらくは「支那」などと言う言葉を使うのはへそ曲がりの右翼だ、とやはり漠然と思っておられる方々、それでも何かがおかしいと感じ始めている方々に読んで頂きたいという思いでありまして、そんな方々と共に考え、感じてまいりたいからなのであります

ですが、「歴史探訪」もいよいよヒミコの時代を迎えるにあたり、どうしても大陸との関係に触れなくてはならなくなりますので、この辺でちょっとお話させていただいた次第であります


さて、話は変わります 

昔の事ですが

漫画の「美味しんぼ」の中で、主人公の山岡の勤務先の上司が、大事な客人である「中国人」を「支那そばや」に連れて行ったら 

「支那とは日本人が中国人を侵略虐殺していた時代に、蔑称としてつけたものだ!」

と、その中国の客人が激怒するという話がありました

そして、主人公の、あのいけ好かない山岡が、その「中国人」を代弁するがごとく

「あえて支那という言葉を使う政治家や言論者がいるが、幼稚でみにくい」



みたいな事を言ったわけであります

それをふまえて、最後にこの「支那」にまつわる小平次の体験談を一つお話します(以前やっていた下世話なブログでも書いたものですが)


それは小平次が大学3年生のころ、初めての海外旅行でヨーロッパへ行った時の話です


高校生の頃、世界史の資料集の中にあった、ピカソの「ゲルニカ」の写真を見て、衝撃を受け、この絵を生で見たい…



ゲルニカが、マドリードのプラド美術館にある事を知った小平次は「いつか絶対に見に行こう」そう思っていたのでありました

そして、実現した初めての海外旅行、どうせなら他の国も行こうと計画を立て、まずはドイツのフランクフルトへと向ったのでありました
ドイツと言っても東西冷戦の末期、そこは西ドイツでありました



フランクフルト…、イメージは?
そりゃあやっぱり何と言ってもフランクフルト!です

 

ドイツ人といえば大きなソーセージをパキッと食って、ビールをぐびぐび飲む
そんなイメージしかありませんでしたので、その地名だけ聞けば、おそろしくフランクフルトがうまいに違いない
そう思っていたわけであります

確かにソーセージはうまかったし、ビールもうまかったです
未だに忘れられないのは、ソーセージの付け合せに必ずついていた、キャベツの酢漬けのようなもの
あれがなんともうまかったなあ
日本に帰ってから、その味を思い出しながら作ってみたりしましたが、なかなか上手には作れませんでした

それはさておき
そのフランクフルトで、二日目の昼下がり
郊外の動物園に、白いトラがいると聞いた小平次は、ちょっと行ってみようと、フランクフルトマイン駅へと向ったのです


券売機で切符を買い、市電乗り場へ向おうとしたその時!
突然誰かに、後ろから右腕を掴まれたのです!

振り向くとそこには、4人の東洋人が立っておりました
4人は全員男で、その内の一人、小平次の腕を掴んでいた頭のはげた小柄な男は、聞きなれない言語を大声で発しながら必死に何かを訴えてくるのです

「Can You Speek English ? 」

との小平次の問いかけは全く無視
とにかく身振り手振りの大声だけで、必死にジェスチャーで何かを小平次に知らせようとしているのです

最初は小平次もとまどっておりましたが、はげおやじの死に物狂いのジェスチャーで、少しずつ事態が飲み込めてきたのでした

どうやら

「ケンバイキニオカネイレタケド キップガデテコナイヨ!」

そう言ってる様でした

遠い異国の地で、英語すらままならない状態で、どうしていいかわからなかったのでしょう

そこにたまたま見かけた同じ肌の色の東洋人
藁をもすがる思いだったに違いありません

「Please Wait,Wait!」

何を言っても大声とジェスチャーは止まりせん

「もうわかったからちょっと待って!」

日本語で言ってみましたが当然だめです

「あーーもう!」

小平次は何とか落ち着かせようと紙とペンを取り出します

顔つきは日本人とそう変わりません
中国か韓国、香港、台湾あたりの観光客だろう

もしかしたら漢字で書けば意思の疎通ができるかも知れない
そう考えたのでした

4人の男は、小平次がメモとペンを取り出したのを見て、これから小平次が何かをしてくれるのだろうと、期待を込めてとりあえずジェスチャーを止めました

まずとにかく落ち着かせなくてはと、彼らの国籍を聞く事にします

「中国人」

そうメモに書いて、一番うるさかったはげおやじに見せ、指をさし、確認してみました
4人は一斉にメモを覗き込みましたが、皆一様に首をかしげ、怪訝そうに何の事だというような顔をしています

「うーん中国人じゃないのかな」

続いて、そのころ「支那」が差別だのの議論の対象になっているとは夢にも思っていなかった無知な小平次は、堂々と!

「支那」

と書いて、はげおやじに指を向けたのでした

ああ恐ろしい!

美味しんぼの山岡の言う通りだったら、
小平次はこの4人の男に殴られ、倒れた所を蹴られ、うずくまっている所に石を投げつけられたに違いありません

しかし!
実際そうはなりませんでした

それどころか、4人は一斉に明るい顔になり

「シナ!シナ!」

そう叫びながら自分達を指さしたのです!


ようやく意思の疎通がとれ、お互いの信頼が少しだけ生まれた瞬間であります

小平次は次に

「駅員」

と書いてみます

「自分が駅員を呼んで来てやる」

と伝えようとしたのです

しかし彼らは再び曇り顔

「駅員」

では通じないようです

少し考えてから

「係員」

と書いてみます
すると彼らは、再び明るい顔を取り戻し、4人で小平次を見つめます
その後、何とかジェスチャーで、今「係員」を呼んできてやるからここで待っていてくれというような事を伝え、六カ国語辞典を取り出し、ドイツ語の「故障」という言葉を覚えてから駅員を呼びに行ったのでした

全てが解決した後、4人の「支那人」は、両手を胸の前で合わせ、丁寧に頭を下げ

「ダンケ・シェーン」

そう言って笑顔で去って行きました

さて
いまだ「支那は差別語だ!」と言う人がいます
「中国様が日本にだけは支那と呼ばせない!と言ってるんだから言うな!」と騒ぐ人がいます

この「支那」についてもたくさんの人たちが正反対の事を言い合っています

自らの感性を信じ、真実を感じていきましょう



その昔

お互い遠い異国の地で

身振り手振りで

助け合って

笑い合って

心を通わせた
 
「支那人」と「日本人」

がいた事こそが

小平次にとっての真実なのであります



御免!
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