さむらい小平次のしっくりこない話

世の中いつも、頭のいい人たちが正反対の事を言い合っている。
どっちが正しいか。自らの感性で感じてみよう!

日本書紀 神功皇后紀を読んでみる 4

2017-01-11 | 日本書紀を読んでみる


応援クリック


こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です


本日は

「日本書紀・神功皇后紀を読んでみる」

第4回をお送りいたしたいと思います

前回までのあらすじ

幼いころから、それはそれは美しく、叡智聡明でいらした「おきながたらしひめのみこと(神功皇后)」は、夫でいらした仲哀天皇が「西の宝の国を求めよ」、という神々のおことばを無視したために、祟られ、早くに病死してしまったことに心を痛め、御自ら天皇を祟った神々のことばをお聞きになられ、それに従おうとされた

というところまででした


では、続きをご一緒に読んでみましょう


原文(文字一部常用文字に変換)

「然後遣吉備臣祖鴨別令撃熊襲國未經浹辰而自服焉且荷持田村荷持此云能登利有羽白熊鷲者其爲人強健亦身有翼能飛以高翔是以不從皇命毎略盜人民」

「戊子皇后欲撃熊鷲而自橿日宮遷于松峽宮時飄風忽起御笠墮風故時人號其處曰御笠也辛卯至層増岐野即舉兵撃羽白熊鷲而滅之謂左右曰取得熊鷲我心則安故號其處曰安也」


訳文

「その後、吉備臣の祖先である鴨別(かものわけ)を遣わして、熊襲の国を撃たせた。それからほどなくして(熊襲が)自ら服従してきた。荷持田村(のとりたのふれ:地名)に羽白熊鷲(はしろくまわし)という者があった。その人と成りは強健で、身体には翼があり、よく飛んで高く空を翔けた。皇命には従わず、常に民を掠め獲っていた」

「(三月)十七日、皇后は熊鷲(くまわし)を撃とうと思い、橿日宮(かしいのみや)から松峽宮(まつおのみや)に移られた。そのときにつむじ風がにわかに吹き、御笠(みかさ)が吹き飛ばされた。そこで時の人々はその地を御笠(ミカサ)と呼ぶようになった。二十日、に層増岐野(そそきの)に着き、すぐに兵をあげて羽白熊鷲(はしろくまわし)を撃って殺した。そしてそばに仕える者に『熊鷲を討ち取り、私の心は安らかになった』と言われた。それでその地を安(やす)と言うようになった。」



簡単解説

出てくる地名は現代の福岡県内です

日御子さまの時代から大和に従わなかったおそらくは九州の勢力

「狗奴国」

ここで言う熊襲(くまそ)との関連性ははっきりとはわかりませんが、いずれにせよ長き年月を経てようやく九州の平定に向かって来たような様子です



それにしても「翼」を持ち空高く飛翔する「羽白熊鷲(はしろくまわし)」とはナニモノなんでしょうか

まるで怪人のようです

羽白熊鷲



「古代の超スーパーヒロイン・『神功皇后』VS空翔ける鳥人・『羽白熊鷲』!」

いやいやあ!

楽しいですね!

羽白熊鷲や熊襲と大和の戦いなどについては非常に妄想膨らむお話ですが、それはまた妄想的歴史探訪の方で



まあ日本書紀には実際こんな話があるからでしょうか

戦後の多くの歴史学者は古事記・日本書紀はあくまでも神話の世界であり、歴史書としての価値を認めておりません

しかしですね、何回か申し上げましたが、小平次は以前割と熱心なクリスチャンでした

聖書にはイエス・キリストが科学的にはあり得ないような数々の奇跡を行っていることが記されています



ですが、キリスト教徒でなくとも、多くの人はそれをもってイエスが実在しなかったとは考えていないでしょう(そういう説を唱える人もいますが)

トロイの木馬にまつわる遺跡も、神話の世界と片付けてしまっていたら見つかってはいなかったわけです

古代の物語はこうしたフィクションとノンフィクションが混ざり合っているものも多いのです

何よりも神話ならば神話で、それはそれで子供たちの教育の場に取り入れていくべきだと思うのです


ではこの続きはまた


御免!
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 学者脳で語るな 天皇陛下の... | トップ | フグの毒について、どーでも... »

コメントを投稿

日本書紀を読んでみる」カテゴリの最新記事