さむらい小平次のしっくりこない話

世の中いつも、頭のいい人たちが正反対の事を言い合っている。
どっちが正しいか。自らの感性で感じてみよう!

南京大虐殺が世界遺産登録? 何か静かすぎやしませんか

2015-10-14 | 社会・経済
こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です

「南京大虐殺が世界記憶遺産登録」

だそうです

小平次にしてみればとても大変なことが起きたように感じているのですが、それにしてはマスコミも、普段騒がしい言論人も、やけに静かすぎやしませんか

全部に目を通しているわけではありませんが、新聞なんかも淡々と報道するだけで、外務省の「極めて遺憾」だとか菅官房長官の「政治利用は遺憾」などといったコメントをさらっと載せているだけで、さほど重大な出来事ではないような…

産経新聞が一面で少々大きめに取り上げてはいましたが、それでも小平次が感じているような事の重大性については物足りない記述であります

ネットで検索しても、新聞報道などの事の「経緯」が書かれているだけで、この事に対するいつもの識者の見解や、ネットユーザーの意見、などが殆ど見られないんですが、これって、小平次が思っているほどの大事件じゃないんですかね

簡単にお話しますと、以前から中国が

「南京大虐殺」

つまりは日本軍の蛮行によって30万人以上の市民が、それこそ普通の人間が想像すらし得ないような残虐な方法で虐殺されたことに関する資料をユネスコに提出、記憶遺産として申請をしていたわけです

そしてそれが正式に登録された

日本軍の蛮行とは

「妊婦の腹を裂き銃剣で胎児を突き刺し空に掲げた」
「市民や投降した捕虜を川原に並べ日本刀で次々首を刎ねた」
「婦女子を強姦して陰部に鉄棒を突き刺し殺した」
「生きたまま背中の皮を剥ぎムササビのような格好のまま天日で干した」
「殺した中国人の肝臓、心臓、脳みそを食べた」

南京の件ではなかったかもしれませんが

「冬の寒い日に捕らえた中国人を表に出し、杭に縛り付け両手も縛り、その手に水をかけ一晩放置する、翌日手が凍っており、それを凍ったまま皮を剥いだ」

こんな、まさに普通の日本人には想像すらできない阿鼻叫喚の地獄絵図のような大虐殺、30万人を約1ヶ月に渡って鬼畜のような日本兵が喜々として繰り広げたというのです

「30万人を約1ヶ月」

つまり毎日1万人以上の人々が上記のような凄惨な方法で殺された…

まさに地獄です

さてこれらのことに対し、「南京大虐殺」などはなかった、と主張する人も今や大勢います

小平次としては、南京大虐殺が「あった」「なかった」論争については、「なかった」派によって「あった」派は完全に論破されていると思っておりますが、それ以前に、以前の記事

漠然と昔日本は悪いことをいたと思っている人たち2

でも申し上げましたが、広島においての核爆弾投下による犠牲者の数のおよそ3倍もの人達が約1ヶ月に渡り虐殺された

毎日1万人以上の人たちが上記阿鼻叫喚の地獄絵図のように殺されたとしたら、もしそれが真実なのであれば、もうそれは、それだけで歴史に刻まれることでしょう

規模として広島の3倍もの数の犠牲者が出ているにも関わらず

目撃者が「いた」とか「いない」とか
証拠写真が「本物」だとか「ニセモノ」だとか
証拠そのものが「ある」とか「ない」とか
犠牲者の数が10万単位で変動するとか

そもそも南京大虐殺自体

「あった」とか「なかった」とか

歴史に刻まれるほどの大事件が、まるで密室殺人事件の謎解き小説レベルで論争が繰り広げられている

もうその時点でこんな話は作り話であるということなのです


ついでに、元TBSアナウンサーの鈴木史朗さんの証言を貼っておきますので興味がある方は読んでみて下さい

「鈴木史朗さんが「WiLL」2011年4月号に寄稿された文章」


さて今回、こんな作り話が世界遺産に登録されたのです

なんでこんなに静かなのでしょう(いやな違和感があります)

「遺憾の意」とか「政治利用は遺憾」

とか言ってる場合でしょうか





支那人自身の暴虐で悪化していた治安が、日本軍の占領で回復した、と主張する人がいます

上記写真は、日本軍が南京入城後に市民に歓迎されている様子だそうです(日の丸の腕章は民間人に化けた支那兵と見分けるためだとか)

これらの写真が、もし本当にそういう歓迎や南京市民との交流のものであって、日本軍の占領により治安が回復したことが真実だとしたら

そして先にあげた蛮行がウソだとしたら

「国を護るため」「家族を護るため」

そして日本人の名に恥じぬような振る舞いを占領地でしていたのならば

そんな誇り高き振る舞いをしていた私たちの先人たちを、今回の世界遺産登録によって「悪魔」「鬼畜」「強姦魔」「殺人鬼」と、国際的に決定づけてしまったということになるのです

少なくとも国際機関がそう認めたのであります

これからいかに中国に抗議したところで

「国際機関が認めているではないか」

と、そう返されるのがオチでしょう

本当に悔しいです

何もできなかった、しなかった自分にも腹が立ちます

そして、外務省はじめ政府は一体何をやっていたのでしょうか

「遺憾の意」

などと言ったって相手は痛くも痒くもありません

ですがまだ遅くはありません

何としてもこれを登録から外させねばなりません

しかしながら1市民の行動には限界があります

それでもやれることはあります

(首相官邸ご意見HP)
首相官邸ご意見HPです

こちらに皆で意見を送りましょう

罵詈雑言はだめです

「日本国民として、国を護るために戦地に赴いた先人の皆様が、悪魔のように言われることに我慢がなりません。どうかユネスコに抗議を続けて下さい。そして同時に第三国の学者、有識者に南京事件の調査を徹底的に行ってもらい、それを証拠としてユネスコに提出するなどの効果的な行動を起こしてください。決してこの問題においては引き下がらないで下さい。」

これで良ければどうぞコピペして使って下さい


「そんなことやったって無駄だよ…」

そんなことはありません

小平次は以前、政治関係の仕事をしていたことがありますのでわかります

100人から同じ事を言われれば政治家は動きます

なぜならその背後にいる多数の人間の票読みができるからです

そんな理由で動く政治家なんて、とも思いますが、心ある政治家もいます

なにより「無駄」と思って諦めてはいけません

私たちのご先祖様、ひいては私たち自身の問題なのです

意見の送り先は、先の首相官邸だけでなく、各政党のHPにも送ってみましょう
民主党なんかかえって騒ぐかもしれませんよ

御免!

コメント (4)
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靖国神社 正式参拝に行ってきました!

2015-10-07 | 日記・思い出・愚痴・雑感の備忘録




こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です

先日、この小平次、靖国神社の正式参拝というものに行って参りました

戦後70年の節目の年ということで、小平次が今住んでいるところの神社の行事として、役員の有志で参拝したのであります

役員といっても小平次は新参者ですから、時折祭りやその他の行事のお手伝いをさせてもらっている程度なんですが、この日はワイシャツにネクタイ、その上に神社の役員用の半纏を羽織り、ご一緒させていただいたわけであります

これまでも拝殿にて通常の参拝には行っておりましたが、昇殿しての参拝は初めてでありました

靖国神社に行かれたことのある方はおわかりだと思いまくすが、一般的な参拝は正面の大鳥居向こうに見える拝殿にての参拝ですね

この拝殿の奥に御本殿がありまして、正式参拝に申込むとそちらに神職の方に案内され、本殿にて大鏡の前でお祓いを受け参拝するのです

御本殿に行ったのは初めてですが、都会の真ん中である事を忘れるようななかなかに厳かなたたずまいで身が引き締まります


さて、小平次は靖国神社で参拝する際、心に思う事はいつも同じです

「英霊の皆さま、この国を護るために戦って頂き、本当にありがとうございます」

「その貴い振る舞いのおかげで私たちが今生かされております」

「甚だ未熟者ではありますが、皆さまが護らんとしたこの国を護ってまいりたいと思っております」

「どうか安らかにおられてください」

という事です


さて、靖国神社の参拝について

{靖国神社への参拝は「顕彰」であって「慰霊」「追悼」ではない}

との言葉を耳にすることがあります

「顕彰」とは、その人の功績などを世間に知らせ、表彰することであり、靖国神社の参拝はあくまで英霊の皆さまの功績を讃え感謝するものだ
決して「慰霊」→霊魂をなぐさめることではない

という事ですね

ついでに言うと「追悼」→死者をしのんで、いたみ悲しむこと

まあ「慰霊」に近い感覚でしょうか


先にご紹介した小平次の想いは「顕彰」であり「慰霊」「追悼」であるとも思っております

何よりもまず英霊の皆さまに感謝し、至らぬ身ではあるものの英霊の皆さまの想いを引き継いで行くこと、とても安心して下さいなどとは言えませんが、安らかであられて欲しいと願うのです

一部で言われているように、「慰霊」「追悼」ではない、というのは確かにその通りなのだろうと思うのです


例えば、小泉さんが首相時代、靖国参拝の理由について

「心ならずも戦場に赴いた人々に哀悼を…」

のようなことを言った事について、戦後30年近くフィリピンで終戦を知らず戦い続けていた、あの小野田寛郎さんが言っています


小野田寛郎さん(目力がすごい、本物の軍人ですね)

「既婚者は、家族を遺して死ぬことに心残りもあったかもしれないけれど、独身の若い者たちは、自分が先頭に立って戦わねば、とみな思っていた。年寄りを前に立たせたってしかたないのですから」
「若い人は覚悟を決めていました。「心ならずも」なんていう気持ちで、特攻機に乗れますか?」

「心ならずも…」

などと言われると何か侮辱されているようだとも仰っておられたそうです

小平次ごときではありますが、そのお気持ちはよく理解できる気がします

「国を護るため」
「家族を護るため」

命を賭してこの誇り高き任務に赴いた

もちろん死にたかったわけではありますまい

しかし

「イヤイヤ戦地に送り込まれ、不幸にも命を落とした哀れな犠牲者」

などと扱われるのはまさに「侮辱」でありましょう


そういう意味では「慰霊」だけでも「追悼」だけでもだめでしょう


英霊の皆さまに感謝し、魂が安らかである事を祈る

政治問題などと関係のないところで参拝する我々は、まず「顕彰」があり、「慰霊」「追悼」の念をもつ、それで良いと小平次は思っております


さて、この日参拝を終え地元神社に戻ってきまして、神社の参集殿にて一応の直会の席ということで、参加者で共に飲食をしたのでありました

そこである参加者の方が言いました

「昭和天皇は、A級戦犯が祀られているから参拝しなくなったんですよね」

それを聞いて小平次は、ちょっとたまらず口を挟みました

「一部のマスコミなんかがそんな事を言ってますが、そうではないと思いますよ」

時間もなく、あまり親しい方でもなかったので、多くは申し上げませんでしたが、こういう認識を漠然と持っている人が多くいるのは事実のようです


「昭和天皇は、A級戦犯が祀られているから参拝しなくなった」

これは本当のことなんでしょうか

それにしてもなぜこのような事が言われるようになったのでしょうか

2006年、日経新聞がスクープ記事として

「A級戦犯靖国合祀」「昭和天皇が不快感」

なる記事を報じ、元宮内庁長官の故富田朝彦氏が昭和天皇のお言葉として書き残しておいたメモの一部を公開したのでありますね

その一部とは

「私は 或る時に、A級が合祀され その上 松岡、白取までもが、筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが、松平の子の今の宮司がどう考えたのか易々と 松平は平和に強い考があったと思うのに。親の心子知らずと思っている だから私あれ以来参拝していない、それが私の心だ」

というもので、1978年に所謂A級戦犯が合祀されたことについて不快感をお示しになり、参拝を中止したというのであります

この所謂「富田メモ」報道以降、首相の靖国神社参拝否定派、A級戦犯分祀論派などがことあるごとに

「昭和天皇の御心はA級戦犯を合祀することに反対であったのだ!その御心を考えろ!」

などと言いだしているわけです

普段、天皇家に崇敬の念など微塵も抱いていないであろう左翼的言論人やマスコミが、この事に関してのみは「昭和天皇の御心」などと言うのは、全くギャグにもなりません

さてこの「富田メモ」の信憑性については、いつものように言い合いがされております

「これこそ昭和天皇の御心だ!」

「いや!言葉遣いなどもおかしいし、これは昭和天皇の御言葉ではない!」

関心のある方は是非とも双方の言い分を検索してみて下さい


公正公平な現時点での結論としてはですね

この記事の出所である日経新聞がですね、そのメモの全文も明らかにしていないですし、何故これを昭和天皇の御言葉と断定したのか、その根拠も検証過程の経緯も示さずにいるわけで

そうである以上現時点ではこの「富田メモ」の記述

「昭和天皇の御言葉であると断定するまではできない」

ということでしょう

宮内庁が

「メモの解釈はさまざまで、A級戦犯合祀と昭和天皇の靖国神社不参拝をとらえた富田メモや報道内容を是認したわけではない」

とも言っているわけでして

断定の経緯も示されず、公的に宮内庁がそう言うのであれば、公式な見解は

「昭和天皇の御言葉ではない」

でいいんじゃないでしょうか

少なくとも

「昭和天皇の御言葉とは断定できない」

でしょう

小平次の個人的見解を述べてみます

日本の歴史を自分なりに紐解く中で感じている事

それは古代の昔より、我が国は君民一体の国体を目指し、実現してきた国である

その国体の護持、日本国の護持、これこそが我が国の歴史を刻んできたと思っております

ですからそのために外交上においても、外国からの文化を受け入れることにおいても最大限の注意を払ってきたし、力づくでこれを破壊せんとするものとは命を賭して先人たちは戦ってきたのです

悪名高き東京裁判において、まさに国体を護持する事、それはまさに天皇をお護りする事に他ならず、東条英機を始めとするA級戦犯とされた人たちは、自らがその責を負い、自らの命によってそれを果たしたわけです

そのことをご存知である昭和天皇

マッカーサーに対し

「私は日本の戦争遂行に伴ういかなることにもまた事件にも全責任をとります。また私は日本の名においてなされたすべての軍事指揮官、軍人および政治家の行為に対しても直接に責任を負います。自分自身の運命について貴下の判断が如何様のものであろうとも、それは自分には問題でない。構わず総ての事を進めていただきたい。私は全責任を負います」

とまでおっしゃられた昭和天皇

全責任は自分にあるというこの御言葉は、逆に言えば国民や臣の者に責任はないと仰っていらっしゃるわけで、また「貴下の判断が如何様のものであろうとも、それは自分には問題でない。構わず総ての事を進めていただきたい。私は全責任を負います」というのは、言わば「殺すのならば私を殺せ」と言うことであるわけです



このような昭和天皇が、国体の護持、つまりは天皇をお護りせんとして自らの命をもって処刑された臣下の者が祀られた靖国に、A級がどうとかの理由で参拝はしない、などと仰るはずがありません

これは理屈ではありません

日本人としての直感です

ではなぜご親拝されなくなったのでしょう

単純にその頃、一部マスコミが首相の参拝について「公人」か「私人か」などと質問し、三木首相が「私人」と答えたことで、大騒ぎとなり、政治問題化したことで気を遣われただけのことでありましょう



最近世の中はますます複雑になり、自己の利益にばかり目を奪われがちであります

先人に感謝し、後世に伝える

自らの感性とそれに導き出される直感を信じて磨いていこうではありませんか


御免!

PS

A級戦犯分祀論というのがありますが、「分祀」の意味もわからぬ者には言わせておけばいいのです
分祀はそこから分け御霊を他の場所にお祀りすることであり、元の御霊が元の座からおられなくなるわけではありません
ですからA級戦犯を分祀するというのは、元の座の他に、お祀りする場所を増やす、ということであり、分祀論者は自分たちの憎むべきA級戦犯の御霊を祀る場所をもっと増やしましょうと言っているのですね…




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