さむらい小平次のしっくりこない話

世の中いつも、頭のいい人たちが正反対の事を言い合っている。
どっちが正しいか。自らの感性で感じてみよう!

音楽のはなし The・Jam パンク史上最高のアルバムって?

2019-07-31 | 音楽のはなし



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こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です


ちょっとネット眺めてたらこんな記事

『パンク 史上最高のアルバム40選』

ちょっと懐かしくなりまして

拙ブログにもちょっと音楽カテゴリー作って書いてみようと

実はこの小平次、若い頃からずっとバンドをやってまして、初期のメンバーでずっと一緒にやっているのはピアノのYさんだけなんですが、途中メンバー交代なんかもしながらぼちぼちやっています

フルメンバーでのライブは、今は年に1回くらいしかやらないんですが、メンバーの一部でギター、ベース、ピアノの小編成ユニットで、曲によって楽器を持ちかえたりしながらの小ライブ(のようなもの)は月に1回くらいのペースでやっています

小平次はギター弾きなんですが、始めたきっかけはビートルズ

子供のころ、ビートルズは既に解散していましたが、テレビで流れた「Let it be」、なんでしょう、サビのところのリンゴ・スターのライドシンバルの音、子供ながらに「シンバルが泣いている!」って感じましたね

それからしばらくたって聞いた「Please Please me」にシビれてギターを始めました

その後、ビートルズの流れでイギリスのバンドに興味を持つようになり、その中でもThe・Jam、かっこよかったですね~(上記画像)

『パンク』

っていうとなんか鎖をジャラジャラつけて、棘のついたジャケット着て、モヒカンで髪を立たせて、みたいなイメージがありますが、この頃はこの初期のThe・Jamみたいに、音楽は8ビートでドカドカ、ジャカジャカやってる感じでも、格好は写真の通り黒いスーツに黒いネクタイビシッとキメて、かっこよかったですよ



小平次は高校生のころだったかな~

このThe・Jamの来日公演

マッシュルームカットにした頭に変な帽子を被って、イギリスの旗を縫い付けたダークグリーンのマントを羽織って、完全に『英国かぶれ』で見に行きました

その後小平次は紆余曲折ありまして、ボサノバ系のラテンジャズ、ラテンロックの世界にどっぷりハマり、今に至ってます

ご紹介した40選、The・Jamは24位、All Mod Cons と言う3枚目のアルバムが選ばれていました




動画はデビューアルバムのタイトル曲 『In The City』

ちなみに小平次に多大なる影響を与えてくれたギタリストは次のお二人(好きなギタリストはいっぱいいますけどね!)







この画像でだれだかわかった方は結構なギター好きですね~


御免!





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どーでもよさげな話を調べてみた なんで砂糖の袋はパンパンに詰まってるんだろう

2019-07-30 | どーでもよさげなはなし


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こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です


本日は、超久しぶりにどーでもよさげなことを調べてみました


先日、釣りに行きまして、釣った魚で煮魚を作ろうと調味料ケースを開けてみたら、あら大変、砂糖が少ししかありません

全然足りないなあ… ってことで近所の小さなスーパーへ買いに行きました

で、早速袋を開けようとしますと…


そうなんです

砂糖って、なんでこんなにも袋にギュウギュウパンパンに詰まってるんだろう

開けにくいったらありゃしない!

みんなどうやって開けてるんだろう

慎重に隅の方を切ったとしても、結構な確率でこぼれます

塩ならまだいいんですが、砂糖はこぼれるとべたべたしますしちょっといやです

小平次はこぼれてもいいようにいつも袋ごと流しに入れて、隅を斜めにハサミで切ります

もちろんこぼれますが、流しなのでそのまま水で流せます


さて、封を切った砂糖の袋から直接鍋にドバドバ入れて、魚を煮ながらふと思った


そもそもなんで砂糖はこんなに袋にパンパンに詰めて売られているのだろう

小平次の記憶をたどってみても、大昔からギュウギュウパンパンだったように思います

だれがやっても開けづらいと思いますが、数十年間、改良されることもなく変わらぬ姿で売られています



消費者の声が届かないのだろうか…

それともギュウギュウパンパンでなければいけない理由でもあるのだろうか


久しぶりに~

どーでもよさげなことを調べてみよう!

『砂糖 袋 パンパン 開けにくい なぜ 』

検索 GO!!


うーーん…

あんまりこういうことを調べる人がいないのか、満足いく答えが見つかりません…

基本的には輸送上の理由、らしいのですが、塩なんかはパンパンのものもありますが、わりと余裕のある袋に入っているものも出ています

小麦粉なんかは厚紙の袋でやっぱり余裕をもって、上部を折りたたんで重ねられるようにしていたりとか、ビニールっぽい袋のものでもこんなにギュウギュウに詰まってはいません

しかし砂糖はグラニュー糖なんかを除けば、ほぼほぼギュウパンで売られているように思います

うーーん…

よし

直接砂糖会社に聞いてみよう!



創業明治37年
塩水港精糖株式会社さんに、なんで砂糖の袋はパンパンなの~? と聞いてみました(子供電話相談室か!)



すると、次のようなご丁寧な回答を頂きました

『お砂糖の小袋は輸送時の破裂を防ぐため、砂糖充填後できる限り空気を抜いております。こちらはお砂糖のメーカーなので、塩や小麦粉については分かりかねますが、 小麦粉は空気と触れていないと変質等が生じる可能性があるため、余裕を もたせた袋となっているようです。
詳しくは、塩や小麦粉のメーカーにお問い合わせ下さい。
グラニュ糖や上白糖等は品質が安定しているため、空気が触れていなくても変質することはありません。今後ともパールエース商品をご愛顧賜りますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます。』


うーーん…

やっぱり輸送上の問題なのか~

それにしても塩水港精糖株式会社さん、お忙しい中、おバカな質問にご丁寧にお付き合い頂き誠にありがとうございました!

でも、ちょっとまだ疑問があります

それなら、袋に少し余裕を持たせたうえで密閉し、余裕の部分を折って重ねることができれば、破裂等の心配もないのではないかな

それについては、ネット検索の結果、袋を大きくすることでコストがアップしてしまうのでダメ、らしいです

まあ、200円前後のものが多い商品ですから、わずかなコストアップも厳しいのかもしれません

製造ラインの改造なんかも必要になるでしょうから


うーーーん…

小平次ならその分、商品価格に上乗せされても、数十円単位でしょうから、多少高くても余裕ある袋に入ってるのを選ぶだろうなあ

どうでしょ!

塩水港精糖株式会社さん!

ちょっと試してみてはいかがでしょ!


さて、久々にどーでもよさげなことを調べてみました

どーでもよさげな話に最後までお付き合いくださりありがとうございました



も一つ最後に

パンパンに入った、砂糖の袋の開け方!

こんな記事が出ているってことは、やっぱり開けにくいって思っている人が多いんでしょうね


ちなみに小平次が高校生の頃、生物の先生が

『砂糖というのは商品名で、ショ糖が正式な名前だ』

ってなことを言っていたような記憶がありますが、どうなんでしょ?



御免!



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思わず笑ってしまったニュース

2019-07-29 | 思わず笑ってしまったニュース



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思わず笑ってしまったニュース

連合会長「芸人が置き去り、保護されないと」 吉本問題


(吉本興業に関する「闇営業」など一連の問題について)芸能分野に関わる方々がこれまで置き去りになっていたことは今回の一件が出る前から強く意識していた。吉本の話は労働弁護団も非常に着目しており、適宜、連携を取っていくことになる。(所属芸人らは)「労働者性」を持っている。「労働者性」に基づいてきちんと権利があるし、保護されないといけない。しっかりと注視していきたい。(記者会見で)(朝日新聞デジタル)



**所感**

芸人にも労基法を適用しろってか

お笑いもつまんなくなっちゃうだろうなあ



御免!


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エスカレーターは急いで乗るな

2019-07-28 | 社会・経済


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こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です



先日、羽田空港から京浜急行に乗りましたら、こんな車内アナウンスが…

『ただ今、京急では、エスカレーター、手すりにつかまろうキャンペーンを行っております…』

この他、このところ、大きな駅などで駅員さんがエスカレーターの乗り口に立って

『エスカレーターは2列でお乗り頂きますようご協力お願いいたします』

なんて案内をしている様子が報道されたりしております

エスカレーターで急いで歩く人と高齢者が接触して転倒、大けがしたり、なんてことが結構あったようです


特に混雑する駅なんかでは、エスカレーターは急いで歩く人のために右側を空けるってのがこれまで習慣化されておりましたが、安全のためそれをやめて、2列で乗りましょうってやっているわけです



今じゃ当たり前のようにエスカレーターでは右側を空けるのがマナーのようになっておりますが、小平次が若いころは、こんな習慣はなかったんです


若かりし頃、初めて海外旅行に行きまして

ドイツ(西ドイツ)フランクフルトから列車に乗りスペインのバルセロナ、グラナダ、マドリードを回りパリへ

パリから飛行機でロンドンまで一人旅しました

で、ロンドンで地下鉄に乗りますと、エスカレーターの乗り口に



こんな看板が出てるんです

『左に寄れ?』『左にいろ?』『左側を保て?』

なんのこっちゃ?

このころ、日本では急いでいる人のためにエスカレーターで右側を空けるなんて習慣はなかったので、小平次には意味がわかりません

で、聞いてみたら、急いでいる人のために右側を空けろってことで、当時のロンドンには今の日本のように、きれいに左により、急ぐ人は右を歩くって光景があったわけです


若かった小平次は

『こりゃあ合理的でいいなあ…』

と、当時は思ったもんでした

で、それから日本に帰りしばらくして、ある雑誌に識者だかライターだかって人が

『エスカレーターの乗り方も知らないマナー知らずの日本人は云々かんぬん、欧米では云々かんぬん…』

ってな記事を書いていたんです

小平次はその記事を読み、少し違和感を覚えたものの

『まあ、そうなのかなあ…』

と、あまり深くは考えたりしませんでした

このころは何かと『欧米ではー』とか言って、日本人なのに日本人の悪口を言う人がいっぱいいました、あ、今もいるかな

さて、それからまたしばらくたって、小平次がデパートかなんかでエスカレーターに乗るとこんなアナウンスが

『エスカレーターでは、ステップの中央に乗り、手すりにおつかまり下さい』


ん?

『ステップの中央?』

ん?


そうです

日本ではエスカレーターはステップの中央に乗れと言っていたのです

安全のため、急いで乗るな、と言っていたのです


小平次はここではたと気づきます

これは、マナーとか、遅れてるとかって話と違うんじゃないかと

単にお国柄による価値観の違いだと


ところがそれから数年経ちますと、どんな啓蒙?活動があったがわかりませんが、いつの間にか小平次がロンドンで見たような、きれいな『Keep Left』が日本でも当たり前の光景になっていったわけです


そして、さらに時が流れ今

『手すりにつかまろうキャンペーンを行っております』

と、もともとの安全な乗り方へ戻ろうと、キャンペーンが行われているのです

それに先駆け、ロンドンでも『エスカレーターは2列で乗りましょう』とキャンペーンが行われているそうです

そして、3週間にわたって「両側に立とう」という実験を行い、右側を空けるよりも2列で乗った方が28%も輸送率が上がるって結果を得たそうです


もともとの日本の乗り方の方がよかったってことで、それをロンドンでもようやく始めたってことなわけです


何でもかんでも『欧米ではー…』とかじゃなくて、いいところは素直に学び、日本人が大切にしてきたものは大切にして行けたらいいと思います



情報化社会がとかくに私たちの生活や仕事を煽り立てます


もともと日本人は古来よりあくせくした民族じゃありませんでした


そろそろ、少しずつでもいいので、日本人が先行して、仕事も人生も、ゆっくりやっていけるようにできたらいいなと思います



御免!

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江戸前キスとテナガエビ

2019-07-22 | 釣り


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こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です


先日、何年振りかでキス釣りの乗合船に乗ったのでご報告します

本当はですね!

キスとアナゴのリレー船に乗りたかったのです

ところがいつも行っていた川崎の船宿さんのHPを見たら6月いっぱいで終わってるじゃないですか!

それで他の船宿さんを探したのですが、リレー船だけでなく、アナゴの単独の船も終わってしまっているところが多いのです

そんな中で、浦安の老舗有名船宿さんのHPの釣りカレンダーに、7月までリレー船のスケジュールが入ってます

ここだあーーーーー!

と、確認の電話をしてみましたら

『今年はアナゴが全くの不調で、早々にやめたちゃったんです…』

がーーん、です がーーーん

そうなのか、アナゴは釣れないのか

キスとアナゴのリレー船は、昼過ぎ、ゆっくりの出航、明るいうちはキス釣りを楽しみお土産確保、夜はアナゴに切り替えるって、とっても楽しい船なんです

夜、海から眺める羽田空港や、巨大工場の夜景なんて、ほんっと素晴らしいですし

『アナゴは梅雨の雨を吸って一段と美味くなる』

って言われてますんで、以前は毎年必ずこの時期繰り出してたんですが、何年か前からとんとご無沙汰


今年こそ!

と一大決心をして、仕事のスケジュールを組み、土日は混むだろうとわざわざ平日に予定を立てたってのに…

うーーん…

一度釣りに行くって予定を立てたので今さら諦めきれず、それならキス釣りだけでも楽しもう、と行ってまいりました

船宿は先ほど電話した浦安の船宿さん

早朝電車で浦安まで行き、いざ出航



ポイントはアクアラインの海ほたるも間近な木更津沖

『はい、どうぞ』

船頭さんの声がかかります

この瞬間、本当にワクワクします

キス釣りは釣って楽しく、食べて美味しいので大好きなのですが、小平次は本当のところ、釣れたキスや、イトヒキハゼ、メゴチなんかを活き餌にして、さらに大物、マゴチやヒラメなんかを狙いたいのです 

乗合のキス釣りは、当たり前のことですが、船頭さんはキスをたくさん釣らせてくれようとしして、釣れていれば船を流すようなことはせず、高度な船さばきで同じ場所から動かないように操船しますので、マゴチやヒラメに出会える確率はとっても低いのです


さて、仕掛けを落とすとすぐに小気味よいアタリ、キスは大きさの割にはアタリも明確で引きもそこそこ強く楽しめます



おおよそ仕掛けを落とすとアタリがある、ってな感じで、乗らないこともありますが、それなりに順調にヒイラギやイシモチ混じりでキスが釣れます

ヒイラギは美味しい、っていう人もいますが、小平次はどうも磯臭い感じがして、リリースします


数時間でバケツは一杯、東京湾は本当によく釣れます

ある程度釣ったところで、難しいとは思いますが、お隣のかたにおことわりしてから、ピンギスを活き餌にもう一本竿を出してみます

で、その後は順調にキスは釣れましたが、活き餌の方はウンともスンとも…

納竿となりました



東京ディズニーランドを海から眺めながら帰港です

50尾以上釣れましたが、キスに集中していればもっと釣れたと思います


さて、あとはとっても美味しいキス君の調理です

まずは定番、てんぷら



塩焼






糸造りとコブ〆



イシモチの煮つけ



にょろにょろしているのはキスの卵と白子です

いやあ!

めちゃくちゃ美味いです!

この時期のキスは本当に美味い!

気のせいかもしれませんが、やはり江戸前は他より美味いと思います

糸造りなんか衝撃的でした

残ったキスは丁寧に一夜干しして、ラップにくるんで冷凍庫へ

いやあ、後日頂きましたが、これがまた美味い!

キス君、本当にありがとう

さて、その翌日、勢い余って再度テナガエビを狙いに荒川へ



前の釣り記事でご紹介したので、釣りの様子は端折ります



とにかくまたまたよく釣れました



今回はゆぅすけさんに教わった通り、レモン汁を絞って頂きました!

いやいや、満足満足

テナガエビ君、ありがとう!


御免!

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本日、参議院議員選挙

2019-07-21 | 社会・経済


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こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です


本日、参議院議員選挙

小平次は昨日、初めての国政選挙の投票となる娘を連れ、女房殿も一緒に家族で期日前投票を済ませてきました


さて、もう正午過ぎ、このブログを読んでいただいた方への投票行動には影響もないとは思いますので、今回もっとも気になった政党、候補者について書いてみようと思います


このところ注目を集めているのが、山本太郎さんの

『れいわ新選組』

以前¥、小平次は山本太郎さんには関心なかったんですが、ちょっと前から注目されるようになって、気になりまして

その提言している政策、公約はどんなものかちょっと見てみましょう

赤字→れいわ政策 緑字→小平次の感想


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① 消費税廃止 消費税をゼロにすれば、一人あたりの賃金が44万円アップします
 ※この試算が正しいかはわかりませんが、消費税廃止はいいんじゃないですかね、少なくとも今増税というのは不正解だと思います

② 全ての世代が初期費用なし、安い家賃で住める公的住宅を拡充
 ※住む側からすればありがたいことです

③ 奨学金チャラ
 ※これは微妙ですが、『返済に充てる予定のお金は、必要な消費に廻していただきます』と言ってますし、選挙権を得たばかりの若い学生さんの政治への関心を高めるかもしれません

④ 全国一律!最低賃金1500円「政府が補償」
 ※韓国では最低賃金アップは失敗してますが、『中小零細企業に影響がない様に、不足分は国が補填。』と言ってますのでいいんじゃないでしょうか

⑤ 公務員を増やします 保育、介護、障害者介助、事故原発作業員など公務員化 
 ※介護分野などの人手が少ないことも今年の移民政策へつながっていますので、これもいいと思います

⑥ 一次産業戸別所得補償 第1次産業に就けば安定した生活が送れるよう政府が戸別に所得補償
 ※農業の現場なんか見てますとこうでもしなければやがて農家がいなくなってしまいそうです 日本の異常な食糧自給率の低さを考えればぜひ取り組んでほしいです

⑦ その他 災害等に備え、強靭な国土づくりのために積極的に公共投資をする
 ※これもいいと思います

⑧ お金配ります 〜デフレ脱却給付金
 ※インフレ率が2%に達するまで一人当たり3万円給付すると言ってます すごいですね!大歓迎です

さて、ここまで豪気な話が続いていますが、こうなると、当然

『財源はどうするんだ』


って話になるわけですが

れいわ新選組では

新規国債の発行です。確実に足りない分野と人々に大胆に、財政出動を行い、生活を支え積極的に経済をまわします。経済成長すれば当然、税収は増えます 

と言っています   

現時点ではこれが一番いいと思いますので賛成です

その他、日米地位協定の見直し、皇室の女性宮家創設 各方面での福祉政策を掲げています


ここまで見てきまして、れいわ新選組、小平次は反対することがほとんどありません、それどころかぜひやってもらいたいと思うことばかりです


さて、参院選 どうしましょうか

って、もう昨日投票済ましてたんだった




御免!  



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韓国人博士 この人は立派だなあ 頭が下がります

2019-07-14 | 社会・経済

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小野派一刀流免許皆伝小平次です


上記動画は、以前の記事でもご紹介した、韓国・落星台(ナクソンデ)経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究委員が、実際に国連のシンポジウムにおいて、いわゆる『徴用工問題』では歴史歪曲がなされており、韓国最高裁判決、韓国政府の態度、さらには日本人学者、政治家をも批判し、人権理事会に対し、『歪曲された証拠に基づくのではなく一次証拠をもとに調査すべき』こと、『韓国政府は韓日関係が破たんする前に、問題解決のため日本政府に協力する』こと、を韓国政府へ勧告するよう申請したものです

いやあ、立派な人だと思います 

頭が下がります

日本政府、閣僚諸氏はこの博士の足の爪の垢でも煎じて飲まなきゃいけません

さらに、その後産経新聞のインタビューにて(産経なので少し心配ですが、概ね事実のみの記事です)

引用 産経ニュース

【ソウル=名村隆寛】戦時中のいわゆる徴用工ら朝鮮半島出身労働者の賃金体系など労働状況を研究し、ジュネーブの国連欧州本部で今月2日に行われたシンポジウムで「賃金の民族差別はなかった」と発表した韓国・落星台(ナクソンデ)経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究委員(52)が、産経新聞のインタビューに応じた。

李氏は、日韓関係が極度に悪化している原因は、いわゆる徴用工訴訟で昨年10月30日に韓国最高裁が日本企業に賠償を命じた確定判決と、これを韓国の文在寅(ムン・ジェイン)政権が尊重し日本に履行を求めたことだとした。その上で、日韓の請求権問題の完全かつ最終的な解決で合意した1965年の日韓請求権協定が「韓日関係の原則であり、守らねばならない」と強調した。

また、韓国の司法府や政府が、戦時労務動員を「強制連行」や「奴隷労働」だと誤解していることで問題が起きたと指摘。「日本を無条件に敵対視する感情的な『反日種族主義』が背景にある」と語った。

李氏は、韓国人の歴史認識に影響を与えた一部研究者やジャーナリストに加え
日本の「良心的知識人」の「歪(わい)曲(きょく)された歴史観に根本的な問題がある」と言う。「彼らは、朝鮮人労働者が無給労働を強いられたり、民族差別を受け日本人よりも低い賃金しか受け取れなかったりしたと主張しているが、全くの嘘だ」と研究結果に基づき説明した。

 李氏は「歴史を誇張、歪曲(わいきょく)する韓国の知識人らの無責任な言動で多くの人々が誤解している。そんな行いはやめるべきだ」とも訴えた。>また、歴史問題をめぐり韓国に安易に謝罪する日本人の行動についても「不必要な同情心で、むしろ韓日関係を深刻化させている」と苦言を呈した。

「反日民族主義に反対する会」の代表も務める李氏は、韓国の教科書に朝鮮人ではない人々が写った無関係の写真が掲載されていたことなども問題視し、慰安婦像や徴用工像の設置に反対している。妨害や嫌がらせを受けているが、「真実の歴史を回復し、韓日の友好善隣関係の発展に寄与したい」と語っている。

李宇衍氏 1966年、韓国、全羅南道(チョルラナムド)光州(クァンジュ)出身。成均館(ソンギュングァン)大卒業。経済学博士。米ハーバード大研究員、九州大客員教授を歴任。2006年から落星台経済研究所研究委員。「反日民族主義に反対する会」の代表も務める。



上記記事の赤字部分

『日本の良心的知識人』

ってどんな人たちでしょう

おそらくは『リベラル』と称される人たちですかね

いわゆる『従軍慰安婦問題』もそうなんですが、『泣き叫ぶ少女を誘拐、拉致し、強制的に性奴隷にした』ということと、公娼制度のもと『貧しさのため、身を売らなければならなかった女性がいた』という事実の違いを抱えたままでは議論にもならないのです

『泣き叫ぶ少女を誘拐、拉致し、強制的に性奴隷にした』ということを事実として証明できる証拠は今のところ見つかっていないわけで、『貧しさのため、身を売らなければならなかった女性』を慰安婦として募集したのは『広義の強制』であり『女性の普遍的人権問題だ』と、現在は当初の問題がすり替わってしまっているわけですが、、『泣き叫ぶ少女を誘拐、拉致し、強制的に性奴隷にした』ことが事実として証明されていない、ことを了解し合った上で、議論がようやく始まるだろう、とうことです

そして、70年以上前の価値観、倫理観で認められていた『公娼制度』について現代の価値観、倫理観で議論するというならばやればいいのです

小平次は無駄だと思いますし、イ・ウヨン博士のおっしゃる通り、問題の解決にならないばかりか、こじらせるだけだろうと思いますが…

徴用工についても同じで、イ・ウヨン博士の発表が事実であれば、この問題を議論するには日本の韓国併合まで遡る必要があるでしょう

そうなればおそらくは、併合が合法であったかどうかという事実以前に、正しいことか悪いことか、という善悪論に終始し、100年以上も前の歴史を、その当時の世界情勢などが醸し出していた空気、そういったものを肌で感じることができない現代人が、もはや反論することすらかなわない人たちの行いを批判し、裁く、ということになります

不毛な議論になると思いますし、歴史に対し傲慢な向き合い方だと思います

そして、やはりイ・ウヨン博士のおっしゃる通り、問題の解決にならないばかりか、こじらせるだけでしょう



小平次はアジアの複数の国へ旅行や放浪、仕事、などで訪れていますが

『お前たちは白人と勇敢に戦った』

という人には何人か遭ったことがありますが

『お前たちは過去、我々の国に酷いことをした』

という人には遭ったことがありません(中国は行ってませんが)

仮にそう思っていたとしても、それはそれで歴史として受け止め、互いに手を取り未来へ向けて、そう考えているんじゃないですかね



さて、日本の良心的な知識人のみなさま

徴用工の強制労働は歴史歪曲だ、と国連で主張した韓国の経済学博士がおっしゃっています

『日本の良心的知識人の歪曲された歴史観に根本的な問題がある』

『不必要な同情心で安易に謝罪する日本の姿勢が、むしろ韓日関係を深刻化させている』




どうしましょう?


って言ってもおそらくは自分が『良心的知識人』だという自覚もないんだろなあ


うーーーん


残念!


いや


御免!



PS 日本のネトウヨ君たちが、よく韓国の元慰安婦と称する女性たちに対し『ただの売春婦だ!』などと罵ったりしているのをネット上ではよく見かけますが、ケシカランことだと思っております 元慰安婦の方々も(すべての方が本物かどうかわかりませんが)あの時代を生き抜いた先輩方です
あの時代、女性も知らず、死地へ向かう若き兵士を慰めて下さったのです(朝鮮人慰安婦は朝鮮人兵士が主な相手だったと聞いてはおりますが)
感謝こそすれ、罵るなどあってはなりません

日本の良心的な知識人が騒ぎ立てたりしなければ、もはや戦地へ向かう慰安婦などない現代において、静かにお暮しになっていたかもしれません




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武蔵御陵 参拝させていただきました

2019-07-11 | 天皇・皇室




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過日、地元神社の行事で武蔵御陵墓へ、妻と共にお参りしてきました



あいにくの梅雨空でしたが、梅雨の雨に濡れた森の木々が陵墓地内の静寂をいっそう引き立たせ、神聖な空気を醸しているようでもありました





妻は昭和天皇の御崩御のときは、小娘、というような年齢でありましたが、何か居ても立ってもいられなくなり、母と一緒に駅からとても長い距離を歩き参拝したそうです





武蔵陵墓地には、大正天皇、皇后、昭和天皇、皇后の御陵墓があり、心があらわれるようなとても静かな森の中、まさに神域のように感じることができると思います


激動の時代に君として国民と共に歩んでくださったことに感謝し、お参りさせて頂きました







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2015年ネパール地震 日本人として考えたこと

2019-07-02 | 社会・経済




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2015年4月25日

ネパールの首都、カトマンドゥから北西77キロ付近を震源とした大地震が発生しました

マグニテュード 8前後、震度およそ7

ネパール国内の死者数 約8,500人、負傷者数 約15,000人 倒壊建物 約50万件

という大災害となりました

この大災害発生時、私がカトマンドゥにいた、ということは以前の記事でご報告いたしました

『ネパール大地震 その時現地におりました』

今回、あらためてこの時、日本人として感じたことを、二つの出来事を通してお話しさせて頂きたいと思います


地震発生時、私は、私の仕事関係者の日本人2人と、ネパールでのアテンドをしてくれていた日本在住10年のネパール人Sさん(今や私の親友であります)と、3階建てのコンクリート造りの建物の中におりました

建物全体には30人前後の人がいたかと思います

いきなり建物内の電気が消え、突然の激しい揺れ、地震に慣れている日本人である私でも

『これはヤバいな…』

とそう思いました

地震に慣れていないネパールの女性たちは悲鳴を上げ、パニックになっています

私の脳裏に、途上国で大地震が発生したとき、ニュースなどで報道される、倒壊した建物の瓦礫の映像が浮かびます



間違いなくそれまで生きてきて、経験したことのない規模の地震に今、ネパールという国で遭遇していること

『死ぬかもしれない』

本当にそう思いました

おそらく、生まれて初めて

『死を覚悟』

したと思います

部屋にいた同行の日本人二人とSさんとで顔を見合わせます

建物の中は危険、咄嗟にそう思いました

しかし外も建物の倒壊やガラスの飛散などの危険があります

幸いに、私たちのいた建物の前には道を挟んでゆるやかな土手になっており、そこには太い木も生え地盤が固そうです

私と同行者とで、Sさんにできるだけ建物から離れ、向かいの土手へみなを非難させるよう頼みます

私と同行者は、腰を抜かしてパニックになっている女性たち、もはや立たせて外へ避難させるのは難しいと判断し、できるだけ頑丈そうな机の下へ押し込みます

他の部屋も確認し、動ける人は土手へ避難させ、立つこともできないような人は肩を抱え机に押し込みました

ふと気づけば、3階の一室、残っていたのは私と同行者の日本人の3人だけ

外へ出るのはもう間に合わないかもしれない、机と言う机はすべて満席

私たち3人は顔を見合わせ、頭に手を置きあとは運を天に任せたのでした




私は若いころ、少々俗っぽい人間ではありましたが、割と熱心なクリスチャンでした

こんなことをよく考えました

『もし、自分が乗っていた船が沈没するというような状況で、救命ボートに乗れるのはあと一人、残っているのは自分ともう一人の赤の他人…』

『自分はイエスキリストの愛を信仰する者として、残された最後の一席を、喜んで誰かのために譲ることができるだろうか』

『そういう人間でありたい、と願ってはいるが、いざ本当にそのような場面に遭遇したら、自分は我先に人を蹴落としボートに乗り込もうとはしないだろうか』


ネパールでの出来事を思い返します

私はこの時、何かそうしなければならないと思って行動したわけではありませんでした

本能がそうさせたのだ、と思います

こんな私でも、おそらくは日本人が日本人なりに古くから育んできたであろう精神、他人をかきわけ自分だけが生き延びようとすることを美徳としない、武士道的精神をわずかながらも本能のどこかにもちあわせているのだろう、最後に逃げ遅れた日本人3人で顔を見合わせたことを思い出し、少しうれしく思いました

また、東日本大震災の被災者のみなさまの秩序ある行動などを思うとき、それはやはり長い歴史が育んできた日本人なりの感性なのだろうと思うのです

もちろんネパールの人たちはネパールの人たちなりに、Sさんは最後まで誘導してくれましたし、地震後のカトマンドゥの街中でも、暴動や略奪が起きたわけでもなく、日本人とは違う、神々への信仰心、祈りながら静かにこの災害と向き合っていらっしゃいました

世界の国々、民族、それぞれにそれぞれの歴史が育んだ感性や価値観があるでしょう

日本人には日本人の、やはりそれは『和を以て貴しと為す』を礎とし、長い時間をかけて育まれた『武士道』の精神が、その感性と価値観の原点である、そう思ったのでした


さて、もう一つ、以前の記事でもご紹介したできごとです

地震発生から2日後、私たちの帰国予定日でありましたが、航空ダイヤは混乱しており、自分たちの乗る飛行機が飛ぶどころか、やってくるかどうかも分からない状態でしたので、朝早くから空港へ行き、待機することとなりました

非常時のため、一本しかない滑走路は救援物資や救助部隊を運ぶ輸送機や軍用機の着陸が優先されるため、一般の民間航空機は後回しになり、母国へ帰らんとする人達や、次の滞在地に向かわんとする大勢の人達で、狭い出発ロビーはごった返していたのでありましたが、強い余震が続く中、いつ帰れるかもわからぬ状況でしたので、時折降り立つ民間機のロゴが、自分の乗るべき航空会社のものであったりすると、その度にそれを待っていた人達から歓声が上がったりするのでありました

混み合う出発ロビー

そんな時、ひときわ大きな歓声が私の近くにいた中国人の一団からあがりました
彼らの視線の先には、機体に「中国空軍」と書かれた巨大な軍用機が滑走路に降り立っていたのでありました

中国空軍機

この大災害のために自国の軍隊がやってきたのですから、歓声を上げるのも無理はありません


その日は結局帰国の途にはつけず、あらためてチェックインカウンターまで戻ったときには随分と夜も更けておりました

翌日も朝早く空港に来ている必要があり、一旦市街まで戻っても、ホテルなどがとれるかもわからず、また早朝に空港までの、タクシーなどの移動手段の確保も難しいことも予想され、客人も一緒だったこともあり、このまま空港で一夜を明かすか、近くで野宿するかと思案しておりました

そんなところへSさんから連絡が入ります
Sさんは、私より2日遅れて日本に戻る予定で、カトマンドゥ市内の実家に残っていたのでありました
 
30分ほどでSさんと仲間が迎えに来てくれて、この時すでにホテルまで確保してくれておりました
その上朝から何も食べていないだろうと案じ、Sさんのご家族の手料理までホテルに運んでくれたのでありました


Sさんのご家族の手料理

ご自身も大変な状況の中、言葉につくせないほどの心温まるご好意に本当に感謝でありました
さらに翌日も早朝わざわざ、Sさんの友人が車で迎えに来てくれまして、とにかく感謝でありました

Sさん始め、ネパールの皆様の厚い心づくしのおかけで、早朝から空港に行けた事もあり、無事に振り替え便のチェックインができました

それでもまだ、実際に私たちが乗るべき便がやってくるかはわかりません
そんな状況下で、前日に引き続き、混み合う狭い出発ロビーで待機しておりますと、再び「中国空軍」機が飛来し、中国人たちの歓声があがりました

この日はさらに、「US・Air・Force」の巨大機もいよいよ降り立ってきました

アメリカ空軍機

アメリカ人自体が少ないのか、こういう時に歓声をあげたりしないのがアメリカ人気質なのかはわかりませんがこの「US・Air・Force」の飛来に歓声が上がる事はありませんでした

それから数時間後、一機の民間機のタラップから、ある一団がこのネパールの地に降り立って来ました

「JAPAN」

と書かれた帽子を被り、オレンジ色のユニフォームを着た日本の救助部隊の皆様です

日本の救助隊の皆様

その皆様の列が、ガラス越しに私の目の前を通り過ぎて行きます

その中の一人の男性の方と目が合いました
私は、街の惨状を見ながらこの地で何もできない自分を思いつつ、感謝と敬意の気持ちでその方に小さく一礼しました

するとその方は、私に向かって、力強く頷いて下さいました
思わず目頭があつくなりました


その一行が私の前を通り過ぎると、その通り過ぎた先で、大きな拍手と歓声が起こりました
少し驚いてそちらを見ると、拍手と歓声を贈っていたのは、他ならぬこのネパールの方々や近隣のアジアの国の方々だったのです
私のすぐ近くにいた人が、一行を指差しながらうれしそうに私に尋ねます

「JAPAN!?、JAPAN!?」

「Yes…」

これは一体どうしたことなのでしょう

「中国空軍」

にも

「US・Air・Force」

にも歓声を上げることのなかった地元や、近隣の国々の方たちが

「JAPAN」

の救助部隊の到着を、拍手と歓声で迎えてくれているのであります

被災した方々をついさっきまで目の前で見てきたこともあり、涙を流してしまいました


さて、その後、私たちは無事に帰国いたしましたが、その道中、先の出来事を思います

「ひょっとすればたまたまそこに日本贔屓のネパール人がいただけかもしれない」

ネパールにおける対日感情は良好であるとは聞いていました
逆に対中感情は悪いとも聞いておりました

しかしそれらは私が肌で感じたものではありません

以前、インドを放浪した時は、それなりの長い時間インドの方々と触れ合い、日本や日本人に対する感情は良い、と肌で感じることができました

インドの全く違う場所で、全く違う方から、全く同じ事を言われた事があります

「お前たち日本人は、過去、アメリカやイギリスの植民地支配と勇敢に戦った、そしてこのインドも、お前たち日本人と共にイギリスと戦った、その後お前たちの国は、アメリカによってヒロシマ、ナガサキにAtomicBomまで落とされた、にも関わらず、なぜ今お前たちはアメリカの手先のようになっているんだ!」

今回のネパール訪問は、ほんの数日の短い間でしたので、実際の対日感情がどのようなものか、インドの時のように肌で感じるまでには至っておりません

ですが

「JAPAN」

の救助部隊に、中国軍にもアメリカ軍にも声を上げなかった方々が拍手と歓声を贈った事、これは私の目の前で起きた事実であります
私たちが思っている以上に、アジアの国々の方々は、日本を、日本人を信頼してくれているのです
そして期待してくれているのです
そう感じる他ないのであります

そしてその信頼と期待は、決して一朝一夕で築き上げられたものではないでしょう

古き先人たちの振る舞いから積み重ねられて来たものでしょう

私たちの世代でその信頼と期待を裏切るような事があってはなりません


この出来事から感じていること

歴史的な事実に対する満足な確認も行わず

『日本はアジア諸国にひどいことをした、だから謝罪し続けるべきだ』

という日本人がいまだ数多くいますが、そのような態度がかえってこのような信頼関係にいがみ合いの火種を投げ入れているだけだということに、いい加減気づかなくてはならないと思います

たとえそのような人たちの言うことが歴史的な事実であったとしても、もはや反論したくともかなわぬ人たちになりかわって謝罪するなど、傲慢な姿勢であると思います


私は自らが体験した、事実を信じます

アジアの、世界の平和のために日本は何ができるのか、何をなすべきなのか

たとえ主義主張は違えども、ともに考えて行かねばならないと思います





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