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現代へのまなざし

日本とはなにかを探求します。

資本主義との決別-庶民が深く考えることが必要だ-

2021-05-17 22:41:46 | 政治
 「人新世の「資本論」」(斎藤幸平著、集英社新書 )は、大胆な考えをもたらしてくれる。

以下は「人新世の「資本論」」の引用である。

 「マルクスの没後にエンゲルスが編集した「資本論」第三巻の「地代論」のなかで、マルクスが資本主義のもとで土地利用の非合理性について述べた箇所がある。

 土地-共同の永遠の所有としての、交代する人間諸世代の連鎖を譲ることのできない生存および再生産の条件としての土地-の自覚的、合理的な取り扱いの代わりに、[資本主義のもとでは]地力の搾取と浪費が現れる。

 資本主義は自然科学を無償の自然力を絞り出すために用いる。その結果、生産力の上昇は略奪を強め、持続可能性のある人間的発展の基盤を切り崩す。そのような形での自然科学利用は長期的な視点では、「搾取」的・「浪費」的であり、けっして「合理的」ではない。
 そう批判するマルクスが求めていたのは、無限の経済成長ではなく、大地=地球を<コモン>として持続可能に管理することであった。それこそまさに、リービッヒやフラースも求めていた、より「合理的」な経済システムの姿である。
 そして、そのような科学的要求が、資本主義の不合理さを暴露し、その正当性の「危機」をもたらしているというのである。」
 

 自然を食い尽くし、人間を食い尽くした上で、利益を追求する資本主義。その露骨な姿が現れたのが、ミルトン・フリードマン流の市場原理主義を追求してきた1970年代以降の先進国の姿である。資本の、むき出しになった欲望を、規制緩和によって擁護する、粗野な政策が実行された。
 イギリスのマーガレット・サッチャー首相やアメリカのロナルド・レーガン大統領が率先し採用した新自由主義がグローバルスタンダードという名で先進国を席巻する。日本では中曽根内閣で行政改革という名のもとに新自由主義が進められた。ちょうどその時代、資本は、ソ連の崩壊を目の当たりにし、労働者が主役になる社会主義は駄目な経済システムであったと人々を洗脳しながら、むき出しの欲望を露わにしたのである。
 「国富論」で有名なアダム・スミスは「道徳感情論」の中で共感(fellow feeling)と同情(sympathy)を重視していたが、アダム・スミスとは正反対の方向で、抑制されない利己心が資本主義を野卑なものへと変貌させたのである。

 その結果、人々の格差は拡大し、地球は温暖化していった。資本は利益のためなら地球環境を平気で破壊し、労働者の賃金を抑制する一方で、企業の利益は配当金として資本家に還元され、あるいは巨額の役員報酬となり、さらには内部留保として企業内に蓄えられていく。しかし、庶民は、そのような資本を規制するどころか、規制緩和という声に賛同し、自らの首を自らが絞めるような行動を取った。しかし、資本主義のもたらす弊害に多くの人達が気づき始めているのではないか。人々が心変わりしないよう、資本はマスコミなどを使って資本の論理を庶民にすり込み続けるだろう。庶民が心変わりするのかどうか、不明である。

 しかし、「コモン」、宇沢弘文の言う「社会的共通資本」(社会的共通資本とは、土地、大気、土壌、水、森林、河川、海洋などの自然環境だけでなく、道路、上下水道、公共的な交通機関、電力、通信施設などの社会的インフラストラクチャー、教育、医療、金融、司法、行政などのいわゆる制度資本をも含む。)を人々が取り戻そうと努力し、人間らしさを奪い去り、人間の欲望をかき立てた資本の論理を否定することで、人々が人間らしい生活を送ることができる新たな社会が現れるだろう。経済成長という人間の欲望に屈した考えではなく、持続可能な社会を実現するためには、欲望を膨らませ続ける粗野な資本主義から決別し、経済成長を目的としない循環型の定常型経済を求める必要がある。

 現在の経済制度である資本主義を、すぐに否定し、新たな経済政策を実行することは無理だが、ノーベル経済学賞を受賞したスティグリッツ教授が指摘するような政策転換によって、欲望をむき出しにした資本主義から、規制などによって制御された資本主義への変更は可能である。
 経済政策の転換を図るという困難を避け、もっと簡単に行える政策変更がある。それは、全ての資産をマイナンバーに紐付けし、資産課税を強化する、また、アメリカのバイデン大統領が唱えたようにキャピタルゲイン課税(株の売買で儲けた利益にに対する課税)を強化する、あるいは、インカムゲイン課税(株を保有している人達への配当などに対する課税)も強化する。企業利益への税である法人税の税率を引き上げる、不労所得となる相続財産への税率を引き上げる、所得税の最高税率を引き上げる。
 これらの税制改正を行うことだけでも資本の欲望をある程度は抑制することができる。仮に、これらの税制改正を行った場合は、庶民の負担は全く増えない=庶民は増税対象にならないが、富裕層や企業に対してはかなりの増税となる。
 ただ、これらの話題を出せば、「株価が低迷する」「資産家が海外に移住する」「経済成長が止まる」「企業利益が減って給料が下がる」などという、庶民にとってはどうでもいい内容がマスコミを賑わすだろう。株を保有していない庶民にとって、株価が低迷しても何も問題はないし、資産家が海外に移住するかというと、英語すらまともに話せない人達が海外に移住するとは思えない。企業利益が増えても労働者の賃金が上昇しないのに、企業利益が減って労働者の賃金を減らす前に、株主への配当金を減らすのが理にかなっているだろう、という反論は、自民党と財界のタッグの下でかき消されるかもしれないが、労働者自身も深く考える必要がある。

 資本は自己増殖をめざし、さらに利益を得るために環境を破壊し、人間を奴隷にしてしまう。そのような資本主義から決別し、自然と人間が調和し、人間らしさを取り戻す社会システム、経済システムを新たに構築する必要がある。
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日本の政治の劣化-丸川(大塚)氏に見られる不誠実、無責任-

2021-03-07 09:35:40 | 政治
3月3日に始まった参院予算委員会で、社民党の福島瑞穂党首の「なぜ選択的夫婦別姓に丸川さんは反対なのか」との質問に対し、丸川男女共同参画担当大臣は「3月8日の国際女性の日にちなみ、福島先生がこれまで男女格差の解消、男女共同参画の推進に取り組んでくださったことに心から敬意と感謝を表したいと思う」と前置きして答弁を始め、夫婦別姓について「私には私の考えがあるのは確かですが、それはそれとして、私は大臣の任があるので大臣としてしっかり務めを果たしたい」として答弁を拒んだとのことだ。(朝日新聞デジタル 2021年3月3日 15時04分 )

 「丸川氏は選択的夫婦別姓制度への反対を呼びかける書状に名前を連ねていたことから、野党から女性の社会的地位向上を担う閣僚としての資質を疑問視する声があがっている。」(朝日新聞デジタル(同上))
 丸川大臣は、自分たちの仲間内では選択的夫婦別姓には反対だと述べながら、なぜ反対なのかを国会で質問されても答えないのである。このような不誠実な人間が大臣に任命されること自体、日本の政治の劣化を物語っている。

 この丸川氏、なぜ丸川なのだろうか。夫婦別姓に反対の丸川氏は、本名は丸川ではない。本名は大塚珠代なのだ。夫婦別姓にすると家族の一体感が失われるなどと主張する反対派の丸川氏、その当人が夫婦別姓になっているのである。
 なぜ大塚姓を使わないのか、夫婦の一体感が重要だから夫婦は同姓であるべきという丸川氏本人が、実質的な夫婦別姓を選択しているのである。

 選択的夫婦別姓制度には反対だが、その反対の理由を国会で追及されたら答弁を拒否。そして、自分の実際の生活では、本名である大塚を使用せず、丸川という旧姓を使用するという、まさに夫婦別姓を実践しているのである。
 こんな嘘つきのような丸川氏が大臣になるのはなぜなのか。誠実な答弁を行うことなく、自らの言行不一致を説明するでもなく、虚偽と詭弁にまみれた丸川大臣。

 第2次安倍政権から同じようなことが繰り返されている。国会での虚偽答弁、資質に欠けた大臣の無責任な答弁、無責任な行動。そのような政権を有権者が支持し続ける。
 日本は、第2次大戦での敗北のような、外部からの強大な圧力などがなければ、自ら改善することができない国になっているような気がする。自ら改善することが出来る国になるように、有権者一人一人が論理的思考あるいはクリティカルシンキングができるようになる必要があると強く感じる。
 
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過保護社会日本-将来どうなるのか-

2020-12-14 18:18:25 | 政治
 駅のホームに立っていると様々なアナウンスが流れる。過剰なまでのアナウンス。しかし、アナウンスが無かったと怒る乗客もいる。
 客が店員に対して様々なクレームを付ける。そのクレームを避けるために、店員がお客に対して様々な配慮を行う。「お客様は神様です。」という昭和時代の言葉があったが、神様はクレームを言い続ける存在なのだろうか。そのような存在が神様なのか、疫病神なのか分からないが、売り上げを伸ばすためには、疫病神でも神様だと思わないといけないのが今の日本社会なのかもしれない。
 犬や猫を非常に溺愛する人達がいる。その犬が凶暴であっても、犬を守れと叫ぶ人達。崖っぷち犬と言われた犬は、実は、非常に凶暴な犬だった。しかし、そんな犬でも助けろと叫ぶ人達。その人達は、その犬に噛みつかれても助けるべきだと言い続けるのだろうか。犬に高級牛肉などを食べさせる飼い主がいる。他方で、自分の子供に、その日の食事を満足に与えることができない親もいる。動物愛護と貧困家庭。非常に違和感を覚える。

 新型コロナウイルス感染症が蔓延すると、マスクをしていない人達を攻撃する人達が現れる。マスクの着脱は個人の選択だろう、リスクが高い密閉空間であればともかく、屋外で閑散としている場所でのマスク着用など意味が無い。外出自粛が要請されたとき、外出している人達を攻撃する人達がいた。自粛警察なる人達。自分たちの偏狭な正義感に基づいて、他人の権利を侵害するパラノイア的人間でしかない自粛警察。

 そして、新型コロナウイルス感染症によって経済状況が悪化し、政府に救済を求める人達。健康で文化的な最低限度の生活すら営めない人達は、当然の権利として生活の保障を求めることができるが、売り上げが減った、企業利益が減ったという理由で、補助金などを求めるのは安易でしかない。
 しかし、企業経営者などの声を受けて、赤字国債を発行し、借金によって企業を助ける政権。赤字国債は将来世代が負担し、国民が返済する必要がある政府の借金だ。

 一定数の人達が、何か問題があれば、行政や企業に対応を求める。自分たちで解決しよう、自分たちが自分たちを守るために行動しようという態度ではなく、行政や企業などに自分を守ってくださいとばかり、いろいろな要求をする。過保護を求める人たちが増えたように感じる。

 新型コロナウイルス感染症の影響で、様々な問題が発生している。これに対応するために、国は補正予算を措置し、様々な施策を展開している。
 第1次補正予算では、新型コロナウイルス感染症緊急経済対策関係経費として約25兆5655億円を計上しており、その財源は全て国債(借金)であり、23兆円以上の赤字国債が発行されている。その内訳は、①感染拡大防止策と医療提供体制の整備及び治療薬の開発1兆,8097億円、②雇用の維持と事業の継続19兆,4905億円、③次の段階としての官民を挙げた経済活動の回復1兆8482億円、④強靱な経済構造の構築9172億円⑤今後への備え(新型コロナウイルス感染症対策予備費)1兆5000億円である。
 この中には、アベノマスク配布事業として233億円、Go To キャンペーン費用として1兆8482億円が計上されている。その他、雇用調整助成金の特例措置拡大分として690億円、持続化給付金として2兆3176億円、全国民に10万円を給付する特別定額給付金12兆8803億円が計上されている。これら全ての財源が借金で賄われている。

 そして、政府は、この25兆円以上の補正予算でも足りないとして、約32兆円にも上る第2次補正予算を作成し、国会はこれを承認した。この財源も全て国債(借金)であり、22兆6124億円が赤字国債となっている。歳出の内訳は雇用調整助成金の拡充等に4,519億円、家賃支援給付金が2兆242億円、持続化給付金の対応強化として1兆9400億円、予備費として10兆円などが措置されている。

 第1次、第2次補正予算を合わせると、57兆4769億円の予算規模となり、その財源はすべて国債(借金)であり、そのうち約46兆円が赤字国債となっている。

 さらに、菅政権は第3次補正予算となる経済対策を決定した。新型コロナウイルス感染症の拡大防止策として4.5兆円程度、ポストコロナに向けた経済構造の転換・好循環の実現として13.4兆円程度、防災・減災、国土強靱化の推進など安全・安心の確保として4.4兆円程度などが掲げられている。この中で、ポストコロナに向けた経済構造の転換・好循環の実現や国土強靱化=公共事業の推進など、新型コロナウイルス感染症と直接関係のない経費まで盛り込んでいる。

 一体、国は、将来世代への負担となる借金を使って、どこまで、現在生活している高齢者や現役世代にバラマキを行うのだろうか。生活困窮になる人たちへの給付は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する国民に対する国が行う義務であるため必要ではあろうが、それ以上の対策を行う必要があるのだろうか。

 財源として借金(国債)を充てているが、それを償還する具体的な方策があるのであればともかく、今後、歳出削減や増税など具体的な収入確保策もないまま、野放図に財政支出を拡大させることは財政規律を全く守っていない無責任としかいいようがない財政政策である。

 一方で、国民も、何か困ったら国が助けてくれる、とでも勘違いしているのではないか。この財源は国の借金であり、いつかは返済をしなければならない。将来世代に負担を押しつけ、自分たちはフリーランチを頂くなどという無責任な態度は決して許されるものではない。国民の資産が国の借金を支えているというバランスシートの構図から、国の借金を返済するためには、国民の資産に対する課税を強化すればいいなどと、安易な発想があればしっぺ返しを食らうのは国民自身である。
 預金封鎖と預金税を合わせて導入すれば、国債は簡単に償還できるが、その場合、国民は自分たちの資産の大半を失うことになる。

 第2次安倍政権以降、日本はまるで過保護国家になったかのように、国民が困れば国が借金をして国民に給付をするという、無責任な財政運営を行っている。第2次安倍政権以降の政策によって主に恩恵を受けるのは大企業や中小企業経営者であり、一方で、格差社会の底辺にいる人たちへの救済策はあまり見られないが、特別定額給付金のように、国民に対し一律に10万円を給付するなどという、社会主義的手法も採用されているのである。

 国民、特に生産性が低いと言われている中小企業や増え続ける高齢者などに対する過保護とも思える政策を展開する一方で、国の借金はどんどん膨れあがり、対GDP比では先進国でも群を抜いて酷い状況にある日本。このまま借金を続ければ、財政破綻を回避するために大増税か酷いインフレが待っている。どうやら、過保護社会の日本の将来は暗いようである。

 過保護に育てられてた子供は逆境に弱い傾向があるという。今の日本も、逆境に弱い社会になりつつあるのではないか。過保護社会の日本の将来は、国際社会の中で追いやられ、逆境の中で押しつぶされていくのではないかという危惧を抱かざるを得ない状況が展開されている。
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安倍政権を支持する若者達-自業自得で終わらせてはいけない-

2020-09-10 21:17:46 | 政治
「安倍首相と若者たち」という朝日新聞(朝日新聞朝刊、9月6日25面)によると、憲政史上最長の第2次安倍晋三政権がまもなく幕を引くが、若者の支持率が高かったのは、この政権の目立った特徴だったとして、この政権がどう見えていたのかを尋ねた記事の中で、文筆家の鈴木涼美さんが「安倍さんが長く支持されるに至った強みは「かわいさ」だ。坊ちゃん育ちの保守政治家で、エリート左派のような冷たさがない。政策とは別文脈で人間的にチャーミングだと思わせる魅力があったのだろう。どこか憎めない感じは、トランプ米大統領にも共通する。」「批判ばかりのリベラル野党は「うざい」「エリートのきれいごと」と思われているのを、自覚しないと。」と語っていた。

 文筆家の鈴木涼美さんの言葉から推測すると、安倍首相を支持する若者は政策を吟味することなどしないのだろう。それゆえ、安倍政権の誤った政策を批判すると、「批判ばかりのリベラル野党は「うざい」「エリートのきれいごと」と思われている」のだろう。
 しかし、アベノミクスなどの政策によって負担を押しつけられるのは若者である。一方で、他方で、結婚しない若者、子供を作らない若者は、日本の将来を暗くしている。
 若者が安心して子供を育てられる環境を整備することが日本の喫緊の課題である。しかし、現状は高齢者などの負担を軽減するため社会保障制度の改革に手を付けることなく、さらには大企業や富裕層に所得を移転するため、法人税率や所得税率、相続税率を引き下げ続け、その結果、財政赤字が増え続ける一方で、財政赤字を解消することなく多額の国債を発行し、その国債を日銀にファイナンスさせている。日本のために求められる政策とは正反対の政策を安倍政権、自民党は取り続けているのである。

 多くの若者が安倍政権、自民党を支持するのであれば、その結果を自ら進んで受け入れる必要があるのではないか。多くの若者は、批判ばかりのリベラル野党は「うざい」「エリートのきれいごと」と思っているということらしい。自分たちに負担を押しつけるアベノミクスを支持する若者は、負担を喜んで受け入れているのだろうか。政策による結果を認識できないまま、他人事と考えながら、安穏と日常生活を送ることしかできないのかもしれない。
 いろいろな政策を吟味し、日本社会の将来について学び続けている若者もいるだろうが、多数はそんなことは自分には関係がないと考えているように感じられる。自ら学ぶことをしない若者が多ければ、将来負担を押しつけられることになったとしても、それは「自業自得」と言うしかないかもしれない。
 将来を担う若い人達には、社会への関心を持って、自分たちの未来のために認識を深めて欲しいと感じる。
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新型コロナウイルスと日本人の死生観

2020-07-07 18:47:25 | 政治
 保守派の論客として知られている佐伯啓思京都大学名誉教授の「(異論のススメ スペシャル)死生観への郷愁」が朝日新聞に掲載されていた。(朝日新聞、2020年6月27日朝刊11面)

 新型コロナウイルス感染症の影響で国に給付を求める声が大きいが、今回、国は補正予算で第1次補正予算が25兆円強、第2次補正予算では32兆円弱、併せて57兆円もの補正予算を成立させ、そのうち赤字国債は46兆円にものぼる。

 特別定額給付金の支給が遅いと文句を言いながら、マイナンバーカードと銀行預金口座を結びつけることには反対する。その理由は銀行口座を国に把握して欲しくない、資産を把握されるのが嫌だというものが多いが、そもそも脱税をしなければ国に財産を把握されることになぜ抵抗があるのか。税金は支払わないが、給付は貰う、しかもその給付は、将来世代が負うべき借金となっている。

 国が新型インフルエンザ特措法に基づいて緊急事態宣言を出したが、その緊急事態宣言を待ちわびる人達が多かったことに驚いた。そして、法的根拠もない自粛要請を進んで受け入れ、マスクを着用せず外出する者や都道府県をまたいで移動する者に対する根拠のない批判をあびせる人達。
 満員電車でも全乗客が口を閉じていれば、マスクをする必要は全くない。車で移動する人のどの程度が感染していると推測しているのだろうか、恐れおののき、恐怖のため攻撃性が高くなった人達の感情的な発言はネットでも多く見られた。

 さらに、緊急事態宣言の解除を待ちわび、外出自粛要請がなくなると一気に外出をする。科学的根拠を調べることもなく、行政の言葉に従う人達。移動の自由に関する深い考えもなく、都道府県知事の要請や「新しい生活様式」を従順に受け入れる人達。エビデンスに基づかない、科学的根拠もなく、自分の生命はまず自分で守るという自立の基本も持ち合わせず、言われるがままの行動をする人達が多く見られることは、日本人の劣化を物語っているのかもしれない。

 人は、生を受け、成長し、生殖行為をし、子育てを行い、老いていき、そして死ぬ。それぞれの人によって経過は変わるが、どのような人であれ、生を受け、成長し、老いていき、死ぬ。
 佐伯名誉教授の記述どおり、かつての日本人は、とうてい受け入れがたい不条理な死をも受け止めていただろうし、その精神の底には、生死ともに「無常」という観念が流れていた。年齢を重ねるに従い、死への諦念を含んだ無常感を強く抱き、そして不条理をも受けとめていた日本人だが、昨今は、生への執着、不条理への嫌悪を抱く人達が増えているようだ。
 感染症が怖い人達、特に高齢者は、他人との接触を極力回避するため自宅に閉じこもることを原則とすればいい。死への恐怖、感染に対する恐怖を抱きながら、外出など自由な行動を求めるのは感染症が蔓延する状況では不可能なことである。

 昔の日本人が持っていた人間の死という必然への諦念を含んだ無常感、佐伯名誉教授が言うように、今の日本人も多少は古人の死生観を受け継ぐことがあってもいいのではないか。若い人達には難しいことかもしれないが、多くの人達がこのような哲学的な問題について、深く考え、行動する必要があると考えさせられた佐伯名誉教授の文章だった。
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