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現代へのまなざし

日本とはなにかを探求します。

権威主義が残る日本-自民党保守派の権威主義的性格-

2024-10-20 09:36:43 | 政治

 国連の女性差別撤廃委員会は17日、日本の女性政策を審査する会合をスイス・ジュネーブで開いた。委員からは選択的夫婦別姓の導入に向けた取り組みを問う声や、男女平等の観点から皇室典範の見直し検討を促す意見が上がった。(「夫婦別姓、皇室典範に言及 女性差別撤廃委が対日審査―国連」(時事ドットコムニュース))
 これに対し、日本政府の代表は「国民の意見や国会の議論を注視しながら、司法の判断も踏まえさらなる検討を進める」と述べるにとどめた。また、男系男子のみに皇位継承を認める皇室典範について問われると、政府担当者は「歴史や伝統を背景に国民の支持を得て今日に至っている」として、同委で扱うことは「適切ではない」と主張した。(「時事ドットコムニュース」から)

 男系男子のみに皇位継承を認める皇室典範、男女同姓を強制する民法、これらの法律の改正に取り組まない日本政府代表の言い訳には、今の日本の後進性が物語られている。

 まず、選択的夫婦別姓については国民の多くが支持しているが、旧安倍派に代表される自民党保守派と言われる人達や、自民党岩盤支持層と言われる人達は、家族の一体性を壊すものだとして反対をしている。つまり、多くの国民は支持しているものの、一部の保守派が反対することで実現できていない制度なのである。
 次に、皇室典範であるが、これは明治時代の家父長制を色濃く残しているものであり、夫婦同姓と男系男子による皇位継承は根を一つにするものである。つまり、家父長制では当然のことながら男系長男が家の家長となり、家を存続させるのである。これを皇室に適用すれば、男系男子が皇位を継承することになるのである。この皇室典範の存在を知っている国民がどれだけ存在するだろう。また、世論調査結果では女性天皇を認める国民が多数であり、政府担当者の答弁は事実に基づいていないと言えるだろう。(「皇室に関する意識調査」(NHKによる意識調査))
 上記のことから、日本政府は、EBPM(Evidence Based Policy Making(エビデンス・ベースト・ポリシー・メイキング)。証拠に基づく政策立案)を主張しているものの、実態はエビデンスを無視し、自分達の政策に添って都合の良い証拠を作っている=証拠を捏造した上で政策立案をしていることがわかる。(=Policy Based Evidense Making)。

 家父長制では家長に一切の権限があり、家族の構成員は家長の許可無く婚姻も財産の処分もできない。つまり家長を最高権威者として認め、最高権威者である家長の指示に従う制度であり、非常に権威主義的な制度なのである。
 この家父長制を国家制度にすることで、家長が天皇になり、天皇が最高権威者として国家を統治してきたのが明治維新以降の日本なのである。
 第2次世界大戦で敗北した日本は、戦勝国であるアメリカ合衆国と同様、自由と民主主義を最高の価値観とし、家父長制から転換したはずであるにも関わらず、旧安倍派に代表される自民党保守派や自民党岩盤支持層は自由や民主主義ではなく、家父長制を支持しているのである。

 果たして日本は民主主義国家と言えるのか。安倍政権以降、自民党保守派が自民党の中で大きな地位を占めており、日本の政策が権威主義的な家父長制に影響されているのは、国連の女性差別撤廃委員会での日本政府の代表の発言でも明確になっている。それは、安倍元総理が「戦後レジームからの脱却」を主張したことに象徴されている。
 戦後レジームとは、日本の敗戦後、日本国憲法の制定や民法の改正によって自由と民主主義を基本的な価値観として作り上げられた体制であり、この戦後レジームからの脱却は、明治維新以降の家父長制を中心とする権威主義的制度による体制の構築を意味している。

 自由と民主主義を基本的価値観とする先進国にあって、日本の後進性、権威主義的な性格を守り続けているのが、旧安倍派に代表される自民党保守派であり自民党岩盤支持層なのである。先進国の中で夫婦同姓を強制している国は日本だけであり、皇位継承を男系男子に限定しているのも日本だけである。
 この権威主義的な日本という後進性を維持し続ける日本は、先進国標準から取り残されているのは当然である。このため、日本が先進国から衰退途上国となり、やがて後進国に転落するような状況に置かれているのではないか。

 日本が先進国から取り残される状況をもたらしているのは、権威主義に侵されている旧安倍派に代表される自民党保守派や自民党岩盤支持層が政策決定に影響力を持っているからであり、先進国の一員として国際社会で活躍するためには、旧安倍派に代表される自民党保守派や自民党岩盤支持層の影響を排し、自由と民主主義に基づいた政策を日本の基本的な政策とする必要があるのである。

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台湾有事とはー日本はウクライナと同じ道を歩むのかー

2024-09-07 19:31:24 | 政治
2022年2月24日にロシアがウクライナに軍事侵攻を開始してから既に2年5ヶ月以上が経過した。
 このロシアによるウクライナ侵攻に関して、フランスの歴史人口学者であるエマニュエル・トッドは「第三次世界大戦はもう始まっている」(文春新書)の中で、貴重な見解を示している。次の文章は文藝春秋のサイトに掲載されている同書の紹介文章だ。

「戦争を仕掛けたのは、プーチンでなく、米国とNATOだ。
 「プーチンは、かつてのソ連やロシア帝国の復活を目論んでいて、東欧全体を支配しようとしている。ウクライナで終わりではない。その後は、ポーランドやバルト三国に侵攻する。ゆえにウクライナ問題でプーチンと交渉し、妥協することは、融和的態度で結局ヒトラーの暴走を許した1938年のミュンヘン会議の二の舞になる」――西側メディアでは、日々こう語られているが、「ウクライナのNATO入りは絶対に許さない」とロシアは明確な警告を発してきたのにもかかわらず、西側がこれを無視したことが、今回の戦争の要因だ。

 ウクライナは正式にはNATOに加盟していないが、ロシアの侵攻が始まる前の段階で、ウクライナは「NATOの〝事実上〟の加盟国」になっていた。米英が、高性能の兵器を大量に送り、軍事顧問団も派遣して、ウクライナを「武装化」していたからだ。現在、ロシア軍の攻勢を止めるほどの力を見せているのは、米英によって効果的に増強されていたからだ。

 ロシアが看過できなかったのは、この「武装化」がクリミアとドンバス地方の奪還を目指すものだったからだ。「我々はスターリンの誤りを繰り返してはいけない。手遅れになる前に行動しなければならない」とプーチンは発言していた。つまり、軍事上、今回のロシアの侵攻の目的は、何よりも日増しに強くなるウクライナ軍を手遅れになる前に破壊することにあった。

 ウクライナ問題は、元来は、国境の修正という「ローカルな問題」だったが、米国はウクライナを「武装化」して「NATOの事実上の加盟国」としていたわけで、この米国の政策によって、ウクライナ問題は「グローバル化=世界戦争化」した。」


 ロシアのウクライナ侵攻に対抗するため、西側諸国はロシアへの強力な経済制裁を行い、また、ノルドストリームはウクライナなどによって破壊され、さらに、ノルドストリーム2は中止となり、ドイツはエネルギー不足などによって経済打撃を受け、2023年度のドイツのGDP成長率は-0.3%とマイナスになったのである。


 さて、日本では台湾有事が物語られている。

 中国と台湾の問題で、基本的なことを書いておきたい。
 中国政府は、台湾は中国と一体ということを過去から言い続けている。アメリカと中国が国交を回復した際も、日本と中国が国交を回復した際も、中国は中国と台湾が一体だと主張している。
 これに対し、アメリカは「中国はただ一つであり、台湾は中国の一部分であると主張していることを認識している。アメリカ政府は、この立場に異論をとなえない」としている。
 日本は「この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」としている。

 アメリカの署名な投資家であるジム・ロジャーズは、「2030年 お金の世界地図」(SBクリエイティブ )で次のように書いている。
 「私が台湾有事の可能性に注目しているのは、なぜかアメリカが戦争を望んでいるように見えるからである。
 世界地図を見ればわかるように、台湾はアメリカから約1万km離れている。
 仮に中国が台湾に武力攻撃を仕掛けた場合、中国は短期間のうちに台湾を占領出来る可能性が高い。当然、アメリカは台湾側を助けるという名目で軍事介入を行い、米中の衝突が起こることになる。
 アメリカが中国を攻撃し、台湾を奪還しても、中国の再攻撃に備えて台湾周辺での軍備を増強する必要があり、 膨大なコストを要することになる。繰り返すが、台湾とアメリカには物理的に相当な距離があるのだ。
 ペンタゴン(国防総省)のほとんどの研究では、諸々の条件を踏まえ、アメリカが敗北する可能性が高いと予測しているはずである。
 だが、それでもアメリカが中国を挑発し、台湾有事が起きる可能性はある。」(同書p.29~p.30)

 台湾から1万km離れているアメリカからではなく、台湾に近い、そしてアメリカの同盟国である日本や韓国に出動させる方が効果的であり効率的である。日本の自衛隊とアメリカ軍、韓国軍とアメリカ軍、そして台湾とアメリカ軍は集団的自衛権で繋がっているのである。
 台湾有事が発生すれば、日本の自衛隊と韓国軍が中国人民解放軍と対峙することになる可能性が高いのである。その結果、日本の経済状況は悪化し、さらには日本の本土が中国から軍事攻撃を受ける可能性もある。

 アメリカは、ロシアの帝国化を防ぎ、ドイツの国力を低下させるために、ウクライナを利用し、それによって、アメリカなどのNATO軍の兵器によってウクライナ人がロシアと戦っているが、台湾有事になるとウクライナ人ではなく、日本人や韓国人が中国と戦うことになるだろう。
 日本人がウクライナ人同様に、アメリカ軍の代わりに中国人民解放軍と戦う理由は全くない。中国と台湾の紛争に日本人が介入する理由などないのである。日本のウクライナ化は断固として拒否する必要がある。
 アメリカの属国のように振る舞う日本政府だが、日本人はアメリカの傭兵では無い。日本の国益を考えて行動して欲しいものである。

 日中国交回復の際に確認した事項を、再度よく確認し、中国と台湾は一つの中国だという認識があれば、台湾有事などというものは中国の国内問題であり、日本やアメリカが軍事的に介入するようなものではないと、しっかり認識して欲しいものである。
 台湾は独立国でもなく、中国の一部であるという中国の立場を理解し、尊重している日本は、台湾有事に対しては外交力で対応すべき問題だとしっかりと認識する必要がある。

 日本はウクライナのような愚かな国になってはいけない。日本の国益をよく考えて外交を進める必要がある。
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自由民主党の改憲草案と家父長制-民主主義からの逸脱-

2024-07-28 14:57:54 | 政治
 日本国憲法については、未だに自由民主党が改正を進めようとしている。しかし、自由民主党の憲法改正草案は民主主義を実現する憲法から逸脱し、個人の尊厳という価値観から家族主義による和(個人の尊厳よりも家族のための孝忠という価値観の重視への転換)へと退化するような内容を含んでいる。自由と民主主義という日本国憲法から自由の制限と家族主義という戦前的価値観に転換しようと企てていると考えられる。それはなぜか。

 現在の日本国憲法の大きな特徴は、「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」を掲げていることである。第2次世界大戦以前の大日本帝国憲法では、国民主権ではなく天皇主権、基本的人権は法律の留保によって大きく制限され、平和主義はそのかけらもなかった。
 自由民主党の憲法改正草案では、その前文で「国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって」と天皇をわざわざ特だしし、さらに「和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。」と「和」や「家族」を記載しているのである。
 自由民主党の憲法改正草案の各条文を一つ一つ検討することは、その検討にも値しない草案であるため、労力を省く観点からも行わないが、天皇、家族という第2次世界大戦以前の、国によって定められた価値観が大きく盛り込まれているのである。「個人」という文言を削除している点も大きな特徴である。

 第2次世界大戦で日本が負けるまでの、日本における家族制度とはどのようなものだったのか。
 「日本社会の家族的構成」(岩波現代文庫、川島武宜著、2000年)に収録されている「イデオロギーとしての「家族制度」」が詳しく説明しているので、その一部を抜粋したものが次の文章である。(p.153~p.157)

 「家族制度」は「家」および家父長制の二つの要素が離れがたく結びついている家族秩序である。そして「家」とは、「世帯の共同とは関係のない血統集団であって、構成員の死亡・出生・結婚等による変動はあってもその同一性を保持して存続してゆくものだという信念を伴うところのもの」と定義することができるだろう。

 「家」は次のような意識(信念体系・価値体系)によって支えられている。第一に、血統連続に対する強い尊重、及び祖先と子孫が一体であるという信念。第二に、その結果、多産の尊重、子を生まない妻の蔑視。第三に、祖先の尊重。第四に、伝統の尊重。第五に、個人に対する「家」の優位。第六に、家の外部においても個人をその属する家(特に「家格」)によって位置づけること(「毛並み」の尊重)。

 そして、家父長制は、家長が家族構成員に対して支配命令し、後者が前者に服従する社会関係である。その具体的内容は、第一に、家族構成員に対してその行動を決定し、それに服従させる家長の権力。第二に、この権力を保障するための道具としての、幼少時からのしつけ、及び家族内の「身分」の差別と序列。家長による財産の独占と単独相続性。

 この家と家父長制が結合しているということは、家族制度を特色づける。そのもっとも重要な点は家長の権力を神格化し、それを伝統の力によって補強し、且つ権力支配を外見的に見えにくい・あるいは外見的に穏和なものにする、ということである。


 このような家族制度が第2次大戦前のものであるが、敗戦によって家族制度がいきなり変化することもなく、昭和時代の家族には「家」と「家父長制」が色濃く残っていただろう。未だに、結婚式や葬式では「家」が持ち出されているため、今でも色濃く残っている家族があるかもしれない。

 そして、この「家」「家長」を国家に適用した場合、家長は言うまでもなく天皇であり、国民(当時は臣民と言われていた)は天皇の子供であり、天皇は家族に対し支配命令し、子供である国民は家長である天皇の命令に服従するということが絶対的な道徳(当時は「修身」と言われていた)であり、この道徳に反するものは徹底的に攻撃され排除されたのである。
 さらに、このような道徳(修身)を盛り込んだものが教育勅語にほかならない。自民党議員の一部が教育勅語を学ぶように主張するのは、このような第2次世界大戦前の天皇制支配の原理や家父長制を復活させようという意図があるからに他ならない。

 その前文で「和」や「家族」を持ち出している自由民主党の憲法改正草案とは、現在の日本国憲法の基本原則を変更し、第2次世界大戦以前の日本における支配原理、個人ではなく家を優先し、その結果、個人よりも国を優先するような支配原理を復活させようと意図したものにほかならない。
 しかし、このような大きな問題であるにも関わらず、表面的な議論に終始し、マスメディアなども問題を深く検討することもなく、権力に忖度したような報道を繰り返すであろうから、憲法改正論議には気をつける必要がある。
 国民の多くが、個人よりも「家」や「国家」を優先し、また、「家」や「家父長制」を支持し、その結果、天皇を特別な地位に就けることを支持するのであれば、自由民主党の改憲草案に賛成すればいいが、今の社会状況を考えれば、自由民主党の改憲草案は、自由、民主主義という日本社会の方向とは全く逆方向のものであることは間違いない。

 自由と民主主義をその価値観とする日本において、自由民主党の改憲草案は家父長制を復活させるような全く時代錯誤的なものである。個人の尊厳や基本的人権の尊重という戦後民主主義を否定し、戦前への回帰を意図するものが、自由民主党の改憲草案であると言わざる終えない。
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日本の家族形態-権威主義的性格を備えた家族制度-

2024-07-07 10:09:01 | 政治

 歴史人口学者のエマニュエル・トッド氏は世界中の家族形態を絶対核家族、平等主義核家族、直系家族、共同体家族という類型に分類し、それぞれの家族類型による特徴を述べている。

 日本の家族形態については、直系家族の類型に分類されているが、直系家族とは、子供のうち跡取りは成人して結婚しても家に残り、すべての遺産を相続するもので、跡取り以外の子供は他の場所での生活の道を選ぶ。家長としての父親に権威があるため、親子関係は権威主義的であり、兄弟間は不平等である。

 

 さて、日本の家族制度に関する有名な論考としては、民法・法社会学者の川島武宜氏による「日本社会の家族的構成」(「日本社会の家族的構成」(川島武宜著、岩波現代文庫、2000年)に収録)がある。

 なお、この論文は1946年に中央公論で発表されたものであり、「戦後日本の民主化のためには,家族制度の徹底的解明と批判が不可欠であるという鮮烈な問題意識のもとに,広汎な農村実態調査から日本の家族を武士的家族と農村的家族に類型化し,家父長制国家の虚偽性を衝く家族制度研究の古典的論稿」と紹介されている。

 この中で、日本の家族制度を「武士階級的家族制度」と農民や漁民、都市の小市民の家族制度に分けて家族生活の基本原理を説明している。

 「武士階級的家族制度」(封建的士族層、貴族、大地主、大町人を支配してきた家族制度)について、士族層封建武士的・儒教的なこの家族制度は、一つの強固な「秩序」であり、この固定的な秩序そのものが、動かすことのできない「権威」である。この神聖な権威的秩序の担い手は、家長(戸主)であり父、夫である。彼らは家族、子供、妻に対して「権力」を持っているが、この権力は服従する人々の精神に対する絶対的な高い威力、すなわち「権威」として現れ、その結果、服従者は抗しがたいものとしてこれを意識し、むしろすすんでこれに服従する、というのである。

 農民や都市の小市民などの民衆の家族(農村的家族)の構造は武士階級的家族制とは異なり、そこでは女や子供、老人を含めたすべての家族員が、それぞれの能力に応じて家族集団の生産的労働を分担するため、儒教的家族におけるような型での家長の権力や権威は存せず、「協同的な」雰囲気が支配する。各人がそれぞれに固有の生産的労働を分担することに対応して、各人は家族内で固有の地位をもっているが、ここでも永い伝統によって抗しがたい客観的制度に固定しているために、家族の「秩序」は一つの権威であり、その中に生きている人々に対し絶対的な権威として君臨する。

 そして、これらの家族生活の基本原理が、家族外の関係にも反射し、貫徹していると言う。

 第一に、「権威」による支配と、権威への無条件的服従。権威者の前では自らの価値を低いと感じる「子分」の卑屈な感情であり、人は、主義・主張が同じだから他の人と行動を同じくするのではなく、親分がある行動をとり、又は行動を命じるために、そのような行動を無条件的にとる。

 第二に、権威への追従や雰囲気への追随に由来すると思われる、個人的行動の欠如と、それに由来するところの個人的責任感の欠如。

 第三に、権威主義的あるいは馴れ合い的な秩序や平和が害されるのを恐れるために、一切の自主的な批判・反省を許さないという社会規範として現れる。自分の意見を言わないことや雰囲気に追随することは、人の下に立つ者のみならず人の上に立つ者にとっても、忘れてはならぬ「処世術」となり、このような社会では、自らの個性を発展させることは許されないし、また不可能であり、個性を没却して雰囲気とともに流れるようにつとめる人が「修養を積んだ」人として尊敬される。

 第四に、親分子分的結合の家庭的雰囲気と、その外に対する敵対的意識との対立、すなわち対内的モラルと対外的モラルとの対立。これこそが「セクショナリズム」の本体である。セクショナリズムの弊害を無くすためには、まず、この家族的感情に根強く由来する家族的結合と、それに固着する内外へのモラルの分裂対立とをなくすことが先決問題である。

 

 エマニュエル・トッド氏が日本を直系家族と分類し、直系家族の特徴として権威主義的であるとしているが、川島武宜氏の「日本社会の家族的構成」を読むと、日本の家族の権威主義的な性格が非常にわかりやすく記載されている。

 ・「権威」による支配と、権威への無条件的服従

 ・個人的行動の欠如と、それに由来するところの個人的責任感の欠如

 ・一切の自主的な批判・反省を許さぬという社会規範

 ・セクショナリズム、その本体である親分子分的結合の家庭的雰囲気と、その外に対する敵対的意識との対立、すなわち内輪の規範と対外的規範の対立。

 

 これらの特徴が未だに日本で見られるのではないか。マスコミなどでは日本は民主主義であり、権威主義とは違うような前提で報道を行っているが、アジア・太平洋戦争終結直後に発表された論文に掲載されている日本の家族的構成の特徴が未だに残っているのではないか。

 自民党には、保守派(右翼)議員などが、教育勅語を賞賛してみたり、日本の家父長制的家族制度を残そうと考えてみたり、民主主義ではなく権威主義をその主義主張としているような議員も存在する。

 世代を追うごとに民主主義的要素が増え、権威主義的要素が減っているだろうが、未だに昭和時代の規範を身につけている人も多いだろう。例えば、子供を自分の所有物のように考え、子供の自由を奪い、自分の考えを押しつける親というのは、毒親などと言われるが、未だに存在している。

 民主主義を自分の価値観であると主張するのであれば、今の日本にこの権威主義的要素が残っていないのかどうか、日本社会を観察しながら考え、改善すべき点があれば改善していくことが必要だろう。

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「民主主義」対「権威主義」ー西側諸国のプロパガンダー

2024-05-03 12:13:05 | 政治
 昨今、マスメディアでしばしば「「民主主義」対「権威主義」」という構図で世界情勢を一刀両断し、民主主義が勝利しなければならないというような単純な意見が見受けられる。しかし、こういう言葉を使う人達は権威主義について深く考えたことがあるのだろうか。

 権威主義とは何か。世界大百科事典を調べてみると次のように書いてある。
「権力が,時に強制力の行使をも予定することによって,自己の優越性を人々に承認させるのに対し,権威はみずから有する価値を社会の大部分の人に自発的に承認されることによって成り立つ。人々は権威者に自発的に信従するだけでなく,自己を対象に積極的に同一化することによって,自己に欠如していると思われる威信を獲得し,補うことができると錯覚することがある。そこでは,権威者の価値体系に疑惑をもったり,不同意であることは反逆とみなされ,大部分の人から冒涜(ぼうとく)であり罪悪であるとされる。このような思考様式を権威主義という。
 権威主義の成立は,支配者にとって権力の正統性なしに統治することの可能性を意味し,権力の不当な行使に対する批判を回避できる。そのために支配者は説得や宣伝を利用して権威主義的支配体制の成立につとめる。前近代的支配体制はつねに権威主義的支配体制であった。神聖ローマ皇帝の支配,法王の支配,家父長制,家産制などがあり,近代日本の天皇制もその範疇に含まれる。

 また、「民主主義と権威主義」という見出しで東京新聞がインタビュー記事を掲載しているが、その中で哲学者の西谷修氏が「「非西洋」敵視する図式」の中で本質的なことを鋭く指摘している。
「「民主主義」対「権威主義」は、民主主義を自称する側が「敵」を名指すための図式です。西洋が普遍化した世界秩序を維持するための新手のイデオロギーです。秩序に服する国々が民主主義、従わない国々は権威主義と規定され非難され、その国の人びとを解放するという話になります。イラク戦争時の「ならず者国家」と同じですね。 」

 さて、歴史人口学者であるエマニュエル・トッド氏は世界の家族類型を分類し、その家族類型から権威主義的か自由主義的か、平等主義的か平等に無関心なのかという特徴を指摘している。「トッド人類史入門 西洋の没落」(エマニュエル・トッド、片山杜秀、佐藤優著、文春新書、2023年)

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○トッドの家族類型
 (親子関係、兄弟関係、内婚制 or 外婚制で分類)

 ・絶対核家族-子供は成人後、親元を離れ、結婚後、独立した世帯を持つ。相続関係は親の遺言で決定。親子関係は自由で、兄弟間の平等に無関心。英米など。
 ・平等主義核家族-英米型と同様に、子供は結婚後、独立した世帯を持つが、相続は子供達の間で平等に男女差別なく分け合う。フランス北部、パリ盆地、スペイン、イタリア南部など。
 ・直系家族-通常は男子長子が結婚後も親と同居し、すべてを相続。親子関係は権威主義的(親の権威に従う)で、兄弟間は不平等。日本、ドイツ、フランス南西部、スウェーデン、ノルウェー、韓国など。
 ・共同体家族-男子が全員、結婚後も親と同居し、家族が一つの巨大な「共同体」となる。相続は兄弟間で平等で、親子関係は権威主義的。
  ・外婚制共同体家族-イトコ婚を認めない共同体家族。ロシア、中国、北インド、フィンランド、ブルガリア、イタリア中部のトスカーナ地方など。。
  ・内婚制共同体家族-イトコ婚を奨励する共同体家族。アラブ地域、トルコ、イランなど。
 ※ 歴史的に最も新しいのは「共同体家族」で、最も原始的なのが「核家族」。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 家族制度が人々の思想に与える影響は大きい。生まれてから大人になるまで、家族の中で生活し、家族の思考形態などに大きな影響を受けるためである。
 直系家族、共同体家族は親子関係が権威主義的であるため、人々の思考も権威主義的になるだろう。つまり、日本やドイツ、スウェーデン、韓国、ロシア、中国、フィンランド、アラブ地域、トルコ、イランなどは権威主義的なのである。ちなみに、アングロサクソン(イギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリア)は絶対核家族、フランスやイタリア南部は平等主義核家族であり、これらの地域は自由主義的であり権威主義的とはされない。
(ちなみにユダヤ人については、直系家族であり、日本やドイツと同様に権威主義的とされている。)

 また、世界大百科事典における権威主義の解説からすれば、キリスト教の権威に帰依するキリスト教原理主義、アメリカであればキリスト教福音派(エヴァンジェリカル、トランプ前大統領の岩盤支持層)も権威主義的である。

 こういった点を深く検討することもなく、「「民主主義」対「権威主義」」という単純な構図を持ち出す人達は一種のプロパガンダをまき散らしているように思える。
 東京新聞の記事で西谷氏は「西洋世界は自分たちが普遍的基準だとの思い込みから抜けられず、いまだに非西洋を追い詰めようとします。権威主義という用語が今またその道具の一つになっているようです。」と鋭く指摘している。つまり、G7などの西側諸国が自分たちにとって都合の悪い国々に対し、権威主義国家と決めつけ、批判しているのである。
 エマニュエル・トッド氏の指摘にあるように、G7諸国でも日本やドイツは権威主義的であり、アメリカのトランプ支持者も権威主義的であるにも関わらず、あたかも西側諸国は自由で民主主義的な国であるという前提で、自省することもなく、敵対国を権威主義国家だとして批判することで、思考停止に陥っているのである。

 日本においては、未だに天皇という存在を象徴とし、日本の最高権威に据えている。マスコミは最大限の敬語を使用し、多くの国民が天皇に頭を垂れるのである。このような日本こそ、権威主義的な国であろう。

 マスコミは国民に対し大きな影響力を有している。日本国憲法で守られている報道の自由や表現の自由をしっかりと守るためにも、マスメディアは単純な決めつけや思考停止に陥るのではなく、事物の本質に迫るような、幅広い知識と深い思考が求められるのである。
 民主主義と権威主義という言葉については、マスメディアのみならず多くの人々が多角的かつより深く思考した上で、理解していく必要がある。
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