オデッサから再びソビエト船で出発です。この船の寄港地はオデッサを出航した後、ルーマニアのコンスタンツ、トルコのイスタンブール、ギリシャのピレウスを経由してエジプトのアレキサンドリアに到着します。私たちはピレウスまで乗船しました。
オデッサから乗船した日本人は私たち2名以外には高校の先生と若いカップルの合計5名だったと記憶しています。高校の先生をしている方は夏休みを利用してトルコ旅行に行く途中だそうでした。
黒海を進むソビエト船 私、高校の先生、友人のT氏
穏やかな黒海の夕暮れ
最初の寄港地のルーマニアのコンスタンツに着きました。数時間の寄港ですが、上陸して町を散歩しました。
コンスタンツは紀元前から存在する古い都市で古代ギリシャや古代ローマの植民地だったそうです。ルーマニアで最大の港町で保養地です。
ルーマニアの名前が古代ローマ帝国の植民地から由来しているように、ローマ時代の遺跡があります。
市街地を馬車が荷物を運んでいました。
この当時、ルーマニアの大統領はチャウシェスクでソビエト政府から距離をおいた姿勢が西側にも評価されていました。日本にも正式訪問しています。しかし、共産主義政権の崩壊時はテレビでもその姿が放映されたように惨めのものでした。
船はボスポラス海峡を通過してイスタンブールに到着しました。船からモスクが沢山見えてイスラムの国に来たと感じました。ここイスタンブールでは、下船せずギリシャまで行ってから、また再びイスタンブールに戻ります。
ボスポラス海峡、ダーダネルス海峡は戦略的に重要であるため米国の空母が配置されていました。ソビエトの黒海艦隊への対峙や中東諸国への睨みを効かせるためです。
イスタンブールを出航して、ダーダネルス海峡を通ってエーゲ海に向かいます。