明治41年に制定されたまま耐用年数を過ぎても使っていた「監獄法」が改正され、昨年「刑事施設及び受刑者の処遇等に関する法律」(新法)に衣替えしたが、今年、未決拘禁者(裁判手続き中の身柄拘束者)の処遇も含むものとして、「刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律」(新々法)となってさらに新しくなった。とってもややこしいので、以下、新法、新々法とします。
この過程でなんと受刑者・未決拘禁者の自由が後退しているというのだ…。世界でも有名な刑務所・拘置所内の人権侵害国日本が、新しい法律を制定する過程で、さらに受刑者・未決拘禁者に厳しい国となっている…。一度過ちを犯したらもう二度と立ち直れないような仕組みにしようとしているのだろうか…。いやいや、未決拘禁者についていえば、本来、無罪推定が働き、外部と同様の自由が保障されなければならないはずなのに、防御権すら侵害されている。皆さん、わが日本がそんな国であることが恥ずかしくはないでしょうか?
刑務所・拘置所内の人権侵害悪化について、レポートしているのは、監獄人権センター事務局。同センター通信51号に掲載されている。これは、全文が、まもなく、News for the People in Japan(※1)に掲載される予定だ。
主なところを抜粋すると、次のとおり。
■未決拘禁者の手紙発信通数制限~無罪推定なのに…■
未決拘禁者についても、外部交通を中心に従来の運用を後退させたケースが目立つ。一例を挙げれば、東京拘置所では、従来1日2通認められたいた通常発信が1通に制限され、特に緊急の用件の場合に通常発信を超えて認められていた特別発信もほとんど認められなくなった。これは、新々法136条で、受刑者の発信道教の最低限を「一月につき四通」と規定した法130条2項を未決拘禁者について読み替えるに当たり、「一日につき一通」としているためである。
しかし、一読して明らかなように1日1通はあくまで最低限の保障であって、従来2通認めていたものを1通に後退させる必然性は何もない。また、この1通から除外されるのは弁護人あての信書だけで、弁護人以外に訴訟準備のために発する信譜が除外されていないのも問題である。2年後の裁判員法施行により集中審理が本格化すれば、弁護人あてだけでは訴訟準備もままならない局面も予想される。未決
被拘禁者の防御権保障に具体的な支障をもたらしかねない制限であり、速やかな改善を求めたい。
多くの未決拘禁者にとっては、訴訟準備用を除いた通常の信書は平均すれば1日1通で足りるかもしれないが、実は「平均」はあまり意味を持たない。必要なときに必要な通数発信できない不自由は相当な苦痛である。それが刑罰ならいざ知らず、無罪を推定される未決拘禁者がその苦痛を甘受させられるいわれはない。従来の1日2通はそれを避けるための余裕という意味もある。
■手紙発信申請日の制限■
大きい法律レベルの改訂は、信書の発信の形式上の制限に関する法130条である。旧受刑者処遇法(=新法)97条1項では「受刑者が発する信書の作成要領及び通数並びに受刑者の信書発受の方法について」法務省令で制限できるにすぎなかった。これが新々法130条1項では「受刑者が発する信書の作成要領、その発信の申請の日及び時間帯、受刑者が発信を申請する信書の通数並びに受刑者の信書の発受の方法について」と改められている。この規定は、未決拘禁者と死刑確定者にも準用される。特に申請日の制限が明記されたこと、実際に発信する通数ではなく「発信を申請する通数」の制限が認められたことの2点が重要である。新々省令における主な改訂も、この発信日と発信申請に関する規定に尽きている。新々法と新々省令のこの規定を受けて、実際の運用としては、発信の申請日を週2回に限定し、これを逃すと月の発信通数がまだ残っていても事実上発信させない扱いをしている施設が多い。また、信書の内容や相手方によって不許可とされた発信も「申請数」としてカウントされ、受刑者は発信回数が減少するリスクをおかしたくなければ相手方や内容について自主規制をせざるをえなくなる。これによって、施設側の検閲作業や発送作業は合理化されるであろうが、被収容者にとっては事実上発信通数を制限されたのと同様の結果になる。
■友人にも会えない…■
新法に基づく通達では、「法第111条第2項の規定により面会を許すことができる場合としては、面会の申出をした者が受刑者の友人や知人、学生時代の恩師、会社関係者等であることその他の事情により面会の必要が認められ、かつ、次のアからウまでのような事情が認められるときなどが考えられること。
なお、上記の場合以外の場合であっても、刑事施設の長が適当と認めるときは,面会を許して差し支えないこと。
ア 身元が明らかであること。
イ 未決収容時の外部交通の状況その他の事情から、受刑者と良好な交友関係にあり、その関係を維持することで改善更生及び円滑な社会復帰に支障を及ぼすおそれがないこと。」
とされ、このイの規定に基づいて未決時に信書や面会の事実が認められる場合には、比較的広範に友人・知人の面会が認められてきた。
ところが、この点について新々法に基づく通達では、イの項目が全面的に以下のように書き換えられた。
「知人・友人との交友関係を維持するための面会は、受刑者が知人・友人と継続的に交際を行ってきたことが認められる場合に許すことができること。したがって、このような知人・友人との継続的な交際の事実があることの確認ができていない場合にあっては、受刑者又は面会の相手方の主観的な届出等の内容はともかくとして、客観的にその事実の確認ができるまでは、必ずしも面会を許すことにはならないこと。面会を許す場合には、これに加えて、その関係を維持することで改善更生及び円滑な社会復帰に支障を及ぼすおそれがないことが明らかであること。」
これは、明らかに原則と例外を入れ替えた通達であるといわなければならない。
この通達は法自体が 「但し、その許否の判断に当たっては適正な外部交通により、知人・友人との交友関係を維持することが改善更生及び円滑な社会復帰に資するものであることに留意しなければならない」(法110条)とした趣旨にも明らかに反している。前通達に速やかに戻すことを求める。
本当にこれでは、被告人が自分の防御をすることはままならず、服役者は社会から断絶され、社会復帰がままならなくなることは明白だ。
このような実態を少しでも多くの方に知って頂きたいということで、監獄人権境界では、「2007連続セミナー(プリズン・アドバイザー養成講座)」を10月開催する予定だ。詳しくは、http://www.jca.apc.org/cpr/2007/07renzoku-semi.htmlまで。
※1:http://www.news-pj.net/pdf/2007/keimusho_jinken-20070918.pdf
★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
★「News for the People in Japanを広めることこそ日本の民主化実現への有効な手段だ(笑)」(ヤメ蚊)
※このブログのトップページへはここ←をクリックして下さい。過去記事はENTRY ARCHIVE・過去の記事,分野別で読むにはCATEGORY・カテゴリからそれぞれ選択して下さい。
また,このブログの趣旨の紹介及びTB&コメントの際のお願いはこちら(←クリック)まで。転載、引用大歓迎です。なお、安倍辞任までの間、字数が許す限り、タイトルに安倍辞任要求を盛り込むようにしていましたが(あまり実行できなかったが…)、辞任したので中止します(ここ←クリック)。
この過程でなんと受刑者・未決拘禁者の自由が後退しているというのだ…。世界でも有名な刑務所・拘置所内の人権侵害国日本が、新しい法律を制定する過程で、さらに受刑者・未決拘禁者に厳しい国となっている…。一度過ちを犯したらもう二度と立ち直れないような仕組みにしようとしているのだろうか…。いやいや、未決拘禁者についていえば、本来、無罪推定が働き、外部と同様の自由が保障されなければならないはずなのに、防御権すら侵害されている。皆さん、わが日本がそんな国であることが恥ずかしくはないでしょうか?
刑務所・拘置所内の人権侵害悪化について、レポートしているのは、監獄人権センター事務局。同センター通信51号に掲載されている。これは、全文が、まもなく、News for the People in Japan(※1)に掲載される予定だ。
主なところを抜粋すると、次のとおり。
■未決拘禁者の手紙発信通数制限~無罪推定なのに…■
未決拘禁者についても、外部交通を中心に従来の運用を後退させたケースが目立つ。一例を挙げれば、東京拘置所では、従来1日2通認められたいた通常発信が1通に制限され、特に緊急の用件の場合に通常発信を超えて認められていた特別発信もほとんど認められなくなった。これは、新々法136条で、受刑者の発信道教の最低限を「一月につき四通」と規定した法130条2項を未決拘禁者について読み替えるに当たり、「一日につき一通」としているためである。
しかし、一読して明らかなように1日1通はあくまで最低限の保障であって、従来2通認めていたものを1通に後退させる必然性は何もない。また、この1通から除外されるのは弁護人あての信書だけで、弁護人以外に訴訟準備のために発する信譜が除外されていないのも問題である。2年後の裁判員法施行により集中審理が本格化すれば、弁護人あてだけでは訴訟準備もままならない局面も予想される。未決
被拘禁者の防御権保障に具体的な支障をもたらしかねない制限であり、速やかな改善を求めたい。
多くの未決拘禁者にとっては、訴訟準備用を除いた通常の信書は平均すれば1日1通で足りるかもしれないが、実は「平均」はあまり意味を持たない。必要なときに必要な通数発信できない不自由は相当な苦痛である。それが刑罰ならいざ知らず、無罪を推定される未決拘禁者がその苦痛を甘受させられるいわれはない。従来の1日2通はそれを避けるための余裕という意味もある。
■手紙発信申請日の制限■
大きい法律レベルの改訂は、信書の発信の形式上の制限に関する法130条である。旧受刑者処遇法(=新法)97条1項では「受刑者が発する信書の作成要領及び通数並びに受刑者の信書発受の方法について」法務省令で制限できるにすぎなかった。これが新々法130条1項では「受刑者が発する信書の作成要領、その発信の申請の日及び時間帯、受刑者が発信を申請する信書の通数並びに受刑者の信書の発受の方法について」と改められている。この規定は、未決拘禁者と死刑確定者にも準用される。特に申請日の制限が明記されたこと、実際に発信する通数ではなく「発信を申請する通数」の制限が認められたことの2点が重要である。新々省令における主な改訂も、この発信日と発信申請に関する規定に尽きている。新々法と新々省令のこの規定を受けて、実際の運用としては、発信の申請日を週2回に限定し、これを逃すと月の発信通数がまだ残っていても事実上発信させない扱いをしている施設が多い。また、信書の内容や相手方によって不許可とされた発信も「申請数」としてカウントされ、受刑者は発信回数が減少するリスクをおかしたくなければ相手方や内容について自主規制をせざるをえなくなる。これによって、施設側の検閲作業や発送作業は合理化されるであろうが、被収容者にとっては事実上発信通数を制限されたのと同様の結果になる。
■友人にも会えない…■
新法に基づく通達では、「法第111条第2項の規定により面会を許すことができる場合としては、面会の申出をした者が受刑者の友人や知人、学生時代の恩師、会社関係者等であることその他の事情により面会の必要が認められ、かつ、次のアからウまでのような事情が認められるときなどが考えられること。
なお、上記の場合以外の場合であっても、刑事施設の長が適当と認めるときは,面会を許して差し支えないこと。
ア 身元が明らかであること。
イ 未決収容時の外部交通の状況その他の事情から、受刑者と良好な交友関係にあり、その関係を維持することで改善更生及び円滑な社会復帰に支障を及ぼすおそれがないこと。」
とされ、このイの規定に基づいて未決時に信書や面会の事実が認められる場合には、比較的広範に友人・知人の面会が認められてきた。
ところが、この点について新々法に基づく通達では、イの項目が全面的に以下のように書き換えられた。
「知人・友人との交友関係を維持するための面会は、受刑者が知人・友人と継続的に交際を行ってきたことが認められる場合に許すことができること。したがって、このような知人・友人との継続的な交際の事実があることの確認ができていない場合にあっては、受刑者又は面会の相手方の主観的な届出等の内容はともかくとして、客観的にその事実の確認ができるまでは、必ずしも面会を許すことにはならないこと。面会を許す場合には、これに加えて、その関係を維持することで改善更生及び円滑な社会復帰に支障を及ぼすおそれがないことが明らかであること。」
これは、明らかに原則と例外を入れ替えた通達であるといわなければならない。
この通達は法自体が 「但し、その許否の判断に当たっては適正な外部交通により、知人・友人との交友関係を維持することが改善更生及び円滑な社会復帰に資するものであることに留意しなければならない」(法110条)とした趣旨にも明らかに反している。前通達に速やかに戻すことを求める。
本当にこれでは、被告人が自分の防御をすることはままならず、服役者は社会から断絶され、社会復帰がままならなくなることは明白だ。
このような実態を少しでも多くの方に知って頂きたいということで、監獄人権境界では、「2007連続セミナー(プリズン・アドバイザー養成講座)」を10月開催する予定だ。詳しくは、http://www.jca.apc.org/cpr/2007/07renzoku-semi.htmlまで。
※1:http://www.news-pj.net/pdf/2007/keimusho_jinken-20070918.pdf
★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
★「News for the People in Japanを広めることこそ日本の民主化実現への有効な手段だ(笑)」(ヤメ蚊)
※このブログのトップページへはここ←をクリックして下さい。過去記事はENTRY ARCHIVE・過去の記事,分野別で読むにはCATEGORY・カテゴリからそれぞれ選択して下さい。
また,このブログの趣旨の紹介及びTB&コメントの際のお願いはこちら(←クリック)まで。転載、引用大歓迎です。なお、安倍辞任までの間、字数が許す限り、タイトルに安倍辞任要求を盛り込むようにしていましたが(あまり実行できなかったが…)、辞任したので中止します(ここ←クリック)。
このままでは刑事施設に収容されている人の知る権利が後退していくのではないかと懸念しています。
無罪推定だけでなく、手続きの正しさ保証に問題のおそれがありそうですね。考えてみたいので、転載させてくださいね。
「かもしれません。」とありますが、それは違いますよ。
『累犯障害者』を読むことをお勧めします。
Amazonで、累犯障害者で検索すれば、直ぐに見つかりますので。
社会的弱者(老人、障害者など)が、生活を出来ず軽微な犯罪を繰り返して、わざと捕まり、刑務所でしか生きていけないということがあります。
http://hakusyo1.moj.go.jp/nss/list_body?NSS_BKID=48&HLANG=&NSS_LEVSTR=2_5_3_2_2
ここが参考となる統計があります。
また、殺人等の凶悪と言われる犯罪を犯した人は、刑期を終わっても、社会に受け入れてもらえず、また犯罪者になると事が多いです。
治安と言えば、東京の警視庁でしたか、現在窃盗検挙率が100%越え!して、過去の分まで挙げてるんだそうで。
ジュリアーニ方式でしょうか?
相変わらずアメリカアメリカ…
責任逃れですよね。。。
人間の命の重さを分かってない人が、法務大臣になってしまう。。。。「恐ろしい国、日本」
この国は苦労知らずのお坊ちゃま達が政権をお取りになるので、人の痛み、苦しみを理解できない。
弱者いじめの政治になるんですよね。
一日8万の病室に入れるんですから。。。。
一ヶ月8万のお給料の人の苦しみがわかるはずないんですよ!!
自分は実は、東南アジアで(違法な)蝶の採集に付き合ってくれた在留邦人の大怪我に関わってた癖に!厚かましい。
(その在留邦人は、大怪我が原因で亡くなられたそうですが…。)