情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)日隅一雄

知らなきゃ判断できないじゃないか! ということで、情報流通を促進するために何ができるか考えていきましょう

「現実の悪意の法理」の出番だ~権力批判を封殺させないために…

2008-03-23 23:39:09 | メディア(知るための手段のあり方)
 インターネットのホームページ(HP)での書き込みについて名誉棄損罪に問われた会社員に対する無罪判決が先日、東京地裁で言い渡された。旧聞に属するが、重要な判決なので、コメントしたい。この判決は、「真実でないと知りながら発信した場合か、インターネット個人利用者に要求される水準の事実確認を行わずに発信した場合に、名誉毀損罪が成立する」というものだ。どこかで聞いたことがないだろうか。そう、この考え方は、公的存在に関する「現実の悪意の法理」に近い。そういう意味で非常に画期的な判決だ。検察は控訴したが、高裁も現代社会における表現の自由が十分に保障されるような積極的な判断をしてほしい。

 判決は前述の通り、ネットユーザーの書き込みに関する名誉棄損について「真実でないと知りながら発信した場合か、インターネット個人利用者に要求される水準の事実確認を行わずに発信した場合に、名誉毀損罪が成立する」との新たな基準を提示した。そして、その効果として「自己検閲により委縮することなく、憲法二一条が確保される」と示したという。

 他方、「現実の悪意の法理」とは、「公務員や有名人などの公的存在に関する名誉毀損については、真実でなかったとしても、表現をした者が真実でないことを知っていたか、真偽について十分な関心を払わず無視したことを書かれた側が立証できた場合に限って書いた側は責任を負う」というものだ。明らかに地裁は、現実の悪意の法理にヒントを得たと思う。

 そして、地裁は、新基準の根拠として、(1)ネット利用者は相互に送受信でき、書き込みに対して被害者は反論できた(2)メディアや専門家が従来の媒体を使った表現とは対照的に、個人がネット上で発信した情報の信頼性は一般的に低いと受け止められている(3)現代社会では公共の利害に関する事実について真実性を立証するのは困難などと指摘したという。

 このうち、(2)については、疑問があるが、(1)と(3)については、「現実の悪意の法理」の根拠にも当てはまると思われる。

 「現実の悪意の法理」とは、「公務員や有名人などの公的存在に関する名誉毀損については、真実でなかったとしても、表現をした者が真実でないことを知っていたか、真偽について十分な関心を払わず無視したことを書かれた側が立証できた場合に限って書いた側は責任を負う」というものだ。

 米国の判例法理だが、個人的には、
 ①権力を行使する者はその権力の大きさに比例してより厳しく監視されることを容認しなければならず、名誉毀損的表現も受忍せざるを得ない、
 ②権力を行使する者は通常、一般人よりも、自らの発言がマスメディアなどに取り上げられる機会が多いため、自ら反論をなしうる、
 ③権力を行使する者は大量の情報を有しているのに対し、報道する側は情報量が少なく、権力を行使する側が情報を開示しなかった場合、報道内容が真実であることを証明することが困難である…ということがこの法理の根拠になると思う。

 このうち、今回の判例の(1)は反論をなし得るという点で、私見の②に該当し、判例の(3)は真実性の立証が困難という意味で、私見の③に該当する。

 たとえば、米国のイラク戦争開戦時に、大統領が挙げた開戦理由(A:大量破壊兵器の存在、B:イラク政権がアルカイーダをバックアップしている)は嘘っぱちだという記事を書いたとしよう。

 当時、大統領に名誉毀損だとして訴えられた場合、メディアはどこまで嘘だということが立証できただろうか。書く側は政権内部の良識派から情報を得て書いたかもしれないが、そんな情報筋を明らかにするわけにはいかない。そうなると、嘘だという情報があってもそれを書くことができないことになる。まさに、「自己検閲」することになるのだ。

 開戦後数年を経てようやく開戦時の理由はすべて嘘っぱちだったことが分かったが、権力側は開戦段階で、開戦理由が単に口実でしかないことを知っていた。ただ、その情報を明らかにしなかっただけだ。このように、権力が情報を握っていることについて批判をするのに、権力が情報を明らかにしなければ、批判が真実であってもそれを立証できないことはありうることだ。

 だからといって批判を控えたら、メディアの社会的責任は果たせない。たとえば、イラク戦争によって、何人の尊い命が失われたことだろう…。

 メディアが権力を批判する場合、今回のインターネットに関する判決と同様、現実の悪意の法理が適用されるべきであり、今回の地裁判決はその方向に途を開くものだと思う。

 東京高裁は、正面からこの問題に取り組み、性根の座った判決を下してほしい。

 最後に、現実の悪意の法理に関する最高裁の少数意見(谷口裁判官)を紹介したい。


【一 憲法二一条二項、一項は、公的問題に関する討論や意思決定に必要・有益な情報の自由な流通、すなわち公権力による干渉を受けない意見の発表と情報授受の自由を保障している。そして、この自由の保障は、多数意見に示すとおり活力ある民主政治の営為にとつて必須の要素となるものであるから、憲法の定めた他の一般的諸権利の保護に対し、憲法上「優越的保障」を主張しうベき法益であるといわなければならない。この保障の趣旨・目的に合致する限り、表現の自由は人格権としての個人の名誉の保護に優先するのである。
 したがつて、雑誌記事等による表現内容が公務員、公選による公職の候補者についての公的問題に関するものである場合には、これを発表し、討論し、意思決定をするに必要・有益な情報の流通を確保することの自由の保障が右公務員、公選による公職の候補者の名誉の保護に優先し、これらの者の名誉を侵害・毀損する事実を摘示することも正当とされなければならず、かかる記事を公表する行為は違法とされることなく、民事上、刑事上も名誉毀損としての責任を問われることはない。

 二 そこで、進んで、人格権としての個人の名誉と表現の自由という二つの法益が抵触する場合に、公的問題に関する自由な討論や意思決定を確保するために情報の流通をどの限度まで確保することが必要・有益か、特に、真実に反する情報の流通をどこまで許容する必要があるかが問われることになる。
 思うに、真実に反する情報の流通が他人の名誉を侵害・毀損する場合に、真実に反することの故をもつて直ちに名誉毀損に当たり民事上、刑事上の責任を問われるということになれば、一般の市民としては、表現内容が真実でないことが判明した場合にその法的責任を追及されることを慮り、これを危惧する結果、いきおい意見の発表ないし情報の提供を躊躇することになるであろう。そうなれば、せつかく保障された表現の自由も「自己検閲」の弊に陥り、言論は凍結する危険がある。
 このような「自己検閲」を防止し、公的問題に関する討論や意思決定を可能にするためには、真実に反した言論をも許容することが必要となるのである。そして、学説も指摘するように、言論の内容が真実に反するものであり、意見の表明がこのような真実に反する事実に基づくものであつても、その提示と自由な討論は、かえつてそれと矛盾する意見にその再考と再吟味を強い、その意見が支持されるべき理由についてのより深い意見形成とその意味のより十分な認識とをもたらすであろう。このような観点に立てば、誤つた言論にも、自由な討論に有益なものとして積極的に是認しうる面があり、真実に反する言論にも、それを保護し、それを表現させる自由を保障する必要性・有益性のあることを肯定しなければならない。公的問題に関する雑誌記事等の事前差止めの要件を考えるについては、先ず以上のことを念頭においてかからなければJらない。(誤つた言論に対する適切な救済方法はモア・スピーチなのである。)

 三 そこで、事前差止めの要件について検討する。
 さて、表現の自由が優越的保障を主張しうべき理由については、先に述べたとおりである。その保障の根拠に照らして考えるならば、表現の自由といつても、そこにやはり一定の限界があることを否定し難い。表現内容が真実に反する場合、そのすベての言論を保護する必要性・有益性のないこともまた認めざるをえないのである。特に、その表現内容が真実に反するものであつて、他人の人格権としての名誉を侵害・毀損する場合においては、人格権の保護の観点からも、この点の考慮が要請されるわけである。私は、その限界は以下のところにあると考える。すなわち、表現の事前規制は、事後規制の場合に比して格段の慎重さが求められるのであり、名誉の侵害・毀損の被害者が公務員、公選による公職の候補者等の公的人物であつて、その表現内容が公的問題に関する場合には、表現にかかる事実が真実に反していてもたやすく規制の対象とすベきではない。しかし、その表現行為がいわゆる現実の悪意をもつてされた場合、換言すれば、表現にかかる事実が真実に反し虚偽であることを知りながらその行為に及んだとき又は虚偽であるか否かを無謀にも無視して表現行為に踏み切つた場合には、表現の自由の優越的保障は後退し、その保護を主張しえないものと考える。けだし、右の場合には、故意に虚偽の情報を流すか、表現内容の真実性に無関心であつたものというべく、表現の自由の優越を保障した憲法二一条の根拠に鑑み、かかる表現行為を保護する必要性・有益性はないと考えられるからである。多数意見は、表現内容が真実でなく、又はそれが専ら公益を図る目的のむのでないことが明らかな場合には、公的問題に関する雑誌記事等の事前差止めが許容されるというが、私は、この点については同調できない。思うに、多数意見も認めているように、記事内容が公務員又は公選による公職の候補者に対する評価、批判等であるときは、そのこと自体から公共の利害に関する事項であるといわなければならないわけで、このような事項については、公益目的のものであることは法律上も擬制されていると考えることもできるのである(刑法二三〇条ノ二第三項参照)。したがつて、かかる表現行為について、専ら公益を図る目的のものでないというような不確定な要件を理由として公的問題に関する雑誌記事等の事前差止めを認めることは、その要件が明確な基準性をもたないものであるだけに、表現の自由の保障に対する歯止めとはならないと考えるからである。】


クール!(今は、格好いいって、クールって言わないのかな…)




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1 コメント

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でッ、でわ…ッ! (田仁)
2008-03-24 20:37:17
国民投票法案の「公務員箝口令」は、憲法21条に反していて、違憲なんですね!!!
ま、元々靖国原理主義与党が通したインチキ法案とは思ってましたが。
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