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情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)日隅一雄

知らなきゃ判断できないじゃないか! ということで、情報流通を促進するために何ができるか考えていきましょう

国民をばかにするな~って私じゃないよ、長谷川眞理子さんだよ

2006-11-26 03:02:45 | 教育基本法・やらせ質問
信濃毎日新聞社が今日の視角で、長谷川眞理子教授(←クリック)の怒りの声を取り上げている。

■■引用開始■■
 タウンミーティングでの文科省などによる「やらせ」質問問題が話題となっている。どんなことだったのか、徹底的に調査して、関係者の処分も考えるという政府の方針が報道されていたが、この問題は、もっともっと重大なゆゆしき問題であると思う。

 実際、私はこの話を聞いて呆(あき)れるとともに、心底、怒りを感じている。教育基本法改正を国民が望んでいるという雰囲気をつくり出すため、そのような意見や質問をあらかじめ書いて参加者に渡し、あくまでも自分の意見であるかのように、わざとらしくなく言ってくれという指示までつけたということだ。

 これは、民主主義の根幹を無視した態度であり、国民をばかにするにもほどがある。呆れるほど稚拙なやり方で行われた、たいへんに汚い、卑怯(ひきょう)で悪質な行為である。

 最近、研究費の不正使用、データのねつ造など、科学者の倫理が問われる問題がいくつか発覚し、科学者の信用が大きく傷つけられた。いずれも、科学者としてやってはならない悪事である。科学者個人の問題ばかりでなく、なぜこんなことが発生するのか、科学研究をめぐる今日の状況についても、大いに議論がなされた。

 たとえば、現在の研究費の使い方の規則が、研究の実情にあっていない、研究費獲得のための過当競争が、安易な論文多作を促す、などの一般的状況が、指摘されている。そして、科学者の倫理に関する指針が、政府からも、学者の団体である日本学術会議からも出された。それは、科学者の不正の問題の根が、単に特定の個人の悪行のみならず、科学という営み全体のあり方にもあると考えられたからだ。

 それと同様に、今回の「やらせ」問題も、文科省の特定の官僚が起こした不祥事というだけでなく、文科省という組織全体に、このような稚拙なやらせを起こさせる何かがあるのではないだろうか。日本の教育、科学、技術、文化すべての政策にかかわる人々がどんな「文化」を持っているのかと考えると、寒々とした思いを禁じ得ない。
■■引用終了■■

(おまけ)
無料パンフレットの紹介

タイトル:弁護士から見た教育基本法「改正」の問題点~自由法曹団著
入手先:こちら(←クリック)
教育基本法の問題点を丁寧に説明したパンフレット。PDFになっており、全て無料で見ることができます。ぜひ、一読を。忙しい方はQ&Aだけでもご覧下さい。





★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
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26 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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追加です。 (東西南北)
2006-12-03 03:03:07
 僕が卒業した大学でも善い先生は存在しました。

 英作文の外国人の先生は1年目は僕を落第させましたが、最履修の2年目は「卒業させます」と僕に言ってくれて単位を認定してくれました。もちろん、僕は1年間で2回しか授業に出席せず、しかもテスト、提出物も一切なし、です。しかし、先生は僕に単位を認定してくれました。この先生の名前は生涯に渡たり忘れることはないし、腹の底から感動しました。こんな先生もいるのだなあ、社会を政治・経済体制を革新する意欲が湧き出てきました。さらには、将来なんらかの形で僕も先生の力に成れることはしたい、と思いました。当然のことだと思います。

 日本思想史の先生も比較的に善い先生でした。「レポートは出してくれないと困るよ」ということでしたので、出席は1年間で2,3回でしたが、「2400字程度のレポート」を出しました。単位を認定してくれました。この先生は「レポートのテーマも完全に自由」でした。すなわち、授業内容をまったく踏まえてなくともよい、ということだあり、課題図書の指定もありませんでした。

 西洋美術史の先生は「2000字程度のレポートを年二回提出すれば、出席は自由」でした。しかし、課題テーマを指定されていたので、当然に書籍もテーマに合わせて限定されました。ですから、窮屈でしたね。でも、比較的に善い先生でした。出席を強要されないわけです。出席を強要する先生は最悪なわけです。

 必修科目である外国語の先生は、その典型です。すなわち、「前期で欠席が5回あれば、即、落第」「後期も同様」「通年課程であれば、前期・後期で9回欠席で即、落第」です。もちろん、レポート提出・受験資格もありません。完全に、出席強要なわけです。僕にとっては「拷問」だったわけです。

 体育も同じです。出席をしていないと絶対に単位は認定されない仕組みでした。これも僕は通年課程でしたから、年7回欠席すれば、即、落第でした。

 とにかく、理想は英作文の先生でしたが、次善の策としては日本思想史、西洋美術史の先生のやり方だと考えます。この先生方も授業では積極的に日本社会をどうして行くか、問題点は何か、労使関係、民主主義社会と国家権力の関係をどう変えて行くか、などの主張はしておらず、随分と昔の学者の文献を取り上げてスライドを見せたりしながら、「講義」「研究発表」しておりました。今現在の社会、政治、経済問題とどのように関連してくるか、という講義ではありませんでした。あるいは、今現在にある社会、政治、経済問題を解決して行く場合に不可欠に必要となる、という社会的意義の説明がありませんし、学生との議論もありませんでした。
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反論しておきます。 (東西南北)
2006-12-03 02:04:27
  kaetzchenさんへ

 kaetzchenさんの態度と思考が学生を管理する典型的な上命下達の文科省流の支配ですから、ここに反論しておきます。後は、読者のみなさんが判断してください。

教育機関には、およそ2つの立場があります。現在の教育基本法改定の問題と密接に関係しますから、よくよくご検討ください。

 ①不登校児、「落ちこぼれ」児童、生徒、学生、院生の立場から大学教授の管理面(その背景は自公連立政権と経団連・アメリカ政府、資本)へ矛先を向けるか立場か。

 ②学生への管理を強める上命下達の立場から不登校児、「落ちこぼれ」の児童、生徒、学生、院生を「ドロップアウト組」「軟弱」「幼稚」「身勝手」「つまらない」「卑怯者」「学生自治活動を敗北させている学生が悪い」「失礼な奴」「学問と資本主義社会を舐めている」「金払って大卒の資格をとりたいだけの後ろ向きの学生」「社会への関心のない無気力な学生」「非現実的」「真面目に出席し、教授に従っている学生の足を引っ張っている」「授業に出席しない者は学校を辞めてくれたほうがよい。なぜなら、真面目に先生の授業を学んでいる者の意欲を殺ぐから」等、いろいろありますが、要するに教育体制、教職員教授、大学機関が悪いのではなくて「大学のカリキュラムと教授の講義計画の内容と方法に従わない学生」が悪い、「従えないのならば大学なんか通学しなくてよい」、という立場に立つか、です。

 僕は①の立場ですが、大学の講師であるkaetzchenさんは、どうも②の立場のようです。

 つまり、

 ①「大学を卒業したければ、大学のカリキュラムと教授の講義方法と内容に従いなさい」というのはごく当然のことです。それが嫌なら大学など最初から行かなければ良い。お金の無駄ですから,そのお金で専門学校へ行くなりすれば良かった」

 ②「東西南北さんの言われるような「日本語の教養書とか新聞紙を読んで、日本国をどうして行くか、問題点は何か、などを議論して、発表する」などは寧ろ社会科学サークルや新聞部などで行うべき,課外活動でしょう」

 ①については「個人の尊厳」に基づく学習権を理解していないことになります。教職員の「教育権」は国家権力に対して主張するものであり、学生に対して主張するものではありません。学生には学習権があり、学生の学習権を国家権力から守り、育てるために教職員は国家権力に対して学生の学習権を主張するのです。それを「大学のカリキュラムと教授の講義計画の方法と内容に従わねば大学を卒業させない」というのであれば、学生からすれば国家権力による管理・支配が大学理事会、教授会、教職員による管理・支配にすりかわっただけとなり、荒唐無稽なわけです。そもそも、教職員は学生の学習権を守り、育てるために国家権力に教職員の教育権を主張していたわけです。それを教職員が学生に対して「大学のカリキュラム、授業計画に従わないならば卒業させない」ということであれば、教職員は学生を自分たちの管理下におくのはよいことだが、国家権力の管理下に置くのは悪い、といっていることと同義です。比喩的に言えば、資本主義体制下の大学機関には従う必要はないが、社会主義体制下の大学機関には従う必要がある、という共産主義的独裁体制に通ずるものを感ぜざるをえません。

 一体、人間の学習権に基づく「自由と民主主義」とは学校の置いては、「大学のカリキュラムと教授の講義計画の方法と内容に従うこと」なのでしょうか。

 それとも、一人一人が「日本語の教養書とか新聞紙を読んで、日本国社会や国際社会をどうして行くか、問題点は何か、などをお互いに議論して、発表していくことを支援することが教育のあり方なのか、です。

 2つの立場が鋭く対決しているわけです。もちろん、後者の学習者中心の学校教育体制こそ教育基本法と憲法が志向する学校教育体制のあり方ではないでしょうか。

 ②については、学生に対して課外活動に必要な教育条件を教職員と国家権力が整備することは当然です。しかし、課外活動の内容こそ、学生の自主的な学習活動であり、これを正規の講義計画に取り入れて学生を支援することこそ必要な措置です。それをしないで学生が自主的に学習するようなことは授業外でしなさい、というのであればまたもや本末転倒ではありませんか。学生の自主性・社会貢献性を育て、支援することが大学の授業時間ではありませんか。それとも、教授の研究方法と内容を学生に「詰め込む」ことが授業時間なのでしょうか。大学卒業をさせないこと、高額費の自己負担、出席不良の学生への蔑視、等の「見せしめ」「制裁」を手段に教授の研究方法と内容を「詰め込む」ことが「教育」なのでしょうか。これは「調教」、「独裁」ではないですか。

 以上です。児童、生徒、学生の立場から物事を思考し、教壇に立つ者であれば、kaetzchenさんのような発言と態度はありえないのです。
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社会人入試受けて,勉強し直したらどうです? (kaetzchen)
2006-12-02 19:13:46
 東西南北さんの余りにも幼稚な論理に呆れ返って,唖然状態です。あなたは結局「大卒」という肩書きが欲しくて大学へ高い授業料やらを支払った「お客さん」だった訳ですね。(^^;)

| 「伝統的」学術の方法論は強固でした。

 当たり前じゃないですか。私のブログの「この調子で行け行け! 金貸しにカネ返す義務はない!」http://blog.goo.ne.jp/kaetzchen/e/45b39d97af48a750ad34dfbc1f52f976 のコメントの最後でも書きましたけど,「大学を卒業したければ、大学のカリキュラムと教授の講義方法と内容に従いなさい」というのはごく当然のことです。それが嫌なら大学など最初から行かなければ良い。お金の無駄ですから,そのお金で専門学校へ行くなりすれば良かった。

 先日も書きましたけど,翻訳というのは必ず間違いが起こります。これはある程度外国語に精通すると分かってくるのですけど,下手に「漢語」に「翻訳」すると誤解を生じることが,特に社会科学の分野には非常に多い(これは英語やドイツ語などでマルクスやエンゲルスやレーニンを読まれた人は痛感しているはず)。逆に言うとそういうことをきちんと高校時代や大学の入学時にレクチャーされていれば,東西南北さんは外国語学習を「拷問」と思わずに済んだかも知れないのです。(つまり,大学に留まるか,辞めるかを選択できた)

 前回のコメントで書いたように,私の専門分野は極めて進歩が速いため,改訂が毎年なされ,日本語版は約1年遅れで出版されます。つまり日本語版を読んでいる時点で既に落ちこぼれているのです。つまり,生物・化学関係の理科系は英語の読み書きが出来ない時点でアウトなんです。板書も英語だし講義も半分英語だしレポートも英語というのが当たり前の世界です。

 逆に,東西南北さんの言われるような「日本語の教養書とか新聞紙を読んで、日本国をどうして行くか、問題点は何か、などを議論して、発表する」などは寧ろ社会科学サークルや新聞部などで行うべき,課外活動でしょう。物好きな顧問の先生の研究室にたむろして活動させてもらうという手もありますよ。こういうのは外国語の洋書で専門分野の本を読めるようになって初めて学問となり単位として認定されるものです。つまり,文系で言う「外書講読」という奴ですね。(理科系でも土木・建築なんかだと全んど洋書と縁がない分野もありますが)


| 大学の現状は大学教授の研究発表機会であり、資格取得のための「職業訓練機関」です。到底、民主主義社会の主権者を育成するような実態ではありません。

 それは考え違いをしています。大学の学部というのは所詮,資格を取るための「手習い」に過ぎません。私から見れば学部生や修士の院生なんていうのは所詮「お客さん」に過ぎず,博士に上がってきてようやくまともに面倒見てやろうてのがホンネです。但し,まともに面倒を見るということは,生死を賭けた闘いですから,研究者として一人前になるか,ただの技術者で終わってしまうかという,生涯を決める「面倒見」になるのは当たり前の話です。ちなみに研究発表機会は普通は「学会」や学会が主催する「論文」で行われます。


| 聞く必要のない講義を聴かされることは「拷問」だったわけです。

 うらやましいですね。私の所は学部に上がると朝から夜まで8コマ以上詰め込みで全部必修でしたから,体調崩して半年に3回以上休むと留年が待っていました。「大学を辞めて好きにしたら」とか「中卒でも生活費のために働いている人もいる」という,君の先生のキツい言葉は確かに正論でしょうね。要するに,上に書いたようにサークル活動のような形で社会科学研究をすることができなかった,東西南北さんのコミュニケーション能力に問題があったのではと私は思いますよ。こんな下らないことでいじけていないで,前向きに考えましょう。

 と,いう訳で,これ以上この話題でごたごた書くのはヤメ蚊さんに迷惑ですから,この話題はこれでおしまいにしましょう。文句があったら,上記の私のブログの方でどうぞ。
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満州以来の (田仁)
2006-12-02 14:37:23
偉大なる御用「情報操作」を請け負って来られました電通様は、岸信介元首相のみならず、お孫さんにも上記のようにご愛顧頂いておられたのは、現ファースト・レディーが在籍していた過去もあるからだとか。
美しい国の美しい繋がりでございます、下からは憎いし苦痛と読めますが(古い?)。
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Unknown (kuroneko)
2006-12-02 12:42:08
TBさせていただきました。またTBしていただきまして、ありがとうございます。
うかがってみれば、なにやら本格的な論戦がされています。

教育基本法改定案は、原案、大内裕和氏、高橋哲哉氏の著作を始めある程度は読んでおります。
集会などにいくと、現行法と改定案の対照表などが配られるから、郵政民営化などより反対運動をしている人の理解度は高いのではないかという印象を持っております。
なにせ短い法律ですからね。

反対運動を含め、政治イシューになってしまったのは、「教育」のためにはよくないことだとは思いますね。
ただ、「教育改革」という看板の元に、非常に政治的な意図を持って与党案が出てきたと思っています。
教育の根源的な議論はすべきでしょうが、今は「政治闘争」になっても致し方ないという意見です。
時の流れ、ってあるものなんでしょう。
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ぶっさん@高知へ (ヤメ蚊)
2006-12-02 02:57:00
そうですよね、やらせ発言、やらせ出席…せつないですね。こういうことが平然と行われるのは、やはり組合の力が落ちたことが大きな原因だと思います。出席者自身が組合員かどうかは別にして、いろいろな職場の組合が内部から情報を得て騒ぐ力があったら起きないと思うんです。使用者側天国の国、日本にしたのは、だれだったのでしょうか?
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kaetzchenさんへ (東西南北)
2006-12-01 21:56:23
 こんにちは。書いてくれていいですよ。僕はなんら問題ないです。議論は真理を認識する方法です。もちろん、年少者ですから、僕が間違えている可能性が高いです。僕は大学で教授といろいろと議論しましたが、「伝統的」学術の方法論は強固でした。大学教授の文部省いいなりには、かなり「いじめ」られましたよ。管理的でしたね。理由は「大学を卒業したければ、大学のカリキュラムと教授の講義方法と内容に従いなさい」というものです。外国語の学習は僕にとっては「拷問」でした。日本語の教養書とか新聞紙を読んで、日本国をどうして行くか、問題点は何か、などを議論して、発表することを大学ではしたかったのです。大学の現状は大学教授の研究発表機会であり、資格取得のための「職業訓練機関」です。到底、民主主義社会の主権者を育成するような実態ではありません。

 それでは、大学の研究者であり、教育者でもあるkaetzchenさんの破綻していない「論理」を根本から展開してください。

 追記:僕は大学での教授との議論は今でも全く承服しておりません。大学での僕は出席不良であり、外国語も学習しないで、ほぼ日本語の書籍で独学での論文・レポートを提出してきました。聞く必要のない講義を聴かされることは「拷問」だったわけです。そこで、僕はほとんど大学の講義には出席しないで、独学・我流でやりました。こういう「さぼり」「身勝手」「失礼」「世の中をなめた」僕を者を卒業させていただいたことには感謝しております。

 僕は教授に「大学を辞めて好きにしたら」とか「中卒でも生活費のために働いている人もいる」など、ま、いろいろな論点について徹底的に考えてきましたのでそれなりの自身はありますよ。
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精神分析の必要性があるかなぁ (kaetzchen)
2006-12-01 20:45:28
今まで東西南北さんの,このスレッドでの文章を全部エディタへ移して,論理分析にかけてみたのですけど,結論としては「論理的に破綻している」以上の結論は出ませんでした。

よって,これ以上の議論はムダであり,書けば書くほど東西南北さんが不利な立場へ追い込まれることは確実になりました。まだ年少者であることから,教育上私は彼の発言に対しては一切口を出さないことに決めました。

# 患者だったら,薬飲ませて落ち着かせるんですけどねぇ……。(^^;)
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依頼を受けた方々への謝罪は?? (ぶっさん@高知)
2006-12-01 16:00:43
やめ蚊さん
はじめまして。

お玉さんのお宅経由でたまにうかがっておりました。

長谷川先生のおっしゃること、その通りだと思います。
今回のことは、
(政府のセリフ)「政府の進めようとしている教育改革を『上からの改革』とみなす方もいらっしゃるようですが、そんなことありません。国民のみなさんの声があったからこその『下からの改革』ですよ。」
ということが言いたくて芝居を打った、ということですね。

政府の「仕事熱心なあまり」云々の弁明をおぼえています。ですが、発言依頼を引き受けた(引き受けさせられた)方々に謝罪するべき場面ではないのか? おそらくは信用だけが財産であろう方々です。
「みなさま方の名誉と信用を傷つけるようなことをさせてしまい、まことに申し訳ありませんでした」
というセリフは聞いておりません。
(「引き受けたのはあんたも納得ずくでしょ」といった品のないセリフはNG!)
返信する
kaetzchenさんも元気ですね(笑) (東西南北)
2006-11-30 21:13:58
 いや、嫌味じゃないですよ。僕がリストラされないように外国語をやりなさい、ということでしょうから。けれどもリストラはみんなが外国語が出来るようになったとしてもありますから、リストラの本質ではないです。労働組合も企業も国際化してきているので外国語は企業単位、労働組合単位では必要です。つまり、企業専属の専門分野の翻訳家・通訳。労働組合専属の翻訳家・通訳です。御用学者と民主主義学者ということですね。労働組合の専属の学者と企業専属の学者というわけです。でも、リストラは能力の不足を理由にする場合と組合差別に分けられますから、前者の理由を無くすためには企業に勤労する人々には求められるかもしれませんが、そうしたことは企業の職業訓練でやっていけばよくて、大学は研究職養機関でも、職業訓練所でもないので、主権者の学習を支援していく教育活動を強める方向ではないでしょうか。
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一億総白痴化の論理ですな(笑) (kaetzchen)
2006-11-30 18:36:13
東西南北さん,幾ら屁理屈を言っても,あなたの論法は根本から破綻しています。つまり,外国語を覚えたくないという,戦前のナショナリズムのような腐った考えから来ているからです。

一度,1年か2年ほど,外国で過ごしてきませんか(笑) あなたのような考え方の人が「メシが食えなくなる」ことがよーく分かります。

つまり,「大学生の多くは研究職にはならないわけですから」というのはウソだし,自由選択科目でもなく必須科目です。高校生は日本語の本を読めるようになるのが目標,大学生は外国語の本を読めるようになるのが目標なんです。なぜなら,日本語で書かれた本にはウソが多いから。最低でも英語で書かれた原書を読めないと,どんな分野でも「ただのバカ」扱いされることは明白です。

ちなみに私を学者扱いされてますけど,私の大学では1年から専門の生化学や有機化学や無機化学や物理化学など基礎となる教科は全部洋書でした。有機化学なんて1年からドイツ語の原書ですよ(笑) つまり学者になるための教育ではなくて,これが「最低ライン」だったんです。そういうふうに考えると,東西南北さんの通っている大学というのは「一体大学なんだろうか」という疑問の方が私には芽生えてきます。

最低限でも,英語や中国語は読み書き話すは,あなたの世代ではこなさないと,企業に入ってからどんどん落ちこぼれていきますよ。自らリストラされたいのならば,それでもいいですけどね(笑) 勝手に組合でも作って経営側と闘って,自分が無能なことを知らされてみじめな思いにかられる人も時々いますから。
返信する
東西南北 (上のコメントは僕でした。)
2006-11-30 13:16:17
 そいじゃ、またです。kaetzchenさん。
返信する
お返事が遅れていますが待っていてくださいね。 (kaetzchenさんへ)
2006-11-30 13:15:10
 外国にあっても、日本にないのもは翻訳不可能なことはわかります。だから、日本に外来語があるのですね。それでいいと思います。この点は異論なしなんです。しかし、kaetzchenさんは学者ですが、一般国民は学者ではないわけです。だから、学者が外国の文化を職業専門家として社会へ還元すればよいのです。一般国民にはそのような義務はありませんから、日本語をやっておればよいのです。後は外来語ですね。日本語に翻訳可能なものは学者がすべて翻訳すればよいのです。それが専門家です。一般国民に反訳・通訳の必要性があれが、職業的な翻訳家・通訳を通して外国人とコミュニケーションするのが確実です。言語の翻訳・通訳は素人では不可能です。だから、翻訳家・通訳が社会的な分業体制の下で職業(プロフェッション)として社会的に存在しているのではないですか。公式の外国人とのやり取りは必ず通訳と翻訳のプロを通じてしかできないわけです。ゆえに、一般国民には外国語の学習は不要なのですが、大学で将来に研究職につく者はそれが職業となるわけですから外国語の学習は不可欠です。しかし、大学生の多くは研究職にはならないわけですから、外国語は大学では自由選択科目として研究職を目指すものだけがやることではないですか?多くの大学生には不要でしょう。原書で読むのは研究職を目指すごく少数の人たちでたりるわけです。
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また「質問」の機銃掃射 (^^;) (kaetzchen)
2006-11-30 08:42:38
東西南北さんは元気だなぁ。

29日午前3時53分のコメントの「追記」についてはあなたのブログでも書いたように,根本的に「日常語で営まれている西欧の法律用語」を日本へ輸入する際に「漢語へ翻訳した」のが原因なんですよ。

つまり,翻訳は可能だという幻想から解体する必要がある。法律は総ての人のためにあるのだから,誰にでも分かる「ひらがな」混じりの「普通の言葉」へと,常に変革していく必要があります。

六法全書なんか見ると,未だに訳の判らない文章が一杯で,理科系技術者の私は特許申請の時なんかには一日頭を抱えることも多いです。せめて「日本薬局方」程度に易しくしてくれよなーと言いたい。ただ,この作業を行うのは立法機関である国会であり,そのメンバーである国会議員とその秘書,そして官僚たちです。そういう意味では昔に作られた法律は積極的に「現代語訳」されるべきなんじゃないかなぁ。私の専門領域でも難しい「漢語」が多すぎて,私なんかは面倒だから全部英語かラテン語で言ったり書いたりしています。漢字が混じると頭が痛くなるんですよ(笑)
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議員内閣制と代議制の区別はないのですか? (東西南北)
2006-11-29 03:53:05
>一般国民に法律の文言を解釈し、法律を制定し、法律を運用する権利と義務があるのであれば、議会制民主主義における代議制の意味、政権与党と野党の区別と関連はどのように説明されるのでしょう。

 区別はありません。与党も野党もあくまでも立法機関における集団であり、立法をつかさどり、行政を監視するという職務を国会で果たすのみです。

 >法律を制定し、法律の運用を説明する責任は政権政党にあるのではないでしょうか。

 政権与党ではなく行政です。与党はあくまでも運用ではなく立法説明になるでしょう

 以上の質問・回答ですが議員内閣制と代議制の区別はないのですか。お答えください。

 追記:行政府に対して、立法府の人員予算を増額・強化していくという趣旨には賛成です。法文そのものへの理解を深めていく学習を国民が不断に努力していくことにも賛成です。しかし、法文の理解を「難しい」という理由でおろそかにしながらも、国民要求として運動している人々に対して、「無知」だとか「無責任」だと規定することは誤りです。法律用語を簡単にしていく責任は公務員、分けても政権与党にあるからです。責任を転嫁してはいけません。法文を簡略化することは公務員、わけても政権政党の職業上の責任であり、義務です。できないではだめなのです。情報公開しても、公開された情報が難解な専門用語の羅列では法律は国民のものにはならないからです。法律は一般国民のものであり、公務員とか司法関係職の職業専門化のものではないのです。
返信する
Unknown (self0507)
2006-11-27 19:30:14
>国民主権における日本人民の権利と義務とは政権与党に対して立法事実を要求する国民運動ではないでしょうか。
立法機能を有して意思決定に至るのは国家の場です。そこには野党もいるのです。与党であっても議員立法もあります。与党だけを対象として国民運動する必要はありません。そもそも、政党を通して法案立案を個人がしても何ら不当ではありません。イギリスなどではそういう事例が過去何例もあります。
>法律を制定し、法律の運用を説明する責任は政権政党にあるのではないでしょうか。
政権与党ではなく行政です。与党はあくまでも運用ではなく立法説明になるでしょう。ここはすぐ分るでしょう。
>一般国民に法律の文言を解釈し、法律を制定し、法律を運用する権利と義務があるのであれば、議会制民主主義における代議制の意味、政権与党と野党の区別と関連はどのように説明されるのでしょう。
区別はありません。与党も野党もあくまでも立法機関における集団であり、立法をつかさどり、行政を監視するという職務を国会で果たすのみです。もっと言えば、市民がオンブズマン活動などによって政党に質問状などを送付することで国民レベルでの行政監視、立法監視システムが完成します。(残念ながら日本は非政党型のシンクタンクや政策集団が未発展なので、政党しか立法できないのが現状ですが)

>現状の法律は「寄らしむべし、知らしむべし」の専門用語で制定され、解釈・運用されているのであります。一般国民に専門用語の法律制定・解釈・運用は必ずしも不要であるのではないでしょうか。
では、平易な言葉で法律が書けるのか?という問題でそれを実現できた試しはありません。専門用語が並ぶのは、言葉としての説明で特殊な用語を使わないと説明、規定できないからです。言論でも同じことですが、より平易な言葉で記述するとわかりやすい反面、解釈の猶予を狭めますし、その逆もあります。法文は解釈の猶予をある程度は残して時間的に未整備な状況に適応するように構成されているとも言えるということです。
>野党議員だとか野党の職員は職業的な専門家であるから一般国民への説明責任があるのではないでしょうか。つまり、一般国民が官僚主義の法律の文言解釈を精査しているかどうかが民主主義の問題所在ではないのであり、本来、一般国民の社会規範である生ける法であるはずの法律の文言・解釈・運用が何故、難解を極めているのかが民主主義上の問題の所在ではないでしょうか
残念ながら、現在の立法府の議員が職業専門家としての立法能力があるといえないと思います・それは国会における議員立法の数からです。イギリス、アメリカの5分の1も議員立法はないのです。官僚の立法ということです。(イギリスでは官僚が立法するのは部分的で大部分が上院議員の法専門集団が担当するようなものです)
条文の解釈の難易さは前述した通り、法文の解釈のモラトリアムの為でもありますし、専門的な用語になるのは、日本だけではないので是認するしかないでしょう。より平易な法律が構成できればそれはそれでいいのでしょうが、そのような努力はされていると認識しています。そして、現状がほぼ最大限の努力に近いと思います(刑法改正などわかりやすい法文化というアクションは最近もありました)
>一般国民に現状の官僚主義の法律の精査を要求することは誤りではないでしょうか。もちろん、職業的なプロが法律の文言、制定、解釈、運用を一般国民へわかりやすく説明できないのであれば、そのことこそ指弾されねばならないでしょう。法律という極めて専門的で難解なものを説明する責任は一般国民にはなく、一般国民にあるのは法律の専門家へ説明を要求する権利と義務ではないでしょうか。
これは違うと思います。そもそも法律は我々、国民のために存在する物です。国民の権利を保障する担保でもある訳です。それを理解できないから、理解しないでもいい、というのは堕落でしょう。わからない部分は調べることで解決する物ですし、その努力が政治的活動であるわけです。自分からすれば難解だから、官僚主導型で法律はダメだというのは理解する努力の放棄として民主主義的な枠組みを国民自身が放棄していると解釈します。しかし、国民に理解しやすいように法文を作るのは努力するべきことは当然の国家の責務でもあると思います。それが国民国家の在り方だと自分は思っています。
>要は、国民主権とは法律の職業専門家に対して一般国民が説明責任を追及していくプロセスではないでしょうか。公務員は全体の奉仕者なのであります。司法職も同様です。
国民には法学を学んだ弁護士や法曹界の人間も多くいます。彼らは行政支配下ではなく独立した枠組みで法案を解釈し理解する能力を持っていると判断できます。そのような方々による指導も受けられる訳です。そのような過程で国民が法律を精査する機会を持つ訳です。それが司法の情報開示の必要性であるわけです。
国民主権とは主権が国民であることであり、それは政治意思を国民が持ちつづけられる環境を国家がみずから整備することになるでしょう。そういう意味では、法曹界、国政含めえて国民に法律への理解とその深度を深める活動、啓蒙を行うべきなのです。国民保護法などの有事立法なども国民の理解の段階を経て法案をッステップアップするという手法を採用しました。実際に、国民の法理解という部分で必要措置を国会は無視してる訳ではないのです。問題は、どこまでも法案そのものを見つめられない人にあるでしょう。そしてその法案の運用という行政側の局面を糾弾するに法案有木、というのも事実でしょう。だからこそ、法案をまずもって理解するべきであり、詳細に渡って可能な限り追求しようということです。
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立法事実か、法律解釈か。 (東西南北)
2006-11-27 08:31:04
 国民主権における日本人民の権利と義務とは政権与党に対して立法事実を要求する国民運動ではないでしょうか。法律を制定し、法律の運用を説明する責任は政権政党にあるのではないでしょうか。一般国民に法律の文言を解釈し、法律を制定し、法律を運用する権利と義務があるのであれば、議会制民主主義における代議制の意味、政権与党と野党の区別と関連はどのように説明されるのでしょう。
 
 現状の法律は「寄らしむべし、知らしむべし」の専門用語で制定され、解釈・運用されているのであります。一般国民に専門用語の法律制定・解釈・運用は必ずしも不要であるのではないでしょうか。野党議員だとか野党の職員は職業的な専門家であるから一般国民への説明責任があるのではないでしょうか。つまり、一般国民が官僚主義の法律の文言解釈を精査しているかどうかが民主主義の問題所在ではないのであり、本来、一般国民の社会規範である生ける法であるはずの法律の文言・解釈・運用が何故、難解を極めているのかが民主主義上の問題の所在ではないでしょうか。

 一般国民に現状の官僚主義の法律の精査を要求することは誤りではないでしょうか。もちろん、職業的なプロが法律の文言、制定、解釈、運用を一般国民へわかりやすく説明できないのであれば、そのことこそ指弾されねばならないでしょう。法律という極めて専門的で難解なものを説明する責任は一般国民にはなく、一般国民にあるのは法律の専門家へ説明を要求する権利と義務ではないでしょうか。

 要は、国民主権とは法律の職業専門家に対して一般国民が説明責任を追及していくプロセスではないでしょうか。公務員は全体の奉仕者なのであります。司法職も同様です。
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Unknown (self0507)
2006-11-27 07:57:56
>改正案の必要性を説得する義務は政権与党にあるのですよ。そのことの積極的な説明が政府からないので立法事実が不存在なわけです。生涯教育は現行法規の運用改善で十分に対応していけるのであり、法律の問題ではなくて、教育行政に問題があるわけです

では、上記で述べているような改正案の長所を個人とした誰が表記しているでしょうか?政府が表面化しても、「改悪だ、改悪だ」と詳細を見ないで偏見で取り掛かってる人が圧倒的だと言う主張なわけです。
同時に指摘しておきますが、生涯教育が現行法の運用改善で十分対応できるという根拠が現実的にはないでしょう・そもそも、教育基本法は教育の基本的枠組みを構成するものであり、現代の教育において、生涯学習も重要な地位であることは否定できません。それが基本法に盛り込まれていないからこそ問題だといってるわけです。教育に関する基本法規であるこの法において生涯教育の枠組みを改めて制定することになんの問題があるというのでしょうか?その説明なしに現状でいいというのは、理解できません。現状は現行法の時代よりも進化しているわけです。同時に学校教育よりもこれからは生涯学習の枠組みが大きくなると予想されます。(人口比からして当然)
それでも生涯教育の枠組みを基本法に盛り込む必要がないと言い切れるのか?理解できません

>僕は政府が提起してくる予算案・法律案の説明責任はすべて政権与党にあるのであり、政権与党の積極的な説明がマスメディアで報道されない以上は現状維持が妥当だと考えますがどうでしょうか。

説明責任があることは当然でしょうが、マスメディアに報道しないでも情報公開法で漸次的に情報を取るべきでしょう。政府だけに責任を一元化して、監視するべき国民の権利と責務を放置するのは、国民の堕落であり、堕落した国民だからこそ、政治の責任して、自己責任を回避するという衆愚政治の道のりになるでしょう。そこまで主権者である国民は責任があるのですが、そこまでの覚悟がないと政治を語る資格はないでしょう。だからこそ、私は法案一つ一つを精査して、選択するべきものは選択肢、空白を作らないという政治的措置まで行っているわけです。そこまでの責任があるのが民主国家の国民のはずです

>むしろ、国民要求の熟している教育問題を解決していくことが政府に求められるのでないでしょうか。高額費の負担軽減とか、学校給食、少人数制学級、不合理な校則の見直し、受験競争の緩和、学歴・学閥制度の廃止等いろいろあります。

国民の要求が熟しているなどと評価できません。そもそも、どれだけの人の改正案を詳細に煮詰めて言動しているのでしょうか?この中で思案でもいいので、現行法の短所長所踏まえて言動している人がいるでしょうか?同時にそれが教育現場の見解となれるでしょうか?
政府だけが法案提出権利があるわけではなく、事実、民主党草案も評価の対象であるべきことは言うまでもありません。そして、法案一つ一つを精査しない国民こそただ、メディアに煽動されるだけの人間だと思います。そもそも、批判対象である「愛国心」などという記述の問題以外でも多くの問題があるわけです。一つ一つつめないで改悪だ、と叫ぶだけの意見は乱暴だと言う批判は当然でしょう。それを否定できるほど、法案一つ一つを精査し、分析してるのでしょうか?
このブログでもそうですが、問題点を個人の雑感として指摘するだけで教育基本法を終わっています。条文がこうだから、というレベルでどういう問題があるのか?という次元まで述べればまだいい方でしょう。そこまで踏まえて議論するのが、当然だと思います。
そこまでする権利と義務があるからこそ、主権者でもあるし、情報公開が許されているわけですから・・・



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self先生へ (東西南北)
2006-11-27 05:26:45
 改正案の必要性を説得する義務は政権与党にあるのですよ。そのことの積極的な説明が政府からないので立法事実が不存在なわけです。生涯教育は現行法規の運用改善で十分に対応していけるのであり、法律の問題ではなくて、教育行政に問題があるわけです。

 僕は政府が提起してくる予算案・法律案の説明責任はすべて政権与党にあるのであり、政権与党の積極的な説明がマスメディアで報道されない以上は現状維持が妥当だと考えますがどうでしょうか。

 むしろ、国民要求の熟している教育問題を解決していくことが政府に求められるのでないでしょうか。高額費の負担軽減とか、学校給食、少人数制学級、不合理な校則の見直し、受験競争の緩和、学歴・学閥制度の廃止等いろいろあります。
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Unknown (self0507)
2006-11-27 04:24:59
ブログ内の記事を参照してほしいのだが、個人として、改正案の中にある「教育の自由」を侵しかねない条文(1、2、5、10,16条)及び教育的責任の押しつけである10条などは批判の対象ではある。しかし、上記でのコメントしているが、生涯学習という現行法の制定時代には理解されなかった枠組みの教育が非常に重要になってきている点や学校教育における大きなウェイトを締めつつある大学、私学教育にかかわる文言を設けるなどの現代の教育の枠組みの大規模化に対応する基本法としてあり方として、評価するべき改正案の部分もあることを押さえてほしい。
多くの改正案の評価においてネガティブなものばかりで生涯教育に関する文言(12,13条)などはむしろ、諸種の機関は批判しないだけでなく評価する姿勢を見せていることを認識してほしいのである。
繰り返すが、個人として改正案そのものに反対している。しかし、評価するべき部分を評価しないで一部をとって全て悪いという論調を見ると、どれだけ法案を客観的に評価できているのか?で疑わしいとしか言いようがない
そもそも、多くの批判者は現行法で十分だと言い切れるほど自信があるのだろうか?そこまで踏まえて教育基本法を改定するべきではない、という方向性ではなく、改正案のどこが悪くて、基本法はどうあるべきか?という問題で論議するべきだと思う。
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self先生へ (東西南北)
2006-11-27 00:12:14
 現在の教育基本法であれ、自公提出の改定案であれ、民主党案であれ、そうした法律と憲法の下に教育行政が執行されるわけです。ゆえに、今現在の教育行政の実態にある問題点をどのようにして解決していくのか、という議論をすることが中身のある議論ではないでしょうか。法律の解釈論・理念論を永久に繰り返していても空中戦だと考えますがどうでしょうか。問題は現場の実態と教育行政の具体的な関係を論じていくことではないでしょうか。教育行政の実態・教育現場の実態から遊離した逐条批判は正に空理空論としての唯美的な遊戯的な論理構築ではないでしょうか。

 追記:政権政党の法律案、予算案の中に社会性・人間性が反映しているのは当然です。なぜならば、政権政党は人間の集団だからです。同時に、政権政党を監視、批判していくことが民主主義であり、国民主権ですね。日本国は議会制民主主義ですから、国民政権批判を結集し、監視していく急先鋒が野党となりますし、既存の野党に不満があれば憲法21条によって政治結社に自由が存在し、政治資金規正法上では政党の資格が規定されております。
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Unknown (self0507)
2006-11-26 23:39:47
そろそろ限界かもしれないので掣肘したいと思います。
個人として、教育基本法改正案に賛成しておりません。
しかし、改正案を総じてすべてダメだと言及するつもりはありません。
ここでもそうですが、多くの反対派ブログでも改悪だとして批判するのですが、みなさんは法案すべてみて全て現行法より劣ると言うのでしょうか?
自分はブログ内でも意見としていますが、改正案は古き教育基本法を部分的に改定し、現代に合致した総合的教育の基本的枠組みの強化を謳っている部分もあります。
そもそも、与党審議の過程にも問題があるし、採決さえも問題であることは否定しえない事実ですが、改正案全てを否定する必要はないと思う。同時にこの批判の中で改正案全て総じて評価して精査しているのか?と疑問に思う。
たとえば、改正案12、13条、6条から11条まで学校教育にかかわる新規条文の大枠などはむしろ現行法では無視されがちだった問題を改めて基本法の形態で法理的に宣言している部分で評価するべきではないだろうか?
個人としてブログ内で記事として取り上げているので宣伝になるかもしれないが、改正案全て悪ではなく、長所をも踏まえて評価してほしいと思うのだが、それほど改正案は全てダメなのだろうか?
現行法がそれほどすばらしいのだろうか?・・・教育現場にいた自分からすれば、現行法の不足を認めない人も理解できないのだが・・・
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怒れ!とらちゃん、もっともっと! (デカルト)
2006-11-26 23:21:50
>とらちゃんへ

「改正反対」では意味通じませんよね、やっぱり。

もっと大々的に「教育基本法『改悪』反対!」と、運動すべきでした。

私たちは控え目すぎて、一般大衆へ、アッピールしなかったようです。

仕方がないので,私の詩を。

百時間審議したというが、誰も、なにも知らない。
なにも、報道しないマスコミ。
沈黙の国、日本。
バカばっかり。
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ストレスがたまってるだけです(笑) (kaetzchen)
2006-11-26 20:21:49
とらちゃんさん,こんにちは。冷たい雨は嫌でんな。

飼い馴らすのはゴキちゃんとか(笑) あれはなかなか可愛いです。←慣れると

# だから最近は「ネットゴキ」と言うことにしています。

ここ2,3日,書いとる記事がどんどん過激になってて,自分でも怖い。要するに次の少女マンガ評論と論文作成が詰まっているストレスのせいなんだけどね。
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Unknown (とらちゃん)
2006-11-26 13:22:55
こんにちわ!

↑Kaetzchen様、快調のご様子なによりです。


教育基本法「改正」というのがおかしいのです。
「改悪」です。
笑ってしまうしかない。ははは
子供は飼いならして、
↑最近はペットでも飼いならすって言わないでしょううに、・・・・・

部屋に床の間を作って、
↑なにがしたいねん??????

学校に畳の部屋を、・・・
↑柔道でもしたいんかなぁ??????


こういうことを言うのが国のトップに居るかと思うとナサケナイ、・・・・・・

これからドンドン冬模様。
寒くなります。お体お大事に!

では、また、・・・・・・・
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専門が近いだけに (kaetzchen)
2006-11-26 07:46:15
国の科研費が「基礎研究」を全く無視していることは嫌と言うほど思い知らされました。私もかつては専門と何の関係もない研究をメーカーからぱくって来ては赤字補填に充てたりして。

長谷川さんの言われることは女性研究者だけに説得力がありますね。私ら生物・医学分野では数多くの女性研究者がカネのかかる「基礎研究」で頑張っているのに対して,全く評価されていないのが現実です。

まるで日本史を選択する高校生と同じですね(笑) 目先の利益しか考えていない。その結果,国際的に通用しないクズばかり養成していることに全然気付いてないのがこの国の指導者なのです。
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