国防総省の秘密文書を暴いたペンタゴンペーパー事件(後述)において,裁判官が述べた説示を,現場に出て頑張っている新人ジャーナリストに送りたい。おいらは脱落したが,頑張ってくれ~。
ダグラス裁判官:政府内の秘密は,基本的に反民主主義であって,官僚主義的誤りを永続させることになる。公の争点を公開で議論し,討論することは,われわれの国の健康にとって肝要である。公の問題に関しては,「公開で健全な議論」がなければならない」
ブラック裁判官:プレスは,それが政府の秘密をはだかにし,そして国民に情報を与えることができるように保護された。自由にして抑制されないプレスのみが政府内の欺瞞を効果的に露呈できるにすぎない。また,自由なプレスの責任の中でもっともきわだっているのは,政府内のいかなる部局にせよ,国民を欺瞞して,異国の熱病や外国の砲弾で死ねとかれらを遠い国土に送り込むことを防止する義務である」(いずれも法律時報1971年9月号)
取材源の秘匿などジャーナリストに特権が与えられているのは,このような義務を全うさせるためである。
■■ペンタゴンペーパー事件(雑木帖さんのブログ←クリック)■■
ダニエル・エルスバーグ氏は『ペンタゴン・ペーパーズ』という国防総省秘密報告書をニューヨークタイムズ紙とワシントンポスト紙の協力を得て公にすることによって、ベトナム戦争が4人の歴代アメリカ大統領たちが過去の失策を隠蔽し、自身の政策を推進するために意図的に奨励した明確な目標のない戦争であった(そのためにアメリカは500万人ものベトナム人──95%が民間人だった──を死傷させた)ことを暴露しました。そのきっかけは、次のようなことでした。
1967年、国防省の官僚だったエルスバーグ氏はロバート・マクナマラ国防長官のオフィスで、アメリカの北ベトナム侵略計画を練っていました。その時、ペンタゴンの中に入ろうとした反戦運動家たちが棍棒で打たれ、逮捕されて連れていかれるのを、彼は窓から見ました。
のちにエルスバーグ氏はその時のことを回想し、こう証言しています。
『私は自分の胸に聞いた。…この人たちは自分の良心に忠実に生きている。私がそうしたらどうなるだろう』
エルスバーグ氏は『ペンタゴン・ペーパーズ』を公にすることにしたのです。
■■引用終了■■
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ダグラス裁判官:政府内の秘密は,基本的に反民主主義であって,官僚主義的誤りを永続させることになる。公の争点を公開で議論し,討論することは,われわれの国の健康にとって肝要である。公の問題に関しては,「公開で健全な議論」がなければならない」
ブラック裁判官:プレスは,それが政府の秘密をはだかにし,そして国民に情報を与えることができるように保護された。自由にして抑制されないプレスのみが政府内の欺瞞を効果的に露呈できるにすぎない。また,自由なプレスの責任の中でもっともきわだっているのは,政府内のいかなる部局にせよ,国民を欺瞞して,異国の熱病や外国の砲弾で死ねとかれらを遠い国土に送り込むことを防止する義務である」(いずれも法律時報1971年9月号)
取材源の秘匿などジャーナリストに特権が与えられているのは,このような義務を全うさせるためである。
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ダニエル・エルスバーグ氏は『ペンタゴン・ペーパーズ』という国防総省秘密報告書をニューヨークタイムズ紙とワシントンポスト紙の協力を得て公にすることによって、ベトナム戦争が4人の歴代アメリカ大統領たちが過去の失策を隠蔽し、自身の政策を推進するために意図的に奨励した明確な目標のない戦争であった(そのためにアメリカは500万人ものベトナム人──95%が民間人だった──を死傷させた)ことを暴露しました。そのきっかけは、次のようなことでした。
1967年、国防省の官僚だったエルスバーグ氏はロバート・マクナマラ国防長官のオフィスで、アメリカの北ベトナム侵略計画を練っていました。その時、ペンタゴンの中に入ろうとした反戦運動家たちが棍棒で打たれ、逮捕されて連れていかれるのを、彼は窓から見ました。
のちにエルスバーグ氏はその時のことを回想し、こう証言しています。
『私は自分の胸に聞いた。…この人たちは自分の良心に忠実に生きている。私がそうしたらどうなるだろう』
エルスバーグ氏は『ペンタゴン・ペーパーズ』を公にすることにしたのです。
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日本では某腰巾着新聞や総理官邸の報道対策で言論は死んでいるのでは?
今も執念を燃やしてるよ!?「情を通じ」の濡れ衣を雪ぐのに。
ま、(昨日、故郷で実家での葬儀があった)長井さんまでは言わないけど。