脚本 宮下隼一、監督 村山新治
1986年6月5日放送
※はじめに、お詫びと言い訳をさせていただきますが、本編と次回469話については、うっかりレビューを書く前に録画を消してしまいました。このため、一月以上前に一度視聴したきりの記憶を頼りに書いておりますので、一部に記憶漏れの箇所があり、ひょっとして記憶違いの記述があるかもしれません。何卒ご容赦いただくとともに、お気づきの点などありましたら、コメントにてご指摘いただければ幸いです。
【あらすじ】
資産家の一人息子が誘拐された。資産家は特命課の介入を拒み、単身で身代金の受け渡し現場に向かう。密かに網を張る特命課。現れた誘拐犯を捕らえようと、功を焦った杉が飛び出す。しかし、誘拐犯には逃げられ、杉をかばった桜井が負傷する。怒りを抑え、特命課に息子の救出を懇願する資産家。実は、息子は血が固まりにくい持病をもち、わずかな流血が命取りになりかねないのだ。
負傷をおして捜査を続ける桜井は、街角の映像に耳を止める。そこに映っていた通行人の声が、現場で聞いた誘拐犯のものと酷似していたのだ。映像から声紋を鑑定したところ、脅迫電話のものと一致。映像に映っている人々のうち、誰かが誘拐犯に違いないが、中には顔が見えない者もいる。映像を手掛かりに、特命課の必死の捜査が始まった。
まずは若者二人の食べていたクレープから、クレープ店を探し当て、二人の素性へとたどり着く。二人の証言から、界隈で有名なナンパ中年を割り出し、さらにその証言から、中年のアベックを割り出す。アベックのうち、まずは女を発見したものの、二人は不倫関係にあるらしく、男の素性を語ろうとしない。桜井の必死の説得により、女はようやく男が公務員だと明かす。公務員を調べたところ、その訛りが誘拐犯と酷似していた。「こいつが犯人か!」と色めきたつ特命課だが、声紋鑑定の結果、別人と判明する。
一方、運河のほとりの倉庫に監禁された息子は、脱出を図ろうとして負傷。自分の血で「たすけて」と記したハンカチを運河に投げ捨てる。やがてハンカチが発見され、「早く保護しなければ、子供の命が危ない!」と、橘らは運河沿いを徹底捜索する。
(この後、ちょっと記憶が飛んでいます。)
ついに誘拐犯が判明し、特命課は懸命に身柄を追う。桜井は誘拐犯の別れた妻子を訪ねるが、妻子は夫、そして父親抜きの生活を受け入れており、今さら誘拐犯が訪れるとは思えなかった。やがて、必死の捜索によって誘拐犯を捕らえる特命課。だが、誘拐犯は犯行を否認し、息子の所在を明かそうとしない。
刻一刻と時間が過ぎるなか、頑として口を開かない誘拐犯。万策尽きかけたとき、桜井は脅迫電話を録音したテープを聞き返し、誘拐犯の声に紛れて、息子の歌声が残っていることに気づく。それは、誘拐犯の子供が口ずさんでいた童謡であり、誘拐犯が我が子に残した唯一の思い出だった。その童謡こそが、誘拐犯の心に残った唯一の良心に違いない。そう確信した桜井は、誘拐犯に息子の歌声を聞かせる。「お前だって、この子を死なせたくないはずだ!」桜井の言葉を受けて、誘拐犯の脳裏に、息子に、そして我が子に童謡を歌って聞かせた記憶が甦る。「刑事さん、あの子は・・・」ついに息子の監禁先を明かす誘拐犯。
すんでのところで発見された息子は、治療の甲斐あって一命を取り留める。桜井は安堵の吐息とともに、いつかこの誘拐犯が罪を償い、妻子のもとに戻ることを祈るのだった。
【感想など】
誘拐された子供の命を救うため、雲をつかむような状況からも、懸命な捜査で一歩ずつ犯人に迫っていく刑事たちの姿を描いた一本。わずかな映像から、細い糸を手繰るようにして犯人を特定していく捜査過程は見ごたえがあり、「血小板障害」というタイムリミット設定も奏功して、サスペンス溢れるスリリングな展開が見応え充分でした。後半は一転して、取調室における桜井と誘拐犯の対決を描き、「子供を置き去りにする」非情さの中に、「童謡を歌って聞かせる」人間味が残っていること気づかせ、解決に導くという人間ドラマが描かれています。
このように、黄金期と呼ばれるかつての特捜の魅力がふんだんに詰め込まれ、見るものを飽きさせない佳作と言える本作ですが、おそらく、多くの視聴者は軽い既視感(デジャビュ)とともに、前半と後半のトーンの違い(テーマの違いと言っても良い)への違和感を覚えたのではないでしょうか?
というのも、前半の展開は、「誘拐」「タイムリミット」といったキーワードといい、スピーディーで畳み掛けるような展開といい、かつて「誘拐の長坂」と評された長坂脚本の魅力を再現したものに他なりません(これは何もパクリと言っているわけではなく、宮下氏なりに「かつての長坂風味」を再現しようとチャレンジした結果、あるいは「かつての長坂脚本みたいなのを書いてよ」とのプロデューサーの要望だったのではないでしょうか?)。
一方、後半の展開は、「取調室」「家族愛」といったキーワードといい、熱苦しいばかりの緊迫感といい、かつて「取調べの塙」と評された(嘘です、すみません、今考えました)、塙脚本の魅力を再現したものに他なりません(これは何も・・・以下略)。
私見ですが、今回の脚本の残念な点は(いや、充分に面白かったんですけどね)、この異なる魅力をもった二人の先人を、一本の作品で同時にオマージュしようとしたことではないでしょうか。前半の引き込まれるような展開を見る限り、宮下氏には長坂氏ばりのサスペンスフルな脚本を書く力量が確かにありますし、後半については、やや誘拐犯の人物設定が希薄な面もありますが、それでも塙作品と遜色ないレベルの「取調べモノ」を生み出す力量があるものと思われます。とはいえ、それらを一度に両立しようとするのは、さすがに欲張り過ぎと言えるのでは?できることなら、前半の犯人探し、子供探しのサスペンスのみに絞った一本と、後半の誘拐犯と桜井の対決に絞った一本、それぞれを見たかったと思うのですが、それこそ欲張り過ぎでしょうか?
1986年6月5日放送
※はじめに、お詫びと言い訳をさせていただきますが、本編と次回469話については、うっかりレビューを書く前に録画を消してしまいました。このため、一月以上前に一度視聴したきりの記憶を頼りに書いておりますので、一部に記憶漏れの箇所があり、ひょっとして記憶違いの記述があるかもしれません。何卒ご容赦いただくとともに、お気づきの点などありましたら、コメントにてご指摘いただければ幸いです。
【あらすじ】
資産家の一人息子が誘拐された。資産家は特命課の介入を拒み、単身で身代金の受け渡し現場に向かう。密かに網を張る特命課。現れた誘拐犯を捕らえようと、功を焦った杉が飛び出す。しかし、誘拐犯には逃げられ、杉をかばった桜井が負傷する。怒りを抑え、特命課に息子の救出を懇願する資産家。実は、息子は血が固まりにくい持病をもち、わずかな流血が命取りになりかねないのだ。
負傷をおして捜査を続ける桜井は、街角の映像に耳を止める。そこに映っていた通行人の声が、現場で聞いた誘拐犯のものと酷似していたのだ。映像から声紋を鑑定したところ、脅迫電話のものと一致。映像に映っている人々のうち、誰かが誘拐犯に違いないが、中には顔が見えない者もいる。映像を手掛かりに、特命課の必死の捜査が始まった。
まずは若者二人の食べていたクレープから、クレープ店を探し当て、二人の素性へとたどり着く。二人の証言から、界隈で有名なナンパ中年を割り出し、さらにその証言から、中年のアベックを割り出す。アベックのうち、まずは女を発見したものの、二人は不倫関係にあるらしく、男の素性を語ろうとしない。桜井の必死の説得により、女はようやく男が公務員だと明かす。公務員を調べたところ、その訛りが誘拐犯と酷似していた。「こいつが犯人か!」と色めきたつ特命課だが、声紋鑑定の結果、別人と判明する。
一方、運河のほとりの倉庫に監禁された息子は、脱出を図ろうとして負傷。自分の血で「たすけて」と記したハンカチを運河に投げ捨てる。やがてハンカチが発見され、「早く保護しなければ、子供の命が危ない!」と、橘らは運河沿いを徹底捜索する。
(この後、ちょっと記憶が飛んでいます。)
ついに誘拐犯が判明し、特命課は懸命に身柄を追う。桜井は誘拐犯の別れた妻子を訪ねるが、妻子は夫、そして父親抜きの生活を受け入れており、今さら誘拐犯が訪れるとは思えなかった。やがて、必死の捜索によって誘拐犯を捕らえる特命課。だが、誘拐犯は犯行を否認し、息子の所在を明かそうとしない。
刻一刻と時間が過ぎるなか、頑として口を開かない誘拐犯。万策尽きかけたとき、桜井は脅迫電話を録音したテープを聞き返し、誘拐犯の声に紛れて、息子の歌声が残っていることに気づく。それは、誘拐犯の子供が口ずさんでいた童謡であり、誘拐犯が我が子に残した唯一の思い出だった。その童謡こそが、誘拐犯の心に残った唯一の良心に違いない。そう確信した桜井は、誘拐犯に息子の歌声を聞かせる。「お前だって、この子を死なせたくないはずだ!」桜井の言葉を受けて、誘拐犯の脳裏に、息子に、そして我が子に童謡を歌って聞かせた記憶が甦る。「刑事さん、あの子は・・・」ついに息子の監禁先を明かす誘拐犯。
すんでのところで発見された息子は、治療の甲斐あって一命を取り留める。桜井は安堵の吐息とともに、いつかこの誘拐犯が罪を償い、妻子のもとに戻ることを祈るのだった。
【感想など】
誘拐された子供の命を救うため、雲をつかむような状況からも、懸命な捜査で一歩ずつ犯人に迫っていく刑事たちの姿を描いた一本。わずかな映像から、細い糸を手繰るようにして犯人を特定していく捜査過程は見ごたえがあり、「血小板障害」というタイムリミット設定も奏功して、サスペンス溢れるスリリングな展開が見応え充分でした。後半は一転して、取調室における桜井と誘拐犯の対決を描き、「子供を置き去りにする」非情さの中に、「童謡を歌って聞かせる」人間味が残っていること気づかせ、解決に導くという人間ドラマが描かれています。
このように、黄金期と呼ばれるかつての特捜の魅力がふんだんに詰め込まれ、見るものを飽きさせない佳作と言える本作ですが、おそらく、多くの視聴者は軽い既視感(デジャビュ)とともに、前半と後半のトーンの違い(テーマの違いと言っても良い)への違和感を覚えたのではないでしょうか?
というのも、前半の展開は、「誘拐」「タイムリミット」といったキーワードといい、スピーディーで畳み掛けるような展開といい、かつて「誘拐の長坂」と評された長坂脚本の魅力を再現したものに他なりません(これは何もパクリと言っているわけではなく、宮下氏なりに「かつての長坂風味」を再現しようとチャレンジした結果、あるいは「かつての長坂脚本みたいなのを書いてよ」とのプロデューサーの要望だったのではないでしょうか?)。
一方、後半の展開は、「取調室」「家族愛」といったキーワードといい、熱苦しいばかりの緊迫感といい、かつて「取調べの塙」と評された(嘘です、すみません、今考えました)、塙脚本の魅力を再現したものに他なりません(これは何も・・・以下略)。
私見ですが、今回の脚本の残念な点は(いや、充分に面白かったんですけどね)、この異なる魅力をもった二人の先人を、一本の作品で同時にオマージュしようとしたことではないでしょうか。前半の引き込まれるような展開を見る限り、宮下氏には長坂氏ばりのサスペンスフルな脚本を書く力量が確かにありますし、後半については、やや誘拐犯の人物設定が希薄な面もありますが、それでも塙作品と遜色ないレベルの「取調べモノ」を生み出す力量があるものと思われます。とはいえ、それらを一度に両立しようとするのは、さすがに欲張り過ぎと言えるのでは?できることなら、前半の犯人探し、子供探しのサスペンスのみに絞った一本と、後半の誘拐犯と桜井の対決に絞った一本、それぞれを見たかったと思うのですが、それこそ欲張り過ぎでしょうか?
仮面ライダーブラック以降、メタルヒーローシリーズの脚本もやってた宮下脚本ということで楽しみに見ました。
ご指摘の通り、確かに前半長坂+後半塙の感じでしたし、私も後半から締めくくりにもう少し追加が欲しかったですね。前半は楽しめましたし、じっくり関係者を調べ上げていく流れは良かったですね。
犯人役の確かにひ弱そう(見栄晴っぽい風合いでしたね(苦笑))な性格での誘拐から最後の実子への愛情のところは、もう少し深掘りしたらもっと良い作品になったでしょうね。
私としては、後半をもう少し膨らまして1時間半の内容だとちょうど良い作品になったと思いました。
話は本編とそれますが、前回の依田氏や今回の増岡氏西尾氏等、特に特撮で声優やってる人の素顔出演が連発しているのを見て、さすが「特撮」最前線と笑えてしまいました。
正直、かつての名作は余り意識せずに、宮下氏ならではの持ち味を発揮して欲しいと思いますが、なかなか難しいのでしょうね。実際に発揮されるのは、やはりレスキューポリスシリースあたりからでしょうか?
「乙種蹄状指紋の謎!」みたいに、小さなヒントから
真相に迫る丁寧な作りは見ごたえがありました。
ただ2つの内容を詰め込んだ感じになったのは残念。
「あれ、もう捕まっちゃうの?」と思ってしまいました。
ピエロの三次や檻の中の野獣の回みたいに犯人を落とすだけに絞っても面白かったかも。
「昔」というのが本放送当時だとすれば20年以上も前になりますが、それでも内容を覚えておられるとは素晴らしい記憶力ですね。「2つの内容を詰め込んだ」ところを除いては、非常によくできた話だったためでしょうか。
ところで、少し気になったのですが「ピエロの三次」は第129話「非情の街・ピエロと呼ばれた男」で紅林が化けたヤクザだったと思いますが、「犯人を落とす話」ではなかったような・・・同じ魁三太郎氏が演じた第227話「警視庁を煙にまく男」のことでしょうか?
重箱の隅をつつくようで恐縮ですが、どうしても気になりましたもので、一応指摘させていただきました。
悪しからずご了承ください。
特捜は小学生から中学生にかけてずっと見てました。
完全に内容を忘れてる作品もありますが
面白かった回は今でも強く印象に残ってますね。
「すみません」などと、とんでもないです。
どちらも良い話でしたし、魁氏=ピエロの三次と言う印象は強烈ですから、無理はありませんよ。
それにしても、小中学生から特捜に親しめたとは羨ましい限りです。私は当時は9時には寝ていたので、とても視聴できませんでした。仮に見たとしても、その年齢では特捜の魅力には気づけなかったかも・・・