特捜最前線日記

特捜最前線について語ります。
ネタバレを含んでいますので、ご注意ください。

第370話 隅田川慕情!

2007年12月12日 03時28分23秒 | Weblog
脚本 塙五郎、監督 辻理

団地で一人暮らしの老人が、自室で絞殺された。表札には家族の名が記されていたが、息子一家は建売住宅を購入して独立し、いわゆる「置き去り老人」となっていた。老父の死を報せても、忙しさを理由になかなか現れない息子に、怒りを募らせる特命課。
現場に落ちていたライターから検出された指紋は、窃盗で前科2犯の若者のものと一致した。若者の行方を捜すべく、その妹をマークする吉野と叶。無邪気な高校生に見えた妹は、隅田川を遡上する水上バスで浅草に向かうと、中年男を相手に売春を働く。「捜査には関係ない」と言ってはみたものの、やはり捨てては置けず、妹を保護して説教する吉野。それとなく家族について質問すると、幼い頃に両親と死別し、定職につかない兄とも別れて寄宿舎暮らしだという。
一方、現場近くの弁当屋の証言で、いつも一人分しか注文しない被害者が、その日に限って二人分の弁当を注文したことが判明。被害者は「友達と一緒に食べるんだ」と嬉しそうに語ったという。弁当屋が見た友人らしき後姿は、若者風の派手なジャンパーを着ていた。
若者の捜索を続ける吉野と叶。若者はどの仕事も長続きしなかったが、なぜか隅田川沿いの職場ばかりを選んでいた。一方、船村の捜査で若者と妹の過去が明らかになる。幼い頃、二人の父親は借金苦が原因で隅田川に飛び込み、一家心中を図った。そのとき母親は死亡したが、父親は生き残り、二人を残して蒸発していた。
ようやく若者を発見し、逮捕する吉野。はじめは犯行を否定していた若者だが、ライターに加え、弁当屋が目撃したジャンパーを所有していたことも判明。さらに、若者が浅草で初老の男と一緒だったのを目撃した見た者もいた。「そこで被害者と知り合ったんだろう!」と吉野に詰め寄られ、若者はついに犯行を自白。だが、その後の調べで、被害者が別の老人と一緒だったことが判明する。全てを察した神代は、自ら尋問を買って出る。「君がかばっている間に、お父さんは犯行を重ねるかもしれん」神代の言葉に、若者は全てを自白する。若者が浅草で一緒だったのは、生き別れの父親だったのだ。あまりに薄汚れた姿に、若者はお気に入りのジャンパーを与え、そのポケットにライターが入っていた。父親は若者と別れた後に被害者と知り合い、一緒に自宅に向かったと思われた。「私は安心したよ。彼は自分を捨てた憎い父親を、それでも待っていた。そして今ではかばってさえいるんだ」神代の言葉を黙って聞いていた吉野は、複雑な思いを胸にしまい込み、険しい顔で言った。「父親は、今、どこにいるんですか?」若者は父親の行き先までは知らなかったが、妹に会いたがっていたという。
簡易宿泊所からの通報で、宿泊費の尽きた父親が荷物を残して消えたことを知った特命課。残された荷物には、古びた家族の写真とともに、日記が残されていた。そこから事件当日の模様が明かされる。浅草で知り合った被害者と意気投合した父親は、被害者の部屋で食事をともにした。「息子夫婦が良くしてくれる」と自慢する被害者に、父親もまた「子供たちと一緒に暮らせて幸せだ」と語った。被害者に嘘を見抜かれて逆上した父親は、発作的に殺人に及んでしまう。被害者の自慢もまた嘘であり、互いの哀しい嘘が引き起こした悲劇に、特命課は愕然とするしかなかった。
一目娘に会おうと、寄宿舎の友人に「吾妻橋で待つ」と伝言を頼む父親。三社祭りの賑わいのなか、妹は橋に佇む父親の姿を認め、歩み寄る。娘との再会を喜ぶ間もなく、特命課の存在に気づいた父親は逃走する。追跡劇の末に、「捕まりたくなぃよぉ!」と醜く抵抗する父親を逮捕する特命課。あとを仲間らに託すと、吉野は妹のもとへと走る。「親父さんに会ってこい」吉野の言葉に首を振る妹。「私、お父さんに会った殴ってやろうって、そればかり考えてました。私ってひどい奴でしょ」強がる妹の笑顔に、破顔する吉野。そこには、若者たちの心の中にも、自分たちと変わらぬ意地と優しさが息づいていることを知った喜びがあった。

どうすればこんな切ない脚本が書けるのか?塙脚本の真骨頂とも言える哀切さ漂う傑作です。特に、寂しさを抱えた老人同士が哀しい嘘をつきあうシーンは絶品。哀しき殺人者を演じるのは、名優・谷村昌彦。他の刑事ドラマの話になって恐縮ですが、初期の『Gメン75』で「魚の目の恐怖」と「定年強盗」を見て以来、谷村氏の魅力の虜となってしまった私は、彼の独白で語られる悲痛な真相に、思わず涙をこぼしてしまいました。(ちなみに、ファミ劇で正月に集中放送される259話から274話までの中に、谷村氏ゲストの第268話「壁の向こうの眼!」がありますので、是非ご視聴を!)
また、塙脚本の一つの特徴に“無言の芝居”があると思うのですが、今回も、神代が語る真相を黙って聞く吉野の表情や、妹の売春を見過ごそうとする吉野を挑発する叶の表情など、複雑な想いを秘めた“無言の芝居”に、深いドラマ性を味わうことができます。加えて、その裏に脚本家と演出家、そして俳優の信頼関係が見て取れるのも、良質なドラマを見る醍醐味と言えるのではないでしょうか。

「吾妻橋、駒形橋、厩橋、蔵前橋、両国橋、新大橋、清洲橋、永代橋、勝鬨橋・・・」なぜか隅田川の橋の名前を暗誦できる妹と、なぜか隅田川近くで仕事を点々とする兄。二人を隅田川に引き付けていたものは、幼い頃、最後に家族揃って過ごした記憶でした。その記憶が、一家心中の記憶だというのが、また切なく、痛ましい。そんな過去を引き摺りながらも、強く生きる妹の姿に、吉野も若者への偏見を見直さざるを得ません。そんな感動も、前半で執拗に繰り返される吉野の時代錯誤なまでの頑固親父ぶりがあってこそ。「余計なおせっかいだろうが、俺は嫌なんだ。自分を安っぽくする奴に、我慢ならないんだ!」「その『~だしぃ』ってのはやめろ。それなりの喋り方ってのができんのか!」といった台詞一つひとつに、吉野の若者への苛立ち、そしてその裏返しの愛情が感じられます。
何より大好きなのが「今の若い連中には個性がない。個性がないということは主張がない。目先の興味であっちにふらふら、こっちにふらふら。何をやってもすぐ飽きる。怒れば拗ねるし、ほめればつけ上がる。平気で嘘をつくし、そのくせ意気地がないときた」と若者たちをこき下ろすシーン。神代が苦笑交じりに「あの妹は17歳だったな。吉野、お前が17歳の頃はどんなだった?」と聞き返すと、一瞬口ごもった後「俺が17のときは、天下を取るぐらいの気概をもって、青春を生きてました!」と力説する吉野。思わず吹き出す叶も含めて、何度も思い出しては微笑んでしまう名シーンです。
素晴らしき脚本と、素晴らしき俳優たちが織り成すこの傑作を、是非多くの方に視聴いただきたいものです。