吉祥寺と周辺の街散歩

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立原道造記念館と三四郎池など本郷周辺散策

2009年06月28日 | その他の街

東大構内の三四郎池

 (記念館は、2011年2月20日に閉館となりました。)

 やさしいひとらよ たづねるな!
 ― なにをおまへはして来たかと 私に
 やすみなく 忘れすてねばならない 
 そそぎこめ すべてを 夜に・・・


(立原道造記念館の玄関に記された詩「ふるさとの夜に寄す」の一部)

 詩の好きな友人二人との会話の中で、本郷にある立原道造記念館(画像右・左下)に行こう、だったら近くの東大構内の三四郎池も散策しようということになりました。その後、幹事役の綿密な計画の下、ついでにここもあそこもと盛りだくさんの内容に発展し、当日の全行程(歩いた距離は正味3km位)は以下となりました。

地下鉄南北線 東大前駅(14時)- 立原道造記念館 - 竹久夢二美術館・弥生美術館
- 三四郎池(東大構内) - 「喫茶ルオー」 - 徳田秋声旧宅 - 樋口一葉ゆかりの質屋
- 樋口一葉旧居跡(17時半) - ロシア料理店「海燕」- 南北線 春日駅

 立原道造(1914-1939)は大好きな詩人で、記念館には24歳の若さで亡くなった彼の詩集、自筆草稿や絵画などが展示されています。道造には優秀な建築家として将来を嘱望されていた一面もあり、大学の課題として提出された建物の見取り図などもあり興味深かった。彼の設計した5坪ほどの独居用住宅「ヒヤシンスハウス」を実際に平成16年に実現したものが、さいたま市の別所沼公園内に建っているそうで、いつか訪れてみたい。


 竹久夢二美術館と弥生美術館は同じ建物の中にあり、道造記念館のすぐ近くにあります。
 竹久夢二(1884-1934)は大正時代に儚(はかな)げな女性を描いて一世を風靡した画家ですが、デザイン画にも才能を発揮していたのは知りませんでした。弥生美術館は大正・昭和に活躍した挿絵画家、高畠華宵(1888- 1966)作品の常設展示を中心に、挿絵・雑誌・漫画・付録などの出版美術をテーマに企画展を開催しています。

 東大の弥生門から構内に入り三四郎池に向かいました。「育徳園心字池」がこの池の正式名称で、江戸時代には加賀藩邸の庭園の一部だったそうです。夏目漱石の小説「三四郎」の中で、三四郎とマドンナの美禰子がここで出会ったことから「三四郎池」と呼ばれるようになったわけです。池の周囲には樹木が生い茂っていて濃い緑が周囲の建物を遮っているため、森の中の池といった風情があって、とてもいい雰囲気でした。
 
 途中休憩に東大正門の斜向かいにある「喫茶ルオー」に寄りました。由緒ある喫茶店のようで、ジョルジュ・ルオーの複製画が掛かっている店内にはクラシック音楽が流れ、知的な雰囲気が漂っていました。カレーが有名らしいけど今回はパス。
 徳田秋声旧宅を経て、樋口一葉(1872-1896)が通った近所の質屋を眺め、本日最後の目的地、一葉の旧居跡を探したけれど見つからず、通りがかりの人に尋ねてようやくたどり着きました(画像右下付近)。以前は案内板があったけど近隣住民の迷惑を考慮して外したらしいとのこと。旧居跡にあった井戸は現在も現役でした。僕は一葉の残した作品(擬古文が苦手)よりもどちらかというと彼女の生き方に惹かれています。10代で世帯主となりその細腕で家族を養っていた彼女はなかなかの生活力の持ち主でもありました。彼女は文京区内に10年間住んでいて、文学史跡が数多くある「文の京」のキャラクターにもなっています。一葉も立原道造と同じ24歳8ヶ月で結核の為世を去っています。
 近くのロシア料理店で祝杯を挙げ疲れを癒しました。次回の散策は僕が幹事役ということで、さてどこに行こうかな。

 (参考Web) 
 ・立原道造の詩紹介(My HP) 
 ・立原道造記念館HP
 ・ヒアシンスハウス紹介
 ・竹久夢二美術館・弥生美術館HP
 ・文京区 観光案内
 ・樋口一葉「いやだ!」と云ふ/田中優子(amazon.co)

(地図情報)
 ・立原道造記念館・竹久夢二美術館・弥生美術館
 ・三四郎池
 ・喫茶ルオー
 ・徳田秋声旧宅
 ・一葉ゆかりの質屋

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