ときぶーの時間

募金の受付先 東邦銀行 安積支店 普通0644994 名義がんばる福島
みなさんご支援宜しくお願いいたします。

終わってない。

2015-02-13 05:02:12 | 日記
NPO法人がんばる福島 公式ツイッター @GBR_fukushima

松村直登のブログ 「警戒区域に生きる松村直登の闘い」 

【楽天市場】がんばる福島のご支援いただきたいリスト

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配送先は 
〒979-0401福島県双葉郡広野町大字上北迫字岩沢29-38
ヤマト運輸 広野センター止め NPO法人 がんばる福島
 までお願いします。

発送は「ヤマト運輸」のみ対応、他社の運送会社からは送ることができません。
皆様、ご支援をよろしくお願いいたします。


NO749
みなさん、おはようございます。
受取りました支援物資のご報告をさせて頂きます。

伝票NO3012-5384-1081 K.O様 チモシー1番刈25kg X 11個口
伝票NO4030-9185-0000 M.A様 にんじん10kg
伝票NO3059-6066-0740 H.K様 ふすま20kg
伝票NO3012-2770-3630 H.M様 バナナ8kg
伝票NO3010-1337-7486 R.T様 チモシー1番刈25kg X 3個口
伝票NO3011-5261-4405 Y.H様 チモシー1番刈25kg X 3個口

(順不同 イニシャル違いの時はお許し下さい)

本当にありがとうございました。
心から感謝致し御礼を申し上げます。
これからもどうぞ応援よろしくお願いいたします。


大事なチモシーを両親が使っていた家に運ぶ松ちゃん。

先日、松ちゃんちに行った時にお客様が見えていたのだが、松ちゃんがヨーロッパの反原発運動に参加するために尽力してくれたイタリア人ジャーナリストのアントニオさんだった。

誰もが放射能を恐れ寄り付かなかった強制避難区域の中で出会った二人。


覚えているのか?ここぞとばかり甘える石松。
そして石松を可愛がるアントニオさん。

この日に行くけど会えないかも?と言ったのに、朝早く起きて松ちゃんちに向かい松ちゃんと少しは話せたから良かった。

10時には僕にも予定があって一時間くらいは時間があったのだけど、アントニオさんは特別なお客様だから僕は少し遠慮した。


さびは木登りしていた。
やんちゃなさびだ。

二人には話したら尽きない話題がいろいろあるのだと思う。
松ちゃんに出会って人生観ががらりと変わったというアントニオさんだ。

はるばる海を越えて松ちゃんに会いに来てくれたアントニオさんにゆっくり、そしてたくさん思う存分に話してもらいたいと思った。

この日、別のスケジュールを組み走り回って色々と考えせられた。
それを受け止めざるを得ないことも分かるだけに、重く深く感じる一日だった。

どこの町にも慰霊碑が建てられていると思うが、富岡の慰霊碑で亡くなった人を供養してくれたあるお坊さんの話を友人がした。

双葉町出身のお坊さんで、双葉郡の放射線量を計測しインターネットで配信している人なのだと聞いた。


浪江町請戸海岸慰霊碑で。

そのお坊さんが「本当の数値を配信すると非難中傷がひどい」と言い「帰還困難区域の大熊の海岸沿いから来て富岡町に入ったらと高くなった」と友人に言ったらしい。

今作られている大型の放射能汚染物の仮置き場当たりを指して言ったと聞き、まんざら嘘ではないと感じた。

富岡の帰還困難区域での活動は、松ちゃんちの牧場のお手伝いとか、今の町の状況を伝えると言う事で写真撮影、害獣確認くらいだったのだが、一つ仕事が増えた。

大熊町と富岡町の帰還困難区域の友人の手を借り調べてみようと思う。

他の町に置き去りにされていた汚染物の袋が来たら、もっと高くなるのだろうなぁ~。
線量を測っているお坊さんに、本当の事を聞いたらやっぱり嫌な気持ちになるな。

除染している町の姿を見て町はきれいになっているように見えるが、あれは復興じゃない。
除染が終わっても放射能は残る。
これからも見えない放射能に怯える日は続く。

終わっていない。
そして何も変わっていない。
僕は国道を走り大熊・双葉・浪江の町を見て来たが、復興には気の遠くなるような時間がかかるのを実感した。





























 
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