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2015-01-23 06:31:18 | 日記
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NO735
今日は大熊町の事を書きます。
一昨日、隣町である大熊町の友人に電話をし、大熊町長が中間貯蔵施設建設の受け入れを発表してからの事を聞いた。


去年の秋の大熊町で撮った写真。
いつも放れ牛がたむろしていた場所が、いつのまにか放射能汚染物の仮置き場になっていて、少し驚いた。

正直、放射能汚染物を引き取ってくれる他県・自治体など、どこにもないから福島の汚染物は福島で処理をしなければならないのはよく分かっている。

しかし、もうすぐ4年だ。
福島県の至る所で見かける黒いピラミッド。
富岡町でも大きな仮置き場建設が始まっていると聞き、今度その場所を見に行こうと思っている。

高い放射線量で帰還困難区域になった大熊町の住民は、今、帰還を考えている人がほとんどいないのでは?

だから大熊町長の「復興と町民の生活再建を進めるためにも建設を受け入れたい」と、国に対して優等生発言?に思うものがあった。
復興って住民不在の復興なのか?と。


大熊町にある坂下ダム入口。
去年の紅葉はきれいだった。

僕は友人に聞いてみた。

中間貯蔵施設建設が遅れに遅れている理由として「最終処分場が決定していないため、中間貯蔵施設を受け入れたが最後、最終処分場にされてしまうのではないか」と地権者が反対して来たからだと。

建設してしまえば、多分、そうなるだろう。

最終処分場にされてしまっては帰るふるさとを失う。
一生、または半永久的に土地を奪われるのと一緒だ

たとえ自分が生きているあいだに戻ることが出来なくても、自分の土地を子供や孫に引き継いでもらいたいという人がいて当然だ。

先祖代々守り続けて来た土地を自分の代で手放すという過酷な選択を、今、強いられる人たちの苦しみを思う。

これは本当に苦しいだろうなぁ、辛いだろうなぁと。


先週の富岡の除染光景。
見渡す限り表土を剥ぎ、汚染した土を黒いフレコンバックに入れていた。

最初の約束では30年は中間貯蔵として使い、それ以後は最終処分場に移すから土地は戻って来るという約束だった。

しかし、その最終処分場は建設されていないし何処にも決まっていない。
これから大熊町に作られる中間処分場が最終処分場になってしまう公算は、限りなく大きい。

国は隠さず最終処分場を作れるのか?作れないのかをはっきり住民に説明する責任がある。
作れなければ、それを踏まえた政策を取るべき。

友人の話によると、大熊町の地権者の中には農業一本で生計を立てられていた方も多いという。
悪く言えば農業を取ったら、生きていけない人だ。
何十年も農業を生業としてきた人に、今から別の仕事を探せってない話だと思う。

ある地権者が「新しい土地で農業を再開したい」と国や県にも代替地を要望してきたのに、それには全く返答せず今すぐ、その土地をよこせ!と。
手足をもぎられるような気持ちだと思う。


文豪・志賀直哉を始め、著名人が宿泊した風情のある家が残されている大熊町。

国も県も住民を軽んじている。
横暴だと感じるのは僕だけじゃないだろう。
やらなきゃならないのは分かるが、もっと住民、県民を思いやる、寄り添う施政を敷けないものか?

東電・国は自分の都合や了見で物事を進めず、今も生業に付けず苦しんでいる被災者がいることを、しっかりと認識し進めるべき。

この問題は、これからも時間がかかりそうだ。

大熊町の中間貯蔵施設建設に反対して来た地権者の「ついに、この日が来たか!」に、同情する僕だった。









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