ときぶーの時間

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地元紙から。

2012-09-16 12:12:16 | 日記
NO-235
昨日、同じ富岡町の被災者で川崎市に避難している方の所へ行った。彼女は地元の新聞を郵送してもらっていて、つい最近の新聞をもらって帰ってきた。

福島民友の9月12日の社会面に、富岡町でお世話になった方の息子さん夫婦の写真と記事を見て「えっ!」と言葉に詰まった・・・・・それは沿岸部での不明者一斉捜索の記事だった。


津波の後の富岡駅。海岸線の家々は全て流され何も残っていなかった。

あの津波で1歳6か月の娘さんを亡くし、今でも娘さんを探していると言う。富岡町の沿岸部では24人の犠牲者が出たと書かれていて、今も6名の方の行方が分からないと言う。

僕は息子さん夫婦を知っていて「嘘だろう?」と、茫然として何も考えられなかった。彼は釣船の船長をしていてあの津波の時に、家族の無事を確認して船を守るために船と共に沖に出た。

あとを託された奥さんは祖父と娘を車に乗せ、逃げる途中で津波に巻き込まれ、その時に奥さんは自力で車から脱出したが車の中では祖父が亡くなっていることを確認。そしてその時に1歳6か月の娘の姿は見当たらなかったと・・・・

一緒に別の車で逃げたお母さんは、車が浮いて流されたから助かったと書かれていた。あの津波の体験は相当怖かった事だろう。


津波でまったく別の姿に変わり果てた海岸近くの町の姿。

やはり知らなければ良かったなと思った。僕にも一人娘がいるが、娘の死なんて考えられないし考えたくもない。もし、自分にこんなことがあったら生きていくのさえ嫌になったかも知れない。

9月1日のいわき市での住民説明会の時に彼ら夫妻を見かけ声を掛けることが出来なかったが、同じ被災者でももっとつらい思いをしている人がいることを改めて痛感!知らなかったから声を掛けないで良かったと思う。

強制避難区域での捜索だって、いまだに自由に立ち入ることの出来ない町である。娘さんを失った彼の心を少しでも理解してあげたいと本当に思った僕だった。


津波後の駅前の商店前は瓦礫の山で通れなかった。

東日本大震災と原発事故の複合災害による福島の避難者は、県内に約10万人県外に約6万人の合計約16万人いる。同胞の16万人は明日も見えない苦しい中で生きている。

原発事故の収束もまるで嘘である。未だ原子炉注水トラブルに汚染水が漏れる事故。除染の遅れに放射性廃棄物の中間貯蔵施設の建設の遅れと、探せばきりがないしどれをとっても道半ばである。

避難などで体調を崩して亡くなられた方が福島県では、1,067人となったことも書かれていた。国はもっとスピードを上げて復興を推し進めてくれ!被災者に明日の生活を見せてくれ!と、僕は叫びたい!







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