なんかもう自分の全てが否定されたようで、落ち込んでいたここ二週間ほど。
夜は寝られずに何回も目が覚めるし、申し込んだズームでの勉強会はひらけんし、孫の声はうるさく感じるし
「おじいちゃんなんでそんなに怒っとるん?」
僕は、生活保護は保護制度の利用者のためにあると思っているし、緊急のシェルターはシェルター利用者のための事業だと思っている。だけどもなんか部屋の管理のための事業、自分たちの都合が優先するようなことが目について・・・。
福祉事務所や公的機関へ私たちが「利用者のためにあれ!」と言うことはそのまま自分たちにも向かってくる言葉だと思う。
自分の行いがそうあるかどうか、そうあれたかどうか・・・ある意味しんどいことや。
これは6月21日の中国新聞。生活保護申請が2年ぶりに増加した・・・と。
そしてこれは中区選出の広島市議会議員・馬庭恭子さんの議会報告。
馬庭さんに限らず、いや自民党も含めて生活保護制度の改善に関心を持ち取り上げてくれる議員が増える中で制度は良くなっていく。
なんか運動団体の中には「自分たちが」「私たちしか」と言うような人がうじゃうじゃいるが、それでは世の中前へ進まない。
活動している自分たちしか見えてこない。
運動は 排除ではなく議論を!と強く願う。
乱用を続けてきたマイスリーのおかげか、夜もなんとか眠れるようになったし、人に誘われて温泉へも出かけた。
ケンローチを2本観た。
ワクチン接種の副作用もそんなに大きくはなかった。
手話サークルも定例会を再開できた。
孫たちにももうちょっと優しなれるやろか
ぼつぼつぼつぼつ前へ歩いていきたい!なと 思っている。