ビルマで 「かあちゃん」という日本語を知っている人たちがいるという…
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8月13日付 | |
ミャンマー(ビルマ)は男子の9割が一度は僧侶になるといわれる。その、み仏の国で太平洋戦争中に約19万もの日本人の尊い命が散った。ビルマで戦死した父が戦地から送った70枚の絵入りはがきをもとに、直木賞作家の北原亞以子さんが戦争体験を綴(つづ)った追想記に『父の戦地』がある ◆1941年に出征、北原さんは3歳だった。父は次々と便りを届けた。娘に自分の記憶を残したかったのだろう。「ゲンキデアソンデオリマスカ、オトウチャンハ、マイニチ、ゲンキデオリマス」。こんな文章に、現地の人からスイカを買ったり、指人形で遊ぶさまや水祭りを絵にして添えている ◆ほのぼのとした内容から現地の人との温かい交流があったこともしのばせる。それがかえって哀切でもある。父は最も悲惨で無謀といわれたインパール作戦にも参加していたと北原さんは推論する ◆ビルマは日本兵の魂がさまよった地だ。この国で慰霊と支援活動をするアジア仏教徒協会の僧侶、小島宗光さん(68)=伊万里市=はイラワジ川中流域でこんな話を聞いた。「生まれたてのカメがはい上がってくるように日本兵が逃げてきた」。インパール作戦で敗れ逃れてきた兵士が大河を渡ったのだ ◆筆者も、この河畔に立ったことがある。飢えと疲労を抱えて泳ぐことは死を覚悟するものだったろうと川幅と水量が物語っていた。現地の人が介抱すると「母ちゃん」と言い、多くが息を引き取った。「母ちゃん」という日本語を覚えている住民がいると聞くと胸が締め付けられる ◆北原さんの父は別の川で命を落とした。父の無念に思いをはせ「大勢の子どもから父親を奪い取る戦争が大嫌いだ」と書く。鎮魂と非戦の誓い。15日、祈りの終戦記念日を迎える。(章)
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