生活障害論 (シリーズ生活リハビリ講座) 三好 春樹 雲母書房 このアイテムの詳細を見る |
三好さんの生活障害論を読みおわったんよ。色々と勉強になるなあ。この人の本を読むと、次から次へと新しい本を読みたくさせられるで。うまいなあ…。
手話の講座を企画する際にも、次から次へと学習したくさせる魔法があればええねんけんど…。
私たちにはそんなええ手はない…か。
いや、この人とっても勉強してはるから説得力があんねん、やっぱし勉強せんとあかんわ。
生活障害論 (シリーズ生活リハビリ講座) 三好 春樹 雲母書房 このアイテムの詳細を見る |
三好さんの生活障害論を読みおわったんよ。色々と勉強になるなあ。この人の本を読むと、次から次へと新しい本を読みたくさせられるで。うまいなあ…。
手話の講座を企画する際にも、次から次へと学習したくさせる魔法があればええねんけんど…。
私たちにはそんなええ手はない…か。
いや、この人とっても勉強してはるから説得力があんねん、やっぱし勉強せんとあかんわ。
今日の中国新聞一面は、広島エアポートビレッジ解散へ36億円を広島県が追加支援することを検討しているとの記事が大きく載っています。当初、24億5000万円を出資していたとのことですから、合わせると50億5000万円。表に出てくるお金だけでこれだけです。
第3セクターであれば、県の職員も出向し、給料分はおそらく県が見ていたのでしょう。ここへつながる道路を作ったり…表に出ていないお金を合わせていくと一体いくらをつぎ込んだことになるのか?
最近は中国新聞も全くのせなくなりましたが、空港建設や例の元県会議長奥様が役員を務めていた会社の不祥事…。
一方、特別支援学校や小規模高校の削減は進められます。
以下は中国新聞のネット配信記事
特別支援校高等部再編に反対 | '09/8/4 |
| |
広島県教委が、聴覚障害のある生徒が通う尾道特別支援学校(尾道市)と広島南特別支援学校呉分校(呉市)で、来年度からの高等部の生徒募集停止を検討していることが3日、分かった。保護者や同窓会有志が、県教委に6295人分の反対署名を提出した。 両校では7月の保護者集会で校長から「来年度からの募集停止を検討している」と説明があった。尾道には高等部2人、中学部1人、小学部10人の計13人▽呉分校には高等部1人、中学部2人、小学部5人、幼稚部1人の計9人が在籍する。 村上悦雄学校経営課長は「社会性を育てるには、一定規模の学習集団の確保が必要」と検討理由を説明。廃止になれば、県内で聴覚障害のある高校生に専門教育をできるのは、寄宿舎併設の広島南特別支援学校(広島市中区)だけになる。 3日は、代表の永本泰弘さん(43)たち10人が県教委を訪れ「1人でも行きたいという子どもがいる限り、残すべきだ」と訴えた。 【写真説明】特別支援学校高等部の存続を訴える保護者や同窓会の有志 | |
政権交代、政権交代と叫ばれてはいますが、必要なことは限られた予算をどの方面へ使っていくのかということだろうと思います。
単に、自民党が民主党になれば変わるってものではない、現に民主党は広島県議会では与党ですし、民主党のほとんどは自民党の主流だった人たち。広島県でも「超改憲派」が複数で立候補されるらしいし…。
信徒の友 2009年 08月号 [雑誌] 日本キリスト教書販売 このアイテムの詳細を見る |
あまりまじめでない私に、毎月届く『信徒の友』。いつもは月の半ばに届くのだが、今月号は7月末にいただいた。「日毎の糧」を毎日きちんと読み祈りなさいとの思し召しだろう…。
特集は「キリスト者の平和 悔い改めへの招き」
戦時下の協会の歴史を振り返って
日曜学校の歴史が私たちに問うもの
韓国すたでぃーつあーの取り組みから
いずれも、短い文章だが、私たちが振り返り、繰り返してはならない私たちの歴史を伝えようとしている。
ここで、私がエッと思ってしまったのは
日本プロテスタント宣教150周年記念大会 記者会見開かれる」の1ページ
プロテスタントの日本への宣教の始まりはベッテルハイムが沖縄へやってきた1846年だと言われており、150周年については 日本キリスト教団沖縄教区などが、幾度かの過ち・沖縄切り捨てを繰り返すものだと反対している。
こんな中での記者会見
「150周年の区切りには異論があることも承知している。沖縄に聖公会のベッテルハイムが来たのは1846年だが、聖公会は日本宣教の先駆けとして位置付けている。私たちはそのことをも覚え、感謝しつつ150年を祝いたい」(山北日本キリスト教団議長)。少数者の切り捨てが どんなに多くのそして取り返しのつかない過ちを繰り返してきたのか…今も繰り返され続けていることに痛みを覚える。
私は、この牧師さんは 私たちにとっての悔い改めとはなにかを 一番にお分かりになっていないのではないかと思ってしまった。
そして これからの日本キリスト教団の歩みが 再び戦争への道を歩むものとならないために祈りたいと思う。