最近「日本手話」と「日本語対応手話」を相対して主張される方々がいる。
だが、なんとも 誇張されすぎているような気がする。
例えばこの記事…(河北新報から一部引用)
「日本手話は、語順などが日本語と異なり、日本語を覚える前に聴力を失った高度難聴児らが、日常会話として使う。例えば「名前」という簡潔な手話に、顔の表情や視線を組み合わせ「あなたの名前は?」や「私の名前は」など、複数の意味を伝えることができる。手指以外の動作も言葉としての意味を持つため、円滑に意思疎通ができる。 一般的に使われる「日本語対応手話」は「道草をくう」なら「道」「草」「を」「くう」と手話に変換。機械的で単純に見えるが「途中、ほかのことに時間を費やす」という真意が伝わらず、意思疎通ができないケースも珍しくないという。」
こんな風に変換する人がどれだけいるだろうか? 全くいないとは言わないが…ごくごく少数 中途失聴で手話サークルに入った人ぐらいではないだろうか。
「日本手話」がどこかで言われ始めると あちこちでまねをする人たちがでてきたが…どこかで違ってきたのかな?
以前ある学会で「手話通訳士の中で日本手話を使えるのは一割程度。ほとんどは『日本語対応手話』しか分からない」と発言されている人がいたが、上のような表現を「日本語対応手話」というのなら 「日本語対応手話しかできない手話通訳士」はゼロと言っていい!
記者さんももう少し勉強してほしいな。
英語でもそうですよね。いろんな英語があるけど…。
そういえば最近、日本語の世界でも「外国人の日本語をもっと受け入れよう」なんて主張も出てきたよ。