今年は、どんな一年だったのだろう・・。
思い返しても ”コロナ”に振り回された記憶すら思い出せない・・。
マスク作りに明け暮れたのも 遠い昔のことのようで
自粛じしゅく・・で外出できない生活も 日常になりつつあり・・
毎日の感染者数の増加にも 驚きが薄れ
マスクをすることにも慣れてきた。
先日、大型ショッピングセンターで
小さなお子さん連れのお父さんが
お子さんに ドアノブに触れない ドアの開け方を教えていた。
エレベーターにも乗らない。
手の消毒も店に入るときも出るときも忘れない。
あぁ、これが 新しい生活様式。
父が子に教える”新しい生活の仕方””なのだ。
数か月前のこと
ストアーで 足に擦り傷を作った女の子がいた。
咄嗟に 私は持っていた絆創膏をその子のお母さんに渡した。
お母さんは 「ありがとうございます」と受け取ってくれたものの
このコロナ禍で はたして 渡して良かったのか?
あとで 後悔した。
たぶん・・同じ場面にもう一度 遭遇することがあったら
次は 絆創膏を渡さないっと思う。
良かれと思ったことでも 相手に不快な思いをさせる可能性がある世の中
人と接することで
すべてにおいて”コロナ”を疑ってかからないといけない世の中
もし、万が一 移したら 移されたら・・不安になるくらいなら
”やらない””‥選択をしてしまう世の中
先日、日当たりのいい公園のベンチで
お弁当を食べていたら
小さなお子さん連れの親子がやってきた。
私のベンチは 日が燦燦と当たり 暑いくらい。
でも あとからきたその親子は 日陰の薄暗いベンチで
お弁当を食べ始めたので
慌ててお弁当を食べ終わり席を立つことに。
その親子の横を通りながら
「あっちのほうが暖かいですよ。」
そう声をかけると ご夫婦も 「あぁ・・どうも」と
戸惑いながらも 軽く会釈してくれた。
黙って通り過ぎても
きっと その親子は 日の当たるベンチに移動したのでしょうが
なんとなく
”これくらいの声掛け”くらいは許してほしいっと思ってしまう。
マスクで顔が隠れている分
まったく 言葉を交わさなければ 交わさないでも済むのでしょうが
マスクで顔が隠れている分
”言葉”で伝えなければ 伝わらない。
言葉を交わすな
接近するな
そういわれ続けた一年間。
そろそろ・・そんな新しい生活様式に疲れてきた。
知らない人でも 通りすがりの人でも
そこに”人”と”人”が存在するなら
お互いが お互いを思って言葉を交わす昔ながらの生活様式も
あっていいと思う・・。
いわゆる”お節介”
こんな不可思議な一年を過ごしてみて
やっぱり
”お節介”は 必要である・・という結論に達した気がする。
来年は どんな年になるだろう。
また どこかで足に擦り傷を作った子を見かけたら・・
絆創膏
渡すかな・・。
渡さないっと言いつつも
私の財布には
やっぱり 絆創膏が入っている。
いつの日か こんなことで 悩まなくていい日常が戻ってほしい。
長崎・諏訪神社の門松。
来年も皆様にとって
良き年になりますように。
十一椿。