Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

遠くで汽笛を聞きながら

2010年04月09日 | Weblog
遠くで汽笛を聞きながら


昨日、用事があって、かつて住んでいた町にいった。

その街には、2年半くらいしか
いなかったが、一生懸命生きた街だった。

昔、駅についたとき、荷物もなく
車も自転車もなく
知り合いもいなくて、不安で
駅の構内で涙がでた。

人が多くて、子供づれでも容赦なくて。
その前の街が、とても親切だったから 
余計、いやだった。
二日目、暑い夏の日。
私は、子供をつれて駅まで歩いてみた。
1時間、かかった。

3歳の子どもをつれて、自動車の教習場に
通った。
悪名たかい学校だったと
最近、知った。


子供を幼稚園にいれた。
入園式の日、私は、つわりで、気分が悪く
以後、体調が悪かった。

バス停までも遠かった。
タクシーを電話で呼んでもきてくれない街だった。
買い物をするのに、自転車を必死でこいだ。

狭いアパート。
不便な場所。

頭の中には、「なにもいいことがなかった、この街で♪」
というフレーズが。

昨日、私は、自宅から車でいき、
そのあと、駅前にできたショッピングビルにいくのに
挑戦してみた。

事故をおこさずに、なんとか、クリア。
お金がなくて、「この予算で」といって
馬鹿にされたお花屋さんが、テナントではいっていた。
懐かしい肉屋さん、パン屋さん。
人の行列。

昔、高級花屋だとおもったのに
今は、手ごろな花をうっていた。
花は、かわずに、パンをかった。
行列のよこにいた年配の男性が
「ありがとうございます」と頭を下げた。
このパン屋さんのオーナーなのかな?
この街の人に頭を下げてもらえるなんて
想像もしなかった。

この街が今、好きなのか、どうかわからない。

あの苦労した日々が、今の私の一部にあるのだろう。
「あのころを思えば・・。」という中に、あの街で過ごした時代も
はいっている。

長く感じたあの時代。
また、あの街にいこうとおもっている。
今度は、笑ってあの街を楽しむために
私は行く。



さくらびと SunSet Swish

2010年04月07日 | Weblog
さくらびと SunSet Swish


喧嘩ばかりして
「早く 家をでていってよ!」と
いい続けた長女が、仕事で本当に
家をでることになった・・・。


今日のように、曇り空の桜。
メランコリーな気分になってなけてくる。
彼女がおなかにいるのがわかったころ、桜の季節だった。
あれから、彼女は私の人生にいた。

さて今週、私は、こき使われて、怒って笑って「バイバイ~!」できるかな?

ドレスコード

2010年04月06日 | Weblog
通院しているクリニックであう、
いつも和服の女性。

今日は、桜づくしだった。

私が、「今日も素敵ですね~。
桜づくしで、お花見をさせてもらいました」というと
「本当は、これは、もう、ぎりぎりなんですよね。
もう、萌黄や若葉の柄をきないといけなんですけど・・。」

「いいんじゃないですか。
宇野千代さんは、一年中、桜だったんだから」といったが、
着物のお約束ごとにとらわれていて
「いやいや・・。」という。
着物の柄も帯も寝付けもバックも、全部桜である。

そこまでしたのだから、いいと思うんだけどね。

ちょっと、イライラしてきた。
彼女は、着物を楽しんでいるのではない。
着物に着られているし、和服のお約束ごとに
縛られている自分を自慢しているように思えてきた。

「約束ごとをしっていて、崩すのはいいんじゃないですか?」といったのだが
とにかく、否定するのだ。

フォーマルの席じゃあるまいし・・・。
いいんじゃないの?
あさってから、京都にいくそうだから、神経を使っているのかな?
私は、「こんなときにもう、桜の柄は、おそおすえ~」なんて
いわないし、誰も言わないと思う。
関西の桜は、まだ、しばらく咲く季節のはず。
それに、ここは鎌倉だし。
ドレスコードをわかっていて、少し破る人と
わかっていなくて、守っていない人は
わかるものだと思う。
なんとなく。
そう、思う。

いつもきちんと和服をきて
えらいな~と、思っている。
少し見習いたいものだ。




2010年04月06日 | Weblog
大阪で、生まれ育った私にとって
桜をみるということは
造幣局の通り抜けをすることだった。

自分がいかなくてもいい。
家族がいったとしても
それで、桜の季節の行事がすむのだ。

春の宵に、浮かれ気分で、物見遊山する。
それは、造幣局の通り抜けをして
夜、どこかで、御飯でも食べれば、最高。
父が晩酌をして、ほろ酔いで、いちびって(ふざければ)
それで、冬が終わった。


JR東海の今年の京都のCMは、御室 仁和寺の桜だった。

私は、京都の桜の名所にいったことがあったかしらん?
御室の桜も円山公園の桜も満開のときにみたことがないとおもう。

それを残念におもっていた。
先日は、東山、銀閣寺からの哲学の小道の桜並木を
中継していた。

「これは、観た!」
うら若き乙女だった私は、桜のしたのベンチで
お弁当を食べた(・・・ような気がする)
桜が咲いていた(・・・・ような気がする)
しかし、もう少し、早い時期だった。
でも、確かに、今は、桜の木の保全のために
立ちいり禁止になっている川沿いのベンチに
腰掛けて、お弁当を食べた(・・・ような気がする)

今から、○十年も昔のことなので
桜ももう少し、若かった(・・・ような気がする)

あれは、貴重な体験だったのだなあ・・・・。

むすめは、「私は、桜の時期に京都にいったことがない」
と不平をいう。
関西にいても、なかなか、いけないのだ。
○十年早い!
といいたいのを
我慢している。

願わくば・・・・。
(西行法師がでました)

吉野の桜を死ぬまでにみたいものだ。
そのころには、法師か尼かわからないくらいの
年寄りになっているかもしれない。
桜のころの吉野。
一生をかけた夢のひとつである。

桜は、本当はとっても怖い。
(ここで、坂口安吾が・・・)
このように、好むと好まざるにかかわらず
桜ほど、日本の生活に密着した花は
ないかもしれない。

お花見 未満

2010年04月06日 | Weblog
今、桜を真正面にみながら
これを書いている。

お花見日和だったこの土日は
急に独り暮らしをすることになった
長女の引越し準備に翻弄された。

「ああ、今年はお花見ができない」とおもったのだが、
ゆとり世代の弊害ばかりの娘に
ぷっつんきて、車を走らせ花見客でいっぱいの
公園のそばで、車を止めた。

今も、目の前に桜がある。

なのに、まだ、お花見をした気分にならない。

私は、桜の花をしたから見上げたい。
誰かと一緒だと、なおいい。

今日も桜の花が散りかけている道を
車で走ったのに、なんか、納得していないのだ。

土の筆・いたち毛の筆・赤ん坊の毛の筆

2010年04月01日 | Weblog
本日は、土筆(つくし)を摘み
ほうれん草と炒めて、卵とじにして
食べた!

昨年も土筆をつんで、食べてみたが
苦かった・・。
都会育ちの私には、土筆を食べる習慣は
ない。

しかし、今すんでいる家の裏には、
たくさんの土筆が生えている。

美味しく食べてみたものだ、
と思った私は、サイトで、調べて
あく抜きの方法を知った。

****

さて、今日は腰がいたいでの
まったりしていたら、
お隣に引っ越してきた子供たちとおかあさんが、土筆をつんでいた。
若いおかあさんは、土筆を塩でゆがくといい、と教えてくれた。
子供たちは、さっさとたくさんの土筆を摘んだ。
おしゃべりしながら、土筆のはかまをとり、
家で、念入りに水あらいし、つけておき
塩をいれた熱湯でゆがいて、調理した。

全然、苦くない!
むすめも、「それ、本当に食べるの~!?」と
いやがっていたが、あっさり、食べた。
まあまあ、美味しかったようだ。
繊維質が多くて、腸によさそう。

土筆料理への道が開かれたのだった。
メインにはならないが、春の味を楽しもう。

つくしは、「土筆」とかく。
本当に、土の中から筆がでてきたみたいだ。

そういえば、今日、筆も買った。
息子の高校の選択が書道だ。
ろくな筆をもっていないのに
やっとこさ、本人から苦情がでたので・・。
買うときのポイントは・・・。
いたち毛や、狸毛がはいっていることを
私は重視した。
いたち毛は、紅筆でも使い勝手がとてもいい。
娘は、筆の太さ(半紙に何字くらいかくものか)を
重視した。

いたち毛をどうやってとるのか、
疑問だが、自然素材は、やはりいいと
思う。
我が家には、とんでもない自然素材の筆がある。
赤ん坊の髪で作った筆が二本。
もったいなくて、とても使えるものではない。
気持ちが通じたのか?
むすめたちは、お習字は、まあまあ、上手になったので
よかった。

息子も誕生の記念を銀のスプーンじゃなくて
筆にしたら、よかったかな・・・。