Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

回転すし屋にて

2008年06月21日 | Weblog
先日、初めての大型スーパーにいった。

そこに、回転寿司屋さんがあったので、
入ってみた。
貼ってある広告に
「はものお吸い物」があったからからである。

関西人の私は、夏は、はもが恋しくなる。

そこの回転すしは、大阪系らしい。

平日、昼下がりの回転すしは、
すいている。
真っ先にはものお吸い物をマイクで
オーダー。
この値段で、美味しいものが食べられるのだろうか?
という安さ。

これは、満足であった。
隣に年配の女性がきた。
なれた様子で、次々と、オーダーをする。
こういう人が、きっとここのおススメを
しっているのに違いない。
少し、チェックさせてもらい
あとで、同じものが、流れてきたら、
選んだら、やっぱり、正解!だった。

ベルトにのって、
つぎつぎと、お寿司がくる。
それをみているうちに私は
少し、うれしくなった。

普段、回転すしにいくと、
早く食べないと!と、せかされているような気になる。

その日は、ゆっくりした空気のせいか、
そこのベルトの速度が遅いのか?
「これ、食べたら?
これはどう?」と、
優しくすすめられているような気がしたのだ。

私の実家では、父親が、鍋奉行で、とりわけてくれた。
なにかにつけて、親が、やいやいと、
指図し、すすめたり、怒られたりした。

結婚してから、とりわけてくれる人もすすめてくれる人も
いなくなった。
私は、誰かに、いれてもらう習性が、抜けず、
いまだに寂しいのだ。

回転すしは、一見、自分でとらなければならないので、
寂しいといえば、寂しいものかもしれない。
しかし、その日、私は、
ひとりでカウンターに座って、
つぎつぎと、すすめてもらっているような、喜びを
感じてしまったのである。

寂しい話かな?
書いているうちに
とても、寂しい人間のような気がしてきた。

どこの奥さんもお母さんも、
そんなものだと思う。

私も、今、自分が家族に
取り分けることが多い。

昔は、お好み焼きを食べにいっても、
ひっくりかえす必要がなかった。
お店の人か、一緒にいった人が
返してくれるから・・・。

「はい、どうぞ!」という勢いで、
差し出される食事は美味しく、うれしい。

だから、カウンターに、座るのが、
割りと好きなのかな?

家では、お茶ひとつもいれてもらえないなあ~。