Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

たま駅長

2008年06月02日 | Weblog
今日は、書きたいスイッチがはいって、
たくさん、書いてしまった。
そろそろ、スイッチをきらないと・・・。
最後に、
猫のお話つながりで、
たま駅長をご紹介しよう。

和歌山県の貴志川線の終点
貴志駅に、猫の駅長がいる。

貴志川線は、和歌山市駅からでている、
ローカルな線である。
私は、数年前、友人のベーカリテラス
「ドーシェル」に初めていったとき、
この貴志川線に乗った。
貴志駅は、とても、小さな田舎の駅で、
駅舎は、すごくかわいらしかった。
ただ、とても田舎だった。
そこを強調してしまうくらい・・。

そのときは、たま駅長は、いなかった。

今年、ふたたび、ドーシェルにいくとき、
貴志川線に乗りたく、帰りは、乗る予定にしていた。
貴志川線は、私が、初めて乗ってから、経営不振で、
廃線になったのを、地元の人の熱意や、新しい電鉄会社の
努力で、今、いちご電車というかわいらしい、メルヘンな
電車が走り、駅には、猫のたまが駅長として、
みんなをなごませてくれるのを私は知っていた。
だから、乗る予定にしていたのだが、ちょっとした当日の
都合により、海南市から帰ったのである。
たま駅長は、もともとは、売店の人がかっている猫であった。
新しい電鉄会社になったとき、みんなに愛される猫のたまを
駅長にしたことが、今の貴志川線の人気につながっている。

私が住む、関東の町の本屋にも、
たま駅長の写真集がある。
今度は、フランスの映画にもでるそうだ。
すごい!
たま駅長は、猫の種類としては、どこにでもいる
普通の猫である。
高級ペットではないだろう。
しかし、本当に、まねき猫であり、
これぞ、本当に、「たまの輿」というべき
猫ちゃんなのだ。
ああ、たま駅長にあいたい・・・。

今度、ドーシェルにいくときは、絶対、
イチゴ電車にのって、たま駅長にお会いしたいものだ。
(親ばかを承知でかくが、
うちの猫のミドルネームは、『招き猫』だ。
なにを招いてくれているのだろうか?疑問だ。
いえることは、金運でない、ということ


ペットショップにて

2008年06月02日 | Weblog
土曜日に、私と娘は、猫砂をかいに、
猫をつれていった。

そのホームセンターは、地下に、ペットショップがあり、
ペットをつれていってもいいのだ。
たいてい、犬だが、私は、以前、
若い男性が、愛猫を愛おしそうに
抱いてきていたのにあったことがある。
猫も、いい猫ちゃんだったし、
その若者が、すごく、かっこよく
見えたのは、いうまでもない。

ペット専用のカートもある。
うちの猫は、室内飼いなのだが、
外に行きたがるので、たまにつれいくと、
うれしいみたいなのだ。

唯一、一緒にお買い物が楽しめる場所だ。

しかし、土曜日は、しまった!
と思った。

お天気が、悪かったせいか、家族づれが、たくさん、
ペットショップにいて、動物園をみるような状態。
うちの猫が、キャリーからでたら、
こどもたちが、
「猫だ!猫だ!」と騒ぐ。

ショップのガラスケースの中の
子犬や仔猫は、さわれないので、目の前に現われた
うちの猫「さわりたい!」と親にいう。

もし、「さわっていいですか?」と聞かれたら、
もちろん、「どうぞ!」とうれしく答えただろう。

しかし、親の中には、
「だめだよ!
油断していると、ひっかかれるから!」と子供を
たしなめる親もいる。

私は、いやな気持ちになった。

ペットショップのおねえさんが、
きて、「かわいいですね~。
おとなしいですね~。
わあ、毛艶がいい!」とほめそやかしてくれて、
私たちは、恥ずかしいながら、ちょっといい気持ちになっていたのだが、
猫の周りに人だかりがしてくるうちに、
だんだん、早く帰りたくなっていった。

うちの猫は、大事にしているほうだと思うので、
いい猫に見えるらしいが、もとは、そんなに、由緒ただしい
セレブ猫ではない。

ときどき、ペットを人間様以上にして、
お犬さま、お猫さま状態にしている人をみるとバカにするくせに、
我が家自身が、たまにそんな、バカな状態に
なるのは、否めない。しかし、飼ういじょう、
責任を持ちたいので、ちゃんとかっているつもりでいたら、
うちの猫は、外にでたら、「お猫さま」に見えるときがあるのだろう。
昔、猫にひもをつけて、散歩している人をみて、
私は、あきれたが、今は、自分が、猫にハーネスをつけて、
外にいく。
(チャンと猫用です)
ペットがいまや、家族になっているご時勢。
そういう飼い方が、あると思ったので、そうしているのだ。

猫や犬が嫌いな人もいるから、
許可されたところでないとつれていかない。
違う階で、買い物をするときのために、
キャリーにいれ、店員さんにきいてから、
買い物をする。
そのつもりで、準備していったのだが、
見世物になったうえ、猫を「お猫さま」扱いしている
おばかに思われていそうで、だんだん、居心地が悪くなっていった。

娘と私は、短い時間なのに、
「頭いたくなってきたね・・」といって、早々に帰宅したのであった。




人に注意することの難しさ

2008年06月02日 | Weblog
先に、注意するとき、怖いおばさんになってしまう
恐れをかいてしまったが、
なにも、怖いおばさんにならなくてもいいのだ。

ただ、人に注意することって、
とても、難しい。

この間、娘と知り合いのピアノを
聴いているときだったと思う。
舞台に、私たちの知り合いが、でていて、
それを一番、静かに聴きたかったのに、
前の席の子ども達が、しゃべっていて、
うるさかった。
私は、我慢していた・・。

次に、また、知り合いがでたときも
子ども達は、しゃべっている。
すると、うちの娘が、
「あのね、
静かにしてくれるかナっ!」と
怖いお姉さんになって、注意したのだ。

おお!
私が、我慢して、怒りのスイッチがはいって、
怒ったとしたら、とんでもない、キレタ大人に違いない。
本当に、大人げない、おばさんになっただけだ。

反対に、我々が、エキサイトして、悪いマナーだったときのこと。
京都のある、神社で、夢中で、写真をとっていたのだ。
我々は、観光客モードだから。
すると、通り過ぎるきわに、
「おおお・・。こんなところで、こんなことして・・・。」と
つぶやく声が聞こえた。

その言葉に、私と友人は、冷たい水を浴びせかけられたように
感じて、一瞬でシュン・・・。となり、黙ってしまった。
それから、気をつけたのは、いうまでもない。
しかし、それは、関東育ちの娘には、聞こえない、警告とか、
皮肉だったのだ。
京都人が、底意地が悪い、といわれるのは、
昔昔から、いろんな地方のいろんなマナーが悪い人がきて、
それをたしなめるのに、一見、かどがたたないような言い方を
しなければならなかったからだろうな・・・。
と思う。

私と娘が、鎌倉にお参りにいっての帰り、電車の中で、
あきらかに、違う地方からの若者が、グループで、
わいわいとはしゃぎ、傍若無人な振る舞いをして、
苦々しい気持ちでいたら、我々だけでなく、
隣の美しいお嬢さんも、そうだったらしくて、
足を踏まれたお嬢さんは、
舌打ちをしたので、びっくりした。

私は、渋谷や、新宿にいったら、まごまごして、
きっと、先の若者に、舌打ちされることだろうな・・・。

(だから、先日、セルフのガソリン・スタンドで、
まごまごしている私を助けてくれた、優しいお兄さんって、
すごく、素敵に思えた・・。
えっ?あれは、私を助けたのでなく、隣にいた、娘を助けたのだって!?)
ウ~ム、ひがんでいます?


スイッチ

2008年06月02日 | Weblog
なにかの拍子に
「スイッチが入ってしまった」と思うときがある。

この間、ママ友とのランチ会では、
久しぶりの友達のトークに
笑いのスイッチが、はいてしまい、
なんでも、笑いすぎる私は
「箸が、転げても、おかしいお年頃なのね。」
と、からかわれた。
(本当の、「そのお年ごろ」のときの
私は、どんなに、笑っていただろう?)

怒りのスイッチが、入ると、自分でもつらい。

哀しみのスイッチが、入ると、涙が、止まらない。

子供が、赤ちゃんのときは、
赤ちゃんのスイッチが、欲しかった。
泣き叫ぶ、子供の声が、いやで、
スイッチが、背中にあって、OFFにしたら、
ピタッ!と止まったら、どんなにいいだろう・・。
といつも、思った。

昨日、スーパーに買い物にいった。
店の前に、つながれている犬のほえる声が、
店内にいても、耳について、
スイッチが、犬にあって、OFFにしたい!
と思った。
子供の大きく、騒ぐ声も、OFFにしたい!
と思いながら、夕食の買い物をした。
このスーパーは、なぜか、子供が、走りまわりたく
なるらしい。
だから、苦手なのだが、一番、近いので、仕方ない。
犬は、帰り、みたら、よく、吼える犬種のように思った。

「仕方ない」のだが、ときどき、いやで、仕方ないので、
私は、よく、「スイッチを切って!」と心の中で、叫ぶのである。
でも、実際には、注意するほどの勇気は、ない・・・。
注意する、怖いおばさんになるまで、あとどれくらいかかるかな?
スイッチが、はいったら、すぐだったりして。