車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

今治城 in 愛媛県今治市通町

2020年10月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛媛県

関ヶ原の戦いでの戦功により伊予半国20万石を領した『藤堂高虎』が瀬戸内海に面した海岸に築いた大規模な平城「今治城」。別名「吹揚城(ふきあげじょう)」ともいいます。

慶長7年(1602)に築城を始め、建造物も含めて完成したのは慶長13年頃と推測されます。海を最大限に活用するため三重の堀に海水を引き入れ、城内の港として国内最大級の船入を備えた日本屈指の海城。高虎が伊勢に移封となり寛永12年(1635)に松平定房が入城して以降、明治維新まで美しい姿を見せてきた「今治城」。

明治維新後の廃城令により、優美な姿を誇っていた今治城は内堀と主郭部の石垣を残すのみとなりました。その後、昭和28年(1953)に県指定史跡となり、昭和55年(1980)からは、主郭部跡に天守をはじめとする櫓、門などの再建が進み、現在みられる雄大な城郭の姿が完成。

綺麗に整備された土橋は真っ直ぐに「鉄御門(くろがねごもん)に向かいます。お侍たちがお城勤めで歩いたのもこの土橋だったのかな。いや、当時は木橋だった筈だよ。じゃぁ、脇には船とかも停泊していたんだよね・・うす曇の鬱陶しさを物ともせず、いつも通り賑やかな二人😄 😃

鉄御門を潜った正面の石垣。場違いに大きな石は「鏡石」と呼ばれるもので、城主の力を誇示する為と言われています。今治築城の総奉行を務めた『渡辺勘兵衛』にちなんで「勘兵衛石」とも呼ばれており、今治城で一番大きな石だそうです。

目に付いてしまうと気になる石垣。「おお!」と思うものには丁寧に説明が添えられていたのですが、画像に残していなかったので、ほぼ不明😓

馬上から天守閣を仰ぎ見るのは『藤堂高虎:騎馬像』。高虎と言えば築城の名手としても知られていますが、何度も主君を変えたことでも有名な武将。何しろ関ヶ原の戦いでは家康に組し、三成さんを敗北に追いやった立役者の一人。ちなみに私、三成さん贔屓なんです😅

主君を選び間違えれば、その時点で一族郎党が滅びてしまう戦国時代。浅井家の家臣から、信長、秀長、秀吉そして最終的には家康に組し、徳川家の重臣として仕えた『藤堂高虎』。「武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ」・・ 立ち位置を変えてみれば、主君として仕えるには実に頼もしい人物だったのです。

望楼型5重6階模擬の天守閣・・模擬であろうが紛いであろうが😅、日本の城郭と言うのは本当に綺麗だと思います。天守閣を見上げていると、まるでその部分だけがうす曇の空を跳ね返すようにまばゆく見えます。

広大な城址には2007年に復元された二の丸の表門「鉄御門」や、天守閣と一緒に再建された多聞櫓等々と・・それなりに見所はあるのですが、いかんせん、ちょっと座りたくても地面は濡れた状態。 流石に見て歩くだけなので疲れてきました。

冷えも手伝って痛み出した足をさすりながら屈みこんだ時、何とも絶妙なタイミングで足元に擦り寄ってきた「元気の素」😍 思いがけない可愛いお見舞いにすっかり元気倍増。首輪もあるしちゃんとお家がある子だね。雨になる前に早くお家に帰るんだよ。

今治城は、高松城(香川県)中津城(大分県)と共に、日本三大水城の一つに数えられています。

訪問日:2011年6月11日


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