日本最初の天満宮とされる「防府天満宮」。トップは「扶桑菅廟最初(ふそうかんびょうさいしょ)」の碑。防府天満宮は扶桑国(日本)で最初の菅公を祀る所と言う意味。昭和62年『村田博氏』により奉納されました。
扶桑菅廟最初の碑から東へ進むと「天神本地観音堂」に至ります。道真公の母君はこの本地観音を信仰され、体の弱かった道真公の成長をこれに祈られたと云います。『十一面観音世菩薩』を本尊とし、大内弘世の世に周防国三十三番観音巡礼二十四番札所となりました。「創立は千数百年前と伝えられ、防府天満宮創立以降は奥之院として尊崇せられ「天神様に詣っても観音様に詣らねば、詣ったことにならぬ。」と広く言い伝えられるようになりました」境内案内より
境内地蔵堂に収められていた「南無日切地蔵尊」。提灯には南無大師遍昭金剛と墨書されています。
参拝を終えて再び天満宮に戻り、「管公廟(かんこうびょう)」の亀趺。
「昌泰四年(901)正月、太宰権帥に左遷された菅公は、あわただしく西下された。その途次、周防勝間が浦に立ち寄られたことから、防府天満宮の歴史が始まる。菅公は、延喜三年(903)年2月25日に薨去。社伝は当時を次のように伝えている。「身は筑紫に果つるとも、魂魄は必ずこの地に帰り来たらん」と、勝間の浦に神光が現れ、酒垂山に瑞雲がたなびいた。時の国司たちこれを拝見し館に公の霊を祀り翌年8月松崎の地に宝殿を建立した。」防府市HPより
「菅公廟碑」
楼門前、向かって右に撫で牛像。
楼門前、向かって左に御神馬像。
神牛、神馬と続いたので、天満宮と言えば梅鉢紋。何時の時代の奉納なのか不明ですが、天満宮宝物館の前にとても立派な青銅の手水鉢を発見。貫禄たっぷりの吐水龍も一緒です。
立派な台石の上に置かれていた「梅花石」。北九州市門司区青浜海岸周辺の地層には、梅の花を散りばめたような美しい模様の「梅花石」が産出することが知られています。 梅の花に見えるものは、約3億5000万年前の暖かい海に栄えたウミユリ化石の破片だそうです。
菅原道真公はお茶に関する故実を調査、研究され、世間に喫茶の習慣を広められ茶聖菅公と称せられました。と言う事で「茶筌塚」。
でも何といっても「書道三聖」と崇められるお方。天満宮に「筆塚」は必須です。
いかにも趣きのある「天神水鉢」は、元禄16年(1703)『宍道玄蕃(しじげんば)』の寄進で大阪で造られたもの。手水舎の後ろの小さな池には、酒垂山から引かれた「天神水」が絶えることなく注いでいます。
「正面に大きく「天満宮」と刻した自然石の灯篭。天明から安政時代(1780~1860)の頃に建てられたものが多い。境内にはこのような江戸時代後期の灯籠が、十数基建っている」案内より
石灯籠と言えば・・・石段上のこの巨大な石灯籠。生憎の雨とあって建立年の確認はせずですが・・優に4mは超えているのでは。
願いを込めて触ると願いや夢が叶うという「夢叶う牛」。願う事はいつだって同じ。この先もずっと今日が明日に続き、二人で生きてゆけますように🙏
天神様の撫で牛さん、沢山の天満宮で沢山の撫で牛さんにお会いしたけれど、この時出会った撫で牛さんほど優しいお顔は、多分・・他に知らない。
二年おきに三度も訪問した防府天満宮 😊、明日は境内に建立された碑などを紹介します。
参拝日:2013年4月117日&2015年11月14日&2017年11月30日
今朝の札幌は天気も良く
お出かけ日和です。
お地蔵様に帽子や前掛けが
かかっていて可愛い雰囲気になっていますね
有難うございます
今日はこちらも24度と
戸外で作業すると汗ばむお天気です
ただしこの後、気温が下がる見込みだそうですが😓
お地蔵様の帽子や前垂れ、
どんな方が作って奉納するんでしょうね
小学校の3年生まで、熊本の田舎に住んでいました。お年寄りが「なむだいしへんじょうこんごう」と言いながら、拝んでいました。
いつ、何を拝んでいたのか忘れていますが、この言葉だけが心に残っています。南無大師遍昭金剛だったんてすね。仏教に疎いので分かりませんが、天満宮信仰だったのでしょうか。
傘をさしたtononeko殿の後ろ姿と、優しい表情の「なで牛さん」。
わたしもそっと撫でたくなりました。願い事は貴方と同じです。
「この先もずっと今日が明日に続き、二人で生きてゆけますように」
貴方の胸の中にいるのは、貴方の大好きなtononeko殿、私の心にいるのは大事な喧嘩相手の家内です。
大事な貴方の名前を間違いました。申し訳ありません。ご容赦ください。
電気をつけずにキーボードを打っています。pがoのすぐ隣にあるためです。もう1箇所は、
南無大師遍昭金剛だったんてすね。・・・での濁点が抜けています。
年金暮らしで、電気代を節約しているためではありません。椅子を離れて壁のスイッチを触るのが面倒という、横着をしているからです。( 念の為、ご説明 )
「なむだい しへんじょう こんごう」
こんな区切りかたで、母たちは手を合わせていました
漢字で覚えた時に「なむだいし へんじょうこんごう」だと理解。
官公の母君は観音信仰をされていたそうです。
真言では「神仏」という概念を否定していないからか、同じ敷地内に同居というケースが多くみられます。
onecat様の大切な喧嘩相手の奥様。
真っ白いモッコウバラのように優しく
しなやかに強いお方だろうと想像しています😊