千鶴おばさんのダイエット&日々の徒然日記 (過去の太極拳)

メタボ検診で黄信号「痩せなさい」先生より命令が出ました
幾多のダイエット繰り返してもままならないこの体何とかしなきゃ

幻の夕霧七年忌

2008-09-23 19:36:00 | 歌舞伎・映画・落語など
ここまで感激するとは思いもしませんでした。
3年前中村鴈治郎さんが坂田籐十郎を襲名されました。

私はその当時追っかけをやりまして八坂神社での襲名披露お練り、高島屋で襲名挨拶、南座、松竹座と付いて歩きました。

その当時から京都造形芸術大学の教授である田口先生(私の通う歌舞伎講座講師)が学習院大学諏訪教授、坂田籐十郎さん他の方が集まり「上方和事研究会を立ち上げられた。
元禄時代を生きた初代坂田籐十郎が演じた「夕霧7回忌」を実験上演とシンポジュームが開催されたのです。



当時は能・狂言の影響があり能舞台に似た作りでしたが大学内の春秋座に再現されていました。
桟敷席まで出来ていました、田口先生曰く「造形大学だから出来たのです」



先生方の作業は困難を極めたそうです、下の写真は京都万太夫座上演「けいせい弘誓舟(ぐせいのふね)」絵入り狂言本です。
この本や万年暦絵から諏訪先生が皆さんと話し合いながら脚本を書かれたそうです。



下はふすま絵に描かれた京都北野の馬場に常設された舞台です。
今回再現された舞台ですね、そっくりです。



役者万年暦挿絵「けいせい弘誓舟」(元禄13年)
関西での歌舞伎は和事が得意と言われますがお国歌舞伎に始まった女歌舞伎の系統でありはんなりとした雰囲気を持っている。
江戸歌舞伎は女歌舞伎が禁止された後始まった野郎歌舞伎の系統と言われる。
関西に比べて他国から集まった人が多く言葉が良く理解されないので動きで表現する歌舞伎で有ったそうです。



そんな試行錯誤の末完成された舞台はホント感激、想像以上に大感激の舞台でした。
隣に座られたお婆さんは小柄で座布団持参でも「見えますか」と気遣ったほど小さな方でしたが「ひ孫が出るんです」と嬉しそうに話しかけられた。
上品なお婆さんにそっくりな可愛い子が伊右衛門の子供役で出演されていました。

ひ孫の演じる姿に涙されていましたが私も思わずもらい泣きしてしまいました??
素晴らしかったです、この場にいられてホンと良かった。

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2 コメント

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歴史的瞬間 (bube)
2008-09-24 07:05:46
本の字は、残念ながら、まったく読めません。
千鶴さんのような、歴史的瞬間に立ち会われた方が、元禄にも、いらっしゃったんでしょうね。

あと、何百年もすると、千鶴さんも、
歴史の立会人として、
本の中の一部になるのかなぁ。と、思いながら、拝見しています。
今の時代は、本の中ではなく、ビデオの中かな?
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そうなりたいものですが (千鶴おばさん)
2008-09-24 08:14:57
何代も伝統を引き継いで来られる方は矢張り違いますね。
籐十郎さんは大名跡である中村雁治郎を70才にして退き途絶えていた籐十郎を継がれたのですから凄いパワーですよね。

若い頃から籐十郎を目指しておられたとか。
でもご自身の進む道は雁治郎だったのですがりっぱに全うされその道を後進に譲り自らの憧れの道へ再度挑戦されたのですから全く驚異でしか有りませんでした。

その年で私は何が出来るだろうと思うと・・・
精々かわいいおばぁちゃんでいたいと思うくらいです。
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