内外政策評論 TheOpinion on Global & Domestic Issues

このブログは、広い視野から内外諸問題を分析し、提言を試みます。
Policy Essayist

シリーズ 安全神話は取り戻せるか? (その1)

2011-08-17 | Weblog
シリーズ 安全神話は取り戻せるか? (その1)
 政府は、原子力発電所の安全を維持・確保する原子力安全・保安院を経済産業省から切り離し、新組織として原子力安全庁を環境省の下に置くことに決定する。内閣府に置くか否かも一つの論点であったが、それは単に組織上、手続き上の問題ではない。「事業所外へのリスクを伴う事故」以上となれば広範な放射能汚染に発展するので、国民の安全と健康を確保するとの観点から、効果的、効率的な組織としなくてはならない。
 1、基本的な防災対策強化の必要性
 3月11日に発生した三陸沖の地震がマグニチュード9.2という戦後最大規模のものであり、マグニチュード7~8程度を想定していたこれまでの防災対策は、防波堤などのハードの面でも、また避難警報や避難方法などのソフトの面でも不十分であったことが明らかになった。三陸沖の地震や津波の危険性については、従来あれだけ頻繁に取り上げられ、多額の予算を投じて対策が採られて来た。しかし死者・不明者を含め2万人以上の被害を出し、多くの市町村が瓦礫と化した。全体として防災のあり方の再検討が迫られている。自然の驚異が人間の想定を上回ったということであるが、1995年1月の阪神淡路大震災の他、2004年12月26日にスマトラ沖で発生したマグニテユード9.3の大地震で巨大津波による広範に亘る被害を出し、三陸沿岸の津波への危険性が各方面から指摘されていたことを考えると、「想定外」では済まされない面があり、国レベルだけでなく、直接の当事者となる地方レベルまで、行政と立法、与野党双方において謙虚に過去の施策を再評価し、より安全で持続可能な社会作りに協力すべきであろう。
 2、崩れた原子力発電の「安全神話」
 そして従来“クリーンで安全なエネルギー”と言われ、地球温暖化対策の切り札の一つとされて来た原子力発電所が基礎的な脆弱性を露呈した。
「想定を越えた災害」が起こったとは言え、福島原子力発電所における大規模地震や津波災害への備えが施設面で不十分であったことに加え、原子炉に危機的な異変が起こった後の対応振りや備えがハード、ソフト双方の面で十分でなかったことが明らかになった。
この状況は、核融解(メルトダウン)という国家危機と言えるところであるので、東京電力1企業の能力を超えていたと言えよう。これのような状況を受けて政府(原子力安全・保安院)は、4月12日、国際的な原子力事故の評価レベルを5「事業所外リスクを伴う事故」から6の「大事故」を飛び越して一挙に最高レベルの7「危険な状態」に引き上げた。しかし何故もっと早く「大事故」以上に引き上げ、国が主導して事故の対応に当たらなかったのか疑問が残る。
 放射能防護などについては、日本だけではなく、核先進各国の核防護スペシャリストや軍の核防護スペシャリスト、或いは放射能防護のための資機材の提供など、あらゆる可能な方法を総動員する必要があった。一企業では対応は困難だ。
 今回の事故で6基ある原子炉の廃炉が避けられそうにない。原子炉1基の建設費は直接コストでも数千億円掛かるので、原子力発電は受け入れ市町村や県への交付金や各種の行政コストに加えると高コストとなる。更に事故対策や賠償などが必要になっている。
 既存の施設や建設中の施設を全て止めれば多大の損失や無駄となる一方、国全体の電力供給への影響も考慮しなくてはならないが、今後の電力・エネルギー政策と途上国への原子力発電所建設援助のあり方が再検討を迫られていると言えよう。
 3、今後の原子力発電の安全性確保の上で何が必要か  -シリーズ 安全神話は取り戻せるか? (その2)へ続く
 4、原子力安全庁はどの組織に置くべきか       -シリーズ 安全神話は取り戻せるか? (その3)へ続く
(2011.08.11)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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シリーズ 安全神話は取り戻せるか? (その1)
 政府は、原子力発電所の安全を維持・確保する原子力安全・保安院を経済産業省から切り離し、新組織として原子力安全庁を環境省の下に置くことに決定する。内閣府に置くか否かも一つの論点であったが、それは単に組織上、手続き上の問題ではない。「事業所外へのリスクを伴う事故」以上となれば広範な放射能汚染に発展するので、国民の安全と健康を確保するとの観点から、効果的、効率的な組織としなくてはならない。
 1、基本的な防災対策強化の必要性
 3月11日に発生した三陸沖の地震がマグニチュード9.2という戦後最大規模のものであり、マグニチュード7~8程度を想定していたこれまでの防災対策は、防波堤などのハードの面でも、また避難警報や避難方法などのソフトの面でも不十分であったことが明らかになった。三陸沖の地震や津波の危険性については、従来あれだけ頻繁に取り上げられ、多額の予算を投じて対策が採られて来た。しかし死者・不明者を含め2万人以上の被害を出し、多くの市町村が瓦礫と化した。全体として防災のあり方の再検討が迫られている。自然の驚異が人間の想定を上回ったということであるが、1995年1月の阪神淡路大震災の他、2004年12月26日にスマトラ沖で発生したマグニテユード9.3の大地震で巨大津波による広範に亘る被害を出し、三陸沿岸の津波への危険性が各方面から指摘されていたことを考えると、「想定外」では済まされない面があり、国レベルだけでなく、直接の当事者となる地方レベルまで、行政と立法、与野党双方において謙虚に過去の施策を再評価し、より安全で持続可能な社会作りに協力すべきであろう。
 2、崩れた原子力発電の「安全神話」
 そして従来“クリーンで安全なエネルギー”と言われ、地球温暖化対策の切り札の一つとされて来た原子力発電所が基礎的な脆弱性を露呈した。
「想定を越えた災害」が起こったとは言え、福島原子力発電所における大規模地震や津波災害への備えが施設面で不十分であったことに加え、原子炉に危機的な異変が起こった後の対応振りや備えがハード、ソフト双方の面で十分でなかったことが明らかになった。
この状況は、核融解(メルトダウン)という国家危機と言えるところであるので、東京電力1企業の能力を超えていたと言えよう。これのような状況を受けて政府(原子力安全・保安院)は、4月12日、国際的な原子力事故の評価レベルを5「事業所外リスクを伴う事故」から6の「大事故」を飛び越して一挙に最高レベルの7「危険な状態」に引き上げた。しかし何故もっと早く「大事故」以上に引き上げ、国が主導して事故の対応に当たらなかったのか疑問が残る。
 放射能防護などについては、日本だけではなく、核先進各国の核防護スペシャリストや軍の核防護スペシャリスト、或いは放射能防護のための資機材の提供など、あらゆる可能な方法を総動員する必要があった。一企業では対応は困難だ。
 今回の事故で6基ある原子炉の廃炉が避けられそうにない。原子炉1基の建設費は直接コストでも数千億円掛かるので、原子力発電は受け入れ市町村や県への交付金や各種の行政コストに加えると高コストとなる。更に事故対策や賠償などが必要になっている。
 既存の施設や建設中の施設を全て止めれば多大の損失や無駄となる一方、国全体の電力供給への影響も考慮しなくてはならないが、今後の電力・エネルギー政策と途上国への原子力発電所建設援助のあり方が再検討を迫られていると言えよう。
 3、今後の原子力発電の安全性確保の上で何が必要か  -シリーズ 安全神話は取り戻せるか? (その2)へ続く
 4、原子力安全庁はどの組織に置くべきか       -シリーズ 安全神話は取り戻せるか? (その3)へ続く
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 政府は、原子力発電所の安全を維持・確保する原子力安全・保安院を経済産業省から切り離し、新組織として原子力安全庁を環境省の下に置くことに決定する。内閣府に置くか否かも一つの論点であったが、それは単に組織上、手続き上の問題ではない。「事業所外へのリスクを伴う事故」以上となれば広範な放射能汚染に発展するので、国民の安全と健康を確保するとの観点から、効果的、効率的な組織としなくてはならない。
 1、基本的な防災対策強化の必要性
 3月11日に発生した三陸沖の地震がマグニチュード9.2という戦後最大規模のものであり、マグニチュード7~8程度を想定していたこれまでの防災対策は、防波堤などのハードの面でも、また避難警報や避難方法などのソフトの面でも不十分であったことが明らかになった。三陸沖の地震や津波の危険性については、従来あれだけ頻繁に取り上げられ、多額の予算を投じて対策が採られて来た。しかし死者・不明者を含め2万人以上の被害を出し、多くの市町村が瓦礫と化した。全体として防災のあり方の再検討が迫られている。自然の驚異が人間の想定を上回ったということであるが、1995年1月の阪神淡路大震災の他、2004年12月26日にスマトラ沖で発生したマグニテユード9.3の大地震で巨大津波による広範に亘る被害を出し、三陸沿岸の津波への危険性が各方面から指摘されていたことを考えると、「想定外」では済まされない面があり、国レベルだけでなく、直接の当事者となる地方レベルまで、行政と立法、与野党双方において謙虚に過去の施策を再評価し、より安全で持続可能な社会作りに協力すべきであろう。
 2、崩れた原子力発電の「安全神話」
 そして従来“クリーンで安全なエネルギー”と言われ、地球温暖化対策の切り札の一つとされて来た原子力発電所が基礎的な脆弱性を露呈した。
「想定を越えた災害」が起こったとは言え、福島原子力発電所における大規模地震や津波災害への備えが施設面で不十分であったことに加え、原子炉に危機的な異変が起こった後の対応振りや備えがハード、ソフト双方の面で十分でなかったことが明らかになった。
この状況は、核融解(メルトダウン)という国家危機と言えるところであるので、東京電力1企業の能力を超えていたと言えよう。これのような状況を受けて政府(原子力安全・保安院)は、4月12日、国際的な原子力事故の評価レベルを5「事業所外リスクを伴う事故」から6の「大事故」を飛び越して一挙に最高レベルの7「危険な状態」に引き上げた。しかし何故もっと早く「大事故」以上に引き上げ、国が主導して事故の対応に当たらなかったのか疑問が残る。
 放射能防護などについては、日本だけではなく、核先進各国の核防護スペシャリストや軍の核防護スペシャリスト、或いは放射能防護のための資機材の提供など、あらゆる可能な方法を総動員する必要があった。一企業では対応は困難だ。
 今回の事故で6基ある原子炉の廃炉が避けられそうにない。原子炉1基の建設費は直接コストでも数千億円掛かるので、原子力発電は受け入れ市町村や県への交付金や各種の行政コストに加えると高コストとなる。更に事故対策や賠償などが必要になっている。
 既存の施設や建設中の施設を全て止めれば多大の損失や無駄となる一方、国全体の電力供給への影響も考慮しなくてはならないが、今後の電力・エネルギー政策と途上国への原子力発電所建設援助のあり方が再検討を迫られていると言えよう。
 3、今後の原子力発電の安全性確保の上で何が必要か  -シリーズ 安全神話は取り戻せるか? (その2)へ続く
 4、原子力安全庁はどの組織に置くべきか       -シリーズ 安全神話は取り戻せるか? (その3)へ続く
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 政府は、原子力発電所の安全を維持・確保する原子力安全・保安院を経済産業省から切り離し、新組織として原子力安全庁を環境省の下に置くことに決定する。内閣府に置くか否かも一つの論点であったが、それは単に組織上、手続き上の問題ではない。「事業所外へのリスクを伴う事故」以上となれば広範な放射能汚染に発展するので、国民の安全と健康を確保するとの観点から、効果的、効率的な組織としなくてはならない。
 1、基本的な防災対策強化の必要性
 3月11日に発生した三陸沖の地震がマグニチュード9.2という戦後最大規模のものであり、マグニチュード7~8程度を想定していたこれまでの防災対策は、防波堤などのハードの面でも、また避難警報や避難方法などのソフトの面でも不十分であったことが明らかになった。三陸沖の地震や津波の危険性については、従来あれだけ頻繁に取り上げられ、多額の予算を投じて対策が採られて来た。しかし死者・不明者を含め2万人以上の被害を出し、多くの市町村が瓦礫と化した。全体として防災のあり方の再検討が迫られている。自然の驚異が人間の想定を上回ったということであるが、1995年1月の阪神淡路大震災の他、2004年12月26日にスマトラ沖で発生したマグニテユード9.3の大地震で巨大津波による広範に亘る被害を出し、三陸沿岸の津波への危険性が各方面から指摘されていたことを考えると、「想定外」では済まされない面があり、国レベルだけでなく、直接の当事者となる地方レベルまで、行政と立法、与野党双方において謙虚に過去の施策を再評価し、より安全で持続可能な社会作りに協力すべきであろう。
 2、崩れた原子力発電の「安全神話」
 そして従来“クリーンで安全なエネルギー”と言われ、地球温暖化対策の切り札の一つとされて来た原子力発電所が基礎的な脆弱性を露呈した。
「想定を越えた災害」が起こったとは言え、福島原子力発電所における大規模地震や津波災害への備えが施設面で不十分であったことに加え、原子炉に危機的な異変が起こった後の対応振りや備えがハード、ソフト双方の面で十分でなかったことが明らかになった。
この状況は、核融解(メルトダウン)という国家危機と言えるところであるので、東京電力1企業の能力を超えていたと言えよう。これのような状況を受けて政府(原子力安全・保安院)は、4月12日、国際的な原子力事故の評価レベルを5「事業所外リスクを伴う事故」から6の「大事故」を飛び越して一挙に最高レベルの7「危険な状態」に引き上げた。しかし何故もっと早く「大事故」以上に引き上げ、国が主導して事故の対応に当たらなかったのか疑問が残る。
 放射能防護などについては、日本だけではなく、核先進各国の核防護スペシャリストや軍の核防護スペシャリスト、或いは放射能防護のための資機材の提供など、あらゆる可能な方法を総動員する必要があった。一企業では対応は困難だ。
 今回の事故で6基ある原子炉の廃炉が避けられそうにない。原子炉1基の建設費は直接コストでも数千億円掛かるので、原子力発電は受け入れ市町村や県への交付金や各種の行政コストに加えると高コストとなる。更に事故対策や賠償などが必要になっている。
 既存の施設や建設中の施設を全て止めれば多大の損失や無駄となる一方、国全体の電力供給への影響も考慮しなくてはならないが、今後の電力・エネルギー政策と途上国への原子力発電所建設援助のあり方が再検討を迫られていると言えよう。
 3、今後の原子力発電の安全性確保の上で何が必要か  -シリーズ 安全神話は取り戻せるか? (その2)へ続く
 4、原子力安全庁はどの組織に置くべきか       -シリーズ 安全神話は取り戻せるか? (その3)へ続く
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 1、基本的な防災対策強化の必要性
 3月11日に発生した三陸沖の地震がマグニチュード9.2という戦後最大規模のものであり、マグニチュード7~8程度を想定していたこれまでの防災対策は、防波堤などのハードの面でも、また避難警報や避難方法などのソフトの面でも不十分であったことが明らかになった。三陸沖の地震や津波の危険性については、従来あれだけ頻繁に取り上げられ、多額の予算を投じて対策が採られて来た。しかし死者・不明者を含め2万人以上の被害を出し、多くの市町村が瓦礫と化した。全体として防災のあり方の再検討が迫られている。自然の驚異が人間の想定を上回ったということであるが、1995年1月の阪神淡路大震災の他、2004年12月26日にスマトラ沖で発生したマグニテユード9.3の大地震で巨大津波による広範に亘る被害を出し、三陸沿岸の津波への危険性が各方面から指摘されていたことを考えると、「想定外」では済まされない面があり、国レベルだけでなく、直接の当事者となる地方レベルまで、行政と立法、与野党双方において謙虚に過去の施策を再評価し、より安全で持続可能な社会作りに協力すべきであろう。
 2、崩れた原子力発電の「安全神話」
 そして従来“クリーンで安全なエネルギー”と言われ、地球温暖化対策の切り札の一つとされて来た原子力発電所が基礎的な脆弱性を露呈した。
「想定を越えた災害」が起こったとは言え、福島原子力発電所における大規模地震や津波災害への備えが施設面で不十分であったことに加え、原子炉に危機的な異変が起こった後の対応振りや備えがハード、ソフト双方の面で十分でなかったことが明らかになった。
この状況は、核融解(メルトダウン)という国家危機と言えるところであるので、東京電力1企業の能力を超えていたと言えよう。これのような状況を受けて政府(原子力安全・保安院)は、4月12日、国際的な原子力事故の評価レベルを5「事業所外リスクを伴う事故」から6の「大事故」を飛び越して一挙に最高レベルの7「危険な状態」に引き上げた。しかし何故もっと早く「大事故」以上に引き上げ、国が主導して事故の対応に当たらなかったのか疑問が残る。
 放射能防護などについては、日本だけではなく、核先進各国の核防護スペシャリストや軍の核防護スペシャリスト、或いは放射能防護のための資機材の提供など、あらゆる可能な方法を総動員する必要があった。一企業では対応は困難だ。
 今回の事故で6基ある原子炉の廃炉が避けられそうにない。原子炉1基の建設費は直接コストでも数千億円掛かるので、原子力発電は受け入れ市町村や県への交付金や各種の行政コストに加えると高コストとなる。更に事故対策や賠償などが必要になっている。
 既存の施設や建設中の施設を全て止めれば多大の損失や無駄となる一方、国全体の電力供給への影響も考慮しなくてはならないが、今後の電力・エネルギー政策と途上国への原子力発電所建設援助のあり方が再検討を迫られていると言えよう。
 3、今後の原子力発電の安全性確保の上で何が必要か  -シリーズ 安全神話は取り戻せるか? (その2)へ続く
 4、原子力安全庁はどの組織に置くべきか       -シリーズ 安全神話は取り戻せるか? (その3)へ続く
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 政府は、原子力発電所の安全を維持・確保する原子力安全・保安院を経済産業省から切り離し、新組織として原子力安全庁を環境省の下に置くことに決定する。内閣府に置くか否かも一つの論点であったが、それは単に組織上、手続き上の問題ではない。「事業所外へのリスクを伴う事故」以上となれば広範な放射能汚染に発展するので、国民の安全と健康を確保するとの観点から、効果的、効率的な組織としなくてはならない。
 1、基本的な防災対策強化の必要性
 3月11日に発生した三陸沖の地震がマグニチュード9.2という戦後最大規模のものであり、マグニチュード7~8程度を想定していたこれまでの防災対策は、防波堤などのハードの面でも、また避難警報や避難方法などのソフトの面でも不十分であったことが明らかになった。三陸沖の地震や津波の危険性については、従来あれだけ頻繁に取り上げられ、多額の予算を投じて対策が採られて来た。しかし死者・不明者を含め2万人以上の被害を出し、多くの市町村が瓦礫と化した。全体として防災のあり方の再検討が迫られている。自然の驚異が人間の想定を上回ったということであるが、1995年1月の阪神淡路大震災の他、2004年12月26日にスマトラ沖で発生したマグニテユード9.3の大地震で巨大津波による広範に亘る被害を出し、三陸沿岸の津波への危険性が各方面から指摘されていたことを考えると、「想定外」では済まされない面があり、国レベルだけでなく、直接の当事者となる地方レベルまで、行政と立法、与野党双方において謙虚に過去の施策を再評価し、より安全で持続可能な社会作りに協力すべきであろう。
 2、崩れた原子力発電の「安全神話」
 そして従来“クリーンで安全なエネルギー”と言われ、地球温暖化対策の切り札の一つとされて来た原子力発電所が基礎的な脆弱性を露呈した。
「想定を越えた災害」が起こったとは言え、福島原子力発電所における大規模地震や津波災害への備えが施設面で不十分であったことに加え、原子炉に危機的な異変が起こった後の対応振りや備えがハード、ソフト双方の面で十分でなかったことが明らかになった。
この状況は、核融解(メルトダウン)という国家危機と言えるところであるので、東京電力1企業の能力を超えていたと言えよう。これのような状況を受けて政府(原子力安全・保安院)は、4月12日、国際的な原子力事故の評価レベルを5「事業所外リスクを伴う事故」から6の「大事故」を飛び越して一挙に最高レベルの7「危険な状態」に引き上げた。しかし何故もっと早く「大事故」以上に引き上げ、国が主導して事故の対応に当たらなかったのか疑問が残る。
 放射能防護などについては、日本だけではなく、核先進各国の核防護スペシャリストや軍の核防護スペシャリスト、或いは放射能防護のための資機材の提供など、あらゆる可能な方法を総動員する必要があった。一企業では対応は困難だ。
 今回の事故で6基ある原子炉の廃炉が避けられそうにない。原子炉1基の建設費は直接コストでも数千億円掛かるので、原子力発電は受け入れ市町村や県への交付金や各種の行政コストに加えると高コストとなる。更に事故対策や賠償などが必要になっている。
 既存の施設や建設中の施設を全て止めれば多大の損失や無駄となる一方、国全体の電力供給への影響も考慮しなくてはならないが、今後の電力・エネルギー政策と途上国への原子力発電所建設援助のあり方が再検討を迫られていると言えよう。
 3、今後の原子力発電の安全性確保の上で何が必要か  -シリーズ 安全神話は取り戻せるか? (その2)へ続く
 4、原子力安全庁はどの組織に置くべきか       -シリーズ 安全神話は取り戻せるか? (その3)へ続く
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 政府は、原子力発電所の安全を維持・確保する原子力安全・保安院を経済産業省から切り離し、新組織として原子力安全庁を環境省の下に置くことに決定する。内閣府に置くか否かも一つの論点であったが、それは単に組織上、手続き上の問題ではない。「事業所外へのリスクを伴う事故」以上となれば広範な放射能汚染に発展するので、国民の安全と健康を確保するとの観点から、効果的、効率的な組織としなくてはならない。
 1、基本的な防災対策強化の必要性
 3月11日に発生した三陸沖の地震がマグニチュード9.2という戦後最大規模のものであり、マグニチュード7~8程度を想定していたこれまでの防災対策は、防波堤などのハードの面でも、また避難警報や避難方法などのソフトの面でも不十分であったことが明らかになった。三陸沖の地震や津波の危険性については、従来あれだけ頻繁に取り上げられ、多額の予算を投じて対策が採られて来た。しかし死者・不明者を含め2万人以上の被害を出し、多くの市町村が瓦礫と化した。全体として防災のあり方の再検討が迫られている。自然の驚異が人間の想定を上回ったということであるが、1995年1月の阪神淡路大震災の他、2004年12月26日にスマトラ沖で発生したマグニテユード9.3の大地震で巨大津波による広範に亘る被害を出し、三陸沿岸の津波への危険性が各方面から指摘されていたことを考えると、「想定外」では済まされない面があり、国レベルだけでなく、直接の当事者となる地方レベルまで、行政と立法、与野党双方において謙虚に過去の施策を再評価し、より安全で持続可能な社会作りに協力すべきであろう。
 2、崩れた原子力発電の「安全神話」
 そして従来“クリーンで安全なエネルギー”と言われ、地球温暖化対策の切り札の一つとされて来た原子力発電所が基礎的な脆弱性を露呈した。
「想定を越えた災害」が起こったとは言え、福島原子力発電所における大規模地震や津波災害への備えが施設面で不十分であったことに加え、原子炉に危機的な異変が起こった後の対応振りや備えがハード、ソフト双方の面で十分でなかったことが明らかになった。
この状況は、核融解(メルトダウン)という国家危機と言えるところであるので、東京電力1企業の能力を超えていたと言えよう。これのような状況を受けて政府(原子力安全・保安院)は、4月12日、国際的な原子力事故の評価レベルを5「事業所外リスクを伴う事故」から6の「大事故」を飛び越して一挙に最高レベルの7「危険な状態」に引き上げた。しかし何故もっと早く「大事故」以上に引き上げ、国が主導して事故の対応に当たらなかったのか疑問が残る。
 放射能防護などについては、日本だけではなく、核先進各国の核防護スペシャリストや軍の核防護スペシャリスト、或いは放射能防護のための資機材の提供など、あらゆる可能な方法を総動員する必要があった。一企業では対応は困難だ。
 今回の事故で6基ある原子炉の廃炉が避けられそうにない。原子炉1基の建設費は直接コストでも数千億円掛かるので、原子力発電は受け入れ市町村や県への交付金や各種の行政コストに加えると高コストとなる。更に事故対策や賠償などが必要になっている。
 既存の施設や建設中の施設を全て止めれば多大の損失や無駄となる一方、国全体の電力供給への影響も考慮しなくてはならないが、今後の電力・エネルギー政策と途上国への原子力発電所建設援助のあり方が再検討を迫られていると言えよう。
 3、今後の原子力発電の安全性確保の上で何が必要か  -シリーズ 安全神話は取り戻せるか? (その2)へ続く
 4、原子力安全庁はどの組織に置くべきか       -シリーズ 安全神話は取り戻せるか? (その3)へ続く
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