内外政策評論 TheOpinion on Global & Domestic Issues

このブログは、広い視野から内外諸問題を分析し、提言を試みます。
Policy Essayist

2020年東京オリンピックに野球を含めることを推奨する!

2014-01-31 | Weblog

2020年東京オリンピックに野球を含めることを推奨する!

 東京オリンピック・パラリンピックの2020年開催に向けての準備が本年から本格的にスタートする。大会開催のコンセプトも8km圏内に会場が集中する“コンパクトなオリンピック”として国際オリンピック委員会にも提示されており、基本的な構図は決まっている。日本は、1964年に東京オリンピックを経験し、成功裏に開催されており、東京はその後飛躍的に発展しているので、成功に向けての準備は円滑に進むものと期待される。

 競技種目については最終段階でレスリングが入ったが、北京オリンピック以後対象外とされた野球(ベースボールと女子ソフトボール)も競技種目に加える事が望ましい。理由としては次の2つが挙げられる。

 一つは、野球はアジア太平洋地域では、日・米・豪の他韓国、台湾などでもサッカーが盛んになる以前から人気スポーツであると共に、質の高い野球場が各地に存在し、新たな施設は余り必要としていないので、競技種目に入れば実施は容易であることだ。

 二つ目は、予選段階などでは東京だけでなく、地方の野球場が利用出来ることである。

 コンパクトな大会開催というコンセプトは良いとしても、東京だけがオリンピック・パラリンピックの当事者となり、地方はほとんど直接的な利益を受けず、折角のオリンピック・パラリンピックでありながら、構図としては地方に当事者意識が芽生えないことである。更に今後5~6年間、オリンピック関連の施設やインフラ建設に工事や関係業者が東京に集中することになり、結果として東北被災地の復興加速化の妨げになる恐れもある。東京都民としては、オリンピック・パラリンピックの日本開催についてはもとより賛成ではあるが、折角の国際的なスポーツの祭典であるので、地方、特に被災地とその喜びや感動を共有出来ればこれ程嬉しいことはないであろう。

 従ってコンパクトというコンセプトは良いが、地方、特に東北復興地域にも裨益するような工夫が必要であろう。野球が競技種目に入れば、予選から準決勝くらいまでは、仙台や千葉、神奈川、大阪、福岡、札幌などで実施できる。

 野球以外でも、例えば団体競技であるサッカー、ゴルフ、バレーボール、バスケットボールやテニス、水泳、体操、レスリングなど一部の種目の予選、及び場合によっては準決勝以上についても、可能な範囲で東北地域などの地方の施設を利用することを検討しても良いであろう。

 また選手や観客の移動を容易にするため、臨時の直行シャトルバス、臨時オリンピック列車や羽田からの航空シャトル便を運行するなどを検討し、現地のインフラを整備することも有益であろう。このような発想や努力が被災復興地域を始め、地方の発展にも寄与することになろう。

 東北被災地の復興を加速化し、地方のスポーツ振興、発展にも寄与するオリンピック・パラリンピックとする工夫が強く望まれる。

(2014.01.16.)(All Rights Reserved.)

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2020年東京オリンピックに野球を含めることを推奨する!

2014-01-31 | Weblog

2020年東京オリンピックに野球を含めることを推奨する!

 東京オリンピック・パラリンピックの2020年開催に向けての準備が本年から本格的にスタートする。大会開催のコンセプトも8km圏内に会場が集中する“コンパクトなオリンピック”として国際オリンピック委員会にも提示されており、基本的な構図は決まっている。日本は、1964年に東京オリンピックを経験し、成功裏に開催されており、東京はその後飛躍的に発展しているので、成功に向けての準備は円滑に進むものと期待される。

 競技種目については最終段階でレスリングが入ったが、北京オリンピック以後対象外とされた野球(ベースボールと女子ソフトボール)も競技種目に加える事が望ましい。理由としては次の2つが挙げられる。

 一つは、野球はアジア太平洋地域では、日・米・豪の他韓国、台湾などでもサッカーが盛んになる以前から人気スポーツであると共に、質の高い野球場が各地に存在し、新たな施設は余り必要としていないので、競技種目に入れば実施は容易であることだ。

 二つ目は、予選段階などでは東京だけでなく、地方の野球場が利用出来ることである。

 コンパクトな大会開催というコンセプトは良いとしても、東京だけがオリンピック・パラリンピックの当事者となり、地方はほとんど直接的な利益を受けず、折角のオリンピック・パラリンピックでありながら、構図としては地方に当事者意識が芽生えないことである。更に今後5~6年間、オリンピック関連の施設やインフラ建設に工事や関係業者が東京に集中することになり、結果として東北被災地の復興加速化の妨げになる恐れもある。東京都民としては、オリンピック・パラリンピックの日本開催についてはもとより賛成ではあるが、折角の国際的なスポーツの祭典であるので、地方、特に被災地とその喜びや感動を共有出来ればこれ程嬉しいことはないであろう。

 従ってコンパクトというコンセプトは良いが、地方、特に東北復興地域にも裨益するような工夫が必要であろう。野球が競技種目に入れば、予選から準決勝くらいまでは、仙台や千葉、神奈川、大阪、福岡、札幌などで実施できる。

 野球以外でも、例えば団体競技であるサッカー、ゴルフ、バレーボール、バスケットボールやテニス、水泳、体操、レスリングなど一部の種目の予選、及び場合によっては準決勝以上についても、可能な範囲で東北地域などの地方の施設を利用することを検討しても良いであろう。

 また選手や観客の移動を容易にするため、臨時の直行シャトルバス、臨時オリンピック列車や羽田からの航空シャトル便を運行するなどを検討し、現地のインフラを整備することも有益であろう。このような発想や努力が被災復興地域を始め、地方の発展にも寄与することになろう。

 東北被災地の復興を加速化し、地方のスポーツ振興、発展にも寄与するオリンピック・パラリンピックとする工夫が強く望まれる。

(2014.01.16.)(All Rights Reserved.)

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2020年東京オリンピックに野球を含めることを推奨する!

2014-01-31 | Weblog

2020年東京オリンピックに野球を含めることを推奨する!

 東京オリンピック・パラリンピックの2020年開催に向けての準備が本年から本格的にスタートする。大会開催のコンセプトも8km圏内に会場が集中する“コンパクトなオリンピック”として国際オリンピック委員会にも提示されており、基本的な構図は決まっている。日本は、1964年に東京オリンピックを経験し、成功裏に開催されており、東京はその後飛躍的に発展しているので、成功に向けての準備は円滑に進むものと期待される。

 競技種目については最終段階でレスリングが入ったが、北京オリンピック以後対象外とされた野球(ベースボールと女子ソフトボール)も競技種目に加える事が望ましい。理由としては次の2つが挙げられる。

 一つは、野球はアジア太平洋地域では、日・米・豪の他韓国、台湾などでもサッカーが盛んになる以前から人気スポーツであると共に、質の高い野球場が各地に存在し、新たな施設は余り必要としていないので、競技種目に入れば実施は容易であることだ。

 二つ目は、予選段階などでは東京だけでなく、地方の野球場が利用出来ることである。

 コンパクトな大会開催というコンセプトは良いとしても、東京だけがオリンピック・パラリンピックの当事者となり、地方はほとんど直接的な利益を受けず、折角のオリンピック・パラリンピックでありながら、構図としては地方に当事者意識が芽生えないことである。更に今後5~6年間、オリンピック関連の施設やインフラ建設に工事や関係業者が東京に集中することになり、結果として東北被災地の復興加速化の妨げになる恐れもある。東京都民としては、オリンピック・パラリンピックの日本開催についてはもとより賛成ではあるが、折角の国際的なスポーツの祭典であるので、地方、特に被災地とその喜びや感動を共有出来ればこれ程嬉しいことはないであろう。

 従ってコンパクトというコンセプトは良いが、地方、特に東北復興地域にも裨益するような工夫が必要であろう。野球が競技種目に入れば、予選から準決勝くらいまでは、仙台や千葉、神奈川、大阪、福岡、札幌などで実施できる。

 野球以外でも、例えば団体競技であるサッカー、ゴルフ、バレーボール、バスケットボールやテニス、水泳、体操、レスリングなど一部の種目の予選、及び場合によっては準決勝以上についても、可能な範囲で東北地域などの地方の施設を利用することを検討しても良いであろう。

 また選手や観客の移動を容易にするため、臨時の直行シャトルバス、臨時オリンピック列車や羽田からの航空シャトル便を運行するなどを検討し、現地のインフラを整備することも有益であろう。このような発想や努力が被災復興地域を始め、地方の発展にも寄与することになろう。

 東北被災地の復興を加速化し、地方のスポーツ振興、発展にも寄与するオリンピック・パラリンピックとする工夫が強く望まれる。

(2014.01.16.)(All Rights Reserved.)

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総人口の約25%「高齢者」は正しいか?!    (その2)

2014-01-31 | Weblog

総人口の約25%「高齢者」は正しいか?!    (その2)

 総務省統計局は、9月17日、65歳以上の「高齢者」が3000万人を超え、総人口の24.1%となり、過去最高となった旨公表した。

 従来の年齢基準での統計数値としては正しいのだろうし、1990年代より確実に進む高齢化、長寿化の傾向の中では不思議はない。しかし、65才以上になると「高齢者」、或いはお年寄りや老人と言われるのは国民の実感とはかけ離れている上、このように国民を年令により区別し、グループ化することに違和感を持つ人は少なくない。長寿化により「高齢者」の定義も変化しなくてはならない。男性にしても女性にしても、年令による身体的、精神的な状況には個人差があると共に、定年や年金受給年令に達する65歳になると制度上「高齢者」として区分され、社会への積極的な係わり合いから遠ざけ形となるので、疎外感を与えることにもなる。

 現在就労者数は約6,400万人であるので、就労者2人で「高齢者」1人を支える計算になる。長寿化が更に進めば、現在の統計基準では「高齢者」の比率がどんどん増加することになり、将来は就労者1人が「高齢者」1人を支える計算になりかねない。現在の統計基準では「高齢者」は65才以上で、‘定年退職’となり社会の生産活動から卒業し、その多くが年金生活者となる。いわば社会的な被扶養者となるが、就労者2人以下で「高齢者」1人を支えるような社会は、就労者、特に青年層にとっては負担感が重過ぎるので、誤解を与え易い統計基準と言えないだろうか。

 1、65才で老人扱いは早過ぎる              (その1 で掲載)

 2、長寿化により必要な就職や社会保障面での年令区分の見直し     

 問題は、年金受給年令に達する65才以上の社会保障上の対応であるが、これを従来のように年令で一律に区分するのではなく、所得(年金を除く年収)を基準とした対応とすることが適当ではなかろうか。社会保障の基本的な目的は、困窮者や社会的弱者へ手を差し延べ、それを国民が経済力に従って支えるということであるので、65才以上でも例えば年収850万円以上(年金は除く)の人達については、所得において現役世代と遜色はないので、年金については凍結するか、20%から25%の支給とする。また医療費については現役世代と同様に支払うこととするのもやむを得ないのではなかろうか。75才以上となる人達についても同様として良いのではなかろうか。

 財政が潤沢な時代であれば従来通りで良かろうが、財政、特に社会保障の財源が不足しているので、従来通りに支給等するために就労者、特に若い世代に追加的な負担を強いることは、社会保障のための負担感がより強くなり、活力を失わせかねない。なお、65才以上でも年収850万円以上の人達には、年金料支払いは免除すべきであろうが、医療費保険料などについても現役同様に徴収することもやむを得ないのではなかろうか。基本的に、今後経済は高度経済成長モデルから安定成長モデルとなる一方、財政上の制約などで行政が必要な施策を全て行うような社会行政モデルは維持困難となって来ているので、国民それぞれの自己責任、受益者負担の意識や観念が一層重要になって来ていると言えよう。自然災害等から身を守ることについても、行政任せでは所詮困難であり、自己責任の意識を持ち、普段から自ら身を守るとの意識と準備をすることが重要であり、そのような自己責任の意識があって初めて被害を最小にすることが出来ると言えよう。

 他方年長者が若い世代の活躍や新しい発想、チャレンジ等を阻害しないように十分配慮する必要があると共に、若い世代が安定的な職業機会を持てるよう細かい配慮と施策が必要であろう。そもそも「皆保険」、「皆年金」の社会を目指すというのであれば、通常社員であろうと派遣、アルバイト等であろうと、就業形態を問わず全ての就業者が報酬レベルに応じて健康保険料や失業保険料、年金拠出料を納付出来るようにしなければ達成困難であろう。

 また重要なことは、若い世代に安定的な職業機会を確保して行く一方、65才以上の年長者層に仕事の機会を提供することだ。それにより、社会的負担を軽減すると共に、年長者にやり甲斐や社会的接点を提供することになる。そのため退職後については、職能別、分野別の専門参与ポスト(仮称)を設け(原則3年間、能力、年令制限は設けず、健康等により更新可能)、報酬は最終報酬の40%から60%程度とし、企業グループ内で経験技能を活かすこと促進することが望まれる。このようなシニアー職能制が公務員を含めて普及すれば、それぞれのグループ内だけでなく年長者に対する職業機会が普及することになろう。

 長寿化の進展は喜ばしいことであるが、それを前提とした新たな社会保障モデルや社会モデルを構築して行くことが必要であろう。少子高齢化は、1990年代初期より政府の各種統計資料でも予測されていたことであり、そのような統計資料を施策の中に生かして行くことが望まれる。

 

(2013.11.19.)(All Rights Reserved.)

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大学の世界ランキング・アップに何が必要か?     (総合編)

2014-01-31 | Weblog

大学の世界ランキング・アップに何が必要か?     (総合編)

 2014年度予算の各省庁要求を政府概算要求を査定する時期になったが、文部科学省は、世界大学ランキング100校入りを支援するために、国公私立の10大学に対し毎年100億円の助成を予算要求すると伝えられている。

 現在、世界大学ランキング100校には日本の国立大学が2校入っているだけであり、一人当たりのGDPを加味すると実質的に世界第2位の経済大国である日本にとっては少し寂しいところだ。ランキング・アップには指導環境など色々な要素が必要だが、各大学の学者、研究者が“独創的な研究を行い、研究論文が内外の研究者などから引用されること”が決定的な要素となる。要するに、各大学に所属する教授ほか研究者の「独創的な研究実績」と「語学力など、対外的な発信能力」が問われていることになる。

 文科省は、10校を選定し、海外の大学との共同研究や著名な研究者の招聘を支援するなどしている。これのような研究交流や人的交流自体は良いことではあるが、新たに毎年100億円もの予算を投入して相当長期を掛けてもどの程度の効果が出るか疑問である。そもそも教育のあり方の転換や教師、研究者の資質や姿勢など、大学院の普及などの制度面、人材面の改善、即ち教育ソフト面の転換がより重要に思える。

 1、 外国大学との共同研究や研究者招聘の効果は局部的、限界的

 外国の共同研究や著名研究者の日本への招聘については、各大学の判断で実施することは大いに良いことであるが、今更という印象を受ける上、その効果は長期を要し、例えば10年間としても1,000億円の予算負担となり、費用対効果の面で疑問が残る。

 外国大学との共同研究でも、iPS細胞分野など日本側に何らかの比較優位のある分野でなければ、各分野で先端を行っているような外国人研究者は日本との共同研究は希望しないであろう。著名な外国人研究者の招聘にしても高額の招聘費が必要となろうし、日本での研究にメリットを感じなければ希望しないであろう。いずれの場合も、日本側に相当高度な研究水準と語学力がなければ得るものは少ないと判断されるであろう。

 招聘事業で一つの例を挙げよう。日本は、1985年9月のプラザ合意で急速な円高を容認し、それにより日本企業の海外進出が急増した。それに伴い海外で活動できる人材や知識等が必要となり、日本の「国際化」が必要とされた。その対策の1つとして90年代初頭より、政府は「語学指導等を行う外国青年招致事業」(JETプログラム)を開始し、当初は米国を中心とする英語圏から青年を招聘し、地方公共団体と共同して各地の学校等に英語教師として配属し、英語教育の普及を行った。その後英語圏以外も加えたほか、役割も地方公共団体の国際交流促進のための助言等の分野に広げ、当初の4カ国から40カ国ほどに拡大し招聘している。この事業は既に20年以上実施しているので、日本各地において外国語を習得し、或いは地方レベルでの国際交流を担える人材が可なり育っていることが期待される。確かに一定の効果はあったが、最大の効果は、日本に招聘された外国人の日本語能力が顕著に向上している上、各地の伝統文化だけでなく、アニメを含む若者文化や日本食、工芸品、匠の技などへの理解と評価も向上し、それが世界各地に伝えられ、日本の伝統文化、技術の水準の高さと共に、現代の庶民文化、若者文化への興味が世界に広がったことであろう。知日派、好日派外国人が増え、日本各地の草の根文化や工芸技術への評価が顕著に高まったが、本事業の本来の目的である日本での英語の普及や能力向上については、20年以上継続しているにも拘らず、それ程の効果は得られていない面がある。逆にこの制度が恒常化したことにより、地域の国際交流や外国人との関係についてはJETで招聘された外国人に実体上任され、JETへの依存性が高まり、地域住民自体の語学力向上や国際化には余り寄与していないとの弊害も見られる。

 外国大学との共同研究や研究者の日本への招聘事業が長期化することになると、JETプログラムと類似の結果となり、日本の学術研究のレベルや創造性、独創性を高め、それが世界に評価、引用されることにどれだけ貢献することになるのか疑問なしとしない。

 また新たな事業予算の追加も良いが、中・長期的な少子化の趨勢に対応し、教育姿勢と共に、国・公立学校を地域別に統廃合し、また国・公立と私立との学費格差や研究助成格差等を縮小することなど、高等教育制度自体を再点検する必要がありそうだ。また暗記重視の教育方針、試験制度から発想力や創造性、独創性を重視した教育姿勢や試験(評価)制度に優先度と資源の再配分を行い、その中で新たなニーズ、事業を加えて行くなどの工夫と先見性が必要と言えよう。中・長期的な少子化、人口減の中での長寿化社会において、新規事業や学校・学部を増加し続け、教育予算を更に拡大することは現実的に困難と見られる。

 2、 最も必要とされる研究成果の英語等による発表能力

 知的活動の分野において、日本の研究成果や論文等が世界の多くの学者、研究者によって評価、引用されるようになるためには、創造性、独創性を重視した教育姿勢、試験(評価)制度と入学試験や公務員を含む就職試験のあり方(新卒者偏重、出身大学主義の採用試験制度など)と大学院レベルへの高等教育の普及と修了者への処遇の改善など、教育姿勢や教育・採用試験制度という教育ソフト面の改善が不可欠と言えよう。

 しかし現実論として学者、研究者による研究成果が国際的に評価されるためには、研究成果が国際的な外国語(英語で可)による成果の発表が不可欠である。どんなに良い研究成果や作品でも日本語だけでは国際的に評価されない。外国と国境を接していない日本では外国語に接する機会は少ないので、当面英語での研究成果の発表を日常化することが望まれる。理工系や医学分野等では研究成果の英語等による発表はある程度行われているが、社会科学や人文科学分野では余り行われてない。

 そのためには、学生や学者、研究者等の2年以上の主要国への留学を飛躍的に増加させることが最も効果的であろう。学生、研究者等の海外留学を促進するため、例えば海外留学(高校・専門レベルで1年、大学・大学院レベルで2年など)での取得単位を国内単位としての認定を促進することと、海外留学奨学金(原則無利子、成績優秀者等には無償など)を新設、拡充することが望まれる。その上で海外からの留学生、研究者の受け入れを促進することが、日本の研究成果の海外への発信力を高める早道と言えよう。

 もっとも日本の英語教育は、中学、高校の6年間に必修科目として行われているが、海外に行って、日本で6年間英語を習っていて英語がしゃべれないと言うと、信じられないというような顔をされる。英語を「語学」という学問の範疇で教え、試験科目にしていることが、コミュニケーション手段としての言葉なることを妨げているようだ。子供が言葉を反復しながら覚えるように、まず英語を耳で聞き、口でしゃべるようにして行き、必要に応じ高学年になってスペリングや文法などへと高めて行けば良いことであろう。外国語を世界とのコミュニケーション手段として行く上では、試験なども「語学」試験としての必須科目とはせず、生きたコミュニケーション手段として選択科目にするなどの改善が必要のようだ。

 3、創造性、独創性を重視した教育・入試制度など、意識と制度の転換が不可欠

 海外への外国語での研究成果の発信力向上に加え、研究成果の創造性、独創性が求められることは言うまでもない。日本の教育方針や制度、試験制度は、卒業後の公務員・企業の就職試験に至るまで基本的に一貫して記憶力、暗記力に重点を置いている。“応用問題”も採用されてはいるが、これも既存知識や研究の“応用”であり、発想力や創造性、独創性を涵養するものではない。

 教える側も、既存の知識や理論等を教え与えることが主眼となっている。無論基本的な知識を蓄積することは重要ではあるが、米欧等においては、研究者や学者が研究論文を可なり頻繁に出さないとポジションを維持することが困難になるので、理工系や医学系に限らず、社会科学、人文科学系においても独創的な研究論文の発表に常に努力している。日本の場合、詰め込み授業に追われることが多く、また基本的に年功序列の昇進となるので研究成果を出す必要が必ずしもない上、自発的な留学のための休暇・休職なども取り難く、また一定年数勤務後の研究休暇(サバテイカル休暇)なども普及していない。

 従って日本の大学が国際的に高い評価を得るためには、教育姿勢や教育方針・制度など、教育ソフト面の改善、転換が不可欠と言える。

 4、 発想力、創造性を加味した就職試験の拡大の必要性

 中学、高校、大学等への進学は、最終的には公務員採用試験を含め、就職への有利性が考慮されるので、就職、採用試験が暗記、記憶力に重点が置かれている限り、学校教育でも暗記、記憶力に重点が置かれることになる。確かに学生が教師と黒板に向かい合う対峙型となり、学生はそれを記録し、記憶するという教育方式が中心となっている。

 それはそれとして良いのだが、もっと小グループで学生と教師の質疑、意見交換、小論文作成等により、双方交通の授業方式を促進し、学生の個々人の個性引き出し、表現できる授業形態が増えることが望ましい。それにより現在欠けていると見られている議論する能力やコミュニケーション能力も向上するものと期待される。

 そのためには採用、就職試験でも暗記、記憶力、応用力に加え、発想力や創造力、独創性を評価することが望まれる。それを短時間で採点することは難しいので、学校側の評価を取り入れることが現実的であろう。

 5、 大学院レベルの高等教育の普及と修士・博士号取得者への公正な処遇

 日本は“学歴主義”と言われることがあるが、実際は、国家公務員等を含め採用が新規卒業者を対象に行われるので、どうしても出身校が差になると共に、いわゆる“終身雇用”形態となっているため、大学院への進学率は、欧米先進工業国等に比して非常に低いのが現状だ。

 人口千人当たりの大学院学生数では、日本の2人に対し、米国9人、英、仏の各8人、韓国が6人となっている(資料:教育指標の国際比較平成23年版)。また25歳以上の大学院入学者は、諸外国では平均2割程度に達するが、日本では2%以下であり、大学院への社会人入学者が非常に少ない。これを反映して、日本の大学院の規模は諸外国に比して小さく、“高度人材を育成する基盤が弱い”と見られている(経済産業省研究資料)。

 また日本の企業役員等(従業員500人以上)の最終学歴では、米国の上場企業管理職等に占める大学院修了者の比率は、人事部長クラスで約62%、営業、経理部長クラスで約45%であるのに対し、日本の大学院卒の比率は5.9%と極端に低い(経済産業省研究資料)。米国では、高校の校長になるためには修士号取得が必要なことが多い。また国連など、国際公務員の幹部クラスは修士号、博士号取得者が多いが、日本の国家公務員の政策職の幹部には大学院修了者はほとんどいない。日本では博士課程修了者の就職率も6割前後に留まっている。上記の通り主要諸国では大学院修了者への評価く、高いキャリアー・アップの要件になっている一方、日本における新卒採用の偏重と大学院修了者の社会的進出の低さが、大学院の規模や大学院進学率の阻害要因になっていると言える。

 日本における高度人材の育成を図るため、大学院制度のあり方が課題と言えよう。

 

 日本は今後少子化と人口減、長寿化社会を迎える一方、グローバリゼーションの流れの中で、物、人、資金の自由化が更に進み、日本への海外資本による直接投資も増加することになるので、高度技術における国際競争力の維持、促進のみならず、日本国内において経営レベルでも国際競争に晒されることになると予想されるので、経営レベルを含め高度人材の育成が課題となると予想される。

このような内外の社会変化に対応して、大学・大学院での制度や教育のあり方を再点検する時期にあると言えよう。しかし上記の通り、大学・大学院での教育や研究は、企業や行政組織及び関係団体のニーズに影響を受けることになるので、社会全体の理解と協力を得つつそのレベル・アップを図って行くことが期待される。(2013.9.28.)(All Rights Reserved.)

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大学の世界ランキング・アップに何が必要か?     (総合編)

2014-01-31 | Weblog

大学の世界ランキング・アップに何が必要か?     (総合編)

 2014年度予算の各省庁要求を政府概算要求を査定する時期になったが、文部科学省は、世界大学ランキング100校入りを支援するために、国公私立の10大学に対し毎年100億円の助成を予算要求すると伝えられている。

 現在、世界大学ランキング100校には日本の国立大学が2校入っているだけであり、一人当たりのGDPを加味すると実質的に世界第2位の経済大国である日本にとっては少し寂しいところだ。ランキング・アップには指導環境など色々な要素が必要だが、各大学の学者、研究者が“独創的な研究を行い、研究論文が内外の研究者などから引用されること”が決定的な要素となる。要するに、各大学に所属する教授ほか研究者の「独創的な研究実績」と「語学力など、対外的な発信能力」が問われていることになる。

 文科省は、10校を選定し、海外の大学との共同研究や著名な研究者の招聘を支援するなどしている。これのような研究交流や人的交流自体は良いことではあるが、新たに毎年100億円もの予算を投入して相当長期を掛けてもどの程度の効果が出るか疑問である。そもそも教育のあり方の転換や教師、研究者の資質や姿勢など、大学院の普及などの制度面、人材面の改善、即ち教育ソフト面の転換がより重要に思える。

 1、 外国大学との共同研究や研究者招聘の効果は局部的、限界的

 外国の共同研究や著名研究者の日本への招聘については、各大学の判断で実施することは大いに良いことであるが、今更という印象を受ける上、その効果は長期を要し、例えば10年間としても1,000億円の予算負担となり、費用対効果の面で疑問が残る。

 外国大学との共同研究でも、iPS細胞分野など日本側に何らかの比較優位のある分野でなければ、各分野で先端を行っているような外国人研究者は日本との共同研究は希望しないであろう。著名な外国人研究者の招聘にしても高額の招聘費が必要となろうし、日本での研究にメリットを感じなければ希望しないであろう。いずれの場合も、日本側に相当高度な研究水準と語学力がなければ得るものは少ないと判断されるであろう。

 招聘事業で一つの例を挙げよう。日本は、1985年9月のプラザ合意で急速な円高を容認し、それにより日本企業の海外進出が急増した。それに伴い海外で活動できる人材や知識等が必要となり、日本の「国際化」が必要とされた。その対策の1つとして90年代初頭より、政府は「語学指導等を行う外国青年招致事業」(JETプログラム)を開始し、当初は米国を中心とする英語圏から青年を招聘し、地方公共団体と共同して各地の学校等に英語教師として配属し、英語教育の普及を行った。その後英語圏以外も加えたほか、役割も地方公共団体の国際交流促進のための助言等の分野に広げ、当初の4カ国から40カ国ほどに拡大し招聘している。この事業は既に20年以上実施しているので、日本各地において外国語を習得し、或いは地方レベルでの国際交流を担える人材が可なり育っていることが期待される。確かに一定の効果はあったが、最大の効果は、日本に招聘された外国人の日本語能力が顕著に向上している上、各地の伝統文化だけでなく、アニメを含む若者文化や日本食、工芸品、匠の技などへの理解と評価も向上し、それが世界各地に伝えられ、日本の伝統文化、技術の水準の高さと共に、現代の庶民文化、若者文化への興味が世界に広がったことであろう。知日派、好日派外国人が増え、日本各地の草の根文化や工芸技術への評価が顕著に高まったが、本事業の本来の目的である日本での英語の普及や能力向上については、20年以上継続しているにも拘らず、それ程の効果は得られていない面がある。逆にこの制度が恒常化したことにより、地域の国際交流や外国人との関係についてはJETで招聘された外国人に実体上任され、JETへの依存性が高まり、地域住民自体の語学力向上や国際化には余り寄与していないとの弊害も見られる。

 外国大学との共同研究や研究者の日本への招聘事業が長期化することになると、JETプログラムと類似の結果となり、日本の学術研究のレベルや創造性、独創性を高め、それが世界に評価、引用されることにどれだけ貢献することになるのか疑問なしとしない。

 また新たな事業予算の追加も良いが、中・長期的な少子化の趨勢に対応し、教育姿勢と共に、国・公立学校を地域別に統廃合し、また国・公立と私立との学費格差や研究助成格差等を縮小することなど、高等教育制度自体を再点検する必要がありそうだ。また暗記重視の教育方針、試験制度から発想力や創造性、独創性を重視した教育姿勢や試験(評価)制度に優先度と資源の再配分を行い、その中で新たなニーズ、事業を加えて行くなどの工夫と先見性が必要と言えよう。中・長期的な少子化、人口減の中での長寿化社会において、新規事業や学校・学部を増加し続け、教育予算を更に拡大することは現実的に困難と見られる。

 2、 最も必要とされる研究成果の英語等による発表能力

 知的活動の分野において、日本の研究成果や論文等が世界の多くの学者、研究者によって評価、引用されるようになるためには、創造性、独創性を重視した教育姿勢、試験(評価)制度と入学試験や公務員を含む就職試験のあり方(新卒者偏重、出身大学主義の採用試験制度など)と大学院レベルへの高等教育の普及と修了者への処遇の改善など、教育姿勢や教育・採用試験制度という教育ソフト面の改善が不可欠と言えよう。

 しかし現実論として学者、研究者による研究成果が国際的に評価されるためには、研究成果が国際的な外国語(英語で可)による成果の発表が不可欠である。どんなに良い研究成果や作品でも日本語だけでは国際的に評価されない。外国と国境を接していない日本では外国語に接する機会は少ないので、当面英語での研究成果の発表を日常化することが望まれる。理工系や医学分野等では研究成果の英語等による発表はある程度行われているが、社会科学や人文科学分野では余り行われてない。

 そのためには、学生や学者、研究者等の2年以上の主要国への留学を飛躍的に増加させることが最も効果的であろう。学生、研究者等の海外留学を促進するため、例えば海外留学(高校・専門レベルで1年、大学・大学院レベルで2年など)での取得単位を国内単位としての認定を促進することと、海外留学奨学金(原則無利子、成績優秀者等には無償など)を新設、拡充することが望まれる。その上で海外からの留学生、研究者の受け入れを促進することが、日本の研究成果の海外への発信力を高める早道と言えよう。

 もっとも日本の英語教育は、中学、高校の6年間に必修科目として行われているが、海外に行って、日本で6年間英語を習っていて英語がしゃべれないと言うと、信じられないというような顔をされる。英語を「語学」という学問の範疇で教え、試験科目にしていることが、コミュニケーション手段としての言葉なることを妨げているようだ。子供が言葉を反復しながら覚えるように、まず英語を耳で聞き、口でしゃべるようにして行き、必要に応じ高学年になってスペリングや文法などへと高めて行けば良いことであろう。外国語を世界とのコミュニケーション手段として行く上では、試験なども「語学」試験としての必須科目とはせず、生きたコミュニケーション手段として選択科目にするなどの改善が必要のようだ。

 3、創造性、独創性を重視した教育・入試制度など、意識と制度の転換が不可欠

 海外への外国語での研究成果の発信力向上に加え、研究成果の創造性、独創性が求められることは言うまでもない。日本の教育方針や制度、試験制度は、卒業後の公務員・企業の就職試験に至るまで基本的に一貫して記憶力、暗記力に重点を置いている。“応用問題”も採用されてはいるが、これも既存知識や研究の“応用”であり、発想力や創造性、独創性を涵養するものではない。

 教える側も、既存の知識や理論等を教え与えることが主眼となっている。無論基本的な知識を蓄積することは重要ではあるが、米欧等においては、研究者や学者が研究論文を可なり頻繁に出さないとポジションを維持することが困難になるので、理工系や医学系に限らず、社会科学、人文科学系においても独創的な研究論文の発表に常に努力している。日本の場合、詰め込み授業に追われることが多く、また基本的に年功序列の昇進となるので研究成果を出す必要が必ずしもない上、自発的な留学のための休暇・休職なども取り難く、また一定年数勤務後の研究休暇(サバテイカル休暇)なども普及していない。

 従って日本の大学が国際的に高い評価を得るためには、教育姿勢や教育方針・制度など、教育ソフト面の改善、転換が不可欠と言える。

 4、 発想力、創造性を加味した就職試験の拡大の必要性

 中学、高校、大学等への進学は、最終的には公務員採用試験を含め、就職への有利性が考慮されるので、就職、採用試験が暗記、記憶力に重点が置かれている限り、学校教育でも暗記、記憶力に重点が置かれることになる。確かに学生が教師と黒板に向かい合う対峙型となり、学生はそれを記録し、記憶するという教育方式が中心となっている。

 それはそれとして良いのだが、もっと小グループで学生と教師の質疑、意見交換、小論文作成等により、双方交通の授業方式を促進し、学生の個々人の個性引き出し、表現できる授業形態が増えることが望ましい。それにより現在欠けていると見られている議論する能力やコミュニケーション能力も向上するものと期待される。

 そのためには採用、就職試験でも暗記、記憶力、応用力に加え、発想力や創造力、独創性を評価することが望まれる。それを短時間で採点することは難しいので、学校側の評価を取り入れることが現実的であろう。

 5、 大学院レベルの高等教育の普及と修士・博士号取得者への公正な処遇

 日本は“学歴主義”と言われることがあるが、実際は、国家公務員等を含め採用が新規卒業者を対象に行われるので、どうしても出身校が差になると共に、いわゆる“終身雇用”形態となっているため、大学院への進学率は、欧米先進工業国等に比して非常に低いのが現状だ。

 人口千人当たりの大学院学生数では、日本の2人に対し、米国9人、英、仏の各8人、韓国が6人となっている(資料:教育指標の国際比較平成23年版)。また25歳以上の大学院入学者は、諸外国では平均2割程度に達するが、日本では2%以下であり、大学院への社会人入学者が非常に少ない。これを反映して、日本の大学院の規模は諸外国に比して小さく、“高度人材を育成する基盤が弱い”と見られている(経済産業省研究資料)。

 また日本の企業役員等(従業員500人以上)の最終学歴では、米国の上場企業管理職等に占める大学院修了者の比率は、人事部長クラスで約62%、営業、経理部長クラスで約45%であるのに対し、日本の大学院卒の比率は5.9%と極端に低い(経済産業省研究資料)。米国では、高校の校長になるためには修士号取得が必要なことが多い。また国連など、国際公務員の幹部クラスは修士号、博士号取得者が多いが、日本の国家公務員の政策職の幹部には大学院修了者はほとんどいない。日本では博士課程修了者の就職率も6割前後に留まっている。上記の通り主要諸国では大学院修了者への評価く、高いキャリアー・アップの要件になっている一方、日本における新卒採用の偏重と大学院修了者の社会的進出の低さが、大学院の規模や大学院進学率の阻害要因になっていると言える。

 日本における高度人材の育成を図るため、大学院制度のあり方が課題と言えよう。

 

 日本は今後少子化と人口減、長寿化社会を迎える一方、グローバリゼーションの流れの中で、物、人、資金の自由化が更に進み、日本への海外資本による直接投資も増加することになるので、高度技術における国際競争力の維持、促進のみならず、日本国内において経営レベルでも国際競争に晒されることになると予想されるので、経営レベルを含め高度人材の育成が課題となると予想される。

このような内外の社会変化に対応して、大学・大学院での制度や教育のあり方を再点検する時期にあると言えよう。しかし上記の通り、大学・大学院での教育や研究は、企業や行政組織及び関係団体のニーズに影響を受けることになるので、社会全体の理解と協力を得つつそのレベル・アップを図って行くことが期待される。(2013.9.28.)(All Rights Reserved.)

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2~3%のベースアップで消費増を望めるか?       (その2)

2014-01-30 | Weblog

2~3%のベースアップで消費増を望めるか?       (その2)

 政府は、4月1日からの8%への消費増税による消費の減少を懸念して財界に対し賃金引き上げを要請し、財界も一部産業の収益改善を反映して賃金ベースの引き上げ(ベア)を検討していると伝えられている。ベアの幅は、企業により異なるが、2~3%程度とも言われている。

  1.2~3%程度の賃上げ(ベア)で消費増を図れるか?!   (その1で掲載)

  2. 公共事業の予算増の経済効果は限定的             

  2014年度予算の政府原案では、公共事業費が5.9兆円強と増加しているが、最近の数年間、公共事業は、4.5兆から7兆円内外で推移して来ており、2013年度には公共事業費(当初予算)は約5.3 兆円、補正予算約5.5 兆円であり、通年合計10.8兆円であるので、前年度対比では経済成長に追加的な押上げ効果があるのは当初予算ベースでは0.4兆円分程度である。従って次年度においても補正予算という声が出ることになろうが、“第3の矢”の中核を担っている公共事業予算の成長への効果は非常に限定的になると言えよう。また公共事業を全国規模で余り増加すると、地方に工事が発注され、各地の土木産業は地元の工事の受注を優先するので、人件費を含む単価も上がり、また東北復興事業に関与するメリットが少なくなるなど、副作用として復興活動の抑制要因になる恐れがある。

 他方新規国債は若干減少するものの国債費は41兆円規模となっており、いずれ国民が税金等の形で返済しなくてはならないものであるので、国債を発行して公共事業を増加するという手法には限界が出始めている。

 3. 大胆な肉付けが望まれる’第3の矢’経済成長戦略    (その3に掲載)

(2014.1.22.)(All Rights Reserved.)

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2~3%のベースアップで消費増を望めるか?       (その2)

2014-01-30 | Weblog

2~3%のベースアップで消費増を望めるか?       (その2)

 政府は、4月1日からの8%への消費増税による消費の減少を懸念して財界に対し賃金引き上げを要請し、財界も一部産業の収益改善を反映して賃金ベースの引き上げ(ベア)を検討していると伝えられている。ベアの幅は、企業により異なるが、2~3%程度とも言われている。

  1.2~3%程度の賃上げ(ベア)で消費増を図れるか?!   (その1で掲載)

  2. 公共事業の予算増の経済効果は限定的             

  2014年度予算の政府原案では、公共事業費が5.9兆円強と増加しているが、最近の数年間、公共事業は、4.5兆から7兆円内外で推移して来ており、2013年度には公共事業費(当初予算)は約5.3 兆円、補正予算約5.5 兆円であり、通年合計10.8兆円であるので、前年度対比では経済成長に追加的な押上げ効果があるのは当初予算ベースでは0.4兆円分程度である。従って次年度においても補正予算という声が出ることになろうが、“第3の矢”の中核を担っている公共事業予算の成長への効果は非常に限定的になると言えよう。また公共事業を全国規模で余り増加すると、地方に工事が発注され、各地の土木産業は地元の工事の受注を優先するので、人件費を含む単価も上がり、また東北復興事業に関与するメリットが少なくなるなど、副作用として復興活動の抑制要因になる恐れがある。

 他方新規国債は若干減少するものの国債費は41兆円規模となっており、いずれ国民が税金等の形で返済しなくてはならないものであるので、国債を発行して公共事業を増加するという手法には限界が出始めている。

 3. 大胆な肉付けが望まれる’第3の矢’経済成長戦略    (その3に掲載)

(2014.1.22.)(All Rights Reserved.)

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2~3%のベースアップで消費増を望めるか?       (その1)

2014-01-30 | Weblog

2~3%のベースアップで消費増を望めるか?       (その1)

 政府は、4月1日からの8%への消費増税による消費の減少を懸念して財界に対し賃金引き上げを要請し、財界も一部産業の収益改善を反映して賃金ベースの引き上げ(ベア)を検討していると伝えられている。ベアの幅は、企業により異なるが、2~3%程度とも言われている。

 1.2~3%程度の賃上げ(ベア)で消費増を図れるか?!

 賃金が引き上げられることは歓迎されることであろうが、2~3%程度の賃上げ(ベア)では消費への効果は限定的と予想される。更に今春、ベアを行えるのは収益増が見込める輸出関連産業や一部流通産業が中心であるので、全産業平均では2~3%程度の賃上げ(ベア)に達しない可能性がある。他方一部企業はベアには慎重だが、収益に応じてボーナス・アップを検討しており、明らかに賃金所得は全体として増加するものと予想されるので、4月1日より消費増税が実施されてもある程度消費は維持されると予想される。

 もっとも、日本の一人当たりの国民所得は約4.3万ドルで世界第14位であり(OECD統計、2010年)、独、仏、英、伊等より上位であるので、定期昇給に加え、毎年ベースアップを実施する必要性は高度成長期と比べ少なくなっていると言えよう。一部企業が、ボーナスで所得アップを検討しているようであるが、日本の給与水準が欧米の水準となっている現在、ベアではなく、企業収益を勘案してボーナスで年俸ベースでの給与調整を行うことにも合理性があると言えよう。

 他方1999年以来の賃金所得の減少は、長期化する経済停滞による企業収益の減少を反映したものであるが、中小企業を含む一部企業は長引く経済停滞の中で賃金を抑制し雇用を維持するというワーク・シェアリングを選択している。いわゆる‘非正規就労者’が就労者全体の3分の1以上を占めている今日、賃金増も大切だか、安定した雇用増加も重要であろう。就職率は前年度よりもやや改善しているので、労働市場でのムードは上向いているが、中小企業を含む収益が改善していない企業の問題や就職率の改善、派遣やアルバイト等の低賃金問題などは今後の課題であると言えよう。それは安定的な消費を維持する上でも重要である。

 また賃金、雇用水準の問題と並んで、将来不安や消費節約を招いている原因として、破綻状態の国民年金を含む将来の年金不安があることを忘れてはならない。生活保護受給者の内60歳以上が40%以上を占めており、年金受給年齢に達する65歳以上も可なりの比率となっている。年金を掛けていても老後は年金では生活が出来ないかもしれないという不安を国民に与えており、これが若い世代の節約・貯蓄志向に繋がっていると言える。

 一方消費者物価は電気代などの公共料金や、ガソリン・灯油代、小麦、小麦製品、食用油、傷害保険料、外国パック旅行など、日用品・サービスが軒並み上昇している上、年金料率の引き上げと給付額の減額、医療費の引き上げなど家計を圧迫する要因が増えている。また4月から消費増税が実施されると電車代、バス代、高速道路料金など日常経費が増加することになるので、消費者とすれば1円でも安い商品を求め、消費節約を図るものと予想される。このような物価上昇は、日銀の2年間で2%のインフレ・ターゲットの達成に沿うものとなろうが、一部産業での2~3%程度の賃上げ(ベア)では不十分であり、収益に応じてボーナス・アップなどを通じ企業収益の役員を含む被雇用者、株主への分配の改善と共に、就職率の改善、派遣やアルバイト等の安定雇用化など雇用環境の改善が引き続き重要な課題となろう。インフレの中での景気停滞というスタグフレーションは避けなくてはならない。

 いずれにしても、輸出産業とその関連産業、及び観光産業等を中心とする企業収益の改善は、これら産業の賃金所得の増加に伴う消費者マインドの改善と企業消費や設備投資の増加、及び雇用環境の改善を牽引しており、当面局部的ではあるが経済成長を促すことになろう。

 2. 公共事業の予算増の効果は限定的              (その2に掲載)

 3. 大胆な肉付けが望まれる’第3の矢’経済成長戦略    (その3に掲載)

(2014.1.22.)(All Rights Reserved.)

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2~3%のベースアップで消費増を望めるか?       (その1)

2014-01-30 | Weblog

2~3%のベースアップで消費増を望めるか?       (その1)

 政府は、4月1日からの8%への消費増税による消費の減少を懸念して財界に対し賃金引き上げを要請し、財界も一部産業の収益改善を反映して賃金ベースの引き上げ(ベア)を検討していると伝えられている。ベアの幅は、企業により異なるが、2~3%程度とも言われている。

 1.2~3%程度の賃上げ(ベア)で消費増を図れるか?!

 賃金が引き上げられることは歓迎されることであろうが、2~3%程度の賃上げ(ベア)では消費への効果は限定的と予想される。更に今春、ベアを行えるのは収益増が見込める輸出関連産業や一部流通産業が中心であるので、全産業平均では2~3%程度の賃上げ(ベア)に達しない可能性がある。他方一部企業はベアには慎重だが、収益に応じてボーナス・アップを検討しており、明らかに賃金所得は全体として増加するものと予想されるので、4月1日より消費増税が実施されてもある程度消費は維持されると予想される。

 もっとも、日本の一人当たりの国民所得は約4.3万ドルで世界第14位であり(OECD統計、2010年)、独、仏、英、伊等より上位であるので、定期昇給に加え、毎年ベースアップを実施する必要性は高度成長期と比べ少なくなっていると言えよう。一部企業が、ボーナスで所得アップを検討しているようであるが、日本の給与水準が欧米の水準となっている現在、ベアではなく、企業収益を勘案してボーナスで年俸ベースでの給与調整を行うことにも合理性があると言えよう。

 他方1999年以来の賃金所得の減少は、長期化する経済停滞による企業収益の減少を反映したものであるが、中小企業を含む一部企業は長引く経済停滞の中で賃金を抑制し雇用を維持するというワーク・シェアリングを選択している。いわゆる‘非正規就労者’が就労者全体の3分の1以上を占めている今日、賃金増も大切だか、安定した雇用増加も重要であろう。就職率は前年度よりもやや改善しているので、労働市場でのムードは上向いているが、中小企業を含む収益が改善していない企業の問題や就職率の改善、派遣やアルバイト等の低賃金問題などは今後の課題であると言えよう。それは安定的な消費を維持する上でも重要である。

 また賃金、雇用水準の問題と並んで、将来不安や消費節約を招いている原因として、破綻状態の国民年金を含む将来の年金不安があることを忘れてはならない。生活保護受給者の内60歳以上が40%以上を占めており、年金受給年齢に達する65歳以上も可なりの比率となっている。年金を掛けていても老後は年金では生活が出来ないかもしれないという不安を国民に与えており、これが若い世代の節約・貯蓄志向に繋がっていると言える。

 一方消費者物価は電気代などの公共料金や、ガソリン・灯油代、小麦、小麦製品、食用油、傷害保険料、外国パック旅行など、日用品・サービスが軒並み上昇している上、年金料率の引き上げと給付額の減額、医療費の引き上げなど家計を圧迫する要因が増えている。また4月から消費増税が実施されると電車代、バス代、高速道路料金など日常経費が増加することになるので、消費者とすれば1円でも安い商品を求め、消費節約を図るものと予想される。このような物価上昇は、日銀の2年間で2%のインフレ・ターゲットの達成に沿うものとなろうが、一部産業での2~3%程度の賃上げ(ベア)では不十分であり、収益に応じてボーナス・アップなどを通じ企業収益の役員を含む被雇用者、株主への分配の改善と共に、就職率の改善、派遣やアルバイト等の安定雇用化など雇用環境の改善が引き続き重要な課題となろう。インフレの中での景気停滞というスタグフレーションは避けなくてはならない。

 いずれにしても、輸出産業とその関連産業、及び観光産業等を中心とする企業収益の改善は、これら産業の賃金所得の増加に伴う消費者マインドの改善と企業消費や設備投資の増加、及び雇用環境の改善を牽引しており、当面局部的ではあるが経済成長を促すことになろう。

 2. 公共事業の予算増の効果は限定的              (その2に掲載)

 3. 大胆な肉付けが望まれる’第3の矢’経済成長戦略    (その3に掲載)

(2014.1.22.)(All Rights Reserved.)

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2020年東京オリンピックに野球を含めることを推奨する!

2014-01-30 | Weblog

2020年東京オリンピックに野球を含めることを推奨する!

 東京オリンピック・パラリンピックの2020年開催に向けての準備が本年から本格的にスタートする。大会開催のコンセプトも8km圏内に会場が集中する“コンパクトなオリンピック”として国際オリンピック委員会にも提示されており、基本的な構図は決まっている。日本は、1964年に東京オリンピックを経験し、成功裏に開催されており、東京はその後飛躍的に発展しているので、成功に向けての準備は円滑に進むものと期待される。

 競技種目については最終段階でレスリングが入ったが、北京オリンピック以後対象外とされた野球(ベースボールと女子ソフトボール)も競技種目に加える事が望ましい。理由としては次の2つが挙げられる。

 一つは、野球はアジア太平洋地域では、日・米・豪の他韓国、台湾などでもサッカーが盛んになる以前から人気スポーツであると共に、質の高い野球場が各地に存在し、新たな施設は余り必要としていないので、競技種目に入れば実施は容易であることだ。

 二つ目は、予選段階などでは東京だけでなく、地方の野球場が利用出来ることである。

 コンパクトな大会開催というコンセプトは良いとしても、東京だけがオリンピック・パラリンピックの当事者となり、地方はほとんど直接的な利益を受けず、折角のオリンピック・パラリンピックでありながら、構図としては地方に当事者意識が芽生えないことである。更に今後5~6年間、オリンピック関連の施設やインフラ建設に工事や関係業者が東京に集中することになり、結果として東北被災地の復興加速化の妨げになる恐れもある。東京都民としては、オリンピック・パラリンピックの日本開催についてはもとより賛成ではあるが、折角の国際的なスポーツの祭典であるので、地方、特に被災地とその喜びや感動を共有出来ればこれ程嬉しいことはないであろう。

 従ってコンパクトというコンセプトは良いが、地方、特に東北復興地域にも裨益するような工夫が必要であろう。野球が競技種目に入れば、予選から準決勝くらいまでは、仙台や千葉、神奈川、大阪、福岡、札幌などで実施できる。

 野球以外でも、例えば団体競技であるサッカー、ゴルフ、バレーボール、バスケットボールやテニス、水泳、体操、レスリングなど一部の種目の予選、及び場合によっては準決勝以上についても、可能な範囲で東北地域などの地方の施設を利用することを検討しても良いであろう。

 また選手や観客の移動を容易にするため、臨時の直行シャトルバス、臨時オリンピック列車や羽田からの航空シャトル便を運行するなどを検討し、現地のインフラを整備することも有益であろう。このような発想や努力が被災復興地域を始め、地方の発展にも寄与することになろう。

 東北被災地の復興を加速化し、地方のスポーツ振興、発展にも寄与するオリンピック・パラリンピックとする工夫が強く望まれる。

(2014.01.16.)(All Rights Reserved.)

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2020年東京オリンピックに野球を含めることを推奨する!

2014-01-30 | Weblog

2020年東京オリンピックに野球を含めることを推奨する!

 東京オリンピック・パラリンピックの2020年開催に向けての準備が本年から本格的にスタートする。大会開催のコンセプトも8km圏内に会場が集中する“コンパクトなオリンピック”として国際オリンピック委員会にも提示されており、基本的な構図は決まっている。日本は、1964年に東京オリンピックを経験し、成功裏に開催されており、東京はその後飛躍的に発展しているので、成功に向けての準備は円滑に進むものと期待される。

 競技種目については最終段階でレスリングが入ったが、北京オリンピック以後対象外とされた野球(ベースボールと女子ソフトボール)も競技種目に加える事が望ましい。理由としては次の2つが挙げられる。

 一つは、野球はアジア太平洋地域では、日・米・豪の他韓国、台湾などでもサッカーが盛んになる以前から人気スポーツであると共に、質の高い野球場が各地に存在し、新たな施設は余り必要としていないので、競技種目に入れば実施は容易であることだ。

 二つ目は、予選段階などでは東京だけでなく、地方の野球場が利用出来ることである。

 コンパクトな大会開催というコンセプトは良いとしても、東京だけがオリンピック・パラリンピックの当事者となり、地方はほとんど直接的な利益を受けず、折角のオリンピック・パラリンピックでありながら、構図としては地方に当事者意識が芽生えないことである。更に今後5~6年間、オリンピック関連の施設やインフラ建設に工事や関係業者が東京に集中することになり、結果として東北被災地の復興加速化の妨げになる恐れもある。東京都民としては、オリンピック・パラリンピックの日本開催についてはもとより賛成ではあるが、折角の国際的なスポーツの祭典であるので、地方、特に被災地とその喜びや感動を共有出来ればこれ程嬉しいことはないであろう。

 従ってコンパクトというコンセプトは良いが、地方、特に東北復興地域にも裨益するような工夫が必要であろう。野球が競技種目に入れば、予選から準決勝くらいまでは、仙台や千葉、神奈川、大阪、福岡、札幌などで実施できる。

 野球以外でも、例えば団体競技であるサッカー、ゴルフ、バレーボール、バスケットボールやテニス、水泳、体操、レスリングなど一部の種目の予選、及び場合によっては準決勝以上についても、可能な範囲で東北地域などの地方の施設を利用することを検討しても良いであろう。

 また選手や観客の移動を容易にするため、臨時の直行シャトルバス、臨時オリンピック列車や羽田からの航空シャトル便を運行するなどを検討し、現地のインフラを整備することも有益であろう。このような発想や努力が被災復興地域を始め、地方の発展にも寄与することになろう。

 東北被災地の復興を加速化し、地方のスポーツ振興、発展にも寄与するオリンピック・パラリンピックとする工夫が強く望まれる。

(2014.01.16.)(All Rights Reserved.)

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2020年東京オリンピックに野球を含めることを推奨する!

2014-01-30 | Weblog

2020年東京オリンピックに野球を含めることを推奨する!

 東京オリンピック・パラリンピックの2020年開催に向けての準備が本年から本格的にスタートする。大会開催のコンセプトも8km圏内に会場が集中する“コンパクトなオリンピック”として国際オリンピック委員会にも提示されており、基本的な構図は決まっている。日本は、1964年に東京オリンピックを経験し、成功裏に開催されており、東京はその後飛躍的に発展しているので、成功に向けての準備は円滑に進むものと期待される。

 競技種目については最終段階でレスリングが入ったが、北京オリンピック以後対象外とされた野球(ベースボールと女子ソフトボール)も競技種目に加える事が望ましい。理由としては次の2つが挙げられる。

 一つは、野球はアジア太平洋地域では、日・米・豪の他韓国、台湾などでもサッカーが盛んになる以前から人気スポーツであると共に、質の高い野球場が各地に存在し、新たな施設は余り必要としていないので、競技種目に入れば実施は容易であることだ。

 二つ目は、予選段階などでは東京だけでなく、地方の野球場が利用出来ることである。

 コンパクトな大会開催というコンセプトは良いとしても、東京だけがオリンピック・パラリンピックの当事者となり、地方はほとんど直接的な利益を受けず、折角のオリンピック・パラリンピックでありながら、構図としては地方に当事者意識が芽生えないことである。更に今後5~6年間、オリンピック関連の施設やインフラ建設に工事や関係業者が東京に集中することになり、結果として東北被災地の復興加速化の妨げになる恐れもある。東京都民としては、オリンピック・パラリンピックの日本開催についてはもとより賛成ではあるが、折角の国際的なスポーツの祭典であるので、地方、特に被災地とその喜びや感動を共有出来ればこれ程嬉しいことはないであろう。

 従ってコンパクトというコンセプトは良いが、地方、特に東北復興地域にも裨益するような工夫が必要であろう。野球が競技種目に入れば、予選から準決勝くらいまでは、仙台や千葉、神奈川、大阪、福岡、札幌などで実施できる。

 野球以外でも、例えば団体競技であるサッカー、ゴルフ、バレーボール、バスケットボールやテニス、水泳、体操、レスリングなど一部の種目の予選、及び場合によっては準決勝以上についても、可能な範囲で東北地域などの地方の施設を利用することを検討しても良いであろう。

 また選手や観客の移動を容易にするため、臨時の直行シャトルバス、臨時オリンピック列車や羽田からの航空シャトル便を運行するなどを検討し、現地のインフラを整備することも有益であろう。このような発想や努力が被災復興地域を始め、地方の発展にも寄与することになろう。

 東北被災地の復興を加速化し、地方のスポーツ振興、発展にも寄与するオリンピック・パラリンピックとする工夫が強く望まれる。

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総人口の約25%「高齢者」は正しいか?!    (その2)

2014-01-30 | Weblog

総人口の約25%「高齢者」は正しいか?!    (その2)

 総務省統計局は、9月17日、65歳以上の「高齢者」が3000万人を超え、総人口の24.1%となり、過去最高となった旨公表した。

 従来の年齢基準での統計数値としては正しいのだろうし、1990年代より確実に進む高齢化、長寿化の傾向の中では不思議はない。しかし、65才以上になると「高齢者」、或いはお年寄りや老人と言われるのは国民の実感とはかけ離れている上、このように国民を年令により区別し、グループ化することに違和感を持つ人は少なくない。長寿化により「高齢者」の定義も変化しなくてはならない。男性にしても女性にしても、年令による身体的、精神的な状況には個人差があると共に、定年や年金受給年令に達する65歳になると制度上「高齢者」として区分され、社会への積極的な係わり合いから遠ざけ形となるので、疎外感を与えることにもなる。

 現在就労者数は約6,400万人であるので、就労者2人で「高齢者」1人を支える計算になる。長寿化が更に進めば、現在の統計基準では「高齢者」の比率がどんどん増加することになり、将来は就労者1人が「高齢者」1人を支える計算になりかねない。現在の統計基準では「高齢者」は65才以上で、‘定年退職’となり社会の生産活動から卒業し、その多くが年金生活者となる。いわば社会的な被扶養者となるが、就労者2人以下で「高齢者」1人を支えるような社会は、就労者、特に青年層にとっては負担感が重過ぎるので、誤解を与え易い統計基準と言えないだろうか。

 1、65才で老人扱いは早過ぎる              (その1 で掲載)

 2、長寿化により必要な就職や社会保障面での年令区分の見直し     

 問題は、年金受給年令に達する65才以上の社会保障上の対応であるが、これを従来のように年令で一律に区分するのではなく、所得(年金を除く年収)を基準とした対応とすることが適当ではなかろうか。社会保障の基本的な目的は、困窮者や社会的弱者へ手を差し延べ、それを国民が経済力に従って支えるということであるので、65才以上でも例えば年収850万円以上(年金は除く)の人達については、所得において現役世代と遜色はないので、年金については凍結するか、20%から25%の支給とする。また医療費については現役世代と同様に支払うこととするのもやむを得ないのではなかろうか。75才以上となる人達についても同様として良いのではなかろうか。

 財政が潤沢な時代であれば従来通りで良かろうが、財政、特に社会保障の財源が不足しているので、従来通りに支給等するために就労者、特に若い世代に追加的な負担を強いることは、社会保障のための負担感がより強くなり、活力を失わせかねない。なお、65才以上でも年収850万円以上の人達には、年金料支払いは免除すべきであろうが、医療費保険料などについても現役同様に徴収することもやむを得ないのではなかろうか。基本的に、今後経済は高度経済成長モデルから安定成長モデルとなる一方、財政上の制約などで行政が必要な施策を全て行うような社会行政モデルは維持困難となって来ているので、国民それぞれの自己責任、受益者負担の意識や観念が一層重要になって来ていると言えよう。自然災害等から身を守ることについても、行政任せでは所詮困難であり、自己責任の意識を持ち、普段から自ら身を守るとの意識と準備をすることが重要であり、そのような自己責任の意識があって初めて被害を最小にすることが出来ると言えよう。

 他方年長者が若い世代の活躍や新しい発想、チャレンジ等を阻害しないように十分配慮する必要があると共に、若い世代が安定的な職業機会を持てるよう細かい配慮と施策が必要であろう。そもそも「皆保険」、「皆年金」の社会を目指すというのであれば、通常社員であろうと派遣、アルバイト等であろうと、就業形態を問わず全ての就業者が報酬レベルに応じて健康保険料や失業保険料、年金拠出料を納付出来るようにしなければ達成困難であろう。

 また重要なことは、若い世代に安定的な職業機会を確保して行く一方、65才以上の年長者層に仕事の機会を提供することだ。それにより、社会的負担を軽減すると共に、年長者にやり甲斐や社会的接点を提供することになる。そのため退職後については、職能別、分野別の専門参与ポスト(仮称)を設け(原則3年間、能力、年令制限は設けず、健康等により更新可能)、報酬は最終報酬の40%から60%程度とし、企業グループ内で経験技能を活かすこと促進することが望まれる。このようなシニアー職能制が公務員を含めて普及すれば、それぞれのグループ内だけでなく年長者に対する職業機会が普及することになろう。

 長寿化の進展は喜ばしいことであるが、それを前提とした新たな社会保障モデルや社会モデルを構築して行くことが必要であろう。少子高齢化は、1990年代初期より政府の各種統計資料でも予測されていたことであり、そのような統計資料を施策の中に生かして行くことが望まれる。

 

(2013.11.19.)(All Rights Reserved.)

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大学の世界ランキング・アップに何が必要か?     (総合編)

2014-01-30 | Weblog

大学の世界ランキング・アップに何が必要か?     (総合編)

 2014年度予算の各省庁要求を政府概算要求を査定する時期になったが、文部科学省は、世界大学ランキング100校入りを支援するために、国公私立の10大学に対し毎年100億円の助成を予算要求すると伝えられている。

 現在、世界大学ランキング100校には日本の国立大学が2校入っているだけであり、一人当たりのGDPを加味すると実質的に世界第2位の経済大国である日本にとっては少し寂しいところだ。ランキング・アップには指導環境など色々な要素が必要だが、各大学の学者、研究者が“独創的な研究を行い、研究論文が内外の研究者などから引用されること”が決定的な要素となる。要するに、各大学に所属する教授ほか研究者の「独創的な研究実績」と「語学力など、対外的な発信能力」が問われていることになる。

 文科省は、10校を選定し、海外の大学との共同研究や著名な研究者の招聘を支援するなどしている。これのような研究交流や人的交流自体は良いことではあるが、新たに毎年100億円もの予算を投入して相当長期を掛けてもどの程度の効果が出るか疑問である。そもそも教育のあり方の転換や教師、研究者の資質や姿勢など、大学院の普及などの制度面、人材面の改善、即ち教育ソフト面の転換がより重要に思える。

 1、 外国大学との共同研究や研究者招聘の効果は局部的、限界的

 外国の共同研究や著名研究者の日本への招聘については、各大学の判断で実施することは大いに良いことであるが、今更という印象を受ける上、その効果は長期を要し、例えば10年間としても1,000億円の予算負担となり、費用対効果の面で疑問が残る。

 外国大学との共同研究でも、iPS細胞分野など日本側に何らかの比較優位のある分野でなければ、各分野で先端を行っているような外国人研究者は日本との共同研究は希望しないであろう。著名な外国人研究者の招聘にしても高額の招聘費が必要となろうし、日本での研究にメリットを感じなければ希望しないであろう。いずれの場合も、日本側に相当高度な研究水準と語学力がなければ得るものは少ないと判断されるであろう。

 招聘事業で一つの例を挙げよう。日本は、1985年9月のプラザ合意で急速な円高を容認し、それにより日本企業の海外進出が急増した。それに伴い海外で活動できる人材や知識等が必要となり、日本の「国際化」が必要とされた。その対策の1つとして90年代初頭より、政府は「語学指導等を行う外国青年招致事業」(JETプログラム)を開始し、当初は米国を中心とする英語圏から青年を招聘し、地方公共団体と共同して各地の学校等に英語教師として配属し、英語教育の普及を行った。その後英語圏以外も加えたほか、役割も地方公共団体の国際交流促進のための助言等の分野に広げ、当初の4カ国から40カ国ほどに拡大し招聘している。この事業は既に20年以上実施しているので、日本各地において外国語を習得し、或いは地方レベルでの国際交流を担える人材が可なり育っていることが期待される。確かに一定の効果はあったが、最大の効果は、日本に招聘された外国人の日本語能力が顕著に向上している上、各地の伝統文化だけでなく、アニメを含む若者文化や日本食、工芸品、匠の技などへの理解と評価も向上し、それが世界各地に伝えられ、日本の伝統文化、技術の水準の高さと共に、現代の庶民文化、若者文化への興味が世界に広がったことであろう。知日派、好日派外国人が増え、日本各地の草の根文化や工芸技術への評価が顕著に高まったが、本事業の本来の目的である日本での英語の普及や能力向上については、20年以上継続しているにも拘らず、それ程の効果は得られていない面がある。逆にこの制度が恒常化したことにより、地域の国際交流や外国人との関係についてはJETで招聘された外国人に実体上任され、JETへの依存性が高まり、地域住民自体の語学力向上や国際化には余り寄与していないとの弊害も見られる。

 外国大学との共同研究や研究者の日本への招聘事業が長期化することになると、JETプログラムと類似の結果となり、日本の学術研究のレベルや創造性、独創性を高め、それが世界に評価、引用されることにどれだけ貢献することになるのか疑問なしとしない。

 また新たな事業予算の追加も良いが、中・長期的な少子化の趨勢に対応し、教育姿勢と共に、国・公立学校を地域別に統廃合し、また国・公立と私立との学費格差や研究助成格差等を縮小することなど、高等教育制度自体を再点検する必要がありそうだ。また暗記重視の教育方針、試験制度から発想力や創造性、独創性を重視した教育姿勢や試験(評価)制度に優先度と資源の再配分を行い、その中で新たなニーズ、事業を加えて行くなどの工夫と先見性が必要と言えよう。中・長期的な少子化、人口減の中での長寿化社会において、新規事業や学校・学部を増加し続け、教育予算を更に拡大することは現実的に困難と見られる。

 2、 最も必要とされる研究成果の英語等による発表能力

 知的活動の分野において、日本の研究成果や論文等が世界の多くの学者、研究者によって評価、引用されるようになるためには、創造性、独創性を重視した教育姿勢、試験(評価)制度と入学試験や公務員を含む就職試験のあり方(新卒者偏重、出身大学主義の採用試験制度など)と大学院レベルへの高等教育の普及と修了者への処遇の改善など、教育姿勢や教育・採用試験制度という教育ソフト面の改善が不可欠と言えよう。

 しかし現実論として学者、研究者による研究成果が国際的に評価されるためには、研究成果が国際的な外国語(英語で可)による成果の発表が不可欠である。どんなに良い研究成果や作品でも日本語だけでは国際的に評価されない。外国と国境を接していない日本では外国語に接する機会は少ないので、当面英語での研究成果の発表を日常化することが望まれる。理工系や医学分野等では研究成果の英語等による発表はある程度行われているが、社会科学や人文科学分野では余り行われてない。

 そのためには、学生や学者、研究者等の2年以上の主要国への留学を飛躍的に増加させることが最も効果的であろう。学生、研究者等の海外留学を促進するため、例えば海外留学(高校・専門レベルで1年、大学・大学院レベルで2年など)での取得単位を国内単位としての認定を促進することと、海外留学奨学金(原則無利子、成績優秀者等には無償など)を新設、拡充することが望まれる。その上で海外からの留学生、研究者の受け入れを促進することが、日本の研究成果の海外への発信力を高める早道と言えよう。

 もっとも日本の英語教育は、中学、高校の6年間に必修科目として行われているが、海外に行って、日本で6年間英語を習っていて英語がしゃべれないと言うと、信じられないというような顔をされる。英語を「語学」という学問の範疇で教え、試験科目にしていることが、コミュニケーション手段としての言葉なることを妨げているようだ。子供が言葉を反復しながら覚えるように、まず英語を耳で聞き、口でしゃべるようにして行き、必要に応じ高学年になってスペリングや文法などへと高めて行けば良いことであろう。外国語を世界とのコミュニケーション手段として行く上では、試験なども「語学」試験としての必須科目とはせず、生きたコミュニケーション手段として選択科目にするなどの改善が必要のようだ。

 3、創造性、独創性を重視した教育・入試制度など、意識と制度の転換が不可欠

 海外への外国語での研究成果の発信力向上に加え、研究成果の創造性、独創性が求められることは言うまでもない。日本の教育方針や制度、試験制度は、卒業後の公務員・企業の就職試験に至るまで基本的に一貫して記憶力、暗記力に重点を置いている。“応用問題”も採用されてはいるが、これも既存知識や研究の“応用”であり、発想力や創造性、独創性を涵養するものではない。

 教える側も、既存の知識や理論等を教え与えることが主眼となっている。無論基本的な知識を蓄積することは重要ではあるが、米欧等においては、研究者や学者が研究論文を可なり頻繁に出さないとポジションを維持することが困難になるので、理工系や医学系に限らず、社会科学、人文科学系においても独創的な研究論文の発表に常に努力している。日本の場合、詰め込み授業に追われることが多く、また基本的に年功序列の昇進となるので研究成果を出す必要が必ずしもない上、自発的な留学のための休暇・休職なども取り難く、また一定年数勤務後の研究休暇(サバテイカル休暇)なども普及していない。

 従って日本の大学が国際的に高い評価を得るためには、教育姿勢や教育方針・制度など、教育ソフト面の改善、転換が不可欠と言える。

 4、 発想力、創造性を加味した就職試験の拡大の必要性

 中学、高校、大学等への進学は、最終的には公務員採用試験を含め、就職への有利性が考慮されるので、就職、採用試験が暗記、記憶力に重点が置かれている限り、学校教育でも暗記、記憶力に重点が置かれることになる。確かに学生が教師と黒板に向かい合う対峙型となり、学生はそれを記録し、記憶するという教育方式が中心となっている。

 それはそれとして良いのだが、もっと小グループで学生と教師の質疑、意見交換、小論文作成等により、双方交通の授業方式を促進し、学生の個々人の個性引き出し、表現できる授業形態が増えることが望ましい。それにより現在欠けていると見られている議論する能力やコミュニケーション能力も向上するものと期待される。

 そのためには採用、就職試験でも暗記、記憶力、応用力に加え、発想力や創造力、独創性を評価することが望まれる。それを短時間で採点することは難しいので、学校側の評価を取り入れることが現実的であろう。

 5、 大学院レベルの高等教育の普及と修士・博士号取得者への公正な処遇

 日本は“学歴主義”と言われることがあるが、実際は、国家公務員等を含め採用が新規卒業者を対象に行われるので、どうしても出身校が差になると共に、いわゆる“終身雇用”形態となっているため、大学院への進学率は、欧米先進工業国等に比して非常に低いのが現状だ。

 人口千人当たりの大学院学生数では、日本の2人に対し、米国9人、英、仏の各8人、韓国が6人となっている(資料:教育指標の国際比較平成23年版)。また25歳以上の大学院入学者は、諸外国では平均2割程度に達するが、日本では2%以下であり、大学院への社会人入学者が非常に少ない。これを反映して、日本の大学院の規模は諸外国に比して小さく、“高度人材を育成する基盤が弱い”と見られている(経済産業省研究資料)。

 また日本の企業役員等(従業員500人以上)の最終学歴では、米国の上場企業管理職等に占める大学院修了者の比率は、人事部長クラスで約62%、営業、経理部長クラスで約45%であるのに対し、日本の大学院卒の比率は5.9%と極端に低い(経済産業省研究資料)。米国では、高校の校長になるためには修士号取得が必要なことが多い。また国連など、国際公務員の幹部クラスは修士号、博士号取得者が多いが、日本の国家公務員の政策職の幹部には大学院修了者はほとんどいない。日本では博士課程修了者の就職率も6割前後に留まっている。上記の通り主要諸国では大学院修了者への評価く、高いキャリアー・アップの要件になっている一方、日本における新卒採用の偏重と大学院修了者の社会的進出の低さが、大学院の規模や大学院進学率の阻害要因になっていると言える。

 日本における高度人材の育成を図るため、大学院制度のあり方が課題と言えよう。

 

 日本は今後少子化と人口減、長寿化社会を迎える一方、グローバリゼーションの流れの中で、物、人、資金の自由化が更に進み、日本への海外資本による直接投資も増加することになるので、高度技術における国際競争力の維持、促進のみならず、日本国内において経営レベルでも国際競争に晒されることになると予想されるので、経営レベルを含め高度人材の育成が課題となると予想される。

このような内外の社会変化に対応して、大学・大学院での制度や教育のあり方を再点検する時期にあると言えよう。しかし上記の通り、大学・大学院での教育や研究は、企業や行政組織及び関係団体のニーズに影響を受けることになるので、社会全体の理解と協力を得つつそのレベル・アップを図って行くことが期待される。(2013.9.28.)(All Rights Reserved.)

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