内外政策評論 TheOpinion on Global & Domestic Issues

このブログは、広い視野から内外諸問題を分析し、提言を試みます。
Policy Essayist

テロ特措法の「条件付」延長を提案する (その2)

2007-09-30 | Weblog
テロ特措法の「条件付」延長を提案する (その2)    <不許無断転載・引用>
―A Proposal for a Qualified Extension of the Law on the Special Measures against Terrorism ―
                                                                 2007.9.22.
1. 日米同盟優先か、国連の枠組み重視か(その1.参照)

2. 集団的自衛権の制限的行使か、国際貢献か
 (1)米国が進めている国際テロ撲滅作戦は、米国の国防活動
「不朽の自由作戦(Operation Enduring Freedom)」と呼称されているアフガニスタンでのテロ撲滅作戦は、ブッシュ政権の下で進められている「テロとの戦争(War on Terror)」の一環であるが、テロ撲滅という世界共通の目的から英、仏、独などの友邦国の参加・支援を求め、国際協調の枠組みを作っており、インド洋やアフガニスタン領内における活動も多国籍活動となっている。国連安保理の国際テロに対する脅威認識もある(決議1368号)。
しかし、アフガンでの「不朽の自由作戦(OEF)」は、基本的には、米国本土の象徴的な世界貿易センターと国防総省へのテロ攻撃に対する国防活動であり、軍事行動である。国連安保理での決議は、このようなテロ活動を「国際の平和と安全への脅威」と位置付けているものの、国際社会に取締りの強化や金融洗浄(マネー・ロンダーリング)への防止など、非軍事的な「テロ行為を防止し抑止するための努力」を求めているのみである。同決議は、その他、「あらゆる措置」を検討するとしているが、軍事的措置を含め、その他の「措置」については、アフガン領内における国際治安部隊(ISAF)のみであり、インド洋の行動については何も決定していない。従って、アフガニスタンのタリバン勢力やアル・カイーダ・グループへの軍事攻撃「不朽の自由作戦(OEF)」は、国際テロに対する国連安保理の脅威認識はあるものの、国際治安部隊(ISAF)を含め、あくまでも米国を中心とする参加各国の国家としての行動である。安保理の容認する国際協調活動とは言えるが、これら各国の国家としての活動であり、特にインド洋での行動は、「国連の枠組みでの活動」とは言えない。
9月19日、国連安保理は、アフガニスタン領内で行われている国際治安部隊(ISAF)の活動の延長に際し、前文に「各国の海上阻止行動を評価し」との一文を盛り込んだ決議を採択した。日本の働き掛けなどで盛り込まれたものだ。しかし、この決議は、あくまでも日本が参加していないアフガン領内で行われている国際治安部隊の活動の延長に関する決議であり、インド洋での「海上阻止行動」については前文での評価に止まっている。その上、ロシアはこの決議に「棄権」し、投票理由説明で、インド洋における海上活動は、「国連の枠外で行われている活動」あり、実施国の「国内事情優先」の文言挿入であるとし、また、中国も、賛成投票はしたが、このようなことは繰り返されるべきではないとの苦言を呈するなど、安保理内での「海上阻止行動」への評価は必ずしも一致していない。
因みに、米国のイラクへの軍事侵攻「イラクの自由作戦(Operation Iraqi Freedom)」は、国連安保理は、イラクにおける「核など、大量破壊兵器の開発」に対し脅威認識を示したものであり、サダム・フセイン政権自体に対するものではなく、国際テロ撲滅という国際的に共有された目的のためのアフガニスタンへのケースとは根本的に異なる。
 (2)不十分な情報開示
テロ特措法の下での日本の補給・輸送協力活動は、インド洋において活動する米国等の艦船(米、英、仏、独、パキスタンなどで構成される多国籍海軍合同任務部隊―CTF150)に、海上自衛隊の艦船(補給艦、護衛艦)より給油や水の補給などを行うものである。2001年12月より07年3月までに、艦艇用給油合計727回、約47万キロリットル(約220億円相当)の給油を実施している。その他、水97回(5千トン強)、艦艇搭載ヘリコプター用燃料56回(900キロリットル弱)の補給を実施している。米国艦船以外にも、英、仏、独、パキスタンなど、10カ国の艦船にも補給を実施しているが、給油の内50%弱を米国、次いで16%をパキスタンが受けている(海上自衛隊資料)。しかし、給油を受けた艦船がどのような海域で、どのような活動をし、「対テロ活動」においてどのような成果を達成したかなどについては十分な情報は開示されてない。また、アフガニスタンへの攻撃直後の集中的な攻撃期間は兎も角として、6年近く経過した現在も当時と同レベルの補給活動が必要かなど、費用対効果を含めた検証も必要であろう。
この海域で活動している米国の艦船は、第5艦隊(5th Fleet)/米海軍中央司令部に属し、インド洋から、アラビア海、湾岸、紅海、東アフリカまでをカバーし、アフガニスタンのテロ撲滅を目的とする「不朽の自由作戦(OEF)と共に、 イラク侵攻に伴う「イラクの自由作戦(OIF)」の遂行を中核的な任務としている。対アフガン・テロに対する「不朽の自由作戦」については、実質的に第5艦隊を中心として、英、仏、独、パキスタンなどと共に多国籍任務部隊(CTF150)を編成し、海上作戦任務についているが、多国籍任務部隊(CTF150)の担当海域はインド洋から湾岸、アラビア海、紅海に及んでいる。
 従って、米国の第5艦隊にせよ、多国籍任務部隊(CTF150)を構成する各国艦船にせよ、これらの艦船が給油を受ければ、インド洋海域のみならず、イラク沿岸の湾岸、アラビア海域に任務として行くことは十分考えられる。米国防総省の報道担当官は、テロ対策特別措置法に基づく海上自衛隊のインド洋での給油がイラク戦争にも転用されているのではないかとの指摘があることについて、「日本の補給艦から給油を受けている参加国は、アフガニスタンでの不朽の自由作戦(OEF)を支援するために燃料を使うとの合意の下に活動している」と述べ、イラクへの転用説を否定した旨報道されている(9月8日付読売新聞)。しかし、航行は連続するものであり、日本からの給油をインド洋のみですべて使い果たすとも考え難く、現実問題としては微妙だ。第5艦隊の司令部は、ペルシャ湾のバハレーンにある。余り細かい制約を課すと任務遂行に支障を来たし兼ねないので、ある程度の柔軟性を持たせるとしても、給油を受けた後、どのような任務を行ったかなどは掌握して置くべきであり、また、作戦遂行に支障の無い範囲で公表されるべきであろう。そうでなければ、海上自衛隊の給油活動は、インド洋における単なる給油所となり、これら艦船の運航支援でしかなくなる。
 また、第5艦隊の任務海域に、原子力空母エンタープライズなどの空母艦隊が加わり、艦載機によりアフガニスタン山麓等への爆撃などを実施し、「不朽の自由作戦」他に加わっている。海上自衛隊によるインド洋における米国艦船等に対する給油、補給活動は、原子力空母エンタープライズからのアフガン攻撃には直接関係はないが、米国艦船と共に国旗を掲げて行動し、「不朽の自由作戦」の一環として米国等の多国籍任務部隊(CTF150)を支援するものであるので、「海上阻止行動」とは言え、長期化すると一体化して映ると共に、実質上軍費支援に当たる。
同時に、単に米国への協力というだけではなく、武力の行使・威嚇を伴わないアフガニスタンにおける国際テロ撲滅を目的とした多国籍の枠組みでの国際協調、国際貢献であることも事実である。だが、日本の支援活動が、米国空母よりのアフガン攻撃を含め、米国が遂行する「不朽の自由作戦」と一体化して映ることは避けられない。米国は日本に対して「国旗を見せよ(Show the flag)」、即ち「艦船」を派遣するよう示唆したが、正に「作戦への参加」を意味するものである。費用のみでなく、一定のリスクを伴う国際テロ撲滅のための国際協調、国際貢献なのである。政府としては、国民に対し、このような危険を伴う活動であることを十分説明した上で、国際的な脅威になっている国際テロの撲滅のための国際貢献の継続への理解を求めることが大切であろう。
民主党が、給油活動は、国連の枠組みでの活動ではなく、米国との「集団的自衛権の行使」であるとしている。しかし、実体は、国連も国際的な脅威として認めている国際テロの撲滅のための「多国間の枠組み」の下での支援であり、武力の行使や威嚇を伴わない支援である。だが、国連安保理が「海上阻止行動」に対し何らの「措置」や枠組みを講じることなく、このような米国の対外的軍事・国防活動への日本の「支援・貢献」が恒久化・半恒久化することになれば、後方支援という制限的なものではあるが、「集団的自衛権の行使」との線引きが難しくなるであろう。
いづれにしても、国民の税金を使うだけではなく、一定の危険を強いる国家の行為であるので、適切且つ速やかな情報公開と国民への実態の説明が不可欠である。これが欠けることになると、文民統制(シビリアン・コントロール)が実質的に困難となり、思わぬ方向に向かう恐れがある。少なくても、国会においては、外務委や防衛委などにおいて与野党双方が適切な判断が出来るよう、防衛当局より正確な情報が提供されるべきであろう。軍事機密や国家安全保障上の秘密事項に属するものについては、必要に応じて秘密会として説明されるべきであろう。それがあって初めて防衛活動の文民統制(シビリアン・コントロール)が確立出来る。シビリアン・コントロールとは、背広組(防衛省事務系統)が制服組(自衛官)をコントロールするという狭い概念ではない。戦前は、国民は「国家」のためにあり、国家の安全等に関しては「知らさず、知らしめず」ということが許されたのであろうが、民主主義の下では、「国家」は国民のためにあるべきであり、行政各部は国会はもとより、国民に対し情報を開示し、正しく説明する義務がある。現在、公的年金の納付記録漏れや年金横領問題等が表面化しているが、徴収、管理、運用等に関する定期的な情報開示の不備・欠陥がその一因とも言えよう。防衛、軍事の分野は、国民の安全に直接関係するだけに、情報のブラックアウトはより深刻な結果をもたらす恐れがある。
なお、アフガニスタンのタリバン勢力やアル・カイーダがパキスタン領内の国境付近に潜伏し、また、神学校などで宗教教育等を受けていることが明らかになっている。米国軍事筋としてはパキスタン国境付近への攻撃も検討しているとも伝えられているが、もしそのようなことになると、ムシャラフ大統領(兼陸軍参謀長)が率いる軍事政権とイスラム宗教組織や反ムシャラフ民主勢力との対立に発展するなど、国内問題に係わることになるので、その様な事態に発展する場合には、外交政策全般の観点から、海上自衛隊によるパキスタン艦船への給油活動を再検討する必要もあろう。

               (Copy Right Reserved ーTo be continued)
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テロ特措法の「条件付」延長を提案する (その1)

2007-09-29 | Weblog
テロ特措法の「条件付」延長を提案する (その1)  < 不許無断転載・引用>
―A Proposal for a Qualified Extension of the Law on the Special Measures against Terrorism ―
                                                                   2007.9.22.
 9月25日、安倍総理の辞任、内閣総辞職を受けて行われた衆参両院での首相指名選挙において、福田康夫自民党総裁(元官房長官)が選ばれ、福田新内閣が発足した。新内閣での当面の最大の争点は、泥沼の状態の年金問題や「政治とカネ」の問題は別として、11月1日に期限切れとなるテロ特措法の延長問題で、インド洋における海上自衛隊による米国艦船等に対する給油活動が継続出来るか否かである。
福田新総理は、自民党総裁選挙において給油活動は「対外公約」であるとしてその必要性に言及している。しかし、民主党は、インド洋における米国艦船等への給油活動は、「国連の枠外の行動」であり、集団的自衛権の行使に当たるとして反対しており、7月の参議院選挙の結果、野党が参議院の多数を握っているだけに延長は微妙な情勢だ。
 2001年9月11日、米国で発生したイスラム過激派アル・カイーダによる同時多発テロを受けて、アフガニスタンに潜伏する首謀者ビン・ラデンを始めとするテロ・グループ、及びこれを庇護・支援していた同国のタリバン勢力に対し、米国は、同国のみならず国際的な脅威であるとして「テロとの戦争(War on Terror)」を開始した。英国などNATO諸国はいち早くこれを支持したが、日本も小泉政権の下で、同盟国として米国の軍事活動の「後方支援」など、非軍事支援に限定した支援策を検討し、テロ対策特措法を4年間の時限立法(その後、2年以内毎の延長可)として国会で成立させ、同年11月より施行した。各国支援の下でのアフガニスタンにおけるテロ掃討活動や治安維持が長期化する中、同法は05年に2年間の延長を行ったが、11月1日に期限切れとなる。
小泉前政権を引き継いだ安倍政権も、ブッシュ政権下の米国との同盟関係を最重要視し、9月9日、APEC 首脳会議後の記者会見において、米・豪との首脳会議やブッシュ大統領との会談結果を引用しつつ、「テロとの戦いを継続する意思」を表明し、インド洋における日本の補給活動は「国際約束」になったとして、その継続を「職を賭して取り組む」とした。しかし、安倍総理は、9月12日、同法延長問題を含め、政権運営に行き詰まり、健康問題等と相俟って辞任を表明した。
 今後、同法を延長するか、給油・給水活動などに絞り新法案として提出するかなどは、福田新政権の下での与野党の対応にもよるが、テロ特措法の下での海上自衛隊によるインド洋での給油・給水活動の意味合いをにつき検証し、選択肢として「条件付」延長を提案したい。
1. 日米同盟優先か、国連の枠組み重視か
2001年の同時多発テロは、米国独立後、本土への外国人勢力による最初の組織的攻撃で
あり、また、その残忍性と3千名を越える被害の大きさから、米国民に比類の無い衝撃を与えただけでなく、被害者を出した日本を含め、世界を震撼させた。ブッシュ政権は、「テロとの戦争」を宣言すると共に、国際テロ撲滅のための各国の支持を要請した。英国など多くの同盟諸国は直ちに支持を表明した。
 国連安全保障理事会も、01年9月12日、かかるテロ攻撃を「国際の平和と安全への脅威」と認め非難しつつ、(1)国際社会は、取締りの強化や資金洗浄の監視などに関する過去の決議を引用しつつ、「国際テロの抑止と防止に努力」すると共に、(2)9.11のテロ攻撃などに対応し、安保理の責任に従い「あらゆる措置を取る用意がある」旨の決議(1368号)を異例の速さで採択した。
このような国際的な衝撃と怒りの中で、小泉政権(当時)は、同盟国である米国が国際テロから攻撃を受け、戦いを開始しようとしている時に「日本が何もしないわけにはいかない」として、戦闘行為を伴わない後方支援を中心とする自衛隊の支援活動に踏み切り、小泉人気も手伝ってテロ特措法が成立した。
しかし、憲法上、海外での「武力行使や威嚇」となる自衛隊派遣に制約があることから、歯止めとして4年間の時限立法(延長可能)とすると共に、対応措置を「協力・支援活動、捜索救助活動、被災民救援活動その他の必要な措置」に限定し、武力行使や威嚇を排除し、また、活動地域を「現に戦闘行為が行われておらず、且つ活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる公海等」にしている。更に、「対応措置」について国会の承認(開始から20日以内、変更等についても報告)を義務付けている。
要するに、テロ特措法は、日米同盟関係を重視して導入されたものであり、「国連活動の枠内の活動」を主張する民主党の立場とはそもそも異なる。福田新政権としては、日米同盟を重視しつつもアジアとの関係に配慮するとの立場であるが、給油を「対外公約」と表明しており、アフガニスタンにおけるアル・カイーダやタリバン勢力が鎮圧されていない以上、同法延長、給油継続は避けられないところであろう。
しかし、同法の延長、或いは自民党内で検討されている給油、給水に絞った新法の国会通過は、参議院で第一党となった民主党が延長に反対としており、政治環境が同法成立当時とは劇的に変化していることから、厳しい情勢になっている。国会審議では、国連活動の枠組みか否か、実質上集団的自衛権の行使にならないかという基本的な問題に加え、時限立法である以上何時まで継続するのか、具体的に如何なる活動に使用されているのか、更に成果があったのかなど、従来以上に厳しい質問が予想され、衆議院の優越性があっても、このような議論を通じ、国民の支持を得れるか否かは予断を許さない。
                     (Copy Right Reserved)
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安倍総理の辞任表明 ―不可避となった衆院総選挙―

2007-09-12 | Weblog
安倍総理の辞任表明
―不可避となった衆院総選挙―
 9月12日午後2時、安倍総理は官邸における緊急記者会見において、辞任の意向を表明すると共に、与党自民党において速やかに党総裁を選ぶよう要請した。辞任の理由は、7月の参院選での大敗を受けて、8月27日に内閣改造したものの、その後の閣僚等の政治資金を巡る不祥事などとも相俟って、国民の信頼を得れず、政権運営上新しい局面が必要と判断してのものだ。相応の要素が加わった苦渋の決断であったのであろう。
 しかし、直接の原因は、テロ特措法の「延長」問題だ。安倍総理は、先のAPEC首脳会議後の記者会見において、米豪との首脳会議やブッシュ大統領との会談結果を引用しつつ、国際社会への貢献の観点から「テロとの戦いを継続する意思」を表明し、インド洋による自衛隊の補給活動が「国際約束」になったと述べ、その継続を「職を賭して取り組む」とし、10日の所信表明演説においても補給活動の継続の重要性を強調した。「職責にしがみつくことはない」とも述べた。だが、参議院の第一党となった民主党がテロ特措法の延長に反対してる上、与党自民党首脳を中心として、給油と水の補給活動に絞った新法の提出、参議院で否決された場合の衆議院での再採決(3分の2の多数)などの案が出されていた。他方、総理としては、あくまで「国際約束」した「給油活動の継続」を希望しており、新法採択となれば時間が掛かり、現行のテロ特措法は、11月1日で期限切れとなり、給油活動は一旦中断され、活動の「継続」にはならない状況となるなど、党内外において局面打開が困難になったとの判断が働いたものと見られる。民主党との党首会談も、同党側から国会での審議を優先するとされ、実現出来なかった。
 8月27日、安倍総理・総裁は、内閣の人事を刷新し、3人の派閥会長を含むベテラン議員を外務、防衛、財務などの主要閣僚に配するなど手堅い陣容とした。党3役についても、幹事長、総務会長に麻生派、二階派の会長を当て、「派閥均衡」に配慮した「挙党体制」とした。良く言えば集団指導型、責任分散型と言えるが、実力のある船頭が多く、「安倍色」が薄れ、求心力を失っていたとも言える。
また、政治資金の不適正記載や不適正な献金・寄付の受領など、「政治とカネ」の問題が閣内や閣僚経験者等から次から次へと明らかにされている。「身体検査」の問題や総理の任命責任の問題以前に、政権与党、議員の自己管理能力や政治倫理の緩みの問題ではないのだろうか。これだけ広範に「政治とカネ」の問題が表面化すると、総理・党総裁として、誰を信じて良いのだろうか。もっとも、ある週刊誌が総理自身の相続税の脱税疑惑を掲載するとの報道もある。無論、野党にも同種の問題はあろう。しかし、長期に政権を担い、意志さえあれば問題を解決出来る立場にあった政権与党の責任は重い。更に、参院選大敗の要因の一つになった年金記録の記載漏れに加え、年金横領・詐取問題まで明らかとなり、行政組織が政権を支える体制になっていなかったことも、国民の信頼を失った背景としてある。内閣の行政への指導・監督能力が問われる問題ではあるが、長期の間に蓄積された問題であり、一内閣の責任を問うのも酷な面がある。
 いずれにしても、総理・党総裁が辞任の意向を表明した以上、自民党の総裁選びとなり、その時点で内閣総辞職、国会での首班指名の段取りとなろう。しかし、自民党の新総裁が衆議院で指名を受けられても、与野党が逆転した参議院で首相に指名される可能性はまずない。となれば、衆議院を解散し、民意を問う以外に選択肢はなくなろう。同時に、新しい政権がどのような政策を進めるかについて、速やかに国民の信を問うべきなのであろう。

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「日本の倫理融解(メルトダウン) ー「心の再生」に取り組むべき時 ー提言編」

2007-09-10 | Weblog
下記の通り、今日本社会で必要とされている本をご紹介致します。
「日本の倫理融解(メルトダウン)
  ー「心の再生」を国民的プロジェクトとして取り組むべき時 ー
            提言編」
            小嶋 光昭著
            内外政策評論家
            前駐ルクセンブルク大使
                 発売 星雲社
別途電子書籍(パピレス)あり。
教育再生は、基本法の改正や制度改編が行われることになっています。しかし、法律で人の「心」を縛ることは出来ませんし、法律や制度に「心」が通っていなければ効果は限定的です。
現在でも、社会の広範な分野で比類の無い事件や不正の連鎖が続いています。社会保険庁の年金納付の未曾有な記録漏れ問題が解決の見通しが立っていない内に、社保庁職員他による年金保険料の横領や収賄などが報道されている。その他、談合や収賄などの行政での不正や事件、加工肉混入事件などに止まらず、家族間での殺人事件や政治資金の問題など、不正、事件は止まる気配がありません。このままでは日本の倫理はメルトダウン(融解)してしまうのかと危惧されるところです。規則や罰則の強化などは局部的に行われており、それはそれで必要ですが、それだけではだけでは倫理のメルトダウンは止まらないのでしょう。
規則や罰則を読む「心」、倫理の問題があります。
本著は、このような各社会分野毎の事件や不正の具体的な事例を振り返り、全般的な広がりを見せ始めている倫理のメルトダウンを危惧し、安心で豊かな日本の将来のために、一人一人の「心の再生」の必要性を問い、個々人、家庭、幼児教育を含む教育、企業・組織の場での取り組みについて、重層的、実践的に提言すると共に、行政や司法のあり方や取り組みについても率直に提言しています。
著者は、30年以上の外交分野その他での活動通じて、内外での広い経験と知識を有しており、「海外での活動において、日本自体の健全な発展が最大の誇りであり、力と感じている」と言う。だからこそ、安心で豊かな日本の将来のために、一人一人の「心の再生」の必要性を問い、提言しています。「心」の問題は、政府や行政だけに任せられる問題ではありません。本著が、国、地方の行政、コミュニテイ作りなど、市民の健全な生活を構築するための触媒となることを願っています。
本著は、実務的、実践的ではあるが、最近の日本社会の風潮を記録する「歴史を刻む書」と言えます。
主要書店でお尋ね頂くか、注文下さい。また、パピレスを通じ電子書籍としてインターネット上でもご覧頂けます。
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「日本の倫理融解(メルトダウン)ー心の再生ー提言編」

2007-09-04 | Weblog
下記の通り、今必要とされている本を改めてご紹介致します。
「日本の倫理融解(メルトダウン)
  ー「心の再生」を国民的プロジェクトとして取り組むべき時 ー
            提言編」
            小嶋 光昭著
            内外政策評論家
            前駐ルクセンブルク大使
                 発売 星雲社
別途電子書籍(パピレス)あり。
教育再生は、基本法の改正や制度改編が行われることになっています。しかし、法律で人の「心」を縛ることは出来ませんし、法律や制度に「心」が通っていなければ効果は限定的です。
現在でも、社会の広範な分野で比類の無い事件や不正の連鎖が続いています。社会保険庁の年金納付の未曾有な記録漏れ問題が解決の見通しが立っていない内に、社保庁職員他による年金保険料の横領や収賄などが報道されている。その他、談合や収賄などの行政での不正や事件、加工肉混入事件などに止まらず、家族間での殺人事件や政治資金の問題など、不正、事件は止まる気配がありません。このままでは日本の倫理はメルトダウン(融解)してしまうのかと危惧されるところです。規則や罰則の強化などは局部的に行われており、それはそれで必要ですが、それだけではだけでは倫理のメルトダウンは止まらないのでしょう。
規則や罰則を読む「心」、倫理の問題があります。
本著は、このような各社会分野毎の事件や不正の具体的な事例を振り返り、全般的な広がりを見せ始めている倫理のメルトダウンを危惧し、安心で豊かな日本の将来のために、一人一人の「心の再生」の必要性を問い、個々人、家庭、幼児教育を含む教育、企業・組織の場での取り組みについて、重層的、実践的に提言すると共に、行政や司法のあり方や取り組みについても率直に提言しています。
著者は、30年以上の外交分野その他での活動通じて、内外での広い経験と知識を有しており、「海外での活動において、日本自体の健全な発展が最大の誇りであり、力と感じている」と言う。だからこそ、安心で豊かな日本の将来のために、一人一人の「心の再生」の必要性を問い、提言しています。「心」の問題は、政府や行政だけに任せられる問題ではありません。本著が、国、地方の行政、コミュニテイ作りなど、市民の健全な生活を構築するための触媒となることを願っています。
本著は、実務的、実践的ではあるが、最近の日本社会の風潮を記録する「歴史を刻む書」と言えます。
主要書店でお尋ね頂くか、注文下さい。また、パピレスを通じ電子書籍としてインターネット上でもご覧頂けます。
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横綱朝青龍問題への過剰反応を問う― 日本の伝統・文化の尊重かバッシングか -

2007-09-03 | Weblog
横綱朝青龍問題への過剰反応を問う
― 日本の伝統・文化の尊重かバッシングか -
 横綱朝青龍は、処分後、療養のための帰国が同力士の引退認められ、8月29日、モンゴルに帰国したが、モンゴル到着後横綱は隠遁し、付き添った高砂親方(元大関朝潮)も日本に戻らざるを得なったことから、部屋の破門や協会(理事会)による引退勧告の可能性など、問題がこじれるにこじれ、一部でバッシングとも見られる言動にも発展している。モンゴルでの「療養」には期限は付されていない。横綱審議委員会も「様子を見る」としているので、しばらく様子を見るべきだろう。
 問題の発端は、横綱朝青龍関が、「腰の疲労骨折」などのため、夕張市などでの夏「巡業」を欠席し、母国モンゴルで親睦サッカーをしていたことが、7月25日の民放テレビ・ニュースで紹介され、仮病疑惑に発展したことから、相撲協会理事会が「2場所出場禁止、減給、自宅謹慎」などの厳しい処分を行ったことによる。同力士は、一旦帰国したものの処分や協会側の対応を不服とし、親方等による説得に応じず、協会側も「理事会決定」と「伝統、規則」を理由に、当初「帰国療養」を含む一切の調整に応じなかったことから、朝青龍関は更に態度を硬化させ、そもそもの「腰の疲労骨折の肘の痛み」とは別に、「解離性障害」と診断されるに至った。要するに、処分の厳しさに対するショックから、ある種の自閉症になってしまったようだ。
 8月28日、協会理事会も、ようやく「治療以外で公の場に出ることを禁止する」などの条件を付した上で同力士の帰国療養を認めたが、翌29日、成田空港に姿を見せた朝青龍関は終始目を伏せ、生気無く、思いつめたような諦めの表情を漂わせ、記者の質問にも答える様子も無かった。
 横綱朝青龍問題は、同人自身の属人的な問題ではあるが、日本と外国の文化の差、認識の差が背後のあるように見える。今回の朝青龍関の対応振りや態度についても、協会関係者や「相撲通」の間を中心として、「ふてくされている」から「国技である相撲の伝統を理解していない」まで手厳しい意見が多い。その通りである。日本の伝統的な国技である大相撲の横綱である以上、日本の規則、伝統に従うべきで、それに従わない横綱は不謹慎というのは、年齢や男女問わず、多くの日本人が抱く感情だ。確かに、「疲労骨折」などの診断書を出して、「巡業」に参加せず、療養するどころか、サッカーに興じていたこと自体は、関取の頂点に立つ「横綱」としてふさわしくなく、一定の処分に値する。
 しかし、違反行為と処分の程度の問題があり、それは本人の更生、出直しにとっても納得の行く、公正なものでなければ、罰則が逆効果になり、場合により「差別」や外国人バッシングと映ることにもなる。4年間近く、多く日本人の大関がいながら日本人の横綱は出ていない。素質もあり、有望視されていたが、大関に昇進すると、一部の力士は不節制と稽古不足などで身体の張りも無くなり、怪我も多くなり、横綱になれていない。相撲が取れていない。品格以前の問題だ。協会は、これらの日本人力士に対しもっと厳しく指導し、必要に応じ処分すべきではなかったか。
もう一つは、処罰を決定するプロセスの問題がある。横綱朝青龍自体にも、気の緩みや驕りがあったのであろう。しかし、26歳の立派な成人であり、力士の頂点に立つ横綱を「処分」するに当たっては、協会側(理事会)が一方的に決めるのではなく、処分決定前に同人の釈明等も十分聞くべきではなかったか。その上、横綱は外国人力士でもあり、日本の伝統・文化やしきたりなどへの考え方も異なっても当然であろうし、細かいニュアンスなどになると言葉の問題もあるであろう。更に、朝青龍関は、モンゴルにおいてはそれなりのステータスを持っており、いろいろな形で母国を背負っていることを忘れてはならない。日本では一横綱でしかなくても、母国では恐らくヒーローであり、それなりの立場もあり、そこに踏み込むような一方的な処分等がなされれば思わぬ反発が起こることも理解して置かなくてはならない。これは、モンゴルに限ったことではなく、相撲協会が外国人力士を受け容れている以上、心して置かなくてはならないことだ。
特に朝青龍関は、1人横綱として3年以上に亘り連続優勝や連続白星の話題を作り、大相撲の人気を維持した大きな功績がある。どちらかと言うと「悪役的」横綱ではあり、好き嫌いはあろうが、期待を一身に集め、辛いこともあったであろう。このような格闘技で怪我をすれば想像以上に直り難い。その上、年6場所に増え、その間に1人横綱として巡業もある。それを良くこれまで相撲の人気を維持して来たものだ。恐らく、朝青龍関は、これまで大きなプレッシャーがあっただけに、努力して来た思いも強かったのであろう。協会側は、処分や注意をするのは良いが、何故そのような気持ちを汲み取れなかったのだろうか。しかも同人に釈明の機会も与えず、いきなり2場所のレッド・カードを出すのは、プロセスにおいても、処分の内容についても配慮に欠けていたのではないのだろうか。
 外国人力士が、歌舞伎などと並んで最も伝統的、封建的であると思われている大相撲でフンドシを締め、土俵上で相撲を取り、横綱になり大関となることは嘗て想像も出来なかった。しかし、現在では、10数人が幕内力士であり、60人近くの外国人力士が在籍し、欧米でも、テレビ放送を通じ相撲ファンは増えている。この大相撲の「国際化」についても、「日本の国技」を理由として否定的な見方や外国人の横綱自体にある種の忌避反応も残っているようであり、一部のナショナリズムの意識や日本の伝統・文化至上主義が背後にあるように見える。批判の一部は、部屋同士の確執などの他、このような認識の差から出ているようだ。他方、歌舞伎などと同様に、日本の文化が国境を越えて普及することは、生きた文化、スポーツの交流として評価されて良いことであろう。と言うより、海外にファンが増えており、それは自然の流れなのであろう。文化は時代と共に変化するものであろう。日本の大相撲も「モンゴル相撲」や古代ローマの「レスリング」などを起源としているかもしれないし、それがまた海外に普及して行くかもしれない。偏狭な伝統は、普遍性を持てない。グローバル化時代の「空気を読む」ことも大相撲にも求められているのかもしれない。また、力士が時にはサッカーその他の相撲以外のスポーツや行事に参加することも相撲ファン層の裾野を広げることにもなろう。
 朝青龍関は、横綱として土俵で相撲を取ることは無いかもしれない。もしそうなれば、協会が今回の問題で将来のある26歳の横綱を潰すことになる。これで日本の若者は、大相撲に将来を見れるだろうか。相撲ファンにとっても、やっと東西横綱が見れるようになった途端にまた1人横綱になってしまい、好き嫌いは別として魅力は半減してしまう。
 日本も少子化と生活の豊かさの流れで力士希望者も減っている。ファン層も高齢化し、若い世代の関心は華やかなサッカーや野球、ゴルフなどに流れている。他方、だから外国人に人材を求め、ファン層も海外にも広がっており、文化の差の新鮮さから、フンドシとチョンマゲ姿も「クール」(しぶい)と見る若者も居る。協会も、少し目を相撲以外の社会や海外に向けて良いのであろう。
 朝青龍関は日本の相撲に戻らない可能性がある。しかし、残念ながらもしそうなったとしても、同人の功績や努力は讃えるべきであろう。
 朝青龍関も、少しゆっくりし、体と心を癒し、反省し、その後は堂々として横綱として復帰し、ファンに説明し、土俵の上で再び強い横綱を見せて欲しいものだ。
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「日本の倫理融解(メルトダウン)-心の再生ー 提言編」

2007-09-03 | Weblog
下記の通り、今必要とされている本を改めてご紹介致します。
「日本の倫理融解(メルトダウン)
  ー「心の再生」を国民的プロジェクトとして取り組むべき時 ー
            提言編」
            小嶋 光昭著
            内外政策評論家
            前駐ルクセンブルク大使
                 発売 星雲社
別途電子書籍(パピレス)あり。
教育再生は、基本法の改正や制度改編が行われることになっています。しかし、法律で人の「心」を縛ることは出来ませんし、法律や制度に「心」が通っていなければ効果は限定的です。
現在でも、社会の広範な分野で比類の無い事件や不正の連鎖が続いています。社会保険庁の年金納付の未曾有な記録漏れという行政上の不適正の他、談合や収賄などの行政での不正や事件、加工肉混入事件などに止まらず、家族間での殺人事件や政治資金の問題など、不正、事件は止まる気配がありません。このままでは日本の倫理はメルトダウン(融解)してしまうのかと危惧されるところです。規則や罰則の強化などは局部的に行われており、それはそれで必要ですが、それだけではだけでは倫理のメルトダウンは止まらないのでしょう。
規則や罰則を読む「心」、倫理の問題があります。
本著は、このような各社会分野毎の事件や不正の具体的な事例を振り返り、全般的な広がりを見せ始めている倫理のメルトダウンを危惧し、安心で豊かな日本の将来のために、一人一人の「心の再生」の必要性を問い、個々人、家庭、幼児教育を含む教育、企業・組織の場での取り組みについて、重層的、実践的に提言すると共に、行政や司法のあり方や取り組みについても率直に提言しています。
著者は、30年以上の外交分野その他での活動通じて、内外での広い経験と知識を有しており、「海外での活動において、日本自体の健全な発展が最大の誇りであり、力と感じている」と言う。だからこそ、安心で豊かな日本の将来のために、一人一人の「心の再生」の必要性を問い、提言しています。「心」の問題は、政府や行政だけに任せられる問題ではありません。本著が、国、地方の行政、コミュニテイ作りなど、市民の健全な生活を構築するための触媒となることを願っています。
本著は、実務的、実践的ではあるが、最近の日本社会の風潮を記録する「歴史を刻む書」と言えます。
主要書店でお尋ね頂くか、注文下さい。また、パピレスを通じ電子書籍としてインターネット上でもご覧頂けます。
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過剰反応 ケース3 ― 「桜パパ」と「トラ退治の姫」のスキャンダル -

2007-09-01 | Weblog
過剰反応 ケース3
― 「桜」パパと「トラ退治」の姫のスキャンダル -
 内閣改造、自民党人事の一新後も、事務所経費の不適切な処理や先の参院選での選挙違反などの報道が続く中で、今度は、参院選で当選した民主党の横峯良郎議員(女子プロゴルファーの父親で、通称「桜パパ」)と「姫の虎退治」で知られている姫井由美子議員のスキャンダルがそれぞれ週刊誌で報道され、議員辞職の可能性を含め、議員としての「資質」が問われている。
 横峯議員については、議員になる以前における「高額」の賭けゴルフと一時期愛人が居たことである。横峯議員は、事実に反する誇張等があるとして、週刊新潮に対し5500万円の賠償を求める民事訴訟を行っているので、真偽の程は裁判で明らかにされて行くであろう。いずれにしても事実とすれば、好ましくない行為である。
 しかし、責任の取り方は、公職に就いている間の行為かそれ以前の行為かや、その行為が政治資金などの公的活動に関する行為かなどにより自ずと異なるのであろう。「愛人」を持ったり、不倫は許されてよいものではない。事実であれば、家族や有権者に謝罪し、今後身を正すべきであろうし、当事者同士で問題があれば当事者同士で双方が責任ある社会人として解決を図るべきであろう。成人間の「不倫」は双方に責任がある。相手側は、明らかに「桜パパ」、即ち既婚者であることを知っていたはずであり、等しく責任がある。それを公表するのであるから、報酬その他の目的があると思われても仕方がない。
 賭けゴルフについても容認されて良いことではない。特に、「高額な」賭けは非社会性が強くなる。しかし、私人としてお互いに鼓舞したり、「愛嬌で」小額の賭けをすることは日常茶飯事であり、公人は別として、それまで否定することは実情に反し、建前論の過剰反応ではないのだろうか。特に、「桜パパ」は、当時「レッスン・プロ」であり、同伴プレーにはレッスン料を取ったり、「賞金を掛ける」なども一般的に行われていることも事実である。プロ・ゴルファーの間で、可なり高額の「賞金」を掛けた試合なども、極く一般的に行われている。「プロ」が指導やサービスでラウンドをする対価として代償を受けることは認められて良い。だから「プロ」なのである。「賭け金」が、相手の支払えないほどの高額であったり、そもそも同意していないような非社会性が強い場合は別であるし、公人としては額の如何を問わず好ましくない。他方、過剰反応も実情に反することが多く、ゆとりや寛容性を失い、好ましくない。
姫井議員については、当時既に家庭もあり、好ましい行為とは言えない。しかし、相手側は、バツイチとは言え、高校教諭の立場にありながら「不倫」をした上、それをあたかも相手の責任であるかのように暴露していることは、教育者であった立場を顧みない軽薄・軽率な行為であり、悪意に満ちた誹謗、或いは報酬のための中傷と受け取られても仕方がないのではないか。
いずれのケースも過剰反応は無用のようだ。両議員が、公人として身を正し、有権者のために公務に励むことを望みたい。
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