内外政策評論 TheOpinion on Global & Domestic Issues

このブログは、広い視野から内外諸問題を分析し、提言を試みます。
Policy Essayist

 竹島問題を大所高所から解決すべき時 (その2)

2012-08-30 | Weblog
 竹島問題を大所高所から解決すべき時 (その2)
 韓国の李明博大統領は、8月10日、ヘリコプターで竹島(韓国名独島)に上陸し視察し、その後も日本側の批判、抗議等に耳を貸さず、石碑を建てるなど、心無い行動を継続した。竹島は島根県に属するが、李承晩・大韓民国(韓国)大統領が、1952年1月18日、「海洋主権」を宣言し、周辺海域に「漁船立ち入り禁止線」、通称「李承晩ライン」を設定し、同島は韓国の支配下にあると一方的に宣言して以来、日韓間の喉もとの小骨となっている。
 今回の李明博韓国大統領の竹島上陸は日韓関係にとって極めて深刻な行為であり、日本としても重大な決意を持って竹島問題の解決に努めるべきであろう。
 1、日韓の古くからの接点、竹島(独島)の歴史 (その1で掲載)
 2、「日韓新時代」は竹島(独島)問題の早期解決が鍵
 竹島の帰属問題は、日本政府としては1954年、1962年に国際司法裁判所に付託することを韓国側に提案し来ているが、韓国政府が同意していないため実現していない。
 竹島は韓国により事実上占拠されており、韓国側はこれを「実効支配」と称している。しかし本来「実効支配」とは、「政府承認の重要な要件」の一つとして、特定国の政府が国内全域において実効的に支配が確立出来ているか否かを判断する概念であり、日本が領有を主張し、両国間の国際問題となっているので、同島を「実力行使」で占拠しても、日本が領有権を明確に表明している限り、実力行使による「占拠」でしかない。
日本政府は今回も国際司法裁判所へ提訴するなど、国際法にしたがって平和的解決を図るとしているが、これまで通り韓国が国際司法裁判所への付託に同意しない限り係争案件として受理されない。これまでのようにこの問題で建前論や事なかれを繰り返し、或いは韓国側を刺激することを恐れてこの問題を避けて通ることはもはや許されない。
 今回についても韓国政府は、国際司法裁判所への共同提案はもとより、付託自体を拒否する姿勢を明らかにしている。その上、野田首相が今回の一連の行動を遺憾とし、国際司法裁判所への共同提案を促す内容の李明博大統領宛親書を在京韓国大使館に託したが、韓国側はこれを差し戻そうとした上、書留郵便で外務省に返送するとの呆れた行動に出ている。これを受けて日本政府は、当初経済的影響を考慮し対応を慎重に検討するとしていた。しかし韓国大統領の竹島上陸は、日韓両国政府の信頼関係を著しく損なう行動であるので、この行動が日韓関係に影響を与えないはずがない。竹島は日本の領土であるのでしっかりと主張し、短期的に両国関係に影響することがあるとしても、毅然としてあらゆる措置、対策を取るべきであろう。言葉だけの外交や、問題先送り外交により事態の改善をもたらすことはないことが、李大統領の今回の同島訪問で明らかになった。影響を恐れて従来のような事なかれ外交を繰り返すことは、韓国側に日本は従来通り何も出来ない、何もしないとの誤ったメッセージを送り、現状を事実上容認することになる恐れが強い。従来の措置を超える明確且つ具体的な措置を検討、実施すべきであろう。
 領土の保全は、国家、国民の存立の基礎であり、安全保障、防衛の基本的な役割である。従って、韓国政府が竹島を巡る領有権問題で日本の利益を害する行動を継続するのであれば、日韓間の防衛協力については実務的な情報交換や信頼醸成措置程度に止める一方、朝鮮半島有事に際する協力は凍結し、日本自身の領土保全、安全保障に重点をシフトするなど、防衛政策の転換を検討すべきであろう。
 他方、日韓両国は近年において経済の相互依存関係を強め、また民間レベルの文化・芸能交流などが深まっているので、このような民間レベルの日韓交流に影響を与えないよう留意しつつ、国際司法裁判所への付託を含め、首脳レベルでの協議を打診し、常に本件協議への門戸を開放しておく一方、一般的な首脳レベルでの交流を停止する。また日韓経済連携協議の凍結や金融・資本、高度技術分野などでの政府レベルの交流、協力を抑制するなど、竹島問題の解決に向けて明確なメッセージを送り続けるべきであろう。但し、2国間関係は相互の努力で発展するものであるので、日本だけではなく、韓国の官民もこの問題が民間レベルの交流に影響を与えないよう努力することを期待したい。この関連で、日韓間の議員交流を超党派での交流を含めもっと頻繁に行うことが望ましい。
この問題の解決なくして「日韓新時代」の幕開けなどは、実体が伴わない標語に過ぎない。
 なお李明博大統領は、今回の竹島を巡る行動は慰安婦問題に対する日本側のはっきりしない姿勢が背景にあるなどとしている。しかし戦時中の賠償問題については、1965年6月22日に日韓基本条約を締結し、国交を正常化すると共に、請求権問題も経済協力等の形で政府間で処理し、個々人の請求権については相互に放棄し、それぞれの政府が対応すべきものと合意されている。従って明示はしていないものの、慰安婦問題も韓国国内で請求等がある場合には韓国政府が対処すべきことであろう。更に慰安婦問題が韓国の他、フィリピン、台湾など一部アジア地域で問題となったことを受けて、村山連立政権当時、政府間の賠償請求については合意済みとの立場を取りつつも、1995年7月、民間資金も募り、「女性のためのアジア平和国民基金」を設立し、アジア地域で被害を受けたと思われる女性に対し償い金を支払い、日本国民としての償いの気持ちを表わしている。同基金は2007年に解散されているが、戦時という異常な状態でのこととは言え、もしそのような被害を受けられた女性がなおおられたとすれば心からお詫びをしたい。
 また同大統領は、天皇が訪韓されたいということであれば独立運動で亡くなった方に謝罪すべきと発言した旨報道され、日本政府が遺憾の意を表明するなど問題となっている。確かに同大統領は、就任後2008年4月に訪日し、天皇陛下と謁見の上歓談されているのに何故あのような発言をされたのか理解に苦しむ。しかし同発言は、韓国教員大学校で開催された教員関連の会合でのものであり、公開の場や公式の場での発言ではないので、日本政府が公式にコメントする必要はないと思われる。これらの発言の応酬は無用であり、お互いに自制することが望まれる。
 3、模索すべき大所高所からの解決策         (その3で掲載)
 4、歴史も状況も異なる竹島、尖閣列島、北方4島問題  (その4で掲載)
(2012.08.25.)(Copy Right Reserved.)(不許無断転載・引用)
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 竹島問題を大所高所から解決すべき時 (その2)

2012-08-30 | Weblog
 竹島問題を大所高所から解決すべき時 (その2)
 韓国の李明博大統領は、8月10日、ヘリコプターで竹島(韓国名独島)に上陸し視察し、その後も日本側の批判、抗議等に耳を貸さず、石碑を建てるなど、心無い行動を継続した。竹島は島根県に属するが、李承晩・大韓民国(韓国)大統領が、1952年1月18日、「海洋主権」を宣言し、周辺海域に「漁船立ち入り禁止線」、通称「李承晩ライン」を設定し、同島は韓国の支配下にあると一方的に宣言して以来、日韓間の喉もとの小骨となっている。
 今回の李明博韓国大統領の竹島上陸は日韓関係にとって極めて深刻な行為であり、日本としても重大な決意を持って竹島問題の解決に努めるべきであろう。
 1、日韓の古くからの接点、竹島(独島)の歴史 (その1で掲載)
 2、「日韓新時代」は竹島(独島)問題の早期解決が鍵
 竹島の帰属問題は、日本政府としては1954年、1962年に国際司法裁判所に付託することを韓国側に提案し来ているが、韓国政府が同意していないため実現していない。
 竹島は韓国により事実上占拠されており、韓国側はこれを「実効支配」と称している。しかし本来「実効支配」とは、「政府承認の重要な要件」の一つとして、特定国の政府が国内全域において実効的に支配が確立出来ているか否かを判断する概念であり、日本が領有を主張し、両国間の国際問題となっているので、同島を「実力行使」で占拠しても、日本が領有権を明確に表明している限り、実力行使による「占拠」でしかない。
日本政府は今回も国際司法裁判所へ提訴するなど、国際法にしたがって平和的解決を図るとしているが、これまで通り韓国が国際司法裁判所への付託に同意しない限り係争案件として受理されない。これまでのようにこの問題で建前論や事なかれを繰り返し、或いは韓国側を刺激することを恐れてこの問題を避けて通ることはもはや許されない。
 今回についても韓国政府は、国際司法裁判所への共同提案はもとより、付託自体を拒否する姿勢を明らかにしている。その上、野田首相が今回の一連の行動を遺憾とし、国際司法裁判所への共同提案を促す内容の李明博大統領宛親書を在京韓国大使館に託したが、韓国側はこれを差し戻そうとした上、書留郵便で外務省に返送するとの呆れた行動に出ている。これを受けて日本政府は、当初経済的影響を考慮し対応を慎重に検討するとしていた。しかし韓国大統領の竹島上陸は、日韓両国政府の信頼関係を著しく損なう行動であるので、この行動が日韓関係に影響を与えないはずがない。竹島は日本の領土であるのでしっかりと主張し、短期的に両国関係に影響することがあるとしても、毅然としてあらゆる措置、対策を取るべきであろう。言葉だけの外交や、問題先送り外交により事態の改善をもたらすことはないことが、李大統領の今回の同島訪問で明らかになった。影響を恐れて従来のような事なかれ外交を繰り返すことは、韓国側に日本は従来通り何も出来ない、何もしないとの誤ったメッセージを送り、現状を事実上容認することになる恐れが強い。従来の措置を超える明確且つ具体的な措置を検討、実施すべきであろう。
 領土の保全は、国家、国民の存立の基礎であり、安全保障、防衛の基本的な役割である。従って、韓国政府が竹島を巡る領有権問題で日本の利益を害する行動を継続するのであれば、日韓間の防衛協力については実務的な情報交換や信頼醸成措置程度に止める一方、朝鮮半島有事に際する協力は凍結し、日本自身の領土保全、安全保障に重点をシフトするなど、防衛政策の転換を検討すべきであろう。
 他方、日韓両国は近年において経済の相互依存関係を強め、また民間レベルの文化・芸能交流などが深まっているので、このような民間レベルの日韓交流に影響を与えないよう留意しつつ、国際司法裁判所への付託を含め、首脳レベルでの協議を打診し、常に本件協議への門戸を開放しておく一方、一般的な首脳レベルでの交流を停止する。また日韓経済連携協議の凍結や金融・資本、高度技術分野などでの政府レベルの交流、協力を抑制するなど、竹島問題の解決に向けて明確なメッセージを送り続けるべきであろう。但し、2国間関係は相互の努力で発展するものであるので、日本だけではなく、韓国の官民もこの問題が民間レベルの交流に影響を与えないよう努力することを期待したい。この関連で、日韓間の議員交流を超党派での交流を含めもっと頻繁に行うことが望ましい。
この問題の解決なくして「日韓新時代」の幕開けなどは、実体が伴わない標語に過ぎない。
 なお李明博大統領は、今回の竹島を巡る行動は慰安婦問題に対する日本側のはっきりしない姿勢が背景にあるなどとしている。しかし戦時中の賠償問題については、1965年6月22日に日韓基本条約を締結し、国交を正常化すると共に、請求権問題も経済協力等の形で政府間で処理し、個々人の請求権については相互に放棄し、それぞれの政府が対応すべきものと合意されている。従って明示はしていないものの、慰安婦問題も韓国国内で請求等がある場合には韓国政府が対処すべきことであろう。更に慰安婦問題が韓国の他、フィリピン、台湾など一部アジア地域で問題となったことを受けて、村山連立政権当時、政府間の賠償請求については合意済みとの立場を取りつつも、1995年7月、民間資金も募り、「女性のためのアジア平和国民基金」を設立し、アジア地域で被害を受けたと思われる女性に対し償い金を支払い、日本国民としての償いの気持ちを表わしている。同基金は2007年に解散されているが、戦時という異常な状態でのこととは言え、もしそのような被害を受けられた女性がなおおられたとすれば心からお詫びをしたい。
 また同大統領は、天皇が訪韓されたいということであれば独立運動で亡くなった方に謝罪すべきと発言した旨報道され、日本政府が遺憾の意を表明するなど問題となっている。確かに同大統領は、就任後2008年4月に訪日し、天皇陛下と謁見の上歓談されているのに何故あのような発言をされたのか理解に苦しむ。しかし同発言は、韓国教員大学校で開催された教員関連の会合でのものであり、公開の場や公式の場での発言ではないので、日本政府が公式にコメントする必要はないと思われる。これらの発言の応酬は無用であり、お互いに自制することが望まれる。
 3、模索すべき大所高所からの解決策         (その3で掲載)
 4、歴史も状況も異なる竹島、尖閣列島、北方4島問題  (その4で掲載)
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 竹島問題を大所高所から解決すべき時 (その2)
 韓国の李明博大統領は、8月10日、ヘリコプターで竹島(韓国名独島)に上陸し視察し、その後も日本側の批判、抗議等に耳を貸さず、石碑を建てるなど、心無い行動を継続した。竹島は島根県に属するが、李承晩・大韓民国(韓国)大統領が、1952年1月18日、「海洋主権」を宣言し、周辺海域に「漁船立ち入り禁止線」、通称「李承晩ライン」を設定し、同島は韓国の支配下にあると一方的に宣言して以来、日韓間の喉もとの小骨となっている。
 今回の李明博韓国大統領の竹島上陸は日韓関係にとって極めて深刻な行為であり、日本としても重大な決意を持って竹島問題の解決に努めるべきであろう。
 1、日韓の古くからの接点、竹島(独島)の歴史 (その1で掲載)
 2、「日韓新時代」は竹島(独島)問題の早期解決が鍵
 竹島の帰属問題は、日本政府としては1954年、1962年に国際司法裁判所に付託することを韓国側に提案し来ているが、韓国政府が同意していないため実現していない。
 竹島は韓国により事実上占拠されており、韓国側はこれを「実効支配」と称している。しかし本来「実効支配」とは、「政府承認の重要な要件」の一つとして、特定国の政府が国内全域において実効的に支配が確立出来ているか否かを判断する概念であり、日本が領有を主張し、両国間の国際問題となっているので、同島を「実力行使」で占拠しても、日本が領有権を明確に表明している限り、実力行使による「占拠」でしかない。
日本政府は今回も国際司法裁判所へ提訴するなど、国際法にしたがって平和的解決を図るとしているが、これまで通り韓国が国際司法裁判所への付託に同意しない限り係争案件として受理されない。これまでのようにこの問題で建前論や事なかれを繰り返し、或いは韓国側を刺激することを恐れてこの問題を避けて通ることはもはや許されない。
 今回についても韓国政府は、国際司法裁判所への共同提案はもとより、付託自体を拒否する姿勢を明らかにしている。その上、野田首相が今回の一連の行動を遺憾とし、国際司法裁判所への共同提案を促す内容の李明博大統領宛親書を在京韓国大使館に託したが、韓国側はこれを差し戻そうとした上、書留郵便で外務省に返送するとの呆れた行動に出ている。これを受けて日本政府は、当初経済的影響を考慮し対応を慎重に検討するとしていた。しかし韓国大統領の竹島上陸は、日韓両国政府の信頼関係を著しく損なう行動であるので、この行動が日韓関係に影響を与えないはずがない。竹島は日本の領土であるのでしっかりと主張し、短期的に両国関係に影響することがあるとしても、毅然としてあらゆる措置、対策を取るべきであろう。言葉だけの外交や、問題先送り外交により事態の改善をもたらすことはないことが、李大統領の今回の同島訪問で明らかになった。影響を恐れて従来のような事なかれ外交を繰り返すことは、韓国側に日本は従来通り何も出来ない、何もしないとの誤ったメッセージを送り、現状を事実上容認することになる恐れが強い。従来の措置を超える明確且つ具体的な措置を検討、実施すべきであろう。
 領土の保全は、国家、国民の存立の基礎であり、安全保障、防衛の基本的な役割である。従って、韓国政府が竹島を巡る領有権問題で日本の利益を害する行動を継続するのであれば、日韓間の防衛協力については実務的な情報交換や信頼醸成措置程度に止める一方、朝鮮半島有事に際する協力は凍結し、日本自身の領土保全、安全保障に重点をシフトするなど、防衛政策の転換を検討すべきであろう。
 他方、日韓両国は近年において経済の相互依存関係を強め、また民間レベルの文化・芸能交流などが深まっているので、このような民間レベルの日韓交流に影響を与えないよう留意しつつ、国際司法裁判所への付託を含め、首脳レベルでの協議を打診し、常に本件協議への門戸を開放しておく一方、一般的な首脳レベルでの交流を停止する。また日韓経済連携協議の凍結や金融・資本、高度技術分野などでの政府レベルの交流、協力を抑制するなど、竹島問題の解決に向けて明確なメッセージを送り続けるべきであろう。但し、2国間関係は相互の努力で発展するものであるので、日本だけではなく、韓国の官民もこの問題が民間レベルの交流に影響を与えないよう努力することを期待したい。この関連で、日韓間の議員交流を超党派での交流を含めもっと頻繁に行うことが望ましい。
この問題の解決なくして「日韓新時代」の幕開けなどは、実体が伴わない標語に過ぎない。
 なお李明博大統領は、今回の竹島を巡る行動は慰安婦問題に対する日本側のはっきりしない姿勢が背景にあるなどとしている。しかし戦時中の賠償問題については、1965年6月22日に日韓基本条約を締結し、国交を正常化すると共に、請求権問題も経済協力等の形で政府間で処理し、個々人の請求権については相互に放棄し、それぞれの政府が対応すべきものと合意されている。従って明示はしていないものの、慰安婦問題も韓国国内で請求等がある場合には韓国政府が対処すべきことであろう。更に慰安婦問題が韓国の他、フィリピン、台湾など一部アジア地域で問題となったことを受けて、村山連立政権当時、政府間の賠償請求については合意済みとの立場を取りつつも、1995年7月、民間資金も募り、「女性のためのアジア平和国民基金」を設立し、アジア地域で被害を受けたと思われる女性に対し償い金を支払い、日本国民としての償いの気持ちを表わしている。同基金は2007年に解散されているが、戦時という異常な状態でのこととは言え、もしそのような被害を受けられた女性がなおおられたとすれば心からお詫びをしたい。
 また同大統領は、天皇が訪韓されたいということであれば独立運動で亡くなった方に謝罪すべきと発言した旨報道され、日本政府が遺憾の意を表明するなど問題となっている。確かに同大統領は、就任後2008年4月に訪日し、天皇陛下と謁見の上歓談されているのに何故あのような発言をされたのか理解に苦しむ。しかし同発言は、韓国教員大学校で開催された教員関連の会合でのものであり、公開の場や公式の場での発言ではないので、日本政府が公式にコメントする必要はないと思われる。これらの発言の応酬は無用であり、お互いに自制することが望まれる。
 3、模索すべき大所高所からの解決策         (その3で掲載)
 4、歴史も状況も異なる竹島、尖閣列島、北方4島問題  (その4で掲載)
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ブッダ誕生の聖地を読む (その2)

2012-08-30 | Weblog
ブッダ誕生の聖地を読む (その2)
 2011年6月、東日本随一の平安時代の仏教美術の宝庫として知られる岩手県平泉町の中尊寺がUNESCOの世界文化遺産として登録された。奈良や京都には多くの仏教建築、文化財が世界遺産となっており、神社などと並んで日本文化の一部となっている。国勢調査においても、信仰の程度は別として仏教の系統が9,600万人、総人口の約74%にものぼる。
 ところが仏教の基礎を築いたブッダ(通称お釈迦様)の誕生地やシャキア王国の王子として育った城都カピラバスツなど、その歴史的、社会的な背景については、一部の仏教関係者を除いて一般には余り知られていない。確かに、ブッダの誕生地は「北インド」と習った人が多く、未だに多くの教科書にはそのように記載されている。更に城都カピラバスツ(通称カピラ城)については、今日でもネパール説とインド説があり、国際的にも決着していない。2,500年以上前の伝承上、宗教上の人物であるので、今更どちらでもよいような話ではあるが、日本文化や慣習、思想に関係が深いので、宗教、信仰とは別に、知識としてブッダ誕生の歴史的、社会的な背景やルーツを知ることは日本の文化や思想をよりよく知る上で必要なのであろう。
 このような観点、疑問から2011年に著書「お釈迦様のルーツの謎」を出版したが、今回はそれを基礎として、ブッダ教が日本にどのように伝来し、受け入れられたか、そしてブッダ思想が生まれたその歴史的、社会的な背景と今日的な意味の一端をご紹介してみたい。
 1、飛鳥時代の朝廷に受け入れられた仏教 ((その1 で掲載)
 2、ブッダの生誕地ルンビニ
ブッダは、紀元前6世紀から5世紀にかけて現在のネパール南部ルンビニで誕生し、29歳までシャキア(釈迦)族の部族王国の王子としてカピラバスツ城で育ち、29才で悟りの道を求めて城を後にした。王子の名はシッダールタ・ゴータマ、そしてその部族名(シャキア)からお釈迦様の名で親しまれている。シッダールタ王子は後に悟りを開き、ブッダ(悟りを開いた者の意)となり、ブッダ教(仏教)の創始者になった。
 ルンビニは、1997年にUNESCOの世界文化遺産に登録されており、ブッダの生誕地としては国際的に認知されていると言ってよいだろう。ルンビニには、マヤデヴィ寺院、沐浴したとされる池やシッダールタ王子誕生を描写した石像などがある。
しかし歴史的に重要なのは、アショカ王の石柱であり、そこに刻まれている碑文(パーリ語)により、19世紀末のブッダの生誕地論争に終止符が打たれた経緯がある。アショカ王(在位 紀元前269年より232年頃)は、ほぼインド全域を統一しマガダ国マウリア王朝の全盛期を築いたが、カリンガの闘いでの大虐殺への報いを恐れ、不戦と不殺生を誓い、ブッダ教に帰依したと言われている。同時にルンビニは、シッダールタ王子が育ったカピラバスツ城の位置を特定する上でも重要な基点となる。
なお、日本の教科書での記述振りは1990年代末以降若干改善されて来ているものの、「ブッダの誕生地はネーパルのルンビニ」と記されている教科書は相対的に少なく、未だに「北インド」と書かれているものが多く、改定が課題となっている。
 3、2つのカピラバスツ城の謎 (その3に掲載)
4、ブッダ誕生の聖地から読めること(その4 に掲載)
(2012.06.01)(Copy Rights Reserved.)(不許無断転載
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ブッダ誕生の聖地を読む (その2)

2012-08-30 | Weblog
ブッダ誕生の聖地を読む (その2)
 2011年6月、東日本随一の平安時代の仏教美術の宝庫として知られる岩手県平泉町の中尊寺がUNESCOの世界文化遺産として登録された。奈良や京都には多くの仏教建築、文化財が世界遺産となっており、神社などと並んで日本文化の一部となっている。国勢調査においても、信仰の程度は別として仏教の系統が9,600万人、総人口の約74%にものぼる。
 ところが仏教の基礎を築いたブッダ(通称お釈迦様)の誕生地やシャキア王国の王子として育った城都カピラバスツなど、その歴史的、社会的な背景については、一部の仏教関係者を除いて一般には余り知られていない。確かに、ブッダの誕生地は「北インド」と習った人が多く、未だに多くの教科書にはそのように記載されている。更に城都カピラバスツ(通称カピラ城)については、今日でもネパール説とインド説があり、国際的にも決着していない。2,500年以上前の伝承上、宗教上の人物であるので、今更どちらでもよいような話ではあるが、日本文化や慣習、思想に関係が深いので、宗教、信仰とは別に、知識としてブッダ誕生の歴史的、社会的な背景やルーツを知ることは日本の文化や思想をよりよく知る上で必要なのであろう。
 このような観点、疑問から2011年に著書「お釈迦様のルーツの謎」を出版したが、今回はそれを基礎として、ブッダ教が日本にどのように伝来し、受け入れられたか、そしてブッダ思想が生まれたその歴史的、社会的な背景と今日的な意味の一端をご紹介してみたい。
 1、飛鳥時代の朝廷に受け入れられた仏教 ((その1 で掲載)
 2、ブッダの生誕地ルンビニ
ブッダは、紀元前6世紀から5世紀にかけて現在のネパール南部ルンビニで誕生し、29歳までシャキア(釈迦)族の部族王国の王子としてカピラバスツ城で育ち、29才で悟りの道を求めて城を後にした。王子の名はシッダールタ・ゴータマ、そしてその部族名(シャキア)からお釈迦様の名で親しまれている。シッダールタ王子は後に悟りを開き、ブッダ(悟りを開いた者の意)となり、ブッダ教(仏教)の創始者になった。
 ルンビニは、1997年にUNESCOの世界文化遺産に登録されており、ブッダの生誕地としては国際的に認知されていると言ってよいだろう。ルンビニには、マヤデヴィ寺院、沐浴したとされる池やシッダールタ王子誕生を描写した石像などがある。
しかし歴史的に重要なのは、アショカ王の石柱であり、そこに刻まれている碑文(パーリ語)により、19世紀末のブッダの生誕地論争に終止符が打たれた経緯がある。アショカ王(在位 紀元前269年より232年頃)は、ほぼインド全域を統一しマガダ国マウリア王朝の全盛期を築いたが、カリンガの闘いでの大虐殺への報いを恐れ、不戦と不殺生を誓い、ブッダ教に帰依したと言われている。同時にルンビニは、シッダールタ王子が育ったカピラバスツ城の位置を特定する上でも重要な基点となる。
なお、日本の教科書での記述振りは1990年代末以降若干改善されて来ているものの、「ブッダの誕生地はネーパルのルンビニ」と記されている教科書は相対的に少なく、未だに「北インド」と書かれているものが多く、改定が課題となっている。
 3、2つのカピラバスツ城の謎 (その3に掲載)
4、ブッダ誕生の聖地から読めること(その4 に掲載)
(2012.06.01)(Copy Rights Reserved.)(不許無断転載
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竹島問題を大所高所から解決すべき時 (その1)

2012-08-30 | Weblog
竹島問題を大所高所から解決すべき時 (その1)
 韓国の李明博大統領は、8月10日、ヘリコプターで竹島(韓国名独島)に上陸し視察し、その後も日本側の批判、抗議等に耳を貸さず、石碑を建てるなど、心無い行動を継続した。竹島は島根県に属するが、李承晩・大韓民国(韓国)大統領が、1952年1月18日、「海洋主権」を宣言し、周辺海域に「漁船立ち入り禁止線」、通称「李承晩ライン」を設定し、同島は韓国の支配下にあると一方的に宣言して以来、日韓間の喉もとの小骨となっている。
 今回の李明博韓国大統領の竹島上陸は日韓関係にとって極めて深刻な行為であり、日本としても重大な決意を持って竹島問題の解決に努めるべきであろう。
 1、日韓の古くからの接点、竹島(独島)の歴史
 同島は、東西2つの岩礁島からなっており、日比谷公園と同程度の面積しかなく、また定住出来るような環境にはないが、1905年1月28日、日本政府は、閣議で「竹島」と命名し、「島根県隠岐島司」の所管とした。日本が、韓国(大韓帝国)を併合(1910年8月)した5年以上も前のことである。
 しかし同島を巡る日韓両国の交流は、両国の沿岸漁民を中心として江戸時代初期頃からあり、この頃より周辺海域での接触、紛争が活発になって来たとの記録が残っている。1618年には、日本人2名が江戸幕府の許可を得て同島に渡航し、1692、3年頃には、これら2名が周辺島嶼から2名の朝鮮人を日本に連行した事件(「竹島一件」)が起ったなどの記録がある。
 また1849年、フランスの捕鯨船Liancourt号が同島を発見し、リアンクール島と名付け、その後日本では、「りゃんこ島」とか「リアンクール岩」とも呼ばれたことがあるようで、同島(岩礁)を巡る両国の交流の歴史にも混同がありそうだ。因みに、米国国務省がホーム・ページで公表している各国別地図では、日韓双方に、Liancourt Rocks(リアンコート岩礁)の名称で記載している。
 このような古くからの交流の歴史を考えると、竹島(独島)問題は、靖国神社参拝やいわゆる「(侵略の)歴史問題」とは関係がない。韓国側も、歴史的事実は事実として認識して欲しいものである。他方日本とは反対側の韓国からの見方もあろうから、双方の専門家で同島の歴史を客観的に研究し、相互の理解を深める努力も必要のようだ。
 それはそれとして、同島が両国の古来の接触の「最外延点」であるという歴史的背景を踏まえ、同島問題の解決を真剣に模索すべき時期に来たと言えよう。
 2、「日韓新時代」は竹島(独島)問題の早期解決が鍵 (その2で掲載)
 3、模索すべき大所高所からの解決策         (その3で掲載)
 4、歴史も状況も異なる竹島、尖閣列島、北方4島問題  (その4で掲載)
(2012.08.25.)(Copy Right Reserved.)(不許無断転載・引用)
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竹島問題を大所高所から解決すべき時 (その1)

2012-08-30 | Weblog
竹島問題を大所高所から解決すべき時 (その1)
 韓国の李明博大統領は、8月10日、ヘリコプターで竹島(韓国名独島)に上陸し視察し、その後も日本側の批判、抗議等に耳を貸さず、石碑を建てるなど、心無い行動を継続した。竹島は島根県に属するが、李承晩・大韓民国(韓国)大統領が、1952年1月18日、「海洋主権」を宣言し、周辺海域に「漁船立ち入り禁止線」、通称「李承晩ライン」を設定し、同島は韓国の支配下にあると一方的に宣言して以来、日韓間の喉もとの小骨となっている。
 今回の李明博韓国大統領の竹島上陸は日韓関係にとって極めて深刻な行為であり、日本としても重大な決意を持って竹島問題の解決に努めるべきであろう。
 1、日韓の古くからの接点、竹島(独島)の歴史
 同島は、東西2つの岩礁島からなっており、日比谷公園と同程度の面積しかなく、また定住出来るような環境にはないが、1905年1月28日、日本政府は、閣議で「竹島」と命名し、「島根県隠岐島司」の所管とした。日本が、韓国(大韓帝国)を併合(1910年8月)した5年以上も前のことである。
 しかし同島を巡る日韓両国の交流は、両国の沿岸漁民を中心として江戸時代初期頃からあり、この頃より周辺海域での接触、紛争が活発になって来たとの記録が残っている。1618年には、日本人2名が江戸幕府の許可を得て同島に渡航し、1692、3年頃には、これら2名が周辺島嶼から2名の朝鮮人を日本に連行した事件(「竹島一件」)が起ったなどの記録がある。
 また1849年、フランスの捕鯨船Liancourt号が同島を発見し、リアンクール島と名付け、その後日本では、「りゃんこ島」とか「リアンクール岩」とも呼ばれたことがあるようで、同島(岩礁)を巡る両国の交流の歴史にも混同がありそうだ。因みに、米国国務省がホーム・ページで公表している各国別地図では、日韓双方に、Liancourt Rocks(リアンコート岩礁)の名称で記載している。
 このような古くからの交流の歴史を考えると、竹島(独島)問題は、靖国神社参拝やいわゆる「(侵略の)歴史問題」とは関係がない。韓国側も、歴史的事実は事実として認識して欲しいものである。他方日本とは反対側の韓国からの見方もあろうから、双方の専門家で同島の歴史を客観的に研究し、相互の理解を深める努力も必要のようだ。
 それはそれとして、同島が両国の古来の接触の「最外延点」であるという歴史的背景を踏まえ、同島問題の解決を真剣に模索すべき時期に来たと言えよう。
 2、「日韓新時代」は竹島(独島)問題の早期解決が鍵 (その2で掲載)
 3、模索すべき大所高所からの解決策         (その3で掲載)
 4、歴史も状況も異なる竹島、尖閣列島、北方4島問題  (その4で掲載)
(2012.08.25.)(Copy Right Reserved.)(不許無断転載・引用)
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竹島問題を大所高所から解決すべき時 (その1)

2012-08-30 | Weblog
竹島問題を大所高所から解決すべき時 (その1)
 韓国の李明博大統領は、8月10日、ヘリコプターで竹島(韓国名独島)に上陸し視察し、その後も日本側の批判、抗議等に耳を貸さず、石碑を建てるなど、心無い行動を継続した。竹島は島根県に属するが、李承晩・大韓民国(韓国)大統領が、1952年1月18日、「海洋主権」を宣言し、周辺海域に「漁船立ち入り禁止線」、通称「李承晩ライン」を設定し、同島は韓国の支配下にあると一方的に宣言して以来、日韓間の喉もとの小骨となっている。
 今回の李明博韓国大統領の竹島上陸は日韓関係にとって極めて深刻な行為であり、日本としても重大な決意を持って竹島問題の解決に努めるべきであろう。
 1、日韓の古くからの接点、竹島(独島)の歴史
 同島は、東西2つの岩礁島からなっており、日比谷公園と同程度の面積しかなく、また定住出来るような環境にはないが、1905年1月28日、日本政府は、閣議で「竹島」と命名し、「島根県隠岐島司」の所管とした。日本が、韓国(大韓帝国)を併合(1910年8月)した5年以上も前のことである。
 しかし同島を巡る日韓両国の交流は、両国の沿岸漁民を中心として江戸時代初期頃からあり、この頃より周辺海域での接触、紛争が活発になって来たとの記録が残っている。1618年には、日本人2名が江戸幕府の許可を得て同島に渡航し、1692、3年頃には、これら2名が周辺島嶼から2名の朝鮮人を日本に連行した事件(「竹島一件」)が起ったなどの記録がある。
 また1849年、フランスの捕鯨船Liancourt号が同島を発見し、リアンクール島と名付け、その後日本では、「りゃんこ島」とか「リアンクール岩」とも呼ばれたことがあるようで、同島(岩礁)を巡る両国の交流の歴史にも混同がありそうだ。因みに、米国国務省がホーム・ページで公表している各国別地図では、日韓双方に、Liancourt Rocks(リアンコート岩礁)の名称で記載している。
 このような古くからの交流の歴史を考えると、竹島(独島)問題は、靖国神社参拝やいわゆる「(侵略の)歴史問題」とは関係がない。韓国側も、歴史的事実は事実として認識して欲しいものである。他方日本とは反対側の韓国からの見方もあろうから、双方の専門家で同島の歴史を客観的に研究し、相互の理解を深める努力も必要のようだ。
 それはそれとして、同島が両国の古来の接触の「最外延点」であるという歴史的背景を踏まえ、同島問題の解決を真剣に模索すべき時期に来たと言えよう。
 2、「日韓新時代」は竹島(独島)問題の早期解決が鍵 (その2で掲載)
 3、模索すべき大所高所からの解決策         (その3で掲載)
 4、歴史も状況も異なる竹島、尖閣列島、北方4島問題  (その4で掲載)
(2012.08.25.)(Copy Right Reserved.)(不許無断転載・引用)
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ブッダ誕生の聖地を読む (その1)

2012-08-30 | Weblog
ブッダ誕生の聖地を読む (その1)
 2011年6月、東日本随一の平安時代の仏教美術の宝庫として知られる岩手県平泉町の中尊寺がUNESCOの世界文化遺産として登録された。奈良や京都には多くの仏教建築、文化財が世界遺産となっており、神社などと並んで日本文化の一部となっている。国勢調査においても、信仰の程度は別として仏教の系統が9,600万人、総人口の約74%にものぼる。
 ところが仏教の基礎を築いたブッダ(通称お釈迦様)の誕生地やシャキア王国の王子として育った城都カピラバスツなど、その歴史的、社会的な背景については、一部の仏教関係者を除いて一般には余り知られていない。確かに、ブッダの誕生地は「北インド」と習った人が多く、未だに多くの教科書にはそのように記載されている。更に城都カピラバスツ(通称カピラ城)については、今日でもネパール説とインド説があり、国際的にも決着していない。2,500年以上前の伝承上、宗教上の人物であるので、今更どちらでもよいような話ではあるが、日本文化や慣習、思想に関係が深いので、宗教、信仰とは別に、知識としてブッダ誕生の歴史的、社会的な背景やルーツを知ることは日本の文化や思想をよりよく知る上で必要なのであろう。
 このような観点、疑問から2011年に著書「お釈迦様のルーツの謎」を出版したが、今回はそれを基礎として、ブッダ教が日本にどのように伝来し、受け入れられたか、そしてブッダ思想が生まれたその歴史的、社会的な背景と今日的な意味の一端をご紹介してみたい。
 1、飛鳥時代の朝廷に受け入れられた仏教
 ブッダ教が日本に伝来した由来については、「日本書紀」に飛鳥時代の西暦552年、百済の聖明王よりブッダの金銅像と経論他が欽明天皇に献上されたことが記されており、これが仏教公伝とされている。しかし元興寺建立の経緯などが記されている「元興寺伽藍縁起」の記述から西暦538年には既に仏教が伝えられたと見ることが出来る。経論などは中国で漢語訳されていたことから、仏教、仏陀など漢字表記となっており、中国との関係が色濃く出る結果となっている。
 確かに、百済王の使節が倭の国(日本)の天皇への献上品としてブッダ像や経典などを持参したとすれば、日本に珍重される物と判断してのことであろうから、ブッダ教が日本に、少なくても朝廷周辺においてある程度知られていたと見るべきであろう。上記の歴史書には、日本最古の本格的な寺院とされている元興寺の前身である法興寺が蘇我馬子により飛鳥に建立されたとされている。当時朝廷は、蘇我氏を中心とする西部グループと物部氏を中心とする伝統派グループが血を血で洗う勢力争いをしていたと言われているが、蘇我馬子が平安を祈り百済から伝えられたブッダ教を敬ったと伝えられている。
 その後蘇我氏グループが物部氏グループを倒し、朝廷に平穏が戻ったが、推古天皇が仏教を普及するようにとの勅令を出し、聖徳太も17条憲法(西暦604年)で僧侶を敬うようにとの趣旨を明らかにして以来、仏教は朝廷に受け入れられることになった。それは、アショカ王が紀元前2世紀半ばにインドのほぼ全域を統一しマウリア王朝の全盛期を築いたが、カリンガの戦いで大量の殺戮を行ったことへの償いか、死後地獄に送られあらゆる苦しみを課されることを恐れたのか、深くブッダ教に帰依した姿に重なるところがある。紀元前5世紀にインドの16大国の一つであるコーサラ国のビルダカ王がシャキア王国を殲滅したが、ビルダカ王は凱旋後、火事に遭い、苦しみの中で地獄に落ち、その地獄であらゆる苦しみを課されたと伝承されており、これがブッダ教の不殺生、非暴力の教え、戒めの背景の一つとなっている。統治の上では、国家の平安、安定への朝廷の願いが込められていたと言えようが、抗争を集結させ、統治を永続させるため仏教を精神的な拠り所にする狙いがあったものと見られる。
 そして武家勢力の伸張に伴い、仏教は武家、庶民へと普及し、江戸時代には檀家制度や寺子屋などを通じ統治機構の末端の役割を果たす仏教制度として制度化され、日本の思想、文化へ幅広い影響を与えている。その後明治政府となり、天皇制が復活し神道が重視されることとなり、全国で廃仏毀釈が行われ寺院数は減少した。しかし、もともと仏教は朝廷により受け入れられ、日本仏教として各層に広く普及、発展して来たものであるので、日本の思想、文化の中に浸透していると言える。仏教の系統が日本の総人口の約74%にものぼる。
 ところが仏教の創始者であるブッダ誕生の歴史的、社会的背景などについては、学校教育などにおいても、仏教系の学校は別として、ほとんど教えられていない。
 生誕地のルンビニについては1997年にUNESCOの世界遺産として認定され国際的に確立しているが、城都カピラバスツ、通称カピラ城の位置については明らかになっていない。それ自体は2,500余年前の場所でしかないが、その謎を解く過程においてブッダ誕生の歴史的、社会的な背景がより良く分ると共に、ブッダ思想や文化に関心のある方々にとっては、カピラ城周辺はブッダのルーツを巡る聖地ともなる。
 2、ブッダの生誕地ルンビニ  (その2に掲載)
 3、2つのカピラバスツ城の謎 (その3に掲載)
4、ブッダ誕生の聖地から読めること(その4 に掲載)
(2012.06.01)(Copy Rights Reserved.)(不許無断転載・使用)
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ブッダ誕生の聖地を読む (その1)

2012-08-30 | Weblog
ブッダ誕生の聖地を読む (その1)
 2011年6月、東日本随一の平安時代の仏教美術の宝庫として知られる岩手県平泉町の中尊寺がUNESCOの世界文化遺産として登録された。奈良や京都には多くの仏教建築、文化財が世界遺産となっており、神社などと並んで日本文化の一部となっている。国勢調査においても、信仰の程度は別として仏教の系統が9,600万人、総人口の約74%にものぼる。
 ところが仏教の基礎を築いたブッダ(通称お釈迦様)の誕生地やシャキア王国の王子として育った城都カピラバスツなど、その歴史的、社会的な背景については、一部の仏教関係者を除いて一般には余り知られていない。確かに、ブッダの誕生地は「北インド」と習った人が多く、未だに多くの教科書にはそのように記載されている。更に城都カピラバスツ(通称カピラ城)については、今日でもネパール説とインド説があり、国際的にも決着していない。2,500年以上前の伝承上、宗教上の人物であるので、今更どちらでもよいような話ではあるが、日本文化や慣習、思想に関係が深いので、宗教、信仰とは別に、知識としてブッダ誕生の歴史的、社会的な背景やルーツを知ることは日本の文化や思想をよりよく知る上で必要なのであろう。
 このような観点、疑問から2011年に著書「お釈迦様のルーツの謎」を出版したが、今回はそれを基礎として、ブッダ教が日本にどのように伝来し、受け入れられたか、そしてブッダ思想が生まれたその歴史的、社会的な背景と今日的な意味の一端をご紹介してみたい。
 1、飛鳥時代の朝廷に受け入れられた仏教
 ブッダ教が日本に伝来した由来については、「日本書紀」に飛鳥時代の西暦552年、百済の聖明王よりブッダの金銅像と経論他が欽明天皇に献上されたことが記されており、これが仏教公伝とされている。しかし元興寺建立の経緯などが記されている「元興寺伽藍縁起」の記述から西暦538年には既に仏教が伝えられたと見ることが出来る。経論などは中国で漢語訳されていたことから、仏教、仏陀など漢字表記となっており、中国との関係が色濃く出る結果となっている。
 確かに、百済王の使節が倭の国(日本)の天皇への献上品としてブッダ像や経典などを持参したとすれば、日本に珍重される物と判断してのことであろうから、ブッダ教が日本に、少なくても朝廷周辺においてある程度知られていたと見るべきであろう。上記の歴史書には、日本最古の本格的な寺院とされている元興寺の前身である法興寺が蘇我馬子により飛鳥に建立されたとされている。当時朝廷は、蘇我氏を中心とする西部グループと物部氏を中心とする伝統派グループが血を血で洗う勢力争いをしていたと言われているが、蘇我馬子が平安を祈り百済から伝えられたブッダ教を敬ったと伝えられている。
 その後蘇我氏グループが物部氏グループを倒し、朝廷に平穏が戻ったが、推古天皇が仏教を普及するようにとの勅令を出し、聖徳太も17条憲法(西暦604年)で僧侶を敬うようにとの趣旨を明らかにして以来、仏教は朝廷に受け入れられることになった。それは、アショカ王が紀元前2世紀半ばにインドのほぼ全域を統一しマウリア王朝の全盛期を築いたが、カリンガの戦いで大量の殺戮を行ったことへの償いか、死後地獄に送られあらゆる苦しみを課されることを恐れたのか、深くブッダ教に帰依した姿に重なるところがある。紀元前5世紀にインドの16大国の一つであるコーサラ国のビルダカ王がシャキア王国を殲滅したが、ビルダカ王は凱旋後、火事に遭い、苦しみの中で地獄に落ち、その地獄であらゆる苦しみを課されたと伝承されており、これがブッダ教の不殺生、非暴力の教え、戒めの背景の一つとなっている。統治の上では、国家の平安、安定への朝廷の願いが込められていたと言えようが、抗争を集結させ、統治を永続させるため仏教を精神的な拠り所にする狙いがあったものと見られる。
 そして武家勢力の伸張に伴い、仏教は武家、庶民へと普及し、江戸時代には檀家制度や寺子屋などを通じ統治機構の末端の役割を果たす仏教制度として制度化され、日本の思想、文化へ幅広い影響を与えている。その後明治政府となり、天皇制が復活し神道が重視されることとなり、全国で廃仏毀釈が行われ寺院数は減少した。しかし、もともと仏教は朝廷により受け入れられ、日本仏教として各層に広く普及、発展して来たものであるので、日本の思想、文化の中に浸透していると言える。仏教の系統が日本の総人口の約74%にものぼる。
 ところが仏教の創始者であるブッダ誕生の歴史的、社会的背景などについては、学校教育などにおいても、仏教系の学校は別として、ほとんど教えられていない。
 生誕地のルンビニについては1997年にUNESCOの世界遺産として認定され国際的に確立しているが、城都カピラバスツ、通称カピラ城の位置については明らかになっていない。それ自体は2,500余年前の場所でしかないが、その謎を解く過程においてブッダ誕生の歴史的、社会的な背景がより良く分ると共に、ブッダ思想や文化に関心のある方々にとっては、カピラ城周辺はブッダのルーツを巡る聖地ともなる。
 2、ブッダの生誕地ルンビニ  (その2に掲載)
 3、2つのカピラバスツ城の謎 (その3に掲載)
4、ブッダ誕生の聖地から読めること(その4 に掲載)
(2012.06.01)(Copy Rights Reserved.)(不許無断転載・使用)
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 竹島問題を大所高所から解決すべき時 (その2)

2012-08-29 | Weblog
 竹島問題を大所高所から解決すべき時 (その2)
 韓国の李明博大統領は、8月10日、ヘリコプターで竹島(韓国名独島)に上陸し視察し、その後も日本側の批判、抗議等に耳を貸さず、石碑を建てるなど、心無い行動を継続した。竹島は島根県に属するが、李承晩・大韓民国(韓国)大統領が、1952年1月18日、「海洋主権」を宣言し、周辺海域に「漁船立ち入り禁止線」、通称「李承晩ライン」を設定し、同島は韓国の支配下にあると一方的に宣言して以来、日韓間の喉もとの小骨となっている。
 今回の李明博韓国大統領の竹島上陸は日韓関係にとって極めて深刻な行為であり、日本としても重大な決意を持って竹島問題の解決に努めるべきであろう。
 1、日韓の古くからの接点、竹島(独島)の歴史 (その1で掲載)
 2、「日韓新時代」は竹島(独島)問題の早期解決が鍵
 竹島の帰属問題は、日本政府としては1954年、1962年に国際司法裁判所に付託することを韓国側に提案し来ているが、韓国政府が同意していないため実現していない。
 竹島は韓国により事実上占拠されており、韓国側はこれを「実効支配」と称している。しかし本来「実効支配」とは、「政府承認の重要な要件」の一つとして、特定国の政府が国内全域において実効的に支配が確立出来ているか否かを判断する概念であり、日本が領有を主張し、両国間の国際問題となっているので、同島を「実力行使」で占拠しても、日本が領有権を明確に表明している限り、実力行使による「占拠」でしかない。
日本政府は今回も国際司法裁判所へ提訴するなど、国際法にしたがって平和的解決を図るとしているが、これまで通り韓国が国際司法裁判所への付託に同意しない限り係争案件として受理されない。これまでのようにこの問題で建前論や事なかれを繰り返し、或いは韓国側を刺激することを恐れてこの問題を避けて通ることはもはや許されない。
 今回についても韓国政府は、国際司法裁判所への共同提案はもとより、付託自体を拒否する姿勢を明らかにしている。その上、野田首相が今回の一連の行動を遺憾とし、国際司法裁判所への共同提案を促す内容の李明博大統領宛親書を在京韓国大使館に託したが、韓国側はこれを差し戻そうとした上、書留郵便で外務省に返送するとの呆れた行動に出ている。これを受けて日本政府は、当初経済的影響を考慮し対応を慎重に検討するとしていた。しかし韓国大統領の竹島上陸は、日韓両国政府の信頼関係を著しく損なう行動であるので、この行動が日韓関係に影響を与えないはずがない。竹島は日本の領土であるのでしっかりと主張し、短期的に両国関係に影響することがあるとしても、毅然としてあらゆる措置、対策を取るべきであろう。言葉だけの外交や、問題先送り外交により事態の改善をもたらすことはないことが、李大統領の今回の同島訪問で明らかになった。影響を恐れて従来のような事なかれ外交を繰り返すことは、韓国側に日本は従来通り何も出来ない、何もしないとの誤ったメッセージを送り、現状を事実上容認することになる恐れが強い。従来の措置を超える明確且つ具体的な措置を検討、実施すべきであろう。
 領土の保全は、国家、国民の存立の基礎であり、安全保障、防衛の基本的な役割である。従って、韓国政府が竹島を巡る領有権問題で日本の利益を害する行動を継続するのであれば、日韓間の防衛協力については実務的な情報交換や信頼醸成措置程度に止める一方、朝鮮半島有事に際する協力は凍結し、日本自身の領土保全、安全保障に重点をシフトするなど、防衛政策の転換を検討すべきであろう。
 他方、日韓両国は近年において経済の相互依存関係を強め、また民間レベルの文化・芸能交流などが深まっているので、このような民間レベルの日韓交流に影響を与えないよう留意しつつ、国際司法裁判所への付託を含め、首脳レベルでの協議を打診し、常に本件協議への門戸を開放しておく一方、一般的な首脳レベルでの交流を停止する。また日韓経済連携協議の凍結や金融・資本、高度技術分野などでの政府レベルの交流、協力を抑制するなど、竹島問題の解決に向けて明確なメッセージを送り続けるべきであろう。但し、2国間関係は相互の努力で発展するものであるので、日本だけではなく、韓国の官民もこの問題が民間レベルの交流に影響を与えないよう努力することを期待したい。この関連で、日韓間の議員交流を超党派での交流を含めもっと頻繁に行うことが望ましい。
この問題の解決なくして「日韓新時代」の幕開けなどは、実体が伴わない標語に過ぎない。
 なお李明博大統領は、今回の竹島を巡る行動は慰安婦問題に対する日本側のはっきりしない姿勢が背景にあるなどとしている。しかし戦時中の賠償問題については、1965年6月22日に日韓基本条約を締結し、国交を正常化すると共に、請求権問題も経済協力等の形で政府間で処理し、個々人の請求権については相互に放棄し、それぞれの政府が対応すべきものと合意されている。従って明示はしていないものの、慰安婦問題も韓国国内で請求等がある場合には韓国政府が対処すべきことであろう。更に慰安婦問題が韓国の他、フィリピン、台湾など一部アジア地域で問題となったことを受けて、村山連立政権当時、政府間の賠償請求については合意済みとの立場を取りつつも、1995年7月、民間資金も募り、「女性のためのアジア平和国民基金」を設立し、アジア地域で被害を受けたと思われる女性に対し償い金を支払い、日本国民としての償いの気持ちを表わしている。同基金は2007年に解散されているが、戦時という異常な状態でのこととは言え、もしそのような被害を受けられた女性がなおおられたとすれば心からお詫びをしたい。
 また同大統領は、天皇が訪韓されたいということであれば独立運動で亡くなった方に謝罪すべきと発言した旨報道され、日本政府が遺憾の意を表明するなど問題となっている。確かに同大統領は、就任後2008年4月に訪日し、天皇陛下と謁見の上歓談されているのに何故あのような発言をされたのか理解に苦しむ。しかし同発言は、韓国教員大学校で開催された教員関連の会合でのものであり、公開の場や公式の場での発言ではないので、日本政府が公式にコメントする必要はないと思われる。これらの発言の応酬は無用であり、お互いに自制することが望まれる。
 3、模索すべき大所高所からの解決策         (その3で掲載)
 4、歴史も状況も異なる竹島、尖閣列島、北方4島問題  (その4で掲載)
(2012.08.25.)(Copy Right Reserved.)(不許無断転載・引用)
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 竹島問題を大所高所から解決すべき時 (その2)

2012-08-29 | Weblog
 竹島問題を大所高所から解決すべき時 (その2)
 韓国の李明博大統領は、8月10日、ヘリコプターで竹島(韓国名独島)に上陸し視察し、その後も日本側の批判、抗議等に耳を貸さず、石碑を建てるなど、心無い行動を継続した。竹島は島根県に属するが、李承晩・大韓民国(韓国)大統領が、1952年1月18日、「海洋主権」を宣言し、周辺海域に「漁船立ち入り禁止線」、通称「李承晩ライン」を設定し、同島は韓国の支配下にあると一方的に宣言して以来、日韓間の喉もとの小骨となっている。
 今回の李明博韓国大統領の竹島上陸は日韓関係にとって極めて深刻な行為であり、日本としても重大な決意を持って竹島問題の解決に努めるべきであろう。
 1、日韓の古くからの接点、竹島(独島)の歴史 (その1で掲載)
 2、「日韓新時代」は竹島(独島)問題の早期解決が鍵
 竹島の帰属問題は、日本政府としては1954年、1962年に国際司法裁判所に付託することを韓国側に提案し来ているが、韓国政府が同意していないため実現していない。
 竹島は韓国により事実上占拠されており、韓国側はこれを「実効支配」と称している。しかし本来「実効支配」とは、「政府承認の重要な要件」の一つとして、特定国の政府が国内全域において実効的に支配が確立出来ているか否かを判断する概念であり、日本が領有を主張し、両国間の国際問題となっているので、同島を「実力行使」で占拠しても、日本が領有権を明確に表明している限り、実力行使による「占拠」でしかない。
日本政府は今回も国際司法裁判所へ提訴するなど、国際法にしたがって平和的解決を図るとしているが、これまで通り韓国が国際司法裁判所への付託に同意しない限り係争案件として受理されない。これまでのようにこの問題で建前論や事なかれを繰り返し、或いは韓国側を刺激することを恐れてこの問題を避けて通ることはもはや許されない。
 今回についても韓国政府は、国際司法裁判所への共同提案はもとより、付託自体を拒否する姿勢を明らかにしている。その上、野田首相が今回の一連の行動を遺憾とし、国際司法裁判所への共同提案を促す内容の李明博大統領宛親書を在京韓国大使館に託したが、韓国側はこれを差し戻そうとした上、書留郵便で外務省に返送するとの呆れた行動に出ている。これを受けて日本政府は、当初経済的影響を考慮し対応を慎重に検討するとしていた。しかし韓国大統領の竹島上陸は、日韓両国政府の信頼関係を著しく損なう行動であるので、この行動が日韓関係に影響を与えないはずがない。竹島は日本の領土であるのでしっかりと主張し、短期的に両国関係に影響することがあるとしても、毅然としてあらゆる措置、対策を取るべきであろう。言葉だけの外交や、問題先送り外交により事態の改善をもたらすことはないことが、李大統領の今回の同島訪問で明らかになった。影響を恐れて従来のような事なかれ外交を繰り返すことは、韓国側に日本は従来通り何も出来ない、何もしないとの誤ったメッセージを送り、現状を事実上容認することになる恐れが強い。従来の措置を超える明確且つ具体的な措置を検討、実施すべきであろう。
 領土の保全は、国家、国民の存立の基礎であり、安全保障、防衛の基本的な役割である。従って、韓国政府が竹島を巡る領有権問題で日本の利益を害する行動を継続するのであれば、日韓間の防衛協力については実務的な情報交換や信頼醸成措置程度に止める一方、朝鮮半島有事に際する協力は凍結し、日本自身の領土保全、安全保障に重点をシフトするなど、防衛政策の転換を検討すべきであろう。
 他方、日韓両国は近年において経済の相互依存関係を強め、また民間レベルの文化・芸能交流などが深まっているので、このような民間レベルの日韓交流に影響を与えないよう留意しつつ、国際司法裁判所への付託を含め、首脳レベルでの協議を打診し、常に本件協議への門戸を開放しておく一方、一般的な首脳レベルでの交流を停止する。また日韓経済連携協議の凍結や金融・資本、高度技術分野などでの政府レベルの交流、協力を抑制するなど、竹島問題の解決に向けて明確なメッセージを送り続けるべきであろう。但し、2国間関係は相互の努力で発展するものであるので、日本だけではなく、韓国の官民もこの問題が民間レベルの交流に影響を与えないよう努力することを期待したい。この関連で、日韓間の議員交流を超党派での交流を含めもっと頻繁に行うことが望ましい。
この問題の解決なくして「日韓新時代」の幕開けなどは、実体が伴わない標語に過ぎない。
 なお李明博大統領は、今回の竹島を巡る行動は慰安婦問題に対する日本側のはっきりしない姿勢が背景にあるなどとしている。しかし戦時中の賠償問題については、1965年6月22日に日韓基本条約を締結し、国交を正常化すると共に、請求権問題も経済協力等の形で政府間で処理し、個々人の請求権については相互に放棄し、それぞれの政府が対応すべきものと合意されている。従って明示はしていないものの、慰安婦問題も韓国国内で請求等がある場合には韓国政府が対処すべきことであろう。更に慰安婦問題が韓国の他、フィリピン、台湾など一部アジア地域で問題となったことを受けて、村山連立政権当時、政府間の賠償請求については合意済みとの立場を取りつつも、1995年7月、民間資金も募り、「女性のためのアジア平和国民基金」を設立し、アジア地域で被害を受けたと思われる女性に対し償い金を支払い、日本国民としての償いの気持ちを表わしている。同基金は2007年に解散されているが、戦時という異常な状態でのこととは言え、もしそのような被害を受けられた女性がなおおられたとすれば心からお詫びをしたい。
 また同大統領は、天皇が訪韓されたいということであれば独立運動で亡くなった方に謝罪すべきと発言した旨報道され、日本政府が遺憾の意を表明するなど問題となっている。確かに同大統領は、就任後2008年4月に訪日し、天皇陛下と謁見の上歓談されているのに何故あのような発言をされたのか理解に苦しむ。しかし同発言は、韓国教員大学校で開催された教員関連の会合でのものであり、公開の場や公式の場での発言ではないので、日本政府が公式にコメントする必要はないと思われる。これらの発言の応酬は無用であり、お互いに自制することが望まれる。
 3、模索すべき大所高所からの解決策         (その3で掲載)
 4、歴史も状況も異なる竹島、尖閣列島、北方4島問題  (その4で掲載)
(2012.08.25.)(Copy Right Reserved.)(不許無断転載・引用)
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 竹島問題を大所高所から解決すべき時 (その2)

2012-08-29 | Weblog
 竹島問題を大所高所から解決すべき時 (その2)
 韓国の李明博大統領は、8月10日、ヘリコプターで竹島(韓国名独島)に上陸し視察し、その後も日本側の批判、抗議等に耳を貸さず、石碑を建てるなど、心無い行動を継続した。竹島は島根県に属するが、李承晩・大韓民国(韓国)大統領が、1952年1月18日、「海洋主権」を宣言し、周辺海域に「漁船立ち入り禁止線」、通称「李承晩ライン」を設定し、同島は韓国の支配下にあると一方的に宣言して以来、日韓間の喉もとの小骨となっている。
 今回の李明博韓国大統領の竹島上陸は日韓関係にとって極めて深刻な行為であり、日本としても重大な決意を持って竹島問題の解決に努めるべきであろう。
 1、日韓の古くからの接点、竹島(独島)の歴史 (その1で掲載)
 2、「日韓新時代」は竹島(独島)問題の早期解決が鍵
 竹島の帰属問題は、日本政府としては1954年、1962年に国際司法裁判所に付託することを韓国側に提案し来ているが、韓国政府が同意していないため実現していない。
 竹島は韓国により事実上占拠されており、韓国側はこれを「実効支配」と称している。しかし本来「実効支配」とは、「政府承認の重要な要件」の一つとして、特定国の政府が国内全域において実効的に支配が確立出来ているか否かを判断する概念であり、日本が領有を主張し、両国間の国際問題となっているので、同島を「実力行使」で占拠しても、日本が領有権を明確に表明している限り、実力行使による「占拠」でしかない。
日本政府は今回も国際司法裁判所へ提訴するなど、国際法にしたがって平和的解決を図るとしているが、これまで通り韓国が国際司法裁判所への付託に同意しない限り係争案件として受理されない。これまでのようにこの問題で建前論や事なかれを繰り返し、或いは韓国側を刺激することを恐れてこの問題を避けて通ることはもはや許されない。
 今回についても韓国政府は、国際司法裁判所への共同提案はもとより、付託自体を拒否する姿勢を明らかにしている。その上、野田首相が今回の一連の行動を遺憾とし、国際司法裁判所への共同提案を促す内容の李明博大統領宛親書を在京韓国大使館に託したが、韓国側はこれを差し戻そうとした上、書留郵便で外務省に返送するとの呆れた行動に出ている。これを受けて日本政府は、当初経済的影響を考慮し対応を慎重に検討するとしていた。しかし韓国大統領の竹島上陸は、日韓両国政府の信頼関係を著しく損なう行動であるので、この行動が日韓関係に影響を与えないはずがない。竹島は日本の領土であるのでしっかりと主張し、短期的に両国関係に影響することがあるとしても、毅然としてあらゆる措置、対策を取るべきであろう。言葉だけの外交や、問題先送り外交により事態の改善をもたらすことはないことが、李大統領の今回の同島訪問で明らかになった。影響を恐れて従来のような事なかれ外交を繰り返すことは、韓国側に日本は従来通り何も出来ない、何もしないとの誤ったメッセージを送り、現状を事実上容認することになる恐れが強い。従来の措置を超える明確且つ具体的な措置を検討、実施すべきであろう。
 領土の保全は、国家、国民の存立の基礎であり、安全保障、防衛の基本的な役割である。従って、韓国政府が竹島を巡る領有権問題で日本の利益を害する行動を継続するのであれば、日韓間の防衛協力については実務的な情報交換や信頼醸成措置程度に止める一方、朝鮮半島有事に際する協力は凍結し、日本自身の領土保全、安全保障に重点をシフトするなど、防衛政策の転換を検討すべきであろう。
 他方、日韓両国は近年において経済の相互依存関係を強め、また民間レベルの文化・芸能交流などが深まっているので、このような民間レベルの日韓交流に影響を与えないよう留意しつつ、国際司法裁判所への付託を含め、首脳レベルでの協議を打診し、常に本件協議への門戸を開放しておく一方、一般的な首脳レベルでの交流を停止する。また日韓経済連携協議の凍結や金融・資本、高度技術分野などでの政府レベルの交流、協力を抑制するなど、竹島問題の解決に向けて明確なメッセージを送り続けるべきであろう。但し、2国間関係は相互の努力で発展するものであるので、日本だけではなく、韓国の官民もこの問題が民間レベルの交流に影響を与えないよう努力することを期待したい。この関連で、日韓間の議員交流を超党派での交流を含めもっと頻繁に行うことが望ましい。
この問題の解決なくして「日韓新時代」の幕開けなどは、実体が伴わない標語に過ぎない。
 なお李明博大統領は、今回の竹島を巡る行動は慰安婦問題に対する日本側のはっきりしない姿勢が背景にあるなどとしている。しかし戦時中の賠償問題については、1965年6月22日に日韓基本条約を締結し、国交を正常化すると共に、請求権問題も経済協力等の形で政府間で処理し、個々人の請求権については相互に放棄し、それぞれの政府が対応すべきものと合意されている。従って明示はしていないものの、慰安婦問題も韓国国内で請求等がある場合には韓国政府が対処すべきことであろう。更に慰安婦問題が韓国の他、フィリピン、台湾など一部アジア地域で問題となったことを受けて、村山連立政権当時、政府間の賠償請求については合意済みとの立場を取りつつも、1995年7月、民間資金も募り、「女性のためのアジア平和国民基金」を設立し、アジア地域で被害を受けたと思われる女性に対し償い金を支払い、日本国民としての償いの気持ちを表わしている。同基金は2007年に解散されているが、戦時という異常な状態でのこととは言え、もしそのような被害を受けられた女性がなおおられたとすれば心からお詫びをしたい。
 また同大統領は、天皇が訪韓されたいということであれば独立運動で亡くなった方に謝罪すべきと発言した旨報道され、日本政府が遺憾の意を表明するなど問題となっている。確かに同大統領は、就任後2008年4月に訪日し、天皇陛下と謁見の上歓談されているのに何故あのような発言をされたのか理解に苦しむ。しかし同発言は、韓国教員大学校で開催された教員関連の会合でのものであり、公開の場や公式の場での発言ではないので、日本政府が公式にコメントする必要はないと思われる。これらの発言の応酬は無用であり、お互いに自制することが望まれる。
 3、模索すべき大所高所からの解決策         (その3で掲載)
 4、歴史も状況も異なる竹島、尖閣列島、北方4島問題  (その4で掲載)
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 竹島問題を大所高所から解決すべき時 (その2)

2012-08-29 | Weblog
 竹島問題を大所高所から解決すべき時 (その2)
 韓国の李明博大統領は、8月10日、ヘリコプターで竹島(韓国名独島)に上陸し視察し、その後も日本側の批判、抗議等に耳を貸さず、石碑を建てるなど、心無い行動を継続した。竹島は島根県に属するが、李承晩・大韓民国(韓国)大統領が、1952年1月18日、「海洋主権」を宣言し、周辺海域に「漁船立ち入り禁止線」、通称「李承晩ライン」を設定し、同島は韓国の支配下にあると一方的に宣言して以来、日韓間の喉もとの小骨となっている。
 今回の李明博韓国大統領の竹島上陸は日韓関係にとって極めて深刻な行為であり、日本としても重大な決意を持って竹島問題の解決に努めるべきであろう。
 1、日韓の古くからの接点、竹島(独島)の歴史 (その1で掲載)
 2、「日韓新時代」は竹島(独島)問題の早期解決が鍵
 竹島の帰属問題は、日本政府としては1954年、1962年に国際司法裁判所に付託することを韓国側に提案し来ているが、韓国政府が同意していないため実現していない。
 竹島は韓国により事実上占拠されており、韓国側はこれを「実効支配」と称している。しかし本来「実効支配」とは、「政府承認の重要な要件」の一つとして、特定国の政府が国内全域において実効的に支配が確立出来ているか否かを判断する概念であり、日本が領有を主張し、両国間の国際問題となっているので、同島を「実力行使」で占拠しても、日本が領有権を明確に表明している限り、実力行使による「占拠」でしかない。
日本政府は今回も国際司法裁判所へ提訴するなど、国際法にしたがって平和的解決を図るとしているが、これまで通り韓国が国際司法裁判所への付託に同意しない限り係争案件として受理されない。これまでのようにこの問題で建前論や事なかれを繰り返し、或いは韓国側を刺激することを恐れてこの問題を避けて通ることはもはや許されない。
 今回についても韓国政府は、国際司法裁判所への共同提案はもとより、付託自体を拒否する姿勢を明らかにしている。その上、野田首相が今回の一連の行動を遺憾とし、国際司法裁判所への共同提案を促す内容の李明博大統領宛親書を在京韓国大使館に託したが、韓国側はこれを差し戻そうとした上、書留郵便で外務省に返送するとの呆れた行動に出ている。これを受けて日本政府は、当初経済的影響を考慮し対応を慎重に検討するとしていた。しかし韓国大統領の竹島上陸は、日韓両国政府の信頼関係を著しく損なう行動であるので、この行動が日韓関係に影響を与えないはずがない。竹島は日本の領土であるのでしっかりと主張し、短期的に両国関係に影響することがあるとしても、毅然としてあらゆる措置、対策を取るべきであろう。言葉だけの外交や、問題先送り外交により事態の改善をもたらすことはないことが、李大統領の今回の同島訪問で明らかになった。影響を恐れて従来のような事なかれ外交を繰り返すことは、韓国側に日本は従来通り何も出来ない、何もしないとの誤ったメッセージを送り、現状を事実上容認することになる恐れが強い。従来の措置を超える明確且つ具体的な措置を検討、実施すべきであろう。
 領土の保全は、国家、国民の存立の基礎であり、安全保障、防衛の基本的な役割である。従って、韓国政府が竹島を巡る領有権問題で日本の利益を害する行動を継続するのであれば、日韓間の防衛協力については実務的な情報交換や信頼醸成措置程度に止める一方、朝鮮半島有事に際する協力は凍結し、日本自身の領土保全、安全保障に重点をシフトするなど、防衛政策の転換を検討すべきであろう。
 他方、日韓両国は近年において経済の相互依存関係を強め、また民間レベルの文化・芸能交流などが深まっているので、このような民間レベルの日韓交流に影響を与えないよう留意しつつ、国際司法裁判所への付託を含め、首脳レベルでの協議を打診し、常に本件協議への門戸を開放しておく一方、一般的な首脳レベルでの交流を停止する。また日韓経済連携協議の凍結や金融・資本、高度技術分野などでの政府レベルの交流、協力を抑制するなど、竹島問題の解決に向けて明確なメッセージを送り続けるべきであろう。但し、2国間関係は相互の努力で発展するものであるので、日本だけではなく、韓国の官民もこの問題が民間レベルの交流に影響を与えないよう努力することを期待したい。この関連で、日韓間の議員交流を超党派での交流を含めもっと頻繁に行うことが望ましい。
この問題の解決なくして「日韓新時代」の幕開けなどは、実体が伴わない標語に過ぎない。
 なお李明博大統領は、今回の竹島を巡る行動は慰安婦問題に対する日本側のはっきりしない姿勢が背景にあるなどとしている。しかし戦時中の賠償問題については、1965年6月22日に日韓基本条約を締結し、国交を正常化すると共に、請求権問題も経済協力等の形で政府間で処理し、個々人の請求権については相互に放棄し、それぞれの政府が対応すべきものと合意されている。従って明示はしていないものの、慰安婦問題も韓国国内で請求等がある場合には韓国政府が対処すべきことであろう。更に慰安婦問題が韓国の他、フィリピン、台湾など一部アジア地域で問題となったことを受けて、村山連立政権当時、政府間の賠償請求については合意済みとの立場を取りつつも、1995年7月、民間資金も募り、「女性のためのアジア平和国民基金」を設立し、アジア地域で被害を受けたと思われる女性に対し償い金を支払い、日本国民としての償いの気持ちを表わしている。同基金は2007年に解散されているが、戦時という異常な状態でのこととは言え、もしそのような被害を受けられた女性がなおおられたとすれば心からお詫びをしたい。
 また同大統領は、天皇が訪韓されたいということであれば独立運動で亡くなった方に謝罪すべきと発言した旨報道され、日本政府が遺憾の意を表明するなど問題となっている。確かに同大統領は、就任後2008年4月に訪日し、天皇陛下と謁見の上歓談されているのに何故あのような発言をされたのか理解に苦しむ。しかし同発言は、韓国教員大学校で開催された教員関連の会合でのものであり、公開の場や公式の場での発言ではないので、日本政府が公式にコメントする必要はないと思われる。これらの発言の応酬は無用であり、お互いに自制することが望まれる。
 3、模索すべき大所高所からの解決策         (その3で掲載)
 4、歴史も状況も異なる竹島、尖閣列島、北方4島問題  (その4で掲載)
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 韓国の李明博大統領は、8月10日、ヘリコプターで竹島(韓国名独島)に上陸し視察し、その後も日本側の批判、抗議等に耳を貸さず、石碑を建てるなど、心無い行動を継続した。竹島は島根県に属するが、李承晩・大韓民国(韓国)大統領が、1952年1月18日、「海洋主権」を宣言し、周辺海域に「漁船立ち入り禁止線」、通称「李承晩ライン」を設定し、同島は韓国の支配下にあると一方的に宣言して以来、日韓間の喉もとの小骨となっている。
 今回の李明博韓国大統領の竹島上陸は日韓関係にとって極めて深刻な行為であり、日本としても重大な決意を持って竹島問題の解決に努めるべきであろう。
 1、日韓の古くからの接点、竹島(独島)の歴史 (その1で掲載)
 2、「日韓新時代」は竹島(独島)問題の早期解決が鍵
 竹島の帰属問題は、日本政府としては1954年、1962年に国際司法裁判所に付託することを韓国側に提案し来ているが、韓国政府が同意していないため実現していない。
 竹島は韓国により事実上占拠されており、韓国側はこれを「実効支配」と称している。しかし本来「実効支配」とは、「政府承認の重要な要件」の一つとして、特定国の政府が国内全域において実効的に支配が確立出来ているか否かを判断する概念であり、日本が領有を主張し、両国間の国際問題となっているので、同島を「実力行使」で占拠しても、日本が領有権を明確に表明している限り、実力行使による「占拠」でしかない。
日本政府は今回も国際司法裁判所へ提訴するなど、国際法にしたがって平和的解決を図るとしているが、これまで通り韓国が国際司法裁判所への付託に同意しない限り係争案件として受理されない。これまでのようにこの問題で建前論や事なかれを繰り返し、或いは韓国側を刺激することを恐れてこの問題を避けて通ることはもはや許されない。
 今回についても韓国政府は、国際司法裁判所への共同提案はもとより、付託自体を拒否する姿勢を明らかにしている。その上、野田首相が今回の一連の行動を遺憾とし、国際司法裁判所への共同提案を促す内容の李明博大統領宛親書を在京韓国大使館に託したが、韓国側はこれを差し戻そうとした上、書留郵便で外務省に返送するとの呆れた行動に出ている。これを受けて日本政府は、当初経済的影響を考慮し対応を慎重に検討するとしていた。しかし韓国大統領の竹島上陸は、日韓両国政府の信頼関係を著しく損なう行動であるので、この行動が日韓関係に影響を与えないはずがない。竹島は日本の領土であるのでしっかりと主張し、短期的に両国関係に影響することがあるとしても、毅然としてあらゆる措置、対策を取るべきであろう。言葉だけの外交や、問題先送り外交により事態の改善をもたらすことはないことが、李大統領の今回の同島訪問で明らかになった。影響を恐れて従来のような事なかれ外交を繰り返すことは、韓国側に日本は従来通り何も出来ない、何もしないとの誤ったメッセージを送り、現状を事実上容認することになる恐れが強い。従来の措置を超える明確且つ具体的な措置を検討、実施すべきであろう。
 領土の保全は、国家、国民の存立の基礎であり、安全保障、防衛の基本的な役割である。従って、韓国政府が竹島を巡る領有権問題で日本の利益を害する行動を継続するのであれば、日韓間の防衛協力については実務的な情報交換や信頼醸成措置程度に止める一方、朝鮮半島有事に際する協力は凍結し、日本自身の領土保全、安全保障に重点をシフトするなど、防衛政策の転換を検討すべきであろう。
 他方、日韓両国は近年において経済の相互依存関係を強め、また民間レベルの文化・芸能交流などが深まっているので、このような民間レベルの日韓交流に影響を与えないよう留意しつつ、国際司法裁判所への付託を含め、首脳レベルでの協議を打診し、常に本件協議への門戸を開放しておく一方、一般的な首脳レベルでの交流を停止する。また日韓経済連携協議の凍結や金融・資本、高度技術分野などでの政府レベルの交流、協力を抑制するなど、竹島問題の解決に向けて明確なメッセージを送り続けるべきであろう。但し、2国間関係は相互の努力で発展するものであるので、日本だけではなく、韓国の官民もこの問題が民間レベルの交流に影響を与えないよう努力することを期待したい。この関連で、日韓間の議員交流を超党派での交流を含めもっと頻繁に行うことが望ましい。
この問題の解決なくして「日韓新時代」の幕開けなどは、実体が伴わない標語に過ぎない。
 なお李明博大統領は、今回の竹島を巡る行動は慰安婦問題に対する日本側のはっきりしない姿勢が背景にあるなどとしている。しかし戦時中の賠償問題については、1965年6月22日に日韓基本条約を締結し、国交を正常化すると共に、請求権問題も経済協力等の形で政府間で処理し、個々人の請求権については相互に放棄し、それぞれの政府が対応すべきものと合意されている。従って明示はしていないものの、慰安婦問題も韓国国内で請求等がある場合には韓国政府が対処すべきことであろう。更に慰安婦問題が韓国の他、フィリピン、台湾など一部アジア地域で問題となったことを受けて、村山連立政権当時、政府間の賠償請求については合意済みとの立場を取りつつも、1995年7月、民間資金も募り、「女性のためのアジア平和国民基金」を設立し、アジア地域で被害を受けたと思われる女性に対し償い金を支払い、日本国民としての償いの気持ちを表わしている。同基金は2007年に解散されているが、戦時という異常な状態でのこととは言え、もしそのような被害を受けられた女性がなおおられたとすれば心からお詫びをしたい。
 また同大統領は、天皇が訪韓されたいということであれば独立運動で亡くなった方に謝罪すべきと発言した旨報道され、日本政府が遺憾の意を表明するなど問題となっている。確かに同大統領は、就任後2008年4月に訪日し、天皇陛下と謁見の上歓談されているのに何故あのような発言をされたのか理解に苦しむ。しかし同発言は、韓国教員大学校で開催された教員関連の会合でのものであり、公開の場や公式の場での発言ではないので、日本政府が公式にコメントする必要はないと思われる。これらの発言の応酬は無用であり、お互いに自制することが望まれる。
 3、模索すべき大所高所からの解決策         (その3で掲載)
 4、歴史も状況も異なる竹島、尖閣列島、北方4島問題  (その4で掲載)
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