内外政策評論 TheOpinion on Global & Domestic Issues

このブログは、広い視野から内外諸問題を分析し、提言を試みます。
Policy Essayist

過剰反応 ケースⅡ ― 赤白の格子模様デザイン建築 -

2007-08-15 | Weblog
過剰反応 ケースⅡ
― 赤白の格子模様デザイン建築 -
 漫画家楳図(うめず)かずお氏が東京都内の住宅地で建設中の自宅の外装が赤白の格子模様となることが、周辺の景観を害するとして、近隣住民2人より「建築差し止め仮処分」の申し立てがなされている。
また、横綱朝青龍が、「腰の疲労骨折」などのため、夕張市での夏「巡業」を欠席し、母国モンゴルで親睦サッカーをしていたことが、7月25日の民放テレビ・ニュースで紹介され、仮病疑惑に発展したことから、相撲協会が「2場所出場禁止、減給、自宅謹慎」などの厳しい処分を行った。これに朝青龍関が反発し、横綱の去就を巡り大問題になっている。
 <赤白格子模様は「色の暴力」?>
確かに、住宅地に「赤白格子模様」の外装は目立ち、その上屋根に「マッチョマン」などのキャラクターを模した「塔」を設置するとなれば、「異様」ではある。周辺住民の気持ちも分からないではない。
 しかし、それが漫画家としての独創的な「デザイン」であり、異臭や騒音など、日常生活で防ぎようの無い実害がないのであれば、「異様」だけで、排斥するのはどうなのだろうか。赤と白の組み合わせは、「色の暴力」などとは言えない。日の丸の色でもある。
 昨年、皇居近くの千鳥が淵近くに建設されたイタリア政府の「イタリア文化会館」の外装が赤色の外装であったことから、近隣住民等が「異様」で馴染まないとして抗議したケースがある。イタリア人建築家ガエ・アウレンテイ氏の設計で、白の外装の中心部が赤(エンジ色)になっている。皇居を背景としてユニークではあるが、異様でも「不遜」でもない。この建物を訪れたある京都の会社経営者が同様の印象を述べていた。中心部の赤はエンジ色に近いが、見方によれば「日の丸」を模しているとも考えられる。もっとも、「丸」の部分も四角となっているので、「角」が立つのだろうか。いずれにしても、外国人建築家の一つのデザインではある。それを評価するか否かは、個々人の感性によるものであるが、「異なるもの」、ユニークなものへの過剰な反応は戒められるべきであり、異なるものを受け容れる寛容さも必要なのであろう。そうでなければ独創性や多様な発想も育たない。
 他方、商業地域においても、建物の形状や高さ、方向、道路との間隔、デザイン、色などがばらばらで整然としておらず、ガチャガチャしているような印象を与える場合もあり、建設する側も、各種の建築基準に準拠することはもとよりであるが、周辺とのバランスや景観などに十分配慮することが望まれる。 
今回のケースは、東京地裁で裁定が出されるのでその裁定に委ねたいが、建設する側も、生活の場である以上周辺住民との調和、平穏な関係を築くことも重要であるので、周辺住民と共生出来るよう、「個性」や「独創性」を発揮する場所と程度などを配慮すべきなのであろう。
 もっとも、一定の地域については「景観」を維持するための基準、条例などが必要であろう。しかし、通常の「住宅地」において、家屋の色まで規制するとなるとなかなか難しい。最近、一部の地方において、自動車の安全ベルトなど、細かい規則を守らない人達も出て来ている。「放っておいてくれ」、「自由だア~」族である。安全ベルトなどは相手にも迷惑を掛けることになり、放っておけないところであるが、過剰な反応により、不必要な規制、規則を作ることも、また過剰な反応となる。
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過剰反応 ケースⅠ ― 横綱朝青龍問題 -

2007-08-12 | Weblog
過剰反応 ケースⅠ
― 横綱朝青龍問題 -
 漫画家楳図(うめず)かずお氏が東京都内の住宅地で建設中の自宅の外装が赤白の格子模様となることが、周辺の景観を害するとして、近隣住民2人より「建築差し止め仮処分」の申し立てがなされている。
また、横綱朝青龍が、「腰の疲労骨折」などのため、夕張市での夏「巡業」を欠席し、母国モンゴルで親睦サッカーをしていたことが、7月25日の民放テレビ・ニュースで紹介され、仮病疑惑に発展したことから、相撲協会が「2場所出場禁止、減給、自宅謹慎」などの厳しい処分を行った。これに朝青龍関が反発し、横綱の去就を巡り大問題になっている。
<日本の伝統尊重か外国人バッシングか?>
 横綱朝青龍問題は、同人自身の属人的な問題ではあるが、日本と外国の文化の差、認識の差が背後のあるように見える。
 日本の伝統的な国技である大相撲の横綱である以上、日本の規則、伝統に従うべきで、それに従わない横綱は不謹慎というのは、年齢や男女問わず、多くの日本人が抱く感情だ。確かに、「疲労骨折」などの診断書を出して、「巡業」に参加せず、療養するどころか、サッカーに興じていたこと自体は、関取の頂点に立つ「横綱」としてふさわしくなく、一定の処分に値する。
 しかし、違反行為と処分の程度の問題があり、それは本人の更生、出直しにとっても納得の行く、公正なものでなければ、罰則が逆効果になり、場合により「差別」と映ることにもなる。横綱朝青龍のサッカー姿が問題にされる以前にテレビ・ニュースを見た視聴者の多くは、故郷モンゴルで子供達と日・モンゴル間のスポーツ交流をしている横綱として、同横綱の新しい一面を見たことであろう。このモンゴルでのサッカー交流は、元サッカー選手の中田英寿氏のモンゴル側への提案で企画されたものとされている。それ自体は大いに推奨されて良いことだ。
 ところが、「巡業」に参加せず、母国でサッカーに興じているとの批判が出されたことから、相撲協会理事会は、2場所の出場禁止、減給などの処分を決定したが、同横綱は強く反発しており、「急性ストレス障害」とも診断されている。処分内容は、現役横綱としては最も厳しいものらしい。理事会の処分決定において、横綱自身の事前の弁明や事情聴取などは行われていない。
 同横綱の言動については、土俵上の態度や稽古場での姿勢などについて、しばしば週刊誌等の話題となっている。横綱の相撲内容についても好き嫌いはあるだろう。しかし、横綱朝青龍が、3年以上に亘り、一人横綱の大相撲をなんとか担い、相撲ファンの人気を繋いで来たところであり、その功績は大きい。しかも、古い習慣やしきたりが指摘されている相撲界において、外国人の横綱でもあり、苦労やプレッシャーも大きかったであろう。朝青龍自身も、これまでの功績に対する思い入れもあったのであろう。「思い上がり」や「甘え」との批判もあるが、同人の立場に立てば分からないでもない。朝青龍関なくしては大相撲への人気は維持できなかったことも事実であり、その功績は素直に認めるべきだろう。母国において、日・モンゴルの交流に積極的に参加する姿勢も評価して良い。 
 また、7月場所で、待望の2人横綱体制となり、その場所で優勝し、ほっとした心の油断もあったのであろう。母国にも帰りたかったであろう。朝青龍関も横綱とは言え、26歳の青年であり、相撲以外のこともしたいだろうし、心の油断があっても仕方がない。
恐らく、横綱の反発は、そのような主体的な思い入れに反し、事前に弁明の機会も与えられず、予想以上に厳しい処分をされたことへのショックからであろう。横綱は、力士の頂点に立つものであり、言動に注意することは当然であるが、子供ではないので、横綱としての面子も考え、処分前に弁明などの機会を与え、同人の反省と事の重大性を納得させるプロセス、配慮が必要ではなかったのであろうか。
 ましてや朝青龍関は外国人であり、文化も異なり、日本のしきたりや慣習や物の考え方などとの間に差があっても不思議ではない。また、ある意味で母国を背負っている。日本で相撲を取る以上、日本の規則、しきたりに従うよう指導することは良いが、協会側が文化、習慣の差などを理解する必要もあると同時に、外国人力士が何らかの形で母国を背負っていることを忘れてはならない。現在、幕の内だけでも10人以上の外国人力士が文化、習慣の差やいろいろな制約を越えて活躍している。外国人力士を認める以上、これら外国人力士の意見や異文化にも耳を傾け、理解する寛容性が欲しいものだ。協会にとって「巡業」は大切だろうが、多分、「場所」の合間には母国にも帰りたいだろうし、いろいろなコメントが出るのであろう。日本の大相撲も海外でのファンも増え、可なり国際的になって来ている。大相撲も一定の国際性が求められている。
相撲協会もこの点をもっと理解する必要があるのではないか。旧態依然の運営、監督だけでは、外国人力士のみでなく、若い日本の力士や力士志望者を引き付けられなくなって来ているのではないか。
3年以上も日本人の横綱は出ていない。有望と見られた歴代の大関も、大関になると肌つやも落ち、一見して練習不足、節制不足と分かる。節制不足となると怪我もし易くなる。何故これら力士を注意し、指導出来なかったのか。それは部屋の責任であり、協会の責任でもある。今回の「処分」の厳しさとのギャップが目立つ。謹慎期間中に母国に戻り、療養したいと願うなら、何故それおも認めないのか。朝青龍関にも弁明の機会を与え、改めて処分内容を検討すべきであろう。
他方、朝青龍関も、帰国や引退も選択肢の一つではあろうが、横綱として、また、モンゴル出身その他の外国人力士の先達として責任ある行動を取って欲しいものだ。

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民意が動いた ― 参議院夏の陣 -

2007-08-05 | Weblog
民意が動いた
― 参議院夏の陣 -
 今回の参議院選挙において、与党自民党が大敗し、民主党が参議院において第一党になった。参議院自民党幹部の内、幹事長は落選し、有権者の審判が下され、参院会長など幹部が辞任する一方、安倍総理・自民総裁は敗北の責任を認めつつも、「人心一新」を図り、政権の継続を表明しているが、党内外から総理・総裁の責任論が出されている。
確かに「人心一新して、政権を全うする」ことも一つの政治的選択であり、また総理・総裁の責任論も当然予想されたことだ。しかし、どうも「政権継続論」も、「責任論」も党内の派閥次元の議論でしかなく、今回の選挙で有権者が何に「ノー」と言い、何を期待しているかなどの、反省や「民意」の読み方に欠けているように見えて仕方が無い。
 1.密室政治か選挙による民意反映か
 与党が参議院で過半数割れになった場合の安倍政権の責任については、選挙前より、自民党幹部が参院選は「中間評価」であるので、辞任の必要はないとの発言がしばしば見られ、また、選挙結果の大勢が明らかになった段階で、一部の自民党幹部とも協議したと伝えられており、その上で「人心一新による政権維持」が表明された。その後、総理経験者も「政権維持」を支持する旨表明する一方、「人心一新」については、「挙党一致体制」による内閣とするよう注文が付けられている。要するに、従来通りの派閥推薦に基づく「派閥均衡人事」の待望論と映る。
 総理退陣、政権交代論も、総理を連続3人出し、一人勝ちしている町村派(旧森派)に対し、壊された旧最大派閥その他の派閥を中心として出されているものであり、派閥順送りの総理・総裁へのノスタルジーからではないか。総理が退陣し、与党内での政権交代となれば、また旧態依然の密室政治に逆戻りする恐れが強く、民意が置き去りにされることにもなる。
 2.安倍政権、政権与党への「お灸」か、政党選択か
今回の参院選の特徴は、無党派層の過半数以上が政権与党ではなく、主として民主党を中心とする野党を選び、参議院の第一党の地位を民主党に与える結果となっていることだ。また、事前の世論調査で自民支持としていた有権者も、相当数が民主党支持に回っている。連立与党の公明党も議席を減らしており、自民支持層を取り込めなかったと言える。自民党への「お灸」であれば、票は、公明党や野党少数党に向かうこともあるが、今回の参院選では少数党は伸びておらず、最大野党の民主党に参議院における第一党の地位を与える結果となっている。
「民意」が動いた。特に無党派層の多くが、少数野党ではなく、民主党に投票し、自民・民主の2大政党の勝敗を決定的にし、無党派層が政党選択のキャスチング・ボートを握った形となった。従って、今回の結果は、安倍政権や与党への単なる「お灸」では無く、有権者は、参議院の第一党として民主党を選択したと見ることが出来る。2大政党制による政権交代を期待しているか否かは直ちには判断できないが、それを容認する結果となっている。
 従って、今回の選挙においては、安倍総理・総裁への批判だけではなく、与党の長期に亘る政権運営に対する不支持が出されたと言える。だとすると、現在の与党の下で総理を入れ替えても、国民の批判に耐え切れない可能性がある。ましてや内閣改造による「人心一新」では党内だけでなく、世論も収まらない可能性がある。その批判は、単に年金の記録漏れ問題や辞任した赤城農水大臣の「ばんそこ」問題への反感などと言う矮小化された現象に向けられているだけではなく、これらに象徴される長期に亘る行政に対する監督責任や政治の透明性、公正さなどに向けられていることを認識すべきなのであろう。民主主義政治にあっては、民意に鈍感であってはならない。
 安倍政権は、小泉前政権を引き継いだもので、衆議院選挙で直接の審判を受けてはいない。国民は、参議院選挙において政権与党にいわばレッド・カードを出した。現与党が政権を継続するのであれば、早い時期に民意を問うべきなのであろう。自民と民主の連立も考えられないことはないが、その選択肢は日本の民主主義の健全な発展にとって悲劇となろう。
他方、民主党自体も、他の野党等の協力も得つつ、国民の期待に応えられる具体的な政策や安定した政権運営能力を示し、結果を出して行かなくてはならない。
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