内外政策評論 TheOpinion on Global & Domestic Issues

このブログは、広い視野から内外諸問題を分析し、提言を試みます。
Policy Essayist

たかがマニフェスト、されどマニフェスト(その1)

2010-05-30 | Weblog
たかがマニフェスト、されどマニフェスト(その1)
 昨年9月の民主党政権発足後、選挙中に掲げたマニフェストに基づきどのような政策が推進されるかが注目されたが、野党自民党など保守勢力を中心として、新政権下での施策の「現実性」が問われると共に、7月の参院選挙を前にして党内からもマニフェストの再検討の必要性が指摘されている。
1、 マニフェストは「空想論」か現実論優先か
 特に外交、安全保障問題において、政権交代により日米同盟関係の行方が懸念され、その象徴的な問題として沖縄の米軍普天間飛行場の移設先が大きくクローズアップされた。また経済の停滞による歳入減に伴う財源の制約の中で、
マニフェストの目玉となった「子供手当て」と「高速道路の無償化」や「無駄の排除」を含む公務員制度の改革と「政治主導の確立」など、国内施策についても「現実論」が問われている。その多くは保守勢力からの疑問だが、いわゆる識者の中にも「マニフェストのままは空想論」などとする評論を行っている。しかし、このような見方は政治学と民主主義体制での政治自体の役割の差を十分に理解していないか、民主党政権に現実路線への転換を迫る意見と言えよう。政治学においては、各種の統計や社会科学的な分析から、施策等の費用対効果、選択肢などを提示することが出来る。しかし民主主義政治においては、施策に優先度を付け、選択するのは異なる価値観や生活観を持つ国民、有権者であり、それを選択する場が選挙となっている。現在の多数決に基づく選挙制度がベストであるか否かは別として、価値観や生活観に優劣を付けることは社会科学の領域を超え、個々人の選択の問題である。
 09年8月、国民は民主党政権への交代を選択した。それは国民の選択であるので、基本的には次の総選挙までの4年間は尊重されなくてはならない。その際民主党はマニフェストを掲げ、鳩山代表は「国民との契約」とした。マニフェストは、政党や団体・組織の国民等への「主張」であり公約、誓約を意味する。旧政権においては、“公約は破るもの”と述べた議員もおり、政治とはそんなものとの印象を有権者に与えたが、それが繰り返されれば政党不信や政治不信を招き、その結果が大なり小なり選挙に出ることになる。選挙は、ある意味で市場における消費者の商品、サービスの選択に似ている。日本の消費者は近時可なり合理的な選択をするようになったが、戦後65年間の選挙を経験して有権者が選挙において大なり小なり合理的な選択をするようになって来ている。戦後一時期、“衆愚政治”とか“大衆迎合政治”などと言われ、国民がしっかりしないとそのようになる恐れはあり、また“一票の格差”の是正など、選挙制度の改善を図る必要はあるが、選挙結果を尊重することが民主主義の原点であろう。
 マニフェストや公約で訴えられた施策は、社会的価値や優先度の転換、それに伴う予算配分の転換などを伴う場合があるが、それを理想論や空想論として安易に現実論に転換するのではなく、国民より信託を得た4年間という任期の中で実現する努力をするべきなのであろう。俗に「民主党らしさ」が問われているようだが、与党に反対ばかりしている野党臭さが期待されているわけではなく、政権与党として如何にマニフェストの内容を具体的な施策に置き換え、実現して行くことが問われているのではないだろうか。国民もそれを期待しているのであろう。一部の議員は未だに野党臭さを脱し切れておらず、一部の議員は現実論に引っ張られ過ぎているようにも見える。
内閣各部は、マニフェストに沿って所掌事項の実現が期待されている。マニフェストの範囲内であれば、具体論は各大臣に委ねられていると言えようが、マニフェストに沿わない場合や変更を加える場合は関係大臣はもとより、首相と協議し、指示を得るべきであろう。同時に、党としてのマニフェストであるので、首相が党側の考え方を確認・調整して置く必要があろう。
無論マニフェストを実現しようとすれば、野党や保守層、既得権益グループから反発や異論が出されようが、選挙で示されたマニフェスト、公約を実現して行くことこそが政権政党としての「らしさ」を具体的に示すことになるのであろう。マニフェスト作成時と前提が異なるような大きな社会、経済的な変化や国際環境の変化などがある場合については、当然のことながら柔軟な修正や調整が行われるべきであろうが、有権者はマニフェストの全部ではないにしてもそれぞれの関心事項を支持し信任したのであろうから、なるべく多くの項目を実現して行くことが全体としてより多くの有権者の信任、期待に答えることになる。
 また個々の候補者が有権者に訴え、公約したことは、各議員と有権者との約束であり、マニフェストと共に実現に努めるべきであろう。ましてや党の代表として公約したことは党の責任者としての発言であり、その発言は重い。
 しかし毎週のように各メデイアから出される世論調査に一喜一憂する必要はない。昨年8月の総選挙で現政権に与えた信託は4年間であるので、基本的には4年間で結果を出せば良いのであろう。特に現政権は、戦後の民主主義制度の下で国民が選択した初めての実質的な政権交代であり、政権運営を経験している幹部がほとんどいないため、政権発足当初は試行錯誤があることは避けられない。何にでも初めがあるので、民主主義を育てる観点から多少長い目で見ることも必要なのであろう。国民にとっても「未知との遭遇」であり、ある程度の寛容さが必要かもしれない。そうでないと何時までも日本の政治が落ち着かず、安定した政権運営が出来ない。
先の英国の下院選挙で、労働党が下野し、第一党の保守党と第三党の自由民主党が連立内閣に合意すると共に、5年間は解散、総選挙を行わないことに合意している。現在の世界の難局を乗り越えるため政治的安定を重視したもので、一つの見識である。(05.10.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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たかがマニフェスト、されどマニフェスト(その1)

2010-05-25 | Weblog
たかがマニフェスト、されどマニフェスト(その1)
 昨年9月の民主党政権発足後、選挙中に掲げたマニフェストに基づきどのような政策が推進されるかが注目されたが、野党自民党など保守勢力を中心として、新政権下での施策の「現実性」が問われると共に、7月の参院選挙を前にして党内からもマニフェストの再検討の必要性が指摘されている。
1、 マニフェストは「空想論」か現実論優先か
 特に外交、安全保障問題において、政権交代により日米同盟関係の行方が懸念され、その象徴的な問題として沖縄の米軍普天間飛行場の移設先が大きくクローズアップされた。また経済の停滞による歳入減に伴う財源の制約の中で、
マニフェストの目玉となった「子供手当て」と「高速道路の無償化」や「無駄の排除」を含む公務員制度の改革と「政治主導の確立」など、国内施策についても「現実論」が問われている。その多くは保守勢力からの疑問だが、いわゆる識者の中にも「マニフェストのままは空想論」などとする評論を行っている。しかし、このような見方は政治学と民主主義体制での政治自体の役割の差を十分に理解していないか、民主党政権に現実路線への転換を迫る意見と言えよう。政治学においては、各種の統計や社会科学的な分析から、施策等の費用対効果、選択肢などを提示することが出来る。しかし民主主義政治においては、施策に優先度を付け、選択するのは異なる価値観や生活観を持つ国民、有権者であり、それを選択する場が選挙となっている。現在の多数決に基づく選挙制度がベストであるか否かは別として、価値観や生活観に優劣を付けることは社会科学の領域を超え、個々人の選択の問題である。
 09年8月、国民は民主党政権への交代を選択した。それは国民の選択であるので、基本的には次の総選挙までの4年間は尊重されなくてはならない。その際民主党はマニフェストを掲げ、鳩山代表は「国民との契約」とした。マニフェストは、政党や団体・組織の国民等への「主張」であり公約、誓約を意味する。旧政権においては、“公約は破るもの”と述べた議員もおり、政治とはそんなものとの印象を有権者に与えたが、それが繰り返されれば政党不信や政治不信を招き、その結果が大なり小なり選挙に出ることになる。選挙は、ある意味で市場における消費者の商品、サービスの選択に似ている。日本の消費者は近時可なり合理的な選択をするようになったが、戦後65年間の選挙を経験して有権者が選挙において大なり小なり合理的な選択をするようになって来ている。戦後一時期、“衆愚政治”とか“大衆迎合政治”などと言われ、国民がしっかりしないとそのようになる恐れはあり、また“一票の格差”の是正など、選挙制度の改善を図る必要はあるが、選挙結果を尊重することが民主主義の原点であろう。
 マニフェストや公約で訴えられた施策は、社会的価値や優先度の転換、それに伴う予算配分の転換などを伴う場合があるが、それを理想論や空想論として安易に現実論に転換するのではなく、国民より信託を得た4年間という任期の中で実現する努力をするべきなのであろう。俗に「民主党らしさ」が問われているようだが、与党に反対ばかりしている野党臭さが期待されているわけではなく、政権与党として如何にマニフェストの内容を具体的な施策に置き換え、実現して行くことが問われているのではないだろうか。国民もそれを期待しているのであろう。一部の議員は未だに野党臭さを脱し切れておらず、一部の議員は現実論に引っ張られ過ぎているようにも見える。
内閣各部は、マニフェストに沿って所掌事項の実現が期待されている。マニフェストの範囲内であれば、具体論は各大臣に委ねられていると言えようが、マニフェストに沿わない場合や変更を加える場合は関係大臣はもとより、首相と協議し、指示を得るべきであろう。同時に、党としてのマニフェストであるので、首相が党側の考え方を確認・調整して置く必要があろう。
無論マニフェストを実現しようとすれば、野党や保守層、既得権益グループから反発や異論が出されようが、選挙で示されたマニフェスト、公約を実現して行くことこそが政権政党としての「らしさ」を具体的に示すことになるのであろう。マニフェスト作成時と前提が異なるような大きな社会、経済的な変化や国際環境の変化などがある場合については、当然のことながら柔軟な修正や調整が行われるべきであろうが、有権者はマニフェストの全部ではないにしてもそれぞれの関心事項を支持し信任したのであろうから、なるべく多くの項目を実現して行くことが全体としてより多くの有権者の信任、期待に答えることになる。
 また個々の候補者が有権者に訴え、公約したことは、各議員と有権者との約束であり、マニフェストと共に実現に努めるべきであろう。ましてや党の代表として公約したことは党の責任者としての発言であり、その発言は重い。
 しかし毎週のように各メデイアから出される世論調査に一喜一憂する必要はない。昨年8月の総選挙で現政権に与えた信託は4年間であるので、基本的には4年間で結果を出せば良いのであろう。特に現政権は、戦後の民主主義制度の下で国民が選択した初めての実質的な政権交代であり、政権運営を経験している幹部がほとんどいないため、政権発足当初は試行錯誤があることは避けられない。何にでも初めがあるので、民主主義を育てる観点から多少長い目で見ることも必要なのであろう。国民にとっても「未知との遭遇」であり、ある程度の寛容さが必要かもしれない。そうでないと何時までも日本の政治が落ち着かず、安定した政権運営が出来ない。
先の英国の下院選挙で、労働党が下野し、第一党の保守党と第三党の自由民主党が連立内閣に合意すると共に、5年間は解散、総選挙を行わないことに合意している。現在の世界の難局を乗り越えるため政治的安定を重視したもので、一つの見識である。(05.10.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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 昨年9月の民主党政権発足後、選挙中に掲げたマニフェストに基づきどのような政策が推進されるかが注目されたが、野党自民党など保守勢力を中心として、新政権下での施策の「現実性」が問われると共に、7月の参院選挙を前にして党内からもマニフェストの再検討の必要性が指摘されている。
1、 マニフェストは「空想論」か現実論優先か
 特に外交、安全保障問題において、政権交代により日米同盟関係の行方が懸念され、その象徴的な問題として沖縄の米軍普天間飛行場の移設先が大きくクローズアップされた。また経済の停滞による歳入減に伴う財源の制約の中で、
マニフェストの目玉となった「子供手当て」と「高速道路の無償化」や「無駄の排除」を含む公務員制度の改革と「政治主導の確立」など、国内施策についても「現実論」が問われている。その多くは保守勢力からの疑問だが、いわゆる識者の中にも「マニフェストのままは空想論」などとする評論を行っている。しかし、このような見方は政治学と民主主義体制での政治自体の役割の差を十分に理解していないか、民主党政権に現実路線への転換を迫る意見と言えよう。政治学においては、各種の統計や社会科学的な分析から、施策等の費用対効果、選択肢などを提示することが出来る。しかし民主主義政治においては、施策に優先度を付け、選択するのは異なる価値観や生活観を持つ国民、有権者であり、それを選択する場が選挙となっている。現在の多数決に基づく選挙制度がベストであるか否かは別として、価値観や生活観に優劣を付けることは社会科学の領域を超え、個々人の選択の問題である。
 09年8月、国民は民主党政権への交代を選択した。それは国民の選択であるので、基本的には次の総選挙までの4年間は尊重されなくてはならない。その際民主党はマニフェストを掲げ、鳩山代表は「国民との契約」とした。マニフェストは、政党や団体・組織の国民等への「主張」であり公約、誓約を意味する。旧政権においては、“公約は破るもの”と述べた議員もおり、政治とはそんなものとの印象を有権者に与えたが、それが繰り返されれば政党不信や政治不信を招き、その結果が大なり小なり選挙に出ることになる。選挙は、ある意味で市場における消費者の商品、サービスの選択に似ている。日本の消費者は近時可なり合理的な選択をするようになったが、戦後65年間の選挙を経験して有権者が選挙において大なり小なり合理的な選択をするようになって来ている。戦後一時期、“衆愚政治”とか“大衆迎合政治”などと言われ、国民がしっかりしないとそのようになる恐れはあり、また“一票の格差”の是正など、選挙制度の改善を図る必要はあるが、選挙結果を尊重することが民主主義の原点であろう。
 マニフェストや公約で訴えられた施策は、社会的価値や優先度の転換、それに伴う予算配分の転換などを伴う場合があるが、それを理想論や空想論として安易に現実論に転換するのではなく、国民より信託を得た4年間という任期の中で実現する努力をするべきなのであろう。俗に「民主党らしさ」が問われているようだが、与党に反対ばかりしている野党臭さが期待されているわけではなく、政権与党として如何にマニフェストの内容を具体的な施策に置き換え、実現して行くことが問われているのではないだろうか。国民もそれを期待しているのであろう。一部の議員は未だに野党臭さを脱し切れておらず、一部の議員は現実論に引っ張られ過ぎているようにも見える。
内閣各部は、マニフェストに沿って所掌事項の実現が期待されている。マニフェストの範囲内であれば、具体論は各大臣に委ねられていると言えようが、マニフェストに沿わない場合や変更を加える場合は関係大臣はもとより、首相と協議し、指示を得るべきであろう。同時に、党としてのマニフェストであるので、首相が党側の考え方を確認・調整して置く必要があろう。
無論マニフェストを実現しようとすれば、野党や保守層、既得権益グループから反発や異論が出されようが、選挙で示されたマニフェスト、公約を実現して行くことこそが政権政党としての「らしさ」を具体的に示すことになるのであろう。マニフェスト作成時と前提が異なるような大きな社会、経済的な変化や国際環境の変化などがある場合については、当然のことながら柔軟な修正や調整が行われるべきであろうが、有権者はマニフェストの全部ではないにしてもそれぞれの関心事項を支持し信任したのであろうから、なるべく多くの項目を実現して行くことが全体としてより多くの有権者の信任、期待に答えることになる。
 また個々の候補者が有権者に訴え、公約したことは、各議員と有権者との約束であり、マニフェストと共に実現に努めるべきであろう。ましてや党の代表として公約したことは党の責任者としての発言であり、その発言は重い。
 しかし毎週のように各メデイアから出される世論調査に一喜一憂する必要はない。昨年8月の総選挙で現政権に与えた信託は4年間であるので、基本的には4年間で結果を出せば良いのであろう。特に現政権は、戦後の民主主義制度の下で国民が選択した初めての実質的な政権交代であり、政権運営を経験している幹部がほとんどいないため、政権発足当初は試行錯誤があることは避けられない。何にでも初めがあるので、民主主義を育てる観点から多少長い目で見ることも必要なのであろう。国民にとっても「未知との遭遇」であり、ある程度の寛容さが必要かもしれない。そうでないと何時までも日本の政治が落ち着かず、安定した政権運営が出来ない。
先の英国の下院選挙で、労働党が下野し、第一党の保守党と第三党の自由民主党が連立内閣に合意すると共に、5年間は解散、総選挙を行わないことに合意している。現在の世界の難局を乗り越えるため政治的安定を重視したもので、一つの見識である。(05.10.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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2010-05-25 | Weblog
たかがマニフェスト、されどマニフェスト(その1)
 昨年9月の民主党政権発足後、選挙中に掲げたマニフェストに基づきどのような政策が推進されるかが注目されたが、野党自民党など保守勢力を中心として、新政権下での施策の「現実性」が問われると共に、7月の参院選挙を前にして党内からもマニフェストの再検討の必要性が指摘されている。
1、 マニフェストは「空想論」か現実論優先か
 特に外交、安全保障問題において、政権交代により日米同盟関係の行方が懸念され、その象徴的な問題として沖縄の米軍普天間飛行場の移設先が大きくクローズアップされた。また経済の停滞による歳入減に伴う財源の制約の中で、
マニフェストの目玉となった「子供手当て」と「高速道路の無償化」や「無駄の排除」を含む公務員制度の改革と「政治主導の確立」など、国内施策についても「現実論」が問われている。その多くは保守勢力からの疑問だが、いわゆる識者の中にも「マニフェストのままは空想論」などとする評論を行っている。しかし、このような見方は政治学と民主主義体制での政治自体の役割の差を十分に理解していないか、民主党政権に現実路線への転換を迫る意見と言えよう。政治学においては、各種の統計や社会科学的な分析から、施策等の費用対効果、選択肢などを提示することが出来る。しかし民主主義政治においては、施策に優先度を付け、選択するのは異なる価値観や生活観を持つ国民、有権者であり、それを選択する場が選挙となっている。現在の多数決に基づく選挙制度がベストであるか否かは別として、価値観や生活観に優劣を付けることは社会科学の領域を超え、個々人の選択の問題である。
 09年8月、国民は民主党政権への交代を選択した。それは国民の選択であるので、基本的には次の総選挙までの4年間は尊重されなくてはならない。その際民主党はマニフェストを掲げ、鳩山代表は「国民との契約」とした。マニフェストは、政党や団体・組織の国民等への「主張」であり公約、誓約を意味する。旧政権においては、“公約は破るもの”と述べた議員もおり、政治とはそんなものとの印象を有権者に与えたが、それが繰り返されれば政党不信や政治不信を招き、その結果が大なり小なり選挙に出ることになる。選挙は、ある意味で市場における消費者の商品、サービスの選択に似ている。日本の消費者は近時可なり合理的な選択をするようになったが、戦後65年間の選挙を経験して有権者が選挙において大なり小なり合理的な選択をするようになって来ている。戦後一時期、“衆愚政治”とか“大衆迎合政治”などと言われ、国民がしっかりしないとそのようになる恐れはあり、また“一票の格差”の是正など、選挙制度の改善を図る必要はあるが、選挙結果を尊重することが民主主義の原点であろう。
 マニフェストや公約で訴えられた施策は、社会的価値や優先度の転換、それに伴う予算配分の転換などを伴う場合があるが、それを理想論や空想論として安易に現実論に転換するのではなく、国民より信託を得た4年間という任期の中で実現する努力をするべきなのであろう。俗に「民主党らしさ」が問われているようだが、与党に反対ばかりしている野党臭さが期待されているわけではなく、政権与党として如何にマニフェストの内容を具体的な施策に置き換え、実現して行くことが問われているのではないだろうか。国民もそれを期待しているのであろう。一部の議員は未だに野党臭さを脱し切れておらず、一部の議員は現実論に引っ張られ過ぎているようにも見える。
内閣各部は、マニフェストに沿って所掌事項の実現が期待されている。マニフェストの範囲内であれば、具体論は各大臣に委ねられていると言えようが、マニフェストに沿わない場合や変更を加える場合は関係大臣はもとより、首相と協議し、指示を得るべきであろう。同時に、党としてのマニフェストであるので、首相が党側の考え方を確認・調整して置く必要があろう。
無論マニフェストを実現しようとすれば、野党や保守層、既得権益グループから反発や異論が出されようが、選挙で示されたマニフェスト、公約を実現して行くことこそが政権政党としての「らしさ」を具体的に示すことになるのであろう。マニフェスト作成時と前提が異なるような大きな社会、経済的な変化や国際環境の変化などがある場合については、当然のことながら柔軟な修正や調整が行われるべきであろうが、有権者はマニフェストの全部ではないにしてもそれぞれの関心事項を支持し信任したのであろうから、なるべく多くの項目を実現して行くことが全体としてより多くの有権者の信任、期待に答えることになる。
 また個々の候補者が有権者に訴え、公約したことは、各議員と有権者との約束であり、マニフェストと共に実現に努めるべきであろう。ましてや党の代表として公約したことは党の責任者としての発言であり、その発言は重い。
 しかし毎週のように各メデイアから出される世論調査に一喜一憂する必要はない。昨年8月の総選挙で現政権に与えた信託は4年間であるので、基本的には4年間で結果を出せば良いのであろう。特に現政権は、戦後の民主主義制度の下で国民が選択した初めての実質的な政権交代であり、政権運営を経験している幹部がほとんどいないため、政権発足当初は試行錯誤があることは避けられない。何にでも初めがあるので、民主主義を育てる観点から多少長い目で見ることも必要なのであろう。国民にとっても「未知との遭遇」であり、ある程度の寛容さが必要かもしれない。そうでないと何時までも日本の政治が落ち着かず、安定した政権運営が出来ない。
先の英国の下院選挙で、労働党が下野し、第一党の保守党と第三党の自由民主党が連立内閣に合意すると共に、5年間は解散、総選挙を行わないことに合意している。現在の世界の難局を乗り越えるため政治的安定を重視したもので、一つの見識である。(05.10.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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 昨年9月の民主党政権発足後、選挙中に掲げたマニフェストに基づきどのような政策が推進されるかが注目されたが、野党自民党など保守勢力を中心として、新政権下での施策の「現実性」が問われると共に、7月の参院選挙を前にして党内からもマニフェストの再検討の必要性が指摘されている。
1、 マニフェストは「空想論」か現実論優先か
 特に外交、安全保障問題において、政権交代により日米同盟関係の行方が懸念され、その象徴的な問題として沖縄の米軍普天間飛行場の移設先が大きくクローズアップされた。また経済の停滞による歳入減に伴う財源の制約の中で、
マニフェストの目玉となった「子供手当て」と「高速道路の無償化」や「無駄の排除」を含む公務員制度の改革と「政治主導の確立」など、国内施策についても「現実論」が問われている。その多くは保守勢力からの疑問だが、いわゆる識者の中にも「マニフェストのままは空想論」などとする評論を行っている。しかし、このような見方は政治学と民主主義体制での政治自体の役割の差を十分に理解していないか、民主党政権に現実路線への転換を迫る意見と言えよう。政治学においては、各種の統計や社会科学的な分析から、施策等の費用対効果、選択肢などを提示することが出来る。しかし民主主義政治においては、施策に優先度を付け、選択するのは異なる価値観や生活観を持つ国民、有権者であり、それを選択する場が選挙となっている。現在の多数決に基づく選挙制度がベストであるか否かは別として、価値観や生活観に優劣を付けることは社会科学の領域を超え、個々人の選択の問題である。
 09年8月、国民は民主党政権への交代を選択した。それは国民の選択であるので、基本的には次の総選挙までの4年間は尊重されなくてはならない。その際民主党はマニフェストを掲げ、鳩山代表は「国民との契約」とした。マニフェストは、政党や団体・組織の国民等への「主張」であり公約、誓約を意味する。旧政権においては、“公約は破るもの”と述べた議員もおり、政治とはそんなものとの印象を有権者に与えたが、それが繰り返されれば政党不信や政治不信を招き、その結果が大なり小なり選挙に出ることになる。選挙は、ある意味で市場における消費者の商品、サービスの選択に似ている。日本の消費者は近時可なり合理的な選択をするようになったが、戦後65年間の選挙を経験して有権者が選挙において大なり小なり合理的な選択をするようになって来ている。戦後一時期、“衆愚政治”とか“大衆迎合政治”などと言われ、国民がしっかりしないとそのようになる恐れはあり、また“一票の格差”の是正など、選挙制度の改善を図る必要はあるが、選挙結果を尊重することが民主主義の原点であろう。
 マニフェストや公約で訴えられた施策は、社会的価値や優先度の転換、それに伴う予算配分の転換などを伴う場合があるが、それを理想論や空想論として安易に現実論に転換するのではなく、国民より信託を得た4年間という任期の中で実現する努力をするべきなのであろう。俗に「民主党らしさ」が問われているようだが、与党に反対ばかりしている野党臭さが期待されているわけではなく、政権与党として如何にマニフェストの内容を具体的な施策に置き換え、実現して行くことが問われているのではないだろうか。国民もそれを期待しているのであろう。一部の議員は未だに野党臭さを脱し切れておらず、一部の議員は現実論に引っ張られ過ぎているようにも見える。
内閣各部は、マニフェストに沿って所掌事項の実現が期待されている。マニフェストの範囲内であれば、具体論は各大臣に委ねられていると言えようが、マニフェストに沿わない場合や変更を加える場合は関係大臣はもとより、首相と協議し、指示を得るべきであろう。同時に、党としてのマニフェストであるので、首相が党側の考え方を確認・調整して置く必要があろう。
無論マニフェストを実現しようとすれば、野党や保守層、既得権益グループから反発や異論が出されようが、選挙で示されたマニフェスト、公約を実現して行くことこそが政権政党としての「らしさ」を具体的に示すことになるのであろう。マニフェスト作成時と前提が異なるような大きな社会、経済的な変化や国際環境の変化などがある場合については、当然のことながら柔軟な修正や調整が行われるべきであろうが、有権者はマニフェストの全部ではないにしてもそれぞれの関心事項を支持し信任したのであろうから、なるべく多くの項目を実現して行くことが全体としてより多くの有権者の信任、期待に答えることになる。
 また個々の候補者が有権者に訴え、公約したことは、各議員と有権者との約束であり、マニフェストと共に実現に努めるべきであろう。ましてや党の代表として公約したことは党の責任者としての発言であり、その発言は重い。
 しかし毎週のように各メデイアから出される世論調査に一喜一憂する必要はない。昨年8月の総選挙で現政権に与えた信託は4年間であるので、基本的には4年間で結果を出せば良いのであろう。特に現政権は、戦後の民主主義制度の下で国民が選択した初めての実質的な政権交代であり、政権運営を経験している幹部がほとんどいないため、政権発足当初は試行錯誤があることは避けられない。何にでも初めがあるので、民主主義を育てる観点から多少長い目で見ることも必要なのであろう。国民にとっても「未知との遭遇」であり、ある程度の寛容さが必要かもしれない。そうでないと何時までも日本の政治が落ち着かず、安定した政権運営が出来ない。
先の英国の下院選挙で、労働党が下野し、第一党の保守党と第三党の自由民主党が連立内閣に合意すると共に、5年間は解散、総選挙を行わないことに合意している。現在の世界の難局を乗り越えるため政治的安定を重視したもので、一つの見識である。(05.10.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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 昨年9月の民主党政権発足後、選挙中に掲げたマニフェストに基づきどのような政策が推進されるかが注目されたが、野党自民党など保守勢力を中心として、新政権下での施策の「現実性」が問われると共に、7月の参院選挙を前にして党内からもマニフェストの再検討の必要性が指摘されている。
1、 マニフェストは「空想論」か現実論優先か
 特に外交、安全保障問題において、政権交代により日米同盟関係の行方が懸念され、その象徴的な問題として沖縄の米軍普天間飛行場の移設先が大きくクローズアップされた。また経済の停滞による歳入減に伴う財源の制約の中で、
マニフェストの目玉となった「子供手当て」と「高速道路の無償化」や「無駄の排除」を含む公務員制度の改革と「政治主導の確立」など、国内施策についても「現実論」が問われている。その多くは保守勢力からの疑問だが、いわゆる識者の中にも「マニフェストのままは空想論」などとする評論を行っている。しかし、このような見方は政治学と民主主義体制での政治自体の役割の差を十分に理解していないか、民主党政権に現実路線への転換を迫る意見と言えよう。政治学においては、各種の統計や社会科学的な分析から、施策等の費用対効果、選択肢などを提示することが出来る。しかし民主主義政治においては、施策に優先度を付け、選択するのは異なる価値観や生活観を持つ国民、有権者であり、それを選択する場が選挙となっている。現在の多数決に基づく選挙制度がベストであるか否かは別として、価値観や生活観に優劣を付けることは社会科学の領域を超え、個々人の選択の問題である。
 09年8月、国民は民主党政権への交代を選択した。それは国民の選択であるので、基本的には次の総選挙までの4年間は尊重されなくてはならない。その際民主党はマニフェストを掲げ、鳩山代表は「国民との契約」とした。マニフェストは、政党や団体・組織の国民等への「主張」であり公約、誓約を意味する。旧政権においては、“公約は破るもの”と述べた議員もおり、政治とはそんなものとの印象を有権者に与えたが、それが繰り返されれば政党不信や政治不信を招き、その結果が大なり小なり選挙に出ることになる。選挙は、ある意味で市場における消費者の商品、サービスの選択に似ている。日本の消費者は近時可なり合理的な選択をするようになったが、戦後65年間の選挙を経験して有権者が選挙において大なり小なり合理的な選択をするようになって来ている。戦後一時期、“衆愚政治”とか“大衆迎合政治”などと言われ、国民がしっかりしないとそのようになる恐れはあり、また“一票の格差”の是正など、選挙制度の改善を図る必要はあるが、選挙結果を尊重することが民主主義の原点であろう。
 マニフェストや公約で訴えられた施策は、社会的価値や優先度の転換、それに伴う予算配分の転換などを伴う場合があるが、それを理想論や空想論として安易に現実論に転換するのではなく、国民より信託を得た4年間という任期の中で実現する努力をするべきなのであろう。俗に「民主党らしさ」が問われているようだが、与党に反対ばかりしている野党臭さが期待されているわけではなく、政権与党として如何にマニフェストの内容を具体的な施策に置き換え、実現して行くことが問われているのではないだろうか。国民もそれを期待しているのであろう。一部の議員は未だに野党臭さを脱し切れておらず、一部の議員は現実論に引っ張られ過ぎているようにも見える。
内閣各部は、マニフェストに沿って所掌事項の実現が期待されている。マニフェストの範囲内であれば、具体論は各大臣に委ねられていると言えようが、マニフェストに沿わない場合や変更を加える場合は関係大臣はもとより、首相と協議し、指示を得るべきであろう。同時に、党としてのマニフェストであるので、首相が党側の考え方を確認・調整して置く必要があろう。
無論マニフェストを実現しようとすれば、野党や保守層、既得権益グループから反発や異論が出されようが、選挙で示されたマニフェスト、公約を実現して行くことこそが政権政党としての「らしさ」を具体的に示すことになるのであろう。マニフェスト作成時と前提が異なるような大きな社会、経済的な変化や国際環境の変化などがある場合については、当然のことながら柔軟な修正や調整が行われるべきであろうが、有権者はマニフェストの全部ではないにしてもそれぞれの関心事項を支持し信任したのであろうから、なるべく多くの項目を実現して行くことが全体としてより多くの有権者の信任、期待に答えることになる。
 また個々の候補者が有権者に訴え、公約したことは、各議員と有権者との約束であり、マニフェストと共に実現に努めるべきであろう。ましてや党の代表として公約したことは党の責任者としての発言であり、その発言は重い。
 しかし毎週のように各メデイアから出される世論調査に一喜一憂する必要はない。昨年8月の総選挙で現政権に与えた信託は4年間であるので、基本的には4年間で結果を出せば良いのであろう。特に現政権は、戦後の民主主義制度の下で国民が選択した初めての実質的な政権交代であり、政権運営を経験している幹部がほとんどいないため、政権発足当初は試行錯誤があることは避けられない。何にでも初めがあるので、民主主義を育てる観点から多少長い目で見ることも必要なのであろう。国民にとっても「未知との遭遇」であり、ある程度の寛容さが必要かもしれない。そうでないと何時までも日本の政治が落ち着かず、安定した政権運営が出来ない。
先の英国の下院選挙で、労働党が下野し、第一党の保守党と第三党の自由民主党が連立内閣に合意すると共に、5年間は解散、総選挙を行わないことに合意している。現在の世界の難局を乗り越えるため政治的安定を重視したもので、一つの見識である。(05.10.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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たかがマニフェスト、されどマニフェスト(その1)

2010-05-24 | Weblog
たかがマニフェスト、されどマニフェスト(その1)
 昨年9月の民主党政権発足後、選挙中に掲げたマニフェストに基づきどのような政策が推進されるかが注目されたが、野党自民党など保守勢力を中心として、新政権下での施策の「現実性」が問われると共に、7月の参院選挙を前にして党内からもマニフェストの再検討の必要性が指摘されている。
1、 マニフェストは「空想論」か現実論優先か
 特に外交、安全保障問題において、政権交代により日米同盟関係の行方が懸念され、その象徴的な問題として沖縄の米軍普天間飛行場の移設先が大きくクローズアップされた。また経済の停滞による歳入減に伴う財源の制約の中で、
マニフェストの目玉となった「子供手当て」と「高速道路の無償化」や「無駄の排除」を含む公務員制度の改革と「政治主導の確立」など、国内施策についても「現実論」が問われている。その多くは保守勢力からの疑問だが、いわゆる識者の中にも「マニフェストのままは空想論」などとする評論を行っている。しかし、このような見方は政治学と民主主義体制での政治自体の役割の差を十分に理解していないか、民主党政権に現実路線への転換を迫る意見と言えよう。政治学においては、各種の統計や社会科学的な分析から、施策等の費用対効果、選択肢などを提示することが出来る。しかし民主主義政治においては、施策に優先度を付け、選択するのは異なる価値観や生活観を持つ国民、有権者であり、それを選択する場が選挙となっている。現在の多数決に基づく選挙制度がベストであるか否かは別として、価値観や生活観に優劣を付けることは社会科学の領域を超え、個々人の選択の問題である。
 09年8月、国民は民主党政権への交代を選択した。それは国民の選択であるので、基本的には次の総選挙までの4年間は尊重されなくてはならない。その際民主党はマニフェストを掲げ、鳩山代表は「国民との契約」とした。マニフェストは、政党や団体・組織の国民等への「主張」であり公約、誓約を意味する。旧政権においては、“公約は破るもの”と述べた議員もおり、政治とはそんなものとの印象を有権者に与えたが、それが繰り返されれば政党不信や政治不信を招き、その結果が大なり小なり選挙に出ることになる。選挙は、ある意味で市場における消費者の商品、サービスの選択に似ている。日本の消費者は近時可なり合理的な選択をするようになったが、戦後65年間の選挙を経験して有権者が選挙において大なり小なり合理的な選択をするようになって来ている。戦後一時期、“衆愚政治”とか“大衆迎合政治”などと言われ、国民がしっかりしないとそのようになる恐れはあり、また“一票の格差”の是正など、選挙制度の改善を図る必要はあるが、選挙結果を尊重することが民主主義の原点であろう。
 マニフェストや公約で訴えられた施策は、社会的価値や優先度の転換、それに伴う予算配分の転換などを伴う場合があるが、それを理想論や空想論として安易に現実論に転換するのではなく、国民より信託を得た4年間という任期の中で実現する努力をするべきなのであろう。俗に「民主党らしさ」が問われているようだが、与党に反対ばかりしている野党臭さが期待されているわけではなく、政権与党として如何にマニフェストの内容を具体的な施策に置き換え、実現して行くことが問われているのではないだろうか。国民もそれを期待しているのであろう。一部の議員は未だに野党臭さを脱し切れておらず、一部の議員は現実論に引っ張られ過ぎているようにも見える。
内閣各部は、マニフェストに沿って所掌事項の実現が期待されている。マニフェストの範囲内であれば、具体論は各大臣に委ねられていると言えようが、マニフェストに沿わない場合や変更を加える場合は関係大臣はもとより、首相と協議し、指示を得るべきであろう。同時に、党としてのマニフェストであるので、首相が党側の考え方を確認・調整して置く必要があろう。
無論マニフェストを実現しようとすれば、野党や保守層、既得権益グループから反発や異論が出されようが、選挙で示されたマニフェスト、公約を実現して行くことこそが政権政党としての「らしさ」を具体的に示すことになるのであろう。マニフェスト作成時と前提が異なるような大きな社会、経済的な変化や国際環境の変化などがある場合については、当然のことながら柔軟な修正や調整が行われるべきであろうが、有権者はマニフェストの全部ではないにしてもそれぞれの関心事項を支持し信任したのであろうから、なるべく多くの項目を実現して行くことが全体としてより多くの有権者の信任、期待に答えることになる。
 また個々の候補者が有権者に訴え、公約したことは、各議員と有権者との約束であり、マニフェストと共に実現に努めるべきであろう。ましてや党の代表として公約したことは党の責任者としての発言であり、その発言は重い。
 しかし毎週のように各メデイアから出される世論調査に一喜一憂する必要はない。昨年8月の総選挙で現政権に与えた信託は4年間であるので、基本的には4年間で結果を出せば良いのであろう。特に現政権は、戦後の民主主義制度の下で国民が選択した初めての実質的な政権交代であり、政権運営を経験している幹部がほとんどいないため、政権発足当初は試行錯誤があることは避けられない。何にでも初めがあるので、民主主義を育てる観点から多少長い目で見ることも必要なのであろう。国民にとっても「未知との遭遇」であり、ある程度の寛容さが必要かもしれない。そうでないと何時までも日本の政治が落ち着かず、安定した政権運営が出来ない。
先の英国の下院選挙で、労働党が下野し、第一党の保守党と第三党の自由民主党が連立内閣に合意すると共に、5年間は解散、総選挙を行わないことに合意している。現在の世界の難局を乗り越えるため政治的安定を重視したもので、一つの見識である。(05.10.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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 昨年9月の民主党政権発足後、選挙中に掲げたマニフェストに基づきどのような政策が推進されるかが注目されたが、野党自民党など保守勢力を中心として、新政権下での施策の「現実性」が問われると共に、7月の参院選挙を前にして党内からもマニフェストの再検討の必要性が指摘されている。
1、 マニフェストは「空想論」か現実論優先か
 特に外交、安全保障問題において、政権交代により日米同盟関係の行方が懸念され、その象徴的な問題として沖縄の米軍普天間飛行場の移設先が大きくクローズアップされた。また経済の停滞による歳入減に伴う財源の制約の中で、
マニフェストの目玉となった「子供手当て」と「高速道路の無償化」や「無駄の排除」を含む公務員制度の改革と「政治主導の確立」など、国内施策についても「現実論」が問われている。その多くは保守勢力からの疑問だが、いわゆる識者の中にも「マニフェストのままは空想論」などとする評論を行っている。しかし、このような見方は政治学と民主主義体制での政治自体の役割の差を十分に理解していないか、民主党政権に現実路線への転換を迫る意見と言えよう。政治学においては、各種の統計や社会科学的な分析から、施策等の費用対効果、選択肢などを提示することが出来る。しかし民主主義政治においては、施策に優先度を付け、選択するのは異なる価値観や生活観を持つ国民、有権者であり、それを選択する場が選挙となっている。現在の多数決に基づく選挙制度がベストであるか否かは別として、価値観や生活観に優劣を付けることは社会科学の領域を超え、個々人の選択の問題である。
 09年8月、国民は民主党政権への交代を選択した。それは国民の選択であるので、基本的には次の総選挙までの4年間は尊重されなくてはならない。その際民主党はマニフェストを掲げ、鳩山代表は「国民との契約」とした。マニフェストは、政党や団体・組織の国民等への「主張」であり公約、誓約を意味する。旧政権においては、“公約は破るもの”と述べた議員もおり、政治とはそんなものとの印象を有権者に与えたが、それが繰り返されれば政党不信や政治不信を招き、その結果が大なり小なり選挙に出ることになる。選挙は、ある意味で市場における消費者の商品、サービスの選択に似ている。日本の消費者は近時可なり合理的な選択をするようになったが、戦後65年間の選挙を経験して有権者が選挙において大なり小なり合理的な選択をするようになって来ている。戦後一時期、“衆愚政治”とか“大衆迎合政治”などと言われ、国民がしっかりしないとそのようになる恐れはあり、また“一票の格差”の是正など、選挙制度の改善を図る必要はあるが、選挙結果を尊重することが民主主義の原点であろう。
 マニフェストや公約で訴えられた施策は、社会的価値や優先度の転換、それに伴う予算配分の転換などを伴う場合があるが、それを理想論や空想論として安易に現実論に転換するのではなく、国民より信託を得た4年間という任期の中で実現する努力をするべきなのであろう。俗に「民主党らしさ」が問われているようだが、与党に反対ばかりしている野党臭さが期待されているわけではなく、政権与党として如何にマニフェストの内容を具体的な施策に置き換え、実現して行くことが問われているのではないだろうか。国民もそれを期待しているのであろう。一部の議員は未だに野党臭さを脱し切れておらず、一部の議員は現実論に引っ張られ過ぎているようにも見える。
内閣各部は、マニフェストに沿って所掌事項の実現が期待されている。マニフェストの範囲内であれば、具体論は各大臣に委ねられていると言えようが、マニフェストに沿わない場合や変更を加える場合は関係大臣はもとより、首相と協議し、指示を得るべきであろう。同時に、党としてのマニフェストであるので、首相が党側の考え方を確認・調整して置く必要があろう。
無論マニフェストを実現しようとすれば、野党や保守層、既得権益グループから反発や異論が出されようが、選挙で示されたマニフェスト、公約を実現して行くことこそが政権政党としての「らしさ」を具体的に示すことになるのであろう。マニフェスト作成時と前提が異なるような大きな社会、経済的な変化や国際環境の変化などがある場合については、当然のことながら柔軟な修正や調整が行われるべきであろうが、有権者はマニフェストの全部ではないにしてもそれぞれの関心事項を支持し信任したのであろうから、なるべく多くの項目を実現して行くことが全体としてより多くの有権者の信任、期待に答えることになる。
 また個々の候補者が有権者に訴え、公約したことは、各議員と有権者との約束であり、マニフェストと共に実現に努めるべきであろう。ましてや党の代表として公約したことは党の責任者としての発言であり、その発言は重い。
 しかし毎週のように各メデイアから出される世論調査に一喜一憂する必要はない。昨年8月の総選挙で現政権に与えた信託は4年間であるので、基本的には4年間で結果を出せば良いのであろう。特に現政権は、戦後の民主主義制度の下で国民が選択した初めての実質的な政権交代であり、政権運営を経験している幹部がほとんどいないため、政権発足当初は試行錯誤があることは避けられない。何にでも初めがあるので、民主主義を育てる観点から多少長い目で見ることも必要なのであろう。国民にとっても「未知との遭遇」であり、ある程度の寛容さが必要かもしれない。そうでないと何時までも日本の政治が落ち着かず、安定した政権運営が出来ない。
先の英国の下院選挙で、労働党が下野し、第一党の保守党と第三党の自由民主党が連立内閣に合意すると共に、5年間は解散、総選挙を行わないことに合意している。現在の世界の難局を乗り越えるため政治的安定を重視したもので、一つの見識である。(05.10.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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 昨年9月の民主党政権発足後、選挙中に掲げたマニフェストに基づきどのような政策が推進されるかが注目されたが、野党自民党など保守勢力を中心として、新政権下での施策の「現実性」が問われると共に、7月の参院選挙を前にして党内からもマニフェストの再検討の必要性が指摘されている。
1、 マニフェストは「空想論」か現実論優先か
 特に外交、安全保障問題において、政権交代により日米同盟関係の行方が懸念され、その象徴的な問題として沖縄の米軍普天間飛行場の移設先が大きくクローズアップされた。また経済の停滞による歳入減に伴う財源の制約の中で、
マニフェストの目玉となった「子供手当て」と「高速道路の無償化」や「無駄の排除」を含む公務員制度の改革と「政治主導の確立」など、国内施策についても「現実論」が問われている。その多くは保守勢力からの疑問だが、いわゆる識者の中にも「マニフェストのままは空想論」などとする評論を行っている。しかし、このような見方は政治学と民主主義体制での政治自体の役割の差を十分に理解していないか、民主党政権に現実路線への転換を迫る意見と言えよう。政治学においては、各種の統計や社会科学的な分析から、施策等の費用対効果、選択肢などを提示することが出来る。しかし民主主義政治においては、施策に優先度を付け、選択するのは異なる価値観や生活観を持つ国民、有権者であり、それを選択する場が選挙となっている。現在の多数決に基づく選挙制度がベストであるか否かは別として、価値観や生活観に優劣を付けることは社会科学の領域を超え、個々人の選択の問題である。
 09年8月、国民は民主党政権への交代を選択した。それは国民の選択であるので、基本的には次の総選挙までの4年間は尊重されなくてはならない。その際民主党はマニフェストを掲げ、鳩山代表は「国民との契約」とした。マニフェストは、政党や団体・組織の国民等への「主張」であり公約、誓約を意味する。旧政権においては、“公約は破るもの”と述べた議員もおり、政治とはそんなものとの印象を有権者に与えたが、それが繰り返されれば政党不信や政治不信を招き、その結果が大なり小なり選挙に出ることになる。選挙は、ある意味で市場における消費者の商品、サービスの選択に似ている。日本の消費者は近時可なり合理的な選択をするようになったが、戦後65年間の選挙を経験して有権者が選挙において大なり小なり合理的な選択をするようになって来ている。戦後一時期、“衆愚政治”とか“大衆迎合政治”などと言われ、国民がしっかりしないとそのようになる恐れはあり、また“一票の格差”の是正など、選挙制度の改善を図る必要はあるが、選挙結果を尊重することが民主主義の原点であろう。
 マニフェストや公約で訴えられた施策は、社会的価値や優先度の転換、それに伴う予算配分の転換などを伴う場合があるが、それを理想論や空想論として安易に現実論に転換するのではなく、国民より信託を得た4年間という任期の中で実現する努力をするべきなのであろう。俗に「民主党らしさ」が問われているようだが、与党に反対ばかりしている野党臭さが期待されているわけではなく、政権与党として如何にマニフェストの内容を具体的な施策に置き換え、実現して行くことが問われているのではないだろうか。国民もそれを期待しているのであろう。一部の議員は未だに野党臭さを脱し切れておらず、一部の議員は現実論に引っ張られ過ぎているようにも見える。
内閣各部は、マニフェストに沿って所掌事項の実現が期待されている。マニフェストの範囲内であれば、具体論は各大臣に委ねられていると言えようが、マニフェストに沿わない場合や変更を加える場合は関係大臣はもとより、首相と協議し、指示を得るべきであろう。同時に、党としてのマニフェストであるので、首相が党側の考え方を確認・調整して置く必要があろう。
無論マニフェストを実現しようとすれば、野党や保守層、既得権益グループから反発や異論が出されようが、選挙で示されたマニフェスト、公約を実現して行くことこそが政権政党としての「らしさ」を具体的に示すことになるのであろう。マニフェスト作成時と前提が異なるような大きな社会、経済的な変化や国際環境の変化などがある場合については、当然のことながら柔軟な修正や調整が行われるべきであろうが、有権者はマニフェストの全部ではないにしてもそれぞれの関心事項を支持し信任したのであろうから、なるべく多くの項目を実現して行くことが全体としてより多くの有権者の信任、期待に答えることになる。
 また個々の候補者が有権者に訴え、公約したことは、各議員と有権者との約束であり、マニフェストと共に実現に努めるべきであろう。ましてや党の代表として公約したことは党の責任者としての発言であり、その発言は重い。
 しかし毎週のように各メデイアから出される世論調査に一喜一憂する必要はない。昨年8月の総選挙で現政権に与えた信託は4年間であるので、基本的には4年間で結果を出せば良いのであろう。特に現政権は、戦後の民主主義制度の下で国民が選択した初めての実質的な政権交代であり、政権運営を経験している幹部がほとんどいないため、政権発足当初は試行錯誤があることは避けられない。何にでも初めがあるので、民主主義を育てる観点から多少長い目で見ることも必要なのであろう。国民にとっても「未知との遭遇」であり、ある程度の寛容さが必要かもしれない。そうでないと何時までも日本の政治が落ち着かず、安定した政権運営が出来ない。
先の英国の下院選挙で、労働党が下野し、第一党の保守党と第三党の自由民主党が連立内閣に合意すると共に、5年間は解散、総選挙を行わないことに合意している。現在の世界の難局を乗り越えるため政治的安定を重視したもので、一つの見識である。(05.10.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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 昨年9月の民主党政権発足後、選挙中に掲げたマニフェストに基づきどのような政策が推進されるかが注目されたが、野党自民党など保守勢力を中心として、新政権下での施策の「現実性」が問われると共に、7月の参院選挙を前にして党内からもマニフェストの再検討の必要性が指摘されている。
1、 マニフェストは「空想論」か現実論優先か
 特に外交、安全保障問題において、政権交代により日米同盟関係の行方が懸念され、その象徴的な問題として沖縄の米軍普天間飛行場の移設先が大きくクローズアップされた。また経済の停滞による歳入減に伴う財源の制約の中で、
マニフェストの目玉となった「子供手当て」と「高速道路の無償化」や「無駄の排除」を含む公務員制度の改革と「政治主導の確立」など、国内施策についても「現実論」が問われている。その多くは保守勢力からの疑問だが、いわゆる識者の中にも「マニフェストのままは空想論」などとする評論を行っている。しかし、このような見方は政治学と民主主義体制での政治自体の役割の差を十分に理解していないか、民主党政権に現実路線への転換を迫る意見と言えよう。政治学においては、各種の統計や社会科学的な分析から、施策等の費用対効果、選択肢などを提示することが出来る。しかし民主主義政治においては、施策に優先度を付け、選択するのは異なる価値観や生活観を持つ国民、有権者であり、それを選択する場が選挙となっている。現在の多数決に基づく選挙制度がベストであるか否かは別として、価値観や生活観に優劣を付けることは社会科学の領域を超え、個々人の選択の問題である。
 09年8月、国民は民主党政権への交代を選択した。それは国民の選択であるので、基本的には次の総選挙までの4年間は尊重されなくてはならない。その際民主党はマニフェストを掲げ、鳩山代表は「国民との契約」とした。マニフェストは、政党や団体・組織の国民等への「主張」であり公約、誓約を意味する。旧政権においては、“公約は破るもの”と述べた議員もおり、政治とはそんなものとの印象を有権者に与えたが、それが繰り返されれば政党不信や政治不信を招き、その結果が大なり小なり選挙に出ることになる。選挙は、ある意味で市場における消費者の商品、サービスの選択に似ている。日本の消費者は近時可なり合理的な選択をするようになったが、戦後65年間の選挙を経験して有権者が選挙において大なり小なり合理的な選択をするようになって来ている。戦後一時期、“衆愚政治”とか“大衆迎合政治”などと言われ、国民がしっかりしないとそのようになる恐れはあり、また“一票の格差”の是正など、選挙制度の改善を図る必要はあるが、選挙結果を尊重することが民主主義の原点であろう。
 マニフェストや公約で訴えられた施策は、社会的価値や優先度の転換、それに伴う予算配分の転換などを伴う場合があるが、それを理想論や空想論として安易に現実論に転換するのではなく、国民より信託を得た4年間という任期の中で実現する努力をするべきなのであろう。俗に「民主党らしさ」が問われているようだが、与党に反対ばかりしている野党臭さが期待されているわけではなく、政権与党として如何にマニフェストの内容を具体的な施策に置き換え、実現して行くことが問われているのではないだろうか。国民もそれを期待しているのであろう。一部の議員は未だに野党臭さを脱し切れておらず、一部の議員は現実論に引っ張られ過ぎているようにも見える。
内閣各部は、マニフェストに沿って所掌事項の実現が期待されている。マニフェストの範囲内であれば、具体論は各大臣に委ねられていると言えようが、マニフェストに沿わない場合や変更を加える場合は関係大臣はもとより、首相と協議し、指示を得るべきであろう。同時に、党としてのマニフェストであるので、首相が党側の考え方を確認・調整して置く必要があろう。
無論マニフェストを実現しようとすれば、野党や保守層、既得権益グループから反発や異論が出されようが、選挙で示されたマニフェスト、公約を実現して行くことこそが政権政党としての「らしさ」を具体的に示すことになるのであろう。マニフェスト作成時と前提が異なるような大きな社会、経済的な変化や国際環境の変化などがある場合については、当然のことながら柔軟な修正や調整が行われるべきであろうが、有権者はマニフェストの全部ではないにしてもそれぞれの関心事項を支持し信任したのであろうから、なるべく多くの項目を実現して行くことが全体としてより多くの有権者の信任、期待に答えることになる。
 また個々の候補者が有権者に訴え、公約したことは、各議員と有権者との約束であり、マニフェストと共に実現に努めるべきであろう。ましてや党の代表として公約したことは党の責任者としての発言であり、その発言は重い。
 しかし毎週のように各メデイアから出される世論調査に一喜一憂する必要はない。昨年8月の総選挙で現政権に与えた信託は4年間であるので、基本的には4年間で結果を出せば良いのであろう。特に現政権は、戦後の民主主義制度の下で国民が選択した初めての実質的な政権交代であり、政権運営を経験している幹部がほとんどいないため、政権発足当初は試行錯誤があることは避けられない。何にでも初めがあるので、民主主義を育てる観点から多少長い目で見ることも必要なのであろう。国民にとっても「未知との遭遇」であり、ある程度の寛容さが必要かもしれない。そうでないと何時までも日本の政治が落ち着かず、安定した政権運営が出来ない。
先の英国の下院選挙で、労働党が下野し、第一党の保守党と第三党の自由民主党が連立内閣に合意すると共に、5年間は解散、総選挙を行わないことに合意している。現在の世界の難局を乗り越えるため政治的安定を重視したもので、一つの見識である。(05.10.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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 昨年9月の民主党政権発足後、選挙中に掲げたマニフェストに基づきどのような政策が推進されるかが注目されたが、野党自民党など保守勢力を中心として、新政権下での施策の「現実性」が問われると共に、7月の参院選挙を前にして党内からもマニフェストの再検討の必要性が指摘されている。
1、 マニフェストは「空想論」か現実論優先か
 特に外交、安全保障問題において、政権交代により日米同盟関係の行方が懸念され、その象徴的な問題として沖縄の米軍普天間飛行場の移設先が大きくクローズアップされた。また経済の停滞による歳入減に伴う財源の制約の中で、
マニフェストの目玉となった「子供手当て」と「高速道路の無償化」や「無駄の排除」を含む公務員制度の改革と「政治主導の確立」など、国内施策についても「現実論」が問われている。その多くは保守勢力からの疑問だが、いわゆる識者の中にも「マニフェストのままは空想論」などとする評論を行っている。しかし、このような見方は政治学と民主主義体制での政治自体の役割の差を十分に理解していないか、民主党政権に現実路線への転換を迫る意見と言えよう。政治学においては、各種の統計や社会科学的な分析から、施策等の費用対効果、選択肢などを提示することが出来る。しかし民主主義政治においては、施策に優先度を付け、選択するのは異なる価値観や生活観を持つ国民、有権者であり、それを選択する場が選挙となっている。現在の多数決に基づく選挙制度がベストであるか否かは別として、価値観や生活観に優劣を付けることは社会科学の領域を超え、個々人の選択の問題である。
 09年8月、国民は民主党政権への交代を選択した。それは国民の選択であるので、基本的には次の総選挙までの4年間は尊重されなくてはならない。その際民主党はマニフェストを掲げ、鳩山代表は「国民との契約」とした。マニフェストは、政党や団体・組織の国民等への「主張」であり公約、誓約を意味する。旧政権においては、“公約は破るもの”と述べた議員もおり、政治とはそんなものとの印象を有権者に与えたが、それが繰り返されれば政党不信や政治不信を招き、その結果が大なり小なり選挙に出ることになる。選挙は、ある意味で市場における消費者の商品、サービスの選択に似ている。日本の消費者は近時可なり合理的な選択をするようになったが、戦後65年間の選挙を経験して有権者が選挙において大なり小なり合理的な選択をするようになって来ている。戦後一時期、“衆愚政治”とか“大衆迎合政治”などと言われ、国民がしっかりしないとそのようになる恐れはあり、また“一票の格差”の是正など、選挙制度の改善を図る必要はあるが、選挙結果を尊重することが民主主義の原点であろう。
 マニフェストや公約で訴えられた施策は、社会的価値や優先度の転換、それに伴う予算配分の転換などを伴う場合があるが、それを理想論や空想論として安易に現実論に転換するのではなく、国民より信託を得た4年間という任期の中で実現する努力をするべきなのであろう。俗に「民主党らしさ」が問われているようだが、与党に反対ばかりしている野党臭さが期待されているわけではなく、政権与党として如何にマニフェストの内容を具体的な施策に置き換え、実現して行くことが問われているのではないだろうか。国民もそれを期待しているのであろう。一部の議員は未だに野党臭さを脱し切れておらず、一部の議員は現実論に引っ張られ過ぎているようにも見える。
内閣各部は、マニフェストに沿って所掌事項の実現が期待されている。マニフェストの範囲内であれば、具体論は各大臣に委ねられていると言えようが、マニフェストに沿わない場合や変更を加える場合は関係大臣はもとより、首相と協議し、指示を得るべきであろう。同時に、党としてのマニフェストであるので、首相が党側の考え方を確認・調整して置く必要があろう。
無論マニフェストを実現しようとすれば、野党や保守層、既得権益グループから反発や異論が出されようが、選挙で示されたマニフェスト、公約を実現して行くことこそが政権政党としての「らしさ」を具体的に示すことになるのであろう。マニフェスト作成時と前提が異なるような大きな社会、経済的な変化や国際環境の変化などがある場合については、当然のことながら柔軟な修正や調整が行われるべきであろうが、有権者はマニフェストの全部ではないにしてもそれぞれの関心事項を支持し信任したのであろうから、なるべく多くの項目を実現して行くことが全体としてより多くの有権者の信任、期待に答えることになる。
 また個々の候補者が有権者に訴え、公約したことは、各議員と有権者との約束であり、マニフェストと共に実現に努めるべきであろう。ましてや党の代表として公約したことは党の責任者としての発言であり、その発言は重い。
 しかし毎週のように各メデイアから出される世論調査に一喜一憂する必要はない。昨年8月の総選挙で現政権に与えた信託は4年間であるので、基本的には4年間で結果を出せば良いのであろう。特に現政権は、戦後の民主主義制度の下で国民が選択した初めての実質的な政権交代であり、政権運営を経験している幹部がほとんどいないため、政権発足当初は試行錯誤があることは避けられない。何にでも初めがあるので、民主主義を育てる観点から多少長い目で見ることも必要なのであろう。国民にとっても「未知との遭遇」であり、ある程度の寛容さが必要かもしれない。そうでないと何時までも日本の政治が落ち着かず、安定した政権運営が出来ない。
先の英国の下院選挙で、労働党が下野し、第一党の保守党と第三党の自由民主党が連立内閣に合意すると共に、5年間は解散、総選挙を行わないことに合意している。現在の世界の難局を乗り越えるため政治的安定を重視したもので、一つの見識である。(05.10.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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たかがマニフェスト、されどマニフェスト(その1)

2010-05-22 | Weblog
たかがマニフェスト、されどマニフェスト(その1)
 昨年9月の民主党政権発足後、選挙中に掲げたマニフェストに基づきどのような政策が推進されるかが注目されたが、野党自民党など保守勢力を中心として、新政権下での施策の「現実性」が問われると共に、7月の参院選挙を前にして党内からもマニフェストの再検討の必要性が指摘されている。
1、 マニフェストは「空想論」か現実論優先か
 特に外交、安全保障問題において、政権交代により日米同盟関係の行方が懸念され、その象徴的な問題として沖縄の米軍普天間飛行場の移設先が大きくクローズアップされた。また経済の停滞による歳入減に伴う財源の制約の中で、
マニフェストの目玉となった「子供手当て」と「高速道路の無償化」や「無駄の排除」を含む公務員制度の改革と「政治主導の確立」など、国内施策についても「現実論」が問われている。その多くは保守勢力からの疑問だが、いわゆる識者の中にも「マニフェストのままは空想論」などとする評論を行っている。しかし、このような見方は政治学と民主主義体制での政治自体の役割の差を十分に理解していないか、民主党政権に現実路線への転換を迫る意見と言えよう。政治学においては、各種の統計や社会科学的な分析から、施策等の費用対効果、選択肢などを提示することが出来る。しかし民主主義政治においては、施策に優先度を付け、選択するのは異なる価値観や生活観を持つ国民、有権者であり、それを選択する場が選挙となっている。現在の多数決に基づく選挙制度がベストであるか否かは別として、価値観や生活観に優劣を付けることは社会科学の領域を超え、個々人の選択の問題である。
 09年8月、国民は民主党政権への交代を選択した。それは国民の選択であるので、基本的には次の総選挙までの4年間は尊重されなくてはならない。その際民主党はマニフェストを掲げ、鳩山代表は「国民との契約」とした。マニフェストは、政党や団体・組織の国民等への「主張」であり公約、誓約を意味する。旧政権においては、“公約は破るもの”と述べた議員もおり、政治とはそんなものとの印象を有権者に与えたが、それが繰り返されれば政党不信や政治不信を招き、その結果が大なり小なり選挙に出ることになる。選挙は、ある意味で市場における消費者の商品、サービスの選択に似ている。日本の消費者は近時可なり合理的な選択をするようになったが、戦後65年間の選挙を経験して有権者が選挙において大なり小なり合理的な選択をするようになって来ている。戦後一時期、“衆愚政治”とか“大衆迎合政治”などと言われ、国民がしっかりしないとそのようになる恐れはあり、また“一票の格差”の是正など、選挙制度の改善を図る必要はあるが、選挙結果を尊重することが民主主義の原点であろう。
 マニフェストや公約で訴えられた施策は、社会的価値や優先度の転換、それに伴う予算配分の転換などを伴う場合があるが、それを理想論や空想論として安易に現実論に転換するのではなく、国民より信託を得た4年間という任期の中で実現する努力をするべきなのであろう。俗に「民主党らしさ」が問われているようだが、与党に反対ばかりしている野党臭さが期待されているわけではなく、政権与党として如何にマニフェストの内容を具体的な施策に置き換え、実現して行くことが問われているのではないだろうか。国民もそれを期待しているのであろう。一部の議員は未だに野党臭さを脱し切れておらず、一部の議員は現実論に引っ張られ過ぎているようにも見える。
内閣各部は、マニフェストに沿って所掌事項の実現が期待されている。マニフェストの範囲内であれば、具体論は各大臣に委ねられていると言えようが、マニフェストに沿わない場合や変更を加える場合は関係大臣はもとより、首相と協議し、指示を得るべきであろう。同時に、党としてのマニフェストであるので、首相が党側の考え方を確認・調整して置く必要があろう。
無論マニフェストを実現しようとすれば、野党や保守層、既得権益グループから反発や異論が出されようが、選挙で示されたマニフェスト、公約を実現して行くことこそが政権政党としての「らしさ」を具体的に示すことになるのであろう。マニフェスト作成時と前提が異なるような大きな社会、経済的な変化や国際環境の変化などがある場合については、当然のことながら柔軟な修正や調整が行われるべきであろうが、有権者はマニフェストの全部ではないにしてもそれぞれの関心事項を支持し信任したのであろうから、なるべく多くの項目を実現して行くことが全体としてより多くの有権者の信任、期待に答えることになる。
 また個々の候補者が有権者に訴え、公約したことは、各議員と有権者との約束であり、マニフェストと共に実現に努めるべきであろう。ましてや党の代表として公約したことは党の責任者としての発言であり、その発言は重い。
 しかし毎週のように各メデイアから出される世論調査に一喜一憂する必要はない。昨年8月の総選挙で現政権に与えた信託は4年間であるので、基本的には4年間で結果を出せば良いのであろう。特に現政権は、戦後の民主主義制度の下で国民が選択した初めての実質的な政権交代であり、政権運営を経験している幹部がほとんどいないため、政権発足当初は試行錯誤があることは避けられない。何にでも初めがあるので、民主主義を育てる観点から多少長い目で見ることも必要なのであろう。国民にとっても「未知との遭遇」であり、ある程度の寛容さが必要かもしれない。そうでないと何時までも日本の政治が落ち着かず、安定した政権運営が出来ない。
先の英国の下院選挙で、労働党が下野し、第一党の保守党と第三党の自由民主党が連立内閣に合意すると共に、5年間は解散、総選挙を行わないことに合意している。現在の世界の難局を乗り越えるため政治的安定を重視したもので、一つの見識である。(05.10.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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たかがマニフェスト、されどマニフェスト(その1)

2010-05-22 | Weblog
たかがマニフェスト、されどマニフェスト(その1)
 昨年9月の民主党政権発足後、選挙中に掲げたマニフェストに基づきどのような政策が推進されるかが注目されたが、野党自民党など保守勢力を中心として、新政権下での施策の「現実性」が問われると共に、7月の参院選挙を前にして党内からもマニフェストの再検討の必要性が指摘されている。
1、 マニフェストは「空想論」か現実論優先か
 特に外交、安全保障問題において、政権交代により日米同盟関係の行方が懸念され、その象徴的な問題として沖縄の米軍普天間飛行場の移設先が大きくクローズアップされた。また経済の停滞による歳入減に伴う財源の制約の中で、
マニフェストの目玉となった「子供手当て」と「高速道路の無償化」や「無駄の排除」を含む公務員制度の改革と「政治主導の確立」など、国内施策についても「現実論」が問われている。その多くは保守勢力からの疑問だが、いわゆる識者の中にも「マニフェストのままは空想論」などとする評論を行っている。しかし、このような見方は政治学と民主主義体制での政治自体の役割の差を十分に理解していないか、民主党政権に現実路線への転換を迫る意見と言えよう。政治学においては、各種の統計や社会科学的な分析から、施策等の費用対効果、選択肢などを提示することが出来る。しかし民主主義政治においては、施策に優先度を付け、選択するのは異なる価値観や生活観を持つ国民、有権者であり、それを選択する場が選挙となっている。現在の多数決に基づく選挙制度がベストであるか否かは別として、価値観や生活観に優劣を付けることは社会科学の領域を超え、個々人の選択の問題である。
 09年8月、国民は民主党政権への交代を選択した。それは国民の選択であるので、基本的には次の総選挙までの4年間は尊重されなくてはならない。その際民主党はマニフェストを掲げ、鳩山代表は「国民との契約」とした。マニフェストは、政党や団体・組織の国民等への「主張」であり公約、誓約を意味する。旧政権においては、“公約は破るもの”と述べた議員もおり、政治とはそんなものとの印象を有権者に与えたが、それが繰り返されれば政党不信や政治不信を招き、その結果が大なり小なり選挙に出ることになる。選挙は、ある意味で市場における消費者の商品、サービスの選択に似ている。日本の消費者は近時可なり合理的な選択をするようになったが、戦後65年間の選挙を経験して有権者が選挙において大なり小なり合理的な選択をするようになって来ている。戦後一時期、“衆愚政治”とか“大衆迎合政治”などと言われ、国民がしっかりしないとそのようになる恐れはあり、また“一票の格差”の是正など、選挙制度の改善を図る必要はあるが、選挙結果を尊重することが民主主義の原点であろう。
 マニフェストや公約で訴えられた施策は、社会的価値や優先度の転換、それに伴う予算配分の転換などを伴う場合があるが、それを理想論や空想論として安易に現実論に転換するのではなく、国民より信託を得た4年間という任期の中で実現する努力をするべきなのであろう。俗に「民主党らしさ」が問われているようだが、与党に反対ばかりしている野党臭さが期待されているわけではなく、政権与党として如何にマニフェストの内容を具体的な施策に置き換え、実現して行くことが問われているのではないだろうか。国民もそれを期待しているのであろう。一部の議員は未だに野党臭さを脱し切れておらず、一部の議員は現実論に引っ張られ過ぎているようにも見える。
内閣各部は、マニフェストに沿って所掌事項の実現が期待されている。マニフェストの範囲内であれば、具体論は各大臣に委ねられていると言えようが、マニフェストに沿わない場合や変更を加える場合は関係大臣はもとより、首相と協議し、指示を得るべきであろう。同時に、党としてのマニフェストであるので、首相が党側の考え方を確認・調整して置く必要があろう。
無論マニフェストを実現しようとすれば、野党や保守層、既得権益グループから反発や異論が出されようが、選挙で示されたマニフェスト、公約を実現して行くことこそが政権政党としての「らしさ」を具体的に示すことになるのであろう。マニフェスト作成時と前提が異なるような大きな社会、経済的な変化や国際環境の変化などがある場合については、当然のことながら柔軟な修正や調整が行われるべきであろうが、有権者はマニフェストの全部ではないにしてもそれぞれの関心事項を支持し信任したのであろうから、なるべく多くの項目を実現して行くことが全体としてより多くの有権者の信任、期待に答えることになる。
 また個々の候補者が有権者に訴え、公約したことは、各議員と有権者との約束であり、マニフェストと共に実現に努めるべきであろう。ましてや党の代表として公約したことは党の責任者としての発言であり、その発言は重い。
 しかし毎週のように各メデイアから出される世論調査に一喜一憂する必要はない。昨年8月の総選挙で現政権に与えた信託は4年間であるので、基本的には4年間で結果を出せば良いのであろう。特に現政権は、戦後の民主主義制度の下で国民が選択した初めての実質的な政権交代であり、政権運営を経験している幹部がほとんどいないため、政権発足当初は試行錯誤があることは避けられない。何にでも初めがあるので、民主主義を育てる観点から多少長い目で見ることも必要なのであろう。国民にとっても「未知との遭遇」であり、ある程度の寛容さが必要かもしれない。そうでないと何時までも日本の政治が落ち着かず、安定した政権運営が出来ない。
先の英国の下院選挙で、労働党が下野し、第一党の保守党と第三党の自由民主党が連立内閣に合意すると共に、5年間は解散、総選挙を行わないことに合意している。現在の世界の難局を乗り越えるため政治的安定を重視したもので、一つの見識である。(05.10.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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 昨年9月の民主党政権発足後、選挙中に掲げたマニフェストに基づきどのような政策が推進されるかが注目されたが、野党自民党など保守勢力を中心として、新政権下での施策の「現実性」が問われると共に、7月の参院選挙を前にして党内からもマニフェストの再検討の必要性が指摘されている。
1、 マニフェストは「空想論」か現実論優先か
 特に外交、安全保障問題において、政権交代により日米同盟関係の行方が懸念され、その象徴的な問題として沖縄の米軍普天間飛行場の移設先が大きくクローズアップされた。また経済の停滞による歳入減に伴う財源の制約の中で、
マニフェストの目玉となった「子供手当て」と「高速道路の無償化」や「無駄の排除」を含む公務員制度の改革と「政治主導の確立」など、国内施策についても「現実論」が問われている。その多くは保守勢力からの疑問だが、いわゆる識者の中にも「マニフェストのままは空想論」などとする評論を行っている。しかし、このような見方は政治学と民主主義体制での政治自体の役割の差を十分に理解していないか、民主党政権に現実路線への転換を迫る意見と言えよう。政治学においては、各種の統計や社会科学的な分析から、施策等の費用対効果、選択肢などを提示することが出来る。しかし民主主義政治においては、施策に優先度を付け、選択するのは異なる価値観や生活観を持つ国民、有権者であり、それを選択する場が選挙となっている。現在の多数決に基づく選挙制度がベストであるか否かは別として、価値観や生活観に優劣を付けることは社会科学の領域を超え、個々人の選択の問題である。
 09年8月、国民は民主党政権への交代を選択した。それは国民の選択であるので、基本的には次の総選挙までの4年間は尊重されなくてはならない。その際民主党はマニフェストを掲げ、鳩山代表は「国民との契約」とした。マニフェストは、政党や団体・組織の国民等への「主張」であり公約、誓約を意味する。旧政権においては、“公約は破るもの”と述べた議員もおり、政治とはそんなものとの印象を有権者に与えたが、それが繰り返されれば政党不信や政治不信を招き、その結果が大なり小なり選挙に出ることになる。選挙は、ある意味で市場における消費者の商品、サービスの選択に似ている。日本の消費者は近時可なり合理的な選択をするようになったが、戦後65年間の選挙を経験して有権者が選挙において大なり小なり合理的な選択をするようになって来ている。戦後一時期、“衆愚政治”とか“大衆迎合政治”などと言われ、国民がしっかりしないとそのようになる恐れはあり、また“一票の格差”の是正など、選挙制度の改善を図る必要はあるが、選挙結果を尊重することが民主主義の原点であろう。
 マニフェストや公約で訴えられた施策は、社会的価値や優先度の転換、それに伴う予算配分の転換などを伴う場合があるが、それを理想論や空想論として安易に現実論に転換するのではなく、国民より信託を得た4年間という任期の中で実現する努力をするべきなのであろう。俗に「民主党らしさ」が問われているようだが、与党に反対ばかりしている野党臭さが期待されているわけではなく、政権与党として如何にマニフェストの内容を具体的な施策に置き換え、実現して行くことが問われているのではないだろうか。国民もそれを期待しているのであろう。一部の議員は未だに野党臭さを脱し切れておらず、一部の議員は現実論に引っ張られ過ぎているようにも見える。
内閣各部は、マニフェストに沿って所掌事項の実現が期待されている。マニフェストの範囲内であれば、具体論は各大臣に委ねられていると言えようが、マニフェストに沿わない場合や変更を加える場合は関係大臣はもとより、首相と協議し、指示を得るべきであろう。同時に、党としてのマニフェストであるので、首相が党側の考え方を確認・調整して置く必要があろう。
無論マニフェストを実現しようとすれば、野党や保守層、既得権益グループから反発や異論が出されようが、選挙で示されたマニフェスト、公約を実現して行くことこそが政権政党としての「らしさ」を具体的に示すことになるのであろう。マニフェスト作成時と前提が異なるような大きな社会、経済的な変化や国際環境の変化などがある場合については、当然のことながら柔軟な修正や調整が行われるべきであろうが、有権者はマニフェストの全部ではないにしてもそれぞれの関心事項を支持し信任したのであろうから、なるべく多くの項目を実現して行くことが全体としてより多くの有権者の信任、期待に答えることになる。
 また個々の候補者が有権者に訴え、公約したことは、各議員と有権者との約束であり、マニフェストと共に実現に努めるべきであろう。ましてや党の代表として公約したことは党の責任者としての発言であり、その発言は重い。
 しかし毎週のように各メデイアから出される世論調査に一喜一憂する必要はない。昨年8月の総選挙で現政権に与えた信託は4年間であるので、基本的には4年間で結果を出せば良いのであろう。特に現政権は、戦後の民主主義制度の下で国民が選択した初めての実質的な政権交代であり、政権運営を経験している幹部がほとんどいないため、政権発足当初は試行錯誤があることは避けられない。何にでも初めがあるので、民主主義を育てる観点から多少長い目で見ることも必要なのであろう。国民にとっても「未知との遭遇」であり、ある程度の寛容さが必要かもしれない。そうでないと何時までも日本の政治が落ち着かず、安定した政権運営が出来ない。
先の英国の下院選挙で、労働党が下野し、第一党の保守党と第三党の自由民主党が連立内閣に合意すると共に、5年間は解散、総選挙を行わないことに合意している。現在の世界の難局を乗り越えるため政治的安定を重視したもので、一つの見識である。(05.10.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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2010-05-21 | Weblog
たかがマニフェスト、されどマニフェスト(その1)
 昨年9月の民主党政権発足後、選挙中に掲げたマニフェストに基づきどのような政策が推進されるかが注目されたが、野党自民党など保守勢力を中心として、新政権下での施策の「現実性」が問われると共に、7月の参院選挙を前にして党内からもマニフェストの再検討の必要性が指摘されている。
1、 マニフェストは「空想論」か現実論優先か
 特に外交、安全保障問題において、政権交代により日米同盟関係の行方が懸念され、その象徴的な問題として沖縄の米軍普天間飛行場の移設先が大きくクローズアップされた。また経済の停滞による歳入減に伴う財源の制約の中で、
マニフェストの目玉となった「子供手当て」と「高速道路の無償化」や「無駄の排除」を含む公務員制度の改革と「政治主導の確立」など、国内施策についても「現実論」が問われている。その多くは保守勢力からの疑問だが、いわゆる識者の中にも「マニフェストのままは空想論」などとする評論を行っている。しかし、このような見方は政治学と民主主義体制での政治自体の役割の差を十分に理解していないか、民主党政権に現実路線への転換を迫る意見と言えよう。政治学においては、各種の統計や社会科学的な分析から、施策等の費用対効果、選択肢などを提示することが出来る。しかし民主主義政治においては、施策に優先度を付け、選択するのは異なる価値観や生活観を持つ国民、有権者であり、それを選択する場が選挙となっている。現在の多数決に基づく選挙制度がベストであるか否かは別として、価値観や生活観に優劣を付けることは社会科学の領域を超え、個々人の選択の問題である。
 09年8月、国民は民主党政権への交代を選択した。それは国民の選択であるので、基本的には次の総選挙までの4年間は尊重されなくてはならない。その際民主党はマニフェストを掲げ、鳩山代表は「国民との契約」とした。マニフェストは、政党や団体・組織の国民等への「主張」であり公約、誓約を意味する。旧政権においては、“公約は破るもの”と述べた議員もおり、政治とはそんなものとの印象を有権者に与えたが、それが繰り返されれば政党不信や政治不信を招き、その結果が大なり小なり選挙に出ることになる。選挙は、ある意味で市場における消費者の商品、サービスの選択に似ている。日本の消費者は近時可なり合理的な選択をするようになったが、戦後65年間の選挙を経験して有権者が選挙において大なり小なり合理的な選択をするようになって来ている。戦後一時期、“衆愚政治”とか“大衆迎合政治”などと言われ、国民がしっかりしないとそのようになる恐れはあり、また“一票の格差”の是正など、選挙制度の改善を図る必要はあるが、選挙結果を尊重することが民主主義の原点であろう。
 マニフェストや公約で訴えられた施策は、社会的価値や優先度の転換、それに伴う予算配分の転換などを伴う場合があるが、それを理想論や空想論として安易に現実論に転換するのではなく、国民より信託を得た4年間という任期の中で実現する努力をするべきなのであろう。俗に「民主党らしさ」が問われているようだが、与党に反対ばかりしている野党臭さが期待されているわけではなく、政権与党として如何にマニフェストの内容を具体的な施策に置き換え、実現して行くことが問われているのではないだろうか。国民もそれを期待しているのであろう。一部の議員は未だに野党臭さを脱し切れておらず、一部の議員は現実論に引っ張られ過ぎているようにも見える。
内閣各部は、マニフェストに沿って所掌事項の実現が期待されている。マニフェストの範囲内であれば、具体論は各大臣に委ねられていると言えようが、マニフェストに沿わない場合や変更を加える場合は関係大臣はもとより、首相と協議し、指示を得るべきであろう。同時に、党としてのマニフェストであるので、首相が党側の考え方を確認・調整して置く必要があろう。
無論マニフェストを実現しようとすれば、野党や保守層、既得権益グループから反発や異論が出されようが、選挙で示されたマニフェスト、公約を実現して行くことこそが政権政党としての「らしさ」を具体的に示すことになるのであろう。マニフェスト作成時と前提が異なるような大きな社会、経済的な変化や国際環境の変化などがある場合については、当然のことながら柔軟な修正や調整が行われるべきであろうが、有権者はマニフェストの全部ではないにしてもそれぞれの関心事項を支持し信任したのであろうから、なるべく多くの項目を実現して行くことが全体としてより多くの有権者の信任、期待に答えることになる。
 また個々の候補者が有権者に訴え、公約したことは、各議員と有権者との約束であり、マニフェストと共に実現に努めるべきであろう。ましてや党の代表として公約したことは党の責任者としての発言であり、その発言は重い。
 しかし毎週のように各メデイアから出される世論調査に一喜一憂する必要はない。昨年8月の総選挙で現政権に与えた信託は4年間であるので、基本的には4年間で結果を出せば良いのであろう。特に現政権は、戦後の民主主義制度の下で国民が選択した初めての実質的な政権交代であり、政権運営を経験している幹部がほとんどいないため、政権発足当初は試行錯誤があることは避けられない。何にでも初めがあるので、民主主義を育てる観点から多少長い目で見ることも必要なのであろう。国民にとっても「未知との遭遇」であり、ある程度の寛容さが必要かもしれない。そうでないと何時までも日本の政治が落ち着かず、安定した政権運営が出来ない。
先の英国の下院選挙で、労働党が下野し、第一党の保守党と第三党の自由民主党が連立内閣に合意すると共に、5年間は解散、総選挙を行わないことに合意している。現在の世界の難局を乗り越えるため政治的安定を重視したもので、一つの見識である。(05.10.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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