内外政策評論 TheOpinion on Global & Domestic Issues

このブログは、広い視野から内外諸問題を分析し、提言を試みます。
Policy Essayist

地球温暖化ー融ける氷海、氷河と荒れる気候変動は止められるか (総合編)

2014-11-29 | Weblog

地球温暖化ー融ける氷海、氷河と荒れる気候変動は止められるか        (総合編)

 国連の「気象変動に関する政府間パネル(IPCC)」の第2作業部会は、横浜で地球温暖化の影響を検討し、3月31日、報告書を取りまとめた。その中で「全ての大陸と海洋で、温暖化の重要な影響が観測されている」との認識の下で、“北極海の海氷や世界各地域における珊瑚礁は後戻り困難な影響を既に受けている”などとして生態系や人間社会への影響を指摘している。そして温暖化が進むリスクとして、世界的な気温の上昇、干ばつなどによる食糧生産の減少、大都市部での洪水、異常気象によるインフラ機能の停止などを盛り込んでいる。当コラムも、北極海の海氷の融解と縮小ブログでもこのような状況を2008年頃から指摘して来ているが、それが国際的に理解され始めたと言えよう。

日本の地球温暖化への取り組みについては、環境省は、日本の温室効果ガスの削減目標を2020年度までに2005年度比で3.8%減とする方針である。温室効果ガスの削減目標については、民主党政権が2020年度までに“1990年度比で25%削減”との目標を提示し、国連総会でも表明している。環境省の上記の目標は、基準年を2005年としているが、1990年度比で換算すると逆に約3%増となるとされており、後退感が否めない。政府当局は、‘原子力発電が再稼働されれば高い目標に修正する’としている趣であるが、果たして原子力発電頼みで良いのであろうか。

1、意見が分かれる地球温暖化の原因

温暖化の速度、原因などについては議論が分かれている。スイスを本拠とする民間団体「世界自然保護基金」(WWF)は、2013年から40年までに、北極圏の氷は夏期には全て消えるとの報告を出している。国連の「気候変動に関する政府間パネル」が出した07年の第4次評価報告書でも、“ヒマラヤの氷河は2035年までに解けてなくなる可能性が強い”と指摘している。同グループはゴア米元副大統領と共にノーベル賞を受賞したが、氷河学者からは300mもの厚さの氷河がそんなに早くは融けないとの疑問が呈され、同グループがそれを認めるなど、信憑性が疑われている。地球がミニ氷河期に入っているとの説もある。

 

 2、荒れる世界の気候

どの説を取るかは別として、着実に進んでいる事実がある。北極海の氷原が夏期に融けて縮小していることだ。衛星写真でも、08年においては6月末頃までは陸地まで氷海で覆われていたが、8月20日頃前後から氷海は陸地を離れ、海路が開け、砕氷船を使用すれば年間5ヶ月内外は航行可能となる。その期間は毎年伸びている。8月中旬には2-3週間程度砕氷船無しでも航行可能のようだ。6、7年前には、氷海が最も小さくなる8月下旬でも氷海は陸まで張り出ていた。

これは今起きている現実である。短期的には夏の一定期間航行が可能になり、商業航路や観光、北極圏開発のビジネスチャンスが広がる。

 他方それは温暖化への警告でもある。北極の氷海縮小は、気流や海流による冷却効果を失わせ、地球温暖化を早め、海流や気流が激変し気候変動を激化させる恐れがある。氷海が融ければ白熊や微生物などの希少生物も死滅して行く。取り戻すことは出来ない。北極圏の環境悪化は、米、露など沿岸5か国のみの問題では無く、この地球の運命にも影響を与えている。

 現在、日本はもとより世界各地で気流や海流の動きや温度がこれまでのパターンでは予測できない荒々しい動きを示しており、局地的な豪雨や突風・竜巻、日照りや干ばつ、豪雪や吹雪などにより従来の想定を越えた被害を出している。それが世界各地で今起こっている。地球環境は、近年経験したことがない局面に入っていると言えよう。

 3、国際的な保護を必要とする北極圏と南極大陸

同時に忘れてはならないのは、反対側の南極大陸でも氷河、氷原が急速に融けているという事実だ。またヒマラヤやアルプス、キリマンジェロ等の氷河も融け、後退しているので、これらの相乗効果を考慮しなくてはならない。

 北極圏も南極同様、人類の共通の資産と位置付け、大陸棚の領有権や「線引き」の凍結や北極圏の一定の範囲を世界遺産に指定するなど、国際的な保護が必要だ。

4、必要とされる政府レベルの対応と生活スタイルの転換

それ以上に、地球温暖化の進行や気候変動の激化を食い止め、地球環境を保護、改善する必要性に今一度目を向けることが緊要ではないだろうか。それはこの地球自体を人類共通の遺産として保全することを意味する。

地球環境は、政府に委ねておけば良いというものではなく、家庭や産業自体が工夫、努力しなくては改善できない。比喩的に言うと、家庭で使用する電球を10個から7個にすれば日常生活にそれほど不自由することなく節電できる。企業やオフィスビルなどについても同様で、節電を図ればコスト削減にもなり、企業利益にもプラスとなる。レジ袋や必要以上の過剰な食物などを少なくして行けば生産に要するエネルギーの節約となる。また日本が環境技術先進国と言うのであれば、自然エネルギーの組織的な開発、活用や節エネ技術の更なる開発などで温室効果ガスの削減にそれぞれの立場から努力、貢献することが出来るのではないだろうか。またそのような努力から、地球環境にもプラスとなる生活スタイルやビジネスチャンスが生まれることが期待される。

しかし、政府や産業レベルでの対応は不可欠であろう。経済成長についても、温室効果ガスの減少を目標とし、再生可能エネルギーに重点を当てた成長モデルを構築する事が望まれる。原子力発電については、段階的に廃止することを明確にすると共に、再稼働に関しては、施設の安全性を確保する一方、各種の膨大な原子力廃棄物の最終的な処理方法を確立することがまず必要であろう。

また途上国援助においても、従来型の重厚長大なインフラ開発・整備ではなく、再生可能エネルギーを使用するなど、温室効果ガスの排出が少ない経済社会の構築を目標とする開発モデルや政府開発援助(ODA)モデルとして行くことが望まれる。

(2014.3.31.) (All Rights Reserved.)

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地球温暖化ー融ける氷海、氷河と荒れる気候変動は止められるか (総合編)

2014-11-29 | Weblog

地球温暖化ー融ける氷海、氷河と荒れる気候変動は止められるか        (総合編)

 国連の「気象変動に関する政府間パネル(IPCC)」の第2作業部会は、横浜で地球温暖化の影響を検討し、3月31日、報告書を取りまとめた。その中で「全ての大陸と海洋で、温暖化の重要な影響が観測されている」との認識の下で、“北極海の海氷や世界各地域における珊瑚礁は後戻り困難な影響を既に受けている”などとして生態系や人間社会への影響を指摘している。そして温暖化が進むリスクとして、世界的な気温の上昇、干ばつなどによる食糧生産の減少、大都市部での洪水、異常気象によるインフラ機能の停止などを盛り込んでいる。当コラムも、北極海の海氷の融解と縮小ブログでもこのような状況を2008年頃から指摘して来ているが、それが国際的に理解され始めたと言えよう。

日本の地球温暖化への取り組みについては、環境省は、日本の温室効果ガスの削減目標を2020年度までに2005年度比で3.8%減とする方針である。温室効果ガスの削減目標については、民主党政権が2020年度までに“1990年度比で25%削減”との目標を提示し、国連総会でも表明している。環境省の上記の目標は、基準年を2005年としているが、1990年度比で換算すると逆に約3%増となるとされており、後退感が否めない。政府当局は、‘原子力発電が再稼働されれば高い目標に修正する’としている趣であるが、果たして原子力発電頼みで良いのであろうか。

1、意見が分かれる地球温暖化の原因

温暖化の速度、原因などについては議論が分かれている。スイスを本拠とする民間団体「世界自然保護基金」(WWF)は、2013年から40年までに、北極圏の氷は夏期には全て消えるとの報告を出している。国連の「気候変動に関する政府間パネル」が出した07年の第4次評価報告書でも、“ヒマラヤの氷河は2035年までに解けてなくなる可能性が強い”と指摘している。同グループはゴア米元副大統領と共にノーベル賞を受賞したが、氷河学者からは300mもの厚さの氷河がそんなに早くは融けないとの疑問が呈され、同グループがそれを認めるなど、信憑性が疑われている。地球がミニ氷河期に入っているとの説もある。

 

 2、荒れる世界の気候

どの説を取るかは別として、着実に進んでいる事実がある。北極海の氷原が夏期に融けて縮小していることだ。衛星写真でも、08年においては6月末頃までは陸地まで氷海で覆われていたが、8月20日頃前後から氷海は陸地を離れ、海路が開け、砕氷船を使用すれば年間5ヶ月内外は航行可能となる。その期間は毎年伸びている。8月中旬には2-3週間程度砕氷船無しでも航行可能のようだ。6、7年前には、氷海が最も小さくなる8月下旬でも氷海は陸まで張り出ていた。

これは今起きている現実である。短期的には夏の一定期間航行が可能になり、商業航路や観光、北極圏開発のビジネスチャンスが広がる。

 他方それは温暖化への警告でもある。北極の氷海縮小は、気流や海流による冷却効果を失わせ、地球温暖化を早め、海流や気流が激変し気候変動を激化させる恐れがある。氷海が融ければ白熊や微生物などの希少生物も死滅して行く。取り戻すことは出来ない。北極圏の環境悪化は、米、露など沿岸5か国のみの問題では無く、この地球の運命にも影響を与えている。

 現在、日本はもとより世界各地で気流や海流の動きや温度がこれまでのパターンでは予測できない荒々しい動きを示しており、局地的な豪雨や突風・竜巻、日照りや干ばつ、豪雪や吹雪などにより従来の想定を越えた被害を出している。それが世界各地で今起こっている。地球環境は、近年経験したことがない局面に入っていると言えよう。

 3、国際的な保護を必要とする北極圏と南極大陸

同時に忘れてはならないのは、反対側の南極大陸でも氷河、氷原が急速に融けているという事実だ。またヒマラヤやアルプス、キリマンジェロ等の氷河も融け、後退しているので、これらの相乗効果を考慮しなくてはならない。

 北極圏も南極同様、人類の共通の資産と位置付け、大陸棚の領有権や「線引き」の凍結や北極圏の一定の範囲を世界遺産に指定するなど、国際的な保護が必要だ。

4、必要とされる政府レベルの対応と生活スタイルの転換

それ以上に、地球温暖化の進行や気候変動の激化を食い止め、地球環境を保護、改善する必要性に今一度目を向けることが緊要ではないだろうか。それはこの地球自体を人類共通の遺産として保全することを意味する。

地球環境は、政府に委ねておけば良いというものではなく、家庭や産業自体が工夫、努力しなくては改善できない。比喩的に言うと、家庭で使用する電球を10個から7個にすれば日常生活にそれほど不自由することなく節電できる。企業やオフィスビルなどについても同様で、節電を図ればコスト削減にもなり、企業利益にもプラスとなる。レジ袋や必要以上の過剰な食物などを少なくして行けば生産に要するエネルギーの節約となる。また日本が環境技術先進国と言うのであれば、自然エネルギーの組織的な開発、活用や節エネ技術の更なる開発などで温室効果ガスの削減にそれぞれの立場から努力、貢献することが出来るのではないだろうか。またそのような努力から、地球環境にもプラスとなる生活スタイルやビジネスチャンスが生まれることが期待される。

しかし、政府や産業レベルでの対応は不可欠であろう。経済成長についても、温室効果ガスの減少を目標とし、再生可能エネルギーに重点を当てた成長モデルを構築する事が望まれる。原子力発電については、段階的に廃止することを明確にすると共に、再稼働に関しては、施設の安全性を確保する一方、各種の膨大な原子力廃棄物の最終的な処理方法を確立することがまず必要であろう。

また途上国援助においても、従来型の重厚長大なインフラ開発・整備ではなく、再生可能エネルギーを使用するなど、温室効果ガスの排出が少ない経済社会の構築を目標とする開発モデルや政府開発援助(ODA)モデルとして行くことが望まれる。

(2014.3.31.) (All Rights Reserved.)

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施策に活かされるべき統計数値 (総合編)

2014-11-29 | Weblog

施策に活かされるべき統計数値       (総合編)

 国土交通省は、3月28日、日本の人口は2050年に約9,700 万人に減少すると共に、全国の60%以上の地域で人口が2010年と比較して半分以下になるという試算を発表した。出生率の低下や外国人受け入れも進展しないことを前提としているのだろうが、警鐘を鳴らす数値だ。国交省は、これを前提として、東京、大阪間のリニアー新幹線を運行し、東京、名古屋、大阪の3大都市圏を「巨大都市圏(スーパー・メガリージョン)」として一体化することなどを将来の国土整備の基本方針として位置付けるとの考え方を明らかにしている。

 他方、居住地域の約60%について人口が半減し、無人地域は全土の約60%に広がるとしている。このような予測から、地方については「コンパクトシテイ」として集約する等としている。

 人口減に関連して、民間有識者で構成する日本創成会議の人口減少問題検討分科会は、全国1,800市区町村の50%弱の896自治体で「20歳から39歳の女性人口」が2010年以降の30年間で50%以上減少するとの検討結果を公表した。

そして2040年の人口が1万人を割る自治体が523、全体の30%弱は「消滅の可能性が高い都市」になるとしている。

 総務省統計局も、6月25日、2014年1月1日時点での人口調査を公表したが、全国1,748の市区町村の82%強の1,440の市区町村で前年より人口が減少したとしている。東京、名古屋、関西の3大都市圏が全体の約51%の人口を抱えており、都市圏への集中が明らかにされている。年齢別では2014年4月、65才以上の“高齢者”或いは‘老年人口’が歴史上始めて総人口の25%を越えた旨公表している。65才以上が3000万人超えとなる一方、生産労働人口(15~64才)は総人口の62%弱の7,836人と過去最低を更新しており、今後この傾向が継続するものと予想される。

 1、  活かされて来なかった官民の統計数値

 少子高齢化は、1990年代初期から政府統計で明らかにされ、人口構成が欧州型のつりがね型となることが指摘されていた。それが年金政策や医療福祉政策ばかりでなく、地方を含む日本の行政組織・制度や国会、地方議会のあり方や都市政策、地域社会政策等に十分に活かされなかったため、今日の問題となっている。年金など社会福祉予算の不足と共に、地方におけるシャッター街や限界集落の増加など、現象面での問題が先行している。農村部において、嫁の来ない村どころか、後継者がいない農家が出始めたのも90年代からである。

 何故日本で折角の統計数値が活かされないのだろうか。

 一つは、行政が縦割りで、省庁間だけでなく、各省庁内においても局部による縦割りで、統計数値が発表されるとそれで基本的には業務が完結してしまい易い体制になっているからであろう。

 統計数値を施策との関係で総合的にチェックする統計ウオッチャー的部局が行政や議会に必要のようだし、民間の研究機関でも統計数値にもっと留意が必要のようだ。

 もう一つは、統計数値が尊重されず、政治的な配慮や裁量が重視される側面があることであろう。その顕著な例が国政選挙における1票の格差問題だ。本来、国勢調査は5年に1回であるが、西暦年の末尾が0の時は大規模調査行われるので、5年に1度か、少なくても大規模国勢調査後に、選挙区の区割りが調整されるべきであろう。

 有権者の1票の格差問題について、最高裁は衆議院について1972年の選挙から、また参議院については1992年の選挙から、違憲又は違憲状態との判決を出していた。しかし1票の格差が、衆議院で2倍以上、参議院では5倍以上で違憲又は違憲状態と判断されて来たため、国会での区割り調整は衆議院で2倍以下、参議院では5倍以下で微調整が繰り返されて来た。裁判所が、‘政治的な混乱’を避けるため選挙自体を無効としたことはこれまでなかったが、法の番人である裁判所が「平等」の概念を政治的な判断から非常にゆるい形で解釈して来ていることが数値に対する信頼性や判断を曖昧なものにして来ているのではなかろうか。地方から都市部への人口流出が続いている今日でも、衆院で2倍以下、参院では5倍以下で容認されている形だ。

 しかし「平等」の概念は本来1対1の関係を確保することであり、裁判所が1票の格差が2倍以下、或いは5倍以下であれば「平等」と判断することは余りにも恣意的と言えよう。‘政治的な混乱’を避けるためということは戦後の混乱期から一定期間は必要であり、理解出来ないことではないが、3権が分立している中にあって司法が‘政治性’を配慮し、民主主義の根幹である有権者の「平等」を軽視する結果となっているように映る。その上憲法を含む法の番人である裁判所の平等性や数値に対するゆるさは、国民の数値に対する信頼性に大きな影響を与えていると言えよう。

 そして2012年12月に行われた衆議院選挙については、全国で16件の裁判が行われ、14件は格差が是正されないままで行われた選挙は違憲とされ、他2件も違憲状態とされた。特に広島高裁では選挙自体を無効とし、一定期間後に効力が発生するとし、立法府に是正の猶予を与えたが、岡山支部は猶予を与えることなく無効とした。

 だが裁判所の格差の目安は、未だに衆院で2倍以下、参院では5倍以下が踏襲されている。有権者の一票の格差が1対2でも、1対5でも「平等」と言いたいのだろうか。無論、区割り技術上、厳密に1対1にすることは困難であろうが、司法が立法府に勧告等するのであれば、1票の重みがなるべく1対1の関係に近くなるよう促すべきなのであろう。その目安は、例えば最大格差1.2倍程度であろう。そして司法の判断を尊重し、それに適正に対応することが政治の責任ではないのだろうか。また選挙管理委員会も選挙における平等性を確保する責任があるのであろう。一部に地方の声が届き難くなるなどの意見はあるが、これまで優遇されて来たために人口減への危機感や対応が遅れたとも言える。また都市人口と言っても、筆者を含め半数以上は地方出身であり、地方のことは都市でも大いに関心があるし、過度な大都市への人口集中は望ましくないと考えられるので、地方の活力が発揮され、地方の人口が増加すれば議席も増えるという好循環を作って行くことが望まれる。

 このような調整が国勢調査毎に行われていれば、急激な変化による不安定化を招くことなく対応出来たのであろう。一方、このような調整が一定期間毎に行われると、人口減少に直面する地方自治体は人口減に歯止めを掛け、人口増に繋がるよう、有効な対応策を真剣に検討せざるを得なくなるであろう。また地方自治体の統廃合についても時間を掛けて調整されるであろう。

 2、人口減を見据えた行財政モデルと統治機構の簡素化が必要

 少子化、人口の減少傾向により、現在の‘定年制’を前提とすると、将来的に労働力人口は減少し、国民の税負担能力は低下する一方、長寿化により年金受給者や受給期間が増える等、福祉関連の歳出は増加する。

 またこのような人口減は、全国一律に起こるのではなく、地方から人口が流出し、地方の人口減が起こる一方、首都圏等の大都市に人口が集中する傾向が民間の研究でも指摘されている。

 他方、経済については、グローバル化が進み、国内市場ではなく世界市場を目標として企業の大規模化、多国籍企業化が進む一方、裾野産業がそれを支えると共に、特異な技術や製品が世界市場に向かうなど、中小企業についても国際競争力が問われるものと見られる。

 このような変化の中で、2040年を一つの目標年として、中央及び地方の体制を次のように誘導して行くことが望まれる。なお、人口増について、出生率の増加や外国人労働力の受け入れなどが検討されているおり、それにより若干の効果はあろうが、日本人の人口減と長寿化は趨勢としては継続すると見られるので、それを前提とするべきであろう。

 (1)  中央、地方行政組織、議会それぞれにおける適正な定員管理

 人口減、労働力人口減が予測されている以上、行政組織を適正規模に調整して行くことが不可欠であろう。それを行っておけば、経済停滞期に行政組織で景気対策としての雇用増を行う余裕が出来ることになろう。そのためまず新規採用を着実に削減して行くことが望ましい。新卒者も減少していくのでその影響が緩和されよう。この場合、特殊法人や独立行政法人などの関連組織を含む。また、規制の原則撤廃や簡素化を進めることが望まれる。

 特に相対的に急速な人口減が予想されている市区町村については、新規採用の削減などの定員管理と共に、市区町村の統廃合を進め、持続可能な自治体規模としていく必要があろう。同様に選挙区についても定期的な整理・統合が必要となる。これを怠ると将来財政破綻となり住民は大きな被害を受けることになろう。

 なお全体の定員管理については、雇用機会の確保(ワークシェアリング)に重点を置き給与・報酬を抑える方法と、優先分野を明確にし、優先度の低い部局や効率の悪い部局やムダを削減すると共に、規制の撤廃を促進して定員を縮小する一方、給与・報酬など労働環境を改善する方法がある。将来的にはより豊かな家計、生活、即ち高所得、高消費の社会に導くことが望まれるので、後者の方法が望ましいが、それは中央は中央として、またそれぞれの自治体の規模や特性を踏まえ各自治体の選択に委ねられるものであろう。

 その上で、魅力あるコミュニテイ作りを進めることが望まれる。

 (2)  公共施設、社会インフラの適正な管理と魅力あるコミュニテイ作り

 これまでの経済成長期、人口増を前提とした経済社会インフラ作りのための公共事業モデルは今後困難となるので、低位成長、人口減を前提とし、コミュニテイの生活インフラに重点を置いた公共事業モデルに転換して行く必要があろう。新たな公共施設や道路等は、当面の利便性を高めようが、その維持管理と修復等の後年度負担が掛かるので、人口減となる自治体にとっては将来住民への大きな負担となる可能性がある。従って、人口動態予測や適正な需要予測を実施し検討されなくてはならない。

 他方、自治体生活圏のコンパクト化については、居住の自由との関係や一部地域が原野化する一方、生活圏が縮小する恐れがある上、不動産価格が局部的に高騰し、移転費の問題等が生じるので、新たなコミュニテイ作りについて住民との協議を通じ理解と協力が不可欠であろう。同時に、折角スペースが空くことになるのに、生き苦しい狭隘なコミュニテイ作りは望ましくない。駅や公共施設はもとより、道路沿線のビルや商店などには駐車・駐輪場の設置を義務付けることなども検討することが望ましく、また移動ショップの普及なども考えられよう。

 機能的ではあるが、地域の特性を活かし、人を惹きつける魅力が有り、豊かさを感じられる特色あるコミュニテイとなるよう、グランド・デザインを作ることが望まれる。

 (3)65才以上の年長者への対応

 寿命が延び、総人口の25%以上となった65才以上の年長者を、従来通りの統計基準を当てはめて、15~64才を‘生産労働人口’とし、65才以上を労働市場から除外し、年金受給者として区分することが適当なのであろうか。

 2つ問題がある。長寿化により、年金給付総額が増加の一途を辿ることは明らかであり、そのままでは年金財源が不足するのは明らかだ。

 もう一つは、少数ではあるが65才以上でも、相当な報酬を受けて何らかの形で仕事を継続している者がいる。他方仕事、従って組織から離れて年金生活に入ると1年程度は良いが、多くの人は物足りなさや疎外感を持ち、時間の潰し方を探すことになる。平均的な寿命でも、14、5年そのような生活を強いられる。

 無論それを望む者はそれで良いのだが、健康で仕事が出来る経験を持ちながら無為に過ごすことになり、また年金だけでは将来不安を感じている人も少なくないようだ。

 65才以上でも働くことを希望する者に雇用機会を開放することが望ましい。そのため画一的な定年制は廃止することが望ましい。但し、給与が年功序列的に上昇すれば賃金コストが高まるので、最も生活費が掛かる中間層の賃金を上げるために、基本給(役職手当は除く)については例えば、60才以上については直前給与の80%、65才以上では70%、70才以上で60%、75才以上で50%以下(いずれも健康保険付与)とするなどして、雇用機会を与えることが望まれる。同時に、年齢に応じた勤務形態とする。また年齢区分については、長期に固定化することは現状を反映しなくなる可能性があるので、可能であれば3年毎、少なくても5年毎に調整することが望ましい。

 なお、年金については65才以上で例えば年額800万円以上の報酬を得ている者については年金給付を部分給付とし、1,200万円以上については凍結するなどの方策を検討して良いのではなかろうか。

(2014.7.1.)(All Rights Reserved.)

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My new book entitled ‘The Mystery over Lord Buddha’s Roots’ is now published.

2014-11-29 | Weblog

My new book entitled ‘The Mystery over Lord Buddha’s Roots’ is now published. The title of the book is ‘The Mystery over Lord Buddha’s Roots.’ But the real theme of the book is Truth.
 Truth about the Shakya Kingdom, Truth about the location of Kapilavastu, the resident Castle where Buddha, as Prince Siddartha, lived until 29 years old, and Truth about the historical and social background of Buddha’s age, and so on.
 The publisher is Nirala Publications, New Delhi, India.
 The book launch event was successfuly done on Sept. 19th in Kathmandu, Nepal, initiated by White Lotus Book Shop, Kathmandu.
 Such a book launch event is yet to come in New Delhi, India, and probably in New York City, U.S.A. 

The Book is now available at :

           *  Nirala Publications, New Delhi、India 

             GPO Box 7004, 2595, Kucha Chelan, Daryaganj, New Delhi—110002.

       or     127 Ground Floor, Munish Plaza, 4637/20, Ansari Road, New Delhi 110002

            Email: niralabooks@yahoo.co.in

        TEL: 9213732814, 9250841434, 9953726773.

 Or at * White Lotus Book Store, Nepal

         Kupondole, Lalitpur, Kathmandu 10032, Nepal

      Email: whitelotusbookshop@yahoo.com  or

          lotuswhitelotusbookshop@gmail.com
          Tel: 5520248

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― ブッダ誕生の聖地を読む ―   <連載 2>

2014-11-27 | Weblog

― ブッダ誕生の聖地を読む ―                    <連載 2>

 年末も近づいてくると、大晦日の零時近くに日本各地のお寺で除夜の鐘が鳴り、それぞれに煩悩を払って新年を迎える風景が思い浮かぶ。日本にはブッダ文化が広く根付いており、2011年6月には、東日本随一の平安時代の仏教美術の宝庫として知られる岩手県平泉町の中尊寺がUNESCOの世界文化遺産として登録された。奈良や京都には多くの仏教建築、文化財が世界遺産となっており、神社などと並んで日本文化の一部となっている。国勢調査においても、信仰の程度は別として仏教の系統が9,600万人、総人口の約74%にものぼる。

 ところが仏教の基礎を築いたブッダ(通称お釈迦様)の誕生地やシャキア王国の王子として育った城都カピラバスツなど、その歴史的、社会的な背景については、一部の仏教関係者を除いて一般には余り知られていない。確かに、ブッダの誕生地は「北インド」と習った人が多く、未だに多くの教科書にはそのように記載されている。更に城都カピラバスツ(通称カピラ城)については、今日でもネパール説とインド説があり、国際的にも決着していない。2,500年以上前の伝承上、宗教上の人物であるので、今更どちらでもよいような話ではあるが、日本文化や慣習、思想に関係が深いので、宗教、信仰とは別に、知識としてブッダ誕生の歴史的、社会的な背景やルーツを知ることは日本の文化や思想をよりよく知る上で必要なのであろう。

 このような観点、疑問から2011年に著書「お釈迦様のルーツの謎」を出版(東京図書出版、末尾に掲載)したが、今回はそれを基礎として、ブッダ教が日本にどのように伝来し、受け入れられたか、そしてブッダ思想が生まれたその歴史的、社会的な背景と今日的な意味の一端をご紹介してみたい。

 1、飛鳥時代の朝廷に受け入れられた仏教   <連載 1で掲載>

 2、ブッダの生誕地ルンビニ

 ブッダは、紀元前6世紀から5世紀にかけて現在のネパール南部ルンビニで誕生し、29歳までシャキア(釈迦)族の部族王国の王子としてカピラバスツ城で育ち、29才で悟りの道を求めて城を後にした。王子の名はシッダールタ・ゴータマ、そしてその部族名(シャキア)からお釈迦様の名で親しまれている。シッダールタ王子は後に悟りを開き、ブッダ(悟りを開いた者の意)となり、ブッダ教(仏教)の創始者になった。

 ルンビニは、1997年にUNESCOの世界文化遺産に登録されており、ブッダの生誕地としては国際的に認知されていると言ってよいだろう。

 ルンビニには、マヤデヴィ寺院、沐浴したとされる池やシッダールタ王子誕生を描写した石像などがある。

 しかし歴史的に重要なのは、アショカ王の石柱であり、そこに刻まれている碑文(パーリ語)により、19世紀末のブッダの生誕地論争に終止符が打たれた経緯がある。アショカ王(在位 紀元前269年より232年頃)は、ほぼインド全域を統一しマガダ国マウリア王朝の全盛期を築いたが、カリンガの闘いでの大虐殺への報いを恐れ、不戦と不殺生を誓い、ブッダ教に帰依したと言われている。同時にルンビニは、シッダールタ王子が育ったカピラバスツ城の位置を特定する上でも重要な基点となる。

 なお、日本の教科書での記述振りは1990年代末以降若干改善されて来ているものの、「ブッダの誕生地はネーパルのルンビニ」と記されている教科書は相対的に少なく、未だに「北インド」と書かれているものが多く、改定が課題となっている。 (2014.11.06.)(Copy Rights Reserved)            

 

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― ブッダ誕生の聖地を読む ―   <連載 2>

2014-11-27 | Weblog

― ブッダ誕生の聖地を読む ―                    <連載 2>

 年末も近づいてくると、大晦日の零時近くに日本各地のお寺で除夜の鐘が鳴り、それぞれに煩悩を払って新年を迎える風景が思い浮かぶ。日本にはブッダ文化が広く根付いており、2011年6月には、東日本随一の平安時代の仏教美術の宝庫として知られる岩手県平泉町の中尊寺がUNESCOの世界文化遺産として登録された。奈良や京都には多くの仏教建築、文化財が世界遺産となっており、神社などと並んで日本文化の一部となっている。国勢調査においても、信仰の程度は別として仏教の系統が9,600万人、総人口の約74%にものぼる。

 ところが仏教の基礎を築いたブッダ(通称お釈迦様)の誕生地やシャキア王国の王子として育った城都カピラバスツなど、その歴史的、社会的な背景については、一部の仏教関係者を除いて一般には余り知られていない。確かに、ブッダの誕生地は「北インド」と習った人が多く、未だに多くの教科書にはそのように記載されている。更に城都カピラバスツ(通称カピラ城)については、今日でもネパール説とインド説があり、国際的にも決着していない。2,500年以上前の伝承上、宗教上の人物であるので、今更どちらでもよいような話ではあるが、日本文化や慣習、思想に関係が深いので、宗教、信仰とは別に、知識としてブッダ誕生の歴史的、社会的な背景やルーツを知ることは日本の文化や思想をよりよく知る上で必要なのであろう。

 このような観点、疑問から2011年に著書「お釈迦様のルーツの謎」を出版(東京図書出版、末尾に掲載)したが、今回はそれを基礎として、ブッダ教が日本にどのように伝来し、受け入れられたか、そしてブッダ思想が生まれたその歴史的、社会的な背景と今日的な意味の一端をご紹介してみたい。

 1、飛鳥時代の朝廷に受け入れられた仏教   <連載 1で掲載>

 2、ブッダの生誕地ルンビニ

 ブッダは、紀元前6世紀から5世紀にかけて現在のネパール南部ルンビニで誕生し、29歳までシャキア(釈迦)族の部族王国の王子としてカピラバスツ城で育ち、29才で悟りの道を求めて城を後にした。王子の名はシッダールタ・ゴータマ、そしてその部族名(シャキア)からお釈迦様の名で親しまれている。シッダールタ王子は後に悟りを開き、ブッダ(悟りを開いた者の意)となり、ブッダ教(仏教)の創始者になった。

 ルンビニは、1997年にUNESCOの世界文化遺産に登録されており、ブッダの生誕地としては国際的に認知されていると言ってよいだろう。

 ルンビニには、マヤデヴィ寺院、沐浴したとされる池やシッダールタ王子誕生を描写した石像などがある。

 しかし歴史的に重要なのは、アショカ王の石柱であり、そこに刻まれている碑文(パーリ語)により、19世紀末のブッダの生誕地論争に終止符が打たれた経緯がある。アショカ王(在位 紀元前269年より232年頃)は、ほぼインド全域を統一しマガダ国マウリア王朝の全盛期を築いたが、カリンガの闘いでの大虐殺への報いを恐れ、不戦と不殺生を誓い、ブッダ教に帰依したと言われている。同時にルンビニは、シッダールタ王子が育ったカピラバスツ城の位置を特定する上でも重要な基点となる。

 なお、日本の教科書での記述振りは1990年代末以降若干改善されて来ているものの、「ブッダの誕生地はネーパルのルンビニ」と記されている教科書は相対的に少なく、未だに「北インド」と書かれているものが多く、改定が課題となっている。 (2014.11.06.)(Copy Rights Reserved)            

 

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― ブッダ誕生の聖地を読む ―   <連載 2>

2014-11-27 | Weblog

― ブッダ誕生の聖地を読む ―                    <連載 2>

 年末も近づいてくると、大晦日の零時近くに日本各地のお寺で除夜の鐘が鳴り、それぞれに煩悩を払って新年を迎える風景が思い浮かぶ。日本にはブッダ文化が広く根付いており、2011年6月には、東日本随一の平安時代の仏教美術の宝庫として知られる岩手県平泉町の中尊寺がUNESCOの世界文化遺産として登録された。奈良や京都には多くの仏教建築、文化財が世界遺産となっており、神社などと並んで日本文化の一部となっている。国勢調査においても、信仰の程度は別として仏教の系統が9,600万人、総人口の約74%にものぼる。

 ところが仏教の基礎を築いたブッダ(通称お釈迦様)の誕生地やシャキア王国の王子として育った城都カピラバスツなど、その歴史的、社会的な背景については、一部の仏教関係者を除いて一般には余り知られていない。確かに、ブッダの誕生地は「北インド」と習った人が多く、未だに多くの教科書にはそのように記載されている。更に城都カピラバスツ(通称カピラ城)については、今日でもネパール説とインド説があり、国際的にも決着していない。2,500年以上前の伝承上、宗教上の人物であるので、今更どちらでもよいような話ではあるが、日本文化や慣習、思想に関係が深いので、宗教、信仰とは別に、知識としてブッダ誕生の歴史的、社会的な背景やルーツを知ることは日本の文化や思想をよりよく知る上で必要なのであろう。

 このような観点、疑問から2011年に著書「お釈迦様のルーツの謎」を出版(東京図書出版、末尾に掲載)したが、今回はそれを基礎として、ブッダ教が日本にどのように伝来し、受け入れられたか、そしてブッダ思想が生まれたその歴史的、社会的な背景と今日的な意味の一端をご紹介してみたい。

 1、飛鳥時代の朝廷に受け入れられた仏教   <連載 1で掲載>

 2、ブッダの生誕地ルンビニ

 ブッダは、紀元前6世紀から5世紀にかけて現在のネパール南部ルンビニで誕生し、29歳までシャキア(釈迦)族の部族王国の王子としてカピラバスツ城で育ち、29才で悟りの道を求めて城を後にした。王子の名はシッダールタ・ゴータマ、そしてその部族名(シャキア)からお釈迦様の名で親しまれている。シッダールタ王子は後に悟りを開き、ブッダ(悟りを開いた者の意)となり、ブッダ教(仏教)の創始者になった。

 ルンビニは、1997年にUNESCOの世界文化遺産に登録されており、ブッダの生誕地としては国際的に認知されていると言ってよいだろう。

 ルンビニには、マヤデヴィ寺院、沐浴したとされる池やシッダールタ王子誕生を描写した石像などがある。

 しかし歴史的に重要なのは、アショカ王の石柱であり、そこに刻まれている碑文(パーリ語)により、19世紀末のブッダの生誕地論争に終止符が打たれた経緯がある。アショカ王(在位 紀元前269年より232年頃)は、ほぼインド全域を統一しマガダ国マウリア王朝の全盛期を築いたが、カリンガの闘いでの大虐殺への報いを恐れ、不戦と不殺生を誓い、ブッダ教に帰依したと言われている。同時にルンビニは、シッダールタ王子が育ったカピラバスツ城の位置を特定する上でも重要な基点となる。

 なお、日本の教科書での記述振りは1990年代末以降若干改善されて来ているものの、「ブッダの誕生地はネーパルのルンビニ」と記されている教科書は相対的に少なく、未だに「北インド」と書かれているものが多く、改定が課題となっている。 (2014.11.06.)(Copy Rights Reserved)            

 

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2014-11-27 | Weblog

― ブッダ誕生の聖地を読む ―                    <連載 2>

 年末も近づいてくると、大晦日の零時近くに日本各地のお寺で除夜の鐘が鳴り、それぞれに煩悩を払って新年を迎える風景が思い浮かぶ。日本にはブッダ文化が広く根付いており、2011年6月には、東日本随一の平安時代の仏教美術の宝庫として知られる岩手県平泉町の中尊寺がUNESCOの世界文化遺産として登録された。奈良や京都には多くの仏教建築、文化財が世界遺産となっており、神社などと並んで日本文化の一部となっている。国勢調査においても、信仰の程度は別として仏教の系統が9,600万人、総人口の約74%にものぼる。

 ところが仏教の基礎を築いたブッダ(通称お釈迦様)の誕生地やシャキア王国の王子として育った城都カピラバスツなど、その歴史的、社会的な背景については、一部の仏教関係者を除いて一般には余り知られていない。確かに、ブッダの誕生地は「北インド」と習った人が多く、未だに多くの教科書にはそのように記載されている。更に城都カピラバスツ(通称カピラ城)については、今日でもネパール説とインド説があり、国際的にも決着していない。2,500年以上前の伝承上、宗教上の人物であるので、今更どちらでもよいような話ではあるが、日本文化や慣習、思想に関係が深いので、宗教、信仰とは別に、知識としてブッダ誕生の歴史的、社会的な背景やルーツを知ることは日本の文化や思想をよりよく知る上で必要なのであろう。

 このような観点、疑問から2011年に著書「お釈迦様のルーツの謎」を出版(東京図書出版、末尾に掲載)したが、今回はそれを基礎として、ブッダ教が日本にどのように伝来し、受け入れられたか、そしてブッダ思想が生まれたその歴史的、社会的な背景と今日的な意味の一端をご紹介してみたい。

 1、飛鳥時代の朝廷に受け入れられた仏教   <連載 1で掲載>

 2、ブッダの生誕地ルンビニ

 ブッダは、紀元前6世紀から5世紀にかけて現在のネパール南部ルンビニで誕生し、29歳までシャキア(釈迦)族の部族王国の王子としてカピラバスツ城で育ち、29才で悟りの道を求めて城を後にした。王子の名はシッダールタ・ゴータマ、そしてその部族名(シャキア)からお釈迦様の名で親しまれている。シッダールタ王子は後に悟りを開き、ブッダ(悟りを開いた者の意)となり、ブッダ教(仏教)の創始者になった。

 ルンビニは、1997年にUNESCOの世界文化遺産に登録されており、ブッダの生誕地としては国際的に認知されていると言ってよいだろう。

 ルンビニには、マヤデヴィ寺院、沐浴したとされる池やシッダールタ王子誕生を描写した石像などがある。

 しかし歴史的に重要なのは、アショカ王の石柱であり、そこに刻まれている碑文(パーリ語)により、19世紀末のブッダの生誕地論争に終止符が打たれた経緯がある。アショカ王(在位 紀元前269年より232年頃)は、ほぼインド全域を統一しマガダ国マウリア王朝の全盛期を築いたが、カリンガの闘いでの大虐殺への報いを恐れ、不戦と不殺生を誓い、ブッダ教に帰依したと言われている。同時にルンビニは、シッダールタ王子が育ったカピラバスツ城の位置を特定する上でも重要な基点となる。

 なお、日本の教科書での記述振りは1990年代末以降若干改善されて来ているものの、「ブッダの誕生地はネーパルのルンビニ」と記されている教科書は相対的に少なく、未だに「北インド」と書かれているものが多く、改定が課題となっている。 (2014.11.06.)(Copy Rights Reserved)            

 

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 年末も近づいてくると、大晦日の零時近くに日本各地のお寺で除夜の鐘が鳴り、それぞれに煩悩を払って新年を迎える風景が思い浮かぶ。日本にはブッダ文化が広く根付いており、2011年6月には、東日本随一の平安時代の仏教美術の宝庫として知られる岩手県平泉町の中尊寺がUNESCOの世界文化遺産として登録された。奈良や京都には多くの仏教建築、文化財が世界遺産となっており、神社などと並んで日本文化の一部となっている。国勢調査においても、信仰の程度は別として仏教の系統が9,600万人、総人口の約74%にものぼる。

 ところが仏教の基礎を築いたブッダ(通称お釈迦様)の誕生地やシャキア王国の王子として育った城都カピラバスツなど、その歴史的、社会的な背景については、一部の仏教関係者を除いて一般には余り知られていない。確かに、ブッダの誕生地は「北インド」と習った人が多く、未だに多くの教科書にはそのように記載されている。更に城都カピラバスツ(通称カピラ城)については、今日でもネパール説とインド説があり、国際的にも決着していない。2,500年以上前の伝承上、宗教上の人物であるので、今更どちらでもよいような話ではあるが、日本文化や慣習、思想に関係が深いので、宗教、信仰とは別に、知識としてブッダ誕生の歴史的、社会的な背景やルーツを知ることは日本の文化や思想をよりよく知る上で必要なのであろう。

 このような観点、疑問から2011年に著書「お釈迦様のルーツの謎」を出版(東京図書出版、末尾に掲載)したが、今回はそれを基礎として、ブッダ教が日本にどのように伝来し、受け入れられたか、そしてブッダ思想が生まれたその歴史的、社会的な背景と今日的な意味の一端をご紹介してみたい。

 1、飛鳥時代の朝廷に受け入れられた仏教   <連載 1で掲載>

 2、ブッダの生誕地ルンビニ

 ブッダは、紀元前6世紀から5世紀にかけて現在のネパール南部ルンビニで誕生し、29歳までシャキア(釈迦)族の部族王国の王子としてカピラバスツ城で育ち、29才で悟りの道を求めて城を後にした。王子の名はシッダールタ・ゴータマ、そしてその部族名(シャキア)からお釈迦様の名で親しまれている。シッダールタ王子は後に悟りを開き、ブッダ(悟りを開いた者の意)となり、ブッダ教(仏教)の創始者になった。

 ルンビニは、1997年にUNESCOの世界文化遺産に登録されており、ブッダの生誕地としては国際的に認知されていると言ってよいだろう。

 ルンビニには、マヤデヴィ寺院、沐浴したとされる池やシッダールタ王子誕生を描写した石像などがある。

 しかし歴史的に重要なのは、アショカ王の石柱であり、そこに刻まれている碑文(パーリ語)により、19世紀末のブッダの生誕地論争に終止符が打たれた経緯がある。アショカ王(在位 紀元前269年より232年頃)は、ほぼインド全域を統一しマガダ国マウリア王朝の全盛期を築いたが、カリンガの闘いでの大虐殺への報いを恐れ、不戦と不殺生を誓い、ブッダ教に帰依したと言われている。同時にルンビニは、シッダールタ王子が育ったカピラバスツ城の位置を特定する上でも重要な基点となる。

 なお、日本の教科書での記述振りは1990年代末以降若干改善されて来ているものの、「ブッダの誕生地はネーパルのルンビニ」と記されている教科書は相対的に少なく、未だに「北インド」と書かれているものが多く、改定が課題となっている。 (2014.11.06.)(Copy Rights Reserved)            

 

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― ブッダ誕生の聖地を読む ―  <連載 1>

 年末も近づいてくると、大晦日の零時近くに日本各地のお寺で除夜の鐘が鳴り、それぞれに煩悩を払って新年を迎える風景が思い浮かぶ。日本にはブッダ文化が広く根付いており、2011年6月には、東日本随一の平安時代の仏教美術の宝庫として知られる岩手県平泉町の中尊寺がUNESCOの世界文化遺産として登録された。奈良や京都には多くの仏教建築、文化財が世界遺産となっており、神社などと並んで日本文化の一部となっている。国勢調査においても、信仰の程度は別として仏教の系統が9,600万人、総人口の約74%にものぼる。

 ところが仏教の基礎を築いたブッダ(通称お釈迦様)の誕生地やシャキア王国の王子として育った城都カピラバスツなど、その歴史的、社会的な背景については、一部の仏教関係者を除いて一般には余り知られていない。確かに、ブッダの誕生地は「北インド」と習った人が多く、未だに多くの教科書にはそのように記載されている。更に城都カピラバスツ(通称カピラ城)については、今日でもネパール説とインド説があり、国際的にも決着していない。2,500年以上前の伝承上、宗教上の人物であるので、今更どちらでもよいような話ではあるが、日本文化や慣習、思想に関係が深いので、宗教、信仰とは別に、知識としてブッダ誕生の歴史的、社会的な背景やルーツを知ることは日本の文化や思想をよりよく知る上で必要なのであろう。

 このような観点、疑問から2011年に著書「お釈迦様のルーツの謎」を出版(東京図書出版、末尾に掲載)したが、今回はそれを基礎として、ブッダ教が日本にどのように伝来し、受け入れられたか、そしてブッダ思想が生まれたその歴史的、社会的な背景と今日的な意味の一端をご紹介してみたい。

 1、飛鳥時代の朝廷に受け入れられた仏教

 ブッダ教が日本に伝来した由来については、「日本書紀」に飛鳥時代の西暦552年、百済の聖明王よりブッダの金銅像と経論他が欽明天皇に献上されたことが記されており、これが仏教公伝とされている。しかし元興寺建立の経緯などが記されている「元興寺伽藍縁起」の記述から西暦538年には既に仏教が伝えられたと見ることが出来る。経論などは中国で漢語訳されていたことから、仏教、仏陀など漢字表記となっており、中国との関係が色濃く出る結果となっている。

 確かに、百済王の使節が倭の国(日本)の天皇への献上品としてブッダ像や経典などを持参したとすれば、日本に珍重される物と判断してのことであろうから、ブッダ教が日本に、少なくても朝廷周辺においてある程度知られていたと見るべきであろう。上記の歴史書には、日本最古の本格的な寺院とされている元興寺の前身である法興寺が蘇我馬子により飛鳥に建立されたとされている。当時朝廷は、蘇我氏を中心とする西部グループと物部氏を中心とする伝統派グループが血を血で洗う勢力争いをしていたと言われているが、蘇我馬子が平安を祈り百済から伝えられたブッダ教を敬ったと伝えられている。

 その後蘇我氏グループが物部氏グループを倒し、朝廷に平穏が戻ったが、推古天皇が仏教を普及するようにとの勅令を出し、聖徳太も17条憲法(西暦604年)で僧侶を敬うようにとの趣旨を明らかにして以来、仏教は朝廷に受け入れられることになった。それは、アショカ王が紀元前2世紀半ばにインドのほぼ全域を統一しマウリア王朝の全盛期を築いたが、カリンガの戦いで大量の殺戮を行ったことへの償いか、死後地獄に送られあらゆる苦しみに課されることを恐れたのか、深くブッダ教に帰依した姿に重なるところがある。紀元前5世紀にインドの16大国の一つであるコーサラ国のビルダカ王がシャキア王国を殲滅したが、ビルダカ王は凱旋後、火事に遭い、苦しみの中で地獄に落ち、その地獄であらゆる苦しみを課されたと伝承されており、これがブッダ教の不殺生、非暴力の教え、戒めの背景の一つとなっている。

 そして武家勢力の伸張に伴い、仏教は武家、庶民へと普及し、江戸時代には檀家制度や寺子屋などを通じ統治機構の末端の役割を果たす仏教制度として制度化され、日本の思想、文化へ幅広い影響を与えている。その後明治政府となり、天皇制が復活し神道が重視されることとなり、全国で廃仏毀釈が行われ寺院数は減少した。しかし、もともと仏教は朝廷により受け入れられ、日本仏教として各層に広く普及、発展して来たものであるので、日本の思想、文化の中に浸透していると言える。仏教の系統が日本の総人口の約74%にものぼる。

 ところが仏教の創始者であるブッダ誕生の歴史的、社会的背景などについては、学校教育などにおいても、仏教系の学校は別として、ほとんど教えられていない。

 生誕地のルンビニについては1997年にUNESCOの世界遺産として認定され国際的に確立しているが、城都カピラバスツ、通称カピラ城の位置については明らかになっていない。それ自体は2,500余年前の場所でしかないが、その謎を解く過程においてブッダ誕生の歴史的、社会的な背景がより良く分ると共に、ブッダ思想や文化に関心のある方々にとっては、カピラ城周辺はブッダのルーツを巡る聖地ともなる。 (2014.11.06.)(Copy Rights Reserved)            

 

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― ブッダ誕生の聖地を読む ―  <連載 1>

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― ブッダ誕生の聖地を読む ―  <連載 1>

 年末も近づいてくると、大晦日の零時近くに日本各地のお寺で除夜の鐘が鳴り、それぞれに煩悩を払って新年を迎える風景が思い浮かぶ。日本にはブッダ文化が広く根付いており、2011年6月には、東日本随一の平安時代の仏教美術の宝庫として知られる岩手県平泉町の中尊寺がUNESCOの世界文化遺産として登録された。奈良や京都には多くの仏教建築、文化財が世界遺産となっており、神社などと並んで日本文化の一部となっている。国勢調査においても、信仰の程度は別として仏教の系統が9,600万人、総人口の約74%にものぼる。

 ところが仏教の基礎を築いたブッダ(通称お釈迦様)の誕生地やシャキア王国の王子として育った城都カピラバスツなど、その歴史的、社会的な背景については、一部の仏教関係者を除いて一般には余り知られていない。確かに、ブッダの誕生地は「北インド」と習った人が多く、未だに多くの教科書にはそのように記載されている。更に城都カピラバスツ(通称カピラ城)については、今日でもネパール説とインド説があり、国際的にも決着していない。2,500年以上前の伝承上、宗教上の人物であるので、今更どちらでもよいような話ではあるが、日本文化や慣習、思想に関係が深いので、宗教、信仰とは別に、知識としてブッダ誕生の歴史的、社会的な背景やルーツを知ることは日本の文化や思想をよりよく知る上で必要なのであろう。

 このような観点、疑問から2011年に著書「お釈迦様のルーツの謎」を出版(東京図書出版、末尾に掲載)したが、今回はそれを基礎として、ブッダ教が日本にどのように伝来し、受け入れられたか、そしてブッダ思想が生まれたその歴史的、社会的な背景と今日的な意味の一端をご紹介してみたい。

 1、飛鳥時代の朝廷に受け入れられた仏教

 ブッダ教が日本に伝来した由来については、「日本書紀」に飛鳥時代の西暦552年、百済の聖明王よりブッダの金銅像と経論他が欽明天皇に献上されたことが記されており、これが仏教公伝とされている。しかし元興寺建立の経緯などが記されている「元興寺伽藍縁起」の記述から西暦538年には既に仏教が伝えられたと見ることが出来る。経論などは中国で漢語訳されていたことから、仏教、仏陀など漢字表記となっており、中国との関係が色濃く出る結果となっている。

 確かに、百済王の使節が倭の国(日本)の天皇への献上品としてブッダ像や経典などを持参したとすれば、日本に珍重される物と判断してのことであろうから、ブッダ教が日本に、少なくても朝廷周辺においてある程度知られていたと見るべきであろう。上記の歴史書には、日本最古の本格的な寺院とされている元興寺の前身である法興寺が蘇我馬子により飛鳥に建立されたとされている。当時朝廷は、蘇我氏を中心とする西部グループと物部氏を中心とする伝統派グループが血を血で洗う勢力争いをしていたと言われているが、蘇我馬子が平安を祈り百済から伝えられたブッダ教を敬ったと伝えられている。

 その後蘇我氏グループが物部氏グループを倒し、朝廷に平穏が戻ったが、推古天皇が仏教を普及するようにとの勅令を出し、聖徳太も17条憲法(西暦604年)で僧侶を敬うようにとの趣旨を明らかにして以来、仏教は朝廷に受け入れられることになった。それは、アショカ王が紀元前2世紀半ばにインドのほぼ全域を統一しマウリア王朝の全盛期を築いたが、カリンガの戦いで大量の殺戮を行ったことへの償いか、死後地獄に送られあらゆる苦しみに課されることを恐れたのか、深くブッダ教に帰依した姿に重なるところがある。紀元前5世紀にインドの16大国の一つであるコーサラ国のビルダカ王がシャキア王国を殲滅したが、ビルダカ王は凱旋後、火事に遭い、苦しみの中で地獄に落ち、その地獄であらゆる苦しみを課されたと伝承されており、これがブッダ教の不殺生、非暴力の教え、戒めの背景の一つとなっている。

 そして武家勢力の伸張に伴い、仏教は武家、庶民へと普及し、江戸時代には檀家制度や寺子屋などを通じ統治機構の末端の役割を果たす仏教制度として制度化され、日本の思想、文化へ幅広い影響を与えている。その後明治政府となり、天皇制が復活し神道が重視されることとなり、全国で廃仏毀釈が行われ寺院数は減少した。しかし、もともと仏教は朝廷により受け入れられ、日本仏教として各層に広く普及、発展して来たものであるので、日本の思想、文化の中に浸透していると言える。仏教の系統が日本の総人口の約74%にものぼる。

 ところが仏教の創始者であるブッダ誕生の歴史的、社会的背景などについては、学校教育などにおいても、仏教系の学校は別として、ほとんど教えられていない。

 生誕地のルンビニについては1997年にUNESCOの世界遺産として認定され国際的に確立しているが、城都カピラバスツ、通称カピラ城の位置については明らかになっていない。それ自体は2,500余年前の場所でしかないが、その謎を解く過程においてブッダ誕生の歴史的、社会的な背景がより良く分ると共に、ブッダ思想や文化に関心のある方々にとっては、カピラ城周辺はブッダのルーツを巡る聖地ともなる。 (2014.11.06.)(Copy Rights Reserved)            

 

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施策に活かされるべき統計数値 (総合編)

2014-11-27 | Weblog

施策に活かされるべき統計数値       (総合編)

 国土交通省は、3月28日、日本の人口は2050年に約9,700 万人に減少すると共に、全国の60%以上の地域で人口が2010年と比較して半分以下になるという試算を発表した。出生率の低下や外国人受け入れも進展しないことを前提としているのだろうが、警鐘を鳴らす数値だ。国交省は、これを前提として、東京、大阪間のリニアー新幹線を運行し、東京、名古屋、大阪の3大都市圏を「巨大都市圏(スーパー・メガリージョン)」として一体化することなどを将来の国土整備の基本方針として位置付けるとの考え方を明らかにしている。

 他方、居住地域の約60%について人口が半減し、無人地域は全土の約60%に広がるとしている。このような予測から、地方については「コンパクトシテイ」として集約する等としている。

 人口減に関連して、民間有識者で構成する日本創成会議の人口減少問題検討分科会は、全国1,800市区町村の50%弱の896自治体で「20歳から39歳の女性人口」が2010年以降の30年間で50%以上減少するとの検討結果を公表した。

そして2040年の人口が1万人を割る自治体が523、全体の30%弱は「消滅の可能性が高い都市」になるとしている。

 総務省統計局も、6月25日、2014年1月1日時点での人口調査を公表したが、全国1,748の市区町村の82%強の1,440の市区町村で前年より人口が減少したとしている。東京、名古屋、関西の3大都市圏が全体の約51%の人口を抱えており、都市圏への集中が明らかにされている。年齢別では2014年4月、65才以上の“高齢者”或いは‘老年人口’が歴史上始めて総人口の25%を越えた旨公表している。65才以上が3000万人超えとなる一方、生産労働人口(15~64才)は総人口の62%弱の7,836人と過去最低を更新しており、今後この傾向が継続するものと予想される。

 1、  活かされて来なかった官民の統計数値

 少子高齢化は、1990年代初期から政府統計で明らかにされ、人口構成が欧州型のつりがね型となることが指摘されていた。それが年金政策や医療福祉政策ばかりでなく、地方を含む日本の行政組織・制度や国会、地方議会のあり方や都市政策、地域社会政策等に十分に活かされなかったため、今日の問題となっている。年金など社会福祉予算の不足と共に、地方におけるシャッター街や限界集落の増加など、現象面での問題が先行している。農村部において、嫁の来ない村どころか、後継者がいない農家が出始めたのも90年代からである。

 何故日本で折角の統計数値が活かされないのだろうか。

 一つは、行政が縦割りで、省庁間だけでなく、各省庁内においても局部による縦割りで、統計数値が発表されるとそれで基本的には業務が完結してしまい易い体制になっているからであろう。

 統計数値を施策との関係で総合的にチェックする統計ウオッチャー的部局が行政や議会に必要のようだし、民間の研究機関でも統計数値にもっと留意が必要のようだ。

 もう一つは、統計数値が尊重されず、政治的な配慮や裁量が重視される側面があることであろう。その顕著な例が国政選挙における1票の格差問題だ。本来、国勢調査は5年に1回であるが、西暦年の末尾が0の時は大規模調査行われるので、5年に1度か、少なくても大規模国勢調査後に、選挙区の区割りが調整されるべきであろう。

 有権者の1票の格差問題について、最高裁は衆議院について1972年の選挙から、また参議院については1992年の選挙から、違憲又は違憲状態との判決を出していた。しかし1票の格差が、衆議院で2倍以上、参議院では5倍以上で違憲又は違憲状態と判断されて来たため、国会での区割り調整は衆議院で2倍以下、参議院では5倍以下で微調整が繰り返されて来た。裁判所が、‘政治的な混乱’を避けるため選挙自体を無効としたことはこれまでなかったが、法の番人である裁判所が「平等」の概念を政治的な判断から非常にゆるい形で解釈して来ていることが数値に対する信頼性や判断を曖昧なものにして来ているのではなかろうか。地方から都市部への人口流出が続いている今日でも、衆院で2倍以下、参院では5倍以下で容認されている形だ。

 しかし「平等」の概念は本来1対1の関係を確保することであり、裁判所が1票の格差が2倍以下、或いは5倍以下であれば「平等」と判断することは余りにも恣意的と言えよう。‘政治的な混乱’を避けるためということは戦後の混乱期から一定期間は必要であり、理解出来ないことではないが、3権が分立している中にあって司法が‘政治性’を配慮し、民主主義の根幹である有権者の「平等」を軽視する結果となっているように映る。その上憲法を含む法の番人である裁判所の平等性や数値に対するゆるさは、国民の数値に対する信頼性に大きな影響を与えていると言えよう。

 そして2012年12月に行われた衆議院選挙については、全国で16件の裁判が行われ、14件は格差が是正されないままで行われた選挙は違憲とされ、他2件も違憲状態とされた。特に広島高裁では選挙自体を無効とし、一定期間後に効力が発生するとし、立法府に是正の猶予を与えたが、岡山支部は猶予を与えることなく無効とした。

 だが裁判所の格差の目安は、未だに衆院で2倍以下、参院では5倍以下が踏襲されている。有権者の一票の格差が1対2でも、1対5でも「平等」と言いたいのだろうか。無論、区割り技術上、厳密に1対1にすることは困難であろうが、司法が立法府に勧告等するのであれば、1票の重みがなるべく1対1の関係に近くなるよう促すべきなのであろう。その目安は、例えば最大格差1.2倍程度であろう。そして司法の判断を尊重し、それに適正に対応することが政治の責任ではないのだろうか。また選挙管理委員会も選挙における平等性を確保する責任があるのであろう。一部に地方の声が届き難くなるなどの意見はあるが、これまで優遇されて来たために人口減への危機感や対応が遅れたとも言える。また都市人口と言っても、筆者を含め半数以上は地方出身であり、地方のことは都市でも大いに関心があるし、過度な大都市への人口集中は望ましくないと考えられるので、地方の活力が発揮され、地方の人口が増加すれば議席も増えるという好循環を作って行くことが望まれる。

 このような調整が国勢調査毎に行われていれば、急激な変化による不安定化を招くことなく対応出来たのであろう。一方、このような調整が一定期間毎に行われると、人口減少に直面する地方自治体は人口減に歯止めを掛け、人口増に繋がるよう、有効な対応策を真剣に検討せざるを得なくなるであろう。また地方自治体の統廃合についても時間を掛けて調整されるであろう。

 2、人口減を見据えた行財政モデルと統治機構の簡素化が必要

 少子化、人口の減少傾向により、現在の‘定年制’を前提とすると、将来的に労働力人口は減少し、国民の税負担能力は低下する一方、長寿化により年金受給者や受給期間が増える等、福祉関連の歳出は増加する。

 またこのような人口減は、全国一律に起こるのではなく、地方から人口が流出し、地方の人口減が起こる一方、首都圏等の大都市に人口が集中する傾向が民間の研究でも指摘されている。

 他方、経済については、グローバル化が進み、国内市場ではなく世界市場を目標として企業の大規模化、多国籍企業化が進む一方、裾野産業がそれを支えると共に、特異な技術や製品が世界市場に向かうなど、中小企業についても国際競争力が問われるものと見られる。

 このような変化の中で、2040年を一つの目標年として、中央及び地方の体制を次のように誘導して行くことが望まれる。なお、人口増について、出生率の増加や外国人労働力の受け入れなどが検討されているおり、それにより若干の効果はあろうが、日本人の人口減と長寿化は趨勢としては継続すると見られるので、それを前提とするべきであろう。

 (1)  中央、地方行政組織、議会それぞれにおける適正な定員管理

 人口減、労働力人口減が予測されている以上、行政組織を適正規模に調整して行くことが不可欠であろう。それを行っておけば、経済停滞期に行政組織で景気対策としての雇用増を行う余裕が出来ることになろう。そのためまず新規採用を着実に削減して行くことが望ましい。新卒者も減少していくのでその影響が緩和されよう。この場合、特殊法人や独立行政法人などの関連組織を含む。また、規制の原則撤廃や簡素化を進めることが望まれる。

 特に相対的に急速な人口減が予想されている市区町村については、新規採用の削減などの定員管理と共に、市区町村の統廃合を進め、持続可能な自治体規模としていく必要があろう。同様に選挙区についても定期的な整理・統合が必要となる。これを怠ると将来財政破綻となり住民は大きな被害を受けることになろう。

 なお全体の定員管理については、雇用機会の確保(ワークシェアリング)に重点を置き給与・報酬を抑える方法と、優先分野を明確にし、優先度の低い部局や効率の悪い部局やムダを削減すると共に、規制の撤廃を促進して定員を縮小する一方、給与・報酬など労働環境を改善する方法がある。将来的にはより豊かな家計、生活、即ち高所得、高消費の社会に導くことが望まれるので、後者の方法が望ましいが、それは中央は中央として、またそれぞれの自治体の規模や特性を踏まえ各自治体の選択に委ねられるものであろう。

 その上で、魅力あるコミュニテイ作りを進めることが望まれる。

 (2)  公共施設、社会インフラの適正な管理と魅力あるコミュニテイ作り

 これまでの経済成長期、人口増を前提とした経済社会インフラ作りのための公共事業モデルは今後困難となるので、低位成長、人口減を前提とし、コミュニテイの生活インフラに重点を置いた公共事業モデルに転換して行く必要があろう。新たな公共施設や道路等は、当面の利便性を高めようが、その維持管理と修復等の後年度負担が掛かるので、人口減となる自治体にとっては将来住民への大きな負担となる可能性がある。従って、人口動態予測や適正な需要予測を実施し検討されなくてはならない。

 他方、自治体生活圏のコンパクト化については、居住の自由との関係や一部地域が原野化する一方、生活圏が縮小する恐れがある上、不動産価格が局部的に高騰し、移転費の問題等が生じるので、新たなコミュニテイ作りについて住民との協議を通じ理解と協力が不可欠であろう。同時に、折角スペースが空くことになるのに、生き苦しい狭隘なコミュニテイ作りは望ましくない。駅や公共施設はもとより、道路沿線のビルや商店などには駐車・駐輪場の設置を義務付けることなども検討することが望ましく、また移動ショップの普及なども考えられよう。

 機能的ではあるが、地域の特性を活かし、人を惹きつける魅力が有り、豊かさを感じられる特色あるコミュニテイとなるよう、グランド・デザインを作ることが望まれる。

 (3)65才以上の年長者への対応

 寿命が延び、総人口の25%以上となった65才以上の年長者を、従来通りの統計基準を当てはめて、15~64才を‘生産労働人口’とし、65才以上を労働市場から除外し、年金受給者として区分することが適当なのであろうか。

 2つ問題がある。長寿化により、年金給付総額が増加の一途を辿ることは明らかであり、そのままでは年金財源が不足するのは明らかだ。

 もう一つは、少数ではあるが65才以上でも、相当な報酬を受けて何らかの形で仕事を継続している者がいる。他方仕事、従って組織から離れて年金生活に入ると1年程度は良いが、多くの人は物足りなさや疎外感を持ち、時間の潰し方を探すことになる。平均的な寿命でも、14、5年そのような生活を強いられる。

 無論それを望む者はそれで良いのだが、健康で仕事が出来る経験を持ちながら無為に過ごすことになり、また年金だけでは将来不安を感じている人も少なくないようだ。

 65才以上でも働くことを希望する者に雇用機会を開放することが望ましい。そのため画一的な定年制は廃止することが望ましい。但し、給与が年功序列的に上昇すれば賃金コストが高まるので、最も生活費が掛かる中間層の賃金を上げるために、基本給(役職手当は除く)については例えば、60才以上については直前給与の80%、65才以上では70%、70才以上で60%、75才以上で50%以下(いずれも健康保険付与)とするなどして、雇用機会を与えることが望まれる。同時に、年齢に応じた勤務形態とする。また年齢区分については、長期に固定化することは現状を反映しなくなる可能性があるので、可能であれば3年毎、少なくても5年毎に調整することが望ましい。

 なお、年金については65才以上で例えば年額800万円以上の報酬を得ている者については年金給付を部分給付とし、1,200万円以上については凍結するなどの方策を検討して良いのではなかろうか。

(2014.7.1.)(All Rights Reserved.)

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施策に活かされるべき統計数値 (総合編)

2014-11-27 | Weblog

施策に活かされるべき統計数値       (総合編)

 国土交通省は、3月28日、日本の人口は2050年に約9,700 万人に減少すると共に、全国の60%以上の地域で人口が2010年と比較して半分以下になるという試算を発表した。出生率の低下や外国人受け入れも進展しないことを前提としているのだろうが、警鐘を鳴らす数値だ。国交省は、これを前提として、東京、大阪間のリニアー新幹線を運行し、東京、名古屋、大阪の3大都市圏を「巨大都市圏(スーパー・メガリージョン)」として一体化することなどを将来の国土整備の基本方針として位置付けるとの考え方を明らかにしている。

 他方、居住地域の約60%について人口が半減し、無人地域は全土の約60%に広がるとしている。このような予測から、地方については「コンパクトシテイ」として集約する等としている。

 人口減に関連して、民間有識者で構成する日本創成会議の人口減少問題検討分科会は、全国1,800市区町村の50%弱の896自治体で「20歳から39歳の女性人口」が2010年以降の30年間で50%以上減少するとの検討結果を公表した。

そして2040年の人口が1万人を割る自治体が523、全体の30%弱は「消滅の可能性が高い都市」になるとしている。

 総務省統計局も、6月25日、2014年1月1日時点での人口調査を公表したが、全国1,748の市区町村の82%強の1,440の市区町村で前年より人口が減少したとしている。東京、名古屋、関西の3大都市圏が全体の約51%の人口を抱えており、都市圏への集中が明らかにされている。年齢別では2014年4月、65才以上の“高齢者”或いは‘老年人口’が歴史上始めて総人口の25%を越えた旨公表している。65才以上が3000万人超えとなる一方、生産労働人口(15~64才)は総人口の62%弱の7,836人と過去最低を更新しており、今後この傾向が継続するものと予想される。

 1、  活かされて来なかった官民の統計数値

 少子高齢化は、1990年代初期から政府統計で明らかにされ、人口構成が欧州型のつりがね型となることが指摘されていた。それが年金政策や医療福祉政策ばかりでなく、地方を含む日本の行政組織・制度や国会、地方議会のあり方や都市政策、地域社会政策等に十分に活かされなかったため、今日の問題となっている。年金など社会福祉予算の不足と共に、地方におけるシャッター街や限界集落の増加など、現象面での問題が先行している。農村部において、嫁の来ない村どころか、後継者がいない農家が出始めたのも90年代からである。

 何故日本で折角の統計数値が活かされないのだろうか。

 一つは、行政が縦割りで、省庁間だけでなく、各省庁内においても局部による縦割りで、統計数値が発表されるとそれで基本的には業務が完結してしまい易い体制になっているからであろう。

 統計数値を施策との関係で総合的にチェックする統計ウオッチャー的部局が行政や議会に必要のようだし、民間の研究機関でも統計数値にもっと留意が必要のようだ。

 もう一つは、統計数値が尊重されず、政治的な配慮や裁量が重視される側面があることであろう。その顕著な例が国政選挙における1票の格差問題だ。本来、国勢調査は5年に1回であるが、西暦年の末尾が0の時は大規模調査行われるので、5年に1度か、少なくても大規模国勢調査後に、選挙区の区割りが調整されるべきであろう。

 有権者の1票の格差問題について、最高裁は衆議院について1972年の選挙から、また参議院については1992年の選挙から、違憲又は違憲状態との判決を出していた。しかし1票の格差が、衆議院で2倍以上、参議院では5倍以上で違憲又は違憲状態と判断されて来たため、国会での区割り調整は衆議院で2倍以下、参議院では5倍以下で微調整が繰り返されて来た。裁判所が、‘政治的な混乱’を避けるため選挙自体を無効としたことはこれまでなかったが、法の番人である裁判所が「平等」の概念を政治的な判断から非常にゆるい形で解釈して来ていることが数値に対する信頼性や判断を曖昧なものにして来ているのではなかろうか。地方から都市部への人口流出が続いている今日でも、衆院で2倍以下、参院では5倍以下で容認されている形だ。

 しかし「平等」の概念は本来1対1の関係を確保することであり、裁判所が1票の格差が2倍以下、或いは5倍以下であれば「平等」と判断することは余りにも恣意的と言えよう。‘政治的な混乱’を避けるためということは戦後の混乱期から一定期間は必要であり、理解出来ないことではないが、3権が分立している中にあって司法が‘政治性’を配慮し、民主主義の根幹である有権者の「平等」を軽視する結果となっているように映る。その上憲法を含む法の番人である裁判所の平等性や数値に対するゆるさは、国民の数値に対する信頼性に大きな影響を与えていると言えよう。

 そして2012年12月に行われた衆議院選挙については、全国で16件の裁判が行われ、14件は格差が是正されないままで行われた選挙は違憲とされ、他2件も違憲状態とされた。特に広島高裁では選挙自体を無効とし、一定期間後に効力が発生するとし、立法府に是正の猶予を与えたが、岡山支部は猶予を与えることなく無効とした。

 だが裁判所の格差の目安は、未だに衆院で2倍以下、参院では5倍以下が踏襲されている。有権者の一票の格差が1対2でも、1対5でも「平等」と言いたいのだろうか。無論、区割り技術上、厳密に1対1にすることは困難であろうが、司法が立法府に勧告等するのであれば、1票の重みがなるべく1対1の関係に近くなるよう促すべきなのであろう。その目安は、例えば最大格差1.2倍程度であろう。そして司法の判断を尊重し、それに適正に対応することが政治の責任ではないのだろうか。また選挙管理委員会も選挙における平等性を確保する責任があるのであろう。一部に地方の声が届き難くなるなどの意見はあるが、これまで優遇されて来たために人口減への危機感や対応が遅れたとも言える。また都市人口と言っても、筆者を含め半数以上は地方出身であり、地方のことは都市でも大いに関心があるし、過度な大都市への人口集中は望ましくないと考えられるので、地方の活力が発揮され、地方の人口が増加すれば議席も増えるという好循環を作って行くことが望まれる。

 このような調整が国勢調査毎に行われていれば、急激な変化による不安定化を招くことなく対応出来たのであろう。一方、このような調整が一定期間毎に行われると、人口減少に直面する地方自治体は人口減に歯止めを掛け、人口増に繋がるよう、有効な対応策を真剣に検討せざるを得なくなるであろう。また地方自治体の統廃合についても時間を掛けて調整されるであろう。

 2、人口減を見据えた行財政モデルと統治機構の簡素化が必要

 少子化、人口の減少傾向により、現在の‘定年制’を前提とすると、将来的に労働力人口は減少し、国民の税負担能力は低下する一方、長寿化により年金受給者や受給期間が増える等、福祉関連の歳出は増加する。

 またこのような人口減は、全国一律に起こるのではなく、地方から人口が流出し、地方の人口減が起こる一方、首都圏等の大都市に人口が集中する傾向が民間の研究でも指摘されている。

 他方、経済については、グローバル化が進み、国内市場ではなく世界市場を目標として企業の大規模化、多国籍企業化が進む一方、裾野産業がそれを支えると共に、特異な技術や製品が世界市場に向かうなど、中小企業についても国際競争力が問われるものと見られる。

 このような変化の中で、2040年を一つの目標年として、中央及び地方の体制を次のように誘導して行くことが望まれる。なお、人口増について、出生率の増加や外国人労働力の受け入れなどが検討されているおり、それにより若干の効果はあろうが、日本人の人口減と長寿化は趨勢としては継続すると見られるので、それを前提とするべきであろう。

 (1)  中央、地方行政組織、議会それぞれにおける適正な定員管理

 人口減、労働力人口減が予測されている以上、行政組織を適正規模に調整して行くことが不可欠であろう。それを行っておけば、経済停滞期に行政組織で景気対策としての雇用増を行う余裕が出来ることになろう。そのためまず新規採用を着実に削減して行くことが望ましい。新卒者も減少していくのでその影響が緩和されよう。この場合、特殊法人や独立行政法人などの関連組織を含む。また、規制の原則撤廃や簡素化を進めることが望まれる。

 特に相対的に急速な人口減が予想されている市区町村については、新規採用の削減などの定員管理と共に、市区町村の統廃合を進め、持続可能な自治体規模としていく必要があろう。同様に選挙区についても定期的な整理・統合が必要となる。これを怠ると将来財政破綻となり住民は大きな被害を受けることになろう。

 なお全体の定員管理については、雇用機会の確保(ワークシェアリング)に重点を置き給与・報酬を抑える方法と、優先分野を明確にし、優先度の低い部局や効率の悪い部局やムダを削減すると共に、規制の撤廃を促進して定員を縮小する一方、給与・報酬など労働環境を改善する方法がある。将来的にはより豊かな家計、生活、即ち高所得、高消費の社会に導くことが望まれるので、後者の方法が望ましいが、それは中央は中央として、またそれぞれの自治体の規模や特性を踏まえ各自治体の選択に委ねられるものであろう。

 その上で、魅力あるコミュニテイ作りを進めることが望まれる。

 (2)  公共施設、社会インフラの適正な管理と魅力あるコミュニテイ作り

 これまでの経済成長期、人口増を前提とした経済社会インフラ作りのための公共事業モデルは今後困難となるので、低位成長、人口減を前提とし、コミュニテイの生活インフラに重点を置いた公共事業モデルに転換して行く必要があろう。新たな公共施設や道路等は、当面の利便性を高めようが、その維持管理と修復等の後年度負担が掛かるので、人口減となる自治体にとっては将来住民への大きな負担となる可能性がある。従って、人口動態予測や適正な需要予測を実施し検討されなくてはならない。

 他方、自治体生活圏のコンパクト化については、居住の自由との関係や一部地域が原野化する一方、生活圏が縮小する恐れがある上、不動産価格が局部的に高騰し、移転費の問題等が生じるので、新たなコミュニテイ作りについて住民との協議を通じ理解と協力が不可欠であろう。同時に、折角スペースが空くことになるのに、生き苦しい狭隘なコミュニテイ作りは望ましくない。駅や公共施設はもとより、道路沿線のビルや商店などには駐車・駐輪場の設置を義務付けることなども検討することが望ましく、また移動ショップの普及なども考えられよう。

 機能的ではあるが、地域の特性を活かし、人を惹きつける魅力が有り、豊かさを感じられる特色あるコミュニテイとなるよう、グランド・デザインを作ることが望まれる。

 (3)65才以上の年長者への対応

 寿命が延び、総人口の25%以上となった65才以上の年長者を、従来通りの統計基準を当てはめて、15~64才を‘生産労働人口’とし、65才以上を労働市場から除外し、年金受給者として区分することが適当なのであろうか。

 2つ問題がある。長寿化により、年金給付総額が増加の一途を辿ることは明らかであり、そのままでは年金財源が不足するのは明らかだ。

 もう一つは、少数ではあるが65才以上でも、相当な報酬を受けて何らかの形で仕事を継続している者がいる。他方仕事、従って組織から離れて年金生活に入ると1年程度は良いが、多くの人は物足りなさや疎外感を持ち、時間の潰し方を探すことになる。平均的な寿命でも、14、5年そのような生活を強いられる。

 無論それを望む者はそれで良いのだが、健康で仕事が出来る経験を持ちながら無為に過ごすことになり、また年金だけでは将来不安を感じている人も少なくないようだ。

 65才以上でも働くことを希望する者に雇用機会を開放することが望ましい。そのため画一的な定年制は廃止することが望ましい。但し、給与が年功序列的に上昇すれば賃金コストが高まるので、最も生活費が掛かる中間層の賃金を上げるために、基本給(役職手当は除く)については例えば、60才以上については直前給与の80%、65才以上では70%、70才以上で60%、75才以上で50%以下(いずれも健康保険付与)とするなどして、雇用機会を与えることが望まれる。同時に、年齢に応じた勤務形態とする。また年齢区分については、長期に固定化することは現状を反映しなくなる可能性があるので、可能であれば3年毎、少なくても5年毎に調整することが望ましい。

 なお、年金については65才以上で例えば年額800万円以上の報酬を得ている者については年金給付を部分給付とし、1,200万円以上については凍結するなどの方策を検討して良いのではなかろうか。

(2014.7.1.)(All Rights Reserved.)

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My new book entitled ‘The Mystery over Lord Buddha’s Roots’ is now published.

2014-11-27 | Weblog

My new book entitled ‘The Mystery over Lord Buddha’s Roots’ is now published. The title of the book is ‘The Mystery over Lord Buddha’s Roots.’ But the real theme of the book is Truth.
 Truth about the Shakya Kingdom, Truth about the location of Kapilavastu, the resident Castle where Buddha, as Prince Siddartha, lived until 29 years old, and Truth about the historical and social background of Buddha’s age, and so on.
 The publisher is Nirala Publications, New Delhi, India.
 The book launch event was successfuly done on Sept. 19th in Kathmandu, Nepal, initiated by White Lotus Book Shop, Kathmandu.
 Such a book launch event is yet to come in New Delhi, India, and probably in New York City, U.S.A. 

The Book is now available at :

           *  Nirala Publications, New Delhi、India 

             GPO Box 7004, 2595, Kucha Chelan, Daryaganj, New Delhi—110002.

       or     127 Ground Floor, Munish Plaza, 4637/20, Ansari Road, New Delhi 110002

            Email: niralabooks@yahoo.co.in

        TEL: 9213732814, 9250841434, 9953726773.

 Or at * White Lotus Book Store, Nepal

         Kupondole, Lalitpur, Kathmandu 10032, Nepal

      Email: whitelotusbookshop@yahoo.com  or

          lotuswhitelotusbookshop@gmail.com
          Tel: 5520248

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My new book entitled ‘The Mystery over Lord Buddha’s Roots’ is now published.

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My new book entitled ‘The Mystery over Lord Buddha’s Roots’ is now published. The title of the book is ‘The Mystery over Lord Buddha’s Roots.’ But the real theme of the book is Truth.
 Truth about the Shakya Kingdom, Truth about the location of Kapilavastu, the resident Castle where Buddha, as Prince Siddartha, lived until 29 years old, and Truth about the historical and social background of Buddha’s age, and so on.
 The publisher is Nirala Publications, New Delhi, India.
 The book launch event was successfuly done on Sept. 19th in Kathmandu, Nepal, initiated by White Lotus Book Shop, Kathmandu.
 Such a book launch event is yet to come in New Delhi, India, and probably in New York City, U.S.A. 

 

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