内外政策評論 TheOpinion on Global & Domestic Issues

このブログは、広い視野から内外諸問題を分析し、提言を試みます。
Policy Essayist

シリーズ 安全神話は取り戻せるか? (その3)

2011-08-23 | Weblog
シリーズ 安全神話は取り戻せるか? (その3)
  1、基本的な防災対策強化の必要性         (その1に掲載)
2、崩れた原子力発電の「安全神話」        (その1に掲載)
  3、今後の原子力発電の安全性確保の上で何が必要か (その2に掲載)
 4、原子力安全庁はどの組織に置くべきか
このように見てくると新設される原子力安全庁については、環境への影響が大きい放射性物質を管理、監督するという側面に着目すれば環境省の下に置くことが検討されている趣であるが、何処に設置されるか以上に、次のような基本的な問題がある。
(1)安全性確保のためのコストは誰が負担するのか
 上記1、のようなハード、ソフト双方の面に亘る広範な安全措置を何処ま
で実施させるかという問題とコストを全て電力会社に負わせるかという問題がある。保険を何処まで掛けるかの問題に類似するが、それを余りにも綿密に要求し、企業負担とすれば採算性を超え事業継続は事実上困難になる。稼動継続・再開に当たってのテストについても同様だ。企業側からすれば、それを国が要求するのであるから、国が一定の費用負担をするか、料金を引き上げるかを要請することが予想される。いずれも国民の負担となり、微妙な選択となろう。
 (2) 「事業所外のリスクを伴う事故」以上への対応
最大の問題は、今回のような事故などが発生した場合、事故の深刻度がレベル4の「事業所内のリスクを伴う事故」までであれば企業を中心とした対応で良かろうが、「事業所外」への放射性物質の飛散リスクを伴うレベル5以上、特にレベル6、7の「大事故」や「深刻な事故」レベルと判断される場合は、高度な放射能防護、対策が必要となり、企業レベルでは対応困難となるので、直ちに国家緊急時対策センターを立ち上げ、官邸レベルでの対応が不可欠となろう。テロなどの攻撃が発生した場合は直ちに国家レベルでの対応が不可避となる。
このような原子力施設の安全確保の意味合いを勘案すると、本来であれば原子力安全庁は内閣府に置くことが望ましい。しかし内閣府の総合調整機能が増える一方で、事務体制は関係省庁からの寄合い所帯で出身官庁を見て仕事をする傾向となることなどが危惧されている。
現在の各省庁体制の最大の問題は、それぞれが設置法などで所掌を明確化し、
各省庁が相互に干渉、介入させない縦割りの体制になっていることであり、省庁間の調整や省庁の枠を超えたニーズや対応に内閣や官邸が一丸となって取り組める体制を築くことが望まれる。原子力安全庁を環境省に置く場合、長官を副大臣クラスとするなど、広範な安全対策につき省庁間の調整・指揮が十分に出来るようにしなくてはならない。
 特に事故の深刻度が「事業所外のリスクを伴う事故」のレベル以上になった場合は直ちに対応の権限を官邸に移すこととすべきであろう。「大事故」以上の危機時には、警察、消防などの出動だけでなく、自衛隊の核防護ユニットの緊急出動など一省庁では対応出来ない事態も予想されるので、何処に設置されるにせよ、内閣全体としての効果的な調整・指揮機能が発揮出来る模範例とすることが望まれる。
 なお大臣の数を18に制限することについては、それはそれで良いが、新たなニーズに応えて行くためには、全体の大臣の報酬、予算の範囲内で、一人当たりの報酬を下げる、或いは各省庁に複数配置されている副大臣や政務官を整理し、内閣の総合調整機能を強化する方向で政務3役全体として検討することは可能であろう。(2011.08.11)
(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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シリーズ 安全神話は取り戻せるか? (その3)

2011-08-23 | Weblog
シリーズ 安全神話は取り戻せるか? (その3)
  1、基本的な防災対策強化の必要性         (その1に掲載)
2、崩れた原子力発電の「安全神話」        (その1に掲載)
  3、今後の原子力発電の安全性確保の上で何が必要か (その2に掲載)
 4、原子力安全庁はどの組織に置くべきか
このように見てくると新設される原子力安全庁については、環境への影響が大きい放射性物質を管理、監督するという側面に着目すれば環境省の下に置くことが検討されている趣であるが、何処に設置されるか以上に、次のような基本的な問題がある。
(1)安全性確保のためのコストは誰が負担するのか
 上記1、のようなハード、ソフト双方の面に亘る広範な安全措置を何処ま
で実施させるかという問題とコストを全て電力会社に負わせるかという問題がある。保険を何処まで掛けるかの問題に類似するが、それを余りにも綿密に要求し、企業負担とすれば採算性を超え事業継続は事実上困難になる。稼動継続・再開に当たってのテストについても同様だ。企業側からすれば、それを国が要求するのであるから、国が一定の費用負担をするか、料金を引き上げるかを要請することが予想される。いずれも国民の負担となり、微妙な選択となろう。
 (2) 「事業所外のリスクを伴う事故」以上への対応
最大の問題は、今回のような事故などが発生した場合、事故の深刻度がレベル4の「事業所内のリスクを伴う事故」までであれば企業を中心とした対応で良かろうが、「事業所外」への放射性物質の飛散リスクを伴うレベル5以上、特にレベル6、7の「大事故」や「深刻な事故」レベルと判断される場合は、高度な放射能防護、対策が必要となり、企業レベルでは対応困難となるので、直ちに国家緊急時対策センターを立ち上げ、官邸レベルでの対応が不可欠となろう。テロなどの攻撃が発生した場合は直ちに国家レベルでの対応が不可避となる。
このような原子力施設の安全確保の意味合いを勘案すると、本来であれば原子力安全庁は内閣府に置くことが望ましい。しかし内閣府の総合調整機能が増える一方で、事務体制は関係省庁からの寄合い所帯で出身官庁を見て仕事をする傾向となることなどが危惧されている。
現在の各省庁体制の最大の問題は、それぞれが設置法などで所掌を明確化し、
各省庁が相互に干渉、介入させない縦割りの体制になっていることであり、省庁間の調整や省庁の枠を超えたニーズや対応に内閣や官邸が一丸となって取り組める体制を築くことが望まれる。原子力安全庁を環境省に置く場合、長官を副大臣クラスとするなど、広範な安全対策につき省庁間の調整・指揮が十分に出来るようにしなくてはならない。
 特に事故の深刻度が「事業所外のリスクを伴う事故」のレベル以上になった場合は直ちに対応の権限を官邸に移すこととすべきであろう。「大事故」以上の危機時には、警察、消防などの出動だけでなく、自衛隊の核防護ユニットの緊急出動など一省庁では対応出来ない事態も予想されるので、何処に設置されるにせよ、内閣全体としての効果的な調整・指揮機能が発揮出来る模範例とすることが望まれる。
 なお大臣の数を18に制限することについては、それはそれで良いが、新たなニーズに応えて行くためには、全体の大臣の報酬、予算の範囲内で、一人当たりの報酬を下げる、或いは各省庁に複数配置されている副大臣や政務官を整理し、内閣の総合調整機能を強化する方向で政務3役全体として検討することは可能であろう。(2011.08.11)
(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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  1、基本的な防災対策強化の必要性         (その1に掲載)
2、崩れた原子力発電の「安全神話」        (その1に掲載)
  3、今後の原子力発電の安全性確保の上で何が必要か (その2に掲載)
 4、原子力安全庁はどの組織に置くべきか
このように見てくると新設される原子力安全庁については、環境への影響が大きい放射性物質を管理、監督するという側面に着目すれば環境省の下に置くことが検討されている趣であるが、何処に設置されるか以上に、次のような基本的な問題がある。
(1)安全性確保のためのコストは誰が負担するのか
 上記1、のようなハード、ソフト双方の面に亘る広範な安全措置を何処ま
で実施させるかという問題とコストを全て電力会社に負わせるかという問題がある。保険を何処まで掛けるかの問題に類似するが、それを余りにも綿密に要求し、企業負担とすれば採算性を超え事業継続は事実上困難になる。稼動継続・再開に当たってのテストについても同様だ。企業側からすれば、それを国が要求するのであるから、国が一定の費用負担をするか、料金を引き上げるかを要請することが予想される。いずれも国民の負担となり、微妙な選択となろう。
 (2) 「事業所外のリスクを伴う事故」以上への対応
最大の問題は、今回のような事故などが発生した場合、事故の深刻度がレベル4の「事業所内のリスクを伴う事故」までであれば企業を中心とした対応で良かろうが、「事業所外」への放射性物質の飛散リスクを伴うレベル5以上、特にレベル6、7の「大事故」や「深刻な事故」レベルと判断される場合は、高度な放射能防護、対策が必要となり、企業レベルでは対応困難となるので、直ちに国家緊急時対策センターを立ち上げ、官邸レベルでの対応が不可欠となろう。テロなどの攻撃が発生した場合は直ちに国家レベルでの対応が不可避となる。
このような原子力施設の安全確保の意味合いを勘案すると、本来であれば原子力安全庁は内閣府に置くことが望ましい。しかし内閣府の総合調整機能が増える一方で、事務体制は関係省庁からの寄合い所帯で出身官庁を見て仕事をする傾向となることなどが危惧されている。
現在の各省庁体制の最大の問題は、それぞれが設置法などで所掌を明確化し、
各省庁が相互に干渉、介入させない縦割りの体制になっていることであり、省庁間の調整や省庁の枠を超えたニーズや対応に内閣や官邸が一丸となって取り組める体制を築くことが望まれる。原子力安全庁を環境省に置く場合、長官を副大臣クラスとするなど、広範な安全対策につき省庁間の調整・指揮が十分に出来るようにしなくてはならない。
 特に事故の深刻度が「事業所外のリスクを伴う事故」のレベル以上になった場合は直ちに対応の権限を官邸に移すこととすべきであろう。「大事故」以上の危機時には、警察、消防などの出動だけでなく、自衛隊の核防護ユニットの緊急出動など一省庁では対応出来ない事態も予想されるので、何処に設置されるにせよ、内閣全体としての効果的な調整・指揮機能が発揮出来る模範例とすることが望まれる。
 なお大臣の数を18に制限することについては、それはそれで良いが、新たなニーズに応えて行くためには、全体の大臣の報酬、予算の範囲内で、一人当たりの報酬を下げる、或いは各省庁に複数配置されている副大臣や政務官を整理し、内閣の総合調整機能を強化する方向で政務3役全体として検討することは可能であろう。(2011.08.11)
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  1、基本的な防災対策強化の必要性         (その1に掲載)
2、崩れた原子力発電の「安全神話」        (その1に掲載)
  3、今後の原子力発電の安全性確保の上で何が必要か (その2に掲載)
 4、原子力安全庁はどの組織に置くべきか
このように見てくると新設される原子力安全庁については、環境への影響が大きい放射性物質を管理、監督するという側面に着目すれば環境省の下に置くことが検討されている趣であるが、何処に設置されるか以上に、次のような基本的な問題がある。
(1)安全性確保のためのコストは誰が負担するのか
 上記1、のようなハード、ソフト双方の面に亘る広範な安全措置を何処ま
で実施させるかという問題とコストを全て電力会社に負わせるかという問題がある。保険を何処まで掛けるかの問題に類似するが、それを余りにも綿密に要求し、企業負担とすれば採算性を超え事業継続は事実上困難になる。稼動継続・再開に当たってのテストについても同様だ。企業側からすれば、それを国が要求するのであるから、国が一定の費用負担をするか、料金を引き上げるかを要請することが予想される。いずれも国民の負担となり、微妙な選択となろう。
 (2) 「事業所外のリスクを伴う事故」以上への対応
最大の問題は、今回のような事故などが発生した場合、事故の深刻度がレベル4の「事業所内のリスクを伴う事故」までであれば企業を中心とした対応で良かろうが、「事業所外」への放射性物質の飛散リスクを伴うレベル5以上、特にレベル6、7の「大事故」や「深刻な事故」レベルと判断される場合は、高度な放射能防護、対策が必要となり、企業レベルでは対応困難となるので、直ちに国家緊急時対策センターを立ち上げ、官邸レベルでの対応が不可欠となろう。テロなどの攻撃が発生した場合は直ちに国家レベルでの対応が不可避となる。
このような原子力施設の安全確保の意味合いを勘案すると、本来であれば原子力安全庁は内閣府に置くことが望ましい。しかし内閣府の総合調整機能が増える一方で、事務体制は関係省庁からの寄合い所帯で出身官庁を見て仕事をする傾向となることなどが危惧されている。
現在の各省庁体制の最大の問題は、それぞれが設置法などで所掌を明確化し、
各省庁が相互に干渉、介入させない縦割りの体制になっていることであり、省庁間の調整や省庁の枠を超えたニーズや対応に内閣や官邸が一丸となって取り組める体制を築くことが望まれる。原子力安全庁を環境省に置く場合、長官を副大臣クラスとするなど、広範な安全対策につき省庁間の調整・指揮が十分に出来るようにしなくてはならない。
 特に事故の深刻度が「事業所外のリスクを伴う事故」のレベル以上になった場合は直ちに対応の権限を官邸に移すこととすべきであろう。「大事故」以上の危機時には、警察、消防などの出動だけでなく、自衛隊の核防護ユニットの緊急出動など一省庁では対応出来ない事態も予想されるので、何処に設置されるにせよ、内閣全体としての効果的な調整・指揮機能が発揮出来る模範例とすることが望まれる。
 なお大臣の数を18に制限することについては、それはそれで良いが、新たなニーズに応えて行くためには、全体の大臣の報酬、予算の範囲内で、一人当たりの報酬を下げる、或いは各省庁に複数配置されている副大臣や政務官を整理し、内閣の総合調整機能を強化する方向で政務3役全体として検討することは可能であろう。(2011.08.11)
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シリーズ 安全神話は取り戻せるか? (その2)

2011-08-23 | Weblog
シリーズ 安全神話は取り戻せるか? (その2)

 1、基本的な防災対策強化の必要性 (その1で掲載)
 2、崩れた原子力発電の「安全神話」(その1で掲載)

 3、今後の原子力発電の安全性確保の上で何が必要か
 (1)全般的な原子力発電施設への防災インフラの強化
 今回の経験からマグニチュード9レベル、震度7前後の地震は起こり得るところであり、特に沿岸地域では大津波の可能性を考慮した防波堤や避難施設の強化など、基礎的防災インフラの改善、強化が必要であろう。なお海際に多い原子力発電所への防波堤などの強化については、私企業の敷地内ということであれば、高額な投資が必要としても国家が負担するというわけにないかないので工夫が必要となろう。
(2) 原子力発電所施設の防災対策の改善
 ほとんどの原子力発電所施設は沿岸部にあるので、耐震性だけではなく大津波への対策を含む防災対策の改善が必要であろう。
具体的には原子炉には燃料棒と使用済み燃料棒を水で冷却する装置があるが、大規模地震により停電となり、それをバックアップする自家発電装置も津波によりこれも作動しなくなり、冷却装置が完全に作動しなくなった。高度で危険性のある技術設備でありながら基礎的な安全対策が不十分であったと言えよう。
 また原子炉の構造においても、使用済み燃料棒を冷却するプールが原子炉本体の上部に隣接する形で設置されており、一方に障害が出ると他方にも重大な影響を与える構造となっており、安全上に問題があったと言えよう。
 放射線漏れの事故が起きた場合の備えについても、作業員の放射線防護服や防護車・防護盾、防護マスク・酸素マスク、自動消火装置や無人消火装置・ロボットなどの基本的な備えがなかったことも驚きである。防災インフラや施設などのハード面だけでなく、ソフト面での対応も不十分であったと言えよう。
 原子力施設の点検や整備、操業再開のための安全テストなど、日常的な業務もある。
 (3)災害発生時のソフト面の改善
どのように防災インフラを改善・強化しても自然の力が上回る可能性があるので、大災害発生時の避難方法などのソフト面の備えが不可欠であることが明らかになっている。
それらは単に国や地方公共団体が規則やマニュアルなどを作れば良いというものではない。個々人の自らの、そして家族・子孫の生命・財産は自らが守るという自己責任意識がなければ、国や地方公共団体が多額の予算と人員を動員したとしても全ての国民の生命・財産を守れるものでもない。古来から沿岸村落では津波の経験や知恵が脈々と言い伝えられており、今回も「大地震が起こったら船を沖に出せ」、「地震後潮が大きく引いたら高台に逃げろ」という古来からの教訓で被害を逃れた事例は少なくない。それは一例でしかないが、その教訓は被災地のこれからの復興、町造りにも生かすことが望まれる。
更に最大の問題は、頻繁に起こるものではないが、ある日突然に襲ってくる大規模災害や事故、場合によってはテロ攻撃等に直面した場合の対応振りなど、危機時のソフト面の備えを改善する必要があろう。
因みに、安全規則やマニュアル、或いは大規模災害・事故時の対応マニュアルなどを作ることも良いが、これまで良くありがちな余りにも詳細、緻密で分厚い規則、マニュアルを作っても、大災害が発生したら瞬時の対応が必要となると共に、大災害は各種の要素が複合して引き起こされシナリオは無いので、大部の規則・マニュアル類はほとんど役には立たないことが多い。まず一つ二つの迅速な判断と、自分たちの生命、財産は自らで守るという意識を持ち、まず難を逃れた後対応することが大切だ。(2011.08.11)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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シリーズ 安全神話は取り戻せるか? (その2)

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 1、基本的な防災対策強化の必要性 (その1で掲載)
 2、崩れた原子力発電の「安全神話」(その1で掲載)

 3、今後の原子力発電の安全性確保の上で何が必要か
 (1)全般的な原子力発電施設への防災インフラの強化
 今回の経験からマグニチュード9レベル、震度7前後の地震は起こり得るところであり、特に沿岸地域では大津波の可能性を考慮した防波堤や避難施設の強化など、基礎的防災インフラの改善、強化が必要であろう。なお海際に多い原子力発電所への防波堤などの強化については、私企業の敷地内ということであれば、高額な投資が必要としても国家が負担するというわけにないかないので工夫が必要となろう。
(2) 原子力発電所施設の防災対策の改善
 ほとんどの原子力発電所施設は沿岸部にあるので、耐震性だけではなく大津波への対策を含む防災対策の改善が必要であろう。
具体的には原子炉には燃料棒と使用済み燃料棒を水で冷却する装置があるが、大規模地震により停電となり、それをバックアップする自家発電装置も津波によりこれも作動しなくなり、冷却装置が完全に作動しなくなった。高度で危険性のある技術設備でありながら基礎的な安全対策が不十分であったと言えよう。
 また原子炉の構造においても、使用済み燃料棒を冷却するプールが原子炉本体の上部に隣接する形で設置されており、一方に障害が出ると他方にも重大な影響を与える構造となっており、安全上に問題があったと言えよう。
 放射線漏れの事故が起きた場合の備えについても、作業員の放射線防護服や防護車・防護盾、防護マスク・酸素マスク、自動消火装置や無人消火装置・ロボットなどの基本的な備えがなかったことも驚きである。防災インフラや施設などのハード面だけでなく、ソフト面での対応も不十分であったと言えよう。
 原子力施設の点検や整備、操業再開のための安全テストなど、日常的な業務もある。
 (3)災害発生時のソフト面の改善
どのように防災インフラを改善・強化しても自然の力が上回る可能性があるので、大災害発生時の避難方法などのソフト面の備えが不可欠であることが明らかになっている。
それらは単に国や地方公共団体が規則やマニュアルなどを作れば良いというものではない。個々人の自らの、そして家族・子孫の生命・財産は自らが守るという自己責任意識がなければ、国や地方公共団体が多額の予算と人員を動員したとしても全ての国民の生命・財産を守れるものでもない。古来から沿岸村落では津波の経験や知恵が脈々と言い伝えられており、今回も「大地震が起こったら船を沖に出せ」、「地震後潮が大きく引いたら高台に逃げろ」という古来からの教訓で被害を逃れた事例は少なくない。それは一例でしかないが、その教訓は被災地のこれからの復興、町造りにも生かすことが望まれる。
更に最大の問題は、頻繁に起こるものではないが、ある日突然に襲ってくる大規模災害や事故、場合によってはテロ攻撃等に直面した場合の対応振りなど、危機時のソフト面の備えを改善する必要があろう。
因みに、安全規則やマニュアル、或いは大規模災害・事故時の対応マニュアルなどを作ることも良いが、これまで良くありがちな余りにも詳細、緻密で分厚い規則、マニュアルを作っても、大災害が発生したら瞬時の対応が必要となると共に、大災害は各種の要素が複合して引き起こされシナリオは無いので、大部の規則・マニュアル類はほとんど役には立たないことが多い。まず一つ二つの迅速な判断と、自分たちの生命、財産は自らで守るという意識を持ち、まず難を逃れた後対応することが大切だ。(2011.08.11)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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 1、基本的な防災対策強化の必要性 (その1で掲載)
 2、崩れた原子力発電の「安全神話」(その1で掲載)

 3、今後の原子力発電の安全性確保の上で何が必要か
 (1)全般的な原子力発電施設への防災インフラの強化
 今回の経験からマグニチュード9レベル、震度7前後の地震は起こり得るところであり、特に沿岸地域では大津波の可能性を考慮した防波堤や避難施設の強化など、基礎的防災インフラの改善、強化が必要であろう。なお海際に多い原子力発電所への防波堤などの強化については、私企業の敷地内ということであれば、高額な投資が必要としても国家が負担するというわけにないかないので工夫が必要となろう。
(2) 原子力発電所施設の防災対策の改善
 ほとんどの原子力発電所施設は沿岸部にあるので、耐震性だけではなく大津波への対策を含む防災対策の改善が必要であろう。
具体的には原子炉には燃料棒と使用済み燃料棒を水で冷却する装置があるが、大規模地震により停電となり、それをバックアップする自家発電装置も津波によりこれも作動しなくなり、冷却装置が完全に作動しなくなった。高度で危険性のある技術設備でありながら基礎的な安全対策が不十分であったと言えよう。
 また原子炉の構造においても、使用済み燃料棒を冷却するプールが原子炉本体の上部に隣接する形で設置されており、一方に障害が出ると他方にも重大な影響を与える構造となっており、安全上に問題があったと言えよう。
 放射線漏れの事故が起きた場合の備えについても、作業員の放射線防護服や防護車・防護盾、防護マスク・酸素マスク、自動消火装置や無人消火装置・ロボットなどの基本的な備えがなかったことも驚きである。防災インフラや施設などのハード面だけでなく、ソフト面での対応も不十分であったと言えよう。
 原子力施設の点検や整備、操業再開のための安全テストなど、日常的な業務もある。
 (3)災害発生時のソフト面の改善
どのように防災インフラを改善・強化しても自然の力が上回る可能性があるので、大災害発生時の避難方法などのソフト面の備えが不可欠であることが明らかになっている。
それらは単に国や地方公共団体が規則やマニュアルなどを作れば良いというものではない。個々人の自らの、そして家族・子孫の生命・財産は自らが守るという自己責任意識がなければ、国や地方公共団体が多額の予算と人員を動員したとしても全ての国民の生命・財産を守れるものでもない。古来から沿岸村落では津波の経験や知恵が脈々と言い伝えられており、今回も「大地震が起こったら船を沖に出せ」、「地震後潮が大きく引いたら高台に逃げろ」という古来からの教訓で被害を逃れた事例は少なくない。それは一例でしかないが、その教訓は被災地のこれからの復興、町造りにも生かすことが望まれる。
更に最大の問題は、頻繁に起こるものではないが、ある日突然に襲ってくる大規模災害や事故、場合によってはテロ攻撃等に直面した場合の対応振りなど、危機時のソフト面の備えを改善する必要があろう。
因みに、安全規則やマニュアル、或いは大規模災害・事故時の対応マニュアルなどを作ることも良いが、これまで良くありがちな余りにも詳細、緻密で分厚い規則、マニュアルを作っても、大災害が発生したら瞬時の対応が必要となると共に、大災害は各種の要素が複合して引き起こされシナリオは無いので、大部の規則・マニュアル類はほとんど役には立たないことが多い。まず一つ二つの迅速な判断と、自分たちの生命、財産は自らで守るという意識を持ち、まず難を逃れた後対応することが大切だ。(2011.08.11)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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 1、基本的な防災対策強化の必要性 (その1で掲載)
 2、崩れた原子力発電の「安全神話」(その1で掲載)

 3、今後の原子力発電の安全性確保の上で何が必要か
 (1)全般的な原子力発電施設への防災インフラの強化
 今回の経験からマグニチュード9レベル、震度7前後の地震は起こり得るところであり、特に沿岸地域では大津波の可能性を考慮した防波堤や避難施設の強化など、基礎的防災インフラの改善、強化が必要であろう。なお海際に多い原子力発電所への防波堤などの強化については、私企業の敷地内ということであれば、高額な投資が必要としても国家が負担するというわけにないかないので工夫が必要となろう。
(2) 原子力発電所施設の防災対策の改善
 ほとんどの原子力発電所施設は沿岸部にあるので、耐震性だけではなく大津波への対策を含む防災対策の改善が必要であろう。
具体的には原子炉には燃料棒と使用済み燃料棒を水で冷却する装置があるが、大規模地震により停電となり、それをバックアップする自家発電装置も津波によりこれも作動しなくなり、冷却装置が完全に作動しなくなった。高度で危険性のある技術設備でありながら基礎的な安全対策が不十分であったと言えよう。
 また原子炉の構造においても、使用済み燃料棒を冷却するプールが原子炉本体の上部に隣接する形で設置されており、一方に障害が出ると他方にも重大な影響を与える構造となっており、安全上に問題があったと言えよう。
 放射線漏れの事故が起きた場合の備えについても、作業員の放射線防護服や防護車・防護盾、防護マスク・酸素マスク、自動消火装置や無人消火装置・ロボットなどの基本的な備えがなかったことも驚きである。防災インフラや施設などのハード面だけでなく、ソフト面での対応も不十分であったと言えよう。
 原子力施設の点検や整備、操業再開のための安全テストなど、日常的な業務もある。
 (3)災害発生時のソフト面の改善
どのように防災インフラを改善・強化しても自然の力が上回る可能性があるので、大災害発生時の避難方法などのソフト面の備えが不可欠であることが明らかになっている。
それらは単に国や地方公共団体が規則やマニュアルなどを作れば良いというものではない。個々人の自らの、そして家族・子孫の生命・財産は自らが守るという自己責任意識がなければ、国や地方公共団体が多額の予算と人員を動員したとしても全ての国民の生命・財産を守れるものでもない。古来から沿岸村落では津波の経験や知恵が脈々と言い伝えられており、今回も「大地震が起こったら船を沖に出せ」、「地震後潮が大きく引いたら高台に逃げろ」という古来からの教訓で被害を逃れた事例は少なくない。それは一例でしかないが、その教訓は被災地のこれからの復興、町造りにも生かすことが望まれる。
更に最大の問題は、頻繁に起こるものではないが、ある日突然に襲ってくる大規模災害や事故、場合によってはテロ攻撃等に直面した場合の対応振りなど、危機時のソフト面の備えを改善する必要があろう。
因みに、安全規則やマニュアル、或いは大規模災害・事故時の対応マニュアルなどを作ることも良いが、これまで良くありがちな余りにも詳細、緻密で分厚い規則、マニュアルを作っても、大災害が発生したら瞬時の対応が必要となると共に、大災害は各種の要素が複合して引き起こされシナリオは無いので、大部の規則・マニュアル類はほとんど役には立たないことが多い。まず一つ二つの迅速な判断と、自分たちの生命、財産は自らで守るという意識を持ち、まず難を逃れた後対応することが大切だ。(2011.08.11)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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シリーズ 安全神話は取り戻せるか? (その1)

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シリーズ 安全神話は取り戻せるか? (その1)
 政府は、原子力発電所の安全を維持・確保する原子力安全・保安院を経済産業省から切り離し、新組織として原子力安全庁を環境省の下に置くことに決定する。内閣府に置くか否かも一つの論点であったが、それは単に組織上、手続き上の問題ではない。「事業所外へのリスクを伴う事故」以上となれば広範な放射能汚染に発展するので、国民の安全と健康を確保するとの観点から、効果的、効率的な組織としなくてはならない。
 1、基本的な防災対策強化の必要性
 3月11日に発生した三陸沖の地震がマグニチュード9.2という戦後最大規模のものであり、マグニチュード7~8程度を想定していたこれまでの防災対策は、防波堤などのハードの面でも、また避難警報や避難方法などのソフトの面でも不十分であったことが明らかになった。三陸沖の地震や津波の危険性については、従来あれだけ頻繁に取り上げられ、多額の予算を投じて対策が採られて来た。しかし死者・不明者を含め2万人以上の被害を出し、多くの市町村が瓦礫と化した。全体として防災のあり方の再検討が迫られている。自然の驚異が人間の想定を上回ったということであるが、1995年1月の阪神淡路大震災の他、2004年12月26日にスマトラ沖で発生したマグニテユード9.3の大地震で巨大津波による広範に亘る被害を出し、三陸沿岸の津波への危険性が各方面から指摘されていたことを考えると、「想定外」では済まされない面があり、国レベルだけでなく、直接の当事者となる地方レベルまで、行政と立法、与野党双方において謙虚に過去の施策を再評価し、より安全で持続可能な社会作りに協力すべきであろう。
 2、崩れた原子力発電の「安全神話」
 そして従来“クリーンで安全なエネルギー”と言われ、地球温暖化対策の切り札の一つとされて来た原子力発電所が基礎的な脆弱性を露呈した。
「想定を越えた災害」が起こったとは言え、福島原子力発電所における大規模地震や津波災害への備えが施設面で不十分であったことに加え、原子炉に危機的な異変が起こった後の対応振りや備えがハード、ソフト双方の面で十分でなかったことが明らかになった。
この状況は、核融解(メルトダウン)という国家危機と言えるところであるので、東京電力1企業の能力を超えていたと言えよう。これのような状況を受けて政府(原子力安全・保安院)は、4月12日、国際的な原子力事故の評価レベルを5「事業所外リスクを伴う事故」から6の「大事故」を飛び越して一挙に最高レベルの7「危険な状態」に引き上げた。しかし何故もっと早く「大事故」以上に引き上げ、国が主導して事故の対応に当たらなかったのか疑問が残る。
 放射能防護などについては、日本だけではなく、核先進各国の核防護スペシャリストや軍の核防護スペシャリスト、或いは放射能防護のための資機材の提供など、あらゆる可能な方法を総動員する必要があった。一企業では対応は困難だ。
 今回の事故で6基ある原子炉の廃炉が避けられそうにない。原子炉1基の建設費は直接コストでも数千億円掛かるので、原子力発電は受け入れ市町村や県への交付金や各種の行政コストに加えると高コストとなる。更に事故対策や賠償などが必要になっている。
 既存の施設や建設中の施設を全て止めれば多大の損失や無駄となる一方、国全体の電力供給への影響も考慮しなくてはならないが、今後の電力・エネルギー政策と途上国への原子力発電所建設援助のあり方が再検討を迫られていると言えよう。
 3、今後の原子力発電の安全性確保の上で何が必要か  -シリーズ 安全神話は取り戻せるか? (その2)へ続く
 4、原子力安全庁はどの組織に置くべきか       -シリーズ 安全神話は取り戻せるか? (その3)へ続く
(2011.08.11)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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シリーズ 安全神話は取り戻せるか? (その1)

2011-08-23 | Weblog
シリーズ 安全神話は取り戻せるか? (その1)
 政府は、原子力発電所の安全を維持・確保する原子力安全・保安院を経済産業省から切り離し、新組織として原子力安全庁を環境省の下に置くことに決定する。内閣府に置くか否かも一つの論点であったが、それは単に組織上、手続き上の問題ではない。「事業所外へのリスクを伴う事故」以上となれば広範な放射能汚染に発展するので、国民の安全と健康を確保するとの観点から、効果的、効率的な組織としなくてはならない。
 1、基本的な防災対策強化の必要性
 3月11日に発生した三陸沖の地震がマグニチュード9.2という戦後最大規模のものであり、マグニチュード7~8程度を想定していたこれまでの防災対策は、防波堤などのハードの面でも、また避難警報や避難方法などのソフトの面でも不十分であったことが明らかになった。三陸沖の地震や津波の危険性については、従来あれだけ頻繁に取り上げられ、多額の予算を投じて対策が採られて来た。しかし死者・不明者を含め2万人以上の被害を出し、多くの市町村が瓦礫と化した。全体として防災のあり方の再検討が迫られている。自然の驚異が人間の想定を上回ったということであるが、1995年1月の阪神淡路大震災の他、2004年12月26日にスマトラ沖で発生したマグニテユード9.3の大地震で巨大津波による広範に亘る被害を出し、三陸沿岸の津波への危険性が各方面から指摘されていたことを考えると、「想定外」では済まされない面があり、国レベルだけでなく、直接の当事者となる地方レベルまで、行政と立法、与野党双方において謙虚に過去の施策を再評価し、より安全で持続可能な社会作りに協力すべきであろう。
 2、崩れた原子力発電の「安全神話」
 そして従来“クリーンで安全なエネルギー”と言われ、地球温暖化対策の切り札の一つとされて来た原子力発電所が基礎的な脆弱性を露呈した。
「想定を越えた災害」が起こったとは言え、福島原子力発電所における大規模地震や津波災害への備えが施設面で不十分であったことに加え、原子炉に危機的な異変が起こった後の対応振りや備えがハード、ソフト双方の面で十分でなかったことが明らかになった。
この状況は、核融解(メルトダウン)という国家危機と言えるところであるので、東京電力1企業の能力を超えていたと言えよう。これのような状況を受けて政府(原子力安全・保安院)は、4月12日、国際的な原子力事故の評価レベルを5「事業所外リスクを伴う事故」から6の「大事故」を飛び越して一挙に最高レベルの7「危険な状態」に引き上げた。しかし何故もっと早く「大事故」以上に引き上げ、国が主導して事故の対応に当たらなかったのか疑問が残る。
 放射能防護などについては、日本だけではなく、核先進各国の核防護スペシャリストや軍の核防護スペシャリスト、或いは放射能防護のための資機材の提供など、あらゆる可能な方法を総動員する必要があった。一企業では対応は困難だ。
 今回の事故で6基ある原子炉の廃炉が避けられそうにない。原子炉1基の建設費は直接コストでも数千億円掛かるので、原子力発電は受け入れ市町村や県への交付金や各種の行政コストに加えると高コストとなる。更に事故対策や賠償などが必要になっている。
 既存の施設や建設中の施設を全て止めれば多大の損失や無駄となる一方、国全体の電力供給への影響も考慮しなくてはならないが、今後の電力・エネルギー政策と途上国への原子力発電所建設援助のあり方が再検討を迫られていると言えよう。
 3、今後の原子力発電の安全性確保の上で何が必要か  -シリーズ 安全神話は取り戻せるか? (その2)へ続く
 4、原子力安全庁はどの組織に置くべきか       -シリーズ 安全神話は取り戻せるか? (その3)へ続く
(2011.08.11)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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 政府は、原子力発電所の安全を維持・確保する原子力安全・保安院を経済産業省から切り離し、新組織として原子力安全庁を環境省の下に置くことに決定する。内閣府に置くか否かも一つの論点であったが、それは単に組織上、手続き上の問題ではない。「事業所外へのリスクを伴う事故」以上となれば広範な放射能汚染に発展するので、国民の安全と健康を確保するとの観点から、効果的、効率的な組織としなくてはならない。
 1、基本的な防災対策強化の必要性
 3月11日に発生した三陸沖の地震がマグニチュード9.2という戦後最大規模のものであり、マグニチュード7~8程度を想定していたこれまでの防災対策は、防波堤などのハードの面でも、また避難警報や避難方法などのソフトの面でも不十分であったことが明らかになった。三陸沖の地震や津波の危険性については、従来あれだけ頻繁に取り上げられ、多額の予算を投じて対策が採られて来た。しかし死者・不明者を含め2万人以上の被害を出し、多くの市町村が瓦礫と化した。全体として防災のあり方の再検討が迫られている。自然の驚異が人間の想定を上回ったということであるが、1995年1月の阪神淡路大震災の他、2004年12月26日にスマトラ沖で発生したマグニテユード9.3の大地震で巨大津波による広範に亘る被害を出し、三陸沿岸の津波への危険性が各方面から指摘されていたことを考えると、「想定外」では済まされない面があり、国レベルだけでなく、直接の当事者となる地方レベルまで、行政と立法、与野党双方において謙虚に過去の施策を再評価し、より安全で持続可能な社会作りに協力すべきであろう。
 2、崩れた原子力発電の「安全神話」
 そして従来“クリーンで安全なエネルギー”と言われ、地球温暖化対策の切り札の一つとされて来た原子力発電所が基礎的な脆弱性を露呈した。
「想定を越えた災害」が起こったとは言え、福島原子力発電所における大規模地震や津波災害への備えが施設面で不十分であったことに加え、原子炉に危機的な異変が起こった後の対応振りや備えがハード、ソフト双方の面で十分でなかったことが明らかになった。
この状況は、核融解(メルトダウン)という国家危機と言えるところであるので、東京電力1企業の能力を超えていたと言えよう。これのような状況を受けて政府(原子力安全・保安院)は、4月12日、国際的な原子力事故の評価レベルを5「事業所外リスクを伴う事故」から6の「大事故」を飛び越して一挙に最高レベルの7「危険な状態」に引き上げた。しかし何故もっと早く「大事故」以上に引き上げ、国が主導して事故の対応に当たらなかったのか疑問が残る。
 放射能防護などについては、日本だけではなく、核先進各国の核防護スペシャリストや軍の核防護スペシャリスト、或いは放射能防護のための資機材の提供など、あらゆる可能な方法を総動員する必要があった。一企業では対応は困難だ。
 今回の事故で6基ある原子炉の廃炉が避けられそうにない。原子炉1基の建設費は直接コストでも数千億円掛かるので、原子力発電は受け入れ市町村や県への交付金や各種の行政コストに加えると高コストとなる。更に事故対策や賠償などが必要になっている。
 既存の施設や建設中の施設を全て止めれば多大の損失や無駄となる一方、国全体の電力供給への影響も考慮しなくてはならないが、今後の電力・エネルギー政策と途上国への原子力発電所建設援助のあり方が再検討を迫られていると言えよう。
 3、今後の原子力発電の安全性確保の上で何が必要か  -シリーズ 安全神話は取り戻せるか? (その2)へ続く
 4、原子力安全庁はどの組織に置くべきか       -シリーズ 安全神話は取り戻せるか? (その3)へ続く
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 政府は、原子力発電所の安全を維持・確保する原子力安全・保安院を経済産業省から切り離し、新組織として原子力安全庁を環境省の下に置くことに決定する。内閣府に置くか否かも一つの論点であったが、それは単に組織上、手続き上の問題ではない。「事業所外へのリスクを伴う事故」以上となれば広範な放射能汚染に発展するので、国民の安全と健康を確保するとの観点から、効果的、効率的な組織としなくてはならない。
 1、基本的な防災対策強化の必要性
 3月11日に発生した三陸沖の地震がマグニチュード9.2という戦後最大規模のものであり、マグニチュード7~8程度を想定していたこれまでの防災対策は、防波堤などのハードの面でも、また避難警報や避難方法などのソフトの面でも不十分であったことが明らかになった。三陸沖の地震や津波の危険性については、従来あれだけ頻繁に取り上げられ、多額の予算を投じて対策が採られて来た。しかし死者・不明者を含め2万人以上の被害を出し、多くの市町村が瓦礫と化した。全体として防災のあり方の再検討が迫られている。自然の驚異が人間の想定を上回ったということであるが、1995年1月の阪神淡路大震災の他、2004年12月26日にスマトラ沖で発生したマグニテユード9.3の大地震で巨大津波による広範に亘る被害を出し、三陸沿岸の津波への危険性が各方面から指摘されていたことを考えると、「想定外」では済まされない面があり、国レベルだけでなく、直接の当事者となる地方レベルまで、行政と立法、与野党双方において謙虚に過去の施策を再評価し、より安全で持続可能な社会作りに協力すべきであろう。
 2、崩れた原子力発電の「安全神話」
 そして従来“クリーンで安全なエネルギー”と言われ、地球温暖化対策の切り札の一つとされて来た原子力発電所が基礎的な脆弱性を露呈した。
「想定を越えた災害」が起こったとは言え、福島原子力発電所における大規模地震や津波災害への備えが施設面で不十分であったことに加え、原子炉に危機的な異変が起こった後の対応振りや備えがハード、ソフト双方の面で十分でなかったことが明らかになった。
この状況は、核融解(メルトダウン)という国家危機と言えるところであるので、東京電力1企業の能力を超えていたと言えよう。これのような状況を受けて政府(原子力安全・保安院)は、4月12日、国際的な原子力事故の評価レベルを5「事業所外リスクを伴う事故」から6の「大事故」を飛び越して一挙に最高レベルの7「危険な状態」に引き上げた。しかし何故もっと早く「大事故」以上に引き上げ、国が主導して事故の対応に当たらなかったのか疑問が残る。
 放射能防護などについては、日本だけではなく、核先進各国の核防護スペシャリストや軍の核防護スペシャリスト、或いは放射能防護のための資機材の提供など、あらゆる可能な方法を総動員する必要があった。一企業では対応は困難だ。
 今回の事故で6基ある原子炉の廃炉が避けられそうにない。原子炉1基の建設費は直接コストでも数千億円掛かるので、原子力発電は受け入れ市町村や県への交付金や各種の行政コストに加えると高コストとなる。更に事故対策や賠償などが必要になっている。
 既存の施設や建設中の施設を全て止めれば多大の損失や無駄となる一方、国全体の電力供給への影響も考慮しなくてはならないが、今後の電力・エネルギー政策と途上国への原子力発電所建設援助のあり方が再検討を迫られていると言えよう。
 3、今後の原子力発電の安全性確保の上で何が必要か  -シリーズ 安全神話は取り戻せるか? (その2)へ続く
 4、原子力安全庁はどの組織に置くべきか       -シリーズ 安全神話は取り戻せるか? (その3)へ続く
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