内外政策評論 TheOpinion on Global & Domestic Issues

このブログは、広い視野から内外諸問題を分析し、提言を試みます。
Policy Essayist

新都知事にコンパクトなオリンピック予算等を要請する!!

2016-08-29 | Weblog

新都知事にコンパクトなオリンピック予算等を要請する!!

 舛添都知事の辞任を受けて行われる都知事選は、候補者がほぼ出揃い、各候補の都政への基本姿勢や施策等が示され始めている。

 しかし誰が都知事になっても、2020年の東京オリンピック・パラリンピックについては、東京都内の限られた競技場でコンパクトに実施するとの当初の案よりも、実施を東京都に限定せず、広く地方の利用可能な施設や場所を最大限に活用し、コンパクトな予算の下で実施されるよう要請したい。

 2020年にオリンピック・パラリンピックが日本で開催されることは歓迎するところである。しかしコンパクトな実施を売り物にして開催を獲得したが、新国立競技場の建設費用はもとより、競艇場や選手村、プレスセンターの設置など、当初予算より遥かに高額な費用が予想されるなど、予算、即ち納税者、国民の負担からすると膨大で、コンパクトどころではない。都民の負担はさることながら、コンパクトではあるが多額の予算を投じることは、東京の一極集中を更に促進することになろう。何故東京にのみ限定し、このような膨大な資金を投じなくてはならなおのだろうか。

 地方は過疎化し、限界集落が増え続けているので、地方の活性化の一助とするためにも、地方で活用できる施設等は最大限に活用し、いわばオールジャパンで東京、地方ともども楽しめるオリンピック・パラリンピックにすべきではないだろうか。もし総費用において余り差がなくても、東京にだけ投じるよりも、地方にも資金を投じる方が有意義であろう。

 選手等の負担を軽減する意味で交通手段の確保が重要となるが、専用列車や臨時便の増発、或いはタッチ・アンド・ゴーで搭乗できるシャトル便の確保やICカードの発給などで、移動を円滑にするなどの工夫は可能であろう。またこのような新たな移動モデルは、大会後の交通手段の向上となるものと予想される。

(2016 .7.12.)(All Rights Reserved)

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シリーズー大学の世界ランキング・アップに何が必要か? (再掲)

2016-08-29 | Weblog

 シリーズー大学の世界ランキング・アップに何が必要か? (再掲)

(はじめに)

 英国の教育専門誌「Times Higher Education」がアジア各国の大学の2016年度版ランキングを発表した。シンガポールの大学がトップとなり、シンガポールや中国の大学が躍進したのに反し、3年連続で1位だった東京大学は7位に順位を下げた。

 しかし、これは東大だけの問題ではない。京都大学が前年の9位から11位に、東北大学も19位から23位に下がり、上位100位以内に入った日本の大学は前年より5校減って14校となった。他方、シンガポールの大学が上位2位を占め、中国の大学は上位100校以内に22校が入っている。

 この理由の一つとして、同誌は、「この20年間日本の大学が資金の制約を受けており世界の大学との競争や国際化のための支援が少ない」旨指摘していると報じられている。 ランキングの内訳を見ると、東京大学は’教育の質’では上位だったが、’学生と教員の国際性’では70位と低く、国際性の欠如が全体の順位を下げた形になっている。

 要するに、大学への資金の量の問題ではなく、配分の問題のようだ。’学生と教員の国際性’の問題では、入試試験制度の問題だけでなく、企業・団体の新卒優先、大学院教育の軽視の採用試験などと共に、教育行政や大学教育の在り方などが問題なのであろう。このような点については、「シリーズー大学の世界ランキング・アップに何が必要か?」(初稿2013年9月28日)と同様であるので、本稿を再掲する。

 なお、英国の教育専門誌「Times Higher Education」は、毎年世界の大学での研究内容や論文の引用回数、それに国際化の度合いなど、研究分野と教育分野の双方の基準を元に大学の格付けを公表しているが、3月12日に2015年度世界の大学ランキングを発表したのに続き、6月10日、アジアの大学のランキングを発表した。

 世界の大学トップ100では、東大が2014年度の21位から12位に順位を上げ、京大が26位から27位へとほぼ同レベルを維持したが、これまで日本の大学は2校しか入っておらず、私学はトップ100に1校も入っていない。

 アジアの大学のランキングでは、東大が前年度同様1位を維持したが、その他の大学が順位を落としている。アジアの大学トップ100では、日本の大学が2014年度より1校減の19校、中国が3校増の21校と逆転され、中国の大学の伸張が顕著となっている。日本の私学がほとんど顔を出していないことも、国公立大学と私学の格差や私学の在り方として懸念される。

 同英国専門誌は、中国の大学の伸張を受けて、「日本が研究への投資を増やすべきであり、迅速に行動する必要がある」と指摘しているが、教育投資だけでは十分ではない。教育環境というソフト面、即ち、教育の在り方や教員組織の在り方、及び学生の受け入れ手となる企業や行政組織、団体が大学に何を求めるか、更に新卒優先の採用と終身雇用という閉鎖性が強い就職制度や日教組他の労働組合の在り方など多くの課題を提示している。

  

(本文) 

 2014年度予算の各省庁要求を政府概算要求を査定する時期になったが、文部科学省は、世界大学ランキング100校入りを支援するために、国公私立の10大学に対し毎年100億円の助成を予算要求すると伝えられている。

 現在、世界大学ランキング100校には日本の国立大学が2校入っているだけであり、一人当たりのGDPを加味すると実質的に世界第2位の経済大国である日本にとっては少し寂しいところだ。ランキング・アップには指導環境など色々な要素が必要だが、各大学の学者、研究者が“独創的な研究を行い、研究論文が内外の研究者などから引用されること”が決定的な要素となる。要するに、各大学に所属する教授ほか研究者の「独創的な研究実績」と「語学力など、対外的な発信能力」が問われていることになる。

 文科省は、10校を選定し、海外の大学との共同研究や著名な研究者の招聘を支援するなどしている。これのような研究交流や人的交流自体は良いことではあるが、新たに毎年100億円もの予算を投入して相当長期を掛けてもどの程度の効果が出るか疑問である。そもそも教育のあり方の転換や教師、研究者の資質や姿勢など、大学院の普及などの制度面、人材面の改善、即ち教育ソフト面の転換がより重要に思える。

 また2014年12月22日、文部科学大臣の諮問機関である中央教育審議会(中教審)は、大学入試の改革について答申を行った。現在の‘大学入試センター試験’をこれまで重視されて来た‘暗記した知識の量’ではなく、‘思考や判断など知識の活用力’に重点を置いた「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」に転換するよう求め、現在の小学6年生が高校3年になる2020年度実施分から変更するよう答申している。入試制度、従って評価内容や方法が変われば、高校での教育内容や教師に求められる授業方法だけでなく、大学レベルでの教える側の姿勢や教育方法も変わって行かなければならない。また就職試験においても、公務員はもとより、企業、団体の求人側の姿勢もそれに対応しなければ実効性は限定的なものになる可能性もある。また制度作りをする行政側も、そのために規則や指導要領などを細部まで決めて教育現場に実施を求めたり、試験漬けにすることなく、学生の多様な能力が発揮出来、また再チャレンジが可能となるよう、寛容性と多様な選択が可能となる制度作りが望まれる。

 1、 外国大学との共同研究や研究者招聘の効果は局部的、限界的

 外国の共同研究や著名研究者の日本への招聘については、各大学の判断で実施することは大いに良いことであるが、今更という印象を受ける上、その効果は長期を要し、例えば10年間としても1,000億円の予算負担となり、費用対効果の面で疑問が残る。

 外国大学との共同研究でも、iPS細胞分野など日本側に何らかの比較優位のある分野でなければ、各分野で先端を行っているような外国人研究者は日本との共同研究は希望しないであろう。著名な外国人研究者の招聘にしても高額の招聘費が必要となるだろうし、日本での研究にメリットを感じなければ希望しないであろう。いずれの場合も、日本側に相当高度な研究水準と語学力がなければ得るものは少ないと判断されるであろう。

 招聘事業で一つの例を挙げよう。日本は、1985年9月のプラザ合意で急速な円高を容認し、それにより日本企業の海外進出が急増した。それに伴い海外で活動できる人材や知識等が必要となり、日本の「国際化」が必要とされた。その対策の1つとして90年代初頭より、政府は「語学指導等を行う外国青年招致事業」(JETプログラム)を開始し、当初は米国を中心とする英語圏から青年を招聘し、地方公共団体と共同して各地の学校等に英語教師として配属し、英語教育の普及を行った。その後英語圏以外も加えたほか、役割も地方公共団体の国際交流促進のための助言等の分野に広げ、当初の4カ国から40カ国ほどに拡大し招聘している。この事業は既に20年以上実施しているので、日本各地において外国語を習得し、或いは地方レベルでの国際交流を担える人材が可なり育っていることが期待される。確かに一定の効果はあったが、最大の効果は、日本に招聘された外国人の日本語能力が顕著に向上している上、各地の伝統文化だけでなく、アニメを含む若者文化や日本食、工芸品、匠の技などへの理解と評価も向上し、それが世界各地に伝えられ、日本の伝統文化、技術の水準の高さと共に、現代の庶民文化、若者文化への興味が世界に広がったことであろう。知日派、好日派外国人が増え、日本各地の草の根文化や工芸技術への評価が顕著に高まったが、本事業の本来の目的である日本での英語の普及や能力向上については、20年以上継続しているにも拘らず、それ程の効果は得られていない面がある。逆にこの制度が恒常化したことにより、地域の国際交流や外国人との関係についてはJETで招聘された外国人に実体上任され、JETへの依存性が高まり、地域住民自体の語学力向上や国際化には余り寄与していないとの弊害も見られる。

 外国大学との共同研究や研究者の日本への招聘事業が長期化することになると、JETプログラムと類似の結果となり、日本の学術研究のレベルや創造性、独創性を高め、それが世界に評価、引用されることにどれだけ貢献することになるのか疑問なしとしない。

 また新たな事業予算の追加も良いが、中・長期的な少子化の趨勢に対応し、教育姿勢と共に、国・公立学校を地域別に統廃合し、また国・公立と私立との学費格差や研究助成格差等を縮小することなど、高等教育制度自体を再点検する必要がありそうだ。また暗記重視の教育方針、試験制度から発想力や創造性、独創性を重視した教育姿勢や試験(評価)制度に優先度と資源の再配分を行い、その中で新たなニーズ、事業を加えて行くなどの工夫と先見性が必要と言えよう。中・長期的な少子化、人口減の中での長寿化社会において、新規事業や学校・学部を増加し続け、教育予算を更に拡大することは現実的に困難と見られる。

 2、 最も必要とされる研究成果の英語等による発表能力

 知的活動の分野において、日本の研究成果や論文等が世界の多くの学者、研究者によって評価、引用されるようになるためには、創造性、独創性を重視した教育姿勢、試験(評価)制度と入学試験や公務員を含む就職試験のあり方(新卒者偏重、出身大学主義の採用試験制度など)と大学院レベルへの高等教育の普及と修了者への処遇の改善など、教育姿勢や教育・採用試験制度という教育ソフト面の改善が不可欠と言えよう。

 しかし現実論として学者、研究者による研究成果が国際的に評価されるためには、研究成果が国際的な外国語(英語で可)による成果の発表が不可欠である。どんなに良い研究成果や作品でも日本語だけでは国際的に評価されない。外国と国境を接していない日本では外国語に接する機会は少ないので、当面英語での研究成果の発表を日常化することが望まれる。理工系や医学分野等では研究成果の英語等による発表はある程度行われているが、社会科学や人文科学分野では余り行われてない。

 そのためには、学生や学者、研究者等の2年以上の主要国への留学を飛躍的に増加させることが最も効果的であろう。学生、研究者等の海外留学を促進するため、例えば海外留学(高校・専門レベルで1年、大学・大学院レベルで2年など)での取得単位を国内単位としての認定を促進することと、海外留学奨学金(原則無利子、成績優秀者等には無償など)を新設、拡充することが望まれる。その上で海外からの留学生、研究者の受け入れを促進することが、日本の研究成果の海外への発信力を高める早道と言えよう。

 もっとも日本の英語教育は、中学、高校の6年間に必修科目として行われているが、海外に行って、日本で6年間英語を習っていて英語がしゃべれないと言うと、信じられないというような顔をされる。英語を「語学」という学問の範疇で教え、試験科目にしていることが、コミュニケーション手段としての言葉なることを妨げているようだ。子供が言葉を反復しながら覚えるように、まず英語を耳で聞き、口でしゃべるようにして行き、必要に応じ高学年になってスペリングや文法などへと高めて行けば良いことであろう。外国語を世界とのコミュニケーション手段として行く上では、試験なども「語学」試験としての必須科目とはせず、生きたコミュニケーション手段として選択科目にするなどの改善が必要のようだ。

 3、創造性、独創性を重視した教育・入試制度など、意識と制度の転換が不可欠

 海外への外国語での研究成果の発信力向上に加え、研究成果の創造性、独創性が求められることは言うまでもない。日本の教育方針や制度、試験制度は、卒業後の公務員・企業の就職試験に至るまで基本的に一貫して記憶力、暗記力に重点を置いている。“応用問題”も採用されてはいるが、これも既存知識や研究の“応用”であり、発想力や創造性、独創性を涵養するものではない。

 教える側も、既存の知識や理論等を教え与えることが主眼となっている。無論基本的な知識を蓄積することは重要ではあるが、米欧等においては、研究者や学者が研究論文を可なり頻繁に出さないとポジションを維持することが困難になるので、理工系や医学系に限らず、社会科学、人文科学系においても独創的な研究論文の発表に常に努力している。日本の場合、詰め込み授業に追われることが多く、また基本的に年功序列の昇進となるので研究成果を出す必要が必ずしもない上、自発的な留学のための休暇・休職なども取り難く、また一定年数勤務後の研究休暇(サバテイカル休暇)なども普及していない。

 従って日本の大学が国際的に高い評価を得るためには、教育姿勢や教育方針・制度など、教育ソフト面の改善、転換が不可欠と言える。

 4、 発想力、創造性を加味した就職試験の拡大の必要性

 中学、高校、大学等への進学は、最終的には公務員採用試験を含め、就職への有利性が考慮されるので、就職、採用試験が暗記、記憶力に重点が置かれている限り、学校教育でも暗記、記憶力に重点が置かれることになる。確かに学生が教師と黒板に向かい合う対峙型となり、学生はそれを記録し、記憶するという教育方式が中心となっている。

 それはそれとして良いのだが、もっと小グループで学生と教師の質疑、意見交換、小論文作成等により、双方交通の授業方式を促進し、学生の個々人の個性引き出し、表現できる授業形態が増えることが望ましい。それにより現在欠けていると見られている議論する能力やコミュニケーション能力も向上するものと期待される。

 そのためには採用、就職試験でも暗記、記憶力、応用力に加え、発想力や創造力、独創性を評価することが望まれる。それを短時間で採点することは難しいので、学校側の評価を取り入れることが現実的であろう。

 5、 大学院レベルの高等教育の普及と修士・博士号取得者への公正な処遇

 日本は“学歴主義”と言われることがあるが、実際は、国家公務員等を含め採用が新規卒業者を対象に行われるので、どうしても出身校が差になると共に、いわゆる“終身雇用”形態となっているため、大学院への進学率は、欧米先進工業国等に比して非常に低いのが現状だ。

 人口千人当たりの大学院学生数では、日本の2人に対し、米国9人、英、仏の各8人、韓国が6人となっている(資料:教育指標の国際比較平成23年版)。また25歳以上の大学院入学者は、諸外国では平均2割程度に達するが、日本では2%以下であり、大学院への社会人入学者が非常に少ない。これを反映して、日本の大学院の規模は諸外国に比して小さく、“高度人材を育成する基盤が弱い”と見られている(経済産業省研究資料)。

 また日本の企業役員等(従業員500人以上)の最終学歴では、米国の上場企業管理職等に占める大学院修了者の比率は、人事部長クラスで約62%、営業、経理部長クラスで約45%であるのに対し、日本の大学院卒の比率は5.9%と極端に低い(経済産業省研究資料)。米国では、高校の校長になるためには修士号取得が必要なことが多い。また国連など、国際公務員の幹部クラスは修士号、博士号取得者が多いが、日本の国家公務員の政策職の幹部には大学院修了者はほとんどいない。日本では博士課程修了者の就職率も6割前後に留まっている。上記の通り主要諸国では大学院修了者への評価く、高いキャリアー・アップの要件になっている一方、日本における新卒採用の偏重と大学院修了者の社会的進出の低さが、大学院の規模や大学院進学率の阻害要因になっていると言える。

 日本における高度人材の育成を図るため、大学院制度のあり方が課題と言えよう。

 6、 少子化に備えた教育施設の整理・統合や教育関連予算と受け入れ手となる社会環境

(別掲)

 日本は今後少子化と人口減、長寿化社会を迎える一方、グローバリゼーションの流れの中で、物、人、資金の自由化が更に進み、日本への海外資本による直接投資も増加することになるので、高度技術における国際競争力の維持、促進のみならず、日本国内において経営レベルでも国際競争に晒されることになると予想されるので、経営レベルを含め高度人材の育成が課題となると予想される。

 このような内外の社会変化に対応して、大学・大学院での制度や教育のあり方を再点検する時期にあると言えよう。しかし上記の通り、大学・大学院での教育や研究は、企業や行政組織及び関係団体のニーズに影響を受けることになるので、社会全体の理解と協力を得つつそのレベル・アップを図って行くことが期待される。(2015.6.19.)(All Rights Reserved.)

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歴史的な英文著書‘The Mystery over Lord Buddha’s Roots’ が国際出版

2016-08-29 | Weblog

歴史的な英文著書‘The Mystery over Lord Buddha’s Roots’ が国際出版

歴史的な英文著書‘The Mystery over Lord Buddha’s Roots’(著者小嶋光昭)が国際出版され(Nirala Publications, New Delhi, India)、Amazon India(タイトル又は著者名で検索)又は Manohar (Lord Buddha’s Roots又は著者名で検索)でも購入出来ます。

タイトルは“ミステリー”となっていますが、これまで明らかにされていなかった驚くべき真実が示されています。シャキア(釈迦)王国の存亡の真実。修行後ブッダとなったシッダールタ王子が29歳まで過ごしたカピラヴァスツ城の場所の真実。そしてそのような真実に新たな光を当てることにより、劇的に変化するブッダ時代の歴史的、社会的な背景の真実。そしてブッダの基本となる思想や哲学。これまで多くの点で闇とされ、或いは解明が阻まれて来た真実が明らかにされています。

本著は、ブッダのルーツ、そしてシャキア部族王国の社会的、文化的背景等につき、驚くような歴史的な解明を行っています。2500年以上前にネパールのルンビニで生まれ、カピラヴァスツ城で過ごしていたシッダールタ王子は、城を出て修行し、偉大なる思想家、賢者であるブッダとなる道を歩んだ。しかし、カピラヴァスツ城の具体的な場所や恵まれた立場にあったシッダールタ王子が何故城を後にしたのか、そしてシャキア部族王国が何故ジャングルの中に消えることになったのか。謎は未だ解明されていない。それどころか、カピラヴァスツ城と言われる遺跡は、今日でもネパールのテイラウラコット村とインド側のピプラワ・ガンワリアの2か所にあり、イギリスの著名な百科事典でも明確な説明がされていない。本著はその真実を解明しており、歴史的な意義があります。

その上、そのような真実の解明の過程から、ブッダ時代の社会的、文化的背景がより明らかになります。そして、そのような社会的、文化的時代性を背景にして、人類平等思想、生命の摂理に基づいて自然に生活すること(中庸の法、中庸の道)の重要性、病・老・死に直面した社会福利思想、そして不殺生・非暴力思想などのブッダ思想が生まれたことが鮮明に示されています。そのような根本思想は、ユーラシア大陸の東西に伝波し、その後生成して行く東西の思想、哲学や宗教の発展に影響を与えています。

そして、そのようなブッダの中核的な思想は、今日の世界にも重要な指針を提供していると言えるのではないでしょうか。

日本には、仏教は飛鳥時代に(仏教公伝西暦552年)中国、朝鮮を介して漢語訳されたと経論等と共に伝えられ、推古天皇が仏教を普及するようにとの勅令を出し、聖徳太も17条憲法(西暦604年)で僧侶を敬うようにとの趣旨を明らかにして以来、朝廷に受け入れられることになった。

そして武家勢力の伸張に伴い、仏教は武家、庶民へと普及し、江戸時代には檀家制度や寺子屋などを通じ統治機構の末端の役割を果たす仏教制度として確立され、日本の思想、文化へ幅広い影響を与えている。

仏教は、日本固有の仏教制度として定着しているが、ブッダ教は、アーリアン(インド・ヨーロッパ語族)の長期にわたるインド亜半島への移動という大きな社会変動の中で生まれた思想である。ブッダの基本思想は、その後ユーラシア大陸の東西に伝播し諸思想、哲学に影響を与えた普遍性のある国際的な思想であることを改めて理解する必要があろう。本著はそのようなブッダ思想誕生の真実と歴史的、社会的な背景を提供している。

 

*出版社: Nirala Publications, New Delhi, India.

*インターネット・ブックショップ:Bagchee Books, Amazon India、及びManohar他

・日本語版「お釈迦さまのルーツの謎」(初版、東京図書出版)は、アマゾン他、インターネット・ブックショップで購入出来ます。

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Historic new book ‘The Mystery over Lord Buddha’s Roots’ is now available

2016-08-29 | Weblog

Historic new book ‘The Mystery over Lord Buddha’s Roots’ is now available

on e-bookshops

The historic new book ‘The Mystery over Lord Buddha’s Roots’, written by Mr. Mitsuaki KOJIMA, Ambassador Ret., is now available on Amazon India(search by Title or Author’s name). It is also available on Manohar (e-book shop, search by Lord Buddha’s Roots, or Author’s name).

The title of the book is ‘The Mystery over Lord Buddha’s Roots.’, but it is only a mystery until you read it through and find the Truth. Its real theme is the truth. Truth about the rise and fall of the Shakya Kingdom, and Truth about the location of Kapilavastu, the resident Castle where Buddha, as Prince Siddartha, lived until 29 years old. Truth about Buddha’s thinking and philosophy. So many aspects which have been kept in the dark and unsolved are shed light.

The book offers an amazing and historic revelation of the facts about Lord Buddha's roots and the social and cultural background around Buddha’s period. Prince Siddhartha, born in Lumbini, Nepal, over 2,500 years ago and raised at the Castle Kapilabastu of the Shakya Kingdom, but left the Castle to become a Buddha, great thinker or Sage. There still remains mystery about the location of the Kapila Castle, the historical and cultural background of why he left the Castle, giving up his prestigious position as Crown Prince, and how Shakya Kingdom vanished in the jungle. Over the centuries around Buddha’s time, there started a dynamic population flow of the Aryan race from Europe to the Indian subcontinent, naturally causing a racial fusion with indigenous population. And the dramatically changing historical and social background of Buddha’s age required a new way of thinking, wisdom and philosophy.  

The author points out, by shedding light on such facts, how the Buddha teachings such as human equality, human welfare facing ailing, aging and dying, the Law of the Golden Mean to live naturally in accordance with the providence of life and no killings, non-violence must have travelled far and wide from the area and influenced the subsequent developments of philosophical schools and religions across the Eurasian Continent.

And the core elements of Buddha teachings still offer an important guidance at the present time.

 

*The publisher is Nirala Publications, New Delhi, India.

*Available also on Bagchee Books, Amazon India, Amazon.com and other e-bookshops

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NHK受信料の義務化と放送枠の大幅自由化を支持 (その2)

2016-08-29 | Weblog

NHK受信料の義務化と放送枠の大幅自由化を支持          (その2)

 自民党情報通信戦略調査会の放送法改正に関する小委員会は、9月24日、NHKの受信料を契約の有無に拘わらず支払いを義務化する提言をまとめたようだ。NHKの受信料の世帯支払い率は全国値推計で75.6%(2014年度末現在)と低い上、家庭訪問などの徴収コストが735億円(2015年度予算、受信料収入の10.7%)にも達しており、徴収コストが膨大なことに加え、4分の1近くが未払いとなっていることが問題視されている。

 このようなことから、同小委は、不払い者に対する罰則(英国BBCの例)やテレビの有無に拘わらず世帯毎に徴収(ドイツ公共放送の例)などを参考にして、受信料義務化を検討するよう提言している。

 NHK受信料の徴収コストが巨額な上、世帯不払い率が全国で4分の1に達している状況は速やかに是正することが望ましいので、徴収コストが掛からない形での受信料支払いの義務化を支持したい。

 しかし義務化の前に、公共放送としてどのような番組を放送すべきかなどを精査することが不可欠ではないだろうか。

 1、「公共放送」として維持すべき放送事業とは                          (その1で掲載)

 2、英国の国営放送BBCも巨大化から事業規模縮小に転換              (その1で掲載)

 3、受信料徴収の義務化と徴収コストの削減    

 上記の通り、「公共放送」としての事業規模を大幅に縮小し、それ以外で民営化(民間委託等を含む)出来るものを自由化すると共に、「公共放送」の受信料については義務化し、735億円もの巨額な徴収コストを無くす一方、公平な受信料支払いに基づく事業収入の安定化を図ることが望ましい。

 徴収方法については、世帯別や個人からの徴収を前提とする義務化であれば、税金として徴収する方が合理的であろうが、税金化には財源の制約や「報道の自由」との問題がある。また受像機、受信機を持たない者からも徴収することは不適当であろう。

 上記の観点から、「テレビ受像機、ラジオ受信機」の購入時点に、‘NHK受信料’として製品価格の一定比率の低額料金を徴収し、販売業者がNHKに納付する方式を検討してみてはどうだろうか。「テレビ受像機、ラジオ受信機」の定義や受信料の額については別途定めることとするが、「テレビ受像機、ラジオ受信機」以外からは徴収しない。これにより、視聴者との関係では製品購入時での契約となり、政府(総務省)の関与もほとんど無くなるので、「報道の自由」についても確保し易くなろう。

 なおBS衛星放送についてはコード化が可能であるので、世界各国で行われている通り、有料の個人契約とする。既にNHK海外放送(衛星放送)については有料の個人契約となっている。(2015.11.25.) (All Rights Reserved.)

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NHK受信料の義務化と放送枠の大幅自由化を支持 (その1)

2016-08-29 | Weblog

NHK受信料の義務化と放送枠の大幅自由化を支持          (その1)

 自民党情報通信戦略調査会の放送法改正に関する小委員会は、9月24日、NHKの受信料を契約の有無に拘わらず支払いを義務化する提言をまとめたようだ。NHKの受信料の世帯支払い率は全国値推計で75.6%(2014年度末現在)と低い上、家庭訪問などの徴収コストが735億円(2015年度予算、受信料収入の10.7%)にも達しており、徴収コストが膨大なことに加え、4分の1近くが未払いとなっていることが問題視されている。

 このようなことから、同小委は、不払い者に対する罰則(英国BBCの例)やテレビの有無に拘わらず世帯毎に徴収(ドイツ公共放送の例)などを参考にして、受信料義務化を検討するよう提言している。

 NHK受信料の徴収コストが巨額な上、世帯不払い率が全国で4分の1に達している状況は速やかに是正することが望ましいので、徴収コストが掛からない形での受信料支払いの義務化を支持したい。

 しかし義務化の前に、公共放送としてどのような番組を放送すべきかなどを精査することが不可欠ではないだろうか。

 1、「公共放送」として維持すべき放送事業とは

 視聴料を義務化して全国的な「公共放送」を維持するということであれば、事業の範囲を、そもそもの原点に立ち返りコマーシャル・ベースでは困難な文化・教育番組(幼児向けや老齢者向けやコミュニテイ活動を含む)と報道番組(日本語海外放送を含む)、国会中継や地方議会中継などを中心とすると共に、ドキュメンタリーや歴史的、地理的、社会的な取材番組、史実に則った長編ドラマや伝統的芸能文化・工芸など、芸術性の高い番組と放送技術に関する研究・開発など、製作コストや視聴率を余り気にせず、コマーシャル・ベースでは困難で、興味ある質の高い番組に特化して行くべきではなかろうか。

 このようにすれば、「公共放送」の事業費は例えば現在の2分の1から3分の1程度の規模でも十分であろう。それでも年間3,500億円~2,400億円程度の事業規模であり、TBS、日本テレビやテレビ東京以上の放送事業となる一方、視聴者負担を大幅に軽減出来る。

 その他の事業については全て止めるということでは決して無い。その他の分野については、緊急時や災害時については適切な形で割り込めることを条件として、時間帯を民放や地方放送局などに委託や売却するなどで自由化することが望ましい。チャンネルを1つに統合して行うことも選択肢となろう。

 そのような形で、全体として事業規模や事業内容の見直しが行われても良い時期ではなかろうか。放送事業に参入を希望する企業家は地方にも多く、放送枠の自由化により放送事業が活性化し、地方ベースの放送関連産業や芸能産業が発展することが期待されると共に、地方それぞれの工夫や特性を生かし易くなり、地方の発信力が高まり、若い世代にも活躍の場が提供出来るものと期待される。若い世代も引き付ける地方活性化のためにも、NHK放送権の分権化が必要なっているのではないだろうか。

 なお地震、台風その他の緊急な放送については、公共放送の大きな役割であり、自由化された時間帯においても放送出来るようにすべきであろう。しかし携帯電話やインターネットを通じる媒体が多様化している今日では、緊急時に多くの人がNHK以外の放送やインターネット・サイトを見聞きしている可能性が高いので、インターネット・携帯電話での配信がより重要になっていると言えよう。しかしそのような媒体は、児童、年少者も使う可能性が高いので、NHK「公共放送」の受信料を課すのは適当ではないのではなかろうか。

 NHKは、戦後のTV事業の発展や娯楽・情報の提供など、特に地方で果たして来た役割は大いに評価される。しかし今日では、民放も大きく発展し、TV以外の娯楽も豊富となり、外国衛星放送を含め番組選択の範囲も飛躍的に拡大するなど、放送事業発展への役割はほとんど果たされている。従って民放で頻繁に放送している芸能・娯楽番組に類似する番組や、視聴率が極めて低い番組などは、視聴者に負担を掛ける公共放送としては必要性がなくなっていると言えると共に、民放や地方テレビ局の発展を圧迫しているとも言えよう。

 2、英国の国営放送BBCも巨大化から事業規模縮小に転換

 英国の国営放送BBCは、2010年以降、1990年代よりの拡大路線から‘事業量削減、質の向上’路線に転換を図っている。具体的には、コメディー番組、バラエティー番組の削減、海外からの番組購入費の20%削減やスポーツ放送権の上限設定、ラジオ2波の削減、ウエッブ半減、一部出版事業からの撤退などを行う一方、ニュース、子供番組などを質量共に充実させている。

 その理由は、‘景気後退による家計収入の低下、不動産市場の崩壊’とそれに伴う‘民放放送の広告収入等の減少’であり、国民のBBC巨大化への反発であった。

 日本と英国では文化的土壌や放送分野での歴史、人口などが異なるので、一概に対比は出来ないが、BBCが巨大化路線を転換せざるを得なかった経済的、社会的背景は類似するところがあり、また民放や国際衛星放送が飛躍的に発展した今日、娯楽番組等を縮小し、報道や子供教育等の質の向上を図るという方向性も参考にすべきであろう。日本も時代の変化への対応が急務となっているようだ。

 3、受信料徴収の義務化と徴収コストの削減     (その2に掲載)

(2015.11.25.) (All Rights Reserved.)

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長寿化を前提とした就業・社会モデルへの転換が必要   (その4)

2016-08-29 | Weblog

長寿化を前提とした就業・社会モデルへの転換が必要   (その4)

 厚生労働省の調査の調査によると、2014年の日本人の平均寿命は女性86.83歳、男性80.50歳となり、いずれも過去最高を更新した。男女平均でも84歳を越える。また試算によると、2014年生まれの子供では、75歳まで生きる人の割合は4分の3( 女性87.3%、男性74.1%)となっており、更に90歳でも女性でほぼ半分、男性でも4分の1にも達するという。

 長寿化は喜ばしいことであるが、年金や健康維持等の社会福祉費は増加の一途であることは明らかであるので、少子化、人口減による国民の税負担能力の低下傾向を勘案すると、生産・就労モデルや年金給付・社会福祉モデルの転換は不可欠になっていると言えよう。

 1、65才で‘老人扱い’は早過ぎる                                         (その1で掲載)

 2、定年年齢の弾力化―「働ける間は働ける社会」の構築       (その2で掲載)

 3、定年年齢と切り離した年金制度                                   (その3で掲載)

 4、人口減を見据えた行財政モデルと統治機構の簡素化 

 少子化、人口の減少傾向により、現在の‘定年制’を前提とすると、将来的に労働力人口は減少し、国民の税負担能力は低下する一方、長寿化により年金受給者や受給期間が長期になる等、福祉関連の歳出は増加する。

 またこのような人口減は、全国一律に起こるのではなく、地方から人口が流出し、地方の人口減が起こる一方、首都圏等の大都市に人口が集中する傾向が民間の研究でも指摘されている。

 他方、経済については、グローバル化が進み、国内市場ではなく世界市場を目標として企業の大規模化、多国籍企業化が進む一方、裾野産業がそれを支えると共に、特異な技術や製品が世界市場に向かうなど、中小企業についても国際競争力が問われるものと見られる。

 このような変化の中で、2040年を一つの目標年として、中央及び地方の体制を次のように誘導して行くことが望まれる。なお、人口増について、出生率の増加や外国人労働力の受け入れなどが検討されており、それにより若干の効果はあろうが、日本人の人口減と長寿化は趨勢としては継続すると見られるので、それを前提とするべきであろう。

(1)中央、地方行政組織、議会それぞれにおける適正な定員管理

 人口減、労働力人口減が予測されている以上、行政組織を適正規模に調整して行くことが不可欠であろう。それを行っておけば、経済停滞期に行政組織で景気対策としての雇用増を行う余地が出来る。そのためまず新規採用を着実に削減して行くことが望ましい。新卒者も減少していくのでその影響は限定的になると予想される。この場合、特殊法人や独立行政法人などの関連組織を含む。また、規制の原則撤廃や簡素化を進めることが望まれる。

 特に相対的に急速な人口減が予想されている市区町村については、新規採用の削減などの定員管理と共に、市区町村の統廃合を進め、持続可能な自治体規模としていく必要があろう。同様に選挙区についても定期的な整理・統合が必要となる。これを怠ると将来財政破綻となり住民は大きな被害を受けることになろう。

 なお全体の定員管理については、雇用機会の確保(ワークシェアリング)に重点を置き、給与・報酬を抑える方法と、優先分野を明確にし、優先度の低い部局や効率の悪い部局やムダを削減すると共に、規制の撤廃を促進して定員を縮小する一方、給与・報酬など労働環境を改善する方法がある。将来的にはより豊かな家計、生活、即ち高所得、高消費の社会に導くことが望まれるので、後者の方法が望ましいが、その選択については、中央は中央として、またそれぞれの自治体の規模や特性を踏まえ各自治体の選択に委ねられるものであろう。

 また全く発想を転換し、少子化、長寿化を前提とした定員管理、人件費削減に取り組むための公務員定員・給与管理モデルを真剣に検討すべきであろう。中央、地方を問わず公務員のいわゆる定年制を撤廃し、経験も時間もある年長者が社会活動にフルに参加出来るようにする一方、人件費の削減、若手世代の待遇の改善が出来るよう、例えば当面65才以上については給与を当初3割減とし、6割減を下限として毎年漸減する。これにより年長者を社会活動に積極的に活用できると共に、一定所得以上の者については健康保険料や年金保険料を徴収することとし(但し年金は一定額を支払い、各年の所得に加える)、社会福祉コストの縮小を図ることが可能となろう。また少なくても公務員については、採用に際する年齢制限を撤廃し、年齢を問わず国民に公務への門戸を開くことが望まれる。

 その上で、魅力あるコミュニテイ作りを進めることが望まれる。

(2)公共施設、社会インフラの適正な管理と魅力あるコミュニテイ作り

 これまでの経済成長期、人口増を前提とした経済社会インフラ作りのための公共事業モデルは今後困難となるので、低位成長、人口減を前提とし、コミュニテイの生活インフラに重点を置いた公共事業モデルに転換して行く必要があろう。新たな公共施設や道路等は、当面の利便性を高めようが、その維持管理と修復等の後年度負担が掛かるので、人口減となる自治体にとっては将来住民への大きな負担となる可能性がある。従って、人口動態予測や適正な需要予測を実施し検討されなくてはならない。

 他方、自治体生活圏のコンパクト化については、居住の自由との関係や一部地域が原野化する一方、生活圏が縮小する恐れがある上、不動産価格が局部的に高騰し、移転費の問題等が生じるので、新たなコミュニテイ作りについて住民との協議を通じ理解と協力が不可欠であろう。同時に、折角スペースが空くことになるのに、生き苦しい狭隘なコミュニテイ作りは望ましくない。可能な限り道路を拡幅すると共に、駅や公共施設はもとより、道路沿線のビルや商店などには駐車・駐輪場の設置を義務付けることなども検討することが望ましく、また移動ショップの普及なども考えられよう。

 機能的ではあるが、地域の特性を活かし、人を惹きつける魅力が有り、豊かさを感じられる特色あるコミュニテイとなるよう、グランド・デザインを作ることが望まれる。

 (2015.9.4.)(All Rights Reserved.)

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北朝鮮の挑発と和解の繰り返しで進む軍事開発 (その3)

2016-08-29 | Weblog

北朝鮮の挑発と和解の繰り返しで進む軍事開発              (その3)

―朝鮮労働党創建70周年に北朝鮮は世界に何を見せるのかー

「まえがき

北朝鮮は、2月7日午前、地球観測用との名目で長距離ロケット(光明星4号」)を発射した。このロケットには‘衛星’が搭載されているが、核などの兵器を搭載すれば大陸間「弾道ミサイル」にも転用出来る。今回のロケット(テポドン2改良型)飛行距離が12,000-13,000キロと見られており、米国本土の東海岸にも到達するものと見られている。

 今回の発射は国際海事機関(IMO)他、関係国際専門機関に通告されていたが、北朝鮮が1月6日に水爆とされている爆発実験を行っており、核と運搬手段であるロケットの軍事開発を目的としていると見られることから、米国、韓国や中国など世界各国が東アジアの不安定化につながり、これまでの国連安保理決議に反するなどとして強く非難し、また国連安保理が全会一致で非難決議を採択し、新たな制裁措置を検討している。米国では北朝鮮制裁法案が上下両院で採択され、大統領が署名(2月18日)して成立し、日本は北朝鮮のミサイル開発は‘認められない’などとして北朝鮮船舶の日本寄港の禁止や人的交流の制限など‘独自の制裁’を決定した。また韓国も開城工業団地よりの引き上げを行うなど制裁を強化している。

 北朝鮮の核兵器開発やミサイル開発は、東アジアのみならず国際の平和と安全に対する脅威であると共に、核不拡散体制の形骸化を加速することになるので、国際社会が重大な関心を持ち批判、非難すべきことである。しかし残念ながらこのような批判、非難にも拘わらず、北朝鮮が5回の核爆発実験を重ねて10年、長距離弾道ミサイルに転用出来るテポドン2改良型の発射実験を3回重ねて6年余となるが、ある程度の抑止効果はあったとしても結果として阻止は出来ていない。逆に、開発の時間を北朝鮮に与えた結果となっていることは否めない。

 日本独自の制裁強化については、北朝鮮による同国内日本人の特別調査委員会の‘解体’を呼ぶ結果となり、被害者家族の悲痛な期待に反し、拉致問題はまたも振り出しに戻る結果となっている。朝総連の解体を含む、新たな対応と発想の転換が不可欠になって来ているように見える。

 北朝鮮の核、ミサイル開発は思った以上に進んでいるのが実態だ。一連の制裁により一定の抑止効果はあるとしても、これまでの制裁の繰り返しでは、北朝鮮の核、ミサイルの開発を‘認めない’どころか、その実用化、配備の阻止も困難とも映る。この問題のカギを握っているのは、地域の核兵器国である米国と中国、ロシアと言えようが、これまでの‘制裁’を超える対応と発想の転換が迫られていると言えよう。

 このような観点から、本稿を継続掲載したい。」

 2015年8月10日、南北非武装地帯の韓国側付近で韓国軍兵士2人が敷設されていた地雷により負傷した。韓国側は、‘地雷は北朝鮮が最近埋めたものであることが確実’と発表し、南北朝鮮を分断する軍事境界線(通称38度線)を挟み、韓国と北朝鮮の軍事的緊張が再び高まった。北朝鮮側のこの種の挑発は、7月11日にも北朝鮮軍10人余が軍事境界線中央付近(江原道鉄)で韓国側に侵入する事件などが起こっている。

 これに対し韓国側は、地雷敷設事件に謝罪を要求、北朝鮮がこれを厳しく非難し、地雷爆発事件は‘でっち上げた’として否定するなど、南北が非難の応酬を行った。

 韓国側は、対抗措置として2004年6月に南北で合意した‘批判宣伝合戦停止’を中断し、北に向けた大音量の拡声器による金正恩体制への批判等を8月22日から再開した。これに対し北朝鮮側は、拡声器が敷設されている方面に2発の砲弾を発射、韓国側もこれに応じ2発の砲弾を発射した。北朝鮮は‘準戦時状態’を布告(8月20日)していたが、韓国側は最高レベルの‘警戒態勢’を取って応じるなど、緊張が更に高まった。各紙、テレビでは南北間は一触即発で、局地的に不測の事態も起こりかねない等と報じた。

 しかし北朝鮮が一転して南北会談を呼びかけ、8月22日、板門店で南北代表(韓国側代表 金寛鎮(キム・グァンジン)大統領府国家安保室長、北朝鮮側黄炳瑞(ファン・ビョンソ)朝鮮人民軍総政治局長)が会談を開始し、数次の協議を重ねた後、8月25日、南北は相互の挑発中止で合意した。合意した内容は、北朝鮮側が地雷爆発により韓国軍兵士が重傷を負った事件に対し遺憾を表明する一方、韓国側は拡声器を使った宣伝放送を同日正午に中断することが中心となっている。その上で北朝鮮は‘準戦時状態’を解除すると共に、関係改善に向けてソウルか平壌で当局者会談を開催し、また朝鮮戦争などで生じた離散家族の再会に向けた実務者会議を開催することや、多様な分野での民間交流活性化などが合意されている。

 これで南北間において多様な分野での民間交流が行われることになるとの印象を受けるが、この種の挑発と和解のプロセスはいわば年中行事となっている。

 1、 年中行事化した米韓合同軍事演習への北朝鮮の反発        (その1で掲載)

 2、   密かに進められる核とミサイル開発                      (その2で掲載)

 3、朝鮮半島非核地帯の創設が緊要       

 北朝鮮を含め、新たな核保有国を容認することは出来ないが、北朝鮮が‘核保有国’を宣言している以上、容認出来ないと言い続けていても事態は深刻化するばかりであろう。北朝鮮の核問題を解決するため、現実を客観的に把握することが不可欠で、その上で新たな方途と関連国首脳の決意が必要になって来ているように見える。南北朝鮮の統一についても、核問題の解決無しには不可能であろう。

 北朝鮮が核保有を主張する一方、在韓米軍の核攻撃を脅威とし、北の核抑止力を正当化しようとしていることを勘案すると、南北とも朝鮮半島から核兵器を排除し、非核地帯として双方の安全を保障する朝鮮半島非核地帯を創設することが効果的な選択肢となろう。

 ‘朝鮮半島の非核化’の概念については、6か国協議が2005年9月19日に出した “共同声明”において、“6か国協議の目標は、検証可能な朝鮮半島の非核化である”ことが再確認され、2007年2月に初期段階の行動計画に合意されたが、北朝鮮の核開発の放棄には至っていない。

 米国は、戦後通常兵器と核抑止で安全保障を維持して来ているので、元々非核地帯構想や核不使用には反対であったが、地域的な非核地帯は容認するようになっている。

 中国は、本来米国の核兵器が韓国に存在することは自国の安全保障への脅威となるので反対であると共に、北朝鮮が核兵器を持つことも容認していない。中国の胡錦濤主席(当時)は、2009年9月に北朝鮮に特使(戴国務委員)を送り、当時の金正日総書記に親書を渡しているが、その中で‘隣国として、朝鮮半島の非核化の目標実現に強い関心を持っている’とし、北朝鮮と共に努力したいとの意向を伝えている。これに対し金正日総書記は、主権と安全の維持の必要性に言及する一方、‘非核化の目標を保持し、朝鮮半島の平和と安定の維持に努める’との趣旨を伝えたとされる。

 ロシアも中国同様、朝鮮半島の非核化を支持している。また核兵器の使用については、2015年8月5日、プーチン大統領にも近いと言われるロシア連邦議会のナルイシキン下院議長が、自らが主催する広島・長崎への原爆投下70周年をテーマとする知識人会議で、‘あの原爆投下は非人道的で均等性を欠く’とすると共に、‘人道に対する罪に時効はない’として核の使用について批判している。この批判は、米国をけん制するためのものであろうが、ロシアとしては朝鮮半島での核の交戦は望んでいないであろう。

 米国、中国、ロシアと韓国、北朝鮮がまず朝鮮半島非核地帯の設立に向けて真剣に協議することを期待する。基本的には、韓国、北朝鮮双方から核施設を撤去或いは封鎖・凍結する一方、米、中、ロ3国が核を朝鮮半島持ち込まず、また核による攻撃を行わないことを誓約し、これを国連が確認することを骨子として、速やかに朝鮮半島非核地帯の設立を実現することが望まれる。但し、原子力の平和利用については、IAEAによる厳格かつ定期的な査察を条件として認める。もっとも国連事務総長は、対立当事者の一方である韓国出身であるため、南北朝鮮問題における役割は極めて限定的と見られる。その上シリアの調停を途中で放棄し、IS問題やウクライナ問題等においても見るべき役割を果たしておらず、またシリア難民問題でさえ有効な措置を講じていないなど、国連の役割が問われるところであろう。

 なお核拡散防止条約(NPT)については、インドやパキスタン、及びイスラエルなど、NPT枠外の核兵器保有国が出現していることから形骸化が懸念されるが、南アジア非核地帯や中東非核地帯など、地域的な非核地帯の設立により核拡散防止の枠組みを補強する措置が、地域的な安全を高める上でも効果的な選択肢となろう。そのためにも、5核兵器国がNPT上の義務(6条)に従い、抜本的な核軍縮を実現することが核拡散への信頼性と真剣性を高めることになろう。

 いずれにしても、南北朝鮮の将来的な統一のためにも、またこの地域の安全を確保する上でも、朝鮮半島非核地帯の実現が望まれる。

(2015.10.11.)(All Rights Reserved.)

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北朝鮮の挑発と和解の繰り返しで進む軍事開発 (その2)

2016-08-29 | Weblog

      北朝鮮の挑発と和解の繰り返しで進む軍事開発              (その2)

       ―朝鮮労働党創建70周年に北朝鮮は世界に何を見せるのかー

「まえがき 

 北朝鮮は、2月7日午前、地球観測用との名目で長距離ロケット(光明星4号」)を発射した。このロケットには‘衛星’が搭載されているが、核などの兵器を搭載すれば大陸間「弾道ミサイル」にも転用出来る。今回のロケット(テポドン2改良型)飛行距離が12,000-13,000キロと見られており、米国本土の東海岸にも到達するものと見られている。

 今回の発射は国際海事機関(IMO)他、関係国際専門機関に通告されていたが、北朝鮮が1月6日に水爆とされている爆発実験を行っており、核と運搬手段であるロケットの軍事開発を目的としていると見られることから、米国、韓国や中国など世界各国が東アジアの不安定化につながり、これまでの国連安保理決議に反するなどとして強く非難し、また国連安保理が全会一致で非難決議を採択し、新たな制裁措置を検討している。米国では北朝鮮制裁法案が上下両院で採択され、大統領が署名(2月18日)して成立し、日本は北朝鮮のミサイル開発は‘認められない’などとして北朝鮮船舶の日本寄港の禁止や人的交流の制限など‘独自の制裁’を決定した。また韓国も開城工業団地よりの引き上げを行うなど制裁を強化している。

 北朝鮮の核兵器開発やミサイル開発は、東アジアのみならず国際の平和と安全に対する脅威であると共に、核不拡散体制の形骸化を加速することになるので、国際社会が重大な関心を持ち批判、非難すべきことである。しかし残念ながらこのような批判、非難にも拘わらず、北朝鮮が5回の核爆発実験を重ねて10年、長距離弾道ミサイルに転用出来るテポドン2改良型の発射実験を3回重ねて6年余となるが、ある程度の抑止効果はあったとしても結果として阻止は出来ていない。逆に、開発の時間を北朝鮮に与えた結果となっていることは否めない。

 日本独自の制裁強化については、北朝鮮による同国内日本人の特別調査委員会の‘解体’を呼ぶ結果となり、被害者家族の悲痛な期待に反し、拉致問題はまたも振り出しに戻る結果となっている。朝総連の解体を含む、新たな対応と発想の転換が不可欠になって来ているように見える。

 北朝鮮の核、ミサイル開発は思った以上に進んでいるのが実態だ。一連の制裁により一定の抑止効果はあるとしても、これまでの制裁の繰り返しでは、北朝鮮の核、ミサイルの開発を‘認めない’どころか、その実用化、配備の阻止も困難とも映る。この問題のカギを握っているのは、地域の核兵器国である米国と中国、ロシアと言えようが、これまでの‘制裁’を超える対応と発想の転換が迫られていると言えよう。

 このような観点から、本稿を継続掲載したい。」

 

 2015年8月10日、南北非武装地帯の韓国側付近で韓国軍兵士2人が敷設されていた地雷により負傷した。韓国側は、‘地雷は北朝鮮が最近埋めたものであることが確実’と発表し、南北朝鮮を分断する軍事境界線(通称38度線)を挟み、韓国と北朝鮮の軍事的緊張が再び高まった。北朝鮮側のこの種の挑発は、7月11日にも北朝鮮軍10人余が軍事境界線中央付近(江原道鉄)で韓国側に侵入する事件などが起こっている。

 これに対し韓国側は、地雷敷設事件に謝罪を要求、北朝鮮がこれを厳しく非難し、地雷爆発事件は‘でっち上げた’として否定するなど、南北が非難の応酬を行った。

 韓国側は、対抗措置として2004年6月に南北で合意した‘批判宣伝合戦停止’を中断し、北に向けた大音量の拡声器による金正恩体制への批判等を8月22日から再開した。これに対し北朝鮮側は、拡声器が敷設されている方面に2発の砲弾を発射、韓国側もこれに応じ2発の砲弾を発射した。北朝鮮は‘準戦時状態’を布告(8月20日)していたが、韓国側は最高レベルの‘警戒態勢’を取って応じるなど、緊張が更に高まった。各紙、テレビでは南北間は一触即発で、局地的に不測の事態も起こりかねない等と報じた。

 しかし北朝鮮が一転して南北会談を呼びかけ、8月22日、板門店で南北代表(韓国側代表 金寛鎮(キム・グァンジン)大統領府国家安保室長、北朝鮮側黄炳瑞(ファン・ビョンソ)朝鮮人民軍総政治局長)が会談を開始し、数次の協議を重ねた後、8月25日、南北は相互の挑発中止で合意した。合意した内容は、北朝鮮側が地雷爆発により韓国軍兵士が重傷を負った事件に対し遺憾を表明する一方、韓国側は拡声器を使った宣伝放送を同日正午に中断することが中心となっている。その上で北朝鮮は‘準戦時状態’を解除すると共に、関係改善に向けてソウルか平壌で当局者会談を開催し、また朝鮮戦争などで生じた離散家族の再会に向けた実務者会議を開催することや、多様な分野での民間交流活性化などが合意されている。

 これで南北間において多様な分野での民間交流が行われることになるとの印象を受けるが、この種の挑発と和解のプロセスはいわば年中行事となっている。

 1、 年中行事化した米韓合同軍事演習への北朝鮮の反発        (その1で掲載)

 2、   密かに進められる核とミサイル開発   

 8月の米韓合同演習を巡る北朝鮮の姿勢は、一見挑発から和解に転じたように映るが、その背後で核と長距離ミサイルの開発が着実に進められていることが北朝鮮の当局者の見解として明らかにされている。

 (1)ミサイル開発

 北朝鮮の国家宇宙開発局長官は、9月14日、朝鮮中央通信を通じ、‘朝鮮労働党創立70周年に際し’宇宙開発分野での成果について述べるとして、国家宇宙開発局は‘気象観測等のため、新たな地球探査衛星開発の最終段階にある’旨明らかにしている。そして世界は、中央委員会が決定する場所と時期に打ち上げられる‘先軍朝鮮の一連の衛星’を見ることになろうと締めくくっている。

 (2)核開発

 翌9月15日には同じく朝鮮中央通信が、北朝鮮の核開発について‘原子力研究院’の院長へのインタビューを伝え、その中で‘北朝鮮の核の対応は、米国の北朝鮮に対する敵視政策と核の脅威である’としている。そして既に明らかにされているように、‘経済建設と核戦力開発を同時並行的に進めるとの中央委の方針に沿って、寧辺にあるウラン濃縮施設や黒鉛減速炉を初めとして、すべての核関連施設は再整備或いは変更、再調整され、既に正常な稼働を開始した’ことを明らかにした。

 この方針は2013年4月に北朝鮮原子力総局により明確にされたとしているが、経済建設と共に、核戦力開発が進められていることが公言されており、核開発の既成事実化を狙ったものと思われる。

 9月3日に中国で‘抗日戦争勝利70年’の行事が開催され、天安門で中国の最新兵器を含む大軍事パレードが行われたが、10月10日の朝鮮労働党創立70周年の行事おいても、北朝鮮は‘核抑止を含め公にしていない最新の兵器’を含む軍事パレードを大々的に行った。張り子の兵器などが含まれている可能性はあるが、野心に満ちたパレードとなった。金正恩総書記の演説では、米国に対抗する能力を強調したが、直接核抑止力に触れることはなく、核カードを温存した形となったと言えよう。

 また上記の内容は‘朝鮮労働党創立70周年’と絡めて公表されていることから、その前後に、核爆発実験や長距離ミサイルの発射実験が行われる可能性がある。特に、‘新たな地球探査衛星開発の最終段階にある’としていることから、長距離ロケットの発射実験の可能性が高い。他方、‘気象観測’等のためのロケット開発であれば、韓国を含め多くの国が行っているので、国連安保理決議は決議として、北朝鮮には認めないと繰り返し言ってみても説得力に欠け、問題解決には結びついてはいないので、平和目的でのロケット開発について国際的な枠組みや機構が必要になって来ていると言えよう。

 3、朝鮮半島非核地帯の創設が緊要       (その3に掲載)

(2015.10.11.)(All Rights Reserved.)

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北朝鮮の挑発と和解の繰り返しで進む軍事開発 (その1)

2016-08-29 | Weblog

北朝鮮の挑発と和解の繰り返しで進む軍事開発              (その1)

―朝鮮労働党創建70周年に北朝鮮は世界に何を見せるのかー

「まえがき 

 北朝鮮は、2月7日午前、地球観測用との名目で長距離ロケット(光明星4号」)を発射した。このロケットには‘衛星’が搭載されているが、核などの兵器を搭載すれば大陸間「弾道ミサイル」にも転用出来る。今回のロケット(テポドン2改良型)飛行距離が12,000-13,000キロと見られており、米国本土の東海岸にも到達するものと見られている。

 今回の発射は国際海事機関(IMO)他、関係国際専門機関に通告されていたが、北朝鮮が1月6日に水爆とされている爆発実験を行っており、核と運搬手段であるロケットの軍事開発を目的としていると見られることから、米国、韓国や中国など世界各国が東アジアの不安定化につながり、これまでの国連安保理決議に反するなどとして強く非難し、また国連安保理が全会一致で非難決議を採択し、新たな制裁措置を検討している。米国では北朝鮮制裁法案が上下両院で採択され、大統領が署名(2月18日)して成立し、日本は北朝鮮のミサイル開発は‘認められない’などとして北朝鮮船舶の日本寄港の禁止や人的交流の制限など‘独自の制裁’を決定した。また韓国も開城工業団地よりの引き上げを行うなど制裁を強化している。

 北朝鮮の核兵器開発やミサイル開発は、東アジアのみならず国際の平和と安全に対する脅威であると共に、核不拡散体制の形骸化を加速することになるので、国際社会が重大な関心を持ち批判、非難すべきことである。しかし残念ながらこのような批判、非難にも拘わらず、北朝鮮が5回の核爆発実験を重ねて10年、長距離弾道ミサイルに転用出来るテポドン2改良型の発射実験を3回重ねて6年余となるが、ある程度の抑止効果はあったとしても結果として阻止は出来ていない。逆に、開発の時間を北朝鮮に与えた結果となっていることは否めない。

 日本独自の制裁強化については、北朝鮮による同国内日本人の特別調査委員会の‘解体’を呼ぶ結果となり、被害者家族の悲痛な期待に反し、拉致問題はまたも振り出しに戻る結果となっている。朝総連の解体を含む、新たな対応と発想の転換が不可欠になって来ているように見える。

 北朝鮮の核、ミサイル開発は思った以上に進んでいるのが実態だ。一連の制裁により一定の抑止効果はあるとしても、これまでの制裁の繰り返しでは、北朝鮮の核、ミサイルの開発を‘認めない’どころか、その実用化、配備の阻止も困難とも映る。この問題のカギを握っているのは、地域の核兵器国である米国と中国、ロシアと言えようが、これまでの‘制裁’を超える対応と発想の転換が迫られていると言えよう。

 このような観点から、本稿を継続掲載したい。」

 

 2015年8月10日、南北非武装地帯の韓国側付近で韓国軍兵士2人が敷設されていた地雷により負傷した。韓国側は、‘地雷は北朝鮮が最近埋めたものであることが確実’と発表し、南北朝鮮を分断する軍事境界線(通称38度線)を挟み、韓国と北朝鮮の軍事的緊張が再び高まった。北朝鮮側のこの種の挑発は、7月11日にも北朝鮮軍10人余が軍事境界線中央付近(江原道鉄)で韓国側に侵入する事件などが起こっている。

 これに対し韓国側は、地雷敷設事件に謝罪を要求、北朝鮮がこれを厳しく非難し、地雷爆発事件は‘でっち上げた’として否定するなど、南北が非難の応酬を行った。

 韓国側は、対抗措置として2004年6月に南北で合意した‘批判宣伝合戦停止’を中断し、北に向けた大音量の拡声器による金正恩体制への批判等を8月22日から再開した。これに対し北朝鮮側は、拡声器が敷設されている方面に2発の砲弾を発射、韓国側もこれに応じ2発の砲弾を発射した。北朝鮮は‘準戦時状態’を布告(8月20日)していたが、韓国側は最高レベルの‘警戒態勢’を取って応じるなど、緊張が更に高まった。各紙、テレビでは南北間は一触即発で、局地的に不測の事態も起こりかねない等と報じた。

 しかし北朝鮮が一転して南北会談を呼びかけ、8月22日、板門店で南北代表(韓国側代表 金寛鎮(キム・グァンジン)大統領府国家安保室長、北朝鮮側黄炳瑞(ファン・ビョンソ)朝鮮人民軍総政治局長)が会談を開始し、数次の協議を重ねた後、8月25日、南北は相互の挑発中止で合意した。合意した内容は、北朝鮮側が地雷爆発により韓国軍兵士が重傷を負った事件に対し遺憾を表明する一方、韓国側は拡声器を使った宣伝放送を同日正午に中断することが中心となっている。その上で北朝鮮は‘準戦時状態’を解除すると共に、関係改善に向けてソウルか平壌で当局者会談を開催し、また朝鮮戦争などで生じた離散家族の再会に向けた実務者会議を開催することや、多様な分野での民間交流活性化などが合意されている。

 これで南北間において多様な分野での民間交流が行われることになるとの印象を受けるが、この種の挑発と和解のプロセスはいわば年中行事となっている。

 1、 年中行事化した米韓合同軍事演習への北朝鮮の反発

 上記の北朝鮮の挑発は、8月17日より開始された米韓合同軍事演習の前後で発生している。北朝鮮側は、これまでも米韓合同軍事演習に対し激しく反発しており、いわば年中行事化している。

 2014年12月から翌2015年1月に掛けて、北朝鮮は一連の政治的粛清や人権侵害について国際的な批判に晒されていたが、2月下旬から予定されていた米韓合同軍事演習を非難した。同年1月16日、北朝鮮国防委員会は、南北朝鮮間に良好な環境を作り出すためとして、相互に批判し挑発し合うことを止めると共に、米韓両国の合同軍事演習の中止を訴えている。その後北朝鮮は、韓国との南北離散家族再開事業を実施(2月20日から6日間)した他、日朝赤十字会談や日朝政府間協議を行うなど、融和姿勢を示す一方、短、中距離のミサイルの日本海向け発射などの示威行為を行い、硬軟両用の姿勢を示しており、今回の動きと酷似している。

 今回も米韓合同軍事演習を前にした8月15日、北朝鮮国防委スポークスマンは、8月17日より開始される米韓合同軍事演習を北朝鮮の‘中枢部の除去’を狙った奇襲を意図するものであり、最大限の反撃を行う旨の声明を発表した。更に、北朝鮮は‘核抑止を含め公にしていない最新の攻守双方の兵器を装備している’旨述べると共に、米国による経済制裁を非難した。そして米韓合同軍事演習が開始された後の8月20日、北朝鮮は‘準戦時状態’を布告した。

 このように緊張が高まる中で北朝鮮側は、8月22日、韓国が北朝鮮向けに敷設した拡声器の方面に2発の砲弾を発射、韓国側もこれに応じ2発の砲弾を発射し、‘最高レベルの警戒態勢’を取って応じるなど、緊張が更に高まった。

 これを受けて米国は、同日より米韓合同軍事演習を中断することを発表した。北朝鮮が8月22日、一転して南北会談を呼び掛け、南北代表の会談が開始されることになったが、米韓合同軍事演習の中断がそのきっかけとなっていると見て良いだろう。

 こうして8月22日から板門店で南北代表が会談を開始され、数次の協議の末、8月25日、緊張回避のための6項目に合意したが、年初の米韓合同軍事訓練に際する南北の緊張と融和のパターンに類似する流れとなっている。

 しかし今回の北朝鮮の対応から次のようなことが明らかになった。

(1)まず、北朝鮮が人権問題での国際的な悪評や韓国による北朝鮮国内に向けた中枢部批判や宣伝に非常に神経質であることが明らかになった。

 このことは逆に、北朝鮮の人権問題等に対する国際世論の形成やの中枢部批判や北朝鮮の社会文化的な遅れ、貧困問題などに関し北朝鮮国内に発信して行くことが効果的ということである。

(2)米韓合同軍事演習は、在韓米軍から韓国軍への戦時作戦統制権の移譲が予定されていた2015年12月から再び延期されたことから明らかのように、韓国軍の体制が未だに整っていない以上、軍事的には必要である。他方、軍事優先の専軍主義を取る北朝鮮側にとっても、毎年実施される大規模な米韓合同軍事演習は、米韓両国の北への攻撃準備等として格好の批判材料となり、国内引き締めや軍備拡張の理由に使えるので、好都合であろう。

 このことは、米国政府としても、米韓合同軍事演習の頻度や規模、実施場所などのあり方については、国防総省や軍事当局に任せるのではなく、政治的、外交的な意味合いを含めて検討するため、国レベルの国家安全保障会議や国家安全保障担当大統領補佐官により、大局的に判断すべき時期にあることを示唆している。

(3)北朝鮮が‘核抑止’を含む軍事力を誇示

 北朝鮮は既に自らを‘核兵器国’であると宣言しているが、8月15日、北朝鮮国防委スポークスマンは、米韓合同軍事演習を‘北朝鮮への米国の核攻撃の準備’として非難すると共に、北朝鮮は‘核抑止を含め公にしていない最新兵器を装備’しているとし、核兵器への対応を強調している。米韓合同軍事演習に対する北朝鮮の認識は歪曲されているが、北が核兵器開発に自信を持っていることが伺える。

 北朝鮮の核問題については、1995年より米国を中心として北朝鮮との協議が開始されたが、失敗に終わった朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)を経て協議の場は6か国協議に移っているが、過去20年間、具体的な成果が無いばかりか、北朝鮮は、挑発と和解を繰り返しつつ核兵器開発とミサイル開発を実質的に推進して来ているのが現実であるので、新たな方法を模索する時期に来ていると言えるだろう。

 2、   密かに進められる核とミサイル開発    (その2に掲載)

 3、朝鮮半島非核地帯の創設が緊要       (その3に掲載)

(2015.10.03.)(All Rights Reserved.)

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長寿化を前提とした就業・社会モデルへの転換が必要  (その3)

2016-08-29 | Weblog

長寿化を前提とした就業・社会モデルへの転換が必要  (その3)

 厚生労働省の調査の調査によると、2014年の日本人の平均寿命は女性86.83歳、男性80.50歳となり、いずれも過去最高を更新した。男女平均でも84歳を越える。また試算によると、2014年生まれの子供では、75歳まで生きる人の割合は4分の3( 女性87.3%、男性74.1%)となっており、更に90歳でも女性でほぼ半分、男性でも4分の1にも達するという。

 長寿化は喜ばしいことであるが、年金や健康維持等の社会福祉費は増加の一途であることは明らかであるので、少子化、人口減による国民の税負担能力の低下傾向を勘案すると、生産・就労モデルや年金給付・社会福祉モデルの転換は不可欠になっていると言えよう。

 1、65才で‘老人扱い’は早過ぎる                                         (その1で掲載)

 2、定年年齢の弾力化―「働ける間は働ける社会」の構築       (その2で掲載)

 3、定年年齢と切り離した年金制度 

 問題は、年金受給年令に達する65才以上の社会保障上の対応であるが、これを従来のように年令で一律に区分するのではなく、所得(年金を除く年収)を基準とした対応とすることが適当ではなかろうか。社会保障の基本的な目的は、困窮者や社会的弱者へ手を差し延べ、それを国民が経済力に従って支えるということであるので、65才以上でも例えば年収360万円以上(年金は除く)の人達については給付額を90%とし、その以上は年収を例えば100万円刻みで給付額を10%刻みで減額して行く(但し高所得者でも10%は給付)などとするなど、所得に応じた給付を行う年金モデルとして行くことが望ませる。

また医療費についても、健保料は所得がある者は所得に応じ支払うこととなるが、固定収入がないものについては者について国民保健料を低額に維持する一方、原則として現役世代の60%程度とするが、受診料については、可能であれば所得に応じたものとすることが望ましく、所得が例えば年収760万円以上については現役世代と同額とするのもやむを得ないのではなかろうか。75才以上となる人達についても同様として良いのではなかろうか。

 財政が潤沢な時代であれば従来通りで良かろうが、財政、特に社会保障の財源が不足しているので、従来通りに支給等するために就労者、特に若い世代に追加的な負担を強いることは、社会保障のための負担感がより強くなり、活力を失わせかねない。基本的に、今後経済は高成長モデルから低位の安定成長モデルとなる一方、財政上の制約などで行政が必要な施策を全て行うような社会行政モデルは維持困難となって来ているので、国民それぞれの自己責任、受益者負担の意識や観念が一層重要になって来ていると言えよう。自然災害等から身を守ることについても、行政任せでは所詮困難であり、自己責任の意識を持ち、普段から自ら身を守るとの意識と準備をすることが重要であり、そのような自己責任の意識があって初めて被害を最小にすることが出来ると言えよう。

 他方年長者が若い世代の活躍や新しい発想、チャレンジ等を阻害しないように十分配慮する必要があると共に、若い世代が安定的な職業機会を持てるよう細かい配慮と施策が必要であろう。そもそも「皆保険」、「皆年金」の社会を目指すというのであれば、‘正規’社員であろうと派遣、アルバイト等の‘不正規’社員であろうと、就業形態を問わず全ての就業者が報酬レベルに応じて健康保険料や失業保険料、年金拠出料を納付出来るような制度としなければ達成困難であろう。

 長寿化の進展は喜ばしいことであるが、それを前提とした新たな社会保障モデルや社会モデルを構築して行くことが必要であろう。少子高齢化は、1990年代初期より政府の各種統計資料でも予測されていたことであり、そのような統計資料を施策の中に生かして行くことが望まれる。                                        

 4、人口減を見据えた行財政モデルと統治機構の簡素化    (その4に掲載)

(2015.9.4.)(All Rights Reserved.)

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新都知事にコンパクトなオリンピック予算等を要請する!!

2016-08-08 | Weblog

新都知事にコンパクトなオリンピック予算等を要請する!!

 舛添都知事の辞任を受けて行われる都知事選は、候補者がほぼ出揃い、各候補の都政への基本姿勢や施策等が示され始めている。

 しかし誰が都知事になっても、2020年の東京オリンピック・パラリンピックについては、東京都内の限られた競技場でコンパクトに実施するとの当初の案よりも、実施を東京都に限定せず、広く地方の利用可能な施設や場所を最大限に活用し、コンパクトな予算の下で実施されるよう要請したい。

 2020年にオリンピック・パラリンピックが日本で開催されることは歓迎するところである。しかしコンパクトな実施を売り物にして開催を獲得したが、新国立競技場の建設費用はもとより、競艇場や選手村、プレスセンターの設置など、当初予算より遥かに高額な費用が予想されるなど、予算、即ち納税者、国民の負担からすると膨大で、コンパクトどころではない。都民の負担はさることながら、コンパクトではあるが多額の予算を投じることは、東京の一極集中を更に促進することになろう。何故東京にのみ限定し、このような膨大な資金を投じなくてはならなおのだろうか。

 地方は過疎化し、限界集落が増え続けているので、地方の活性化の一助とするためにも、地方で活用できる施設等は最大限に活用し、いわばオールジャパンで東京、地方ともども楽しめるオリンピック・パラリンピックにすべきではないだろうか。もし総費用において余り差がなくても、東京にだけ投じるよりも、地方にも資金を投じる方が有意義であろう。

 選手等の負担を軽減する意味で交通手段の確保が重要となるが、専用列車や臨時便の増発、或いはタッチ・アンド・ゴーで搭乗できるシャトル便の確保やICカードの発給などで、移動を円滑にするなどの工夫は可能であろう。またこのような新たな移動モデルは、大会後の交通手段の向上となるものと予想される。

(2016 .7.12.)(All Rights Reserved)

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シリーズー大学の世界ランキング・アップに何が必要か? (再掲)

2016-08-08 | Weblog

 シリーズー大学の世界ランキング・アップに何が必要か? (再掲)

(はじめに)

 英国の教育専門誌「Times Higher Education」がアジア各国の大学の2016年度版ランキングを発表した。シンガポールの大学がトップとなり、シンガポールや中国の大学が躍進したのに反し、3年連続で1位だった東京大学は7位に順位を下げた。

 しかし、これは東大だけの問題ではない。京都大学が前年の9位から11位に、東北大学も19位から23位に下がり、上位100位以内に入った日本の大学は前年より5校減って14校となった。他方、シンガポールの大学が上位2位を占め、中国の大学は上位100校以内に22校が入っている。

 この理由の一つとして、同誌は、「この20年間日本の大学が資金の制約を受けており世界の大学との競争や国際化のための支援が少ない」旨指摘していると報じられている。 ランキングの内訳を見ると、東京大学は’教育の質’では上位だったが、’学生と教員の国際性’では70位と低く、国際性の欠如が全体の順位を下げた形になっている。

 要するに、大学への資金の量の問題ではなく、配分の問題のようだ。’学生と教員の国際性’の問題では、入試試験制度の問題だけでなく、企業・団体の新卒優先、大学院教育の軽視の採用試験などと共に、教育行政や大学教育の在り方などが問題なのであろう。このような点については、「シリーズー大学の世界ランキング・アップに何が必要か?」(初稿2013年9月28日)と同様であるので、本稿を再掲する。

 なお、英国の教育専門誌「Times Higher Education」は、毎年世界の大学での研究内容や論文の引用回数、それに国際化の度合いなど、研究分野と教育分野の双方の基準を元に大学の格付けを公表しているが、3月12日に2015年度世界の大学ランキングを発表したのに続き、6月10日、アジアの大学のランキングを発表した。

 世界の大学トップ100では、東大が2014年度の21位から12位に順位を上げ、京大が26位から27位へとほぼ同レベルを維持したが、これまで日本の大学は2校しか入っておらず、私学はトップ100に1校も入っていない。

 アジアの大学のランキングでは、東大が前年度同様1位を維持したが、その他の大学が順位を落としている。アジアの大学トップ100では、日本の大学が2014年度より1校減の19校、中国が3校増の21校と逆転され、中国の大学の伸張が顕著となっている。日本の私学がほとんど顔を出していないことも、国公立大学と私学の格差や私学の在り方として懸念される。

 同英国専門誌は、中国の大学の伸張を受けて、「日本が研究への投資を増やすべきであり、迅速に行動する必要がある」と指摘しているが、教育投資だけでは十分ではない。教育環境というソフト面、即ち、教育の在り方や教員組織の在り方、及び学生の受け入れ手となる企業や行政組織、団体が大学に何を求めるか、更に新卒優先の採用と終身雇用という閉鎖性が強い就職制度や日教組他の労働組合の在り方など多くの課題を提示している。

  

(本文) 

 2014年度予算の各省庁要求を政府概算要求を査定する時期になったが、文部科学省は、世界大学ランキング100校入りを支援するために、国公私立の10大学に対し毎年100億円の助成を予算要求すると伝えられている。

 現在、世界大学ランキング100校には日本の国立大学が2校入っているだけであり、一人当たりのGDPを加味すると実質的に世界第2位の経済大国である日本にとっては少し寂しいところだ。ランキング・アップには指導環境など色々な要素が必要だが、各大学の学者、研究者が“独創的な研究を行い、研究論文が内外の研究者などから引用されること”が決定的な要素となる。要するに、各大学に所属する教授ほか研究者の「独創的な研究実績」と「語学力など、対外的な発信能力」が問われていることになる。

 文科省は、10校を選定し、海外の大学との共同研究や著名な研究者の招聘を支援するなどしている。これのような研究交流や人的交流自体は良いことではあるが、新たに毎年100億円もの予算を投入して相当長期を掛けてもどの程度の効果が出るか疑問である。そもそも教育のあり方の転換や教師、研究者の資質や姿勢など、大学院の普及などの制度面、人材面の改善、即ち教育ソフト面の転換がより重要に思える。

 また2014年12月22日、文部科学大臣の諮問機関である中央教育審議会(中教審)は、大学入試の改革について答申を行った。現在の‘大学入試センター試験’をこれまで重視されて来た‘暗記した知識の量’ではなく、‘思考や判断など知識の活用力’に重点を置いた「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」に転換するよう求め、現在の小学6年生が高校3年になる2020年度実施分から変更するよう答申している。入試制度、従って評価内容や方法が変われば、高校での教育内容や教師に求められる授業方法だけでなく、大学レベルでの教える側の姿勢や教育方法も変わって行かなければならない。また就職試験においても、公務員はもとより、企業、団体の求人側の姿勢もそれに対応しなければ実効性は限定的なものになる可能性もある。また制度作りをする行政側も、そのために規則や指導要領などを細部まで決めて教育現場に実施を求めたり、試験漬けにすることなく、学生の多様な能力が発揮出来、また再チャレンジが可能となるよう、寛容性と多様な選択が可能となる制度作りが望まれる。

 1、 外国大学との共同研究や研究者招聘の効果は局部的、限界的

 外国の共同研究や著名研究者の日本への招聘については、各大学の判断で実施することは大いに良いことであるが、今更という印象を受ける上、その効果は長期を要し、例えば10年間としても1,000億円の予算負担となり、費用対効果の面で疑問が残る。

 外国大学との共同研究でも、iPS細胞分野など日本側に何らかの比較優位のある分野でなければ、各分野で先端を行っているような外国人研究者は日本との共同研究は希望しないであろう。著名な外国人研究者の招聘にしても高額の招聘費が必要となるだろうし、日本での研究にメリットを感じなければ希望しないであろう。いずれの場合も、日本側に相当高度な研究水準と語学力がなければ得るものは少ないと判断されるであろう。

 招聘事業で一つの例を挙げよう。日本は、1985年9月のプラザ合意で急速な円高を容認し、それにより日本企業の海外進出が急増した。それに伴い海外で活動できる人材や知識等が必要となり、日本の「国際化」が必要とされた。その対策の1つとして90年代初頭より、政府は「語学指導等を行う外国青年招致事業」(JETプログラム)を開始し、当初は米国を中心とする英語圏から青年を招聘し、地方公共団体と共同して各地の学校等に英語教師として配属し、英語教育の普及を行った。その後英語圏以外も加えたほか、役割も地方公共団体の国際交流促進のための助言等の分野に広げ、当初の4カ国から40カ国ほどに拡大し招聘している。この事業は既に20年以上実施しているので、日本各地において外国語を習得し、或いは地方レベルでの国際交流を担える人材が可なり育っていることが期待される。確かに一定の効果はあったが、最大の効果は、日本に招聘された外国人の日本語能力が顕著に向上している上、各地の伝統文化だけでなく、アニメを含む若者文化や日本食、工芸品、匠の技などへの理解と評価も向上し、それが世界各地に伝えられ、日本の伝統文化、技術の水準の高さと共に、現代の庶民文化、若者文化への興味が世界に広がったことであろう。知日派、好日派外国人が増え、日本各地の草の根文化や工芸技術への評価が顕著に高まったが、本事業の本来の目的である日本での英語の普及や能力向上については、20年以上継続しているにも拘らず、それ程の効果は得られていない面がある。逆にこの制度が恒常化したことにより、地域の国際交流や外国人との関係についてはJETで招聘された外国人に実体上任され、JETへの依存性が高まり、地域住民自体の語学力向上や国際化には余り寄与していないとの弊害も見られる。

 外国大学との共同研究や研究者の日本への招聘事業が長期化することになると、JETプログラムと類似の結果となり、日本の学術研究のレベルや創造性、独創性を高め、それが世界に評価、引用されることにどれだけ貢献することになるのか疑問なしとしない。

 また新たな事業予算の追加も良いが、中・長期的な少子化の趨勢に対応し、教育姿勢と共に、国・公立学校を地域別に統廃合し、また国・公立と私立との学費格差や研究助成格差等を縮小することなど、高等教育制度自体を再点検する必要がありそうだ。また暗記重視の教育方針、試験制度から発想力や創造性、独創性を重視した教育姿勢や試験(評価)制度に優先度と資源の再配分を行い、その中で新たなニーズ、事業を加えて行くなどの工夫と先見性が必要と言えよう。中・長期的な少子化、人口減の中での長寿化社会において、新規事業や学校・学部を増加し続け、教育予算を更に拡大することは現実的に困難と見られる。

 2、 最も必要とされる研究成果の英語等による発表能力

 知的活動の分野において、日本の研究成果や論文等が世界の多くの学者、研究者によって評価、引用されるようになるためには、創造性、独創性を重視した教育姿勢、試験(評価)制度と入学試験や公務員を含む就職試験のあり方(新卒者偏重、出身大学主義の採用試験制度など)と大学院レベルへの高等教育の普及と修了者への処遇の改善など、教育姿勢や教育・採用試験制度という教育ソフト面の改善が不可欠と言えよう。

 しかし現実論として学者、研究者による研究成果が国際的に評価されるためには、研究成果が国際的な外国語(英語で可)による成果の発表が不可欠である。どんなに良い研究成果や作品でも日本語だけでは国際的に評価されない。外国と国境を接していない日本では外国語に接する機会は少ないので、当面英語での研究成果の発表を日常化することが望まれる。理工系や医学分野等では研究成果の英語等による発表はある程度行われているが、社会科学や人文科学分野では余り行われてない。

 そのためには、学生や学者、研究者等の2年以上の主要国への留学を飛躍的に増加させることが最も効果的であろう。学生、研究者等の海外留学を促進するため、例えば海外留学(高校・専門レベルで1年、大学・大学院レベルで2年など)での取得単位を国内単位としての認定を促進することと、海外留学奨学金(原則無利子、成績優秀者等には無償など)を新設、拡充することが望まれる。その上で海外からの留学生、研究者の受け入れを促進することが、日本の研究成果の海外への発信力を高める早道と言えよう。

 もっとも日本の英語教育は、中学、高校の6年間に必修科目として行われているが、海外に行って、日本で6年間英語を習っていて英語がしゃべれないと言うと、信じられないというような顔をされる。英語を「語学」という学問の範疇で教え、試験科目にしていることが、コミュニケーション手段としての言葉なることを妨げているようだ。子供が言葉を反復しながら覚えるように、まず英語を耳で聞き、口でしゃべるようにして行き、必要に応じ高学年になってスペリングや文法などへと高めて行けば良いことであろう。外国語を世界とのコミュニケーション手段として行く上では、試験なども「語学」試験としての必須科目とはせず、生きたコミュニケーション手段として選択科目にするなどの改善が必要のようだ。

 3、創造性、独創性を重視した教育・入試制度など、意識と制度の転換が不可欠

 海外への外国語での研究成果の発信力向上に加え、研究成果の創造性、独創性が求められることは言うまでもない。日本の教育方針や制度、試験制度は、卒業後の公務員・企業の就職試験に至るまで基本的に一貫して記憶力、暗記力に重点を置いている。“応用問題”も採用されてはいるが、これも既存知識や研究の“応用”であり、発想力や創造性、独創性を涵養するものではない。

 教える側も、既存の知識や理論等を教え与えることが主眼となっている。無論基本的な知識を蓄積することは重要ではあるが、米欧等においては、研究者や学者が研究論文を可なり頻繁に出さないとポジションを維持することが困難になるので、理工系や医学系に限らず、社会科学、人文科学系においても独創的な研究論文の発表に常に努力している。日本の場合、詰め込み授業に追われることが多く、また基本的に年功序列の昇進となるので研究成果を出す必要が必ずしもない上、自発的な留学のための休暇・休職なども取り難く、また一定年数勤務後の研究休暇(サバテイカル休暇)なども普及していない。

 従って日本の大学が国際的に高い評価を得るためには、教育姿勢や教育方針・制度など、教育ソフト面の改善、転換が不可欠と言える。

 4、 発想力、創造性を加味した就職試験の拡大の必要性

 中学、高校、大学等への進学は、最終的には公務員採用試験を含め、就職への有利性が考慮されるので、就職、採用試験が暗記、記憶力に重点が置かれている限り、学校教育でも暗記、記憶力に重点が置かれることになる。確かに学生が教師と黒板に向かい合う対峙型となり、学生はそれを記録し、記憶するという教育方式が中心となっている。

 それはそれとして良いのだが、もっと小グループで学生と教師の質疑、意見交換、小論文作成等により、双方交通の授業方式を促進し、学生の個々人の個性引き出し、表現できる授業形態が増えることが望ましい。それにより現在欠けていると見られている議論する能力やコミュニケーション能力も向上するものと期待される。

 そのためには採用、就職試験でも暗記、記憶力、応用力に加え、発想力や創造力、独創性を評価することが望まれる。それを短時間で採点することは難しいので、学校側の評価を取り入れることが現実的であろう。

 5、 大学院レベルの高等教育の普及と修士・博士号取得者への公正な処遇

 日本は“学歴主義”と言われることがあるが、実際は、国家公務員等を含め採用が新規卒業者を対象に行われるので、どうしても出身校が差になると共に、いわゆる“終身雇用”形態となっているため、大学院への進学率は、欧米先進工業国等に比して非常に低いのが現状だ。

 人口千人当たりの大学院学生数では、日本の2人に対し、米国9人、英、仏の各8人、韓国が6人となっている(資料:教育指標の国際比較平成23年版)。また25歳以上の大学院入学者は、諸外国では平均2割程度に達するが、日本では2%以下であり、大学院への社会人入学者が非常に少ない。これを反映して、日本の大学院の規模は諸外国に比して小さく、“高度人材を育成する基盤が弱い”と見られている(経済産業省研究資料)。

 また日本の企業役員等(従業員500人以上)の最終学歴では、米国の上場企業管理職等に占める大学院修了者の比率は、人事部長クラスで約62%、営業、経理部長クラスで約45%であるのに対し、日本の大学院卒の比率は5.9%と極端に低い(経済産業省研究資料)。米国では、高校の校長になるためには修士号取得が必要なことが多い。また国連など、国際公務員の幹部クラスは修士号、博士号取得者が多いが、日本の国家公務員の政策職の幹部には大学院修了者はほとんどいない。日本では博士課程修了者の就職率も6割前後に留まっている。上記の通り主要諸国では大学院修了者への評価く、高いキャリアー・アップの要件になっている一方、日本における新卒採用の偏重と大学院修了者の社会的進出の低さが、大学院の規模や大学院進学率の阻害要因になっていると言える。

 日本における高度人材の育成を図るため、大学院制度のあり方が課題と言えよう。

 6、 少子化に備えた教育施設の整理・統合や教育関連予算と受け入れ手となる社会環境

(別掲)

 日本は今後少子化と人口減、長寿化社会を迎える一方、グローバリゼーションの流れの中で、物、人、資金の自由化が更に進み、日本への海外資本による直接投資も増加することになるので、高度技術における国際競争力の維持、促進のみならず、日本国内において経営レベルでも国際競争に晒されることになると予想されるので、経営レベルを含め高度人材の育成が課題となると予想される。

 このような内外の社会変化に対応して、大学・大学院での制度や教育のあり方を再点検する時期にあると言えよう。しかし上記の通り、大学・大学院での教育や研究は、企業や行政組織及び関係団体のニーズに影響を受けることになるので、社会全体の理解と協力を得つつそのレベル・アップを図って行くことが期待される。(2015.6.19.)(All Rights Reserved.)

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歴史的な英文著書‘The Mystery over Lord Buddha’s Roots’ が国際出版

2016-08-08 | Weblog

歴史的な英文著書‘The Mystery over Lord Buddha’s Roots’ が国際出版

歴史的な英文著書‘The Mystery over Lord Buddha’s Roots’(著者小嶋光昭)が国際出版され(Nirala Publications, New Delhi, India)、Amazon India(タイトル又は著者名で検索)又は Manohar (Lord Buddha’s Roots又は著者名で検索)でも購入出来ます。

タイトルは“ミステリー”となっていますが、これまで明らかにされていなかった驚くべき真実が示されています。シャキア(釈迦)王国の存亡の真実。修行後ブッダとなったシッダールタ王子が29歳まで過ごしたカピラヴァスツ城の場所の真実。そしてそのような真実に新たな光を当てることにより、劇的に変化するブッダ時代の歴史的、社会的な背景の真実。そしてブッダの基本となる思想や哲学。これまで多くの点で闇とされ、或いは解明が阻まれて来た真実が明らかにされています。

本著は、ブッダのルーツ、そしてシャキア部族王国の社会的、文化的背景等につき、驚くような歴史的な解明を行っています。2500年以上前にネパールのルンビニで生まれ、カピラヴァスツ城で過ごしていたシッダールタ王子は、城を出て修行し、偉大なる思想家、賢者であるブッダとなる道を歩んだ。しかし、カピラヴァスツ城の具体的な場所や恵まれた立場にあったシッダールタ王子が何故城を後にしたのか、そしてシャキア部族王国が何故ジャングルの中に消えることになったのか。謎は未だ解明されていない。それどころか、カピラヴァスツ城と言われる遺跡は、今日でもネパールのテイラウラコット村とインド側のピプラワ・ガンワリアの2か所にあり、イギリスの著名な百科事典でも明確な説明がされていない。本著はその真実を解明しており、歴史的な意義があります。

その上、そのような真実の解明の過程から、ブッダ時代の社会的、文化的背景がより明らかになります。そして、そのような社会的、文化的時代性を背景にして、人類平等思想、生命の摂理に基づいて自然に生活すること(中庸の法、中庸の道)の重要性、病・老・死に直面した社会福利思想、そして不殺生・非暴力思想などのブッダ思想が生まれたことが鮮明に示されています。そのような根本思想は、ユーラシア大陸の東西に伝波し、その後生成して行く東西の思想、哲学や宗教の発展に影響を与えています。

そして、そのようなブッダの中核的な思想は、今日の世界にも重要な指針を提供していると言えるのではないでしょうか。

日本には、仏教は飛鳥時代に(仏教公伝西暦552年)中国、朝鮮を介して漢語訳されたと経論等と共に伝えられ、推古天皇が仏教を普及するようにとの勅令を出し、聖徳太も17条憲法(西暦604年)で僧侶を敬うようにとの趣旨を明らかにして以来、朝廷に受け入れられることになった。

そして武家勢力の伸張に伴い、仏教は武家、庶民へと普及し、江戸時代には檀家制度や寺子屋などを通じ統治機構の末端の役割を果たす仏教制度として確立され、日本の思想、文化へ幅広い影響を与えている。

仏教は、日本固有の仏教制度として定着しているが、ブッダ教は、アーリアン(インド・ヨーロッパ語族)の長期にわたるインド亜半島への移動という大きな社会変動の中で生まれた思想である。ブッダの基本思想は、その後ユーラシア大陸の東西に伝播し諸思想、哲学に影響を与えた普遍性のある国際的な思想であることを改めて理解する必要があろう。本著はそのようなブッダ思想誕生の真実と歴史的、社会的な背景を提供している。

 

*出版社: Nirala Publications, New Delhi, India.

*インターネット・ブックショップ:Bagchee Books, Amazon India、及びManohar他

・日本語版「お釈迦さまのルーツの謎」(初版、東京図書出版)は、アマゾン他、インターネット・ブックショップで購入出来ます。

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Historic new book ‘The Mystery over Lord Buddha’s Roots’ is now available on e-bookshops

2016-08-08 | Weblog

Historic new book ‘The Mystery over Lord Buddha’s Roots’ is now available

on e-bookshops

The historic new book ‘The Mystery over Lord Buddha’s Roots’, written by Mr. Mitsuaki KOJIMA, Ambassador Ret., is now available on Amazon India(search by Title or Author’s name). It is also available on Manohar (e-book shop, search by Lord Buddha’s Roots, or Author’s name).

The title of the book is ‘The Mystery over Lord Buddha’s Roots.’, but it is only a mystery until you read it through and find the Truth. Its real theme is the truth. Truth about the rise and fall of the Shakya Kingdom, and Truth about the location of Kapilavastu, the resident Castle where Buddha, as Prince Siddartha, lived until 29 years old. Truth about Buddha’s thinking and philosophy. So many aspects which have been kept in the dark and unsolved are shed light.

The book offers an amazing and historic revelation of the facts about Lord Buddha's roots and the social and cultural background around Buddha’s period. Prince Siddhartha, born in Lumbini, Nepal, over 2,500 years ago and raised at the Castle Kapilabastu of the Shakya Kingdom, but left the Castle to become a Buddha, great thinker or Sage. There still remains mystery about the location of the Kapila Castle, the historical and cultural background of why he left the Castle, giving up his prestigious position as Crown Prince, and how Shakya Kingdom vanished in the jungle. Over the centuries around Buddha’s time, there started a dynamic population flow of the Aryan race from Europe to the Indian subcontinent, naturally causing a racial fusion with indigenous population. And the dramatically changing historical and social background of Buddha’s age required a new way of thinking, wisdom and philosophy.  

The author points out, by shedding light on such facts, how the Buddha teachings such as human equality, human welfare facing ailing, aging and dying, the Law of the Golden Mean to live naturally in accordance with the providence of life and no killings, non-violence must have travelled far and wide from the area and influenced the subsequent developments of philosophical schools and religions across the Eurasian Continent.

And the core elements of Buddha teachings still offer an important guidance at the present time.

 

*The publisher is Nirala Publications, New Delhi, India.

*Available also on Bagchee Books, Amazon India, Amazon.com and other e-bookshops

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