内外政策評論 TheOpinion on Global & Domestic Issues

このブログは、広い視野から内外諸問題を分析し、提言を試みます。
Policy Essayist

長寿化を前提とした就業モデルへの転換が必要 ー再掲

2019-01-28 | Weblog
 長寿化を前提とした就業モデルへの転換が必要 ー再掲
 厚生労働省の調査の調査によると、2014年の日本人の平均寿命は女性86.83歳、男性80.50歳となり、いずれも過去最高を更新した。男女平均でも84歳を越える。
また試算によると、2014年生まれの子供では、75歳まで生きる人の割合は4分の3( 女性87.3%、男性74.1%)となっており、更に90歳でも女性でほぼ半分、男性でも4分の1にも達するという。
長寿化は喜ばしいことであるが、年金や健康維持等の社会福祉費は増加の一途であることは明らかであるので、少子化、人口減による国民の税負担能力の低下傾向を勘案すると、生産・就労モデルや年金給付・社会福祉モデルの転換は不可欠になっていると言えよう。
 1、65才で‘老人扱い’は早過ぎる
 欧米等では、年金対象年令近くになると退職し、トレーラーハウスで気楽に各地を旅して回りたいという人もいる。だが日本では65歳で定年退職、生産活動からの卒業となると、一つは所得が無くなることへの不安や不自由さを感じさせる一方、生きがいを求める人が多いようだ。平均寿命は上記の通りであるので、平均的に男性では定年退職後約15年間以上、女性では22年程の期間があり、その間「高齢者」として生産活動から卒業させられ、その多くが事実上就職の道を絶たれることになるので、社会との関係が疎遠になってしまうのが現実のようだ。1、2年程度は良いが、15年から22年間生産活動から遠ざけられ、所得の道を絶たれるのは長過ぎる。その上、70から74才までが「前期高齢者」、75才以上を「後期高齢者」とされる。しかし65才、或いは70才になったからといって人生これで終わりだと思っている人は少なく、多くの人は社会との関わり合いを望んでいるようだ。65才になると‘たそがれ人生’になり、‘終活’に明け暮れるのでは折角の経験が活かされない。意識の面だけではなく、寿命が延びている分肉体的にもエネルギーは残っているのだろう。
 1990年代以降の日本の着実な長寿化により男女平均の寿命が現在84才以上であることを考慮すると、外見上、或いは本人の意識の上で「高齢者」或いは老齢者と言って差し支えないのは、75才以上、将来的に長寿化が更に進む場合は80才としても良いのではないだろうか。75才以上の人口に占める比率は現在11%強、就労人口の約22%に当たるので、国民が支えなくてはならない「高齢者」の比率としてはまだ高いが、容認出来る数値と言えよう。長寿化に伴って年令区分や社会認識が追い付いていないと言えそうだ。基本的には、日本社会が年令意識、年長者尊重意識(シニオリテイ・コンプレックス)が強いこともあって、年令により国民を区分し、行政上も区分化、制度化する傾向が強過ぎ傾向にあるようだが、寿命自体が延びているので、それに伴い社会、行政意識が変化して良いのではなかろうか。
 このような観点から、年齢による呼称、総称を極力少なくし、当面70才以上を統計上“年長者”と総称し、前期・後期高齢者という年齢差別的な区分を廃止することが今日の長寿化社会に適しているように見える。強いて言うならば、所得の上でも体力や意識の上でも社会保障上の配慮が必要となる75才から80才以上前後を「高齢者」、「お年寄り」と呼称することは止むを得ないのかもしれない。社会のためにそれぞれの立場で貢献されてきた年長者に敬意を払うことは美徳であろうが、年齢だけで人を区分し、老齢者、老人、お年寄りと総称して労働市場や社会から遠ざけるのは老齢別視となる。
 また報道等においても、容疑者や犯罪者等の年令を表記するのは良いが、その家族や友人、関係者の年令まで表記し、また女優タレント等の年令をその都度表記するのは、日本特有のことであり、年齢差別、年齢別視とも見られる。多くの場合視聴者の関心でもないし、映像で伝える場合は、視聴者が判断出来ることが多いので、個人情報やプライバシーの観点からも行き過ぎとも見える。
 2、定年年齢の弾力化―「働ける間は働ける社会」の構築
 日本は、国家公務員を含め終身雇用制を採っているので、学卒後多くの人が定年になるまで同じ会社、組織に属し、人生で最も長く会社、組織の同僚や上司や部下と接して来ているので、定年退職するとその接点が無くなるばかりか、65才定年制により、65才以上になると再就職なども事実上阻まれる結果となる。日本は、多くの場合学卒優先であり、公務員でも27才前後を新規採用の年齢制限とし、65才を定年とし、そして65から74才までが「前期高齢者」、75才以上を「後期高齢者」とするなど、年齢により国民を細分化、規定化し過ぎているように見える。それによるメリットもあろうが、年令により国民を一律に細分化し、年令グループにより就職や社会保障等において制度的な差別化を図り、自由を奪っている形となっている。
 特に国民に開かれていることが望ましい国家公務員や地方公務員について、新規採用年令を27才前後とする一方、独立行政法人など政府関係機関の役員への応募を原則65才以下とすることなどを閣議で決めていることは、国民の行政への参加の機会を年齢で阻むものであり、望ましくない。国家的なエージハラッスメントとは言わないまでも、年齢差別と言える。
人の年令には身体能力や意識の面で個人差があり、65才以上を一律に「高齢者」として仕分けし、生産活動や就業から外すことは、多くの場合個々人の希望に沿わない。多くの人は“体が動く間、働ける間は働きたい”という気持ちではないだろうか。
 就労者2人、或いは将来は2人以下で「高齢者」1人を支えるような結果となる社会モデルは、就労者、特に若い世代に過大な負担を負わせる結果となり、社会的活力を失わせる。
更に70才から74才までを「前期高齢者」、75才以上を「後期高齢者」と区分し、行政上医療費の自己負担比率を変えたり、自動車運転免許の取得、更新条件を変えたりしているが、能力、意識の上で個人差があるので余りにも一律で不必要な年齢規制と見られている。
現在‘定年年齢’を65歳、或いは68歳とする企業、団体が多くなってきているが、‘定年年齢’自体を撤廃する一方、基本給(役職手当を除く)について、60歳以上の伸び率を抑え、65歳については段階的に3割~4割するなどにより、65歳以上になっても“働ける間は働ける社会”を構築して行くことが望ましい。

 3、長寿化に伴う社会保障モデルの適応―定年と年金受給年齢との分離
問題は、年金受給年令に達する65才以上の社会保障上の対応であるが、これを従来のように年令で一律に区分するのではなく、所得(年金を除く年収)を基準とした対応とすることが適当ではなかろうか。社会保障の基本的な目的は、困窮者や社会的弱者へ手を差し延べ、それを国民が経済力に従って支えるということであるので、65才以上でも例えば年収360万円以上(年金は除く)の人達については給付額を90%とし、その以上は年収を例えば100万円刻みで給付額を10%刻みで減額して行く(但し高所得者でも10%は給付)などとするなど、所得に応じた給付を行う年金モデルとして行くことが望ませる。
 また医療費についても、健保料は所得がある者は所得に応じ支払うこととなるが、固定収入がないものについては者について国民保健料を低額に維持する一方、原則として現役世代の60%程度とするが、受診料については、可能であれば所得に応じたものとすることが望ましく、所得が例えば年収760万円以上については現役世代と同額とするのもやむを得ないのではなかろうか。75才以上となる人達についても同様として良いのではなかろうか。
 財政が潤沢な時代であれば従来通りで良かろうが、財政、特に社会保障の財源が不足しているので、従来通りに支給等するために就労者、特に若い世代に追加的な負担を強いることは、社会保障のための負担感がより強くなり、活力を失わせかねない。基本的に、今後経済は高成長モデルから低位の安定成長モデルとなる一方、財政上の制約などで行政が必要な施策を全て行うような社会行政モデルは維持困難となって来ているので、国民それぞれの自己責任、受益者負担の意識や観念が一層重要になって来ていると言えよう。自然災害等から身を守ることについても、行政任せでは所詮困難であり、自己責任の意識を持ち、普段から自ら身を守るとの意識と準備をすることが重要であり、そのような自己責任の意識があって初めて被害を最小にすることが出来ると言えよう。
 他方年長者が若い世代の活躍や新しい発想、チャレンジ等を阻害しないように十分配慮する必要があると共に、若い世代が安定的な職業機会を持てるよう細かい配慮と施策が必要であろう。そもそも「皆保険」、「皆年金」の社会を目指すというのであれば、‘正規’社員であろうと派遣、アルバイト等の‘不正規’社員であろうと、就業形態を問わず全ての就業者が報酬レベルに応じて健康保険料や失業保険料、年金拠出料を納付出来るような制度としなければ達成困難であろう。
 長寿化の進展は喜ばしいことであるが、それを前提とした新たな社会保障モデルや社会モデルを構築して行くことが必要であろう。少子高齢化は、1990年代初期より政府の各種統計資料でも予測されていたことであり、そのような統計資料を施策の中に生かして行くことが望まれる。

 3、定年年齢と切り離した年金制度
 問題は、年金受給年令に達する65才以上の社会保障上の対応であるが、これを従来のように年令で一律に区分するのではなく、所得(年金を除く年収)を基準とした対応とすることが適当ではなかろうか。社会保障の基本的な目的は、困窮者や社会的弱者へ手を差し延べ、それを国民が経済力に従って支えるということであるので、65才以上でも例えば年収850万円以上(年金は除く)の人達については、所得において現役世代と遜色はないので、年金については凍結するか、20%から25%の支給とする。また医療費については現役世代と同様に支払うこととするのもやむを得ないのではなかろうか。75才以上となる人達についても同様として良いのではなかろうか。
 他方、年金以外に所得がないものに対しては、可能な限り最低賃金に見合う年金給付が行われることが期待される。現在、介護保険料が年金給付額から天引きされる上、介護保険料が引き上げられ、年金給付額は逆に引き下げられているため、年金生活者の生活を圧迫し、将来への不安やあきらめともなっているようだ。これが若い世代の年金への信頼感を引き下げ、将来不安から消費を節減して貯蓄に回すことに繋がっていると見られる。高成長時代には、貯蓄は新規投資の資金源となるが、低成長時代やデフレ期には消費が減少し、デフレスパイラルが起きるという、悪循環となる。国民の将来不安を無くす上でも、年金の充実と信頼性を回復する必要がある。
 基本的に、今後経済は高度経済成長モデルから低位安定成長モデルとなる一方、財政上の制約などで行政が必要な施策を全て行うような社会行政モデルは維持困難となって来ているので、国民それぞれの自己責任、受益者負担の意識が一層重要になって来ていると言えよう。自然災害等から身を守ることについても、行政任せでは所詮困難であり、自己責任の意識を持ち、普段から自ら身を守るとの意識と準備をすることが重要であり、そのような自己責任の意識があって初めて被害を最小にすることが出来ると言えよう。
 他方年長者が若い世代の活躍や新しい発想、チャレンジ等を阻害しないように十分配慮する必要があると共に、若い世代が安定的な職業機会を得れるよう細かい配慮と施策が必要であろう。そもそも「皆保険」、「皆年金」の社会を目指すというのであれば、いわゆる‘正規社員’であろうと派遣、アルバイト等の‘非正規社員’であろうと、就業形態を問わず全ての就業者が報酬レベルに応じて健康保険料や失業保険料、年金拠出料を納付出来るようにしなければ達成困難であろう。
 長寿化の進展は喜ばしいことであるが、それを前提とした新たな社会保障モデルや社会就業モデルを構築して行くことが必要であろう。少子高齢化は、1990年代初期より政府の各種統計資料でも予測されていたことであり、そのような統計資料を施策の中に生かして行くことが望まれる。

 4、人口減を見据えた行財政モデルと統治機構の簡素化
 少子化、人口の減少傾向により、現在の‘定年制’を前提とすると、将来的に労働力人口は減少し、国民の税負担能力は低下する一方、長寿化により年金受給者や受給期間が長期になる等、福祉関連の歳出は増加する。
 またこのような人口減は、全国一律に起こるのではなく、地方から人口が流出し、地方の人口減が起こる一方、首都圏等の大都市に人口が集中する傾向が民間の研究でも指摘されている。
 他方、経済については、グローバル化が進み、国内市場ではなく世界市場を目標として企業の大規模化、多国籍企業化が進む一方、裾野産業がそれを支えると共に、特異な技術や製品が世界市場に向かうなど、中小企業についても国際競争力が問われるものと見られる。
このような変化の中で、2040年を一つの目標年として、中央及び地方の体制を次のように誘導して行くことが望まれる。なお、人口増について、出生率の増加や外国人労働力の受け入れなどが検討されており、それにより若干の効果はあろうが、日本人の人口減と長寿化は趨勢としては継続すると見られるので、それを前提とするべきであろう。
(1)中央、地方行政組織、議会それぞれにおける適正な定員管理
 人口減、労働力人口減が予測されている以上、行政組織を適正規模に調整して行くことが不可欠であろう。それを行っておけば、経済停滞期に行政組織で景気対策としての雇用増を行う余地が出来る。そのためまず新規採用を着実に削減して行くことが望ましい。新卒者も減少していくのでその影響は限定的になると予想される。この場合、特殊法人や独立行政法人などの関連組織を含む。また、規制の原則撤廃や簡素化を進めることが望まれる。
 特に相対的に急速な人口減が予想されている市区町村については、新規採用の削減などの定員管理と共に、市区町村の統廃合を進め、持続可能な自治体規模としていく必要があろう。同様に選挙区についても定期的な整理・統合が必要となる。これを怠ると将来財政破綻となり住民は大きな被害を受けることになろう。
 なお全体の定員管理については、雇用機会の確保(ワークシェアリング)に重点を置き、給与・報酬を抑える方法と、優先分野を明確にし、優先度の低い部局や効率の悪い部局やムダを削減すると共に、規制の撤廃を促進して定員を縮小する一方、給与・報酬など労働環境を改善する方法がある。将来的にはより豊かな家計、生活、即ち高所得、高消費の社会に導くことが望まれるので、後者の方法が望ましいが、その選択については、中央は中央として、またそれぞれの自治体の規模や特性を踏まえ各自治体の選択に委ねられるものであろう。
 また全く発想を転換し、少子化、長寿化を前提とした定員管理、人件費削減に取り組むための公務員定員・給与管理モデルを真剣に検討すべきであろう。中央、地方を問わず公務員のいわゆる定年制を撤廃し、経験も時間もある年長者が社会活動にフルに参加出来るようにする一方、人件費の削減、若手世代の待遇の改善が出来るよう、例えば当面65才以上については給与を当初3割減とし、6割減を下限として毎年漸減する。これにより年長者を社会活動に積極的に活用できると共に、一定所得以上の者については健康保険料や年金保険料を徴収することとし(但し年金は一定額を支払い、各年の所得に加える)、社会福祉コストの縮小を図ることが可能となろう。また少なくても公務員については、採用に際する年齢制限を撤廃し、年齢を問わず国民に公務への門戸を開くことが望まれる。
 その上で、魅力あるコミュニテイ作りを進めることが望まれる。
(2)公共施設、社会インフラの適正な管理と魅力あるコミュニテイ作り
 これまでの経済成長期、人口増を前提とした経済社会インフラ作りのための公共事業モデルは今後困難となるので、低位成長、人口減を前提とし、コミュニテイの生活インフラに重点を置いた公共事業モデルに転換して行く必要があろう。新たな公共施設や道路等は、当面の利便性を高めようが、その維持管理と修復等の後年度負担が掛かるので、人口減となる自治体にとっては将来住民への大きな負担となる可能性がある。従って、人口動態予測や適正な需要予測を実施し検討されなくてはならない。
 他方、自治体生活圏のコンパクト化については、居住の自由との関係や一部地域が原野化する一方、生活圏が縮小する恐れがある上、不動産価格が局部的に高騰し、移転費の問題等が生じるので、新たなコミュニテイ作りについて住民との協議を通じ理解と協力が不可欠であろう。同時に、折角スペースが空くことになるのに、生き苦しい狭隘なコミュニテイ作りは望ましくない。可能な限り道路を拡幅すると共に、駅や公共施設はもとより、道路沿線のビルや商店などには駐車・駐輪場の設置を義務付けることなども検討することが望ましく、また移動ショップの普及なども考えられよう。
 機能的ではあるが、地域の特性を活かし、人を惹きつける魅力が有り、豊かさを感じられる特色あるコミュニテイとなるよう、グランド・デザインを作ることが望まれる。(2015.9.4.)
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日-EU経済連携協定の発効を歓迎!

2019-01-28 | Weblog
日-EU経済連携協定の発効を歓迎!
 日本と欧州連合(EU)は、2018年7月17日、日-EU経済連携協定に署名した。2019年2月1日に発効した。
 2017年7月6日、日本はEU(欧州連合)と経済連携協定(EPA)に大枠で合意したもの。
 日-EU経済連携協定は、物品の輸出入だけではなく、サービスや人的交流、政府調達、及ぶ投資分野に亘り活動をより自由にし、相互の市場の連携をより緊密にすることを目的とする。
EUは、東欧を含む28か国で構成され、英国は脱退予定だが、人口約5億人、経済総生産(GDP)は現世界の約22%で、この連携協定により日本とEUは、総人口6億3千万人、GDP約28%を超える豊かな市場を構成することになる。日本との貿易総額は約11%程度しかないが、封建制度を経験した長い歴史と伝統を重んじ、街角に商店街が存在するなど、文化形態は異なるが、古い伝統に裏打ちされた文化や技術を尊重する意識において共通点は多いので、広い分野での経済交流が進展すれば、市場間の距離は縮まるものと期待される。
 農業・酪農や自動車など一部工業製品で競合する分野があるので、今後調整をようするが、生産者の立場から若干の調整を要するものの、双方の消費者にとっては質や価格の面で選択の幅が広がることになるので、速やかな協定の合意、締結が望まれる。(2018.7.18.再更新)
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TPP 11(環太平洋パートナーシップ協定)の6カ国による批准・発効を歓迎!

2019-01-28 | Weblog
 TPP 11(環太平洋パートナーシップ協定)の6カ国による批准・発効を歓迎!
 TPP11カ国は、米国の離脱公表の後協議を重ね、2017年11月9日、ベトナムで開催された経済貿易閣僚会議において、離脱を表明している米国に関連する条項を凍結(関連条項の実施先送り)する形で11カ国による新協定「TPP11」に大筋合意し、2018年10月31日、豪州が批准したことにより、既に批准しているメキシコ、日本、シンガポール、ニュージーランド、カナダを加え、6カ国で12月31日に発行する。11月中にも手続きを完了するベトナムが加われば7カ国となるところ、TPP 11の発効を歓迎する。
 1、消費者にとっては朗報、生産者も輸出のチャンス増加
 今後、参加11カ国の批准手続きがすべて終われば、米国抜きで人口5億人(EUと同規模)、世界の国内総生産(GDP)の13%(EU 22%)を占める経済圏となる。
 消費者にとっては、当面肉類や一部野菜・果物類などが豊富で安くなり、朗報だ。その上豪州やNZは季節が反対となるので、天候被害等の場合補完し合うことになり、野菜不足、酪農品不足などが補える。また農産品を含め、これら諸国への輸出も容易になり、生活効果、経済的効果が期待される。
 他方、これにより農業、酪農生産者への影響が考えられるが、関税等の引き下げは段階的に行われるので、当面の影響は限定的であろう。
 農協(JA)長野中央会は、食肉や酪農品を中心として同県の農林水産業への影響を約14億円としている。政府は全体として国産農産品の売り上げが約1,500億円減少すると試算としている。しかし一部では、外国の食肉については狂牛病などで品質上の問題があり、国内の産地銘柄への志向は維持されるとの見方もある。一般的に日本の農産品、酪農品は小規模生産のため相対的に価格は高くなるが、生産者や産地により特性があり、高品質のだめ、大規模生産の外国のものと比較して価格は高めだが、品質の高さから一定の需要層は確保できる。生産者にとっても努力次第では高級食材などの輸出のチャンスが増えることになろう。
 2、国内流通制度の簡素化による価格引き下げが不可欠
 国内農産品、酪農品の最大の問題は、価格であるが、食材の銘柄により差別化が図れる一方、生産者価格はそれ程高くなく、流通段階が複雑でコストが掛かり割高となっている。現在は、インターネットを利用した生産者よりの直接販売も可能となっているので、消費者直送も可能になっている。対応が迫られているのは流通システムの多様化と簡素化だ。
 特に農協(JA)制度は、戦後の農産物生産と消費市場への安定供給の上で重要な役割を果たしたが、工業化に伴う若年層の農村地域からの流出と食生活の変化により生産、消費ともに大きく変化しているので、日本の農業、酪農がグローバル化に柔軟に対応していけるよう、生産者の努力が消費者に直接届けられる自由且つ柔軟な流通システムとして行くことが望まれる。
 3、米国のTPP復帰と必要とされる中国経済の自由市場化
 TPPから離脱した米国の動向が注目される。米国は2国間交渉を重視し、北米自由貿易地域(NAFTA)についてもメキシコ、カナダと2国間の交渉を行い新たな枠組みを作った。NAFTA自体を否定をしたわけではない。TPPについても、米国は日本を含め2国間の交渉を求めて来ており、今後の動向が注目される。
 将来米国が何らかの形でTPPに復帰することが期待されるところであるが、いずれにしても開かれた自由貿易圏を目指すべきであり、環太平洋諸国の新規加入も期待される。中国については、単一国で13億超の市場を形成している上、‘中国の特色ある社会主義市場経済’を目指すことが2017年10月の全人代でも再確認され、基本的には為替管理を含め、国家管理経済、統制経済体制であり、私有財産制に基づく‘自由経済’、‘自由市場’とは体制が異なるので、TPPに参加する要件が整っていない。従って中国の国内経済体制が為替管理を含めて自由経済市場に移行するまで参加は困難であろうし、適当でもない。
 世界貿易機構(WTO)が、 社会主義経済である中国の参加をそのまま認めたことは時期尚早であり、これによりWTOの下での世界規模の自由化の流れが停滞したことに留意すべきであろう。中国については、WTO参加に経過措置を設け、一定の条件を付して置くべきであった。現在、米国が中国に条件を付ける形で通商折衝が行われているが、国際協調、グローバル化に流されて、中国のWTO参加に際し条件を付さなかった軽率さが遠因と考えられる。中国がWTOに加盟すれば、中国の自由市場化が促進されるとの期待感は外れたと言えよう。
 中国が、米国のトランプ大統領の下での通商政策を保護主義とし、‘自由貿易主義’を主張し、二国間や国際場裏で同様の主張を繰り返しているが、そうであれば中国の国内市場を米国やその他の先進工業諸国と同程度に自由化し、国家による統制や中央管理を撤廃する努力をさせるべきであろうし、各国がそれを中国求めて行くべきであろう。
 同時に、WTOのみならず、国際機関の政策的方向性や事務局の在り方を含む政策面での監視や指導を強化する必要があるようだ。現在世界が直面している最も深刻な課題は、地域紛争の長期化、恒久化と大量な難民問題であろう。戦後国連の下で進められて来た難民政策の下では、既存の難民キャンプが恒常化している上、自然増により世界の難民が増加し続けている上、紛争が解決されないまま先送られ、長期化、恒常化する中で新たな難民が生まれている。
 新たなアプローチが必要になっているのではないだろうか。(2018.11.4.)(All Rights Reserved.)
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トランプ流通商強硬策の真の狙いは何か?!

2019-01-28 | Weblog
 トランプ流通商強硬策の真の狙いは何か?!
 トランプ米大統領は、3月22日、‘中国が米国の知的財産権を侵害している’として、最大で600億ドル(約6.3兆円)規模の中国製品に対し関税を課すことを目指す大統領覚書に署名した。またこの覚書中で、中国で米国を含め外国企業が合弁事業を行う際、現地企業への技術ライセンス供与が求められていることについて、世界貿易機関(WTO)に提訴するようUSTRに指示した。
 同大統領は、これに先立つ3月8日、鉄鋼、アルミニウム製品の米国への輸入増加が‘国家安全保障上の脅威になる’として輸入制限措置を決定したが、3月23日から鉄鋼に25%、アルミに10%の関税が課されることになった。この関税引き上げ措置は、北米自由貿易協定(NAFTA)の再交渉中であるカナダとメキシコを除き全ての国・地域には適用される。トランプ大統領はこの措置を発表するに当たって記者団に対し、日本については首相とも仲が良いが、対日貿易赤字は続いておりやむを得ないとの趣旨を述べている。
 1、中国等の報復措置の連鎖により貿易戦争は勃発するか
 米国の知的財産権侵害に対する対中措置は、通商法301条に基づくものであり、米通商代表部(USTR)が関税対象となる中国製品の品目リストを作成することになるが、ハイテク製品を中心に約1,300品目にも及ぶとも見られている。これにより最大で年間600億ドル(約6.3兆円)相当の中国製品に25%の関税が課されることになり、中国への打撃は大きいが、対象リスト作成後30日の審査期間が設けられ、関係業界等から意見を求められるので、最終的な関税措置の実施にはなお一定の期間が必要となる。
 この措置を前にして、3月17日、中国の貿易救済調査担当局長は談話を発表し、‘米国の調査結果に根拠はない’とすると共に、‘米国の最終決定が中国の利益に影響を与える場合、必要な措置を講じる’旨述べ、対抗措置の可能性を示唆した。中国外交部報道官も3月23日の記者会見において、‘中国側の立場はすでにはっきりと示しており、伝えた情報も非常に明確だ。贈り物をもらって返さないのは失礼であり、中国はこれに対応する。米国側が真剣に中国側の立場に向き合い、合理的で慎重な政策決定をすることを希望する’旨表明している。米国の措置を批判する一方、ある種の余裕を示しているように映る。
 そして中国は、4月2日から、豚肉やワインなど米国産品128品目、総額約30億ドル相当の対米輸入品に最大25%の関税上乗せを実施する旨明らかにした。中国政府はこの措置を‘米国が設定した新関税による損失から中国の利益と取引残高を保護する’ためとする一方、‘貿易戦争’を望むものではないとしている。
 これに対しトランプ大統領は、4月5日、対中輸入品に対し更に1,000億ドル(約10.7兆円)規模の追加関税を検討する旨表明した。中国はこれを‘国際貿易ルール違反’などとして米国の対応を批判した。
これを受けトランプ大統領は声明の中で、‘中国は自らの違法行為を正すことなく、米国の農家や製造業に被害を与えることを選んだ’として中国の報復措置を非難する一方、米国は‘貿易戦争はしてない’としてその正当性を表明し、強硬策を貫く姿勢を示した。
 トランプ大統領は、2017年1月に就任後も大統領選挙期間中の‘アメリカ・ファースト、雇用の回復’の主張を繰り返し、中国等との膨大且つ一方的な貿易赤字を解消するため、‘フェアーな貿易、相互の利益’の実現を事ある毎に訴えて来た。同大統領は就任後早々に、北米自由貿易協定(NAFTA)や環太平洋経済連携協定(TPP)からの離脱、2国間自由貿易交渉の優先を鮮明にし、カナダ、メキシコ両国との再交渉を進めるなど、首脳レベルやペンス副大統領レベルを含め様々なレベルで水面下の打診、協議が行われていたと見られる。

 2、周到な計算づくのトランプ大統領の対中強硬措置
 今回の通商強硬措置は、大統領就任後1年間で様々なレベルで関係各国と水面下の接触を行うと共に、中国を含め関係各国との首脳レベルでの関係を構築した上で、周到な計算に基づき打ち出された強硬措置と見ることが出来るだろう。
 一部でこれにより関税引き上げ競争による世界経済の縮小や貿易戦争の恐れとの懸念が表明され、このような懸念を背景として米国の株式市場は大幅に下げ、相互に対抗措置が発表されるごとに下落を繰り返している。
 これはこれまでの常識的な反応であり、当面神経質な動きが続くであろう。しかし中国はもとより米国も‘貿易戦争’となることを否定している。トランプ大統領が表明している通り、関税引き上げ競争でより多くの被害を受けるのは中国であろう。中国は13億の国民に十分な食料等を確保しなくてはならないし、それが出来なければ社会的な反発や不安定化を引き起こす可能性がある。またそもそも知的財産については、中国政府の一定の努力にもかかわらず、中国側に多くの問題があることは明らかであり、米国がその改善を求めるのは当然であろうし、日本を含む他の技術先進国にとっても必要なことであろう。
 遅かれ早かれ米・中両国は貿易問題について交渉の席に着くであろう。トランプ大統領は、各国との通商関係において‘フェアーで相互の利益’の確保を主張しているが、これは通商関係だけでなく国家関係一般に通じる原則、基準であり、
 今回の米国の関税措置は2国間の通商交渉を求めるノロシと見るべきであり、相手国を交渉の席につかせる強い意志の表われと見るべきであろう。不動産業で成功したビジネスマン的交渉スタイルと言えようが、安易な妥協を図ることはなく、決裂すれば‘ユーアー ファイアード(お前は首だ)!’とばかりに強硬策をとることを躊躇はしないであろう。
 しかしトランプ大統領も次の諸点は理解すべきであろう。
 1)米国のように成熟した市場経済では、物の貿易に加え、蓄積された膨大な資本を背景としてより多くの利潤が期待出来る海外に投資することが多くなり、貿易収支が赤字でも資本収支が黒字となりこれを補てんするので、貿易収支を切り離して見るのではなく、国際収支全体で考えるべきである。
 2)米国からの海外への資本投資や資本逃避は米国人ビジネスマン自身が行っているので、米国内への再投資を促すことは米国自身の問題である。
 3)米国の中国、アジア等への直接投資は、多くの場合本社機能やハイテク技術を備える生産工程全体で行われる形が多くみられ、いわば根こそぎ投資となり米国内にほとんど何も残らず、米国の企業家自身が雇用機会を奪っていると言える。それらの海外製品が米国にも輸出されると、米国の貿易収支の悪化要因となる一方、米国の投資家に多額の利益がもたらされていることを理解すべきであろう。
トランプ大統領は、米国内での製造活動を増進させたいというのであれば、輸出国を批判するだけではなく、米国自身の問題として企業家の投資態度の改善、転換も図るべきであろう。

 3、トランプ大統領の北朝鮮問題をめぐる中国への隠れたメッセージ
 今回の米国の関税引き上げ措置、特に知的財産権侵害に対する対中経済措置は、第一義的には選挙公約である米国への雇用機会回復を狙ったものであるが、制裁措置というよりは‘公正で相互利益性’を基礎とした通商交渉を促すことが目的と見られる。しかし同時に、それは通商措置にとどまらず、トランプ大統領は北朝鮮問題においても中国の動きに満足しておらず、中国が北朝鮮に対し核兵器とミサイルを放棄するよう経済制裁措置を誠実に実施し、更に圧力を掛けるよう促すと共に、もし北朝鮮が核、ミサイルの放棄に応じない場合には強硬手段も辞さないというメッセージが込められていると思われる。
 関税引き上げという強硬措置は、自由貿易の流れに反し、貿易戦争を引き起こし、世界貿易を縮小させる恐れがあり、従来の概念では批判の多い政策であることはトランプ大統領も承知の上で敢えて打ち出したものであろう。それは長期に亘る膨大な貿易不均衡問題、特に対中貿易不均衡問題はこれ以上容認できず、批判があっても敢えてそれを解決するという強い意志を示したものであろう。
 環太平洋経済連携協定(TPP)は、米国抜きの11カ国で発足する運びとなったが(3月8日11カ国署名)、トランプ大統領は、4月12日、通商代表部(USTR)に対し復帰のための条件を検討するよう指示しており、強硬措置一辺倒ではなく、交渉による現実的な解決にも取り組む意向を示している。北米自由貿易協定(NAFTA)については既にカナダ、メキシコと再交渉を開始している。
 同大統領は、4月13日付の自らのツイッターで、“(米国は)オバマ大統領に提示された取引より実質的に良い取引でのみ参加する。米国はTPP加盟の6カ国と既に折衝している。その中で最も大きい日本は、長年にわたり米国をたたいているが、取引をすべく作業している。”と述べている。過去1年間、関係国と水面下で周到な準備、協議を行っていることを物語っている。

4、ホワイトハウス、主要閣僚ポストをトランプ好みに固めた大統領
 トランプ大統領は、2017年1月20日の就任式以来、大統領補佐官を含む主要な補佐官、長官の辞任、解任が頻繁に行っており、2018年に入っても3月にゲーリー・コーン大統領補佐官兼国家経済会議議長(後任は保守派経済評論家ラリー・クドロー氏)、続いてレックス・ティラーソンが国務長官が解任(後任にマイク・ポンペオCIA長官)、4月にマクマスター大統領補佐官(国家安全保障担当)(後任はジョン・ボルトン元国連大使)が交代している。この時期に関税引き上げ措置など貿易強硬策がとられ、また北朝鮮の金正恩書記長との5月までの首脳会談などが打ち出されたことから、これらの対外経済、安全保障・外交問題での意見の対立が原因であったと見られる。
 その他、2017年中に次のように主要な補佐官がホワイト・ハウスを去っており、トランプ政権の不安定性を懸念する向きが多い。
・マイケル・フリン大統領補佐官 辞任(ロシア疑惑で)(2017年2月) 
⇒後任マクマスター元陸軍中将(上記の通り2018年4月に辞任)
=>後任ジョン・ボルトン元国連大使
・スパイサー大統領報道官(兼広報部長代行)辞任(2017年7月)
・プリーバス首席補佐官 辞任(政権の内部情報をリークか)(同月)
⇒後任ケリー国土安全保障長官
・アンソニー・スカラムチ広報部長 辞任 (同月)
⇒後任サラ・ハッカビー・サンダース
・スティーブン・バノン首席戦略官兼上級顧問 辞任 (2017年8月)
(大統領選挙期間中からトランプの有力な側)
 しかしトランプ大統領の政権運営にとっては、そのような一般的な懸念、批判に反し、政権運営の安定性、迅速性が増したとする見方も出来る。確かに政権発足1年強で主要な補佐官、長官等が政権を去ることは好ましいことではないが、トランプ大統領が政治の経験のない財界出身である上、大統領選挙(2016年11月)の3か月前の共和党大会まで共和党候補が決まらず、政権を担う人材を固める時間的余裕がなかったこと、更に同大統領は‘既成の政治’の打破を政治信条に据えていることからも人材確保に従来の政権以上に時間を要することなどを勘案すると、主要ポストを固めるのに1年強を要したことはやむを得なかったとも言える。いずれにしてもトランプ大統領自身の感覚からすると、同大統領と政策を共有し、一緒に仕事が出来る人材を確保するためであるので、不安定性などは感じておらず、安定性は増し、より迅速に決断出来ると認識しているであろう。それは同時に性急な結論を出す可能性を秘めており、同大統領が米国内の異なる意見にも耳を傾ける共に、主要国とも十分協議しつつ事を進めることが望まれる。日本としても、トランプ政権の政策を、自ら情勢分析の上慎重に見極め、判断することが必要なのであろう。(2018.4.16.)(Copy Rights Reserved.)
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日韓間の「不都合な」事実―竹島(独島)問題―再掲

2019-01-28 | Weblog
 日韓間の「不都合な」事実―竹島(独島)問題―再掲
 2012年1月24日、玄葉外相が通常国会冒頭における外交演説において、「竹島問題」に触れたのに対し、翌25日、韓国外交通商部は趙報道官名で、「玄葉外相が韓国固有の領土である独島に対し、不当に領有権を主張したことについて強く抗議し、直ちに撤回することを求める」旨の声明を出し、強く反発した。
 竹島は、韓国では「独島」(Dokdo)と呼ばれており、日本と連合国とのサンフランシスコ平和条約発効(52年4月28日)を前にして、李承晩・大韓民国(韓国)大統領が、1952年1月18日、「海洋主権」を宣言し、周辺海域に「漁船立ち入り禁止線」、通称「李承晩ライン」を設定し、同島は韓国の支配下にあると一方的に宣言して以来、日韓間の喉もとの小骨となっている。玄葉外相が「竹島」問題と述べたことから、日本側が韓国側の呼称、領有権を認めず、同島への灯台や桟橋の建設など、韓国が行っている各種の行動を認めていないと受け止められたためと見られている。しかし玄葉外相は、外交演説の中で韓国を「基本的な価値観を共有する最も重要な隣国」と位置付けた後、「竹島問題は,一朝一夕に解決する問題ではないが、韓国側に対して受け入れられないものについては受け入れられないとしっかりと伝え、粘り強く対応する」旨、しごく当たり前のことを述べたに過ぎない。韓国側の声明は、外交通商部の報道官レベルのものであり、それ程強いものではないとも受け取れるが、過敏、過剰な反応と映る。日本での韓流ブームなどで象徴される両国間の文化、観光交流や活発な経済交流などの実体からからすると違和感を受ける動きであり、両国政府間が協調の精神で知恵を出し合い、問題が解決されること期待したい。
 1、 日韓の古くからの接点、竹島(独島)の歴史
 同島は、東西2つの岩礁島からなっており、日比谷公園と同程度の面積しかなく、また定住出来るような環境にはないが、1905年1月28日、日本政府は、閣議で「竹島」と命名し、「島根県隠岐島司」の所管とした。日本が、韓国(大韓帝国)を併合(1910年8月)した5年以上も前のことである。
しかし、同島を巡る日韓両国の交流は、両国の沿岸漁民を中心として古くからあるようであり、1618年には、日本人2名が江戸幕府の許可を得て同島に渡航し、また、1692、3年頃には、これら2名が周辺島嶼から2名の朝鮮人を日本に連行したことから、日本と朝鮮の間に紛争(「竹島一件」)が発生したなどの記録があり、この頃より周辺海域での接触、紛争が活発になって来たようだ。
 もっとも、その頃は韓国側の「鬱陵島」を「竹島」と呼び、現在の竹島を「松島」と呼んでいたようである。また1849年、フランスの捕鯨船Liancourt号が同島を発見し、リアンクール島と名付け、その後日本では、「りゃんこ島」とか「リアンクール岩」とも呼ばれたことがあるようで、同島(岩礁)を巡る両国の交流の歴史にも混同がありそうだ。因みに、米国国務省がホーム・ページで公表している各国別地図では、日韓双方に、Liancourt Rocks(リアンコート岩礁)の名称で記載している。
いずれにしても竹島(独島)は人が住める状況にはない岩礁であるが、両国沿岸には大小多くの島が点在しており、恐らく古くから漁民などが同島周辺を往来していたのであろう。韓国側にもいろいろと記録があるようであるが、従来人が住んでいるわけではなく、同島周辺海域、島嶼を巡る往来のようであり、正に両国双方の接触の「最外延点」である。
 このような古くからの交流の歴史を考えると、竹島(独島)問題は、靖国神社参拝やいわゆる「(侵略の)歴史問題」とは関係がないのである。韓国側も、歴史的事実は事実として認識して欲しいものである。他方日本とは反対側の韓国からの見方もあろうから、双方の専門家で同島の歴史を客観的に研究し、相互の理解を深める努力も必要のようだ。
それはそれとして、同島が両国の古来の接触の「最外延点」であるという歴史的背景を踏まえ、同島問題の早期解決を模索できないものであろうか。

 2、両国に求められる竹島(独島)問題の早期解決
 この問題は、日本政府としては1954年以来国際司法裁判所に付託することを韓国側に提案し来ているが、韓国政府が同意していないため実現していない。
 竹島は韓国により事実上占拠されており、韓国側はこれを「実効支配」と称している。しかし本来「実効支配」とは、「政府承認の重要な要件」の一つとして、特定国の政府が国内全域において実効的に支配が確立出来ているか否かを判断する概念であり、日本が領有を主張する竹島を「実力行使」で占拠しても、日本が領有を明確に表明している限り、実力行使による「占拠」でしかない。日本側とすれば、韓国が国際司法裁判所への付託に同意するまで要請を続け、領有権において譲歩する必要はないとの意見もあろう。しかしお互いに本件を巡り「消耗戦」を継続し、両国関係改善の阻害要因とすることは両国国民の健全な交流をも阻み、真の「日韓新時代」などは幕開けしないであろう。国際司法裁判所への付託が実現し難い場合には、両国がこの問題に冷静に対処し、同島の共同管理・共同統治の道を速やかに模索するなど、早期の解決が望まれる。
(2012.01.26.)(Copy Right Reserved.)
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日・ロ平和条約締結への交渉加速を期待する

2019-01-28 | Weblog
日・ロ平和条約締結への交渉加速を期待する
                                       2018年11月26日
 日・ロ平和条約締結に向け、シンガポールで開催されたASEAN関連首脳会議に際し、2018年11月14日、安倍首相はロシアのプーチン大統領と会談した。この会談は2016年に持たれた両首脳の日本での会談において、「新しいアプローチで問題を解決する」との方針の下で、北方4島での共同経済活動を促進することで合意したことを受けて行われたものである。
 日本外務省が公表した会談概要では、事務当局を含めた全体会合(45分)の他、通訳のみでの両首脳の個別会談(40分)が行われた。全体会合では、平和条約問題の他、2国間経済関係の促進、国際的な安全保障分野での協力、北朝鮮非核化問題など幅広い分野で意見交換が行われている。
 日・ロ平和条約締結問題については、全体会合においては、北方4島における共同経済活動の促進につき協議されると共に、日本側より元島民の問題について提起されたが、北方4島返還問題を含む平和条約締結問題については突っ込んだ話し合いは行われず、両首脳による個別会談で行われた。
 首脳間個別会談の後、安倍首相は記者団に対し、「1956年宣言を基礎として平和条約交渉を加速させる。そのことをプーチン大統領と合意した。」と述べ、これが公表された会談概要にも記載されている。1956年に調印された日・ソ共同宣言においては、外交関係を回復し、平和条約締結交渉を継続することとし,‘条約締結後にソ連は日本へ歯舞群島と色丹島を引き渡しする’旨記されている。
 日本は従来、4島一括返還を主張し、領土問題解決が平和条約締結の前提条件としていた。しかし1956年の共同宣言から62年、歴代政権が交渉を重ねてきたものの見通しが立っていない今日、長年の膠着状態を打破するため平和条約締結に向け1956年の共同宣言を基礎として条約交渉を実質的且つ具体的に加速することを支持する。
 日本としては、老齢化する旧島民や地権者の精神的負担を軽減すると共に、急速に存在感を増す中国との関係においても海を隔てた隣国ロシアとの平和条約を締結することがタイムリーと言えよう。他方ロシアにとっては、強大化する中国との関係において、クリミア半島併合以来米・欧との関係が悪化し、制裁を科され、G8(主要先進8カ国)からも外され、孤立感を深めているので、政治的にも経済的にも日本との平和条約締結は望ましいものと言えよう。
 1、ロシアは北方領土返還により日本の信頼を回復出来る
 プーチン大統領は、今回の首脳会談後、‘同宣言には、ソ連が2つの島を引き渡す用意があるということだけ述べられ、それらがどのような根拠により、どちらの主権に基づくかなどは述べられていない。慎重な議論が必要だ’と述べたと伝えられている。しかしロシア側は、北方4島を奪取した経緯と旧島民のみならず日本国民にとっての北方領土返還の意味を理解すべきであろう。それは北方領土の権益等の経済的な価値などではなく、日本のロシアに対する信頼性回復の問題なのである。
 プーチン大統領は、日本の北方領土は‘戦争の結果得たものである’と述べていたところであり、日本の領土であることは認識していると思われる。従って、‘日本へ歯舞群島と色丹島を引き渡しする’ということは、2島を日本の主権下に‘引き渡す’と言うことに他ならない。無論、ロシア、その前身であるソ連がこれらの島に投じた資金や現実にロシア人が生活をしているので、それらに対する代償については、プーチン大統領が示唆している通り‘議論が必要’であろう。
日本人にとっては、北方領土は‘経済的代償’以上の意味合いがある。
 日本は、第2次世界大戦前の1941年4月、ソ連と中立条約を締結している。しかしソ連は、中立条約の破棄通告もなく(1年前の事前通告が規定)、1945年8月8日、突如日本に対し宣戦布告し、北方4島を奪取、占領した。
 ソ連は日本との重要な国際約束を破ったのである。従って、ロシアが平和条約を締結しても、北方4島をどのような形であろうと日本に返還しないということは、ソ連、従ってそれを継承しているロシアは、国際約束を遵守しない、都合により一方的に破棄することがあるということを意味し、日本人は、また世界は‘ロシアは信頼できない’という認識を持つであろう。平和条約を締結しても、‘信用できないロシア’との貿易・投資が積極的に進められるとも思えない。
 プーチン大統領は、北方領土問題は‘経済的代償’の問題以上に‘信頼性’の問題であることを十分に理解すべきであろう。他方‘経済的代償’については、日本側は可能な限り知恵を出すべきであろう。

 2、北方領土問題につき1956年の共同宣言を越えられるかが鍵
 今後平和条約交渉が実質的に加速し、条約締結の段階に至っても、北方領土に
ついては歯舞、色丹の2島返還だけに終わると、1956年の日・ソ共同宣言以来の62年間に亘る歴代政権の交渉努力は何だったのかとの批判に晒される恐れがある。
 従って今後の最大の鍵は、残る択捉、国後2諸島の取り扱いとなろう。同時に、歯舞、色丹の2島が返還されることになれば、この両島の地権者の問題は解決するが、択捉、国後2諸島において‘共同経済活動’が継続するとしても、この両島の地権者の地権回復が問題となろう。
 (1)残る択捉、国後2諸島の取り扱い
 択捉、国後2諸島については、‘1956年日・ソ共同宣言’の外になるので、今回の交渉で結論を出すことは困難と予想され、何らかの形で継続協議となる可能性がある。そのような可能性があるとしても、歯舞、色丹2島の返還を前提とした条約締結交渉を支持する。
 しかし択捉、国後について一定の方向性を出すことが望まれる。例えば次のような選択肢が考えられる。
 イ)現状のまま‘共同経済活動’を継続し、帰属につき代償を含め協議する。
 ロ)領有権は日本側に引き渡すが、ロシア側に一部を実質上無償で無期限租借する。
 ハ)択捉、国後2諸島については、‘日・ロ自由貿易地域’(仮称)として日・ロ両国の共同管理 
  する、など。
 いずれにしても両国が、両国国民の理解と信頼が得られるよう知恵を出すことが不可欠であろう。

 3、地権者の権利を認め、帰還を認めるか、補償が支払われるべき
 ソ連による北方4島占領当時、島民は3,124世帯、17,291人ほど(独法北方領土問題対策協会資料)であり、その生活や権利は回復しない。両国による領有権問題は別として、日・ロ共同経済活動と並行して、或いはその一環として、それら島民が故郷に住む権利を回復すべきであろう。また住むことを希望しないものに対し補償がなされるべきであろう。国家の領土権問題は、国家と国家の間の問題であり、シビリアンである個人の地権、所有権は個人の土地・財産所有権の問題であるので、責任ある国家としてはそれを尊重する義務がある。国家間の戦争において、戦闘に関与していない一般市民の生まれ育った故郷に平穏に住む権利を奪うことは、今日の国際通念において人道上も、人権の上でも容認されて良いものではない。
 旧島民による墓参活動が進展しているが、ロシア側、或いはロシア人在住者が日本人の墓地や鳥居などの旧跡を破壊、撤去せず、維持していることは日本人のルーツ、心情を認識、理解しているものとして評価できる。プーチン大統領も、ロシア人の生活だけでなく、日本の旧島民の気持ちは十分に分かるであろう。
 日・ロ間には‘平和条約’こそないが、事実上の平和が維持されている今日、4島に住んでいた日本の旧島民及びその家族が故郷に住む権利、そして地権の回復か代替地の提供、或いは補償が早期に行われることが強く期待される。多くの家族が土地登記をしている。(2018.11.26.)(Copy Rights Reserved.)
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激動の時代を経て生まれたブッダの基本思想(その4) ―ブッダのルーツの真実―

2019-01-25 | Weblog
激動の時代を経て生まれたブッダの基本思想(その4)
―ブッダのルーツの真実―        2018年2月19日
 日本の国勢調査では、総人口の約74%が仏教系統。ところが一般には、ブッダが誕生した時代背景やルーツ、基本思想などについては余り知られていない。ブッダの誕生地は「北インド」と習った人が多く、未だに多くの教科書にはそのように記載。
また国際的にも、ブッダが青年期を過ごしたシャキア王国の城‘カピラヴァスツ’がインド側とネパール側にあるなど、未解明であり、不思議。ブッダ誕生の歴史的、社会的な背景やルーツを知ることは日本の文化や思想をよりよく知る上で必要。
このような観点や疑問から2011年に著書「お釈迦様のルーツの謎」(東京図書出版)を出版。また2015年、英文著書「The Mystery over Lord Buddha’s Roots」がニューデリーのNirala Publicationsから国際出版。特に英文ではブッダの基本思想やその歴史的な意味合いに注目。
Ⅰ.ブッダのルーツの真実と歴史的背景
 1、ブッダの生誕地ルンビニ(ネパール)                  (その1で掲載)
  2、城都カピラヴァスツ(シャキア部族王国―ブッダ青年期の居城)と周辺の遺跡群 (その1で掲載)

 3、もう一つのカピラバスツは何か?ーインドのピプラワとガンワリア     (その2で掲載)
北インド(ウッタル・プラデッシュ州)のピプラワ(Piprahwa)村にカピラバスツとされる遺跡がある。その南東1キロほどのところに「パレス」と表示されている遺跡。
(1)ピプラワのカピラバスツーブッダの骨壷が発見された大きなストウーパ跡の周囲に煉瓦造りの建物の遺跡。僧院群。     
(2)ガンワリアの「パレス」遺跡―ピプラワの遺跡から南東に1キロほどのところに「パレス」と表示されたガンワリアの遺跡。城壁なども無い僧院作りの重厚な建物。

4、歴史の証人―決め手となる法顕と玄奘の記録                (その2で掲載)
ー>歴史的にルンビニはブッダ教の巡礼地。
中国の僧侶法顕は5世紀初頭、玄奘はその200年ほど後の7世紀にルンビニ始め、ブッダゆかりの地を訪問、それぞれ「仏国記」(「法顕伝」)、「大唐西域記」として記録。
―>6世紀以降日本に入って来た仏典等は漢字で書かれた経典や伝承。(サンスクリットが漢字の音で表記され、難解。)
(1)「法顕伝」が伝えるカピラヴァストウ
法顕は、シャキヤ族の城都「カピラヴァストウ城」の項の中で、「城の東50里に王園がある。王園の名は論民(ルンビニのこと)と言う。」と記述。
従って、カピラ城は「ルンビニの西50里」=西20~25キロ」のところになる。
 ネパールのテイラウラコット村の城址と一致。
(2)異なる記述の玄奘の「大唐西域記」
 玄奘も、コーサラ国の首都シュラバステイや僧院などを経てカピラヴァストウを訪問しており、「カピラヴァストウ国」の項で異なる記述。「城」でなくて、「国」と記述。


 Ⅱ、激動の時代を経て、相対的な安定期に生まれたブッダ思想 
インド亜大陸へのアーリアンの長期にわたる大量の人口流入とドラビダ族等との支配を巡る紛争と融合を経て、16大国時代という相対的な安定期の中でブッダは誕生。大国間の支配を巡る潜在的な対立が存在する一方、各部族地域内では人口融合が進展。インド亜大陸統一は、その後約200年を経て、マガダ国の マウリア王朝時アショカ王により実現。
このようなブッダ誕生の歴史的、社会的背景から次のようなことが読み取れる。
 1、根底にバラモンの思想と先代ブッダの存在―知的文化(古代ブッダ文化)の存在(その3で掲載)
 2、王子の地を捨て悟りの道を決断した基本思想―人類平等と人類共通の課題  (その3で掲載)
 3、生きることに立脚した悟り                        (その3で掲載)
 4、不殺生、非暴力の思想 (その3で掲載)

 5、ヨーロッパ、アジアを大陸横断的に見た思想の流れ 
アジア、ヨーロッパの思想を大陸横断的に見てみると、ブッダ思想の誕生(紀元前623年頃~紀元前5世紀)からほぼ半世紀後に中国に孔子思想(紀元前551年から紀元前479年)、そして約1世紀後にギリシャにソクラテス、プラトン思想(紀元前469年頃から紀元前399年)が誕生し、それぞれ中国やヨーロッパの思想、哲学の基礎を築いた。
紀元前2000年から紀元前1000年頃のアーリアンの人口移動を見ると、ブッダ思想にもアーリアンの思想、文化の影響。今度はブッダ思想、文化が中国やギリシャなどに運ばれ、相互に影響か。民主主義の原点となる人類平等思想や弱者救済、福祉、そして殺人や暴力への戒めの思想など、ブッダ思想に既にその萌芽。
飛鳥時代に日本に伝来したブッダの思想、文化は、ヨーロッパからアジアへのダイナミックな人口移動の流れと徐々に進展する民族融合の過程で誕生し、そして中国やヨーロッパの思想、文化と相互に影響。日本の思想、文化は、本来極東に限定された局地的なものではなく、ヨーロッパとアジアに広がるダイナミックな思想、文化の流れと繋がっていることを理解することが必要。
(All Rigths Resarved.)
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激動の時代を経て生まれたブッダの基本思想(その3) ―ブッダのルーツの真実―

2019-01-25 | Weblog
激動の時代を経て生まれたブッダの基本思想(その3)
―ブッダのルーツの真実―        2018年2月19日
 日本の国勢調査では、総人口の約74%が仏教系統。ところが一般には、ブッダが誕生した時代背景やルーツ、基本思想などについては余り知られていない。ブッダの誕生地は「北インド」と習った人が多く、未だに多くの教科書にはそのように記載。
また国際的にも、ブッダが青年期を過ごしたシャキア王国の城‘カピラヴァスツ’がインド側とネパール側にあるなど、未解明であり、不思議。ブッダ誕生の歴史的、社会的な背景やルーツを知ることは日本の文化や思想をよりよく知る上で必要。
このような観点や疑問から2011年に著書「お釈迦様のルーツの謎」(東京図書出版)を出版。また2015年、英文著書「The Mystery over Lord Buddha’s Roots」がニューデリーのNirala Publicationsから国際出版。特に英文ではブッダの基本思想やその歴史的な意味合いに注目。
Ⅰ.ブッダのルーツの真実と歴史的背景
 1、ブッダの生誕地ルンビニ(ネパール)                  (その1で掲載)
  2、城都カピラヴァスツ(シャキア部族王国―ブッダ青年期の居城)と周辺の遺跡群 (その1で掲載)

 3、もう一つのカピラバスツは何か?ーインドのピプラワとガンワリア     (その2で掲載)
北インド(ウッタル・プラデッシュ州)のピプラワ(Piprahwa)村にカピラバスツとされる遺跡がある。その南東1キロほどのところに「パレス」と表示されている遺跡。
(1)ピプラワのカピラバスツーブッダの骨壷が発見された大きなストウーパ跡の周囲に煉瓦造りの建物の遺跡。僧院群。     
(2)ガンワリアの「パレス」遺跡―ピプラワの遺跡から南東に1キロほどのところに「パレス」と表示されたガンワリアの遺跡。城壁なども無い僧院作りの重厚な建物。

4、歴史の証人―決め手となる法顕と玄奘の記録                (その2で掲載)
ー>歴史的にルンビニはブッダ教の巡礼地。
中国の僧侶法顕は5世紀初頭、玄奘はその200年ほど後の7世紀にルンビニ始め、ブッダゆかりの地を訪問、それぞれ「仏国記」(「法顕伝」)、「大唐西域記」として記録。
―>6世紀以降日本に入って来た仏典等は漢字で書かれた経典や伝承。(サンスクリットが漢字の音で表記され、難解。)
(1)「法顕伝」が伝えるカピラヴァストウ
法顕は、シャキヤ族の城都「カピラヴァストウ城」の項の中で、「城の東50里に王園がある。王園の名は論民(ルンビニのこと)と言う。」と記述。
従って、カピラ城は「ルンビニの西50里」=西20~25キロ」のところになる。
 ネパールのテイラウラコット村の城址と一致。
(2)異なる記述の玄奘の「大唐西域記」
 玄奘も、コーサラ国の首都シュラバステイや僧院などを経てカピラヴァストウを訪問しており、「カピラヴァストウ国」の項で異なる記述。「城」でなくて、「国」と記述。


 Ⅱ、激動の時代を経て、相対的な安定期に生まれたブッダ思想 
インド亜大陸へのアーリアンの長期にわたる大量の人口流入とドラビダ族等との支配を巡る紛争と融合を経て、16大国時代という相対的な安定期の中でブッダは誕生。大国間の支配を巡る潜在的な対立が存在する一方、各部族地域内では人口融合が進展。インド亜大陸統一は、その後約200年を経て、マガダ国の マウリア王朝時アショカ王により実現。
このようなブッダ誕生の歴史的、社会的背景から次のようなことが読み取れる。
 1、根底にバラモンの思想と先代ブッダの存在―知的文化(古代ブッダ文化)の存在
 2、王子の地位を捨て悟りの道を決断した基本思想―人類平等と人類共通の課題
 ブッダは、シャキア族の王子シッダールタとして支配階級であるクシャトリア。
 城外で「病、老、死」で苦しむ人々を見て、救いの手を求めて悟りの道へ。
 一つは、人類平等の思想に立脚。
 もう一つは、「病、老、死」は現代の課題でも。課題に普遍性。
 3、生きることに立脚した悟り
 極端な抑制と苦行は、欲望自体を消滅させず、「解脱」に導くものでもないことを悟る。そして生命の摂理に従って自然に生きることの中に真理を見出し、生きることに立脚して悟り。「中庸の道」、「中道の法」と言われる教え。80歳に至るまで、生きる教えを説く。
 4、不殺生、非暴力の思想
 ブッダは、コーサラ国のヴイルダカ王がシャキア王国を攻撃するとの知らせを受け、進軍する路上の枯れ木の下に座り、何度もヴイルダカ王に深い憂慮を伝えた。王は兵を引き返すが、再三に亘り進軍を繰り返し、進軍を許す結果に。しかしブッダは一人身を挺して進軍を阻み、その間多くの人々に避難する時間を与えと見られる。(非暴力を自ら実践)
 他方ヴイルダカ王には苦痛に満ちた末路が。(殺生への戒め)
 後世においては、アショカ王(在位紀元前269年より232年頃、ブッダの活動拠点だったマガダ国のマウリア王朝時代)は、「カリンガの闘い」での大量の殺戮。報いを恐れ不戦と不殺生を誓い、ブッダ教を深く崇拝。(ブッダ教の普及)
 また、インドが第一次世界大戦後英国からの独立運動(インド国民会議)を起こした際、マハトマ・ガンジーが非暴力の不服従運動。(不殺生、非暴力の実践)
 翻って見ると、ブッダの時代は、インド亜大陸においてア―リアン・グループの流入と先住グループとの戦いを繰り返しながら16大国が群雄割拠していた時代であり、相対的な安定期にあったと見られるが、未だ部族間の抗争が続いており、殺傷行為はいわば日常的であった時代に、‘不殺生、非暴力の教え’を説いたものであるので、当時としては非常に先駆的な思想であった。しかし、その思想は時を経るに従い、次第に組織化する社会において秩序維持等の観点から、掟や戒めとなり、そして今日の法律、規則に発展し、現在では世界のほとんどの国、地域において適用されている思想となっている。
 国家関係においては、現実論からすると、こうした徹底した非暴力主義は、今日の世界においては疑問が。戦争や武力紛争の無い世界は理想でしかなく、非現実的。
 しかし武力紛争の無い世界が「理想」であれば、理想に向かって努力することが人類の知恵ではないか。もとより、備えは行った上でのこと。
 人類の歴史を作ってきたのも、どの分野でも理想に基づくもの。

5、ヨーロッパ、アジアを大陸横断的に見た思想の流れ (その4に掲載)
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激動の時代を経て生まれたブッダの基本思想(その2) ―ブッダのルーツの真実―

2019-01-25 | Weblog
激動の時代を経て生まれたブッダの基本思想(その2)
―ブッダのルーツの真実―        2018年2月19日
 日本の国勢調査では、総人口の約74%が仏教系統。ところが一般には、ブッダが誕生した時代背景やルーツ、基本思想などについては余り知られていない。ブッダの誕生地は「北インド」と習った人が多く、未だに多くの教科書にはそのように記載。
また国際的にも、ブッダが青年期を過ごしたシャキア王国の城‘カピラヴァスツ’がインド側とネパール側にあるなど、未解明であり、不思議。ブッダ誕生の歴史的、社会的な背景やルーツを知ることは日本の文化や思想をよりよく知る上で必要。
このような観点や疑問から2011年に著書「お釈迦様のルーツの謎」(東京図書出版)を出版。また2015年、英文著書「The Mystery over Lord Buddha’s Roots」がニューデリーのNirala Publicationsから国際出版。特に英文ではブッダの基本思想やその歴史的な意味合いに注目。
Ⅰ.ブッダのルーツの真実と歴史的背景
 1、ブッダの生誕地ルンビニ(ネパール)                  (その1で掲載)
  2、城都カピラヴァスツ(シャキア部族王国―ブッダ青年期の居城)と周辺の遺跡群 (その1で掲載)

 3、もう一つのカピラバスツは何か?ーインドのピプラワとガンワリア(その2に掲載)
北インド(ウッタル・プラデッシュ州)のピプラワ(Piprahwa)村にカピラバスツとされる遺跡がある。その南東1キロほどのところに「パレス」と表示されている遺跡。
(1)ピプラワのカピラバスツーブッダの骨壷が発見された大きなストウーパ跡の周囲に煉瓦造りの建物の遺跡。僧院群。     
(2)ガンワリアの「パレス」遺跡―ピプラワの遺跡から南東に1キロほどのところに「パレス」と表示されたガンワリアの遺跡。城壁なども無い僧院作りの重厚な建物。

4、歴史の証人―決め手となる法顕と玄奘の記録 (その2に掲載)
ー>歴史的にルンビニはブッダ教の巡礼地。
中国の僧侶法顕は5世紀初頭、玄奘はその200年ほど後の7世紀にルンビニ始め、ブッダゆかりの地を訪問、それぞれ「仏国記」(「法顕伝」)、「大唐西域記」として記録。
―>6世紀以降日本に入って来た仏典等は漢字で書かれた経典や伝承。(サンスクリットが漢字の音で表記され、難解。)
(1)「法顕伝」が伝えるカピラヴァストウ
法顕は、シャキヤ族の城都「カピラヴァストウ城」の項の中で、「城の東50里に王園がある。王園の名は論民(ルンビニのこと)と言う。」と記述。
従って、カピラ城は「ルンビニの西50里」=西20~25キロ」のところになる。
 ネパールのテイラウラコット村の城址と一致。
(2)異なる記述の玄奘の「大唐西域記」
 玄奘も、コーサラ国の首都シュラバステイや僧院などを経てカピラヴァストウを訪問しており、「カピラヴァストウ国」の項で異なる記述。「城」でなくて、「国」と記述。


 Ⅱ、激動の時代を経て、相対的な安定期に生まれたブッダ思想 (その3に掲載)
インド亜大陸へのアーリアンの長期にわたる大量の人口流入とドラビダ族等との支配を巡る紛争と融合を経て、16大国時代という相対的な安定期の中でブッダは誕生。大国間の支配を巡る潜在的な対立が存在する一方、各部族地域内では人口融合が進展。インド亜大陸統一は、その後約200年を経て、マガダ国の マウリア王朝時アショカ王により実現。
このようなブッダ誕生の歴史的、社会的背景から次のようなことが読み取れる。
1、根底にバラモンの思想と先代ブッダの存在―知的文化(古代ブッダ文化)の存在
2、王子の地位を捨て悟りの道を決断した基本思想―人類平等と人類共通の課題
3、生きることに立脚した悟り
4、不殺生、非暴力の思想

5、ヨーロッパ、アジアを大陸横断的に見た思想の流れ (その4に掲載)

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日-EU経済連携協定の署名を歓迎!

2019-01-25 | Weblog
日-EU経済連携協定の署名を歓迎!
 日本と欧州連合(EU)は、2018年7月17日、日-EU経済連携協定に署名した。2019年に発効となる。
 2017年7月6日、日本はEU(欧州連合)と経済連携協定(EPA)に大枠で合意したもの。
 日-EU経済連携協定は、物品の輸出入だけではなく、サービスや人的交流、政府調達、及ぶ投資分野に亘り活動をより自由にし、相互の市場の連携をより緊密にすることを目的とする。
EUは、東欧を含む28か国で構成され、英国は脱退予定だが、人口約5億人、経済総生産(GDP)は現世界の約22%で、この連携協定により日本とEUは、総人口6億3千万人、GDP約28%を超える豊かな市場を構成することになる。日本との貿易総額は約11%程度しかないが、封建制度を経験した長い歴史と伝統を重んじ、街角に商店街が存在するなど、文化形態は異なるが、古い伝統に裏打ちされた文化や技術を尊重する意識において共通点は多いので、広い分野での経済交流が進展すれば、市場間の距離は縮まるものと期待される。
 農業・酪農や自動車など一部工業製品で競合する分野があるので、今後調整をようするが、生産者の立場から若干の調整を要するものの、双方の消費者にとっては質や価格の面で選択の幅が広がることになるので、速やかな協定の合意、締結が望まれる。(2018.7.18.更新)
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TPP 11(環太平洋パートナーシップ協定)の6カ国による批准・発効を歓迎!

2019-01-25 | Weblog
 TPP 11(環太平洋パートナーシップ協定)の6カ国による批准・発効を歓迎!
 TPP11カ国は、米国の離脱公表の後協議を重ね、2017年11月9日、ベトナムで開催された経済貿易閣僚会議において、離脱を表明している米国に関連する条項を凍結(関連条項の実施先送り)する形で11カ国による新協定「TPP11」に大筋合意し、2018年10月31日、豪州が批准したことにより、既に批准しているメキシコ、日本、シンガポール、ニュージーランド、カナダを加え、6カ国で12月31日に発行する。11月中にも手続きを完了するベトナムが加われば7カ国となるところ、TPP 11の発効を歓迎する。
 1、消費者にとっては朗報、生産者も輸出のチャンス増加
 今後、参加11カ国の批准手続きがすべて終われば、米国抜きで人口5億人(EUと同規模)、世界の国内総生産(GDP)の13%(EU 22%)を占める経済圏となる。
 消費者にとっては、当面肉類や一部野菜・果物類などが豊富で安くなり、朗報だ。その上豪州やNZは季節が反対となるので、天候被害等の場合補完し合うことになり、野菜不足、酪農品不足などが補える。また農産品を含め、これら諸国への輸出も容易になり、生活効果、経済的効果が期待される。
 他方、これにより農業、酪農生産者への影響が考えられるが、関税等の引き下げは段階的に行われるので、当面の影響は限定的であろう。
 農協(JA)長野中央会は、食肉や酪農品を中心として同県の農林水産業への影響を約14億円としている。政府は全体として国産農産品の売り上げが約1,500億円減少すると試算としている。しかし一部では、外国の食肉については狂牛病などで品質上の問題があり、国内の産地銘柄への志向は維持されるとの見方もある。一般的に日本の農産品、酪農品は小規模生産のため相対的に価格は高くなるが、生産者や産地により特性があり、高品質のだめ、大規模生産の外国のものと比較して価格は高めだが、品質の高さから一定の需要層は確保できる。生産者にとっても努力次第では高級食材などの輸出のチャンスが増えることになろう。
 2、国内流通制度の簡素化による価格引き下げが不可欠
 国内農産品、酪農品の最大の問題は、価格であるが、食材の銘柄により差別化が図れる一方、生産者価格はそれ程高くなく、流通段階が複雑でコストが掛かり割高となっている。現在は、インターネットを利用した生産者よりの直接販売も可能となっているので、消費者直送も可能になっている。対応が迫られているのは流通システムの多様化と簡素化だ。
 特に農協(JA)制度は、戦後の農産物生産と消費市場への安定供給の上で重要な役割を果たしたが、工業化に伴う若年層の農村地域からの流出と食生活の変化により生産、消費ともに大きく変化しているので、日本の農業、酪農がグローバル化に柔軟に対応していけるよう、生産者の努力が消費者に直接届けられる自由且つ柔軟な流通システムとして行くことが望まれる。
 3、米国のTPP復帰と必要とされる中国経済の自由市場化
 TPPから離脱した米国の動向が注目される。米国は2国間交渉を重視し、北米自由貿易地域(NAFTA)についてもメキシコ、カナダと2国間の交渉を行い新たな枠組みを作った。NAFTA自体を否定をしたわけではない。TPPについても、米国は日本を含め2国間の交渉を求めて来ており、今後の動向が注目される。
 将来米国が何らかの形でTPPに復帰することが期待されるところであるが、いずれにしても開かれた自由貿易圏を目指すべきであり、環太平洋諸国の新規加入も期待される。中国については、単一国で13億超の市場を形成している上、‘中国の特色ある社会主義市場経済’を目指すことが2017年10月の全人代でも再確認され、基本的には為替管理を含め、国家管理経済、統制経済体制であり、私有財産制に基づく‘自由経済’、‘自由市場’とは体制が異なるので、TPPに参加する要件が整っていない。従って中国の国内経済体制が為替管理を含めて自由経済市場に移行するまで参加は困難であろうし、適当でもない。
 世界貿易機構(WTO)が、 社会主義経済である中国の参加をそのまま認めたことは時期尚早であり、これによりWTOの下での世界規模の自由化の流れが停滞したことに留意すべきであろう。中国については、WTO参加に経過措置を設け、一定の条件を付して置くべきであった。現在、米国が中国に条件を付ける形で通商折衝が行われているが、国際協調、グローバル化に流されて、中国のWTO参加に際し条件を付さなかった軽率さが遠因と考えられる。中国がWTOに加盟すれば、中国の自由市場化が促進されるとの期待感は外れたと言えよう。
 中国が、米国のトランプ大統領の下での通商政策を保護主義とし、‘自由貿易主義’を主張し、二国間や国際場裏で同様の主張を繰り返しているが、そうであれば中国の国内市場を米国やその他の先進工業諸国と同程度に自由化し、国家による統制や中央管理を撤廃する努力をさせるべきであろうし、各国がそれを中国求めて行くべきであろう。
 同時に、WTOのみならず、国際機関の政策的方向性や事務局の在り方を含む政策面での監視や指導を強化する必要があるようだ。現在世界が直面している最も深刻な課題は、地域紛争の長期化、恒久化と大量な難民問題であろう。戦後国連の下で進められて来た難民政策の下では、既存の難民キャンプが恒常化している上、自然増により世界の難民が増加し続けている上、紛争が解決されないまま先送られ、長期化、恒常化する中で新たな難民が生まれている。
 新たなアプローチが必要になっているのではないだろうか。(2018.11.4.)(All Rights Reserved.)
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トランプ流通商強硬策の真の狙いは何か?!

2019-01-25 | Weblog
 トランプ流通商強硬策の真の狙いは何か?!
 トランプ米大統領は、3月22日、‘中国が米国の知的財産権を侵害している’として、最大で600億ドル(約6.3兆円)規模の中国製品に対し関税を課すことを目指す大統領覚書に署名した。またこの覚書中で、中国で米国を含め外国企業が合弁事業を行う際、現地企業への技術ライセンス供与が求められていることについて、世界貿易機関(WTO)に提訴するようUSTRに指示した。
 同大統領は、これに先立つ3月8日、鉄鋼、アルミニウム製品の米国への輸入増加が‘国家安全保障上の脅威になる’として輸入制限措置を決定したが、3月23日から鉄鋼に25%、アルミに10%の関税が課されることになった。この関税引き上げ措置は、北米自由貿易協定(NAFTA)の再交渉中であるカナダとメキシコを除き全ての国・地域には適用される。トランプ大統領はこの措置を発表するに当たって記者団に対し、日本については首相とも仲が良いが、対日貿易赤字は続いておりやむを得ないとの趣旨を述べている。
 1、中国等の報復措置の連鎖により貿易戦争は勃発するか
 米国の知的財産権侵害に対する対中措置は、通商法301条に基づくものであり、米通商代表部(USTR)が関税対象となる中国製品の品目リストを作成することになるが、ハイテク製品を中心に約1,300品目にも及ぶとも見られている。これにより最大で年間600億ドル(約6.3兆円)相当の中国製品に25%の関税が課されることになり、中国への打撃は大きいが、対象リスト作成後30日の審査期間が設けられ、関係業界等から意見を求められるので、最終的な関税措置の実施にはなお一定の期間が必要となる。
 この措置を前にして、3月17日、中国の貿易救済調査担当局長は談話を発表し、‘米国の調査結果に根拠はない’とすると共に、‘米国の最終決定が中国の利益に影響を与える場合、必要な措置を講じる’旨述べ、対抗措置の可能性を示唆した。中国外交部報道官も3月23日の記者会見において、‘中国側の立場はすでにはっきりと示しており、伝えた情報も非常に明確だ。贈り物をもらって返さないのは失礼であり、中国はこれに対応する。米国側が真剣に中国側の立場に向き合い、合理的で慎重な政策決定をすることを希望する’旨表明している。米国の措置を批判する一方、ある種の余裕を示しているように映る。
 そして中国は、4月2日から、豚肉やワインなど米国産品128品目、総額約30億ドル相当の対米輸入品に最大25%の関税上乗せを実施する旨明らかにした。中国政府はこの措置を‘米国が設定した新関税による損失から中国の利益と取引残高を保護する’ためとする一方、‘貿易戦争’を望むものではないとしている。
 これに対しトランプ大統領は、4月5日、対中輸入品に対し更に1,000億ドル(約10.7兆円)規模の追加関税を検討する旨表明した。中国はこれを‘国際貿易ルール違反’などとして米国の対応を批判した。
これを受けトランプ大統領は声明の中で、‘中国は自らの違法行為を正すことなく、米国の農家や製造業に被害を与えることを選んだ’として中国の報復措置を非難する一方、米国は‘貿易戦争はしてない’としてその正当性を表明し、強硬策を貫く姿勢を示した。
 トランプ大統領は、2017年1月に就任後も大統領選挙期間中の‘アメリカ・ファースト、雇用の回復’の主張を繰り返し、中国等との膨大且つ一方的な貿易赤字を解消するため、‘フェアーな貿易、相互の利益’の実現を事ある毎に訴えて来た。同大統領は就任後早々に、北米自由貿易協定(NAFTA)や環太平洋経済連携協定(TPP)からの離脱、2国間自由貿易交渉の優先を鮮明にし、カナダ、メキシコ両国との再交渉を進めるなど、首脳レベルやペンス副大統領レベルを含め様々なレベルで水面下の打診、協議が行われていたと見られる。

 2、周到な計算づくのトランプ大統領の対中強硬措置
 今回の通商強硬措置は、大統領就任後1年間で様々なレベルで関係各国と水面下の接触を行うと共に、中国を含め関係各国との首脳レベルでの関係を構築した上で、周到な計算に基づき打ち出された強硬措置と見ることが出来るだろう。
 一部でこれにより関税引き上げ競争による世界経済の縮小や貿易戦争の恐れとの懸念が表明され、このような懸念を背景として米国の株式市場は大幅に下げ、相互に対抗措置が発表されるごとに下落を繰り返している。
 これはこれまでの常識的な反応であり、当面神経質な動きが続くであろう。しかし中国はもとより米国も‘貿易戦争’となることを否定している。トランプ大統領が表明している通り、関税引き上げ競争でより多くの被害を受けるのは中国であろう。中国は13億の国民に十分な食料等を確保しなくてはならないし、それが出来なければ社会的な反発や不安定化を引き起こす可能性がある。またそもそも知的財産については、中国政府の一定の努力にもかかわらず、中国側に多くの問題があることは明らかであり、米国がその改善を求めるのは当然であろうし、日本を含む他の技術先進国にとっても必要なことであろう。
 遅かれ早かれ米・中両国は貿易問題について交渉の席に着くであろう。トランプ大統領は、各国との通商関係において‘フェアーで相互の利益’の確保を主張しているが、これは通商関係だけでなく国家関係一般に通じる原則、基準であり、
 今回の米国の関税措置は2国間の通商交渉を求めるノロシと見るべきであり、相手国を交渉の席につかせる強い意志の表われと見るべきであろう。不動産業で成功したビジネスマン的交渉スタイルと言えようが、安易な妥協を図ることはなく、決裂すれば‘ユーアー ファイアード(お前は首だ)!’とばかりに強硬策をとることを躊躇はしないであろう。
 しかしトランプ大統領も次の諸点は理解すべきであろう。
 1)米国のように成熟した市場経済では、物の貿易に加え、蓄積された膨大な資本を背景としてより多くの利潤が期待出来る海外に投資することが多くなり、貿易収支が赤字でも資本収支が黒字となりこれを補てんするので、貿易収支を切り離して見るのではなく、国際収支全体で考えるべきである。
 2)米国からの海外への資本投資や資本逃避は米国人ビジネスマン自身が行っているので、米国内への再投資を促すことは米国自身の問題である。
 3)米国の中国、アジア等への直接投資は、多くの場合本社機能やハイテク技術を備える生産工程全体で行われる形が多くみられ、いわば根こそぎ投資となり米国内にほとんど何も残らず、米国の企業家自身が雇用機会を奪っていると言える。それらの海外製品が米国にも輸出されると、米国の貿易収支の悪化要因となる一方、米国の投資家に多額の利益がもたらされていることを理解すべきであろう。
トランプ大統領は、米国内での製造活動を増進させたいというのであれば、輸出国を批判するだけではなく、米国自身の問題として企業家の投資態度の改善、転換も図るべきであろう。

 3、トランプ大統領の北朝鮮問題をめぐる中国への隠れたメッセージ
 今回の米国の関税引き上げ措置、特に知的財産権侵害に対する対中経済措置は、第一義的には選挙公約である米国への雇用機会回復を狙ったものであるが、制裁措置というよりは‘公正で相互利益性’を基礎とした通商交渉を促すことが目的と見られる。しかし同時に、それは通商措置にとどまらず、トランプ大統領は北朝鮮問題においても中国の動きに満足しておらず、中国が北朝鮮に対し核兵器とミサイルを放棄するよう経済制裁措置を誠実に実施し、更に圧力を掛けるよう促すと共に、もし北朝鮮が核、ミサイルの放棄に応じない場合には強硬手段も辞さないというメッセージが込められていると思われる。
 関税引き上げという強硬措置は、自由貿易の流れに反し、貿易戦争を引き起こし、世界貿易を縮小させる恐れがあり、従来の概念では批判の多い政策であることはトランプ大統領も承知の上で敢えて打ち出したものであろう。それは長期に亘る膨大な貿易不均衡問題、特に対中貿易不均衡問題はこれ以上容認できず、批判があっても敢えてそれを解決するという強い意志を示したものであろう。
 環太平洋経済連携協定(TPP)は、米国抜きの11カ国で発足する運びとなったが(3月8日11カ国署名)、トランプ大統領は、4月12日、通商代表部(USTR)に対し復帰のための条件を検討するよう指示しており、強硬措置一辺倒ではなく、交渉による現実的な解決にも取り組む意向を示している。北米自由貿易協定(NAFTA)については既にカナダ、メキシコと再交渉を開始している。
 同大統領は、4月13日付の自らのツイッターで、“(米国は)オバマ大統領に提示された取引より実質的に良い取引でのみ参加する。米国はTPP加盟の6カ国と既に折衝している。その中で最も大きい日本は、長年にわたり米国をたたいているが、取引をすべく作業している。”と述べている。過去1年間、関係国と水面下で周到な準備、協議を行っていることを物語っている。

4、ホワイトハウス、主要閣僚ポストをトランプ好みに固めた大統領
 トランプ大統領は、2017年1月20日の就任式以来、大統領補佐官を含む主要な補佐官、長官の辞任、解任が頻繁に行っており、2018年に入っても3月にゲーリー・コーン大統領補佐官兼国家経済会議議長(後任は保守派経済評論家ラリー・クドロー氏)、続いてレックス・ティラーソンが国務長官が解任(後任にマイク・ポンペオCIA長官)、4月にマクマスター大統領補佐官(国家安全保障担当)(後任はジョン・ボルトン元国連大使)が交代している。この時期に関税引き上げ措置など貿易強硬策がとられ、また北朝鮮の金正恩書記長との5月までの首脳会談などが打ち出されたことから、これらの対外経済、安全保障・外交問題での意見の対立が原因であったと見られる。
 その他、2017年中に次のように主要な補佐官がホワイト・ハウスを去っており、トランプ政権の不安定性を懸念する向きが多い。
・マイケル・フリン大統領補佐官 辞任(ロシア疑惑で)(2017年2月) 
⇒後任マクマスター元陸軍中将(上記の通り2018年4月に辞任)
=>後任ジョン・ボルトン元国連大使
・スパイサー大統領報道官(兼広報部長代行)辞任(2017年7月)
・プリーバス首席補佐官 辞任(政権の内部情報をリークか)(同月)
⇒後任ケリー国土安全保障長官
・アンソニー・スカラムチ広報部長 辞任 (同月)
⇒後任サラ・ハッカビー・サンダース
・スティーブン・バノン首席戦略官兼上級顧問 辞任 (2017年8月)
(大統領選挙期間中からトランプの有力な側)
 しかしトランプ大統領の政権運営にとっては、そのような一般的な懸念、批判に反し、政権運営の安定性、迅速性が増したとする見方も出来る。確かに政権発足1年強で主要な補佐官、長官等が政権を去ることは好ましいことではないが、トランプ大統領が政治の経験のない財界出身である上、大統領選挙(2016年11月)の3か月前の共和党大会まで共和党候補が決まらず、政権を担う人材を固める時間的余裕がなかったこと、更に同大統領は‘既成の政治’の打破を政治信条に据えていることからも人材確保に従来の政権以上に時間を要することなどを勘案すると、主要ポストを固めるのに1年強を要したことはやむを得なかったとも言える。いずれにしてもトランプ大統領自身の感覚からすると、同大統領と政策を共有し、一緒に仕事が出来る人材を確保するためであるので、不安定性などは感じておらず、安定性は増し、より迅速に決断出来ると認識しているであろう。それは同時に性急な結論を出す可能性を秘めており、同大統領が米国内の異なる意見にも耳を傾ける共に、主要国とも十分協議しつつ事を進めることが望まれる。日本としても、トランプ政権の政策を、自ら情勢分析の上慎重に見極め、判断することが必要なのであろう。(2018.4.16.)(Copy Rights Reserved.)
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日・ロ平和条約締結への交渉加速を期待する

2019-01-25 | Weblog
日・ロ平和条約締結への交渉加速を期待する
                                       2018年11月26日
 日・ロ平和条約締結に向け、シンガポールで開催されたASEAN関連首脳会議に際し、2018年11月14日、安倍首相はロシアのプーチン大統領と会談した。この会談は2016年に持たれた両首脳の日本での会談において、「新しいアプローチで問題を解決する」との方針の下で、北方4島での共同経済活動を促進することで合意したことを受けて行われたものである。
 日本外務省が公表した会談概要では、事務当局を含めた全体会合(45分)の他、通訳のみでの両首脳の個別会談(40分)が行われた。全体会合では、平和条約問題の他、2国間経済関係の促進、国際的な安全保障分野での協力、北朝鮮非核化問題など幅広い分野で意見交換が行われている。
 日・ロ平和条約締結問題については、全体会合においては、北方4島における共同経済活動の促進につき協議されると共に、日本側より元島民の問題について提起されたが、北方4島返還問題を含む平和条約締結問題については突っ込んだ話し合いは行われず、両首脳による個別会談で行われた。
 首脳間個別会談の後、安倍首相は記者団に対し、「1956年宣言を基礎として平和条約交渉を加速させる。そのことをプーチン大統領と合意した。」と述べ、これが公表された会談概要にも記載されている。1956年に調印された日・ソ共同宣言においては、外交関係を回復し、平和条約締結交渉を継続することとし,‘条約締結後にソ連は日本へ歯舞群島と色丹島を引き渡しする’旨記されている。
 日本は従来、4島一括返還を主張し、領土問題解決が平和条約締結の前提条件としていた。しかし1956年の共同宣言から62年、歴代政権が交渉を重ねてきたものの見通しが立っていない今日、長年の膠着状態を打破するため平和条約締結に向け1956年の共同宣言を基礎として条約交渉を実質的且つ具体的に加速することを支持する。
 日本としては、老齢化する旧島民や地権者の精神的負担を軽減すると共に、急速に存在感を増す中国との関係においても海を隔てた隣国ロシアとの平和条約を締結することがタイムリーと言えよう。他方ロシアにとっては、強大化する中国との関係において、クリミア半島併合以来米・欧との関係が悪化し、制裁を科され、G8(主要先進8カ国)からも外され、孤立感を深めているので、政治的にも経済的にも日本との平和条約締結は望ましいものと言えよう。
 1、ロシアは北方領土返還により日本の信頼を回復出来る
 プーチン大統領は、今回の首脳会談後、‘同宣言には、ソ連が2つの島を引き渡す用意があるということだけ述べられ、それらがどのような根拠により、どちらの主権に基づくかなどは述べられていない。慎重な議論が必要だ’と述べたと伝えられている。しかしロシア側は、北方4島を奪取した経緯と旧島民のみならず日本国民にとっての北方領土返還の意味を理解すべきであろう。それは北方領土の権益等の経済的な価値などではなく、日本のロシアに対する信頼性回復の問題なのである。
 プーチン大統領は、日本の北方領土は‘戦争の結果得たものである’と述べていたところであり、日本の領土であることは認識していると思われる。従って、‘日本へ歯舞群島と色丹島を引き渡しする’ということは、2島を日本の主権下に‘引き渡す’と言うことに他ならない。無論、ロシア、その前身であるソ連がこれらの島に投じた資金や現実にロシア人が生活をしているので、それらに対する代償については、プーチン大統領が示唆している通り‘議論が必要’であろう。
日本人にとっては、北方領土は‘経済的代償’以上の意味合いがある。
 日本は、第2次世界大戦前の1941年4月、ソ連と中立条約を締結している。しかしソ連は、中立条約の破棄通告もなく(1年前の事前通告が規定)、1945年8月8日、突如日本に対し宣戦布告し、北方4島を奪取、占領した。
 ソ連は日本との重要な国際約束を破ったのである。従って、ロシアが平和条約を締結しても、北方4島をどのような形であろうと日本に返還しないということは、ソ連、従ってそれを継承しているロシアは、国際約束を遵守しない、都合により一方的に破棄することがあるということを意味し、日本人は、また世界は‘ロシアは信頼できない’という認識を持つであろう。平和条約を締結しても、‘信用できないロシア’との貿易・投資が積極的に進められるとも思えない。
 プーチン大統領は、北方領土問題は‘経済的代償’の問題以上に‘信頼性’の問題であることを十分に理解すべきであろう。他方‘経済的代償’については、日本側は可能な限り知恵を出すべきであろう。

 2、北方領土問題につき1956年の共同宣言を越えられるかが鍵
 今後平和条約交渉が実質的に加速し、条約締結の段階に至っても、北方領土に
ついては歯舞、色丹の2島返還だけに終わると、1956年の日・ソ共同宣言以来の62年間に亘る歴代政権の交渉努力は何だったのかとの批判に晒される恐れがある。
 従って今後の最大の鍵は、残る択捉、国後2諸島の取り扱いとなろう。同時に、歯舞、色丹の2島が返還されることになれば、この両島の地権者の問題は解決するが、択捉、国後2諸島において‘共同経済活動’が継続するとしても、この両島の地権者の地権回復が問題となろう。
 (1)残る択捉、国後2諸島の取り扱い
 択捉、国後2諸島については、‘1956年日・ソ共同宣言’の外になるので、今回の交渉で結論を出すことは困難と予想され、何らかの形で継続協議となる可能性がある。そのような可能性があるとしても、歯舞、色丹2島の返還を前提とした条約締結交渉を支持する。
 しかし択捉、国後について一定の方向性を出すことが望まれる。例えば次のような選択肢が考えられる。
 イ)現状のまま‘共同経済活動’を継続し、帰属につき代償を含め協議する。
 ロ)領有権は日本側に引き渡すが、ロシア側に一部を実質上無償で無期限租借する。
 ハ)択捉、国後2諸島については、‘日・ロ自由貿易地域’(仮称)として日・ロ両国の共同管理 
  する、など。
 いずれにしても両国が、両国国民の理解と信頼が得られるよう知恵を出すことが不可欠であろう。

 3、地権者の権利を認め、帰還を認めるか、補償が支払われるべき
 ソ連による北方4島占領当時、島民は3,124世帯、17,291人ほど(独法北方領土問題対策協会資料)であり、その生活や権利は回復しない。両国による領有権問題は別として、日・ロ共同経済活動と並行して、或いはその一環として、それら島民が故郷に住む権利を回復すべきであろう。また住むことを希望しないものに対し補償がなされるべきであろう。国家の領土権問題は、国家と国家の間の問題であり、シビリアンである個人の地権、所有権は個人の土地・財産所有権の問題であるので、責任ある国家としてはそれを尊重する義務がある。国家間の戦争において、戦闘に関与していない一般市民の生まれ育った故郷に平穏に住む権利を奪うことは、今日の国際通念において人道上も、人権の上でも容認されて良いものではない。
 旧島民による墓参活動が進展しているが、ロシア側、或いはロシア人在住者が日本人の墓地や鳥居などの旧跡を破壊、撤去せず、維持していることは日本人のルーツ、心情を認識、理解しているものとして評価できる。プーチン大統領も、ロシア人の生活だけでなく、日本の旧島民の気持ちは十分に分かるであろう。
 日・ロ間には‘平和条約’こそないが、事実上の平和が維持されている今日、4島に住んでいた日本の旧島民及びその家族が故郷に住む権利、そして地権の回復か代替地の提供、或いは補償が早期に行われることが強く期待される。多くの家族が土地登記をしている。(2018.11.26.)(Copy Rights Reserved.)
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日韓間の「不都合な」事実―竹島(独島)問題―再掲

2019-01-25 | Weblog
 日韓間の「不都合な」事実―竹島(独島)問題―再掲
 2012年1月24日、玄葉外相が通常国会冒頭における外交演説において、「竹島問題」に触れたのに対し、翌25日、韓国外交通商部は趙報道官名で、「玄葉外相が韓国固有の領土である独島に対し、不当に領有権を主張したことについて強く抗議し、直ちに撤回することを求める」旨の声明を出し、強く反発した。
 竹島は、韓国では「独島」(Dokdo)と呼ばれており、日本と連合国とのサンフランシスコ平和条約発効(52年4月28日)を前にして、李承晩・大韓民国(韓国)大統領が、1952年1月18日、「海洋主権」を宣言し、周辺海域に「漁船立ち入り禁止線」、通称「李承晩ライン」を設定し、同島は韓国の支配下にあると一方的に宣言して以来、日韓間の喉もとの小骨となっている。玄葉外相が「竹島」問題と述べたことから、日本側が韓国側の呼称、領有権を認めず、同島への灯台や桟橋の建設など、韓国が行っている各種の行動を認めていないと受け止められたためと見られている。しかし玄葉外相は、外交演説の中で韓国を「基本的な価値観を共有する最も重要な隣国」と位置付けた後、「竹島問題は,一朝一夕に解決する問題ではないが、韓国側に対して受け入れられないものについては受け入れられないとしっかりと伝え、粘り強く対応する」旨、しごく当たり前のことを述べたに過ぎない。韓国側の声明は、外交通商部の報道官レベルのものであり、それ程強いものではないとも受け取れるが、過敏、過剰な反応と映る。日本での韓流ブームなどで象徴される両国間の文化、観光交流や活発な経済交流などの実体からからすると違和感を受ける動きであり、両国政府間が協調の精神で知恵を出し合い、問題が解決されること期待したい。
 1、 日韓の古くからの接点、竹島(独島)の歴史
 同島は、東西2つの岩礁島からなっており、日比谷公園と同程度の面積しかなく、また定住出来るような環境にはないが、1905年1月28日、日本政府は、閣議で「竹島」と命名し、「島根県隠岐島司」の所管とした。日本が、韓国(大韓帝国)を併合(1910年8月)した5年以上も前のことである。
しかし、同島を巡る日韓両国の交流は、両国の沿岸漁民を中心として古くからあるようであり、1618年には、日本人2名が江戸幕府の許可を得て同島に渡航し、また、1692、3年頃には、これら2名が周辺島嶼から2名の朝鮮人を日本に連行したことから、日本と朝鮮の間に紛争(「竹島一件」)が発生したなどの記録があり、この頃より周辺海域での接触、紛争が活発になって来たようだ。
 もっとも、その頃は韓国側の「鬱陵島」を「竹島」と呼び、現在の竹島を「松島」と呼んでいたようである。また1849年、フランスの捕鯨船Liancourt号が同島を発見し、リアンクール島と名付け、その後日本では、「りゃんこ島」とか「リアンクール岩」とも呼ばれたことがあるようで、同島(岩礁)を巡る両国の交流の歴史にも混同がありそうだ。因みに、米国国務省がホーム・ページで公表している各国別地図では、日韓双方に、Liancourt Rocks(リアンコート岩礁)の名称で記載している。
いずれにしても竹島(独島)は人が住める状況にはない岩礁であるが、両国沿岸には大小多くの島が点在しており、恐らく古くから漁民などが同島周辺を往来していたのであろう。韓国側にもいろいろと記録があるようであるが、従来人が住んでいるわけではなく、同島周辺海域、島嶼を巡る往来のようであり、正に両国双方の接触の「最外延点」である。
 このような古くからの交流の歴史を考えると、竹島(独島)問題は、靖国神社参拝やいわゆる「(侵略の)歴史問題」とは関係がないのである。韓国側も、歴史的事実は事実として認識して欲しいものである。他方日本とは反対側の韓国からの見方もあろうから、双方の専門家で同島の歴史を客観的に研究し、相互の理解を深める努力も必要のようだ。
それはそれとして、同島が両国の古来の接触の「最外延点」であるという歴史的背景を踏まえ、同島問題の早期解決を模索できないものであろうか。

 2、両国に求められる竹島(独島)問題の早期解決
 この問題は、日本政府としては1954年以来国際司法裁判所に付託することを韓国側に提案し来ているが、韓国政府が同意していないため実現していない。
 竹島は韓国により事実上占拠されており、韓国側はこれを「実効支配」と称している。しかし本来「実効支配」とは、「政府承認の重要な要件」の一つとして、特定国の政府が国内全域において実効的に支配が確立出来ているか否かを判断する概念であり、日本が領有を主張する竹島を「実力行使」で占拠しても、日本が領有を明確に表明している限り、実力行使による「占拠」でしかない。日本側とすれば、韓国が国際司法裁判所への付託に同意するまで要請を続け、領有権において譲歩する必要はないとの意見もあろう。しかしお互いに本件を巡り「消耗戦」を継続し、両国関係改善の阻害要因とすることは両国国民の健全な交流をも阻み、真の「日韓新時代」などは幕開けしないであろう。国際司法裁判所への付託が実現し難い場合には、両国がこの問題に冷静に対処し、同島の共同管理・共同統治の道を速やかに模索するなど、早期の解決が望まれる。
(2012.01.26.)(Copy Right Reserved.)
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長寿化を前提とした就業モデルへの転換が必要 ー再掲

2019-01-21 | Weblog
 長寿化を前提とした就業モデルへの転換が必要 ー再掲
 厚生労働省の調査の調査によると、2014年の日本人の平均寿命は女性86.83歳、男性80.50歳となり、いずれも過去最高を更新した。男女平均でも84歳を越える。
また試算によると、2014年生まれの子供では、75歳まで生きる人の割合は4分の3( 女性87.3%、男性74.1%)となっており、更に90歳でも女性でほぼ半分、男性でも4分の1にも達するという。
長寿化は喜ばしいことであるが、年金や健康維持等の社会福祉費は増加の一途であることは明らかであるので、少子化、人口減による国民の税負担能力の低下傾向を勘案すると、生産・就労モデルや年金給付・社会福祉モデルの転換は不可欠になっていると言えよう。
 1、65才で‘老人扱い’は早過ぎる
 欧米等では、年金対象年令近くになると退職し、トレーラーハウスで気楽に各地を旅して回りたいという人もいる。だが日本では65歳で定年退職、生産活動からの卒業となると、一つは所得が無くなることへの不安や不自由さを感じさせる一方、生きがいを求める人が多いようだ。平均寿命は上記の通りであるので、平均的に男性では定年退職後約15年間以上、女性では22年程の期間があり、その間「高齢者」として生産活動から卒業させられ、その多くが事実上就職の道を絶たれることになるので、社会との関係が疎遠になってしまうのが現実のようだ。1、2年程度は良いが、15年から22年間生産活動から遠ざけられ、所得の道を絶たれるのは長過ぎる。その上、70から74才までが「前期高齢者」、75才以上を「後期高齢者」とされる。しかし65才、或いは70才になったからといって人生これで終わりだと思っている人は少なく、多くの人は社会との関わり合いを望んでいるようだ。65才になると‘たそがれ人生’になり、‘終活’に明け暮れるのでは折角の経験が活かされない。意識の面だけではなく、寿命が延びている分肉体的にもエネルギーは残っているのだろう。
 1990年代以降の日本の着実な長寿化により男女平均の寿命が現在84才以上であることを考慮すると、外見上、或いは本人の意識の上で「高齢者」或いは老齢者と言って差し支えないのは、75才以上、将来的に長寿化が更に進む場合は80才としても良いのではないだろうか。75才以上の人口に占める比率は現在11%強、就労人口の約22%に当たるので、国民が支えなくてはならない「高齢者」の比率としてはまだ高いが、容認出来る数値と言えよう。長寿化に伴って年令区分や社会認識が追い付いていないと言えそうだ。基本的には、日本社会が年令意識、年長者尊重意識(シニオリテイ・コンプレックス)が強いこともあって、年令により国民を区分し、行政上も区分化、制度化する傾向が強過ぎ傾向にあるようだが、寿命自体が延びているので、それに伴い社会、行政意識が変化して良いのではなかろうか。
 このような観点から、年齢による呼称、総称を極力少なくし、当面70才以上を統計上“年長者”と総称し、前期・後期高齢者という年齢差別的な区分を廃止することが今日の長寿化社会に適しているように見える。強いて言うならば、所得の上でも体力や意識の上でも社会保障上の配慮が必要となる75才から80才以上前後を「高齢者」、「お年寄り」と呼称することは止むを得ないのかもしれない。社会のためにそれぞれの立場で貢献されてきた年長者に敬意を払うことは美徳であろうが、年齢だけで人を区分し、老齢者、老人、お年寄りと総称して労働市場や社会から遠ざけるのは老齢別視となる。
 また報道等においても、容疑者や犯罪者等の年令を表記するのは良いが、その家族や友人、関係者の年令まで表記し、また女優タレント等の年令をその都度表記するのは、日本特有のことであり、年齢差別、年齢別視とも見られる。多くの場合視聴者の関心でもないし、映像で伝える場合は、視聴者が判断出来ることが多いので、個人情報やプライバシーの観点からも行き過ぎとも見える。
 2、定年年齢の弾力化―「働ける間は働ける社会」の構築
 日本は、国家公務員を含め終身雇用制を採っているので、学卒後多くの人が定年になるまで同じ会社、組織に属し、人生で最も長く会社、組織の同僚や上司や部下と接して来ているので、定年退職するとその接点が無くなるばかりか、65才定年制により、65才以上になると再就職なども事実上阻まれる結果となる。日本は、多くの場合学卒優先であり、公務員でも27才前後を新規採用の年齢制限とし、65才を定年とし、そして65から74才までが「前期高齢者」、75才以上を「後期高齢者」とするなど、年齢により国民を細分化、規定化し過ぎているように見える。それによるメリットもあろうが、年令により国民を一律に細分化し、年令グループにより就職や社会保障等において制度的な差別化を図り、自由を奪っている形となっている。
 特に国民に開かれていることが望ましい国家公務員や地方公務員について、新規採用年令を27才前後とする一方、独立行政法人など政府関係機関の役員への応募を原則65才以下とすることなどを閣議で決めていることは、国民の行政への参加の機会を年齢で阻むものであり、望ましくない。国家的なエージハラッスメントとは言わないまでも、年齢差別と言える。
人の年令には身体能力や意識の面で個人差があり、65才以上を一律に「高齢者」として仕分けし、生産活動や就業から外すことは、多くの場合個々人の希望に沿わない。多くの人は“体が動く間、働ける間は働きたい”という気持ちではないだろうか。
 就労者2人、或いは将来は2人以下で「高齢者」1人を支えるような結果となる社会モデルは、就労者、特に若い世代に過大な負担を負わせる結果となり、社会的活力を失わせる。
更に70才から74才までを「前期高齢者」、75才以上を「後期高齢者」と区分し、行政上医療費の自己負担比率を変えたり、自動車運転免許の取得、更新条件を変えたりしているが、能力、意識の上で個人差があるので余りにも一律で不必要な年齢規制と見られている。
現在‘定年年齢’を65歳、或いは68歳とする企業、団体が多くなってきているが、‘定年年齢’自体を撤廃する一方、基本給(役職手当を除く)について、60歳以上の伸び率を抑え、65歳については段階的に3割~4割するなどにより、65歳以上になっても“働ける間は働ける社会”を構築して行くことが望ましい。

 3、長寿化に伴う社会保障モデルの適応―定年と年金受給年齢との分離
問題は、年金受給年令に達する65才以上の社会保障上の対応であるが、これを従来のように年令で一律に区分するのではなく、所得(年金を除く年収)を基準とした対応とすることが適当ではなかろうか。社会保障の基本的な目的は、困窮者や社会的弱者へ手を差し延べ、それを国民が経済力に従って支えるということであるので、65才以上でも例えば年収360万円以上(年金は除く)の人達については給付額を90%とし、その以上は年収を例えば100万円刻みで給付額を10%刻みで減額して行く(但し高所得者でも10%は給付)などとするなど、所得に応じた給付を行う年金モデルとして行くことが望ませる。
 また医療費についても、健保料は所得がある者は所得に応じ支払うこととなるが、固定収入がないものについては者について国民保健料を低額に維持する一方、原則として現役世代の60%程度とするが、受診料については、可能であれば所得に応じたものとすることが望ましく、所得が例えば年収760万円以上については現役世代と同額とするのもやむを得ないのではなかろうか。75才以上となる人達についても同様として良いのではなかろうか。
 財政が潤沢な時代であれば従来通りで良かろうが、財政、特に社会保障の財源が不足しているので、従来通りに支給等するために就労者、特に若い世代に追加的な負担を強いることは、社会保障のための負担感がより強くなり、活力を失わせかねない。基本的に、今後経済は高成長モデルから低位の安定成長モデルとなる一方、財政上の制約などで行政が必要な施策を全て行うような社会行政モデルは維持困難となって来ているので、国民それぞれの自己責任、受益者負担の意識や観念が一層重要になって来ていると言えよう。自然災害等から身を守ることについても、行政任せでは所詮困難であり、自己責任の意識を持ち、普段から自ら身を守るとの意識と準備をすることが重要であり、そのような自己責任の意識があって初めて被害を最小にすることが出来ると言えよう。
 他方年長者が若い世代の活躍や新しい発想、チャレンジ等を阻害しないように十分配慮する必要があると共に、若い世代が安定的な職業機会を持てるよう細かい配慮と施策が必要であろう。そもそも「皆保険」、「皆年金」の社会を目指すというのであれば、‘正規’社員であろうと派遣、アルバイト等の‘不正規’社員であろうと、就業形態を問わず全ての就業者が報酬レベルに応じて健康保険料や失業保険料、年金拠出料を納付出来るような制度としなければ達成困難であろう。
 長寿化の進展は喜ばしいことであるが、それを前提とした新たな社会保障モデルや社会モデルを構築して行くことが必要であろう。少子高齢化は、1990年代初期より政府の各種統計資料でも予測されていたことであり、そのような統計資料を施策の中に生かして行くことが望まれる。

 3、定年年齢と切り離した年金制度
 問題は、年金受給年令に達する65才以上の社会保障上の対応であるが、これを従来のように年令で一律に区分するのではなく、所得(年金を除く年収)を基準とした対応とすることが適当ではなかろうか。社会保障の基本的な目的は、困窮者や社会的弱者へ手を差し延べ、それを国民が経済力に従って支えるということであるので、65才以上でも例えば年収850万円以上(年金は除く)の人達については、所得において現役世代と遜色はないので、年金については凍結するか、20%から25%の支給とする。また医療費については現役世代と同様に支払うこととするのもやむを得ないのではなかろうか。75才以上となる人達についても同様として良いのではなかろうか。
 他方、年金以外に所得がないものに対しては、可能な限り最低賃金に見合う年金給付が行われることが期待される。現在、介護保険料が年金給付額から天引きされる上、介護保険料が引き上げられ、年金給付額は逆に引き下げられているため、年金生活者の生活を圧迫し、将来への不安やあきらめともなっているようだ。これが若い世代の年金への信頼感を引き下げ、将来不安から消費を節減して貯蓄に回すことに繋がっていると見られる。高成長時代には、貯蓄は新規投資の資金源となるが、低成長時代やデフレ期には消費が減少し、デフレスパイラルが起きるという、悪循環となる。国民の将来不安を無くす上でも、年金の充実と信頼性を回復する必要がある。
 基本的に、今後経済は高度経済成長モデルから低位安定成長モデルとなる一方、財政上の制約などで行政が必要な施策を全て行うような社会行政モデルは維持困難となって来ているので、国民それぞれの自己責任、受益者負担の意識が一層重要になって来ていると言えよう。自然災害等から身を守ることについても、行政任せでは所詮困難であり、自己責任の意識を持ち、普段から自ら身を守るとの意識と準備をすることが重要であり、そのような自己責任の意識があって初めて被害を最小にすることが出来ると言えよう。
 他方年長者が若い世代の活躍や新しい発想、チャレンジ等を阻害しないように十分配慮する必要があると共に、若い世代が安定的な職業機会を得れるよう細かい配慮と施策が必要であろう。そもそも「皆保険」、「皆年金」の社会を目指すというのであれば、いわゆる‘正規社員’であろうと派遣、アルバイト等の‘非正規社員’であろうと、就業形態を問わず全ての就業者が報酬レベルに応じて健康保険料や失業保険料、年金拠出料を納付出来るようにしなければ達成困難であろう。
 長寿化の進展は喜ばしいことであるが、それを前提とした新たな社会保障モデルや社会就業モデルを構築して行くことが必要であろう。少子高齢化は、1990年代初期より政府の各種統計資料でも予測されていたことであり、そのような統計資料を施策の中に生かして行くことが望まれる。

 4、人口減を見据えた行財政モデルと統治機構の簡素化
 少子化、人口の減少傾向により、現在の‘定年制’を前提とすると、将来的に労働力人口は減少し、国民の税負担能力は低下する一方、長寿化により年金受給者や受給期間が長期になる等、福祉関連の歳出は増加する。
 またこのような人口減は、全国一律に起こるのではなく、地方から人口が流出し、地方の人口減が起こる一方、首都圏等の大都市に人口が集中する傾向が民間の研究でも指摘されている。
 他方、経済については、グローバル化が進み、国内市場ではなく世界市場を目標として企業の大規模化、多国籍企業化が進む一方、裾野産業がそれを支えると共に、特異な技術や製品が世界市場に向かうなど、中小企業についても国際競争力が問われるものと見られる。
このような変化の中で、2040年を一つの目標年として、中央及び地方の体制を次のように誘導して行くことが望まれる。なお、人口増について、出生率の増加や外国人労働力の受け入れなどが検討されており、それにより若干の効果はあろうが、日本人の人口減と長寿化は趨勢としては継続すると見られるので、それを前提とするべきであろう。
(1)中央、地方行政組織、議会それぞれにおける適正な定員管理
 人口減、労働力人口減が予測されている以上、行政組織を適正規模に調整して行くことが不可欠であろう。それを行っておけば、経済停滞期に行政組織で景気対策としての雇用増を行う余地が出来る。そのためまず新規採用を着実に削減して行くことが望ましい。新卒者も減少していくのでその影響は限定的になると予想される。この場合、特殊法人や独立行政法人などの関連組織を含む。また、規制の原則撤廃や簡素化を進めることが望まれる。
 特に相対的に急速な人口減が予想されている市区町村については、新規採用の削減などの定員管理と共に、市区町村の統廃合を進め、持続可能な自治体規模としていく必要があろう。同様に選挙区についても定期的な整理・統合が必要となる。これを怠ると将来財政破綻となり住民は大きな被害を受けることになろう。
 なお全体の定員管理については、雇用機会の確保(ワークシェアリング)に重点を置き、給与・報酬を抑える方法と、優先分野を明確にし、優先度の低い部局や効率の悪い部局やムダを削減すると共に、規制の撤廃を促進して定員を縮小する一方、給与・報酬など労働環境を改善する方法がある。将来的にはより豊かな家計、生活、即ち高所得、高消費の社会に導くことが望まれるので、後者の方法が望ましいが、その選択については、中央は中央として、またそれぞれの自治体の規模や特性を踏まえ各自治体の選択に委ねられるものであろう。
 また全く発想を転換し、少子化、長寿化を前提とした定員管理、人件費削減に取り組むための公務員定員・給与管理モデルを真剣に検討すべきであろう。中央、地方を問わず公務員のいわゆる定年制を撤廃し、経験も時間もある年長者が社会活動にフルに参加出来るようにする一方、人件費の削減、若手世代の待遇の改善が出来るよう、例えば当面65才以上については給与を当初3割減とし、6割減を下限として毎年漸減する。これにより年長者を社会活動に積極的に活用できると共に、一定所得以上の者については健康保険料や年金保険料を徴収することとし(但し年金は一定額を支払い、各年の所得に加える)、社会福祉コストの縮小を図ることが可能となろう。また少なくても公務員については、採用に際する年齢制限を撤廃し、年齢を問わず国民に公務への門戸を開くことが望まれる。
 その上で、魅力あるコミュニテイ作りを進めることが望まれる。
(2)公共施設、社会インフラの適正な管理と魅力あるコミュニテイ作り
 これまでの経済成長期、人口増を前提とした経済社会インフラ作りのための公共事業モデルは今後困難となるので、低位成長、人口減を前提とし、コミュニテイの生活インフラに重点を置いた公共事業モデルに転換して行く必要があろう。新たな公共施設や道路等は、当面の利便性を高めようが、その維持管理と修復等の後年度負担が掛かるので、人口減となる自治体にとっては将来住民への大きな負担となる可能性がある。従って、人口動態予測や適正な需要予測を実施し検討されなくてはならない。
 他方、自治体生活圏のコンパクト化については、居住の自由との関係や一部地域が原野化する一方、生活圏が縮小する恐れがある上、不動産価格が局部的に高騰し、移転費の問題等が生じるので、新たなコミュニテイ作りについて住民との協議を通じ理解と協力が不可欠であろう。同時に、折角スペースが空くことになるのに、生き苦しい狭隘なコミュニテイ作りは望ましくない。可能な限り道路を拡幅すると共に、駅や公共施設はもとより、道路沿線のビルや商店などには駐車・駐輪場の設置を義務付けることなども検討することが望ましく、また移動ショップの普及なども考えられよう。
 機能的ではあるが、地域の特性を活かし、人を惹きつける魅力が有り、豊かさを感じられる特色あるコミュニテイとなるよう、グランド・デザインを作ることが望まれる。(2015.9.4.)
(All Rights Reserved.)
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