壬生通りからさらに西側に進むと「島原大門」がある。ここは
遊郭のあった花街で隊士がよく遊んだところ。さぞ、この大門を
何度も通ったことだろう。
寛永18年(1641)、官命により六条三筋町からこの地に移さ
れた花街は、正しくは「西新屋敷」という。遊宴以外にも和歌や
俳諧など文芸も盛んなところだったが、明治以降は寂れていき、
現在は揚屋の「角屋」、置屋の「輸違屋」、「大門」の3施設の
建物が残されている
当時の大門には“見返りの松”があったそうで、今は柳が風に
なびいていた。火消し桶なども設置され、当時の雰囲気が偲ばれ
る。この大門を入ると市井にはない華やいだ一角だったのだろう。
(京都市下京区大門道花屋町)
島原大門_2
遊郭のあった花街で隊士がよく遊んだところ。さぞ、この大門を
何度も通ったことだろう。
寛永18年(1641)、官命により六条三筋町からこの地に移さ
れた花街は、正しくは「西新屋敷」という。遊宴以外にも和歌や
俳諧など文芸も盛んなところだったが、明治以降は寂れていき、
現在は揚屋の「角屋」、置屋の「輸違屋」、「大門」の3施設の
建物が残されている
当時の大門には“見返りの松”があったそうで、今は柳が風に
なびいていた。火消し桶なども設置され、当時の雰囲気が偲ばれ
る。この大門を入ると市井にはない華やいだ一角だったのだろう。
(京都市下京区大門道花屋町)
島原大門_2