塩哲の色即是空

私の日常の活動状況を飾り気なく、素のままで表現する。

Weekendの麺処巡り 七彩で塩を頂く

2007-03-17 15:28:16 | 坂道
 べんてんの後、市ヶ谷あたりの坂道を巡った。
その後、都立家政の七彩へ伺った。午後1時を回っていた。
店内に入るなり、「お待ちしておりました」と阪田店主の声がかかる。
こんな言葉で迎えていただくと、ワクワクもの。
 その後、さらにワクワクが追加された。なんと、塩が出せるとのこと。
まだ、完成していないが、近々メニューに載せる塩であるそうだ。
 厨房では阪田店主が、丁寧に調理をする中、何かポイントがないか
目をこらして作業を眺めていると、注目の一瞬が捕らえられた。
 胡麻油のボトルを取り出し、キャップを開けて一滴の油を割り箸に付け、
オーケストラの指揮者がタクトを振るが如く、麺の器の上で軽くスイング。
店主に後で伺うと、2滴以上は塩味をダメにするのだそうで、1滴のみ。
 さて、塩の登場。今までの提供拉麺よりは、幾分スープが澄んでいる。
香りはしょう油、味はしょう油プラス塩、何故かしょう油の方が強めか。
これも、後で店主に伺うと、チャーシューの染み込んだしょう油ダレが、
微妙に影響しているのだろうとのコメント。
 店主が調理中に、塩味の濃淡を聞かれたので、
「私は“がんこ”のファンです」と応えると、「ラジャー」の
キャッチボールがあり、カンホアの塩ダレは多めに入れられたようで、
食べた後から、塩の衝撃が押し寄せてきた。
店主の言葉どおりに言うと“喜多方・坂内の塩”であるそうだが、
私は、七彩のオリジナルな拉麺であると主張したい。
 この塩拉麺670円の他に、鶏白湯も近々の提供だそうで、
楽しみな七彩となってきた。

Weekendの麺処巡り べんてん

2007-03-17 15:19:04 | 拉麺
 寒の戻りである。桜の開花も少し遅れるという。
本日も朝は、馬場のべんてん。寒さもなんのその、その後、
旨い塩が待っている。
 本日の厨房の田中光勝店主は、いつになくハイテンション。
舌も滑らか、機関銃のように言葉が繰り出してくる。
血糖値のこと、通風のこと、東池袋大勝軒のことなどなど。
 そうこうしていると、塩拉麺800円、登場。
本日のサプライズは、野菜炒めがサービスされた。
味はあえてつけず炒めたもので、塩味を生かした野菜炒めの
トッピングとなった。旨い。

東京の坂道巡り 富士見坂

2007-03-17 05:52:41 | 坂道
 金華坂を下り、道なりに進んでいく。突き当たりが
緩やかな「富士見坂」(ふじみざか)である。
 千代田区内には富士見坂と呼ばれている坂道が3カ所ある。
富士見町と九段の間、紀尾井町と永田町の間、それにここである。
(神田小川町3丁目10番地辺り)

東京の坂道巡り 錦華坂

2007-03-17 05:49:10 | 坂道
 山の上ホテルの裏側に廻ると、とちの木通りから下る坂道がある。
これが「錦華坂」(きんかざか)だ。
曲がりくねった趣のある坂であるが、1924年、政府の区画整理により
造られた新しい坂道。
 現在のお茶の水小学校が当時は、錦華小学校と呼ばれて、
そこからつけられた。夏目漱石も、この小学校を卒業している。
(神田駿河台1丁目1番地辺り)

東京の坂道巡り ホテル裏の坂

2007-03-17 05:43:48 | 坂道
 とても勾配のきつい胸突坂を登り切り、ホテル玄関前を進むと
今度は、こちらも急な下りの坂道がある。
坂下は、「錦華坂」に続く。
この坂、名前は付いていないが、「山の上ホテル裏坂」とでもしておこう。
(神田駿河台1丁目4番地辺り)

東京の坂道巡り 胸突坂

2007-03-17 05:40:11 | 坂道
 甲賀坂から明大通りの信号を渡ると、急坂が迎えてくれる。
これが山の上ホテルに続く「胸突坂」(むなつきざか)だ。
 山の上ホテルといえば、数多くの作家がこのホテルに缶詰にされ、
小説やエッセイなどの作品を書き上げている。
大好きな作家の一人、開高健さんも、ここの常連だったんだよね。
 坂下に「吉郎坂」の石の標識があった。これは、明治大学総長の
佐々木吉郎の名前からとられている。
(神田駿河台1丁目2番地辺り)

東京の坂道巡り 甲賀坂

2007-03-17 05:35:53 | 坂道
 3月11日、冷たい雨の降った日、お茶の水界隈の坂道を巡った。
そういえば、昨日の16日、東京の都心で初雪が観測されたと、
気象庁は発表した。同庁は、統計が残る1876年以降で最も遅い
初雪だったそうだ。
 さて、坂道の探索レポに戻ろう。
 池田坂を下り、右折すると明大通りまでの上りの坂道がある。
これが「甲賀坂」(こうがざか)である。
 この辺りに江戸時代、二大忍者の組織のひとつ、甲賀組の忍びの者が
多く住んでいた。また、光感寺が旧古図に記されていたことから、
「光感」が訛り「甲賀」になったとも、命名の由来は分かれている。
 甲賀町という町名は、1933年から駿河台1丁目、3丁目に変更されている。
(神田駿河台1丁目6番地辺り)