塩哲の色即是空

私の日常の活動状況を飾り気なく、素のままで表現する。

Weekendの麺処巡り 旅の途中

2007-03-10 16:16:22 | 拉麺
 そして、3店目、3月6日から提供されている塩があると、
ありがたい情報発信元“とらさん”(いつも利用しています)で知った。
野沢を後に高円寺に向かった。
 まるで麺処の屋号とは思えないネーミング、夢を感じさせる
素晴らしい名前の拉麺店が高円寺にある。
 「旅の途中」(04年5月1日グランドオープン)は、オープンから
数回伺ったことがあり、煮干しのきいたしょうゆ味のしっかりした拉麺を
提供されていて、小さな店だが、花井邦裕店主が研究熱心で
丁寧な調理をされていたのが印象に残っている。
 べんてんの常連さんをお誘いし、入店。
もちろん。「旅の塩」850円を注文。
店主は、私のことを覚えておられたようで、軽く会釈が返ってきた。
前客2名が引き上げられると、貸し切り状態のようになり、
会話も弾んだ。寸胴の中の具材も拝見できた。
吉祥寺の「旅人の木」の店主とはお友達。馬場のべんてんには、
つけ麺をよく食べに行っているとのこと。
 さて、私が初めてこちらに伺い、塩をメニューに加えてほしいことを
要望してから、約2年10ヶ月が過ぎた。そして塩が登場した。
感慨深いものがこみ上げてきた。
 店頭にあった「旅の塩」の薀蓄は割愛して、私の感想。
今までにない味の塩である。ミネラル分の豊富な沖縄・栗国の塩を
ベースに数種類の塩をブレンドしたかえしは、あまり塩気を感じさせず、
さっぱり感がある。しかし、動物系のスープに入れると、
少しとろみがついている。不思議なスープだ。
 麺は、箱の名前から三河屋製麺で、中細ストレート。
店主ご本人は、まだまだ改良の余地があるとおしゃる。
名前のとおり、目標の味まで模索の途中なのだろう。
次回伺うのが楽しみだ。

旅の途中
杉並区高円寺南3-16-21
12:00~18:00 月曜定休日

旅の途中

Weekendの麺処巡り 中華そば ふくもり

2007-03-10 16:01:24 | 拉麺
 野沢にあった大勝軒の跡を改造し、せたが屋やひるがおの系列店となった
「中華そば ふくもり」。昨年の12月15日にグランドオープンしている。
当時は、せたが屋の系列店だとはつゆ知らず、本日初の訪問となった。
 ひるがお新宿御苑店のShin店長のブログによると「塩」が完成し、
本日から提供されると出ていた。
ならば、行かねば。馬場のべんてんの後、代官山周辺の坂を探索し、
あまり収穫がないので、そうそうに切り上げ、野沢に向かった。
12時数分前に店頭に到着すると、6名の並びがあった。
時間通り入店し、塩中華800円のチケットを買って待つ。
意外と時間がかかり20数分で出てきた。
 スープが茶褐色、これは濃厚そうに見える。が、これは表面だけで
箸でかき混ぜると、下の層のスープはもっと薄い色である。
煮干しの効いた塩であるものの、ベースはしょう油のようで、
ほのかにしょう油の風味が勝っていたように感じた。
 麺は、北海道の小麦粉「春の華」100%、中太ストレート。
デフォで硬めで出てくる。私はもう少し緩い麺が良いと思うが。
5枚のった鶏チャーシューは柔らかく、インパクトは強い。
全体的には、本日が初の提供となる塩中華は、まだ改良されるようで、
今後に注目したい。煮干しの効いた塩、旨かった。

中華そば ふくもり
世田谷区野沢4-9-18
12:00~15:00、18:00~25:00 水曜定休日

Weekendの麺処巡り べんてん

2007-03-10 15:53:23 | 拉麺
 東池袋大勝軒が3月20日をもって、48年間の営業に
幕が下ろされる。多くのファンに惜しまれながら蛍の光を
聞くことになった。
 まだ、1週間とちょっとあるが、最後の3日間のみ、
山岸一雄御大が厨房に立つといわれている。
ならば、行けるのは18日の日曜日。
べんてんの田中光勝店主に、ご一緒しませんかと声を掛けるが、
私は別の機会に挨拶に行きますとのこと。
 こちらは、べんてんの常連さんと3人で、18日の早朝に
東池袋へ直行することを約束した。
 さて、本日は、塩三昧となる。
3店のうち2店が初の塩を提供するため、なんとしても、
はしごをしなければ。
 その1店目は、2週間振りになる馬場のべんてんに伺った。
もう少し暖かくなれば、つけ麺を注文するところである。
まだ、肌寒いので塩拉麺800円を、麺少な目(300g)でコール。
 厨房からは、田中店主が山岸御大のことで話しかけてくる。
さらには、がんこの一条さんはいつ戻って来るだとか、
200円で食べさせる拉麺店のこととか、矢継ぎ早に質問が来た。
こちらも卓球の球よろしく、ストレートで回答しておいた。
 本日のべんてん塩、旨まあい。スープ、麺、具、パーフェクトだった。


東京の坂道巡り 芋坂

2007-03-10 06:15:42 | 坂道
 再び墓地の中を通りながら、もう一つ古い坂道を巡った。
「芋坂」(いもざか)である。
 JRの電車が走っていない昔は、谷中と根岸を結ぶ坂であった。
そのため、跨線橋を渡るとそのところも芋坂と呼ばれ、
下った先の角に「羽二重団子」屋がある。
 昔はこの辺りで自然薯が獲れたため、命名されている。
正岡子規がこの芋坂のことを詩に詠んでいる。
「芋坂も団子も月のゆかりかな」
(谷中7丁目11番地辺り)

東京の坂道巡り 御隠殿坂

2007-03-10 06:09:57 | 坂道
 モンブランも捨てがたいが、今は坂道だ。谷中霊園の中を歩く。
今、中国では来年の北京オリンピック建造のため建設ラッシュである。
そのため、あらゆる金属が不足しているという。
そこで、金地金のマテリアル不足を補うため、スチールやステンレス等が
世界的に高騰していると聞く。そのあおりを受けて、日本各地では
工事現場や墓地で、ステンレス製品をごっそり盗む輩が出没しているといった
現象が起きている。
 特に墓地では、ステンレス製の花生けが盗まれているそうで、
先日の谷中霊園では、ステンレス泥棒と間違われないように
注意しながら歩いた。
 さて、谷中霊園からJR日暮里駅東口に通じる坂道がある。
これが「御隠殿坂」(ごいんでんざか)だ。
寛永寺の門主は、代々皇室から降下された法親王が就任されており、
1753年、第7世門主の公尊法親王の時、根岸の薬師寺堂内に
約3千坪の敷地を利用して「御隠殿」の別荘が建てられた。
 その寛永寺・輪王寺宮の宮様の隠居所となり、御隠殿に通う坂として
命名されている。
(上野桜木町2丁目25番地辺り)

東京の坂道巡り 上野のモンブラン

2007-03-10 05:59:44 | 坂道
 寛永寺坂から再び戻り、谷中霊園方面に右折した。その先の
左側に、店の前で行列が出来ている光景が飛び込んできた。
「パティシエ イナムラショウゾウ」のフランス菓子のお店だ。
パティシエオーナーの稲村省三氏が創るお菓子は絶品だと
聞いていたので、並んで頂こうとも思ったが、時間がかかりそう。
ならば取材を敢行。並ばれているマダムに「何がお勧めですか」と
訊ねると「上野の山のモンブランですわ、オホホ」ですと。
 ホテルのベルボーイ風の格好をしたスタッフが、店頭で接客や
交通整理を行っていた。
(台東区上野桜木町2-19-18)
イナムラ_ショウゾウ

東京の坂道巡り 寛永寺坂

2007-03-10 05:51:52 | 坂道
 寛永寺を後に、言問い通りに出る。右折してJR本線まで進むと
右の下りの坂になる。これが「寛永寺坂」(かんえいじざか)。
JRの陸橋になっており、現在工事が進行中だ。
(上野桜木町1丁目15番地辺り)

東京の坂道巡り 寛永寺の虫塚

2007-03-10 05:49:34 | 坂道
 寛永寺の境内には、興味をそそられるものが多くあり、
その中でも一番なのが、「虫塚」である。
 最近、漫画やTVアニメ、近々映画も放映予定の「虫師」なる
仕事人が話題になっている。それよりもずっと昔、江戸の頃、
やはり虫の好きな大名がいた。
 伊勢長島藩主、増山河内守正賢は、「雪斎」という屋号を持った
画人でもあった。正賢は、長年写生し続けてきた虫を標本にして
保存していた。彼の死後、その虫たちを慰霊するために当時の文人、
菊地五山や大窪詩仏らが塚を奉納している。
 この虫を供養した虫塚、世界でもオンリーワンといわれている。
(上野桜木町1丁目14番地辺り)

東京の坂道巡り 寛永寺

2007-03-10 05:45:27 | 坂道
 護国院を後に、根岸方面に進んでいくと東京芸大裏手のとい面に
小さな和菓子やがある。間口が小さく中を覗いても、店なのかどうか
わからない。でも、営業中の看板が出ていた。桜餅の品書き札も見えた。
 後で調べたら、「桃林堂上野店」で、本店は大阪府八尾市内に
「桃林堂陌草園」があり、東京には青山にも支店がある。
 今度近くに伺ったら、必ず立ち寄って店内で抹茶と和菓子を頂こう。
 さて、さらに進んだ突き当たりに、立派な敷地を構えたお寺がある。
これが「寛永寺」である。
 1625年、家光の頃、天海僧正により建立、天台宗の関東総本山である。
創建時は、江戸城の鬼門のひとつを守る祈願処であった。のちに、
芝の増上寺とともに徳川将軍家の菩提寺となった。
 写真は、芸大生が根本中堂を写生している風景だ。
(上野桜木町1丁目14番地辺り)
桃林堂