tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

飛鳥創生戦略 by 明日香村長 森川裕一さん

2016年10月26日 | 奈良にこだわる
10/21(金)16時から、奈良経済同友会「10月例会」がホテルサンルート奈良で開かれた。明日香村の森川裕一村長が講演されるというので、ムリをお願いして聴講させていただいた。演題は「飛鳥創生戦略」だ。明日香村は「日本で最も有名な村」といっても過言ではない。
※画像は、当日の配付資料「飛鳥創生戦略」(PowerPoint)から抜粋

そんな村に関し、10/11(火)朝6:30頃にNHKニュースが「星野リゾートが明日香村にホテルを建設!」とすっぱ抜いたので、とても気になっていた。そのあと新聞各紙に追っかけ記事が出た。産経新聞奈良版(10/13付)には「明日香村に星野リゾート ホテル建設で協定締結へ 5~6年後の開業目指す」という詳しい記事が出ていたので、これを引用すると、


この写真のみ、山本太治さん(奈良経済同友会代表幹事)のFacebookから拝借。他は私の撮影

明日香村は12日、全国で高級温泉旅館やリゾートホテルを運営する星野リゾート(本社・長野県軽井沢町)が、村内にホテルを建設するための「パートナーシップ協定」を同村と今月28日に締結すると発表した。建設候補地は近鉄飛鳥駅に近い村西部の真弓(まゆみ)地区の丘陵地。協定の締結後、地権者との交渉に入り、5~6年後のオープンをめざしている。明日香村には年間約80万人の観光客が訪れるが、ホテルはなく、実現すれば初のホテルとなる。


山本代表幹事の開会挨拶

村では約10年前からホテル誘致に向けて活動。新たなホテル建設用地を探していた星野リゾートと思惑が一致し、同社の幹部が昨年10月初めて村を訪問。その後、ホテル建設に向けて話し合いが進められていた。建設候補地は、村の将来構想を示す総合計画では産業施設の整備をめざすエリア。飛鳥駅の西側に位置し、周辺には高松塚古墳やキトラ古墳などもある。



飛鳥時代から古い歴史を持つ村は、特別措置法によって村内全域が歴史的風土保存地区に指定され、開発は厳しく規制されている。このため、建設が実現した場合でも環境に配慮したコテージ風(分棟型)の低層な施設になるとみられている。協定の締結式には森川裕一村長と星野リゾートの幹部が出席する予定で、ホテル実現に向けて協力していくことを確認する。


森川村長の講演が始まった

星野リゾートは東京や北海道、京都、沖縄など全国で個性的な高級旅館やホテルを運営。リゾート施設の再生でも知られ、海外にも進出している。村では「規模を含めどのようなホテルになるのかは今後、検討されると思うが、宿泊される方のいろんなニーズに応えられる施設になることが期待できる。雇用や、ホテルでの村産の食材の活用、さまざまな体験イベントなどを含め、村に与える波及効果は大きいと思う」とし、星野リゾートの進出を歓迎している。

これは朗報である。例会ではこの記事以上に詳しい話は出なかったが、用地買収はまだこれからとのことなので、ぜひ実現していただきたいものだ。村長には、32画面のパワポ資料を駆使して詳しくご説明いただいた。私の印象に残ったものを紹介する。



まず「明日香村がめざす地方創生」の目標は、世界に輝く「美(うま)し飛鳥」づくり、日本に光る豊かな「明日香ぐらし」。高齢化に対応しつつ、若者の人口減少に歯止めをかけ、空き家や放棄地を減らす。具体的には

1.飛鳥の魅力を磨き、国内外に発信し、来訪客を増やす。
2.人やお金の新しい流れを興し、働く場をつくる。
3.安心で、暮らしやすく、住みたくなるまちづくり。


2016年度中に、「明日香村地方創生戦略」を策定するそうだ。村の人口動態について説明があった。自然減(死亡)が多いのは致し方ないが、ここ3年間、社会人口(転入人口)が増加している(転出者<転入者)とのことで、これはご立派である。



村は「明日香まるごと博物館構想」を提唱している。「飛鳥宮跡保存活用構想検討報告書」(2014年3月)によると、

地域活性化戦略として村全域を五感で体感できるフィールドミュージアム「明日香まるごと博物館」を提唱している。明日香ならではの「歴史文化を観る」ための見どころの整備として、バーチャルリアリティも活用しながら、飛鳥京苑池の整備、飛鳥宮跡の復元整備、高松塚古墳壁画の公開展示に向けた取り組み、世界遺産登録の推進などにより、「明日香まるごと博物館」の実現を目指している。



というもので、つまりは「屋根のない博物館で、歴史文化、自然の輝き、人の汗を五感で体感しよう」というものである。歴史遺産に恵まれた明日香村ならではの夢のある構想だ。「日本国創成のとき~飛鳥を翔(かけ)た女性たち~」の日本遺産認定で、弾みがついているようで頼もしい。


村を訪れる観光客は約80万人で推移しているが、県下各地と同様、宿泊観光客は少なかった。しかし近年は回復傾向にあり、2015年(平成27年)には宿泊者が18,000人に増えた。これは民泊の「飛鳥ホームステイ」(飛鳥ニューツーリズム協議会が運営する教育旅行)の影響が大きい。6割弱がインバウンドだそうだ。

2016年度には6,000泊を見込んでおり、受け入れ民家も明日香村のほか橿原市、桜井市、高取町の約170軒に拡大、2014年度からは 広域行政事務組合からの支援も受けているとのこと。



とにかく森川村長はエネルギッシュで、あっという間に予定の時間が来てしまった。参加者は「この村長がいる限り、明日香村は大丈夫だ」と実感したことだろう。例会後の懇親会でも最後まで残り、参加者と膝詰めで意見交換をされていた。

星野リゾートの誘致が象徴するように、明日香村は「世界に輝く美(うま)し飛鳥づくり」に向け、頑張っている。これからの新たなチャレンジに、大いに期待したい。






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なら食と農の魅力創造国際大学校で文化祭(第1回NAFIC祭)/特製カレー試食やお菓子販売!(2016 Topic)

2016年10月25日 | お知らせ
併設の「オーベルジュ・ド・ぷれざんす 桜井」がミシュランで星を獲得して話題となった「なら食と農の魅力創造国際大学校 安倍校舎」(桜井市高家2217)で10月29日(土)、初の文化祭「第1回NAFIC祭」が行われる。産経新聞奈良版(10/3付)が「なら食と農の魅力創造国際大学校で10月29日イベント 特製カレーも」として紹介していた。引用すると、

今春、県が開校した「なら食と農の魅力創造国際大学校」(通称NAFIC)で10月29日、日ごろの学校の取り組みや学生の学習成果について知ってもらおうとイベント「第1回NAFIC祭」が開催される。

会場は同大学校の安倍校舎(桜井市)。当日は学生が栽培した野菜を使った特製カレーの調理実演と提供、学生が作ったジャムや洋菓子の販売のほか、学生が「先生」となって秋野菜の栽培方法を教える企画、トラクターや耕運機の展示-などの催しが予定されている。

同大学校の担当者は「地域住民らとの交流を通じて、NAFICがどんな学校なのか知ってもらいたい。学生には学習成果の確認やコミュニケーションスキルを高める機会にもしてほしい」と話している。

イベントは午前11時~午後4時。入場無料。当日はJR、近鉄桜井駅と臨時駐車場の県銘木協同組合から無料送迎バスが運行される。詳しい問い合わせは同大学校の安倍校舎(☎0744・46・9700)。

なお同校のHPによると、

第1回 NAFIC祭を開催!
10月29日(土)、「第1回 NAFIC祭」(文化祭)を開催します!NAFIC開校 初の文化祭ですので、この機会にぜひご来校ください。学生たちが皆様のお越しをお待ちしています!

○日  時:平成28年10月29日(土)11:00~16:00
○会  場:なら食と農の魅力創造国際大学校 安倍校舎(〒633-0044 奈良県桜井市高家2217)
○内  容
・創作料理の実演・試食
 『フードクリエイティブ学科 特製カレー~アグリマネジメント学科の野菜と共に~』
 【試食提供時間(予定)】11:30、13:00、14:30(当日、事前に整理券を配布)
・ジャム、お菓子の販売
 フードクリエイティブ学科生が作ったジャム、お菓子を販売。
 ジャムは奈良県産アスカルビー・ブルーベリー100%!
・“はたけの学校”
 アグリマネジメント学科生が“1日先生”になって、秋野菜の栽培を教えます。
・トラクター、耕うん機の展示
 ハンドルを握って、ハイチーズ(^ー^)v
○アクセス:JR・近鉄「桜井」駅より 約4km
 ※当日、会場駐車場には限りがございます。臨時駐車場・無料シャトルバス①『桜井駅北口1番乗り場』、②『奈良県銘木協同組合 駐車場(約50台駐車可)』をご利用下さい。


特製カレーの試食に奈良県産アスカルビー・ブルーベリー100%のジャムの販売など、これは楽しそうな催しだ。駐車台数が限られているので、シャトルバスのご利用をおすすめしたい。食欲の秋、この土曜日はぜひ「第1回NAFIC祭」へ!



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「国家誕生の地、桜井を語る」シンポジウム/桜井市民会館で12月11日(日)開催!

2016年10月24日 | お知らせ
こんなスゴいシンポジウムがある。朝からまる1日のシンポジウムだ。題して「国家誕生の地、桜井を語る~マキムクからイワレへ、大王の歩んだ道~」。開催場所は市役所前の桜井市民会館。参加は無料だが、往復ハガキでの事前申し込みが必要だ。申し込みは面倒だが、講師陣が超豪華である。石野博信氏、橋本輝彦氏、岸本直文氏、千田稔氏、寺沢薫氏。桜井市立埋蔵文化財センターのHPによると、

桜井市の位置する奈良盆地東南部は、我が国の国家誕生の地として、あるいは日本文化発祥の地として知られています。その礎となる初期大和王権発祥の地とされるのが本市北部に位置する纒向遺跡です。また桜井市にはそれに続く時代の大王たちが眠るとされる茶臼山古墳、メスリ山古墳をはじめ、我が国の国家形成にかかわる重要な遺跡がたくさんあります。

これまで桜井市では、発掘調査が行われるたび大きな発見や成果が発表され全国の注目を浴びてきました。これはいかに桜井という地が文化財の豊富な地であるかを裏付けています。桜井市のあゆみは日本の発掘調査史と共にあったといっても過言ではないでしょう。

そんな桜井市は、平成28年9月1日で市制施行60周年を迎えます。このことを記念して、桜井市立埋蔵文化財センターでは、シンポジウムを中心に、特別展示会や市内の遺跡を巡るイベントなど、60周年にふさわしい事業を企画し、開催いたします。※事前申し込みが必要です

【シンポジウム】            
「国家誕生の地、桜井を語る」~マキムクからイワレへ、大王の歩んだ道~ 平成28年12月11日(日)
シンポジウムでは、各方面で活躍されている研究者の方々に集まっていただき、なぜ桜井の地が国家誕生の地に選ばれたのかを考古学・文献あるいは地理的な背景などから再考すると同時に、我が国の国家形成にかかわる謎を解き明かし、日本の古代史に再検討を加えます。

◆開催日時:
 平成28年12月11日(日) 開場9:00 開演9:30~終了16:20
◆開催場所:桜井市民会館(奈良県桜井市大字粟殿202番地)
 ※駐車場に限りがありますので、会場へは公共交通機関のご利用をお願いいたします。
◆参 加 費:無料
◆定  員:先着1200名
 ※市民会館へは、近鉄・JR桜井駅より徒歩10分

〈記念講演〉
「纒向王宮から磯城・磐余の大王宮への道のり」石野 博信氏 (香芝市二上山博物館名誉館長)

〈基調講演〉
「オオヤマト・イワレ地域における古墳時代前期の集落と古墳」桜井市教育委員会文化財課主幹 橋本 輝彦
「倭王権誕生と祭政分権王政」大阪市立大学大学院文学研究科教授 岸本 直文氏
「古代王権と山―穴師山・三輪山・忍坂山など―」奈良県立図書情報館館長 千田 稔氏

〈シンポジウム〉
コーディネーター・司会 桜井市纒向学研究センター所長 寺沢 薫
パネラー 石野 博信氏、千田  稔氏、岸本 直文氏、橋本 輝彦 

〈総合司会〉塩見 智子さん フリーアナウンサー

≪申込方法≫
往復はがきに、①住所 ②氏名 ③電話番号を明記のうえ、下記の住所までお申し込み下さい。折り返し参加証を送付します。
◇宛先◇
〒633-0074 奈良県桜井市大字芝58番地の2 桜井市立埋蔵文化財センター シンポジウム係

お申し込みの際、1枚のはがきに複数のイベント名や参加者名を記入しないで下さい。また、電話やFAXによる申し込みは受付いたしません。なお、定員になり次第、受付を締め切ります。


桜井市制60周年を飾る大シンポジウム、ぜひ、お申し込みはお早めに!



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たまゆら音楽祭(第6回)は11月13日(日)、奈良町物語館で開催!(2016 Topic)

2016年10月23日 | お知らせ
恒例の奈良町「たまゆら」音楽祭が開催される。開催日時は11月13日(日)12:00〜16:30、会場は「奈良町物語館」である。実行委員長の森井康文さん(ダイシン化工取締役、南都銀行OB)から、こんなメールをいただいた。

アマチュアが集う、第 6 回 奈良町「たまゆら」音楽祭のプログラムが出来上りました。今回は、尺八とギターによるダイナミックな演奏が定評の「猿楽」や、ウクレレとやさしい歌声の千葉ユキさん。また、シンガーソングライターの真田柊太さんなど多くの新メンバーが加わり、より楽しいイベントとなりそうです。

当日は椅子席、座敷で 100 席ほど用意致します。また前回同様、出入り自由・すべて無料ですのでお気軽に参加いただけるようになっております。秋の奈良町の町家を舞台に奏でる「奈良の響き」をぜひご賞味下さい。


人気の「まほろばclub」の面々も「まほろばフォークジャンボリー」として出演する(15:40~16:20)。イベントのHPは、こちら。入退館は自由。ならまち散歩のついでに、お気軽にお立ち寄りください!


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真田丸(41)入城

2016年10月22日 | 日々是雑感
前回のNHK大河ドラマ「真田丸」は、「第41回 入城」だった。九度山を脱出して大阪城に入城する幸村(信繁)が描かれる。NHKの番組HPによると、

豊臣秀頼に味方することを決意した幸村。しかし、牢人たちが大坂城に集まっていることを知った家康は、九度山の見張りを増やすように命じる。幸村は、脱出のための策を練る。一方、信之には家康からの出陣命令が届く。信之は、2人の息子の初陣にしようとするが、稲から、ある提案がなされる。そして、大坂城に向かった幸村は、茶々と運命の再会をする。



私はどうしても故郷・九度山のシーンに目が行く。歴史においても、信繁は村人を集めて九度山で宴会を開き、その最中にスキを見て大坂へ出奔するとなっている。ドラマでは、村長・長兵衛の屋敷で宴が開かれる。そこに監視役である竹本義太夫(浅野家家臣)が訪れ、「ここを出るようなどと思わぬように」と釘を刺す。竹本も宴に参加し、酒を酌み交わすが、その宴の最中、雁金(かりがね)踊りに乗じて、1人、また1人と真田の家来が姿を消していく…。

古寺で真田方は落ち合うが、そこで1人の村人が「俺も連れてってくれ…」と願い出る。さらに「山を下りる近道、知ってるぜ」と言う。一方長兵衛は、竹本の捜索を妨害し、信繁たちの脱出を後押しする。家康は、信繁の脱出を知り「真田昌幸の息子だ。昌幸のことは、いまだに語り継がれておる。士気がどれほど上がるか…」と警戒する。



大坂城に入城した信繁は、すでに相当の年寄りになっていた、という話がある。この話をひねって三谷幸喜は「信繁が老人に変装して入城した」というストーリーを作り上げた。これは面白い発想だし、堺雅人のメイクは、とてもよくできていた。

大坂城で再会した豊臣秀頼は、立派な偉丈夫になっていた。秀頼役の中川大志は、とてもカッコいい、これははまり役だ。茶々はのちに信繁と対立するのだが、ここでは素直に再会を喜んでいた。

大坂城が賑やかなことになってきた。次回はこの城の中での意見の対立が描かれる。大坂冬の陣も近い。では今回も締めに、藤丸タダアキさんの感想を紹介しておく。



哀川翔扮する後藤又兵衛が登場。黒田如水に可愛がられた猛将です。そして、白石隼也扮する木村長門守重成が登場。岡本健一扮する毛利勝永が登場。大坂の陣で最も評価を上げた人物です。そして、今井朋彦扮する大野治長がそれをまとめていきます。真田丸41話はいよいよ総仕上げ大坂の陣に向けたキャストがそろい始めました。

さて、家康は浪人の大阪入城を聞いて、信繁が大坂城に入場しないように指示しました。信繁と梅(黒木華)の娘、すえ(恒松祐里)も無事に嫁ぐことがきまりました。信之の息子の信吉(こう 長野里美の息子)と信政(いね 吉田羊の息子)がもめます。兄の信吉が弱いので、弟の信政が攻めます。

この二人の関係はかなり複雑で、後に真田家に大きな災いをもたらします。それは信之が亡くなった後の話になります。しかし、稲は信之に自分の子供ではないが長男の信吉を跡取りに推薦します。真田家はこのように女性の逸話が多いですね。



一方の信繁は九度山を抜け出すために、地域の住民を宴会に誘い出します。これは史実として残っている話で、明け方に武装して去ったといわれています。しかし農民の協力があったのは事実で、信繁が好かれていた証拠です。信繁の入城を聞いて家康は動揺します。実は真田家は九度山の真田が入城したと宣伝しました。それを聞いて家康は持っていた器を落としたという逸話があります。

一方、信繁は老人に変装して入城します。逸話では山伏姿だったそうです。信繁は入城の際の名簿に幸村と記名しました。ここからは幸村と紹介します。

秀頼に拝謁した幸村は兵糧の策などを献策します。そして自分を大きく大きく見せようとしました。信繁は自分の力を最大限に発揮できる環境つくりに躍起になります。しかし隣にいた大野治長はいい顔をしませんでした。



真田丸41話入城では、いよいよ大坂城に入場し、徳川との対決に向かいます。これから、大阪城に入場したほかの武将との関係が全面に出るでしょう。

無名の名将幸村は自分が最大限に活躍できる土台作りが見ものです。大坂の陣の最後は全員が幸村の元に力を結集しようとしていきます。真田丸はまだ41話です。これからが見ものです。真田丸は視聴率はなかなか好調のようですね。私自身は真田丸視聴率100%です(笑)大河ドラマを見るのは秀吉以来なので、とても久しぶりです。

そして、長澤まさみ扮するきりの活躍が際立ってきます。幸村と春(松岡茉優)は年齢が離れているので、その間にきりが必要だったのですね。真田丸のきりの立ち位置がやっと見えてきました。きりは真田家の子を産まなかったのか、ちょっとわかりません。しかし、この当時は家の中で女性の地位はかなり曖昧でした。そのうえでも、真田家は女性の役割が大きかったのだろうなと思います。真田丸41話入城の感想を書きました。
コメント (2)
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