tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

渡来系豪族・阿智使主(あちのおみ)夫妻を祭る「於美阿志(おみあし)神社」(明日香村)/毎日新聞「やまとの神さま」第75回

2024年02月26日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先週(2024.2.22)掲載されたのは〈渡来系豪族の始祖祭る/於美阿志神社(明日香村)〉、執筆されたのは明日香村にお住まいの清水雅子さんだった。
※トップ写真は於美阿志神社の拝殿=明日香村

渡来人名の「阿智使主(あちのおみ)」が逆転して転訛(てんか)し、「おみあし(於美阿志)」になったという。しかも境内地は、国史跡「檜隈寺(ひのくまでら)跡」なので、なかなかややこしい。では、以下に全文を紹介する。

渡来系豪族の始祖祭る/於美阿志神社(明日香村)
於美阿志神社 (明日香村檜前(ひのくま))は高台に鎮座し、近くには、いずれも特別史跡のキトラ古墳や高松塚古墳があります。「飛鳥史跡事典」によると、この地は渡来系の豪族・東漢氏の本拠地で、氏寺として7世紀に建てられた檜隈寺(ひのくまでら)の跡地が境内になっています。

同神社の創建年は不詳ですが、平安時代の「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」に式内社と記された古社です。主祭神は東漢氏の始祖で、第15代応神天皇の時代に渡来したとされる阿智使主(あちのおみ)夫妻。神社名は「阿智」が「阿志」になまり、「使主」は「於美」に漢字が変化したうえ、2語が逆になるなど「阿智使主」が転訛(てんか)したと考えられます。

「続 明日香村史」などによると、江戸時代には御霊(ごりょう)明神と呼ばれ、今より西にありましたが、明治時代に現在地に遷座しました。境内には、主祭神の他に八坂神社と稲荷神社も祭っており、石灯籠(いしどうろう)にも多くの神々の銘文が刻まれています。

境内は「檜隈寺跡」として国史跡に指定され、瓦積基壇の講堂跡や金堂跡を確認。平安時代の十三重石塔(重要文化財)が残っています。春秋の祭りと年3回の御湯(おみゆ)神事では、村内の飛鳥坐(あすかにいます)神社の宮司が祝詞を上げており、檜前の氏子に大切に守られています。(奈良まほろばソムリエの会会員 清水雅子)

(住 所)明日香村檜前(ひのくま)594
(主祭神)阿智使主神(あちのおみのかみ)
(史 跡)2003年に「檜隈寺跡」として国の史跡に指定
(交 通)近鉄飛鳥駅から徒歩約20分
(拝 観)境内自由
(駐車場)なし
(電 話)なし


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 田中利典師の「なぜ、一流の... | トップ | 田中利典師の「蔵王供正行/... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

やまとの神さま(毎日新聞)」カテゴリの最新記事