tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

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蛇(じゃ)祭りで知られる織物の神「倭文(しずり)神社」(奈良市西九条町)

2024年10月06日 | やまとの神さま(毎日新聞)
今週から、毎週「水曜日」の連載となった「やまとの神さま」(毎日新聞奈良版)、水曜の初回(2024.10.2)は〈常陸平定に貢献 織物の神/倭文神社(奈良市)〉、執筆されたのは、奈良市にお住まいの青木章二さんだった。青木さんは歴史をテーマとした講演の講師として、ご活躍中である。
※トップ写真は、倭文神社本殿。奈良市西九条町で

この神社のことは以前、同じ毎日新聞奈良版のコーナー「ディスカバー!奈良」で紹介したことがある。なお「倭文」とは〈古代の織物の一種。梶木(かじのき)、麻などで筋や格子を織り出したもの。荒妙(あらたえ)。しずおり。しずぬの〉(日本国語大辞典)。同神社の「蛇祭り」は、理源大師聖宝(しょうぼう、当山派修験道の祖)の大蛇退治に由来するという。では、以下に全文を紹介する。

常陸平定に貢献 織物の神/倭文神社(奈良市)
倭文(しずり)神社は奈良市西九条町、旧の字名、辰市に鎮座しており、この地は春日大社の社家(神主)が最初に居住した辰市郷で、「大和名所図会」(1791年刊)には「倭文社、俗にひずりのやしろという」とあります。

祭神は武羽槌雄命(たけはづちおおのみこと)、経津主命(ふつぬしのみこと)、誉田別命(ほんだわけのみこと)の三神で、武羽槌雄命は武甕槌命(たけみかづちのみこと)が常陸国(ひたちのくに)を平定される際に武甕槌命に反旗をひるがえした神(香香背男=かかせお)を討った神で、また倭文の神(織物の神)ともされています。

武甕槌命が鹿島神宮から御蓋山(みかさやま)の頂に降臨された時、侍従、中臣時風(ときふう)・秀行氏が、768(神護景雲2)年、この地に倭文神社を勧請し、移住してきた中臣一族が鹿島神宮で行っていた祭祀(さいし)を辰市郷でも行ったといわれています。

この中臣時風・秀行氏は「鹿島立神影図 (だちしんえいず) (奈良国立博物館所蔵)」の下に描かれている人物です。本殿は春日移しの社殿で若宮摂社三十八所神社の旧本殿を移したと伝わっています。

倭文神社の秋祭りはスポーツの日の前日の日曜日(今年は10月13日)に行われ「蛇(じゃ)祭り」と呼ばれています。この祭りは大蛇に人身御供(子供)を捧げる昔の風習を今に伝える、民俗学的にも大変興味深いお祭りです。現在は人身御供を表した神饌(しんせん)が供されています。(奈良まほろばソムリエの会会員 青木章二)

(住 所)奈良市西九条町2の14の2
(祭 神)武羽槌雄命、経津主命、誉田別命
(交 通)近鉄九条駅から東へ徒歩約25分
(拝 観)境内自由
(駐車場)なし
(電 話)なし


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