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田中利典師の『体を使って心をおさめる 修験道入門』集英社新書(10)/「近代の災禍と修験道再生」PART Ⅲ.

2022年04月29日 | 田中利典師曰く
田中利典師の名著『体を使って心をおさめる 修験道入門』をご本人の抜粋により紹介するシリーズ。10回目となる今回は「近代の災禍と修験道再生 PART Ⅲ.」を紹介する。師のFacebook(3/3付)より。
※トップ写真は、吉野水分神社(世界遺産の構成施設の1つ)のしだれ桜、2022.4.11撮影

シリーズ修験道「近代の災禍と修験道再生」
拙著『体を使って心をおさめる 修験道入門』(集英社新書)は7年前に上梓されました。一昨年、なんとか重版にもなりました。「祈りのシリーズ」の第2弾は、本著の中から、「修験道」をテーマに、不定期にですが、いくつかの内容を紹介いたします。よろしければご覧下さい。
 
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「法難からの復興と世界遺産への登録」
第二次世界大戦後、宗教・信仰は自由化され、誰も「神と仏を分けろ」「修験道はあいならん」などとは言わなくなりましたが、明治の法難以降、山伏は激減し、かつて全国で市井の暮らしに細やかなまでに入り込んでいた活動は途絶えた形となりました。主に三派を中心に細々と、役行者時代からの修行法を受け継いできたことになります。

さて、そんな時代の流れによって、日本の宗教・信仰形態の隅っこに追いやられてしまったような修験道でしたが、ふたたび脚光を浴びる出来事が起こります。2004(平成16)年7月、吉野・大峯、熊野三山、高野山という三つ霊場と、大峯修行道(大峯奥駈道)、熊野参詣道(熊野古道)、高野山町石道という三つの参詣道を一まとめにして、『紀伊山地の霊場と参詣道』がユネスコの世界文化遺産に登録されたのです。

奈良県、三重県、和歌山県にまたがる紀伊半島の一帯が、世界の宝物になりました。ちなみに、吉野大峯の世界遺産登録に向け、最初に手を挙げたのは私ども金峯山寺でした。修験道の霊場としての吉野・大峯、神道と修験道の霊場としての熊野三山、真言密教の霊場としての高野山、この異なる霊場を繋いだのはたんに参詣道だけではありません。

神と仏を分け隔てなく尊んできた修験の行者たちがその聖地を近しく結んだのであり、それゆえにこの地域は東アジアにおける宗教文化の交流と発展を例証するものとして世界的に認定されたのです。

世界遺産では同じような類いのものは登録されません。その国や地域を代表する唯一無二のもの、独特のものこそがその国の宝であるとともに、世界の宝物として登録されてきたのです。『紀伊山地の霊場と参詣道』はまさに日本人が神、仏を分け隔てなく、自然と融け合い崇拝してきた宗教観の証として、いまに残されている宝物なのです。

そういう日本人が持ってきた精神のかたち、精神文化のかたちが顕著に現れたものとしての世界遺産登録でした。この世界遺産登録が修験道の注目を高めるきっかけとなったことは間違いないでしょう。

「修験道大結集」
金峯山寺では、『紀伊山地の霊場と参詣道』のユネスコ世界遺産登録を記念して、2004年7月1日から翌年6月30日までの一年間にわたって蔵王堂秘仏御本尊金剛蔵王権現のご開帳など、多くの慶讃行事を行いました。その一連の記念行事の中心事業となったのが「修験道大結集・平和の祈りの大護摩供」でした。

これは、明治期に大弾圧を受けながら見事に復活を遂げた修験道の、21世紀に法統を伝える新たな始動の第一歩として行ったもので、地球の平穏と世界の平和を修験道全体で祈念しようという呼びかけでした。この歴史的な呼びかけに応じて、三井寺や聖護院、醍醐寺、五流尊瀧院、大峯山寺、那智山青岸渡寺、薬師寺修験部、高尾山薬王院、犬鳴山七宝瀧寺、験乗宗光明寺など、修験道の伝統を護持する全国の山伏たちが金峯山寺に結集したのです。その数、なんと17カ寺・三千数百人にものぼりました。

修験道大結集が行われたこと自体が日本仏教史上、はじめてのことでした。ましてや、これほどの数の山伏が結集したことは、もちろんこれまでにありません。結集した山伏たちは、特別ご開帳中の日本最大秘仏・金剛蔵王権現の宝前で、それぞれの流儀に従い、祈りを込めて修法し、修験道の精神を大いに発信しました。

山に伏し、野に伏し、自然とそこに坐す神々に祈る日本独自の宗教・修験道。その修験道が、世界遺産登録決定を記念した修験道大結集を通じて、現代の世界・社会が抱える問題解決の可能性を秘めていることを世界に向かって明らかにした、エポックメイキングな出来事でした。なお、この修験道大結集は、平成21年に五周年、平成26年には10周年を迎え、継続して開催されています。

「ふたたび修験ブーム」
世界遺産登録の追い風を受けて、ふたたび注目されつつある修験道。それを象徴するかのような取り上げられ方をしたのが、『白洲正子 神と仏、自然への祈り 生誕100年特別展』でのそれです。2010年から2011年にかけて、私も親しくしている白洲信哉氏のプロデュースによる『白洲正子 神と仏、自然への祈り 生誕100 年特別展』が、滋賀県、愛媛県、東京都で順次開催されました。

白洲正子さんは日本各地の寺社巡礼を重ね、日本人の自然に対する思い、神、仏に対する思いを感じ取り、多くの紀行文を残しています。この展覧会は10のテーマで構成され、それは「Ⅰ 自然信仰」、「Ⅱ かみさま」、「Ⅲ 西国巡礼」、「Ⅳ 近江山河抄」、「Ⅴ かくれ里」、「Ⅵ 十一面観音巡礼」、「Ⅶ 明恵」、「Ⅷ 道」、「Ⅸ 修験の行者たち」、「Ⅹ 古面」でした。

なんと白洲正子さんの展覧会で修験が独立したテーマとして設定されているのです。「修験道を隠れたテーマとして構成しました」とさえ、白洲さんは語っています(『OKUGAKE』ブックエンド社刊・2010年)。20数年前にはとても考えられなかったことです。修験道が日本の宗教形態としてスポットを浴びるところまで復権したことを、喜びに満ちた驚きとともに実感しました。
#ロシアにウクライナからの即時撤退を求めます!
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