三里(みさと)古墳(平群町三里 近鉄平群駅から北東約300m)は、平群谷にある古墳である。奈良検定公式テキスト(P106)によると
《直径20メートルほどの円墳もしくは全長35メートルほどの前方後円墳》《玄室の奥壁下に石棚と呼ばれる板石による特殊施設が確認された》《石棚の類例は奈良県下では岡峯古墳と槇ヶ峯古墳など少なく、和歌山県紀ノ川流域に多く見られることから、紀氏との関係が指摘されている》。
この「石棚」が特徴なのだが、テキストには写真がないので、どういうものか想像できない。行ってみると、こういう格好の棚だった(写真は、いずれも07.12.10撮影)。
六興出版の『大和の古墳を語る』によれば《なぜ、このようなものが付けられるようになったのか疑問が多いが、遺体を埋葬した時に副葬品を置いた例がよく報告されている》(伊藤勇輔氏)ということだ。こういう一文が、公式テキストに欠けているのである。
矢田丘陵を望む
生駒山を望む
平群谷は、矢田丘陵と生駒山系に挟まれていて、三里古墳の近くには、長屋王墓と
后の吉備内親王墓がある。ご存じ長屋王は、藤原四子(武智麻呂・房前・宇合・麻呂 「女房の馬にムチまろ」と覚える)に謀反の罪を着せられ、自殺に追い込まれた。
※長屋王墓(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/22ab88737ac4e676381741f025a96edc
長屋王墓
吉備内親王墓
三里古墳の周辺はよく整備されているが『大和の古墳を語る』によると、《調査は橿原考古学研究所で行ったのだが、三里古墳の確認や発掘作業、保存整備に関して、「平群史跡を守る会」の活躍があったことを書いておく必要があろう。地域に密着して古文化を訪ね機関誌を発行するなどユニークな活動は特筆に値する》とある。
会のHPを見ると、なんと1970(昭和45)年から活動を開始されていて、《昭和50年(1975) 三里古墳の発掘調査に参加・協力》という記述もある。烏土塚(うどづか)古墳(平群谷で最大の前方後円墳 石棺東側面の「斜格子文の線刻」で著名)などの整備もされている。こういう地元の方の地道な活動が、史跡を支えているのである。誠に有り難いことだ。
※平群史跡を守る会オフィシャルサイト
http://www.m-network.com/heguri/index.html
《直径20メートルほどの円墳もしくは全長35メートルほどの前方後円墳》《玄室の奥壁下に石棚と呼ばれる板石による特殊施設が確認された》《石棚の類例は奈良県下では岡峯古墳と槇ヶ峯古墳など少なく、和歌山県紀ノ川流域に多く見られることから、紀氏との関係が指摘されている》。
この「石棚」が特徴なのだが、テキストには写真がないので、どういうものか想像できない。行ってみると、こういう格好の棚だった(写真は、いずれも07.12.10撮影)。
六興出版の『大和の古墳を語る』によれば《なぜ、このようなものが付けられるようになったのか疑問が多いが、遺体を埋葬した時に副葬品を置いた例がよく報告されている》(伊藤勇輔氏)ということだ。こういう一文が、公式テキストに欠けているのである。
矢田丘陵を望む
生駒山を望む
平群谷は、矢田丘陵と生駒山系に挟まれていて、三里古墳の近くには、長屋王墓と
后の吉備内親王墓がある。ご存じ長屋王は、藤原四子(武智麻呂・房前・宇合・麻呂 「女房の馬にムチまろ」と覚える)に謀反の罪を着せられ、自殺に追い込まれた。
※長屋王墓(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/22ab88737ac4e676381741f025a96edc
長屋王墓
吉備内親王墓
三里古墳の周辺はよく整備されているが『大和の古墳を語る』によると、《調査は橿原考古学研究所で行ったのだが、三里古墳の確認や発掘作業、保存整備に関して、「平群史跡を守る会」の活躍があったことを書いておく必要があろう。地域に密着して古文化を訪ね機関誌を発行するなどユニークな活動は特筆に値する》とある。
会のHPを見ると、なんと1970(昭和45)年から活動を開始されていて、《昭和50年(1975) 三里古墳の発掘調査に参加・協力》という記述もある。烏土塚(うどづか)古墳(平群谷で最大の前方後円墳 石棺東側面の「斜格子文の線刻」で著名)などの整備もされている。こういう地元の方の地道な活動が、史跡を支えているのである。誠に有り難いことだ。
※平群史跡を守る会オフィシャルサイト
http://www.m-network.com/heguri/index.html
平群は東京からの「奈良大和路フリーきっぷ」でもフリー区間の外なので、
ケチって未だ訪れることができずにおります。
写真を拝見して、
一目瞭然に棚の様子が分かりました。
周囲の様子から、規模も凡そ想像できます。
試験日が近づいてきて焦りも出てきて、
テキストを読み進めていくと
申し訳ないけれど余計な文章が多いと思います。
単なる読み物であれば全く問題ありませんが、
試験の暗記をするために執筆者の感想は必要ないんです。
私が今まで訪れて経験した奈良の問題が、
出来るだけたくさん出て欲しいな・・・なんて
祈るばかりです。
> いやーこんなところで我が平群の三里古墳に会うとは!!
平群谷には古墳が多いですね。烏土塚古墳(平群谷で最大 石棺東側面の「斜格子文の線刻」で著名)はいちど検定に出題されましたし、西宮古墳(石室は精緻な切石の巨石)も有名です。
> 私が今まで訪れて経験した奈良の問題が、出来るだけ
> たくさん出て欲しいな・・・なんて祈るばかりです。
その気持ち、よく分かります。私も、自分で訪ねて当ブログに載せた所が出てくれれば、一石二鳥だと思っています。
西宮古墳は公園内に整備されているので簡単に発見。なるほど方墳、開口していて、石棺も一部が残る。祠もあるので、意味のある場所であった。
烏土塚古墳はかわいそうに住宅地に浸食されて石垣の腰巻きを巻いて、やっと残る。姿の美しさが欠けるが墳頂に登り、南側の横穴式石室開口部に至る。ここも石棺の蓋はないが形態は残る。天井石が巨大。墳頂からは西宮古墳の開口部が見えた。
「長屋王陵」も住宅地に掩われてしまったが、意見は色々あるでしょうが、近世の王陵整備はやはり日本の美意識のひとつではないか。「白砂青松」、極めて簡素!悪くない。
> 王陵整備はやはり日本の美意識のひとつではないか。
> 「白砂青松」、極めて簡素!悪くない。
古墳は単なるお墓ではなく、そこに日本人の美意識や宗教観が凝縮されているように感じます。私も、また平群町を訪ねたくなりました。