
昨日(7/14)、毎日新聞奈良版の名物コーナー「会えてよかった 大和の仏像」で、私の好きな仏像と、それにまつわるエピソードを紹介していただいた。仏さまは、伝香寺の地蔵菩薩立像(通称「はだか地蔵尊」=トップ写真)である。
伝香寺へは、大和三名椿(めいちん)の1つ「散り椿」を見るために、過去に何度か訪ねているが、お堂は閉じられていた。重要文化財の地蔵菩薩立像を拝観したのは、今年の3月、「ナント・なら応援団」で、このお像の特別開帳(平城遷都1300年祭の「奈良大和路 秘宝・秘仏特別開帳」事業)のお手伝いをしたのが初めてだった。約1か月にわたり、お堂が特別公開されるというのは、お寺始まって以来の画期的なことだった。
※ナント・なら応援団(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/250550f888e9f8cf7f6ac323cf59433a
《これまで像の存在は知っていたが、本堂で間近に拝観して驚いた。これまで見たどんな地蔵よりも、穏やかで優しい表情をしていた。じっと見つめていると、ほおに紅が差しているようで、衣が風に揺れまるで生きているようだった。スッと、こちらに踏み出して歩いてくるようにも思えた》。本当にきれいなお顔の仏さまだった。衣をまとった仏像というのは珍しく、衣が光を反射して仏さまのお顔を照らすので、生身のようなリアルさがあった。
《「ちょっとそっち持ってくれますか」。少し斜めになっていた像を元に戻そうと、住職に手伝いを頼まれた。緊張しながら台座を支えていると、衣のすそがふと手に触れた。何か強い気迫のようなものが腕から伝わってきた》。ご住職の西山明彦(みょうげん)氏はとても気さくな方で、時々顔を出されては、お寺にまつわるいろんなことを教えて下さった。特別開帳の期間中は、堂内の写真撮影も許可されていて、おかげさまで私も何枚か撮らせていただいた。
《拝観者が途切れる度に、像と向き合った。「地獄のように苦しい事があっても、きっとこのお地蔵様が助けてくれる」。風邪をひきそうに寒い日だったが、ぽかぽかと温かな気持ちになった》。
お寺にお邪魔したのは2日間で、どちらも雨がしとしと降って、とても寒い日だった。時々、お堂の横の大きな椿の木の上から大輪の花が落ちる。「ドサッ」「バサッ」というその音が、またすごい。目の前に仏さま、聞こえてくるのは、花芽をつつく鳥のさえずりと椿の落ちる音と、とても奈良市の中心部とは思えないようなシチュエーションだった。
特別開帳が終わり、ご住職からはとても感謝していただいた。拝観者にも喜んでいただいたし、お手伝いした会社のOBたちも「良い経験をさせていただいた」と、感謝の気持ちで一杯だった。まさに「三方良し」だ。
秋になると、また別のお寺の特別開帳が始まる。「ナント・なら応援団」は総勢28人。これではとても足りないので、現在追加募集を行っているが、順調に団員が集まっている。平城遷都1300年祭も、残すところあと半年。私たち県民が「もてなしの心」を発揮する絶好の機会である、もう一踏ん張りだ。
伝香寺へは、大和三名椿(めいちん)の1つ「散り椿」を見るために、過去に何度か訪ねているが、お堂は閉じられていた。重要文化財の地蔵菩薩立像を拝観したのは、今年の3月、「ナント・なら応援団」で、このお像の特別開帳(平城遷都1300年祭の「奈良大和路 秘宝・秘仏特別開帳」事業)のお手伝いをしたのが初めてだった。約1か月にわたり、お堂が特別公開されるというのは、お寺始まって以来の画期的なことだった。
※ナント・なら応援団(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/250550f888e9f8cf7f6ac323cf59433a
《これまで像の存在は知っていたが、本堂で間近に拝観して驚いた。これまで見たどんな地蔵よりも、穏やかで優しい表情をしていた。じっと見つめていると、ほおに紅が差しているようで、衣が風に揺れまるで生きているようだった。スッと、こちらに踏み出して歩いてくるようにも思えた》。本当にきれいなお顔の仏さまだった。衣をまとった仏像というのは珍しく、衣が光を反射して仏さまのお顔を照らすので、生身のようなリアルさがあった。
《「ちょっとそっち持ってくれますか」。少し斜めになっていた像を元に戻そうと、住職に手伝いを頼まれた。緊張しながら台座を支えていると、衣のすそがふと手に触れた。何か強い気迫のようなものが腕から伝わってきた》。ご住職の西山明彦(みょうげん)氏はとても気さくな方で、時々顔を出されては、お寺にまつわるいろんなことを教えて下さった。特別開帳の期間中は、堂内の写真撮影も許可されていて、おかげさまで私も何枚か撮らせていただいた。
《拝観者が途切れる度に、像と向き合った。「地獄のように苦しい事があっても、きっとこのお地蔵様が助けてくれる」。風邪をひきそうに寒い日だったが、ぽかぽかと温かな気持ちになった》。
お寺にお邪魔したのは2日間で、どちらも雨がしとしと降って、とても寒い日だった。時々、お堂の横の大きな椿の木の上から大輪の花が落ちる。「ドサッ」「バサッ」というその音が、またすごい。目の前に仏さま、聞こえてくるのは、花芽をつつく鳥のさえずりと椿の落ちる音と、とても奈良市の中心部とは思えないようなシチュエーションだった。
特別開帳が終わり、ご住職からはとても感謝していただいた。拝観者にも喜んでいただいたし、お手伝いした会社のOBたちも「良い経験をさせていただいた」と、感謝の気持ちで一杯だった。まさに「三方良し」だ。
秋になると、また別のお寺の特別開帳が始まる。「ナント・なら応援団」は総勢28人。これではとても足りないので、現在追加募集を行っているが、順調に団員が集まっている。平城遷都1300年祭も、残すところあと半年。私たち県民が「もてなしの心」を発揮する絶好の機会である、もう一踏ん張りだ。
「衣のすそがふと手に触れた。何か強い気迫のようなものが腕から伝わってきた」
情景が、そして鉄田さんの心の高まりが感じられます。
> いいですねぇ、伝香寺さんのお地蔵さんと鉄田さんの触れ合い。
はい、全くあの通りでした。ご住職のおかげで、貴重な体験をさせていただきました。ぜひ、国宝指定していただきたいお像です。
いつも、重要文化財と聞いていたのですが、奈良国立博物館の表示が国宝。
あれ、国宝になったのか、と思ったのですが、それは、知らないだけだったのですね、文化財保護法では、法律名称が全て重要文化財。
国宝はその中から新たに選定されたもので(新国宝)、古社寺保存法の時は、全て国宝、(旧国宝)と言う。
地蔵菩薩は旧国宝です。
作者は銘がないため不明ですが、善円と推定されていて、平家、南都焼き討ちで残った貴重な1体。
体内仏ほか、宝物庫に収蔵されていますが、普段は公開していません、800年前のレース編みもきれいに残っています。
> 地蔵菩薩は旧国宝です。
はい、ですから今は重要文化財ですね。しかし、私も新国宝の価値は十分にあると思います。2011年以降も、ぜひ特別公開していただきたいと思います。
理解されなかったようですね、確かに判りにくいですが。
新国宝とは、昭和25年制定文化財保護法以後指定されたものの中から、選定されたものです。
旧法、国宝保存法、指定の中から新たに選定されるということはされておりません。
旧法指定の中から、新国宝指定というのはあり得ないわけで、法隆寺など、国宝ゼロと言うことになります。
2011年以降も公開は行います。
本堂に出したときには、忘れられていますが、厨子の扉絵、(江戸時代の作)もなかなかの出来です。
Wikipediaには《文化財保護法施行以前の旧法では「国宝」と「重要文化財」の区別はなく、国指定の有形文化財(美術工芸品および建造物)はすべて「国宝」と称されていた。法令上、「国宝」の語が初めて使用されたのは1897年(明治30年)の古社寺保存法制定時である。同法の規定に基づき、1897年(明治30年)12月28日付けで初の国宝指定が行われた。その後1929年(昭和4年)には古社寺保存法に代わって国宝保存法が制定され、同法は文化財保護法が施行される1950年(昭和25年)まで存続した》。
《古社寺保存法および国宝保存法の下で指定された「国宝」は1950年(昭和25年)現在で宝物類(美術工芸品)5,824件、建造物1,059件に及んだ。これらの指定物件(いわゆる「旧国宝」)は文化財保護法施行の日である1950年(昭和25年)8月29日付けをもってすべて「重要文化財」に指定されたものと見なされ、その「重要文化財」の中から「世界文化の見地から価値の高いもの」で「たぐいない国民の宝」たるものがあらためて「国宝」に指定されることとなった。混同を避けるため旧法上の国宝を「旧国宝」、文化財保護法上の国宝を「新国宝」と通称することがある》。
つまり「旧国宝」はすべて「重要文化財」に指定替え(呼称変更)され、その「重要文化財」のうち一定の条件を満たすものを改めて「新国宝」にしたのではないのでしょうか?
最初は、フェノロサの努力により、古社寺保存法制定で、このとき、National treasure、訳語は「国宝」と言うのが現れます、その後制定されたのが、国宝保存法、ここまで名称は国宝しかありません、昭和25年、文化財保護法が出来て、国宝の名称が廃止され、重要文化財が法律上の名称になります、重要文化財の指定品が新たに増えていくに従い、特別重要文化財なる非公式表現が出てきたため、その後第2項、上ランクの国宝(名称復活)となったようです。
旧法は廃止時に、文化財保存法に編入されました、通常の法律の事務手続き、以前の条文は引用したり、再記述、再指定は絶対しない。
このことが、誤解を生んだようです。
旧法上国宝であったものが、格下げになった物と、国宝になった物がある。
これはありません。
そのため、表示を、一般用語で、旧国宝、新国宝としたりすると言うことのようです。
疑問を解明し始めた発端は、奈良国立博物館の表示にありました。地蔵菩薩が国宝でしたので、ここが公表する表示を間違えるわけがありません、私も、新たに国宝指定になったのかと思った訳です、元々国宝表示で良かったのです。
このお地蔵さんは、興福寺にとっては、非常に重要な仏像だったようで、フェノロサもどこで調べたのか訪ねてきたとのことです、慶派以前の焼けなかった本尊扱いのほとんど唯一の1体、人気のある阿修羅像と交換してほしいと言っているようです、客仏ですが、伝香寺(筒井)では面と向かって言えないようです。