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磐余池の畔に参道がある御厨子(みずし)神社(橿原市)/毎日新聞「やまとの神さま」第33回

2023年02月10日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先週(2023.2.2)掲載されたのは〈清寧天皇、大津皇子ゆかり/御厨子神社(橿原市)〉、執筆されたのは同会会員で奈良市在住の磯兼史洋(いそかね・ふみひろ)さんだった。
※トップ写真は、御厨子神社の本殿=橿原市東池尻町で

この神社、参道の手前には磐余池(いわれのいけ)の推定地が広がっていて、大津皇子ファンがよく訪れている。神社に隣接して、「御厨子観音」として知られる妙法寺がある。では、全文を紹介する。


参道と磐余池推定地。写真は、『奈良万葉の旅百首』(京阪奈情報教育出版刊)から拝借

御厨子神社(橿原市)
御厨子(みずし)神社は、天香久山北東の橿原市東池尻町にあります。この辺りは大和朝廷時代の政治的要地である磐余(いわれ)の地にあたり、境内が位置する場所は第22代清寧(せいねい)天皇の磐余甕栗宮跡(いわれみかくりのみやあと)の伝承地とされています。

祭神は当初、根析神(ねさくのかみ)、安産霊神(やすむすびのかみ)の2柱でしたが、後の室町時代に誉田別命(ほんだわけのみこと)が合祀(ごうし)されました。

境内には、俗に月輪石(つきのわいし)と呼ばれる真っ二つに割れた大石があり、石析神(いわさくのかみ)が祭られています。神の依代(よりしろ)としての磐座(いわくら)ともみられ、古代信仰の名残を感じさせます。

当社を氏神としていたかつての南山村は、江戸時代以降に三つに分村され、現在の橿原市南山町、桜井市橋本、橿原市東池尻町となりました。重要な神事にはそれぞれの代表者が必ず参列し、玉串を南山町、橋本、東池尻町の順に奉奠(ほうてん)されています。歴史的経緯を知る人が少なくなる中、今もこの三つの地区によって神社が守られています。

また、参道の手前には磐余池(いわれのいけ)の推定地が広がっており、非業の死を遂げた大津皇子(おおつのみこ)がこの池のほとりで詠んだとされる辞世の歌「ももづたふ磐余の池に鳴く鴨(かも)を今日のみ見てや雲隠りなむ」の万葉歌碑が立っています。(奈良まほろばソムリエの会会員 礒兼史洋)

(住 所)橿原市東池尻町447
(祭 神)根析神、安産霊神、誉田別命
(交 通)近鉄大福駅から徒歩約20分、JR香久山駅から徒歩約15分
(拝 観)境内自由
(駐車場)無
(電 話)0744・48・0155(天香山神社)


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