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金剛・葛城山から流れる水越川の水を守る 葛木水分神社(御所市関屋)

2024年04月16日 | やまとの神さま(毎日新聞)
奈良まほろばソムリエの会は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。新年度の第1回(2024.4.4付)は、〈古代の貴重な水源守る神/葛木水分(みくまり)神社(御所市)〉、執筆されたのは、当地ご出身の岡田充弘(あつひろ)さんだった。
※トップ写真は葛木水分神社の本殿=御所市

これについて岡田さんはご自身のFacebookに〈 幼なごころに、水が分水嶺を越えて(越してくる)川、水越(ミコシ)の由来に心を高ぶらせたものだった〉と述懐されている。水越峠をめぐる水争いの話は、こちら(PDF)に詳しく出ている。では、以下に全文を紹介する。

〈古代の貴重な水源守る神/葛木水分神社(御所市)
金剛山と葛城山を南北に仰ぐ水越(みずこし)峠の東側に葛木水分(かつらぎみくまり)神社(御所市関屋)は鎮座します。近くには、金剛山の越口(こせぐち)と葛城山の万治(まんじ)ヶ滝を水源とする水越川が流れています。

水越の地は古くから「ミコシ」と呼ばれ、水越峠を越えて引水された金剛山の水が水越川を形づくり、この水系が古代のヤマト政権にとって重要だったからこそ、そのほとりに葛木水分神社が建てられたようです。

祭神は天水分神(あめのみくまりのかみ)、国水分神(くにのみくまりのかみ)の2柱で、金剛、葛城の山の水を守る神として崇敬されています。平安時代の神社一覧「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」で、大和に四つ記された水分神社の中で、最も水配(みくまり)の地らしい所にあると言えます。

境内は木立が奥深く、水分神にふさわしい神域の風情があります。本殿は江戸時代の建立で、一間社春日造(いっけんしゃかすがづく)り(正面の柱間が一つの切り妻屋根で、棟と直角な面に入口がある様式)。今では薄れたものの柱や壁に極彩色が施され、銅板ぶき屋根のがっしりした建物です。

例祭のある12月20日は、江戸・元禄年間の河内側との水争いが京都所司代(しょしだい)の裁許により大和側の勝訴となった日にちなむと伝わります。こうした歴史に彩られた水越川の清らかな水は、有名な吐田米(はんだまい)を育むことでも知られています。
(奈良まほろばソムリエの会会員 岡田充弘)

(祭 神)天水分神(あめのみくまりのかみ)、国水分神(くにのみくまりのかみ)
(住 所)御所市関屋大原248
(交 通)近鉄御所駅から徒歩約90分。または同駅からタクシーに乗り、同神社へ
(拝 観)境内自由
(駐車場)なし
(電 話)なし


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